古い街並みが再生し、カフェや文化施設が増え、街は美しくなる。でも、その「良くなった街」を享受できるのは、もとの住民ではなく新たにやってきた豊かな人々かもしれません。地区の富裕化が立ち退きを伴って進む現象――ジェントリフィケーションルース・グラスの概念提起から、スミスの賃料格差理論、レイの新中間階級論、排除の政治学、そしてルフェーヴル・ハーヴェイ・ソジャ・ヤング・ファインスタインの都市正義論まで。「都市再生は誰のためのものか」を問う、都市理論シリーズ第六弾。

目次

はじめに ― 都市再生は誰のためのものか

かつて寂れていた古い街並みが、見違えるように生まれ変わる。老朽化した倉庫がおしゃれなギャラリーやカフェに改装され、人々が集い、街に活気が戻る。空き家が減り、治安が良くなり、都市のイメージが向上する。こうした「都市再生」の光景は、多くの人にとって、望ましく、魅力的なものに映ります。実際、衰退した地区の再生は、現代の都市政策において広く追求されている目標です。

しかし、この明るい光景の裏側で、別のことも起こっています。地区が魅力的になり、人気が高まるにつれて、家賃や地価が上昇します。長年そこに住んできた住民、とりわけ家賃の支払いに余裕のない低所得層は、上がり続ける家賃を払えなくなり、住み慣れた街を去らざるをえなくなります。地域に根づいていた古い商店や、その場所が育んできた独特の文化や雰囲気もまた、新しい住民や店舗に置き換えられ、徐々に変容していきます。再生によって街が良くなったはずなのに、その「良くなった街」を享受できるのは、もとの住民ではなく、新たにやってきた、より豊かな人々なのです。

ここに、本記事が向き合う根本的な問いがあります。すなわち、「都市再生は、いったい誰のためのものなのか」という問いです。この現象 — 地区の再投資と富裕化が、もとの住民の立ち退きを伴って進行する過程 — を、都市研究はジェントリフィケーション(gentrification)と呼んできました。本記事は、このジェントリフィケーションという現象を軸に、それがなぜ起こるのか、誰が利益を得て誰が負担を負うのか、そしてこの問題が、いかにして「公正な都市とは何か」を問う都市正義論(urban justice theory)へと発展していったのかを、理論史として描き出します。

本記事は、これまでの連載の到達点に立っています。シカゴ学派都市社会学からコミュニティ論を経て、都市政治経済学都市資本と権力の産物として捉え、成長機械論都市の成長志向を、そして都市レジーム論都市の統治の仕組みを明らかにしてきました。前回の末尾で予告したように、これらの理論が解明してきた「都市の成長」と「統治の仕組み」は、現実の都市空間において、ある具体的な帰結を生み出します。それが、ジェントリフィケーションによる「排除」であり、その排除への異議申し立てとして立ち現れるのが、「都市正義」をめぐる議論なのです。「成長 → 統治 → 再開発 → 排除 → 正義」という理論的な流れを、本記事でたどっていきましょう。

ジェントリフィケーションとは何か

まず、ジェントリフィケーションという概念そのものの起源を確認することから始めます。この言葉は、いつ、どのような文脈で生まれたのでしょうか。

ルース・グラスによる概念の提起

ジェントリフィケーションという概念を最初に用いたのは、イギリスの社会学ルース・グラス(Ruth Glass)です。彼女は、1964年に、ロンドンの状況を論じる中で、この言葉を造り出しました。グラスが観察したのは、ロンドンの労働者階級が住む古い地区に、中産階級の人々が次第に流入してくるという現象でした。

グラスの描写によれば、その過程はおおむね次のように進みます。まず、中産階級の人々が、労働者階級の住む地区にある古い住宅を買い取り、改修して、しゃれた住まいへと作り変えていきます。こうした改修が一軒、また一軒と進むにつれて、地区の性格が徐々に変わり、地価や家賃が上昇していきます。そして最終的には、もともとそこに住んでいた労働者階級の住民の多くが、その地区から押し出されていく、というのです。グラスは、このように地区の社会的性格が、労働者階級のものから中産階級のものへと置き換わっていく過程に、「ジェントリフィケーション」という名を与えました。

この言葉は、イギリスの「ジェントリ(gentry)」 — 地主階級・上流階級 — に由来します。地区が、いわば「ジェントリ化」していく、すなわちより上流の階級にふさわしい姿へと作り変えられていくという含意が、この造語には込められていました。注目すべきは、グラスがこの言葉を、単なる中立的な記述として用いたわけではない、という点です。むしろ、彼女の記述には当初から、労働者階級が押し出されていくという階級的な置き換えへの、批判的な懸念が含まれていたと理解されています。筆者の見るところ、グラスのこの命名の鋭さは、地区の物理的な改善という一見好ましい現象の中に、階級的な置き換えと排除という社会的な過程が潜んでいることを、一語で捉えた点にあります。この批判的な含意を出発点として、ジェントリフィケーションは、都市の不平等を論じるための重要な概念へと発展していくのです。

現象の基本的な構造

グラスの観察を整理すると、ジェントリフィケーションには、いくつかの基本的な要素が含まれています。第一に、中産階級(あるいはより富裕な層)の流入です。第二に、住宅や建物の改修・高級化です。第三に、それに伴う地価・家賃の上昇です。そして第四に、もともとの住民、とりわけ労働者階級や低所得層の流出です。これらの要素が連動して進行するのが、古典的なジェントリフィケーションの姿です。

もっとも、後に見るように、この現象は時代とともに変容し、その担い手も、規模も、形態も多様化していきました。当初の、個人の改修が積み重なっていく漸進的な過程から、やがて大規模な再開発や、国家・自治体が主導する都市再生へと、ジェントリフィケーションの様相は大きく広がっていくことになります。しかし、その核心 — 地区の富裕化が、もとの住民の排除を伴って進む — は、一貫して問われ続けることになります。次節では、なぜこの現象が起こるのか、その原因をめぐる理論的な論争を見ていきます。

なぜジェントリフィケーションは起こるのか

ジェントリフィケーションがなぜ起こるのかをめぐっては、二つの大きく異なる説明が提起され、長く論争が続いてきました。一つは、資本と土地市場の側からの説明であり、もう一つは、人々の選択と文化の側からの説明です。この二つの立場を代表するのが、ニール・スミス(Neil Smith)とデヴィッド・レイ(David Ley)です。

スミスの供給側説明 ― 賃料格差理論

ニール・スミスは、ジェントリフィケーションを、資本の論理と土地市場の動きから説明しました。彼の議論の中核をなすのが、賃料格差理論(rent gap theory)です。この理論は、ジェントリフィケーション研究において最も影響力のある説明の一つとなりました。

賃料格差(rent gap)とは何でしょうか。スミスは、ある土地について、二つの賃料(地代)を区別しました。一つは、その土地が現在の用途・状態のもとで実際に生み出している地代(現実の地代)です。もう一つは、その土地が「最も高度で最善の用途」に利用された場合に生み出しうる、潜在的な地代(潜在的地代)です。スミスの洞察は、都心に近い古い地区では、この二つの地代の間に、しばしば大きな隔たり — すなわち賃料格差 — が生じる、という点にありました。

なぜそのような格差が生じるのでしょうか。スミスの説明はこうです。ある地区が、長年にわたって投資を受けず、建物が老朽化し、放置されていくと、その地区が現在生み出す地代は低下していきます。一方で、その土地自体がもつ立地の価値 — 都心への近さなど — は失われていません。むしろ、周辺が発展すれば、潜在的な地代は高いままか、上昇さえします。こうして、現実の地代は低いのに、潜在的な地代は高いという、大きな賃料格差が蓄積されていくのです。

この賃料格差こそが、ジェントリフィケーションを引き起こす駆動力だ、とスミスは論じました。賃料格差が十分に大きくなると、その地区に再投資して、土地を高度な用途に転換すれば、大きな利益が得られるようになります。低く買い叩いた土地を改修・再開発し、潜在的な地代を実現することで、投資家や開発業者は、現実の地代と潜在的な地代の差額を、利益として手にすることができるのです。すなわち、ジェントリフィケーションは、住民の選好の変化によってではなく、賃料格差を利潤機会と見て流入してくる資本によって引き起こされる、というわけです。

この賃料格差理論は、前々々回の記事で扱ったデヴィッド・ハーヴェイの議論 — 資本建造環境を作り、壊し、作り直していくという議論 — と深く結びついています。スミスは、ハーヴェイの影響を受けつつ、資本主義のもとで都市空間が均等にではなく不均等に発展していくという、不均等発展(uneven development)の理論を展開しました。資本は、ある地区から引き揚げ(投資撤退=ディスインベストメント)、別の地区へと向かう。そして、投資撤退によって荒廃した地区に賃料格差が蓄積されると、今度はそこへ資本が回帰してくる。ジェントリフィケーションは、この資本の不均等な運動の、一つの局面として捉えられるのです。筆者の見るところ、スミスの理論の力強さは、ジェントリフィケーションを、個々人の選択の集積としてではなく、資本主義の構造に根ざした、必然的とも言える過程として説明した点にあります。

レイの需要側説明 ― 新中間階級と消費

これに対して、デヴィッド・レイは、まったく異なる角度からジェントリフィケーションを説明しました。スミスが資本という「供給側」に注目したのに対し、レイは、誰がジェントリフィケーションを担うのか、なぜ彼らが都心に住むことを選ぶのかという「需要側」 — 人々の選択と文化 — に注目したのです。

レイの議論の鍵となるのが、新中間階級(new middle class)という概念です。彼は、脱工業化(post-industrialization)が進んだ社会において、新しいタイプの中間階級が台頭してきたことに注目しました。製造業に代わって、サービス業、専門職、文化産業、知識産業が経済の中心となる中で、高い教育を受け、文化的な感性を重んじる人々の層が拡大しました。芸術家、デザイナー、専門職、知識労働者といった、この新中間階級こそが、ジェントリフィケーションの担い手だ、とレイは論じました。

では、なぜこの新中間階級は、郊外ではなく都心に住むことを選ぶのでしょうか。レイの説明は、彼らの価値観とライフスタイル、すなわち消費(consumption)のあり方に注目するものでした。新中間階級は、画一的で大量生産的な郊外の生活様式よりも、都心のもつ多様性、歴史性、文化的な豊かさ、真正性(オーセンティシティ)を重んじます。古い建物の趣、多様な人々が行き交う街路、独立した個性的な店やカフェ、文化施設へのアクセス — こうしたものに価値を見出す彼らにとって、再評価された都心は、自らのアイデンティティとライフスタイルを表現する魅力的な居住の場となるのです。すなわち、ジェントリフィケーションは、賃料格差という経済的な力によってではなく、新中間階級の文化的な選好と消費の様式によって駆動される、というのがレイの主張でした。

スミスとレイの比較

スミスとレイの説明は、ジェントリフィケーションという同じ現象について、対照的な理解を提示しています。両者の違いを整理すると、次のようになります。

観点 ニール・スミス デヴィッド・レイ
説明の焦点 供給側(資本・土地市場) 需要側(人々の選択・文化)
主たる主体 資本・投資家・開発業者 新中間階級
駆動要因 賃料格差・利潤機会 文化的選好・消費・ライフスタイル
中心概念 賃料格差不均等発展 新中間階級、脱工業社会、消費
理論的背景 マルクス主義・政治経済学 ポスト産業社会論・文化論
問いの立て方 なぜ資本はそこに戻るのか なぜ人々はそこに住みたがるのか

この二つの立場は、長く対立してきました。筆者の見るところ、近年では、両者を排他的な説明としてではなく、統合的に理解しようとする研究が多くなっています。ジェントリフィケーションには、賃料格差という経済的な条件(供給側)と、新中間階級の選好という文化的な条件(需要側)の、双方が関与しているからです。資本が再投資の機会を見出すだけでは不十分で、そこに住みたいと望む人々がいなければ、ジェントリフィケーションは進みません。逆に、住みたい人々がいても、再投資を可能にする経済的条件がなければ、現象は起こりません。ただし、両者を統合しようとする試みが進む一方で、構造を重視する立場と文化を重視する立場の対立そのものが、完全に解消されたわけではない点には注意が必要です。供給と需要、構造と選択、経済と文化のいずれをより重視するかをめぐる論争は、現在もなお、ジェントリフィケーション研究の重要な論点であり続けています。この二つの説明の対立と、その後の統合への試みは、ジェントリフィケーション研究の理論的な成熟を示すものといえます。

国家主導型ジェントリフィケーションへの展開

グラスが概念を提起し、スミスとレイがそれを理論化した1970年代から80年代の段階では、ジェントリフィケーションは、なお比較的限定的で、しばしば個人や小規模な開発業者による、地区単位の現象として捉えられていました。しかし、1990年代以降、この現象は大きく姿を変えていきます。

一般化するジェントリフィケーション

1990年代後半から2000年代にかけての研究潮流は、ジェントリフィケーションが、もはや一部の地区に限られた例外的な現象ではなく、都市政策の主流をなす、一般化した戦略(generalized gentrification)へと変質したことを指摘しました。ニール・スミスもこの議論の重要な担い手の一人ですが、これはスミス単独の主張というより、同時代の複数の研究者によって共有された認識でした。彼らは、かつては草の根的・散発的だった現象が、グローバルな規模で、都市再生の中心的な手法として、組織的に展開されるようになったと論じたのです。

この変質において決定的だったのが、国家や自治体の役割の増大です。1990年代以降、多くの都市で、行政自らが、衰退した地区の「再生(urban renaissance都市ルネサンス)」を掲げ、ジェントリフィケーションを積極的に推進・誘導するようになりました。規制緩和、税制上の優遇、公共投資、再開発の認可といった政策的な手段を通じて、行政は、民間資本を衰退地区へと呼び込み、地区の富裕化を後押ししました。こうした、国家・自治体が主導し、組織的に推進するジェントリフィケーションを、研究者たちは国家主導型ジェントリフィケーション(state-led gentrification)と呼びました。

企業家主義都市との接続

この国家主導型ジェントリフィケーションを理解する上で重要なのが、企業家主義都市(entrepreneurial city)という概念です。これは、前々々回の記事で扱った、デヴィッド・ハーヴェイの「都市企業家主義(urban entrepreneurialism、1989年)」に由来する考え方です。ハーヴェイは、1970年代以降、都市の統治が、住民へのサービス提供を主眼とする「管理者主義」から、都市間競争の中で投資と成長を呼び込もうとする「企業家主義」へと転換したことを論じました。

この企業家主義都市枠組みは、国家主導型ジェントリフィケーションの背景を説明します。すなわち、都市間競争にさらされた行政が、投資を呼び込み、都市のイメージを高めるための戦略として、衰退地区の再生=ジェントリフィケーションを積極的に推進するようになった、というわけです。理論史の流れとして整理すれば、成長機械論(成長連合による成長の追求)から、ハーヴェイの都市企業家主義(都市間競争下での企業家主義的統治)を経て、国家主導型ジェントリフィケーション(行政主導の戦略的な地区再生)へと至る、一連のつながりを描くことができます。前回までの連載で論じてきた都市の成長と統治の理論が、ここでジェントリフィケーションの分析へと合流するのです。

研究の深化

この新しい段階のジェントリフィケーションを分析したのが、トム・スレイター(Tom Slater)、ロレッタ・リース(Loretta Lees)、エルヴィン・ワイリー(Elvin Wyly)、ジェイソン・ハックワース(Jason Hackworth)といった研究者たちです。彼らは、ジェントリフィケーションを、もはや古典的な定義 — 労働者階級地区への中産階級の流入 — に限定せず、より広く、資本の再投資による地区の富裕化と、それに伴う既存住民の排除の過程として捉え直しました。

ハックワースらは、ジェントリフィケーションの歴史的な段階(波)を区別する議論を展開し、初期の散発的な段階から、国家が後退した1980年代を経て、1990年代以降の国家が再び積極的に関与する段階へと、現象が変遷してきたことを論じました。リースやスレイター、ワイリーは、ジェントリフィケーションをグローバルな現象として捉え、その多様な現れと、共通する排除の論理を分析しました。とりわけスレイターは、後で詳しく見るように、ジェントリフィケーション研究そのものが、排除や立ち退きという批判的な問題から目をそらしつつあることに警鐘を鳴らし、研究の方向性をめぐる重要な論争を提起しました。

成長機械論・都市レジーム論との接続

ジェントリフィケーション、とりわけ国家主導型のそれは、本連載がこれまで積み上げてきた理論と、緊密に接続します。ここで、その理論的な連続性を整理しておきましょう。

成長から再開発、そして排除へ

前回・前々回の記事を振り返りましょう。成長機械論(モロッチ、そしてローガンとモロッチ)は、都市を、土地の交換価値の増大を目指す成長連合によって駆動される「成長の機械」として捉えました。地権者、開発業者、政治家、メディアといったアクターが、土地価値の上昇という共通の利害のもとに連合し、成長を推進する、という議論です。そして、土地の「利用価値」(住民の生活の場としての価値)と「交換価値」(投資対象としての市場価値)の対立が、その理論的な軸でした。

続いて都市レジーム論(クラレンス・ストーン)は、行政と民間が、それぞれの資源を持ち寄って形づくる、持続的な統治連合 — レジーム — の観点から、都市の統治を分析しました。とりわけ「開発型レジーム」は、再開発を推進することを志向する統治連合として、成長機械論が描いた都市像と重なります。

これらの理論を踏まえると、ジェントリフィケーションは、次のような流れの帰結として理解できます。土地の交換価値の増大を求める成長連合が形成され(成長機械論)、それが行政と結びついて再開発を推進する統治連合となり(都市レジーム論)、その統治連合が衰退地区の再開発を実行する。その結果として、地区の交換価値が実現され、地価と家賃が上昇し、利用価値に依拠して暮らしていた既存の住民が排除されていく — これがジェントリフィケーションです。すなわち、ジェントリフィケーションは、「成長の追求 → 統治連合による再開発 → 既存住民の排除」という流れの、空間的な帰結として位置づけられるのです。前回の末尾で述べた「統治の仕組みが現実の都市空間で生み出す帰結」とは、まさにこのことでした。

留保 ― これらの理論だけでは説明しきれないもの

ただし、ここで重要な留保を付しておく必要があります。成長機械論都市レジーム論だけで、ジェントリフィケーションのすべてを説明できるわけではありません。これらの理論は、都市の成長や統治の「仕組み」 — どのようなアクターが、どのような利害と資源のもとに、再開発を推進するのか — を明らかにします。しかし、ジェントリフィケーションという現象には、これらの理論が十分に捉えきれない次元も含まれています。

たとえば、レイが論じた新中間階級の文化的な選好や、ある地区が「魅力的」と見なされるようになる文化的・象徴的な過程は、成長連合や統治連合の利害だけからは説明できません。また、排除される住民の側の経験 — 立ち退きがもたらす生活の破壊、コミュニティの喪失、文化の消滅 — は、統治の仕組みの分析からはこぼれ落ちてしまいます。さらに、後で論じる「都市への権利」や「空間的正義」といった規範的な問いは、これらの説明理論の射程の外にあります。したがって、ジェントリフィケーションを十全に理解するためには、成長機械論都市レジーム論という統治の分析に、文化の次元の分析と、規範的な正義の問いとを、組み合わせる必要があるのです。次節以降では、この排除と正義の次元へと、議論を進めていきます。

排除の政治学 ― 誰が押し出されるのか

ジェントリフィケーションをめぐる議論の核心は、それが誰かを「排除する」過程である、という点にあります。地区の富裕化の裏面で、もとの住民が押し出されていく — この排除の過程を、研究者たちは精緻に分析してきました。本節は、本記事の中心部分です。

マーキューズの立ち退き類型

排除を論じる上で、鍵となる概念が立ち退き(displacement)です。立ち退きとは、ジェントリフィケーションの進行によって、もとの住民がその地区に住み続けられなくなり、退去を余儀なくされることを指します。しかし、この立ち退きは、単純な一つの現象ではありません。都市研究者のピーター・マーキューズ(Peter Marcuse)は、1980年代に、立ち退きをいくつかの異なる類型に区別し、その複雑さを明らかにしました。

最も分かりやすいのは、直接的立ち退き(direct displacement)です。これは、家賃の上昇や、建物の取り壊し、立ち退きの要求などによって、住民が直接的に、物理的にその住居を追われることを指します。しかし、マーキューズが指摘した重要な点は、立ち退きが、こうした目に見える形だけで起こるのではない、ということでした。

マーキューズが提起したもう一つの重要な概念が、排除的立ち退き(exclusionary displacement)です。これは、ある住居がジェントリフィケーションによって高級化された結果、それまでその種の住居に住むことができていた層の人々が、もはやそこに入居できなくなる、という現象を指します。つまり、現に住んでいる人が追い出されるだけでなく、これから住もうとしても住めなくなる — 入居の機会そのものが奪われる — という、より見えにくい形の排除です。ある地区がジェントリフィケーションを経ると、そこには、もはや低所得層が入り込む余地がなくなります。これは統計には現れにくい排除ですが、地区から特定の層を締め出すという意味で、立ち退きと同等に深刻な排除なのです。マーキューズは、このほかにも立ち退きの圧力(displacement pressure)など、より細かな区別を行っており、立ち退きという現象が多層的であることを明らかにしました。

近年の研究 ― 文化的な立ち退き

マーキューズが提起した上記の類型は、主として物理的・経済的な立ち退きに関わるものでした。これに加えて、近年の研究が注目してきたのが、文化的立ち退き(cultural displacement)です。これは、マーキューズ自身の古典的な類型に由来するというよりも、その後の研究の発展の中で、ジェントリフィケーション理解を深めるために展開されてきた概念です。文化的立ち退きとは、住民が物理的にはその地区に留まっていても、地区の文化的な性格が変容することによって、自らの居場所を失っていく感覚を経験する、という現象を指します。

たとえば、長年通っていた地元の商店が、おしゃれなブティックやカフェに置き換わる。地域の祭りや慣習が廃れ、新しい住民の文化が支配的になる。なじみの風景や雰囲気が失われ、街が「自分たちのもの」ではなくなっていく。こうした変化の中で、もとの住民は、たとえ住居を追われていなくても、自らが属していた文化的な共同体を失い、疎外感を深めていきます。文化的立ち退きという視点は、ジェントリフィケーションが、単なる経済的な排除にとどまらず、人々のアイデンティティや帰属の感覚をも侵食する過程であることを示しています。マーキューズの古典的な類型から、こうした文化的次元への注目へと、立ち退き研究が発展してきたこと自体が、ジェントリフィケーション研究の深化を物語っています。

排除をめぐる論争

これらの排除の問題をめぐっては、研究者の間で重要な論争が展開されてきました。トム・スレイターは、ジェントリフィケーション研究において、立ち退きや排除という批判的な問題が、次第に脇に追いやられてきたことを問題視しました。彼は、ジェントリフィケーションが「都市再生」や「社会的混合」といった肯定的な言葉で語られるようになる中で、その負の側面 — 誰が排除されるのか — への注目が失われていく傾向に、強く警鐘を鳴らしたのです。

また、ニューマン(Kathe Newman)とワイリーは、立ち退きの実証的な測定という困難な課題に取り組みました。立ち退きは、その性質上、統計的に捉えることが難しい現象です。追い出された人々は、すでにその地区にいないため、調査の対象から漏れてしまうからです。彼らは、こうした測定の困難を踏まえつつ、ジェントリフィケーションがもたらす立ち退きの実態を、データに基づいて明らかにしようと努めました。筆者の見るところ、これらの研究が共通して示しているのは、ジェントリフィケーションを評価する際に、地区の「改善」という目に見える側面だけでなく、「誰が、その改善された地区から排除されたのか」という、見えにくい側面に目を向けることの決定的な重要性です。この問題意識が、次に見る都市正義論へと、議論を導いていきます。

都市への権利 ― 正義の問いへ

ジェントリフィケーションによる排除の問題は、必然的に、規範的な問いを呼び起こします。すなわち、「都市は誰のものなのか」「都市空間は、いかにあるべきなのか」という、正義をめぐる問いです。この問いに最初の理論的な枠組みを与えたのが、本連載でもすでに登場した、アンリ・ルフェーヴル(Henri Lefebvre)の「都市への権利」という概念です。

ルフェーヴルの「都市への権利」

第3回の記事で論じたように、ルフェーヴルは1968年の著作『都市への権利』において、「都市への権利(right to the city)」という概念を提起しました。ここで改めて、その意味を確認しておきましょう。

ルフェーヴルの言う「都市への権利」は、単に都市に住む権利や、都市のサービスを利用する権利にとどまるものではありません。それは、より根本的に、都市空間がどのように作られ、変えられていくのか、その決定の過程に住民自身が参加する権利を意味します。すなわち、都市を「作り、作り変える」ことへの、集合的な権利です。ルフェーヴルは、資本主義のもとで、都市空間が、住民の生活の必要よりも、資本の論理 — 利潤や交換価値 — に従って作り変えられていくことを批判し、その過程から住民が疎外されている状況に、異議を申し立てました。

ジェントリフィケーションの文脈に置くと、この概念の意義は鮮明になります。ジェントリフィケーションとは、まさに、住民の生活の場(利用価値)が、資本の論理(交換価値)に従って作り変えられ、その過程から既存の住民が排除されていく現象でした。ルフェーヴルの「都市への権利」は、この排除に対する、根源的な異議申し立ての言葉として、現代に読み替えられます。都市は、資本成長連合のものではなく、そこに生き、それを作り上げてきた住民のものである — この理念が、「都市への権利」の核心にあるのです。

ハーヴェイによる継承

このルフェーヴルの概念を、現代の資本主義都市批判の文脈で継承し、発展させたのが、デヴィッド・ハーヴェイです。ハーヴェイは、「都市への権利」を、単なる個人の権利ではなく、都市化の過程そのものを、誰のために、どのように進めるのかを集合的に決定する権利として捉え直しました。

ハーヴェイの議論において、「都市への権利」は、彼がこれまで論じてきた資本蓄積都市化の理論と結びつきます。資本は、余剰を吸収するために都市を絶えず作り変えていく(第3回で論じた空間的固定spatial fix)。その過程で、都市は、資本の論理に従って再編され、多くの人々がその恩恵から排除されていく。ハーヴェイは、こうした資本主導の都市化に対して、都市を作り変える力を、資本の手から、そこに生きる人々の集合的な手へと取り戻すことを、「都市への権利」の要求として提起しました。それは、ジェントリフィケーションをはじめとする、資本主導の都市変容に対する、規範的・実践的な対抗の理念だったのです。筆者の見るところ、ルフェーヴルからハーヴェイへと受け継がれたこの概念は、ジェントリフィケーション研究を、現象の説明から、「都市はいかにあるべきか」という正義の問いへと橋渡しする、決定的な役割を果たしました。

空間的正義 ― ソジャの視座

都市への権利」が提起した正義の問いを、空間という観点から理論化したのが、地理学者のエドワード・ソジャ(Edward Soja)です。彼が提唱した空間的正義(spatial justice)という概念は、都市の不平等を考える上で、重要な視座を提供します。

ソジャの議論の核心は、不平等や不正義というものが、単に社会的なものであるだけでなく、本質的に空間的でもある、という洞察にあります。より厳密に言えば、ソジャが強調したのは、社会的な不平等と空間的な不平等とが、一方が他方を生み出すという一方向の関係ではなく、相互に形成し合う関係にある、という点でした。私たちは通常、不平等を、所得の格差や、階級・人種の格差といった、社会的な関係の問題として考えがちです。しかしソジャは、不平等が、空間の中に刻み込まれ、空間を通じて再生産されると同時に、その空間的な配置が、ふたたび社会的な不平等を強化していくという、双方向の過程を強調しました。どこに住むか、どの地区に生まれ育つか、どのような環境やサービスにアクセスできるか — こうした空間的な条件が、人々の生活機会を大きく左右し、それがまた社会的な格差を再生産していくのです。良好な環境とサービスに恵まれた地区と、それらを欠いた地区との間の空間的な格差は、それ自体が不正義の一形態であり、社会的不平等と空間的不平等は、互いを支え合っているのです。

この空間的正義の視座は、ジェントリフィケーションを理解する上で有用です。ジェントリフィケーションは、空間を通じた不平等の再編成として捉えることができます。再投資によって富裕化した地区から、低所得層が排除され、より条件の悪い地区へと押しやられていく。この過程は、良好な空間 — 都心の利便性、文化的な豊かさ、改善された環境 — へのアクセスを、富裕な層に集中させ、貧しい層から奪っていく、空間的な不正義の過程なのです。ソジャは、こうした空間的な不正義に抗い、空間へのアクセスと、空間を作り変える力の公正な配分を求めることを、空間的正義の要求として提起しました。筆者の見るところ、ソジャの貢献は、正義の問題を、抽象的な社会関係の次元から、具体的な空間と場所の次元へと引き下ろし、都市計画やまちづくりが、まさに正義に関わる営みであることを明らかにした点にあります。

公正な都市とは何か ― ヤングからファインスタインへ

これまで見てきた、排除への批判と正義の理念を、より実践的な都市計画の枠組みへと結実させようとしたのが、都市計画研究者のスーザン・ファインスタイン(Susan Fainstein)です。ただし、彼女の議論を理解するためには、その背景にある政治哲学 — とりわけアイリス・マリオン・ヤング(Iris Marion Young)の正義論 — に、まず触れておく必要があります。

ヤングの「差異の政治」と正義論

アイリス・マリオン・ヤングは、現代の政治哲学において、正義の問題を、財の分配という枠組みを超えて捉え直したことで知られる思想家です。従来の正義論は、しばしば、正義を「何をどう分配するか」という分配的正義の問題として論じてきました。これに対してヤングは、分配だけに正義を還元することを批判し、抑圧(oppression)や支配(domination)といった、社会の構造そのものに埋め込まれた不正義に注目しました。彼女は、異なる集団 — 人種、ジェンダー、階級などを異にする人々 — の差異が尊重され、特定の集団が周縁化・排除されないことを、正義の重要な要件としました。これは「差異の政治(politics of difference)」と呼ばれる立場です。

ヤングの正義論は、都市と空間の問題に、直接的な示唆を与えます。都市は、まさに多様な集団が共存する空間であり、そこでは、特定の集団が排除されたり、周縁に追いやられたりする不正義が、空間的な形をとって現れます。ジェントリフィケーションによる排除は、まさにヤングの言う、集団の周縁化と排除の一形態として捉えることができます。彼女の議論は、都市正義論が、単なる財や住宅の分配の問題を超えて、誰が都市空間に存在することを許されるのか、という承認と包摂の問題であることを、明らかにしたのです。

ファインスタインの「ジャスト・シティ」論

このヤングをはじめとする政治哲学の正義論を参照しながら、それを都市計画の具体的な枠組みへと展開したのが、ファインスタインです。彼女が2010年の著作『ジャスト・シティ(The Just City)』で提起した「公正な都市」の構想は、都市正義論の一つの到達点を示しています。

ファインスタインの問題意識は、明快です。都市計画は、何を目指すべきなのか、という問いです。これまでの都市計画の理論は、しばしば、効率性(経済的な最適化)や、あるいは手続き的な民主性(計画過程への参加)を重視してきました。しかしファインスタインは、これらだけでは不十分だと考えました。重要なのは、計画が生み出す結果が、公正であるかどうかである、と。彼女は、ハーヴェイらの批判的な都市理論が、資本主義都市の不正義を鋭く告発しながらも、では「どのような都市が公正なのか」という積極的な構想を、十分に示してこなかったことを問題視しました。批判だけでなく、目指すべき公正な都市の具体的な姿を描くこと — それがファインスタインの狙いでした。なお、ファインスタインは、ヤングの差異と包摂の議論を重要な参照点としつつも、ヤングが手続きや差異の承認を重視したのに対し、自らはより明確に「分配の結果としての公正さ」に軸足を置いた点で、独自の立場をとっています。

三つの原理 ― 公平・民主・多様性

ファインスタインは、公正な都市を構成する原理として、三つの価値を提示しました。すなわち、公平(equity)、民主(democracy)、多様性(diversity)です。

第一の公平(equity)は、都市の政策や開発がもたらす便益と負担が、公正に配分されることを意味します。とりわけ、不利な立場にある人々の状況を改善する方向に、資源と機会が配分されるべきだとされます。ジェントリフィケーションの文脈で言えば、再開発の利益が一部の層に集中し、負担(立ち退きなど)が弱者に押しつけられる状況は、この公平の原理に反します。ファインスタインは、たとえば手頃な価格の住宅(アフォーダブル住宅)の確保など、公平を実現するための具体的な政策を重視しました。

第二の民主(democracy)は、都市に関わる決定の過程に、影響を受ける人々が実質的に参加できることを意味します。これは、ルフェーヴルの「都市への権利」とも通じる原理です。ただしファインスタインは、参加(手続き)それ自体を目的化することには慎重で、参加が公正な結果につながることを重視しました。

第三の多様性(diversity)は、都市が、異なる社会集団 — 階級、人種、文化を異にする人々 — の共存を許容し、特定の層による空間の独占を防ぐことを意味します。ここにはヤングの差異の政治の影響を見て取ることができます。ジェントリフィケーションが、地区を均質な富裕層の空間へと作り変えていくのに対し、多様性の原理は、多様な人々が同じ都市空間を分かち合うことを擁護します。

筆者の見るところ、ファインスタインの「ジャスト・シティ」論の意義は、都市正義の議論を、批判から構想へと転換させた点にあります。それは、ジェントリフィケーションをはじめとする都市の不正義を告発するだけでなく、では都市計画は何を目指すべきなのかという、実践的な指針を提示しようとしました。同時に、この三つの原理の間には緊張関係もありえます。たとえば、多様性の追求と、特定集団の公平の追求とが、対立する場面もあるでしょう。ファインスタイン自身、これらの原理が万能の解決策ではないことを認めており、その適用は、それぞれの文脈に応じた判断を要するものです。ルフェーヴル、ハーヴェイ、ソジャ、ヤング、そしてファインスタインへと至るこの系譜は、都市正義論を、抽象的な権利の理念から、空間的正義の分析を経て、具体的な都市計画の規範へと、段階的に練り上げてきたものといえるでしょう。

日本の都市再開発をどう考えるか

ここまで見てきたジェントリフィケーション都市正義の議論を、日本の都市の文脈に引き寄せて考えてみましょう。ただし、これは慎重に行う必要があります。あらかじめ強く断っておきたいのは、以下で日本の具体的な再開発を「これはジェントリフィケーションである」と断定するのではない、ということです。日本の都市開発は、欧米のジェントリフィケーションとは異なる歴史的・制度的文脈をもっており、その単純な当てはめは避けるべきです。ここで述べるのは、あくまで「ジェントリフィケーション研究や都市正義論の視点から、どのように解釈し、どのような問いを立てることができるか」という、分析の視座の提示にとどまります。

近年の日本、とりわけ東京では、六本木、虎ノ門、渋谷、あるいは臨海部の豊洲といった地区で、大規模な再開発が進められてきました。これらの再開発は、しばしば、衰退した、あるいは低未利用だった地区を、超高層のオフィス・商業・住宅の複合空間へと作り変えるものでした。これらを、ジェントリフィケーション研究の視点から眺めると、いくつかの問いが浮かび上がります。たとえば、これらの再開発によって、地区の交換価値はどのように上昇したのか。前々回扱った賃料格差の概念を応用すれば、再開発前のこれらの地区に、どのような賃料格差が蓄積されていたのか、と問うことができます。

また、都市正義論の視点からは、別の問いが立てられます。これらの再開発の便益は誰が得て、その負担(あるいは機会の喪失)は誰が負ったのか。再開発によって、その地区にもともと存在した居住者や事業者、文化は、どうなったのか。ファインスタインの言う公平・民主・多様性の観点から、これらの再開発はどう評価できるのか。こうした問いは、日本の再開発を批判するためというより、それを多面的に理解するための手がかりとなります。

もっとも、日本の文脈には固有の論点も多くあります。日本では、欧米に比べて、もともと都心部に低所得層の集住地区が形成されにくかったという居住構造の違いや、市街地再開発事業のような行政主導の制度の存在、借家人保護の法制度のあり方など、ジェントリフィケーションの現れ方を左右する独自の条件があります。したがって、欧米の理論をそのまま適用するのではなく、日本の固有性を踏まえた、慎重な実証的検討が不可欠です。繰り返しますが、ここで示したのは、解釈の可能性であって、確定した事実認識ではありません。理論を手がかりに問いを立て、個別の事例に即して検証していく姿勢が重要だと、筆者は考えます。

ジェントリフィケーションをめぐる賛否

これまで、ジェントリフィケーションを、主としてその負の側面 — 排除と不正義 — に注目して論じてきました。これは、この現象がもたらす深刻な問題を直視するために必要なことです。しかし、学術的な公正さのために、ジェントリフィケーションをめぐっては、賛否両論が存在することも、確認しておかなければなりません。

ジェントリフィケーションを肯定的に評価する立場は、その便益に注目します。衰退し、荒廃していた地区が再生され、物理的な環境が改善される。空き家や低未利用地が活用される。治安が改善し、犯罪が減少する。新しい事業や雇用が生まれ、自治体の税収が増加する。荒廃した地区に投資が呼び込まれ、活気が戻ること自体は、望ましいことではないか、という見方です。実際、衰退する地区をどう再生するかは、多くの都市にとって切実な課題であり、再投資がもたらす便益は無視できません。

一方、批判的に評価する立場は、本記事が論じてきたように、その負の側面に注目します。地区の改善は、もとの住民の排除を伴う。再投資の便益は富裕な層に集中し、負担は弱者に押しつけられる。地域に根づいた文化やコミュニティが失われる。都市の不平等と分断が、空間的に再生産・固定化される。再生によって街が良くなったとしても、その良くなった街を、もとの住民が享受できないのであれば、それは誰のための再生なのか、という問いです。

筆者の見るところ、この賛否の対立の核心は、「地区の改善」と「誰のための改善か」という、二つの問いの間にあります。ジェントリフィケーションは、地区の物理的・経済的な状態を改善しうる一方で、その改善の便益が、もとの住民ではなく、新たに流入する富裕層に帰属しがちである、という構造的な問題を抱えています。重要なのは、再生か排除かという二者択一ではなく、「排除を伴わない再生は可能か」「再生の便益を、もとの住民を含むより広い層に行き渡らせるには、どうすればよいか」という問いを立てることでしょう。アフォーダブル住宅の確保、既存住民の保護、利益の地域への還元といった政策は、まさにこの問いへの応答の試みです。ジェントリフィケーションをめぐる議論は、単なる賛否の対立ではなく、「公正な都市再生はいかにして可能か」という、より建設的な問いへと開かれているのです。

結論 ― 都市再生は誰のためのものか

本記事では、「都市再生は誰のためのものか」という問いを軸に、ジェントリフィケーションという現象と、それが提起する都市正義の問題を、理論史としてたどってきました。最後に、その歩みを整理しておきましょう。

出発点にあったのは、ルース・グラスによる概念の提起でした。彼女は1964年、ロンドンの観察から、地区の富裕化が労働者階級の排除を伴って進む現象に、ジェントリフィケーションという名を与えました。その記述には、当初から階級的な置き換えへの批判的な懸念が含まれていました。続いて、なぜこの現象が起こるのかをめぐって、ニール・スミス賃料格差理論(供給側・資本の論理)と、デヴィッド・レイ新中間階級論(需要側・文化の論理)が、対照的な説明を提示し、論争を繰り広げました。両者は、やがて統合的に理解しようとする試みへと向かいますが、構造と文化のいずれを重視するかをめぐる論争は、なお続いています。

1990年代以降、ジェントリフィケーションは、国家・自治体が主導する一般化した現象へと変質し、スレイター、リース、ワイリー、ハックワースらが、この新しい段階を分析しました。この国家主導型ジェントリフィケーションは、ハーヴェイの都市企業家主義を媒介として、本連載が論じてきた成長機械論(成長連合)と都市レジーム論(統治連合)に接続し、「成長の追求 → 統治連合による再開発 → 既存住民の排除」という流れの帰結として理解できます。ただし、これらの統治の理論だけでは、文化の次元や排除の経験、そして正義の問いを捉えきれない、という留保も確認しました。

そして、排除の研究 — マーキューズの立ち退き類型、近年の文化的立ち退きへの注目、スレイターやニューマン&ワイリーの問題提起 — は、ジェントリフィケーションの核心が「誰が排除されるのか」にあることを明らかにし、これが正義の問いへと展開しました。ルフェーヴルの「都市への権利」、ハーヴェイによるその継承、ソジャの「空間的正義」、ヤングの差異と包摂の正義論、そしてファインスタインの「ジャスト・シティ」論が、公正な都市とは何かをめぐる、都市正義論を形づくってきたのです。

都市再生は誰のためのものか」という問いに対する、本記事の答えは、単純な断定ではありません。しかし、本記事がたどってきた理論史は、一つの重要な視座を提供します。すなわち、都市の再生や開発を評価する際には、その「改善」という目に見える便益だけでなく、「その便益を誰が享受し、その過程で誰が排除されるのか」という、分配と正義の問いを、常に問い続けなければならない、ということです。都市計画やまちづくり、そして交通計画に携わる人々にとって、これは抽象的な理念ではなく、日々の実践に関わる問いです。どの地区に投資し、どこに駅を作り、どのような開発を認めるかという判断は、つねに、誰かに便益をもたらし、誰かに負担を強いるからです。公正な都市とは、こうした問いから目をそらさず、便益と負担の公正な配分を、絶えず追求していく営みの中にこそ、見出されるものなのでしょう。

次回予告

本記事をもって、本連載は、都市の「成長・統治・排除・正義」という、都市政治経済学の系譜を一巡したことになります。次回からは、視点を大きく転じます。次回扱うのは、「社会ネットワーク論 ― コミュニティからネットワーク社会へ」です。

第2回のコミュニティ論で、私たちはマーク・グラノヴェッター(Mark Granovetter)の「弱い紐帯の強さ」や、バリー・ウェルマン(Barry Wellman)のコミュニティ解放論に触れました。次回は、これらの議論を本格的に掘り下げ、都市社会学が、場所に根ざしたコミュニティの研究から、場所を超えた社会的ネットワークの研究へと、いかに発展していったのかを論じます。学説史の流れに沿って、まずネットワーク分析の基礎を築いたグラノヴェッターから出発し、それをコミュニティ研究へと展開したウェルマン、そして本連載でも繰り返し登場したマニュエル・カステル(Manuel Castells) — とりわけ、初期の都市論から「ネットワーク社会」論へと大きく研究関心を移した後期のカステル — へと、議論を進めていきます。都市と人々の結びつきが、情報技術の時代にどのように変容してきたのかを、たどっていく予定です。本記事が、読者の皆さんにとって、都市理論の体系を見通し、自らの実践や研究を位置づけるための一助となれば幸いです。

参考文献

本記事は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。

英語文献

  1. Glass, R. (1964). Introduction: Aspects of Change. In Centre for Urban Studies (Ed.), London: Aspects of Change. London: MacGibbon & Kee.
  2. Smith, N. (1979). Toward a Theory of Gentrification: A Back to the City Movement by Capital, Not People. Journal of the American Planning Association, 45(4), 538–548.
  3. Smith, N. (1996). The New Urban Frontier: Gentrification and the Revanchist City. London: Routledge.
  4. Ley, D. (1996). The New Middle Class and the Remaking of the Central City. Oxford: Oxford University Press.
  5. Lees, L., Slater, T., & Wyly, E. (2008). Gentrification. New York: Routledge.
  6. Slater, T. (2006). The Eviction of Critical Perspectives from Gentrification Research. International Journal of Urban and Regional Research, 30(4), 737–757.
  7. Hackworth, J., & Smith, N. (2001). The Changing State of Gentrification. Tijdschrift voor Economische en Sociale Geografie, 92(4), 464–477.
  8. Marcuse, P. (1985). Gentrification, Abandonment, and Displacement: Connections, Causes, and Policy Responses in New York City. Journal of Urban and Contemporary Law, 28, 195–240.
  9. Newman, K., & Wyly, E. K. (2006). The Right to Stay Put, Revisited: Gentrification and Resistance to Displacement in New York City. Urban Studies, 43(1), 23–57.
  10. Lefebvre, H. (1996). Writings on Cities. Trans. and ed. E. Kofman & E. Lebas. Oxford: Blackwell. (Original work “Le Droit à la ville” published 1968)
  11. Harvey, D. (2008). The Right to the City. New Left Review, 53, 23–40.
  12. Harvey, D. (2012). Rebel Cities: From the Right to the City to the Urban Revolution. London: Verso.
  13. Young, I. M. (1990). Justice and the Politics of Difference. Princeton, NJ: Princeton University Press.
  14. Soja, E. W. (2010). Seeking Spatial Justice. Minneapolis: University of Minnesota Press.
  15. Fainstein, S. S. (2010). The Just City. Ithaca, NY: Cornell University Press.
  16. Logan, J. R., & Molotch, H. L. (1987). Urban Fortunes: The Political Economy of Place. Berkeley: University of California Press.
  17. Stone, C. N. (1989). Regime Politics: Governing Atlanta, 1946–1988. Lawrence: University Press of Kansas.
  18. Harvey, D. (1989). From Managerialism to Entrepreneurialism: The Transformation in Urban Governance in Late Capitalism. Geografiska Annaler: Series B, Human Geography, 71(1), 3–17.

日本語文献

  1. ハーヴェイ, D. (2013). 『反乱する都市資本のアーバナイゼーションと都市の再創造』森田成也ほか訳. 作品社.
  2. スミス, N. (2014). 『ジェントリフィケーション報復都市 ― 新たなる都市のフロンティア』原口剛訳. ミネルヴァ書房.
  3. 藤塚吉浩 (2017). 『ジェントリフィケーション』古今書院.
  4. 町村敬志・西澤晃彦 (2000). 『都市社会学 ― 社会がかたちをあらわすとき』有斐閣.
  5. 町村敬志 (2020). 『都市に聴け ― アーバン・スタディーズから読み解く東京』有斐閣.

※ 本記事における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。立ち退きの類型について、直接的立ち退き排除的立ち退きはマーキューズによる古典的な区別であり、文化的立ち退きは主としてその後の研究の発展の中で展開されてきた概念である点に留意してください。とりわけ「日本の都市再開発をどう考えるか」の節における記述は、欧米で形成された理論を日本の文脈に当てはめた解釈の可能性を示したものであり、特定の再開発事業を「ジェントリフィケーションである」と断定するものではありません。その妥当性にはなお慎重な実証的検討を要します。また、ジェントリフィケーションの賛否や都市正義のあり方については、本記事は特定の立場を読者に強いるものではなく、複数の視点を提示することに努めました。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。

年表 ― ジェントリフィケーション研究と都市正義論の展開

用語集

本稿およびジェントリフィケーション都市正義論の理解に関連する主要な用語・人名を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合): 解説」です。

理論・概念

人名

著作

※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。ジェントリフィケーション空間的正義ジャスト・シティ都市への権利、ソジャ、ファインスタイン、ヤングなど一部は添付リストに英語表記が含まれますが、本稿理解のため補足が有用なものは日本語訳語・解説を添えました。次稿は社会ネットワーク論(ウェルマン、グラノヴェッター、後期カステル)を主題とします。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。
プロ6
以下のプロンプトなら、これまでのシリーズ(都市社会学→コミュニティ論→都市政治経済学成長機械論都市レジーム論)との整合性を保ちながら、大学院レベルの厳密さで「ジェントリフィケーション」と「都市正義論」を統合した記事をClaudeに執筆させることができます。

Claud への執筆指示

あなたは都市社会学都市地理学・都市政治経済学都市計画学の専門家です。
以下の条件に従い、日本語で都市理論の解説記事を執筆してください。
本記事は連載の第6回に位置づけられます。
既刊は以下です。
都市社会学の誕生 ― シカゴ学派から都市性論まで
都市コミュニティ論 ― 都市は人々を孤立させるのか
都市政治経済学の誕生 ― 都市は誰によってつくられるのか
成長機械論 ― なぜ都市は成長を追求するのか
都市レジーム論都市は誰によって統治されるのか
本記事はこれらを踏まえ、
都市の成長」

都市の統治」

都市再開発

「排除」

都市正義
という理論的流れを示すことを目的とする。

タイトル
ジェントリフィケーション都市正義
都市再生は誰のためのものか

記事の目的
本記事では以下を明らかにすること。
ジェントリフィケーションとは何か
なぜジェントリフィケーションが起こるのか
誰が利益を得て誰が負担を負うのか
都市正義論はどのように登場したのか
公正な都市とは何か
単なる概念解説ではなく、
ジェントリフィケーション研究が都市正義論へ発展した」
という理論史を描くこと。

文字数
10,000〜15,000字程度

文体
学術的
しかし一般読者にも理解できる
大学院レベルの内容
断定しすぎない
理論史を重視する
学者間の対立や論争も紹介する

必須構成
1. はじめに
都市再生の魅力
古い街並みの再生
カフェや文化施設の増加
都市イメージの向上
一方で
家賃上昇
立ち退き
地域文化の変容
が生じることを示す。
そして
都市再生は誰のためのものなのか」
という問いを提示する。

2. ジェントリフィケーションとは何か
Ruth Glass
必ず紹介すること。
1964年のロンドン研究を説明。
概念誕生の経緯を説明する。
重要ポイント
中産階級流入
住宅改修
地価上昇
労働者階級の流出

3. なぜジェントリフィケーションは起こるのか
Neil Smith
供給側説明
必須概念
Rent Gap Theory
Uneven Development
特にRent Gapを丁寧に説明すること。

David Ley
需要側説明
必須概念
New Middle Class
Consumption
Lifestyle
なぜ都心居住が再評価されたのか説明すること。

SmithとLeyの比較
比較表を作成すること。

観点
Smith
Ley
主体
資本
新中間階級
要因
投資
文化
理論背景
マルクス主義
ポスト産業社会論

4. 国家主導型ジェントリフィケーション
1990年代以降の展開を説明。
必須研究者
Neil Smith
Tom Slater
Loretta Lees
Jason Hackworth
Elvin Wyly
必須概念
Generalized Gentrification
Urban Renaissance
Entrepreneurial City
ここで前回までの連載との接続を行う。

5. 成長機械論都市レジーム論との接続
前回記事との理論的連続性を説明。
必ず以下を扱うこと。
Molotch
Growth Machine
Logan & Molotch
Growth Coalition
Clarence Stone
Urban Regime
論点
都市成長を求める連合

統治連合

再開発

ジェントリフィケーション
という流れを説明すること。
ただし、
成長機械論都市レジーム論だけでジェントリフィケーションを完全に説明できるわけではない」
という留保も入れること。

6. 排除の政治学
本記事の中心部分。
必須概念
Displacement
Exclusionary Displacement
Cultural Displacement
必須研究者
Peter Marcuse
Tom Slater
Newman & Wyly
論点
都市再生による利益だけでなく、
誰が排除されるのか
を説明すること。

7. 都市への権利
ここから都市正義論へ移行する。
Henri Lefebvre
必ず紹介すること。
必須概念
Right to the City
単なる居住権ではなく、
都市空間の形成に参加する権利
として説明すること。

David Harvey
Lefebvreを継承した議論を説明。
資本主義都市批判との関係も説明すること。

8. 空間的正義
Edward Soja
必須。
必須概念
Spatial Justice
論点
不平等は社会的であるだけでなく空間的でもある。
を説明すること。

9. Just City論
Susan Fainstein
必須。
必須概念
Equity
Democracy
Diversity
を説明すること。
なぜFainsteinが「Just City」を提唱したのか説明すること。

10. 日本の都市再開発をどう考えるか
必ず慎重に書くこと。
重要
日本の具体例を断定的に
ジェントリフィケーションである」
と書かないこと。
代わりに
ジェントリフィケーション研究や都市正義論の視点から解釈できる」
という表現を用いること。
例として
六本木
虎ノ門
豊洲
渋谷
などを扱ってよい。

11. ジェントリフィケーション批判への批判
賛否両論を扱うこと。
肯定的評価
都市再生
治安改善
税収増加
空き家活用
批判的評価
排除
格差
文化の喪失
どちらか一方に偏らないこと。

12. 結論
以下を整理すること。
Glassによる概念提起
SmithとLeyによる理論化
国家主導型への発展
排除の研究
Lefebvre・Harvey・Soja・Fainsteinによる都市正義
公正な都市とは何か

必須学者一覧
Ruth Glass
Neil Smith
David Ley
Peter Marcuse
Tom Slater
Jason Hackworth
Loretta Lees
Elvin Wyly
Henri Lefebvre
David Harvey
Edward Soja
Susan Fainstein
Harvey Molotch
John Logan
Clarence Stone

執筆上の注意
理論史を重視すること
学者同士の違いを明確にすること
Growth Machine → Urban Regime → Gentrification → Urban Justice の流れを示すこと
日本事例は解釈可能性として扱うこと
イデオロギー的主張ではなく学術的説明を行うこと
都市計画・再開発・交通政策との関係にも適宜触れること
最後に次回記事への橋渡しを書くこと

次回予告
次回は
「社会ネットワーク論 ― コミュニティからネットワーク社会へ」
を扱う。
Wellman、Granovetter、Castellsを中心に、
都市社会学がどのようにネットワーク社会論へ発展したのかを予告すること。
このプロンプトなら、単なる「ジェントリフィケーション解説」ではなく、これまでの連載の流れを受けた 「都市成長・統治・排除・正義」 を貫く理論史としてまとまった記事になるはずです。