【スライド資料】The_Invisible_Gears_of_Urban_Governance

都市は誰によって統治されているのでしょうか。少数のエリートか、多様な集団か――半世紀続いたこの論争を乗り越えたのが都市レジーム論です。鍵は「支配の権力」ではなく「達成の権力」。権限はあるが資源が足りない行政と、資源はあるが権限をもたない民間。両者の相互依存が、再開発もTODPPPも動かしています。クラレンス・ストーンのアトランタ研究から、ガバナンス論、そして次なるジェントリフィケーションへ。都市理論シリーズ第五弾。

※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります。

目次

はじめに ― 都市は誰によって統治されるのか

前回の記事「成長機械論」では、「なぜ都市は成長を追求するのか」という問いを軸に、都市を、土地の交換価値の増大を目指す成長連合によって駆動される「成長の機械」として捉える理論を検討しました。成長機械論は、都市の成長志向を、具体的なアクターたちの利害から鮮やかに説明し、「都市において誰が利益を得るのか」という問いに、説得力のある答えを与えました。

しかし、前回の末尾でも指摘したように、成長機械論には一つの重要な留保がありました。それは、「都市は、実際にどのように統治されているのか」という、統治の動態とメカニズムを問う視点が弱かったという点です。成長連合が利益を共有しているとしても、彼らはどのようにして実際に協力し、行政の権力と結びつき、政策を継続的に実現していくのでしょうか。利害が一致していることと、それが安定した統治として機能することとの間には、埋めるべき隔たりがあります。

この隔たりに正面から取り組んだのが、本記事で扱う都市レジーム論(urban regime theory)です。この理論は、都市の統治を、行政(公的セクター)と民間(私的セクター)とが、それぞれの資源を持ち寄って形づくる、非公式だが持続的な協力関係 — レジーム — の観点から分析します。問いを言い換えれば、成長機械論が「都市において誰が得をするのか」を問うたのに対し、都市レジーム論は「都市は誰によって、どのように統治されているのか」を問うのです。

本記事では、この問いを軸に、都市レジーム論がどのような理論的系譜の中から生まれたのか、その中心概念であるレジームとは何か、なぜレジームが必要とされるのか、そしてこの理論が都市計画やまちづくりにどのような視点を提供するのかを、順を追って論じていきます。あらかじめ一点強調しておきたいのは、都市レジーム論は、都市の統治の現実を記述し説明するための理論であって、特定の政策や統治のあり方の善悪を判定するための理論ではない、という点です。この記述的・説明的な性格は、本記事を通じて繰り返し確認することになります。

都市権力論の系譜 ― レジーム論の前史

都市レジーム論を理解するためには、それが「都市を実際に動かしているのは誰なのか」という、より古い問い — 都市権力論(community power debate、しばしば都市権力論争とも呼ばれます)— の系譜の中から生まれたことを知る必要があります。この論争は、20世紀半ばのアメリカの政治学社会学において、活発に展開されました。

エリート論 ― ハンターの問い

都市権力論の口火を切ったのは、社会学者のフロイド・ハンター(Floyd Hunter)でした。彼が1953年に刊行した『コミュニティの権力構造(Community Power Structure)』は、アメリカの都市(アトランタをモデルとしたとされる「リージョナル・シティ」)を対象に、誰が実際に都市の意思決定を支配しているのかを調査した研究です。

ハンターの結論は、都市が、選挙で選ばれた政治家ではなく、少数の経済的エリート — とりわけ大企業の経営者や有力な実業家 — によって、実質的に支配されているというものでした。彼は、地域の有力者に「誰が最も影響力をもつか」を尋ねる評判法(reputational method)という手法を用い、都市の背後に、表には出てこない少数者の権力構造が存在することを示そうとしました。この立場は、都市権力が一部のエリートに集中していると見るため、エリート論(elite theory)と呼ばれます。

多元主義 ― ダールの反論

ハンターのエリート論に対して、強力な反論を提起したのが、政治学者のロバート・ダール(Robert Dahl)でした。彼が1961年に刊行した『統治するのは誰か(Who Governs?)』は、アメリカの都市ニューヘイブンを対象に、都市の権力構造を実証的に分析した著作です。

ダールは、ハンターの評判法を批判し、実際の重要な政策決定 — 都市再開発、公教育、政治家の指名といった具体的な争点 — において、誰が実際に影響力を行使したのかを追跡する手法をとりました。その結果、彼が見出したのは、単一のエリート集団がすべてを支配しているのではなく、争点ごとに異なるアクターが影響力をもち、権力が複数の集団に分散しているという姿でした。ある争点では事業者が、別の争点では教育関係者が、また別の争点では政党が影響力をもつ。このように権力が分散し、多様な集団が競合・交渉する都市の姿を描いたダールの立場は、多元主義(pluralism)と呼ばれます。

論争の行き詰まりとレジーム論の出発点

エリート論と多元主義の論争は、長く続きました。エリート論は、目に見える政策決定の背後に隠れた権力構造を強調し、多元主義は、具体的な決定過程に現れる権力の分散を強調しました。両者は、「都市を支配しているのは少数のエリートか、それとも多様な集団か」という二者択一の構図で対立していたのです。

しかし、この対立そのものに、限界がありました。筆者の見るところ、両者はいずれも、権力を「誰かが誰かを支配する力」「他者に何かを強制する力」として捉えていました。すなわち、権力を、対立する者の上に行使される「支配の権力(power over)」として理解していたのです。都市レジーム論の革新は、この権力観そのものを問い直した点にあります。後で詳しく見るように、クラレンス・ストーンは、都市の統治において本当に重要なのは、誰かを支配する力ではなく、物事を成し遂げるために必要な力 — すなわち「達成の権力(power to)」だと考えました。より正確に言えば、ストーンは権力を、単に何かを達成する能力としてではなく、複数の主体が社会的に協力しながら、統治のための能力を形成していく過程として捉えたのです。この権力観の転換こそが、エリート論と多元主義の不毛な対立を乗り越え、都市レジーム論を生み出す鍵となりました。

成長機械論から都市レジーム論へ

都市権力論の系譜と並んで、都市レジーム論のもう一つの背景をなすのが、前々回・前回の記事で扱った都市政治経済学成長機械論です。両者の関係を、ここで簡潔に整理しておきましょう。

政治経済学と成長機械論の到達点

前々回の記事で論じたように、デヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)に代表される都市政治経済学は、都市空間の形成を、資本蓄積というマクロな構造の論理から説明しました。そして前回の成長機械論ハーヴェイ・モロッチ(Harvey Molotch)とジョン・ローガン(John Logan)によって展開された理論 — は、その論理を、地元の具体的なアクターの水準へと引き下ろし、土地の交換価値の増大を目指す成長連合の存在を明らかにしました。

これらの理論は、都市の変容を駆動する力 — 資本、そして土地から利益を得るアクターの利害 — を解明した点で、大きな成果を上げました。とりわけ成長機械論は、都市政治を、利用価値を重視する住民と交換価値を追求する成長連合との対立として捉え、「誰が利益を得るのか」という分配の問いに焦点を当てました。

「誰が得をするか」から「どう統治するか」へ

しかし、ここに、都市レジーム論が引き継ぐ課題がありました。成長機械論は、成長連合が利益を共有していることを示しましたが、その連合が、いかにして安定した統治の体制を作り上げ、それを維持していくのかという、統治の動態を十分には論じていませんでした。利害が一致していることは、協力の前提ではあっても、協力そのものではありません。多様なアクターが、立場や利害の違いを抱えながら、いかにして継続的な協力関係を築き、都市を実際に動かしていくのか — この問いが残されていたのです。

都市レジーム論は、この問いに答えようとします。それは、関心の焦点を、「誰が利益を得るのか(分配)」から「誰がどのように統治しているのか(統治)」へと移すものでした。両者は対立するというより、補完的です。成長機械論都市政治の「利害の構造」を解明したのに対し、都市レジーム論都市政治の「統治の仕組み」を解明する。この焦点の移行を体現したのが、次に見るクラレンス・ストーンの研究です。

クラレンス・ストーンと都市レジーム論

都市レジーム論を体系的な理論として確立したのは、アメリカの政治学クラレンス・ストーン(Clarence Stone)です。彼が1989年に刊行した『レジーム・ポリティクス ― アトランタを統治する 1946-1988(Regime Politics: Governing Atlanta, 1946–1988)』は、この理論の古典として知られています。

アトランタ研究

ストーンは、アメリカ南部の都市アトランタを対象に、第二次世界大戦後から1980年代末までの約40年間にわたる、都市の統治のあり方を詳細に分析しました。彼が注目したのは、アトランタにおいて、行政(市長や市当局)と、地元のビジネス界(とりわけ都心部の大企業や不動産関連の経済エリート)とが、長期にわたって安定した協力関係を維持し、都市の主要な政策を共同で推進してきたという事実でした。

この協力関係は、選挙の結果によって市長が交代しても、また人種構成の変化によって黒人市長が誕生しても、基本的な枠組みを保ち続けました。ストーンは、この持続的な協力関係こそが、アトランタという都市を実際に動かしている統治の実体であると考え、これを「レジーム(regime)」と呼んだのです。重要なのは、このレジームが、公式の政府機構そのものではなく、行政と民間にまたがる、非公式だが安定した連合だったという点です。

権力観の転換 ― 支配の権力から達成の権力へ

ストーンの理論的革新の核心は、先に触れた権力観の転換にあります。彼は、都市の統治において重要なのは、エリート論や多元主義が前提としていた「支配の権力(power over)」 — 誰かを支配し、抵抗を押し切る力 — ではなく、「達成の権力(power to)」 — 物事を成し遂げる力 — だと論じました。ただし、ここで注意すべきは、ストーンの言う「達成の権力」が、単独のアクターが何かを成し遂げる能力を指すのではない、という点です。彼が関心を寄せたのは、複数の主体が社会的に協力しながら、統治のための能力を形成していく、その過程そのものでした。すなわち、レジームとは、この協力を通じた統治能力の形成にほかなりません。

この区別は、きわめて重要です。現代の都市において、ある主体が他のすべてを支配して、一方的に物事を決定することは、ほとんど不可能です。都市は複雑であり、権力も資源も分散しています。したがって、都市で何かを成し遂げようとすれば、必要な資源と能力をもつ複数の主体が、協力するほかありません。ストーンの言うレジームとは、まさにこの「物事を成し遂げるための協力の体制」なのです。筆者の見るところ、この権力観の転換によって、ストーンは、エリート論(支配するエリート)と多元主義(競合する集団)の対立を乗り越え、「協力を通じて統治が成り立つ」という第三の視座を切り開いたといえます。都市政治の核心は、誰かが誰かに勝つことではなく、いかにして物事を実現する連合を作り上げ、その統治能力を維持するか、という点にあるのです。

レジームとは何か

それでは、ストーンの言う「レジーム」とは、より厳密にはどのようなものなのでしょうか。ここでは、その定義と特徴を、いくつかの要素に分けて丁寧に見ていきます。

レジームの定義

ストーンは、都市レジームを、おおむね次のように特徴づけました。すなわち、統治の決定を下し、それを実行するために必要な能力をもたらすべく協働する、非公式だが比較的安定した統治連合 — これがレジームです。ここで「集団」ではなく「統治連合」と表現することが重要です。レジームとは、単に人々の集まりそのものを指すのではなく、統治のための能力を生み出す、持続的な協力関係を指すからです。この定義には、いくつかの重要な要素が含まれています。

第一に、レジームは「統治の能力」に関わるものです。それは、都市において実際に物事を成し遂げる力をもたらすための仕組みです。第二に、レジームは「非公式」なものです。それは、議会や行政組織といった公式の政府機構そのものではなく、その背後で、あるいはそれと並行して機能する、非公式な協力の構造です。第三に、レジームは「比較的安定」しています。それは、一回限りの取引や、その都度の連合ではなく、長期にわたって持続する協力関係です。

公共部門と民間部門の協働

都市レジームの中核をなすのは、公共部門(行政)と民間部門(とりわけビジネス界)との協働です。なぜこの二つの部門の協働が、都市の統治にとってかくも重要なのでしょうか。その答えは、次節で詳しく見る「資源の相互依存」にあります。

ここで強調しておきたいのは、レジームに参加するのは、行政とビジネス界だけに限られないという点です。レジームの構成は都市によって異なり、労働組合、地域団体、非営利組織、大学、メディアなど、その都市で統治に必要な資源をもつ多様な主体が、レジームの一員となりうります。ただし、ストーンのアトランタ研究をはじめ、多くの事例において、行政と都心部のビジネス界とが、レジームの中核を担う傾向が観察されてきました。これは、後述するように、土地と資本に関わる資源が、都市の統治においてとりわけ重要な役割を果たすためと考えられます。

統治連合

レジームの担い手となる、この協力する主体の集まりを、統治連合(governing coalition)と呼びます。統治連合は、成長機械論の「成長連合」と似ているように見えますが、その焦点は異なります。成長連合が、土地の交換価値の増大という「利害の共有」に注目するのに対し、統治連合は、物事を成し遂げるための「資源の結合と協力の維持」に注目します。

統治連合が機能するためには、参加する主体の間に、一定の協力の枠組みが必要です。ストーンは、こうした協力を可能にするものとして、長期にわたる関係の中で培われる信頼や、相互の便益の交換、そして共有された理解や目標の重要性を指摘しました。レジームは、単なる利害の一致によってではなく、こうした持続的な関係の積み重ねによって、はじめて安定した統治の体制となりうるのです。

なぜレジームが必要なのか ― 資源の相互依存

都市レジーム論の最も核心的な洞察は、なぜ都市において、行政と民間の協力 — レジーム — が必要とされるのか、という問いへの答えにあります。その答えは、両者の間に存在する「資源の相互依存」にあります。

権限をもつ行政、しかしその資源だけでは不十分

現代の民主主義社会において、都市政府(行政)は、公的な権限をもっています。土地利用を規制し、開発を認可し、税を課し、公共サービスを提供する正統な権限は、選挙で選ばれた政府にあります。この意味で、行政は、都市を統治する公式の権威をもっています。行政自身もまた、財源や人員、規制権限といった重要な資源を保有しています。

しかし、行政がもつ資源だけでは、都市を実際に変えていくのに十分ではありません。大規模な再開発を行うための潤沢な資金、開発を担う専門的な能力、開発可能な土地、雇用を生み出す事業 — こうした資源の多くは、行政の手の外にあります。行政は、権限と一定の資源をもちながらも、それだけでは都市を統治するのに不足する、という構造的な制約を抱えているのです。

資源をもつが権限をもたない民間

他方、民間部門 — とりわけ企業や投資家 — は、行政が欠いている種類の資源を豊富にもっています。投資のための資金、開発を実行する技術と能力、土地、そして雇用を生み出す経済活動。これらは、都市を実際に動かし、変えていくために不可欠な資源です。

しかし、民間部門は、こうした資源をもつ一方で、公的な権限をもっていません。土地利用を規制したり、開発を認可したり、公共のルールを定めたりする正統な権威は、民間にはありません。民間は、資源をもつが、それを公的に方向づける権限を欠いている、という構造的な制約を抱えているのです。

相互依存がレジームを生む

ここに、レジームが生まれる根本的な理由があります。行政は権限をもつがその資源だけでは不足し、民間は資源をもつが権限を欠く。両者は、それぞれ単独では、都市において大きな物事を成し遂げることができません。行政は民間の資源を必要とし、民間は行政の権限を必要とする。この相互依存の関係が、両者を協力へと向かわせ、レジームという持続的な協力の体制を生み出すのです。

筆者の見るところ、この「権限と資源の相互依存」という洞察は、都市レジーム論の最も優れた点です。それは、都市の統治を、行政の一方的な支配としても、民間の一方的な支配としても捉えず、両者が互いを必要とし合う相互依存の関係として捉えます。都市が誰かに「支配されている」のではなく、複数の主体が資源を持ち寄って「協働して統治している」という見方は、現代の複雑な都市の現実に、よく適合しているといえるでしょう。この視座は、後述する官民連携(PPP)やエリアマネジメントといった、現代の都市づくりの実践を理解する上でも、有用な手がかりとなります。

レジームの類型

都市レジームは、どの都市でも同じ形をとるわけではありません。統治連合が何を目標とし、どのような課題に取り組むかによって、レジームはいくつかの類型に区別されてきました。ここで紹介する四つの類型は、ストーン自身の議論を出発点としつつ、後続の研究者たちによっても整理・発展させられてきた、代表的なレジーム類型です。なお、これらは理念型的な区別であり、現実のレジームはこれらの要素を複合的に含みうる点に留意してください。

維持型レジーム

第一が、維持型レジーム(maintenance regime)です。これは、現状の維持を主たる目標とし、大きな変化を志向しないレジームです。既存のサービス水準や土地利用を保ち、現状を大きく揺るがすような野心的なプロジェクトには取り組みません。比較的少ない資源と協力で運営できる、いわば消極的なレジームといえます。

開発型レジーム

第二が、開発型レジーム(development regime)です。これは、都市の経済成長や再開発、物理的な変容を主たる目標とするレジームです。前回扱った成長機械論が描いた都市の姿に、最も近いのがこの類型です。土地の価値を高め、投資を呼び込み、再開発を推進することを志向するこのレジームは、行政とビジネス界(とりわけ不動産・開発関連)との緊密な協力を必要とします。多くの大都市で観察されるのが、この開発型レジームです。

中産階級進歩型レジーム

第三が、中産階級進歩型レジーム(middle-class progressive regime)です。これは、成長や開発そのものよりも、環境保護、歴史的景観の保全、開発の規制、生活の質の向上といった、中産階級的な価値を主たる目標とするレジームです。開発型レジームが成長を推進するのに対し、この類型は、しばしば開発に一定の制約を課し、環境や生活環境を重視します。住民運動や環境団体が、レジームの重要な構成員となることがあります。

機会拡大型レジーム

第四が、機会拡大型レジーム(opportunity expansion regime、下層階級向け機会拡大型とも)です。これは、社会的に不利な立場にある人々 — 低所得層やマイノリティ — の機会を拡大し、教育や職業訓練、雇用へのアクセスを高めることを目標とするレジームです。この類型は、理念としては重要ですが、現実には形成・維持が最も困難なレジームとされてきました。なぜなら、このレジームは、土地や資本といった、統治に必要な強力な資源をもつアクターの利害と、必ずしも一致しないからです。資源の動員が難しいこの類型は、しばしば不安定で短命に終わりがちだと論じられました。

筆者の見るところ、この類型論の意義は、都市の統治が一様ではなく、何を目標とするかによって多様でありうることを示した点にあります。同時に、開発型レジームが比較的形成されやすく、機会拡大型レジームが形成困難であるという非対称性は、都市の統治がなぜしばしば成長や開発に傾きがちなのか、という前回の成長機械論の問いとも深く響き合っています。資源をもつ主体の協力が得やすい目標ほど、レジームは形成されやすいのです。

成長機械論との比較

ここで、前回扱った成長機械論と、本記事の都市レジーム論との関係を、改めて整理しておきましょう。両者は、ともに都市政治の分析に連なり、深く関連していますが、その学問的な背景、焦点、性格には明確な違いがあります。

観点 成長機械論 都市レジーム論
主要な研究者 ハーヴェイ・モロッチジョン・ローガン クラレンス・ストーン
代表的著作 アーバン・フォーチュンズ』(1987) レジーム・ポリティクス』(1989)
理論的背景 都市社会学・(都市)政治経済学 政治学都市権力論
中心概念 成長連合、利用価値と交換価値 レジーム、統治連合、達成の権力
中心的な問い 誰が利益を得るのか 都市はどのように統治されるのか
権力の捉え方 利害をめぐる対立・闘争 達成の権力(協力を通じた統治能力の形成)
分析の焦点 利害の構造(土地の交換価値) 統治の仕組み(資源の相互依存と協力)
都市 成長を追求する機械 協働を通じて統治される場
政策・計画への含意 誰が得をし誰が負担するかを問う 誰がどう協力して政策を実現するかを問う

この比較から見えてくるのは、両者が、都市政治という同じ対象を、異なる学問的背景と角度から照らしているということです。成長機械論は、都市社会学と政治経済学の伝統に立ち、都市政治の駆動力としての「利害」に注目し、とりわけ土地の交換価値をめぐる対立を前景化させます。一方、都市レジーム論は、政治学都市権力論の伝統に立ち、都市政治を可能にする条件としての「協力」に注目し、資源の相互依存がいかに持続的な統治を生み出すかを問います。筆者の見るところ、両者は競合する理論というより、相補的な視座です。成長機械論が「なぜ都市は成長へと向かうのか」を説明し、都市レジーム論が「その成長への志向が、いかにして安定した統治として組織されるのか」を説明する、と整理できるでしょう。実際、開発型レジームの分析は、成長機械論の知見を、統治の仕組みの観点から深めたものと見ることができます。

都市ガバナンス論への発展

都市レジーム論は、1990年代以降、都市ガバナンス論(urban governance)という、より広い研究潮流とともに発展していきました。ここでは、その理論的な展開を概観します。

ガバナンスという視座

ガバナンス(governance)」という概念は、「ガバメント(government、政府)」と対比して用いられます。ガバメントが、公式の政府機構による、上からの統治を指すのに対し、ガバナンスは、政府だけでなく、企業、市民社会、非営利組織など、多様な主体が関与する、より分散的で水平的な統治のあり方を指します。社会を方向づけ、まとめあげる営みが、もはや政府の独占物ではなく、多様な主体のネットワークによって担われるようになっている — これがガバナンス論の基本的な認識です。

都市レジーム論は、行政と民間の協力に注目した点で、このガバナンス論の重要な先駆けの一つとなりました。両者は、一方が他方に単純に発展したというよりも、相互に影響を与えながら並行して発展してきた側面もあります。とはいえ、レジーム論が描いた「公式の政府機構を超えた、非公式な協力による統治」という構図が、ガバナンス論の一般化する統治のイメージを、いち早く都市の文脈で提示したものであったことは確かです。

ストーカーとジェソップ

都市ガバナンス論の発展に貢献した研究者として、ジェリー・ストーカー(Gerry Stoker)とボブ・ジェソップ(Bob Jessop)を挙げることができます。ストーカーは、都市レジーム論を批判的に検討しつつ、それを都市ガバナンスのより広い理論へと接続することに貢献しました。彼は、レジーム論がもつ洞察 — 統治における協力と資源の相互依存 — を、ネットワークによる統治(network governance)という、より一般的な枠組みの中で位置づけ直そうとしました。

ジェソップは、より理論的な観点から、国家や統治のあり方の変容を論じ、ガバナンスという概念を、資本主義国家の再編という大きな文脈の中に位置づけました。彼の議論は、ガバナンスへの移行を、単なる統治技術の変化としてではなく、政治経済の構造的な変容の一部として捉えるものでした。筆者の見るところ、これらの研究は、都市レジーム論を、アメリカの特定の文脈で生まれた理論から、より普遍的な都市ガバナンスの理論へと拡張し、洗練させていく試みであったといえます。パートナーシップ(partnership、官民や多主体の連携)による統治、ネットワーク・ガバナンスといった概念は、こうした展開の中で、現代の都市研究の重要な語彙となっていきました。

都市計画・交通計画との関係

都市レジーム論は、都市計画やまちづくり、交通計画に携わる人々にとって、どのような視点を提供するのでしょうか。ここでは、その実務的な含意を考えてみます(以下の関連づけには、確立した知見と筆者の解釈とが含まれます)。あらかじめ繰り返しておきますが、都市レジーム論は統治の現実を説明する理論であり、特定の政策の善悪を評価する規範理論ではありません。以下も、評価ではなく理解のための視座として読んでいただければと思います。

再開発と公共交通整備をレジームから見る

大規模な都市再開発公共交通の整備といった事業は、行政だけでも、民間だけでも実現できません。そこには、土地利用の規制権限や公的資金をもつ行政と、投資能力や開発の専門性をもつ民間とが、協力する必要があります。都市レジーム論は、こうした事業を、まさに行政と民間の資源の相互依存と協力の産物として理解する視座を提供します。

ある再開発がなぜ実現したのか、あるいはなぜ頓挫したのかを問うとき、レジーム論は、関係する主体がどのような資源をもち、それらがいかに結合されたか(あるいは結合されなかったか)に注目するよう促します。公共交通の整備においても同様です。新しい路線や駅の整備は、行政の計画権限や財源と、鉄道事業者や開発業者の資源とが結びついてはじめて実現します。レジーム論は、こうした実現の背後にある協力の構造を読み解く手がかりとなるのです。

PPP・TOD・エリアマネジメントとの接続

都市レジーム論の視座は、現代の都市づくりの様々な手法と、深く関わります。官民連携(public-private partnershipPPP)は、まさに行政と民間が協力して公共的な事業を実現する仕組みであり、レジーム論が描く資源の相互依存を、制度化したものと見ることができます。PPPの成否は、レジーム論の観点からすれば、参加する主体の資源がうまく結合され、安定した協力関係が築けるかどうかにかかっている、と理解できます。

本シリーズで繰り返し取り上げてきたTOD(公共交通指向型開発)も、レジーム論の視点から眺めると、その実現が、行政、鉄道事業者、開発業者、地権者といった多様な主体の協力を要する事業であることが見えてきます。駅周辺の高密度な複合開発は、誰か一者の力では成し遂げられず、資源と権限をもつ複数の主体が連合してはじめて可能になります。同様に、エリアマネジメント — 地域の多様な主体が協働して地域を運営する仕組み — も、レジーム論が描く、持続的な協力による統治の、ミクロなスケールでの現れと捉えることができます。筆者の見るところ、これらの現代的な都市づくりの手法は、いずれも「協働を通じた統治」というレジーム論の中心テーマを、それぞれの文脈で具体化したものといえます。

説明理論としての位置づけ

ここで改めて強調しておきたいのは、都市レジーム論が、これらの事業や手法の善悪を判定する理論ではない、という点です。レジーム論は、ある再開発やPPPが「良い」か「悪い」かを論じるのではなく、それが「どのように成り立っているのか」「誰がどのような資源を持ち寄って協力しているのか」を説明します。誰が統治に参加し、誰が参加していないのか、その協力が誰の利益に資するのかといった規範的・批判的な問いは、レジーム論の分析を踏まえた上で、別途、論じられるべきものです。実務者にとってのレジーム論の価値は、自らが関わる事業が、どのような協力の構造の中で動いているのかを冷静に把握するための、分析の枠組みを提供する点にあると考えられます。

日本の都市をどう理解するか

都市レジーム論は、アメリカの都市、とりわけアトランタという特定の文脈で生まれた理論です。それを日本の都市に適用するにあたっては、慎重さが求められます。以下に述べるのは、あくまで「都市レジーム論というレンズを通すと、日本の都市開発がどう解釈できるか」という試論であり、「日本にレジームが存在する」と断定するものではありません。

日本の都市は、アメリカとは異なる統治の文脈をもっています。中央政府の役割が大きく、地方分権の度合いや、行政と民間の関係のあり方も、アメリカとは異なります。したがって、ストーンがアトランタで見出したようなレジームが、日本の都市にそのまま存在すると考えることはできません。

それでも、都市レジーム論の視座は、日本の都市開発を理解する上で、いくつかの示唆を与えてくれます。たとえば、近年の大都市における大規模再開発や駅前再開発は、行政、鉄道事業者、デベロッパー、地権者といった多様な主体の協力なしには実現しません。これらの事業を、都市レジーム論の観点から解釈すれば、行政がもつ土地利用規制や都市再生の制度的権限と、鉄道事業者やデベロッパーがもつ資金・開発能力・土地とが結合して、はじめて事業が動いている、と読み解くことができます。とりわけ大都市圏の私鉄事業者は、土地と開発能力の双方を併せもつ点で、独特な統治連合の構図を生み出しうるかもしれません。これは、地域や事業者によって大きく異なる、日本の私鉄都市圏に特徴的な構図であり、日本全体に一般化できるものではない点に注意が必要です。

また、官民連携による都市整備や、民間主導の都市開発の広がりも、レジーム論が描く資源の相互依存の観点から解釈する余地があります。ただし、繰り返しになりますが、これらはあくまで都市レジーム論からの解釈の試みです。日本の都市において、どのような主体が、どのような資源を持ち寄り、どの程度安定した協力関係を築いているのかは、個別の事例に即した慎重な実証的検討を要する論点です。理論を当てはめて断定するのではなく、理論を手がかりとして問いを立てる姿勢が重要だと、筆者は考えます。

都市レジーム論への批判

都市レジーム論は、都市の統治の分析に大きな影響を与えましたが、それ自体もさまざまな批判にさらされてきました。これらの批判を検討することは、この理論の限界と射程を理解する上で重要です。

権力格差の軽視という批判

第一の批判は、主として成長機械論都市政治経済学の立場から提起される、権力格差の軽視という批判です。都市レジーム論は、「協力」と「達成の権力」を強調するあまり、その協力関係の内部に存在する、深刻な力の不均衡を見えにくくしているのではないか、というのです。レジームへの参加は、誰にでも平等に開かれているわけではありません。土地や資本といった強力な資源をもつ主体は、レジームに参加しやすく、その方向づけに大きな影響力をもちます。一方、そうした資源をもたない人々 — 低所得層やマイノリティ — は、しばしばレジームから排除されます。先に見た「機会拡大型レジーム」が形成困難であるという事実自体が、この権力格差を物語っています。批判者は、レジーム論が、こうした構造的な不平等を、「協力」という中立的な言葉で覆い隠してしまう危険を指摘します。

概念の曖昧さという批判

第二に、レジームという概念そのものの曖昧さをめぐる批判があります。カレン・モスバーガー(Karen Mossberger)とジェリー・ストーカーは、共著の論考において、都市レジーム論が広く普及するにつれて、「レジーム」という概念が拡散し、その意味が曖昧になっていったことを問題視しました。すなわち、どのような協力関係を「レジーム」と呼ぶのか、その基準が研究者によってまちまちになり、概念の輪郭がぼやけてしまったというのです。この概念の曖昧化は、異なる都市や事例を比較する際に、何を比べているのかが不明確になるという問題を生みます。筆者の見るところ、この批判は、理論が成功して広く使われるようになったがゆえの、いわば成長痛とでも呼ぶべき問題を突いたものであり、レジーム論を厳密な比較研究の道具として用いるためには、概念の慎重な定義が不可欠であることを示しています。

グローバル化と国家の軽視という批判

第三に、グローバル化や国家の役割を十分に捉えていない、という批判があります。都市レジーム論は、ローカルな統治連合に焦点を当てるため、その都市を取り巻くより大きな力 — 国境を越えた資本の流れ、グローバルな都市間競争、そして中央政府の政策 — を、相対的に軽視しているのではないか、というのです。とりわけ、中央政府の役割が大きい国や、グローバルな資本に大きく左右される都市においては、ローカルなレジームの分析だけでは、都市の統治の全体像を捉えきれない可能性があります。

文脈依存性という批判

第四に、文脈依存性をめぐる批判があります。都市レジーム論は、アメリカの、しかも特定の都市の統治の文脈 — 地方分権的で、行政と民間の協力が制度的に求められやすい文脈 — を強く反映しています。そのため、政治制度や行政と民間の関係が異なる他の国々に、この理論をそのまま適用することは難しく、都市間の比較も容易ではない、という批判です。レジームという概念が、アメリカの文脈に深く根ざしているがゆえに、その普遍性には限界があるというわけです。アラン・ハーディング(Alan Harding)らは、こうした問題意識から、レジーム論や成長機械論を国際比較研究へと展開するための課題を検討してきました。

新自由主義都市論からの批判

第五に、新自由主義都市論(neoliberal urbanism)の立場からの批判があります。1980年代以降、世界の多くの都市で、公共サービスの市場化、民営化、規制緩和といった、新自由主義的な政策が広がりました。この潮流を論じる立場からは、都市レジーム論が描く「行政と民間の協力」が、実際には、公的な領域が市場の論理に従属させられ、民間の利益が公共的な意思決定を左右していく過程を、中立的に描いてしまっているのではないか、という批判が提起されます。協力という言葉の背後で進行している、統治の市場化・民営化の問題を、レジーム論は十分に問題化できていない、というのです。

筆者の見るところ、これらの批判は、いずれも都市レジーム論の重要な限界を突くものです。同時に、これらの批判は、レジーム論を無効にするというより、その射程を明確にし、他の理論的視座 — 政治経済学、グローバル都市論、新自由主義都市論 — と組み合わせて用いることの必要性を示している、と理解するのが適切でしょう。レジーム論は、ローカルな統治の仕組みを精緻に分析する強力な道具ですが、それだけで都市のすべてを説明できるわけではないのです。

現代的意義

こうした批判にもかかわらず、都市レジーム論は、現代の都市研究において、なお重要な意義をもち続けています。最後に、その現代的な意義を確認しておきましょう。

第一に、官民連携都市ガバナンスが、ますます都市づくりの中心的な手法となっている現代において、レジーム論が描く「資源の相互依存と協働による統治」という視座は、その有効性を増しています。財政的な制約の中で、行政が単独で都市を整備することが難しくなり、民間との連携が不可欠となるにつれて、レジーム論の洞察は、ますます現実に即したものとなっているのです。

第二に、交通政策の分野でも、レジーム論の視座は有用です。公共交通の整備や維持は、行政、交通事業者、沿線の開発主体、利用者といった多様な主体の協力を必要とします。誰がどのような資源を持ち寄り、いかに協力を維持するかという問いは、持続可能な交通システムを構想する上で、避けて通れない課題です。

第三に、気候変動対策やスマートシティといった、現代の新しい都市政策の課題においても、レジーム論の視座が応用されつつあります。脱炭素化や都市のデジタル化は、行政、企業、市民、技術提供者など、きわめて多様な主体の協働を要する、複雑な課題です。こうした課題に取り組むための新しい統治連合 — たとえば気候レジームとでも呼びうるもの — がいかに形成され、維持されるのかは、現代の都市ガバナンス研究の重要なテーマとなっています。筆者の見るところ、レジーム論が提起した「いかにして物事を成し遂げる協力を組織するか」という問いは、都市が直面する課題が複雑化・多様化する現代において、むしろその重要性を高めているといえます。

まとめ ― 理論史の中の都市レジーム論

本記事では、「都市は誰によって統治されるのか」という問いを軸に、都市レジーム論の成立背景、中心概念、意義、批判、そして現代的展開をたどってきました。最後に、本シリーズがたどってきた理論史の流れの中に、都市レジーム論を位置づけて、議論を締めくくりたいと思います。

本シリーズは、シカゴ学派都市社会学から出発し、都市の中で人々がどう結びつくかを問うコミュニティ論を経て、都市空間を資本と権力の産物として捉える都市政治経済学へと進みました。そして、その政治経済学を、ローカルな具体的アクターの水準へと引き下ろした成長機械論を経て、本記事の都市レジーム論へとたどり着きました。この流れを改めて整理すれば、都市権力論(誰が支配しているのか)から、成長機械論(誰が利益を得るのか)へ、そして都市レジーム論(どのように統治されているのか)へ、さらに都市ガバナンス論(多様な主体がいかに協働するのか)へと、都市の権力と統治をめぐる問いが、次第に深化し、精緻化されてきたことがわかります。

都市レジーム論が、この理論史の中で占める位置は明確です。それは、都市権力論の「支配か分散か」という不毛な二項対立を、「達成の権力」という新しい権力観によって乗り越え、都市の統治を、行政と民間の資源の相互依存に基づく協働として捉え直しました。そして、成長機械論が解明した「利害の構造」を、「統治の仕組み」の分析へと接続し、さらに都市ガバナンス論という、より広い研究潮流の先駆けの一つとなったのです。

もっとも、本記事が繰り返し論じてきたように、都市レジーム論は、都市の統治の「仕組み」を説明する理論であって、その統治が誰のためのものなのか、誰が排除されているのかという、規範的・批判的な問いに、それ自体で答えるものではありません。レジームへの参加が、資源をもつ者に偏り、資源をもたない者を排除しがちであるという、権力格差の問題は、レジーム論の射程の外に残されています。

そして、ここに重要な論点があります。都市レジーム論は、統治がどのような仕組みで成り立っているかを説明しますが、その統治の結果として、都市空間で現実に何が起こるのか — 誰が利益を得て、誰がその場所を追われていくのか — は、また別の問題です。統治の仕組みの解明と、その帰結の検討とは、区別して論じる必要があります。この、統治の帰結を問う視点こそが、次回の主題へとつながっていきます。

次回は、「ジェントリフィケーション都市再生は誰のためのものか」を扱います。都心部の地区が、再投資を通じて富裕化し、そこに住んでいた低所得層が立ち退きを迫られていくジェントリフィケーションは、本シリーズがたどってきた、都市の社会関係、資本の論理、成長の追求、そして統治の仕組みという、すべての主題が交差する現象です。そして、それは「都市の再生は、いったい誰のためのものなのか」という、鋭く規範的な問いを、私たちに突きつけます。都市政治経済学が論じた資本の論理、成長機械論が論じた交換価値の追求、そして都市レジーム論が明らかにした統治の仕組みが、現実の都市空間において、どのような帰結 — 誰の利益と、誰の排除 — を生み出すのか。その問いを、次回、ジェントリフィケーションという具体的な現象を通じて、考えていきたいと思います。本記事が、読者の皆さんにとって、都市理論の体系を見通し、自らの実践や研究を位置づけるための一助となれば幸いです。

参考文献

本記事は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。

英語文献

  1. Stone, C. N. (1989). Regime Politics: Governing Atlanta, 1946–1988. Lawrence: University Press of Kansas.
  2. Hunter, F. (1953). Community Power Structure: A Study of Decision Makers. Chapel Hill: University of North Carolina Press.
  3. Dahl, R. A. (1961). Who Governs? Democracy and Power in an American City. New Haven: Yale University Press.
  4. Logan, J. R., & Molotch, H. L. (1987). Urban Fortunes: The Political Economy of Place. Berkeley: University of California Press.
  5. Molotch, H. (1976). The City as a Growth Machine: Toward a Political Economy of Place. American Journal of Sociology, 82(2), 309–332.
  6. Stone, C. N. (1993). Urban Regimes and the Capacity to Govern: A Political Economy Approach. Journal of Urban Affairs, 15(1), 1–28.
  7. Mossberger, K., & Stoker, G. (2001). The Evolution of Urban Regime Theory: The Challenge of Conceptualization. Urban Affairs Review, 36(6), 810–835.
  8. Stoker, G. (1995). Regime Theory and Urban Politics. In D. Judge, G. Stoker, & H. Wolman (Eds.), Theories of Urban Politics (pp. 54–71). London: Sage.
  9. Stoker, G. (1998). Governance as Theory: Five Propositions. International Social Science Journal, 50(155), 17–28.
  10. Jessop, B. (1998). The Rise of Governance and the Risks of Failure: The Case of Economic Development. International Social Science Journal, 50(155), 29–45.
  11. Harding, A. (1994). Urban Regimes and Growth Machines: Toward a Cross-National Research Agenda. Urban Affairs Quarterly, 29(3), 356–382.
  12. Harvey, D. (1989). From Managerialism to Entrepreneurialism: The Transformation in Urban Governance in Late Capitalism. Geografiska Annaler: Series B, Human Geography, 71(1), 3–17.
  13. Pierre, J. (1999). Models of Urban Governance: The Institutional Dimension of Urban Politics. Urban Affairs Review, 34(3), 372–396.

日本語文献

  1. 中澤秀雄ほか編 (各年). 都市政治・都市権力論に関する諸論考(コミュニティ・パワー論争、都市レジーム論の紹介を含む).
  2. 町村敬志・西澤晃彦 (2000). 『都市社会学 ― 社会がかたちをあらわすとき』有斐閣.
  3. 町村敬志 (2020). 『都市に聴け ― アーバン・スタディーズから読み解く東京』有斐閣.
  4. 玉野和志ほか編 (各年). 都市ガバナンス官民連携都市政治に関する諸論考.

※ 本記事における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」「都市レジーム論から解釈すれば」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。レジームの類型論は、ストーン自身の議論を出発点としつつ後続研究によっても整理・発展させられてきたものであり、単一の確定した類型論ではない点に留意してください。とりわけ「都市計画・交通計画との関係」「日本の都市をどう理解するか」の各節における理論と実務の関連づけには、確立した文献的根拠をもつ部分と筆者の見解に依拠する部分とが含まれます。日本の都市への応用は、アメリカで形成された理論を日本の文脈に当てはめた一つの解釈であり、「日本にレジームが存在する」という主張ではなく、その妥当性にはなお実証的検討を要します。都市レジーム論は統治の現実を説明する理論であり、特定の政策や統治のあり方の善悪を評価するものではない点を、改めて申し添えます。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。

年表 ― 都市レジーム論とその周辺の展開

  • 1953年 ― ハンター『コミュニティの権力構造』。エリート論を提起し、都市権力論争の口火を切る
  • 1961年 ― ダール『統治するのは誰か』。多元主義の立場からエリート論に反論
  • 1960-70年代 ― エリート論と多元主義の論争が継続。「支配か分散か」の二項対立が膠着
  • 1976年 ― モロッチ「成長機械としての都市」。成長連合の概念を提起(前稿)
  • 1987年 ― ローガン&モロッチ『アーバン・フォーチュンズ』。成長機械論を体系化(前稿)
  • 1989年 ― ストーン『レジーム・ポリティクス』。アトランタ研究をもとに都市レジーム論を確立
  • 1989年 ― ハーヴェイ「管理者主義から企業家主義へ」。都市企業家主義を提起(レジーム論と同年)
  • 1993年 ― ストーン「都市レジームと統治能力」。レジーム論を政治経済学的に再整理
  • 1994年 ― ハーディング、成長機械論都市レジーム論の国際比較研究の課題を提起
  • 1995年 ― ストーカー「レジーム理論と都市政治」。レジーム論を体系的に整理・批判
  • 1998年 ― ストーカー「理論としてのガバナンス」。都市ガバナンス論を五つの命題として定式化
  • 1998年 ― ジェソップ「ガバナンスの台頭とその失敗のリスク」。国家再編の文脈にガバナンスを位置づける
  • 1999年 ― ピエール、都市ガバナンスの諸モデルを類型化
  • 2001年 ― モスバーガー&ストーカー「都市レジーム理論の進化」。概念の曖昧化を批判的に検討
  • 2000年代 ― ネットワーク・ガバナンス、パートナーシップ研究が広がる
  • 2010年代 ― 気候変動・スマートシティをめぐる新しい統治連合の研究が進展
  • (背景)戦後〜1980年代 ― アトランタにおける行政と都心ビジネス界の長期的協力関係(ストーンの分析対象)
  • (日本)2000年 ― 町村敬志・西澤晃彦『都市社会学』。都市政治・ガバナンス論を日本に紹介
  • (日本)2002年 ― 都市再生特別措置法。官民連携型の都市再生が制度化
  • (日本)2020年 ― 町村敬志『都市に聴け』。東京の都市政治を理論的に読み解く

用語集

本稿および都市レジーム論の理解に関連する主要な用語・人名を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合): 解説」です。

理論・概念

  • Urban Regime, 都市レジーム: 統治の決定を下し実行するために必要な能力をもたらすべく協働する、非公式だが比較的安定した統治連合。ストーンの中心概念。
  • Regime, レジーム: 公式の政府機構そのものではなく、その背後で統治能力を生み出す、持続的な協力関係。
  • Governing Coalition, 統治連合: レジームの担い手となる、協力する主体の集まり。資源の結合と協力の維持に焦点を置く点で成長連合と区別される。
  • Power to, 達成の権力: 誰かを支配する力ではなく、複数の主体が協力して統治能力を形成し、物事を成し遂げる力。ストーンの権力観の核心。
  • Power over, 支配の権力: 他者を支配し抵抗を押し切る力。エリート論・多元主義が前提とした権力観で、ストーンが乗り越えようとしたもの。
  • Resource Interdependence, 資源の相互依存: 権限をもつが資源だけでは不十分な行政と、資源をもつが権限を欠く民間とが、互いを必要とし合う関係。レジーム形成の根本要因。
  • Community Power Debate, 都市権力論争, , , : 都市を実際に支配しているのは誰かをめぐる、エリート論と多元主義の論争。レジーム論の前史。
  • Elite Theory, エリート論: 都市が少数の経済的エリートに支配されているとする立場。ハンターが代表。
  • Pluralism, 多元主義: 都市の権力が複数の集団に分散し、争点ごとに異なるアクターが影響力をもつとする立場。ダールが代表。
  • Reputational Method, 評判法: 地域の有力者に誰が影響力をもつかを尋ねて権力構造を把握する手法。ハンターが用いた。
  • Maintenance Regime, 維持型レジーム: 現状維持を主目標とし、大きな変化を志向しないレジーム類型。
  • Development Regime, 開発型レジーム: 経済成長や再開発を主目標とするレジーム類型。成長機械論が描いた都市像に最も近い。
  • Middle-Class Progressive Regime, 中産階級進歩型レジーム: 環境保護や生活の質の向上を主目標とするレジーム類型。開発に制約を課すことがある。
  • Opportunity Expansion Regime, 機会拡大型レジーム, , , : 不利な立場の人々の機会拡大を目標とするレジーム類型。形成・維持が最も困難とされる。
  • Governance, ガバナンス, , , : 政府だけでなく企業・市民社会・NPOなど多様な主体が関与する、分散的・水平的な統治のあり方(添付リストにGovernanceあり、都市文脈として補記)。
  • Government, ガバメント: 公式の政府機構による上からの統治。ガバナンスと対比される。
  • Network Governance, ネットワーク・ガバナンス: 多様な主体のネットワークによる統治。レジーム論の洞察をより一般化した枠組み。
  • Public-Private Partnership, 官民連携, , PPP: 行政と民間が協力して公共的事業を実現する仕組み。レジーム論の資源相互依存を制度化したものと解釈できる(添付リストに英語名あり、訳語を補記)。
  • Neoliberal Urbanism, 新自由主義都市論: 公共サービスの市場化・民営化・規制緩和を論じる立場。レジーム論を批判的に検討する視座の一つ。

人名

  • Floyd Hunter, フロイド・ハンター: 『コミュニティの権力構造』(1953)でエリート論を提起したアメリカの社会学者。
  • Robert Dahl, ロバート・ダール: 『統治するのは誰か』(1961)で多元主義を展開したアメリカの政治学者。
  • Gerry Stoker, ジェリー・ストーカー: 都市レジーム論を批判的に検討し、都市ガバナンス論へと接続したイギリスの政治学者。
  • Bob Jessop, ボブ・ジェソップ: 国家再編の文脈からガバナンスを論じたイギリスの理論家。
  • Karen Mossberger, カレン・モスバーガー: ストーカーとともにレジーム概念の曖昧化を批判的に検討したアメリカの政治学者。
  • Jon Pierre, ヨン・ピエール: 都市ガバナンスの諸モデルを類型化した政治学者。

著作

  • Community Power Structure, 『コミュニティの権力構造』, , Community Power Structure: A Study of Decision Makers: ハンターが1953年に刊行した、エリート論を提起した古典。
  • Who Governs?, 『統治するのは誰か』, , Who Governs? Democracy and Power in an American City: ダールが1961年に刊行した、多元主義を展開した古典。

※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。都市レジーム論、達成の権力、統治連合、クラレンス・ストーンなど一部は添付リストに英語表記が含まれますが、本稿理解のため補足が有用なものは日本語訳語・解説を添えました。ジェントリフィケーション関連の語は次稿の主題となります。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。