レギュラトリーサイエンス(RS)と科学技術社会論(STS)は、どちらも科学から社会への一方通行の説明を否定し、対話を求める。ただしRSは「リスク分析」の制度に組み込まれた実務要請として、STSは「欠如モデル」批判という理論から出発した。皮肉にも、STS自身がその後「教育啓蒙型」に回帰していたと自己検証で指摘されている。

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1. 前提:なぜコミュニケーションが中心課題になるのか

レギュラトリーサイエンス(RS)は、PMDA(医薬品医療機器総合機構)の定義では「科学技術の成果を人と社会に役立てることを目的に、根拠に基づく的確な予測、評価、判断を行い、科学技術の成果を人と社会との調和の上で最も望ましい姿に調整するための科学」とされます[1]。農林水産省はより簡潔に「科学的知見と、規制などの行政施策・措置との間を橋渡しする科学」と定義しています[3]。つまりRSは、科学的知見をそのまま政策に落とし込むのではなく、「人と社会との調和」を図る調整作業そのものを科学の一部として位置付けています。この「調整」が成立するためには、専門家と社会の間の情報のやりとり、すなわちコミュニケーションが不可欠になります。時事用語辞典の解説はこの点をさらに踏み込んで、RSでは「結論の科学的妥当性には不確実性が避けられない」ため、「結論に至る手続きの社会的正統性が求められる」と指摘しています[2]。つまりRSにおいてコミュニケーションは、科学的結論を分かりやすく伝える広報活動ではなく、不確実な結論を社会が受け入れるための手続き上の正統性を担保する仕組みとして要求されているのです。

STS(科学技術社会論)は、この「科学と社会のインターフェイスに発生する問題」を人文・社会科学の方法で探求する学際領域であり、その主要な論点の一つが「リスク・コミュニケーションにおける公衆のリスク認知と市民参加」です[7][8]。RSが政策決定という実務の内側からコミュニケーションを要請するのに対し、STSは科学と社会の関係そのものを批判的に分析する立場からコミュニケーションのあり方を問い直す、という違いがあります。以下、それぞれを具体的に見ていきます。

2. RSにおけるコミュニケーション:「リスク分析」の一部としてのリスクコミュニケーション

2.1 リスク分析の三本柱

日本学術会議の2010年提言は、レギュラトリーサイエンスを「リスク分析法の科学的な背景としての科学」と位置付けています[6]。国際的な「リスク分析(Risk Analysis)」の枠組みは、リスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーションの3要素から構成されるとされ、日本では2003年の食品安全基本法制定によりこの枠組みが正式に導入されました(リスク評価は内閣府食品安全委員会、リスク管理は厚生労働省・農林水産省等の行政が担当)[6]。つまりRSの枠組みでは、コミュニケーションはリスク評価・リスク管理と並ぶ独立した第三の柱として制度上位置付けられており、後から付け加える広報活動ではありません。

2.2 「一方向」から「双方向」への転換

環境省の資料は、米国におけるリスクコミュニケーション概念の変遷を、①技術的なリスクメッセージ提供の段階(1975〜1984年)から、より双方向的な意見交換プロセスへと発展したものとして整理しています[13]。全米研究評議会(NRC)の定義は、リスクコミュニケーションを「コミュニケーションの内容や手法ではなく、プロセスそのもの」として捉えている点に特徴があるとされ、OECDの文書でも「信頼」と「相互情報交換プロセス」の重要性が強調されています[13]。日本学術会議2010年提言も、「リスクコミュニケーションは専門家や専門機関から市民への一方向的なリスク情報の伝達ではなく、市民からも専門機関などへ意見や問題提起といった形で情報を伝達する双方向のコミュニケーション、すなわち対話でなければならない」と明記し、これは医療分野のインフォームドコンセントの考え方を含むものだとしています[6]。同提言はさらに端的に「信頼を得るための対話がリスクコミュニケーションである」とも述べています[6]。

2.3 「合意」ではなく「共感」を目指す

文部科学省・安全安心科学技術及び社会連携委員会の2014年報告書「リスクコミュニケーションの推進方策」は、実務上さらに踏み込んだ立場を示しています。そこでは、リスクコミュニケーションを「ステークホルダー間の異なる意見や価値観の画一化を図り、一つの結論を導き出すことを可能にする手段と考えることは適当ではない」と明言し、代わりに「ステークホルダーが広く互いの立場や見解を理解し合った上で、それぞれの行動変容に結びつけることのできる『共感を生むコミュニケーション』の場となることを目指すべき」としています[14]。つまりRSにおけるコミュニケーションの目標は、専門家と市民の意見を一致させることではなく、互いの立場の違いを理解した上でそれぞれが納得して行動できる状態を作ることです。

2.4 未解決の課題:メディアの位置づけ

日本学術会議の2017年報告「環境政策における意思決定のためのレギュラトリーサイエンスのありかたについて」は、「持続可能な社会構築のためのリスクコミュニケーション」という章を設け、政策の立案・決定においては社会の成員が持つ多様な価値観・事情に配慮した双方向的な情報・意見のやりとりが必要だとしつつ、「従来の環境リスクをめぐるリスクコミュニケーションの枠組みにおいては、マスメディアやソーシャルメディアは明確には位置づけられていない」という限界を指摘しています[35][40]。これは、RSが理念としては双方向対話を掲げながらも、実際のメディア環境の変化に制度設計が追いついていないという、RS自身が認める未解決の課題です。

3. STSにおけるコミュニケーション:欠如モデル批判と参加型科学コミュニケーション

3.1 欠如モデル(Deficit Model)とその批判

STSにおける科学コミュニケーション論は、知識を持たない市民に科学者が一方的に知識を教え込むという「欠如モデル」的な発想への批判を出発点としています。日本では、この「教育啓蒙型」と呼ばれる科学コミュニケーションのスタイルの問題が2000年代後半に指摘されるようになりました(小林2007、中村ら)[22]。東京大学の科学技術コミュニケーション部門も、科学(技術)コミュニケーションの目的の一つを「科学者に対する信頼を醸成すること」と位置付け、その背景として東日本大震災と原発事故の際に科学者への信頼がしばしば失われてきたことを挙げています[24]。

3.2 参加型科学コミュニケーションの諸形態

STSの立場からは、欠如モデルに代わる参加型の科学コミュニケーション手法として、以下のような具体的な制度・手法が提案・実践されてきました(東京大学出版会『科学技術社会論の挑戦2』第1章の整理による)[25]。

  • コンセンサス会議:市民パネルが専門家から情報提供を受けた上で討議し、政策的な見解をまとめる手法
  • 世界市民会議(World Wide Views):世界各地で同時に市民討議を行い、地球規模の課題について市民の意見を集約する手法
  • 討論型世論調査Deliberative Polling, DP:無作為抽出した市民が討議の前後で意見がどう変化するかを調べる調査手法
  • サイエンスカフェ:科学者と市民が対話形式で科学の話題について語り合う場

同書は、これら参加型コミュニケーションにも課題があるとして、政策との接続の弱さ、情報提供資料の作り方、討論型世論調査の設計上の限界、そして「欠如モデル」概念そのものの再検討の必要性を挙げています[25]。

3.3 日本のSTS自身への自己批判:教育啓蒙型への「逆行」

ここがSTSの科学コミュニケーション論で特に重要な点です。東日本大震災後、STS研究者自身の間で「STS研究の成果が果たして現実の社会において実効性を持ちえたのか」という自己反省が行われました[22]。その分析によれば、日本の科学技術社会論学会(STS学会)の研究発表動向を見ると、2000年代前半にはコンセンサス会議など「政策決定過程」に市民の意思を反映させるための双方向的コミュニケーションへの関心が高かった一方、時代が下るにつれて、専門家が市民に「講義」して科学技術的内容を「説明」する、欠如モデル的な「教育啓蒙型」の科学コミュニケーション実践へと関心が移っていったことが、対応分析によって示されています[22]。これは、欠如モデルを批判する立場から出発したはずのSTSにおける科学コミュニケーション論自体が、実践の場面では欠如モデル的なスタイルに回帰していったという、皮肉な経緯を指摘するものです。

3.4 専門知の政治性という視点

STSはさらに、コミュニケーションを「伝え方」の技術論として捉えるのではなく、「専門知の政治性と民主主義」という、より根本的な問いとして捉える立場も含みます。福島第一原発事故後のSTS研究では、科学技術は普遍的・中立的・客観的なものとして語られがちだが、実際には社会的価値観に左右されるものであり、不確実性の多いデータが公式声明における「確定した科学的知見」として固定されていくプロセス自体が分析対象になるとされています[23]。この立場では、コミュニケーションの適切さは「分かりやすく伝えられたか」ではなく、「誰の専門知が、どのような手続きを経て、公式の見解として採用されたか」という民主主義的正統性の問題として問われます。

4. RSとSTSの対比

観点 RS(レギュラトリーサイエンス) STS(科学技術社会論)
立場 政策決定・規制行政の内側から、科学的知見を社会実装するための実務科学[1][3] 科学と社会の関係を人文・社会科学の方法で批判的に分析する学際領域[7][8]
コミュニケーションの位置づけ リスク評価・リスク管理と並ぶリスク分析の三本柱の一つ[6] 欠如モデルへの批判から出発した、参加型民主主義の実践課題[22][25]
目標とされるもの 意見の画一化ではなく「共感を生むコミュニケーション」、行動変容につながる相互理解[14] 市民参加を通じた政策決定過程への関与、専門知の民主的正統性[23][25]
到達点・自己評価 双方向対話を理念とするが、メディア環境の変化への対応は未整備という課題を自認[35][40] 欠如モデル批判から出発しながら、実践では教育啓蒙型に回帰したという自己批判あり[22]
3.11の位置づけ リスクコミュニケーション推進方策の見直しの契機(文科省2014報告書の背景)[14] 科学者への信頼喪失と、STS自身の社会的実効性への疑問の契機[22][24]

5. まとめ

RS・STSはいずれも、科学と社会のコミュニケーションを「専門家から市民への情報伝達」として捉えることを明確に否定し、双方向の対話・相互理解のプロセスとして位置付けている点で一致しています。ただし、RSはこれをリスク分析という制度設計の一部として要請する立場(コミュニケーションが欠ければリスク分析そのものが不完全になる)であるのに対し、STS欠如モデルという特定のコミュニケーション観を批判する理論的立場として展開してきました。興味深いのは、STSがまさにその批判的立場ゆえに、自らの実践(科学コミュニケーション活動)が欠如モデル的なスタイルに回帰していないかを、学会発表の動向分析という形で自己検証している点です[22]。RS側の文書には、こうした自己批判的な検証は今回確認した範囲では見当たらず、むしろメディア環境への対応という技術的・制度的な未整備を課題として挙げるにとどまっています[35]。

参考文献

[1] 独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA).レギュラトリーサイエンスについて.https://www.pmda.go.jp/rs-std-jp/outline/0001.html

[2] レギュラトリーサイエンス(統治科学/規制科学).imidas時事用語事典.https://imidas.jp/genre/detail/K-126-0009.html

[3] 農林水産省.レギュラトリーサイエンスとは.https://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/regulatory_science/rs_keikaku.html

[6] 日本学術会議日本の展望委員会.提言「リスクに対応できる社会を目指して」.平成22年(2010年)4月5日.https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-tsoukai-10.pdf

[7] 科学技術社会論.Wikipedia.https://ja.wikipedia.org/wiki/科学技術社会論

[8] 科学技術社会論とは何か.UTokyo BiblioPlaza.https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/F_00148.html

[13] 環境省.リスクコミュニケーション(第1章 基礎概念).https://www.env.go.jp/chemi/communication/h12jirei/chapter1.pdf

[14] 文部科学省 安全・安心科学技術及び社会連携委員会.リスクコミュニケーションの推進方策.平成26年(2014年)3月27日.https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/064/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2014/04/25/1347292_1.pdf

[22] STS研究者による東日本大震災後の自己検証論文(対応分析による日本のSTS学会の科学コミュニケーション化の傾向分析).J-STAGE.https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnlsts/15/0/15_92/_pdf/-char/ja

[23] 佐藤氏講演資料.「専門知の政治性と民主主義―科学技術社会論(STS)の視点から」.2023年2月.https://prj-matsuoka311.w.waseda.jp/material/1Fstudy_22th_sato.pdf

[24] 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属教養教育高度化機構 科学技術コミュニケーション部門.「科学技術コミュニケーションのモデル」内田麻理香先生.https://scicom.c.u-tokyo.ac.jp/activity/415

[25] 藤垣裕子編.『科学技術社会論の挑戦2 科学技術と社会』第1章「科学コミュニケーション」(杉山滋郎).東京大学出版会.https://www.utp.or.jp/book/b510446.html

[35][40] 日本学術会議.報告「環境政策における意思決定のためのレギュラトリーサイエンスのありかたについて」.平成29年(2017年)9月27日.https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-h170927-2.pdf

このままファイルとして保存することもできますが、いかがしましょうか。

【RS03】年表・用語集・SNSリード文

年表

今回のレポートで確認できた一次資料に基づく年表です。事項数は本文の裏付け範囲にとどめており、埋め合わせのための年代の水増しはしていません。

事項
1975〜1984年 米国でリスクコミュニケーション概念が「技術的なリスクメッセージの一方的提供」の段階として始まる
2003年 日本で食品安全基本法制定。リスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーションから成る「リスク分析」の枠組みが正式導入され、内閣府食品安全委員会が設置される
2007年 欠如モデルに基づく「教育啓蒙型」科学コミュニケーションの問題が、日本の科学コミュニケーション論の中で指摘され始める(小林2007等)
2010年4月5日 日本学術会議「リスクに対応できる社会を目指して」提言。リスクコミュニケーションを「信頼を得るための対話」と定義
2011年 東日本大震災・福島第一原発事故。科学者への信頼喪失が顕在化し、STS自身の社会的実効性への自己反省が始まる契機となる
2014年3月27日 文部科学省 安全・安心科学技術及び社会連携委員会「リスクコミュニケーションの推進方策」公表。「意見の画一化」ではなく「共感を生むコミュニケーション」を目指すべきと明示
2017年9月27日 日本学術会議「環境政策における意思決定のためのレギュラトリーサイエンスのありかたについて」公表。マスメディア・ソーシャルメディアの位置づけが従来の枠組みに欠けていることを指摘

用語集

用語 説明
レギュラトリーサイエンス(RS) 科学技術の成果を人と社会に役立てるため、根拠に基づく予測・評価・判断を行い、科学技術の成果を人と社会との調和の上で調整するための科学。政策決定・規制行政の内側から実務的に運用される[1]
科学技術社会論(STS 科学・技術と社会のインターフェイスに生じる問題を、哲学・社会学・歴史学・倫理学・政治学等の人文・社会科学の方法で探求する学際領域[7][8]
リスク分析 リスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーションの3要素から成る国際的な政策枠組み。食品安全基本法(2003年)で日本にも正式導入された[6]
リスクコミュニケーション 関係者間でリスクに関する情報・意見を相互に交換するプロセス。専門家から市民への一方向的伝達ではなく、双方向の対話として定義される[6][13]
欠如モデル(Deficit Model) 知識を持たない市民に科学者が知識を教え込むことで説得しようとする、一方向的な科学コミュニケーション観。STSにおいて批判の出発点となった[22]
教育啓蒙型科学コミュニケーション 日本において欠如モデル的発想に基づき広まった、市民に「講義」して科学技術内容を「説明」する実践スタイル。2000年代後半に問題視された[22]
双方向モデル/対話 専門家と市民が情報・意見を相互に交換し、行動変容につなげることを目指すコミュニケーションのあり方。医療分野のインフォームドコンセントの考え方を含む[6]
コンセンサス会議 市民パネルが専門家から情報提供を受けた上で討議し、政策的見解をまとめる参加型科学コミュニケーション手法[25]
討論型世論調査DP 無作為抽出した市民が討議の前後で意見がどう変化するかを調べる調査手法[25]
世界市民会議(World Wide Views) 世界各地で同時に市民討議を行い、地球規模の課題について市民の意見を集約する手法[25]
サイエンスカフェ 科学者と市民が対話形式で科学の話題について語り合う場[25]
インフォームドコンセント 医療分野で提起された、十分な説明と相互理解に基づく同意の考え方。リスクコミュニケーションの双方向性の議論に援用される[6]