なぜ都市はこれほど一貫して「成長」を追い求めるのでしょうか。人口増加も再開発も、自然に起こるのではなく、土地から利益を得る人々によって推進される――そう捉え直すのが成長機械論です。利用価値と交換価値の対立、地権者・開発業者・政治家・メディアからなる「成長連合」、そして都市計画が利害調整の政治過程であること。モロッチとローガンの理論を軸に、TODや日本の駅前再開発への示唆、そして次なる都市レジーム論への接続までを論じます。シリーズ第四弾。

※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります。

目次

はじめに

都市について少し立ち止まって考えてみると、不思議に思えることがあります。なぜ、多くの都市は人口の増加や再開発を、ほとんど無条件に「良いこと」として歓迎するのでしょうか。なぜ、自治体は競い合うようにして大型開発を誘致し、企業を呼び込み、駅前にタワーを建てようとするのでしょうか。そして、なぜ都市計画というものは、しばしば「都市は成長するもの、成長すべきもの」という前提の上に組み立てられているのでしょうか。

これらの問いは、あまりに当たり前のことのように見えて、ふだんは問われることがありません。都市が成長を目指すのは自然なことだ、人口が増えて経済が発展するのは望ましいことだ、と私たちは暗黙のうちに考えがちです。しかし、少し視点を変えてみると、これは決して自明なことではありません。都市の成長は、すべての住民に等しく利益をもたらすわけではありません。地価が上がれば、土地を持つ人は富みますが、借家に住む人は家賃の上昇に苦しみます。再開発が進めば、新しい建物が建ちますが、もとの住民は立ち退きを迫られるかもしれません。それにもかかわらず、都市はなぜ、これほどまでに一貫して成長を追求するのでしょうか。

この問いに正面から答えようとしたのが、本記事で扱う成長機械論(growth machine theory)です。この理論は、都市の成長を、自然な現象としてではなく、特定の利害をもつ人々によって意図的に推進される政治的なプロジェクトとして捉え直します。都市は、人々が暮らすための場所であると同時に、土地から利益を引き出そうとする人々にとっての「成長を追求する機械」として運営されている — これが成長機械論の中心的な主張です。本記事では、「なぜ都市は成長を追求するのか」という問いを軸に、この理論の成立、その中核をなす概念、そして現代の都市計画やまちづくりへの含意を、順を追って論じていきます。

都市政治経済学から成長機械論へ

成長機械論は、突如として現れた理論ではありません。それは、前回の記事で扱った都市政治経済学(urban political economy)の蓄積を受け継ぎ、その残した課題に応えようとするものでした。まずは、そのつながりを確認しておきましょう。

都市政治経済学の到達点

前回の記事「都市政治経済学の誕生」で論じたように、1960年代末から1970年代にかけて、都市研究には大きな転換が生じました。都市を、住民の自然な適応の結果として捉えるシカゴ学派以来の視座から、都市資本の蓄積と政治的権力がせめぎ合う場として捉える視座への転換です。

この転換を主導したのが、三人の理論家でした。アンリ・ルフェーヴル(Henri Lefebvre)は、空間が中立的な容れ物ではなく、社会によって能動的に生産されるものであることを示しました。マニュエル・カステル(Manuel Castells)は、集合的消費という概念によって、国家による住宅・交通・教育などの供給が都市を構造化していることを論じました。そしてデヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)は、資本蓄積の論理から都市化を説明し、過剰蓄積の危機を建造環境への投資によって一時的に回避する「空間的固定(spatial fix)」の概念によって、資本都市空間を絶えず作り変えていくダイナミズムを描き出しました。これらの理論は、都市空間を、自然な所与ではなく、経済構造と権力関係が生み出す歴史的な産物として捉える視座を確立した点で、画期的でした。

都市政治経済学の限界

しかし、これらの理論には、一つの共通した特徴がありました。それは、いずれもマクロな水準 — 資本の論理や国家の役割といった、大きな構造の水準 — から都市を捉えていたという点です。ハーヴェイの言う「資本」や、カステルの言う「国家」は、いわば抽象的な構造であり、都市を作り変えていく巨大な力として描かれます。

ところが、この抽象的な水準からは、ある重要な問いがこぼれ落ちてしまいます。それは、「実際の都市開発の現場で、具体的に誰が、どのような動機から、開発を推進しているのか」という問いです。資本主義の論理が都市を作り変えると言っても、その論理は、誰かの具体的な行為を通じて実現されるはずです。再開発を望み、それを推し進めているのは、いったいどのような人々なのでしょうか。前回の記事の末尾でも指摘したように、この、ローカルで具体的なアクターたちの水準は、マクロな構造論の死角となっていました。資本や国家という大きな主語からは、土地を持つ地権者、利益を求める開発業者、税収を望む地方政治家といった、生身のアクターたちの顔が見えてこないのです。

モロッチの問題提起

この死角に正面から光を当てたのが、アメリカの社会学ハーヴェイ・モロッチ(Harvey Molotch)でした。モロッチは、都市の成長を、抽象的な資本の論理からではなく、それによって具体的に利益を得る、ローカルなアクターたちの利害と行動から説明しようとしました。彼の関心は、「資本主義がなぜ都市を成長させるのか」という構造的な問いから、「この都市で、誰が、なぜ成長を望み、それを推進しているのか」という、より具体的で政治的な問いへと移されたのです。実際、モロッチが1976年の論文で前面に出したのは、後述する「場所の企業家(place entrepreneurs)」や土地に基盤を置くエリート、そして成長連合といった、具体的なアクターたちでした。

筆者の見るところ、この問題設定の転換は、都市政治経済学を、抽象的な構造論から、現実の都市政治の分析へと引き下ろす、重要な一歩でした。成長機械論は、ハーヴェイらの構造的な視座を否定するのではなく、それを地域の具体的なアクターの水準で補完するものとして登場したのです。

成長機械論の誕生

それでは、成長機械論はどのような形で提起されたのでしょうか。その出発点となった論文と、その基本的な主張を見ていきましょう。

1976年の論文

成長機械論の起点となったのは、モロッチが1976年に学術誌『アメリカン・ジャーナル・オブ・ソシオロジー』に発表した論文「成長機械としての都市(The City as a Growth Machine)」です。この論文は、その後の都市政治研究に大きな影響を与え、都市を政治経済学的に分析するための一つの古典となりました。

モロッチがこの論文で打ち出したのは、きわめて明快な命題でした。それは、ある土地の利用を強め、その価値を高めようとする欲求 — すなわち成長への欲求 — こそが、都市という場所を動かす本質的な力である、というものです。都市は、単に人々が偶然集まって暮らしている空間なのではなく、土地の価値の増大を目指す力によって組織され、運営されている。この視点から都市を見ると、一見ばらばらに見える都市の様々な現象 — 再開発、企業誘致、インフラ整備、都市の宣伝活動 — が、「成長の追求」という一つの論理によって貫かれていることが見えてくる、というのがモロッチの洞察でした。

基本命題 ― 機械としての都市

「成長機械」という比喩は、強い印象を与えます。なぜ「機械」なのでしょうか。この比喩には、二つの含意があると考えられます。

第一に、都市が、ある特定の目的 — 土地価値の増大 — を達成するために組織された装置である、という含意です。機械が特定の機能を果たすために部品が組み合わされているように、都市もまた、成長という目的のために、様々なアクターや制度が組み合わされて動いている、という見方です。第二に、この装置が、いったん動き出すと、ある種の自律的な勢いをもって作動し続ける、という含意です。成長を追求する力学は、個々の関係者の意図を超えて、都市全体を成長へと駆り立てる、自己推進的な性格をもっているのです。

重要なのは、この見方が、都市の成長を「自然な現象」とみなす通念を覆す点です。私たちはしばしば、都市が成長するのは、人口が増え、経済が発展する自然な過程の結果だと考えます。しかし成長機械論は、都市の成長を、それによって利益を得る人々が意図的に作り出し、推進する、政治的な産物として捉えます。成長は、起こるべくして起こるのではなく、特定のアクターによって追求されるからこそ起こるのだ、というわけです。

1970年代アメリカ都市という背景

成長機械論が1970年代のアメリカで生まれたことには、時代的な背景があります。当時のアメリカの都市は、いくつかの大きな変化のただ中にありました。一つは、郊外化の進展です。中間層が郊外へと流出し、都心部が空洞化していく中で、都市は人口と税収の維持・拡大に懸命になっていました。もう一つは、脱工業化の進行です。製造業が衰退し、雇用が失われていく中で、都市は新たな投資と雇用を呼び込む必要に迫られていました。

こうした状況のもとで、アメリカの諸都市は、企業や投資を誘致するために、互いに激しく競争するようになります。この都市間競争(inter-urban competition)の状況は、後にハーヴェイが「都市企業家主義(urban entrepreneurialism)」として理論化することになるものです。なお、理論史の順序としては、モロッチの成長機械論(1976年)が先行し、ハーヴェイの都市企業家主義論(1989年)はその後の展開にあたります。両者は、同じ都市間競争という現象を、それぞれローカルなアクターの利害と、より構造的な資本主義の変容という、異なる角度から捉えたものといえます。モロッチが注目したのは、こうした成長への駆り立てが、都市の外部から押しつけられるだけでなく、都市の内部にいる人々 — とりわけ土地から利益を得ようとする人々 — によって、積極的に推進されているという点でした。次章で見るように、この「誰が、なぜ成長を望むのか」を説明する鍵が、土地のもつ二つの価値の区別にあります。

利用価値と交換価値 ― 成長機械論を支える概念

成長機械論を理論的に支える中核的な道具立てが、土地や場所がもつ二つの異なる価値 — 利用価値(use value)と交換価値(exchange value)— の区別です。この区別こそが、なぜ都市において利害の対立が生じ、なぜ成長が追求されるのかを説明する鍵となります。ただし、一点ことわっておくべきことがあります。1976年のモロッチの論文では、むしろ「場所の企業家」や成長連合といったアクターの概念が前面に出ており、利用価値と交換価値の対立が理論の中軸として明確に体系化されるのは、後述する1987年のローガンとモロッチの共著『アーバン・フォーチュンズ』においてのことです。以下の整理は、この1987年の体系化を踏まえたものです。

利用価値 ― 住民にとっての都市

利用価値とは、土地や場所が、そこで実際に生活し、活動する人々にとってもつ価値のことです。住民にとって、自分の住む場所は、第一義的には暮らしの場です。その場所が住みやすいか、安全か、環境が良いか、近隣との関係が良好か、買い物や通勤に便利か — こうした、日々の生活の質に関わる価値が、利用価値です。

住民にとって重要なのは、その場所で良い生活が送れることであり、土地そのものが売買によってどれだけの利益を生むかではありません。長年その地域に住み、近隣の人々との関係を築き、生活の基盤をそこに置いている人にとって、場所は、お金には換えがたい意味をもっています。前々回の記事で論じたコミュニティの価値や、人々の社会関係資本も、この利用価値の重要な構成要素といえるでしょう。

交換価値 ― 土地から利益を得る人々にとっての都市

これに対して交換価値とは、土地や場所が、市場で取引される際にもつ価値、すなわち、それを売ったり貸したりすることで得られる利益のことです。土地の所有者、不動産業者、開発業者といった人々にとって、土地は、暮らしの場である以前に、利益を生み出す資産です。彼らの関心は、その土地の地価がどれだけ上がるか、賃料がどれだけ取れるか、開発によってどれだけの利益が得られるか、という点にあります。

交換価値を追求する人々にとって、ある場所の価値は、そこでより多くの経済活動が行われ、より多くの人や企業がその場所を求めるようになることで高まります。だからこそ、彼らは「成長」を望みます。人口が増え、企業が集まり、開発が進めば、土地の交換価値は上昇するからです。成長は、交換価値を追求する人々にとって、利益の源泉なのです。

なぜ対立が生じるのか

ここに、成長機械論が捉えた、都市の根本的な緊張関係があります。利用価値を重視する住民と、交換価値を追求する人々とでは、都市に何を求めるかが異なり、しばしばその利害が対立するのです。

具体的に考えてみましょう。ある静かな住宅地に、大規模な商業施設を建設する開発計画が持ち上がったとします。土地を持つ地権者や開発業者にとって、この計画は土地の交換価値を大きく高める好機です。しかし、そこに住む住民にとっては、騒音や交通量の増加、景観の変化、コミュニティの撹乱といった、利用価値の低下をもたらすかもしれません。地価の上昇は、土地を売る人には利益でも、借家に住み続けたい人には家賃上昇という負担になります。このように、成長は、交換価値を追求する人々には利益をもたらす一方で、利用価値を重視する住民には、必ずしも利益とはならず、ときに損失をもたらすのです。

筆者の見るところ、この利用価値と交換価値の区別の鋭さは、都市をめぐる対立を、単なる「賛成か反対か」の感情的な対立としてではなく、土地に対する二つの異なる関わり方の構造的な対立として捉え直す点にあります。再開発をめぐって住民と開発主体が対立するとき、それは多くの場合、この二つの価値のせめぎ合いとして理解することができるのです。

ハーヴェイとの理論的つながり

この利用価値と交換価値の区別は、モロッチやローガンの独創というよりも、より大きな理論的伝統の中に位置づけられます。前回扱ったハーヴェイもまた、マルクスに由来するこの二つの価値の区別を、都市分析の重要な道具として用いていました。マルクスの経済理論において、あらゆる商品は、それを使うことの有用性(使用価値)と、市場で交換される際の価値(交換価値)という二面性をもつとされます。成長機械論は、この古典的な区別を、土地という特殊な「商品」に適用したものといえます。

ただし、両者には力点の違いがあります。ハーヴェイが、資本の蓄積という構造的・マクロな水準で交換価値の論理を論じたのに対し、成長機械論は、その論理を、地元の具体的なアクターたちの利害と行動の水準へと引き下ろしました。すなわち、誰が交換価値を追求し、彼らがどのように連合を組んで成長を推進するのか、という点に焦点を当てたのです。この具体的なアクターの連合こそが、次章で見る「成長連合」にほかなりません。

成長連合とは何か

都市の成長を推進する具体的なアクターたちは、ばらばらに行動しているわけではありません。彼らは、土地の交換価値の増大という共通の利害によって、ゆるやかな連合を形づくります。この連合を、成長機械論成長連合(growth coalition)と呼びます。ここで重要なのは、成長連合を「地主の集まり」と狭く捉えてはならない、という点です。モロッチが重視したのは、土地そのものの所有者だけでなく、土地の価値が上がることから何らかの利益を得る、より広い主体群でした。彼はこうした人々を「場所の企業家(place entrepreneurs)」と呼んでいます。成長連合とは、要するに「土地価値の上昇から利益を得る主体群」の連合なのです。

連合を構成するアクターたち

成長連合の中核には、土地に直接の利害をもつ人々がいます。土地所有者(地権者)は、自らの所有する土地の価値が上昇することを直接的に望む、中心的な存在の一つです。不動産業者は、土地や建物の取引を仲介することで利益を得るため、取引が活発になり地価が上昇する成長を歓迎します。開発業者(デベロッパー)は、土地を開発し、建物を建てて売却・賃貸することで利益を得るため、開発の機会が増えることを望みます。さらに、こうした取引や開発に融資する銀行などの金融機関も、土地価値の上昇に利害をもつ主体として、連合の一翼を担います。

これらの土地・金融関連のアクターに加えて、成長連合には、より広い範囲のアクターが加わります。地方政治家と地方政府は、成長がもたらす税収の増加と、雇用創出による有権者の支持を期待して、成長を支持します。商工会議所や地元企業は、地域経済の活性化が自らの事業の拡大につながるため、成長を後押しします。そして、地元のメディア(新聞やテレビ)は、地域経済の発展が広告収入や購読者・視聴者の増加につながるため、しばしば成長を支持する論調をとります。さらに、地域の大学、労働組合、文化機関、プロスポーツチームなども、それぞれの利害から成長連合に加わることがあります。このように、成長連合は単一の集団ではなく、土地価値の上昇という結節点で結びついた、多様な主体の連合体なのです。

なぜ連携するのか

これらのアクターは、立場も関心も異なります。地権者と地方政治家とメディアは、ふだんは別々の論理で動いています。それにもかかわらず、なぜ彼らは成長という一点で連携するのでしょうか。

その答えは、彼らが、土地の価値の上昇という共通の利益を分かち合っているからです。成長機械論の鋭い洞察は、これらの多様なアクターが、それぞれ異なる動機をもちながらも、「この地域を成長させ、土地の価値を高める」という一点では利害が一致する、という点を見抜いたことにあります。地権者は地価上昇を、開発業者は開発利益を、政治家は税収と票を、メディアは広告収入を、それぞれ成長から得る。動機は様々でも、成長を望むという結論は共有されるのです。この利害の一致が、ふだんは別々に動くアクターたちを、成長を推進する一つの連合へと結びつけます。

筆者の見るところ、この成長連合という概念の重要性は、都市の成長志向を、特定の悪意ある主体のせいにするのでも、抽象的な資本の論理に還元するのでもなく、ごく普通のアクターたちの合理的な利害追求が、結果として都市全体を成長へと駆り立てるメカニズムとして説明した点にあります。誰かが陰謀を企てているわけではなく、それぞれが自らの利益を追求した結果として、成長機械が作動するのです。

成長機械はどのように都市を変えるのか

成長連合が作動すると、都市の空間は具体的にどのように変えられていくのでしょうか。成長機械論の視点から、いくつかの典型的な都市開発の形態を見ていきましょう。

再開発とインフラ整備

最も典型的なのが、都市再開発です。老朽化した地区を取り壊し、新しいオフィスビルや商業施設、高層住宅を建設する再開発は、土地の交換価値を劇的に高めます。成長連合にとって、再開発は、土地の利用を高度化し、そこから引き出せる利益を最大化する、中心的な手段です。

大規模なインフラ整備も、成長機械の重要な作動形態です。道路、橋、上下水道、そして公共交通の整備は、一見すると公共の利益のための事業に見えます。しかし成長機械論の視点からは、これらのインフラ投資が、特定の地区の土地の交換価値を高め、開発を可能にする条件を整える役割を果たすことが見えてきます。どこに道路を通し、どこに駅を作るかという決定は、その周辺の土地の価値を大きく左右するため、成長連合にとって重大な関心事となります。

象徴的プロジェクト

成長機械は、都市のイメージを高め、投資や来訪者を呼び込むための、象徴的なプロジェクトも追求します。スタジアムやアリーナの建設、コンベンションセンター(国際会議場)の整備、ウォーターフロント(水辺)の再開発、文化施設や大型イベントの誘致などが、その典型です。

これらのプロジェクトは、しばしば「都市の活性化」や「地域の誇り」といった言葉とともに語られ、市民の支持を集めます。しかし成長機械論は、これらが同時に、土地の交換価値を高め、特定のアクターに利益をもたらす事業でもあることを指摘します。また、これらの象徴的プロジェクトには多額の公的資金が投じられることが多く、その費用負担と利益の配分が、必ずしも釣り合わない場合があることも、批判的に論じられてきました。

TODを成長機械論から見る

本シリーズで繰り返し取り上げてきた公共交通指向型開発(transit-oriented developmentTOD)も、成長機械論の視点から眺めると、また違った相貌を見せます。あらかじめ強調しておきたいのは、ここでTODそのものの是非を論じるのではなく、成長機械論というレンズを通すとTODがどう見えるか、という一つの解釈を提示するにすぎない、という点です。

これまでの記事では、TODを、歩きやすく持続可能な都市構造を実現し、自動車依存を減らし、社会的包摂に資する手法として論じてきました。これは、TODのもつ重要な意義です。しかし成長機械論の視点を加えると、TODが、駅という公共交通の結節点の周辺に開発を集中させることで、その地区の土地の交換価値を大きく高める手法でもあることが見えてきます。駅周辺への公共投資と規制緩和は、不動産開発の絶好の機会を生み出し、成長連合にとって魅力的な舞台となりうるのです。

ただし、ここで誤解を避けるために強調しておかなければならないことがあります。成長機械論というレンズは、TODのもつ交換価値の側面を照らし出しますが、TODの本来の意義 — 自動車依存の低減、交通効率の向上、環境負荷の削減、移動制約者の社会的包摂といった、交通計画・環境政策上の便益 — は、成長機械論だけでは十分に説明できません。これらは、土地の交換価値とは別の次元にある、公共的な価値です。したがって、TODを「不動産開発の口実」と単純に等置することは、一面的な理解にとどまります。筆者の見るところ、TODを構想・評価する際に必要なのは、その交通・環境上の便益(利用価値・公共価値の側面)と、土地の交換価値の増大が誰の利益となり誰の負担となるのか(交換価値の側面)という、複数の次元を、ともに視野に収めることです。成長機械論は、このうち見落とされがちな交換価値の側面に光を当てる、一つの補助線として役立つのです。

ローガンとモロッチ『アーバン・フォーチュンズ』

モロッチの1976年論文によって提起された成長機械論は、1987年に、ジョン・ローガン(John Logan)とモロッチの共著『アーバン・フォーチュンズ(Urban Fortunes: The Political Economy of Place)』によって、本格的な理論として体系化されました。この著作は、成長機械論を、より包括的な「場所の政治経済学」へと発展させたものとして知られています。先に述べたように、利用価値と交換価値の対立が理論の中軸として明確に据えられたのも、この著作においてでした。

場所をめぐる政治闘争

ローガンとモロッチは、この著作において、利用価値と交換価値の対立を理論的な軸として明確に据え、都市を、この二つの価値をめぐる絶え間ない政治闘争の場として描き出しました。都市空間は、交換価値を追求する成長連合と、利用価値を守ろうとする住民との間の、力のせめぎ合いの中で形作られていく、というのです。

重要なのは、彼らが都市を、単に成長連合が一方的に支配する場としてではなく、利害の対立と闘争の場として捉えた点です。成長連合は強力ですが、万能ではありません。住民もまた、自らの利用価値を守るために抵抗し、運動を組織し、ときには成長の論理に異議を申し立てます。前々回の記事で触れたカステルの都市社会運動の議論とも通じるように、都市の姿は、こうした成長派と保全派(あるいは反成長派)の力関係の中で、その都度決まっていくのです。

成長派と保全派の競合

ローガンとモロッチは、都市政治を、成長を推進しようとする側と、それに抵抗あるいは異議を唱える側との、利益集団間の競合として分析しました。一方には、これまで見てきた成長連合があります。他方には、開発によって利用価値を脅かされる住民、環境保護を求める市民、立ち退きに反対する人々、地域の歴史や景観を守ろうとする人々などがいます。

この対立は、しばしば具体的な開発計画をめぐって表面化します。再開発計画への反対運動、環境アセスメントをめぐる争い、住民投票、開発の是非を問う選挙 — これらは、利用価値と交換価値のせめぎ合いが、現実の政治過程として展開する場面です。筆者の見るところ、ローガンとモロッチの貢献は、都市を、調和的に成長する有機体としてではなく、根本的な利害の対立をはらんだ政治的なアリーナとして捉え直した点にあります。都市計画や開発をめぐる紛争は、この見方からすれば、例外的な摩擦ではなく、都市の本質に根ざした構造的な対立の現れなのです。

都市計画への含意

成長機械論は、都市計画やまちづくりの実務に対して、鋭い問いを投げかけます。ここでは、その含意を考えてみましょう(以下の関連づけには、確立した知見と筆者の解釈とが含まれます)。

都市計画の政治的側面を照らし出す

成長機械論都市計画に対してもつ最も重要な意義は、都市計画の「政治的な側面」を強調し、可視化する点にあります。都市計画は、しばしば、専門的な知識に基づいて公共の利益を実現する、客観的で中立的な技術として理解されています。土地利用をどう配置し、インフラをどう整備し、開発をどう誘導するか — これらは、技術的な最適解を求める問題のように見えます。

成長機械論は、この技術的・中立的なイメージに対して、都市計画の決定が、特定のアクターに利益をもたらし、別のアクターに負担を強いる、政治的な性格をもちうることを指摘します。どの地区を開発可能にし、どこに容積率の緩和を認め、どこに公共投資を振り向けるか — こうした計画上の決定は、土地の交換価値を大きく左右し、それゆえに、成長連合の利害と無縁ではありえません。前回の記事で触れたルフェーヴルが、都市計画を権力と結びついた「空間の表象」として捉えたことを思い起こせば、成長機械論は、この洞察を、より具体的なアクターの利害分析として展開したものといえます。

もっとも、現代の都市計画理論には、計画を一方的な権力作用とのみ見るのではなく、多様な主体の対話と合意形成を通じて公共性を構築しようとする、コミュニケーション的計画(communicative planning)や協働型計画(collaborative planning)といった潮流も存在します。成長機械論は、計画の政治的側面に光を当てる点で重要ですが、計画のすべてを成長連合の利害に還元するものではない、という点には留意が必要です。成長機械論は、計画を政治的に読み解くための一つの強力な視座を提供する、と理解するのが穏当でしょう。

誰が利益を得て、誰が負担するのか

成長機械論都市計画の実務者に促すのは、あらゆる計画的決定について、「これによって誰が利益を得て、誰が負担を負うのか」という分配の問いを、常に意識することです。再開発によって土地の価値が上昇するとき、その利益は誰の手に渡るのか。立ち退きや家賃上昇という負担は、誰が引き受けるのか。インフラ整備の費用は誰が負担し、その便益は誰が享受するのか。

これらの問いは、都市計画を、単なる空間配置の最適化問題としてではなく、利害の調整と配分をめぐる政治的なプロセスとして捉え直すことを求めます。交通計画もまた、この観点から再検討できます。どこに駅や道路を作るかは、アクセシビリティ(到達可能性)を向上させる技術的判断であると同時に、沿線の土地の価値を変動させ、特定の利害に影響を与える政治的な判断でもあるのです。筆者の見るところ、成長機械論は、都市計画・交通計画の実務者に対して、自らの専門的判断が、誰の利益にどう作用するのかを自覚的に問い続けることの重要性を、強く示唆しています。

日本の都市開発をどう理解するか

成長機械論は、アメリカの都市を主たる対象として形成された理論です。それを日本の都市開発に適用するにあたっては、慎重さが求められます。以下に述べるのは、あくまで「成長機械論というレンズを通すと、日本の都市開発がどう解釈できるか」という一つの試論であり、確立した実証的事実としてではなく、分析の視座として提示するものです。日本には、強力な鉄道事業者の存在や、行政主導の市街地再開発制度、独自の土地利用規制といった固有の条件があり、アメリカの理論をそのまま当てはめることはできません。

近年の日本では、東京の都心部を中心に、大規模な再開発が相次いで進められてきました。六本木や虎ノ門、渋谷、あるいは大阪の駅周辺といった地区で、超高層のオフィス・商業・住宅の複合開発が展開されています。これらの開発は、成長機械論の観点から解釈すれば、土地の交換価値を高度化し、最大化しようとする動きとして読むことも可能です。容積率の緩和などの制度を梃子として、限られた都心の土地から、より大きな経済的価値を引き出そうとする試みと見ることもできるでしょう。

とりわけ日本に特徴的なのが、鉄道事業者が成長を推進する主体の一つとなりうる点です。本シリーズで繰り返し触れてきたように、日本の鉄道事業者は、鉄道の運営と沿線の不動産開発、ターミナルでの商業を一体的に手がけてきました。駅周辺の再開発において、鉄道事業者は、自らの保有する土地の交換価値を高めると同時に、沿線全体の価値向上を図る立場にあります。これは、土地の交換価値を追求する主体として、成長機械論枠組みで分析する余地が大きいといえます。また、こうした再開発には、容積率の緩和や都市再生の制度的な後押しといった、行政の関与が不可欠です。成長機械論の観点からは、ここに行政・鉄道事業者・デベロッパーが土地価値の向上をめぐって連携する構図を読み取ることも可能でしょう。ただし、こうした「日本版の成長連合」とでも呼びうる構図は、あくまで成長機械論からの一つの解釈であり、学界で確立した概念ではない点を明記しておきます。

繰り返しになりますが、これらはあくまで成長機械論からの解釈の試みです。日本の都市開発が、住民の利用価値をどの程度損ない、あるいは両立させているのか、成長を推進する主体がどの程度の凝集性をもって連携しているのかといった点は、個別の事例に即した慎重な実証的検討を要する論点です。理論を当てはめて断定するのではなく、理論を手がかりとして問いを立てる、という姿勢が重要だと筆者は考えます。

成長機械論への批判

成長機械論は、都市政治の分析に大きな影響を与えましたが、それ自体もさまざまな批判にさらされてきました。これらの批判を検討することは、この理論の限界と、その後の理論的展開を理解する上で重要です。

第一の批判は、経済決定論(economic determinism)に対するものです。成長機械論は、都市の動きを、土地の交換価値という経済的な利害に大きく還元して説明する傾向があります。これに対して、都市の変化は、経済的利害だけでなく、文化、政治制度、歴史的経緯など、より多様な要因によって規定されているのではないか、という批判が提起されました。

第二に、国家(とりわけ中央政府)の役割を十分に位置づけていない、という批判があります。成長機械論は、ローカルなアクターの連合に焦点を当てるあまり、国家の政策や制度が都市の成長に及ぼす影響を、相対的に軽視しているのではないか、というのです。これは、アメリカの地方分権的な文脈で生まれた理論を、中央政府の役割が大きい他の国に適用する際に、とりわけ問題となります。

第三に、グローバル化の影響を十分に捉えていない、という批判があります。成長機械論は、ローカルな成長連合を強調しますが、現代の都市開発は、国境を越えた資本の流れや、グローバルな都市間競争の中で進行しています。ローカルなアクターの分析だけでは、こうしたグローバルな力学を捉えきれない、というのです。

第四に、文化の次元の軽視という批判があります。これは前回の記事でも触れた文化的転回(cultural turn)の問題関心と重なります。この観点を代表する論者の一人が、社会学者のシャロン・ズーキン(Sharon Zukin)です。ズーキンは、都市の変容において、文化やイメージ、象徴が果たす役割に注目しました。彼女の研究は、都市の景観が、経済的な力だけでなく、文化的な意味づけや消費の様式とも深く結びついて生産されることを示し、経済中心的な成長機械論を、文化の次元から補完あるいは批判するものでした。ジェントリフィケーションにおける、芸術家や文化的な雰囲気の役割などは、こうした文化的な視点から論じられてきた主題です。

こうした批判を受けて、都市研究は、より多元的な方向へと発展していきました。とりわけ重要なのが、都市ガバナンス(urban governance)研究の展開です。ガバナンス論は、都市の統治を、成長連合という比較的固定的な利益集団の観点からではなく、行政、企業、住民、NPOなど多様な主体の、より流動的で複雑な相互作用の観点から捉えようとします。筆者の見るところ、これらの批判と新潮流は、成長機械論を無効にしたというより、その鋭い洞察を保ちつつ、その一面性を補正し、より豊かな都市理解へと発展させていったものと理解するのが適切でしょう。

成長機械論から都市レジーム論へ

成長機械論への批判の中でも、次の理論的展開に直接つながる重要なものが、「統治の動態を十分に説明できていない」という指摘です。この点を掘り下げることが、次回扱う理論への橋渡しとなります。

成長機械論が答えきれなかった問い

成長機械論は、「都市において誰が利益を得るのか」「誰が成長を推進するのか」という問いに、説得力のある答えを与えました。成長連合という概念によって、都市の成長志向を、具体的なアクターの利害から説明したのです。これは大きな成果でした。

しかし、成長機械論は、もう一つの重要な問いには、十分に答えきれていませんでした。それは、「都市は、実際にどのように統治されているのか」という問いです。成長連合が利益を共有しているとしても、彼らはどのようにして実際に協力し、行政の権力と結びつき、政策を実現していくのでしょうか。利害が一致していることと、それが実際の統治として機能することとの間には、隔たりがあります。多様なアクターが、いかにして安定した協力関係を築き、都市を継続的に統治していくのか — この、統治の動態とメカニズムを問う視点が、成長機械論には弱かったのです。

二つの理論の比較

この問いに答えようとしたのが、次回扱う都市レジーム論(urban regime theory)です。両者の関係を、あらかじめ対比的に整理しておきましょう。

観点 成長機械論 都市レジーム論
代表的著作 成長機械としての都市」(1976)、『アーバン・フォーチュンズ』(1987) レジーム・ポリティクス』(1989)
中心的な問い 誰が利益を得るのか どのように統治されるのか
主たる焦点 利害(土地の交換価値) 統治(協力の形成と維持)
中心概念 成長連合 レジーム(統治連合)
主たる主体 場所の企業家成長連合 公的セクターと私的セクターの連合
理論的背景 (都市)政治経済学 政治学・統治論
代表的論者 モロッチ、ローガン クラレンス・ストーンほか

都市レジーム論は、クラレンス・ストーン(Clarence Stone)らによって展開されたもので、都市の統治を、行政(公的セクター)と民間(私的セクター)とが、それぞれの資源を持ち寄って形づくる、非公式だが安定した連合 — レジーム — の観点から分析します。成長機械論が「誰が利益を得るか」を問うたのに対し、都市レジーム論は「どのように統治が成り立っているか」を問います。すなわち、行政がもつ正統性や規制権限と、民間がもつ資金や開発能力とが、いかに結合して、都市を動かす実効的な統治体制を作り上げるのか、という点に注目するのです。成長機械論から都市レジーム論への展開は、都市政治の分析を、利害の構造の解明から、統治の動態の解明へと深めていく、自然な歩みといえます。

結論

本記事では、「なぜ都市は成長を追求するのか」という問いを軸に、成長機械論の成立、その中核をなす利用価値と交換価値の区別、成長連合の概念、そして都市計画への含意をたどってきました。最後に、議論の全体を振り返り、いくつかの要点を確認しておきます。

第一に、都市の成長は、自然な現象ではない、ということです。私たちはしばしば、都市が成長するのを、人口増加や経済発展の自然な帰結とみなします。しかし成長機械論は、都市の成長を、それによって利益を得る人々によって意図的に推進される、政治的なプロジェクトとして捉え直しました。成長は、起こるべくして起こるのではなく、追求されるからこそ起こるのです。

第二に、都市は、利害の対立をはらんだ政治的なアリーナである、ということです。土地の利用価値を重視する住民と、交換価値を追求する成長連合との間には、構造的な緊張関係があります。都市の姿は、この二つの価値のせめぎ合い、成長派と保全派の力関係の中で、その都度形作られていきます。

第三に、都市計画は、純粋に中立的な技術であるだけでなく、利害調整の政治的なプロセスでもある、ということです。あらゆる計画的決定は、誰かに利益をもたらし、誰かに負担を強います。成長機械論は、都市計画やまちづくり、交通計画に携わる人々に対して、自らの判断が誰の利益にどう作用するのかを問い続けることの重要性を示唆しています。

成長機械論が私たちに与えてくれるのは、都市を、そして都市計画を、政治的に理解するための視座です。それは、都市の成長や開発を、無条件に肯定するのでも否定するのでもなく、「それによって誰が得をし、誰が負担を負うのか」を冷静に問う眼差しです。本シリーズは、シカゴ学派都市社会学から、コミュニティ論、都市政治経済学を経て、ここまで歩んできました。そして次回は、成長機械論が残した「都市はどのように統治されるのか」という問いを引き継ぎ、都市レジーム論へと進んでいきます。本記事が、読者の皆さんにとって、都市理論の体系を見通し、自らの実践や研究を位置づけるための一助となれば幸いです。

参考文献

本記事は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。

英語文献

  1. Molotch, H. (1976). The City as a Growth Machine: Toward a Political Economy of Place. American Journal of Sociology, 82(2), 309–332.
  2. Logan, J. R., & Molotch, H. L. (1987). Urban Fortunes: The Political Economy of Place. Berkeley: University of California Press. (20th anniversary edition, 2007)
  3. Molotch, H. (1993). The Political Economy of Growth Machines. Journal of Urban Affairs, 15(1), 29–53.
  4. Harvey, D. (1973). Social Justice and the City. London: Edward Arnold.
  5. Harvey, D. (1985). The Urbanization of Capital. Oxford: Blackwell.
  6. Harvey, D. (1989). From Managerialism to Entrepreneurialism: The Transformation in Urban Governance in Late Capitalism. Geografiska Annaler: Series B, Human Geography, 71(1), 3–17.
  7. Castells, M. (1977). The Urban Question: A Marxist Approach. Trans. A. Sheridan. London: Edward Arnold.
  8. Lefebvre, H. (1991). The Production of Space. Trans. D. Nicholson-Smith. Oxford: Blackwell. (Original work published 1974)
  9. Zukin, S. (1982). Loft Living: Culture and Capital in Urban Change. Baltimore: Johns Hopkins University Press.
  10. Zukin, S. (1991). Landscapes of Power: From Detroit to Disney World. Berkeley: University of California Press.
  11. Stone, C. N. (1989). Regime Politics: Governing Atlanta, 1946–1988. Lawrence: University Press of Kansas.
  12. Jonas, A. E. G., & Wilson, D. (Eds.) (1999). The Urban Growth Machine: Critical Perspectives, Two Decades Later. Albany: State University of New York Press.
  13. Cox, K. R. (1993). The Local and the Global in the New Urban Politics: A Critical View. Environment and Planning D: Society and Space, 11(4), 433–448.
  14. Harding, A. (1994). Urban Regimes and Growth Machines: Toward a Cross-National Research Agenda. Urban Affairs Quarterly, 29(3), 356–382.

日本語文献

  1. 町村敬志 (2020). 『都市に聴け ― アーバン・スタディーズから読み解く東京』有斐閣.
  2. 町村敬志・西澤晃彦 (2000). 『都市社会学 ― 社会がかたちをあらわすとき』有斐閣.
  3. ハーヴェイ, D. (1991). 『都市資本論 ― 都市空間形成の歴史と理論』水岡不二雄監訳. 青木書店.
  4. 玉野和志ほか編 (各年). 都市政治・都市社会学に関する諸論考(成長連合都市ガバナンス都市レジーム研究の文献を含む).

※ 本記事における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」「成長機械論の観点から解釈すれば」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。とりわけ「都市計画への含意」「日本の都市開発をどう理解するか」の各節における理論と実務の関連づけには、確立した文献的根拠をもつ部分と筆者の見解に依拠する部分とが含まれます。日本の都市開発への応用、とりわけ「日本版の成長連合」といった表現は、アメリカで形成された理論を日本の文脈に当てはめた一つの解釈であり、学界で確立した概念ではなく、その妥当性にはなお実証的検討を要します。具体的な開発事例への言及は、特定の事業者や開発を批判する意図をもつものではなく、理論的な解釈の例として挙げたものです。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。
第四稿(成長機械論)に付随する補助コンテンツを生成します。添付リストに今回多くの関連語(Growth Machine Theory, Use Value, Exchange Value, Urban Fortunes, Harvey Molotch, John Logan, Sharon Zukin, Urban Regime Theory等)が追加されているため、それらは除外し、未収載の概念・人物を中心に用語集を構成します。

年表 ― 成長機械論とその周辺の展開

用語集

本稿および成長機械論の理解に関連する主要な用語・人名を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称: 解説」です。

理論・概念

人名

著作

※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。成長連合、利用価値・交換価値都市レジーム論、モロッチ、ローガン、ズーキンなど多くは添付リストに英語表記が含まれますが、本稿理解のため補足が有用なものは日本語訳語・解説を添えました。クラレンス・ストーン都市レジーム論関連の語は、次稿で扱う主題として参考までに収録しています。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。

Claud 執筆プロンプト

あなたは都市社会学都市政治経済学都市計画学を専門とする大学教授です。
以下の条件に従い、日本語で学術的かつ読みやすい長文記事を執筆してください。
記事タイトル
成長機械論 ― なぜ都市は成長を追求するのか
記事の目的
本記事は都市社会学シリーズの第4回として位置づける。
読者は都市計画・交通計画・まちづくりに関心を持つ社会人および大学院生を想定する。
単なる理論紹介ではなく、
都市政治経済学
都市計画
再開発
TOD
都市ガバナンス
との関係を理解できる内容にすること。
前回までの流れ
前回の記事では、
アンリ・ルフェーヴル
マニュエル・カステル
デヴィッド・ハーヴェイ
を中心とする都市政治経済学を紹介した。
都市政治経済学は、
都市空間は資本蓄積や国家によって形成される」
と主張した。
しかし、
「実際に都市開発を推進する主体は誰なのか」
という問いは十分に説明していない。
その問いに答えようとしたのが成長機械論である。
この問題意識から自然に導入すること。
記事全体の方針
単なる教科書的解説ではなく、
「なぜ都市は成長を追求するのか」
という問いを軸に論じること。
また、
利用価値
交換価値
成長連合
都市開発
都市計画
を一つのストーリーとして説明すること。
構成
はじめに
以下の問いから始める。
なぜ多くの都市は人口増加や再開発を歓迎するのだろうか。
なぜ自治体は大型開発や企業誘致を競うのだろうか。
なぜ都市計画はしばしば「成長」を前提としているのだろうか。
成長機械論がこれらの問いに答えようとした理論であることを示す。

第1章 都市政治経済学から成長機械論
都市政治経済学の到達点
ルフェーヴル
カステル
ハーヴェイ
を簡潔に整理する。
都市政治経済学の限界
資本や国家は説明できても、
地域レベルで都市開発を推進する主体は見えにくいことを説明する。
モロッチの問題提起
都市成長を望む具体的なアクターに注目したことを説明する。

第2章 成長機械論の誕生
ハーヴェイ・モロッチ
1976年論文
The City as a Growth Machine
を紹介する。
基本命題
都市は単なる居住空間ではなく、
成長を追求する機械として運営されている
という主張を丁寧に解説する。
背景
郊外化
再開発
都市間競争
など1970年代アメリカ都市の状況を説明する。

第3章 利用価値と交換価値
本記事の理論的中核として詳しく解説する。
利用価値
住民にとっての都市

住みやすさ
環境
安全
コミュニティ
交換価値
土地所有者や開発主体にとっての都市

地価上昇
賃料上昇
開発利益
なぜ対立が生じるのか
住民の利益と成長連合の利益が一致しない場合があることを説明する。
ハーヴェイとの関係
使用価値交換価値の議論との理論的つながりも紹介する。

第4章 成長連合とは何か
Growth Coalition を詳しく説明する。
土地所有者
不動産業者
デベロッパー
地方政治家
地方政府
商工会議所
地元メディア
それぞれがなぜ成長を支持するのか説明する。
なぜ連携するのか
地価上昇という共通利益によって結び付いていることを論じる。

第5章 成長機械はどのように都市を変えるのか
具体例を用いて説明する。
都市再開発
大規模インフラ整備
スタジアム建設
コンベンション施設
ウォーターフロント開発
TOD
TODについては肯定も否定もせず、
成長機械論から見た一つの解釈として紹介すること。

第6章 ローガンとモロッチ『アーバン・フォーチュンズ
1987年の発展的研究として紹介する。
都市をめぐる政治闘争
成長派と保全派
利益集団の競合
を説明する。
都市は利害対立の場であることを論じる。

第7章 都市計画への含意
都市計画との関係を詳しく論じる。
都市計画は中立的技術ではない
誰が利益を得るのか
誰が負担するのか
都市計画と政治
を論じる。
交通計画や土地利用計画との関係も説明する。

第8章 日本の都市開発をどう理解するか
日本への応用として考察する。
事例候補
六本木ヒルズ
虎ノ門
渋谷再開発
大阪駅周辺再開発
ただし、
成長機械論から解釈すると」
という慎重な書き方を徹底すること。
断定しないこと。

第9章 成長機械論への批判
以下を整理する。
経済決定論
国家の役割軽視
グローバル化の影響軽視
文化の軽視
シャロン・ズーキンを紹介する。
ガバナンス研究の発展
後続理論への発展を説明する。

第10章 なぜ都市レジーム論が必要だったのか
次回記事への橋渡し。
成長機械論
「誰が利益を得るか」
を説明した。
しかし
「どのように統治が行われるか」
は十分説明できなかった。
そこで都市レジーム論が登場することを説明する。

結論
以下を要約する。
都市成長は自然現象ではない
都市成長は政治的プロジェクトである
都市計画は利害調整のプロセスである
成長機械論都市計画を政治的に理解する視点を与える
必ず登場させる人物
ハーヴェイ・モロッチ
ジョン・ローガン
デヴィッド・ハーヴェイ
マニュエル・カステル
シャロン・ズーキン
必ず登場させる概念
成長機械論
成長連合
利用価値
交換価値
地代
都市再開発
都市間競争
都市ガバナンス
都市レジーム論
文体
学術的
客観的
読みやすい
断定を避ける
大学院レベル
理論間のつながりを重視する
文字数
10,000〜15,000字程度の本格的なレビュー論文として執筆すること。
参考文献
記事末尾に主要文献を掲載すること。
原典を優先すること。
このプロンプトなら、前回の「都市政治経済学の誕生」とほぼ同じレベルの理論的深さで、次回の「都市レジーム論」へ自然につながる記事になるはずです。