平和・紛争研究という学問分野を、事実上、創始した人物が、なぜ、ニュースの選ばれ方を、研究したのか。1963年、コンゴ・キューバ・キプロスという3つの危機を、4つのノルウェー新聞で比較した、この理論の生みの親、ガルトゥングとルーゲは、いずれも、ごく最近、世を去っていました。HMシリーズ第二回です。
※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります
はじめに
HM01では野村浩志氏による、す・し・は・ど・こ・さの法則を確認した。本稿はその第二回として、この法則と対応関係を持つニュースバリュー理論を検討する。この理論は驚くべきことに、マーケティングや広報のために生まれたのではない。平和研究という全く異なる学問的文脈から生まれたのである。提唱者ヨハン・ガルトゥングという人物の生涯もあわせてたどりながら、理論がどのようにして成立したのかを、具体的に確認していく。
1920年代、ウォルター・リップマンによる先駆
ニュースの価値をめぐる問題意識そのものは、ガルトゥングとルーゲよりはるか以前から存在していた。1920年代、米国のジャーナリスト、ウォルター・リップマンは既にこの問題を論じていた[1]。リップマンは、報道機関が限られた紙面の中で、何を伝え何を伝えないのかという選択そのものが、人々の世界認識を大きく左右することに、早くから注目していた人物である。しかし、この問題意識が国際的な広がりを持つ体系だった理論として確立されるのは、それから40年以上後の1965年のことであった。ガルトゥングとルーゲが、ニュース因子の一覧を作成しこれを実証的に検証したことによって、初めてこの問題意識は検証可能な学術理論へと姿を変えたのである[1]。すなわちガルトゥングとルーゲの功績は、問題意識そのものを発見したことにあるのではない。むしろ、これを体系的な因子のリストとして整理し、実際のデータによって裏付けたという、方法論上の貢献にこそある。
ヨハン・ガルトゥングという人物
生涯の概要
ヨハン・ヴィンセント・ガルトゥングは1930年10月24日、ノルウェーのオスロに生まれた[2]。オスロ大学で教育を受けた後、コロンビア大学、オスロ大学、そして自ら設立したオスロ国際平和研究所において研究者としてのキャリアを重ねていった[2]。ガルトゥングは今日、平和・紛争研究という学問分野の事実上の創始者として広く知られている[2]。この分野への長年の貢献が認められ、1987年にはライト・ライブリフッド賞を受賞した。この賞は、しばしば「もう一つのノーベル賞」とも呼ばれる国際的に権威のある賞である[2]。ガルトゥングは2024年2月17日、93歳でその生涯を閉じた[2]。
1959年、オスロ国際平和研究所の設立
ガルトゥングは1959年、ノルウェーの研究者グループを率いてオスロ国際平和研究所を設立した[3]。この研究所は今日、通称PRIOとして広く知られ、約100人の職員を抱える平和・紛争研究の専門機関へと成長している[3]。ガルトゥングは1959年から1969年までの10年間、この研究所の初代所長を務めた。その後任はアスビョルン・エイデに引き継がれている[2]。ガルトゥング自身が創刊した学術誌『ジャーナル・オブ・ピース・リサーチ』も、この研究所から発行されており、後にニュースバリュー理論の論文が発表される、まさにその舞台となる[3]。
共同研究者、マリ・ホルムボー・ルーゲ
ガルトゥングとともにニュースバリュー理論を打ち立てたのが、マリ・ホルムボー・ルーゲである。ルーゲは1934年7月20日に生まれた[4]。本稿の執筆にあたりあらためて確認したところ、ルーゲは2025年11月7日、オスロにおいてその生涯を終えている[4]。ガルトゥングが2024年に、そしてルーゲが2025年にそれぞれ世を去ったことになる。今日、当然のように引用される、この理論を生み出した二人の研究者は、いずれもごく最近になってその生涯を終えたばかりなのである。
なぜ、平和研究者が、報道のされ方に、関心を持ったのか
1963年1月、最初の発表
ガルトゥングとルーゲは1963年1月、オスロで開催された第一回北欧平和研究会議において、ニュースバリューに関する最初の研究成果を発表した[5]。この研究が扱ったのは、海外の出来事がどのようにして外国のニュースになる、あるいはならないのかという問題であった[5]。平和研究者がなぜこのような問題に関心を持ったのか。それは、国際紛争が国民にどう伝えられるかが、世論の形成、ひいては国家間の緊張や和解に大きな影響を与えると考えられたからである。
研究の、具体的な対象
ガルトゥングとルーゲは、この問いを検討するにあたり3つの具体的な国際紛争を事例として選んだ。1960年7月のコンゴ危機、同じく1960年7月のキューバ危機、そして1964年3月から4月にかけてのキプロス危機である[6]。これら3つの危機が4つのノルウェーの新聞において、それぞれどのように報道されたかを比較分析するという、具体的な研究設計であった[6]。ノルウェーの新聞をあえて研究対象に選んだことには理由がある。ガルトゥングとルーゲ自身がノルウェー国内の研究者であったこと、そして比較的小規模な国の報道機関が遠く離れた国際紛争をどう取捨選択して伝えるか、という問いが平和研究の観点から重要な意味を持っていたことが、その背景にあると考えられる。
先行研究との関係
この研究は、まったくの独創から生まれたわけではない。エスタゴードによる先行論文「ニュースの流れに影響を与える要因」で示された推論の方向性を、一定程度踏まえている。ただしガルトゥングとルーゲは、この先行研究とはやや異なる形で独自に議論を展開していった[7]。
1965年、論文の発表
ガルトゥングとルーゲは1965年、これらの研究成果を論文「外国ニュースの構造、コンゴ、キューバ、及びキプロス危機の、4つのノルウェー新聞における提示」として正式に発表した[8]。掲載先は、ガルトゥング自身が創刊した『ジャーナル・オブ・ピース・リサーチ』誌の第2巻第1号であった。ページ数にして64ページから91ページにわたる、比較的長い論文であった[8]。
3つの基本仮説
この論文は、後述する12の因子を提示した上で、次の3つの基本仮説をあわせて示している[9]。第一に、加法仮説。ある出来事が満たす因子の数が多いほど、その出来事がニュースになる確率は高まるという仮説である。第二に、相補仮説。複数の因子は互いに排他的に働く傾向があり、一つの因子が強く現れていれば他の因子が必ずしも同時に現れる必要はない、という関係を示す仮説である。第三に、排除仮説。ほとんど、あるいは全く因子を満たさない出来事はニュースにならない、という、いわば当然のようでいて重要な仮説である。
実証分析という、方法論
この理論の重要な点は、単なる思弁にとどまらなかったことにある。実際のデータによって、丁寧に検証されたのである。先述の3つの危機に関する4つのノルウェー新聞の報道を実際に分析した結果、データの大部分は理論、及びそこから導かれた仮説と一致することが確認された[9]。論文は、さらに一歩進んでこの理論から十数個の追加的な仮説を導出している。それらの社会的な含意を議論した上で、いくつかの暫定的な政策的含意もあわせて示している[9]。
後年の、ガルトゥング自身による、率直な反省
ここで、興味深い事実がある。ガルトゥングは後年、自らの研究の受容のされ方について、率直な反省を述べている。すなわち自らの研究が、メディア関係者によって誤って解釈され、報道があまりにも否定的、扇情的、そして対立的になってしまった、というのである[10]。ガルトゥング自身は、この理論をあくまで報道の選ばれ方を分析するための記述的な枠組みとして提示したのであった。否定的な報道や扇情的な演出を積極的に推奨する意図はなかったのである。しかし理論が学術の世界を離れ、実務の世界に広まっていく過程で、当初の意図とは異なる形で活用されてきた側面がある。これは、理論の受容という点で、極めて興味深い経緯だといえる。
理論の、その後の広がり
ガルトゥングとルーゲの論文は、その後、数え切れないほど多くの実証的な研究を生み出す出発点となった[11]。1965年の発表から60年以上を経た今日でも、この理論はジャーナリズム研究における最も広く引用される古典の一つであり続けている。後続の研究者たちは、この理論を様々な国、様々な時代の報道内容にあてはめて検証を重ねてきた[11]。次稿HM03で詳しく扱う、2001年のハーカップ&オニールによる更新も、こうした長い研究の蓄積の一つの到達点である。
既刊シリーズとの接続
本稿で確認した平和研究という学問的な出自は、既刊H07で扱ったコトラー&レヴィによる、マーケティング概念の拡張という論点とも間接的に関連する。マーケティングという実務的な分野が経済学の枠を超えて、社会学、及び政治学といった隣接分野の理論を柔軟に取り込んできた。これと同様に、メディアリレーションズという実務分野も、平和研究という一見無関係に見える学問領域から生まれた理論を、後年活用するに至っている。学問領域を越えた理論の移動という現象は、本シリーズ全体を貫く重要な論点になりうる。
おわりに
本稿は、ニュースバリュー理論の提唱者、ヨハン・ガルトゥングの生涯、及び共同研究者マリ・ホルムボー・ルーゲの存在をあらためて確認した。1959年のオスロ国際平和研究所の設立、1963年1月の最初の発表を経て、1965年に正式な論文として発表されるに至った経緯も検討した。この理論が、コンゴ、キューバ、キプロスという3つの国際紛争の報道分析から生まれた、平和研究の産物であったことを確認した。加法仮説、相補仮説、排除仮説という3つの基本仮説、そして後年ガルトゥング自身が示した率直な反省もあわせて確認した。次稿HM03では、この理論が示す12の具体的な因子の中身を詳しく検討する。
主要先行研究
年表
- 1920年代 リップマン、ニュースの価値という問題意識を、先駆的に提示
- 1930年10月24日 ガルトゥング、オスロに生まれる
- 1934年7月20日 ルーゲ、生まれる
- 1959年 ガルトゥング、オスロ国際平和研究所を設立
- 1960年7月 コンゴ危機、キューバ危機
- 1963年1月 第一回北欧平和研究会議で最初の発表
- 1964年3月から4月 キプロス危機
- 1965年 「外国ニュースの構造」論文発表
- 1987年 ガルトゥング、ライト・ライブリフッド賞受賞
- 2024年2月17日 ガルトゥング、死去
- 2025年11月7日 ルーゲ、死去
参考資料一覧
- 「The Structure of Foreign News: von Johan Galtung und Mari Holmboe Ruge」ResearchGate。https://www.researchgate.net/publication/364602946_The_Structure_of_Foreign_News_von_Johan_Galtung_und_Mari_Holmboe_Ruge_1965。1920年代のリップマンによる先駆、1965年の理論の国際的な確立について。
- 「Johan Galtung」英語版ウィキペディア。https://en.wikipedia.org/wiki/Johan_Galtung。ガルトゥングの生年月日、経歴、平和・紛争研究の創始者としての位置づけ、賞の受賞、死去について。
- 「Peace Research Institute Oslo」英語版ウィキペディア。https://en.wikipedia.org/wiki/Peace_Research_Institute_Oslo。1959年の設立、機関誌創刊について。
- 「The Structure of Foreign News」PRIO。https://www.prio.org/publications/2056。ルーゲの生年月日、及び死去について。
- 「Galtung and Ruge’s shortcomings」Owen Spencer-Thomas。https://owenspencer-thomas.com/journalism/newsvalues/galtung-and-ruges-shortcomings/。1963年1月の第一回北欧平和研究会議での発表について。
- 「News values」英語版ウィキペディア。https://en.wikipedia.org/wiki/News_values。コンゴ、キューバ、キプロス危機という研究対象について。
- 「The Structure of Foreign News」uzh.ch。https://ikmz.pages.uzh.ch/meth-aufbau/files/GaltungRuge1965.pdf。エスタゴードの先行研究との関係について。
- Galtung, J., & Ruge, M. H. (1965). The Structure of Foreign News. Journal of Peace Research, 2(1), 64-91.
- 「The Structure of Foreign News」SAGE Journals。https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/002234336500200104。3つの基本仮説、実証分析の結果、追加仮説の導出について。
- 「News values」英語版ウィキペディア。ガルトゥング自身による、後年の反省について。
- 「The Structure of Foreign News: von Johan Galtung und Mari Holmboe Ruge」ResearchGate。理論のその後の広がり、数多くの実証研究について。
用語集
- PRIO, Peace Research Institute Oslo, オスロ国際平和研究所, —: 1959年、ガルトゥングが設立した、平和・紛争研究の専門機関。
- 加法仮説, Additivity Hypothesis, —, —: 出来事が満たすニュースバリューの因子数が多いほど、ニュースになる確率が高まるとする仮説。
- 相補仮説, Complementarity Hypothesis, —, —: 複数の因子は互いに排他的に働く傾向があるとする仮説。
- 排除仮説, Exclusion Hypothesis, —, —: 因子をほとんど満たさない出来事は、ニュースにならないとする仮説。
Claudeログ
HM02の、粒度を、大幅に引き上げるため、さらに、詳しい背景を確認する。特に、研究対象となった、具体的な新聞名、そして、ガルトゥングという学者の、より広い学問的意義について、調査する。大変、貴重な、追加情報が、見つかった。ガルトゥングが、**「平和・紛争研究という学問分野の、事実上の創始者」**と、evaluatedされる、大きな存在であったこと、2024年2月に、93歳で死去していたこと、そして、共著者ルーゲ氏も、2025年11月という、ごく最近、逝去されていたこと——これらを含め、HM02を、大幅に、書き直す。整合性を確認する。読点数を、圧縮する。ほぼ、全体にわたって、圧縮が必要である。全文を、書き直す。最終確認を行う。HM02を確認できた(読点数1.28/文)。HM02を、大幅に、拡充した。
追加した、主な内容
ヨハン・ガルトゥングという、人物の生涯(本稿最大の追加)
- 1930年10月24日、オスロ生まれ。平和・紛争研究という、学問分野の、事実上の創始者という、極めて大きな、学問的位置づけ
- 1987年、ライト・ライブリフッド賞(もう一つのノーベル賞)受賞
- 2024年2月17日、93歳で死去という、比較的、最近の出来事
共同研究者、マリ・ホルムボー・ルーゲという、もう一人の、重要人物
- 1934年7月20日、生まれ
- 2025年11月7日、オスロで死去——調査の過程で判明した、極めて最近の出来事。ガルトゥング(2024年)、ルーゲ(2025年)と、理論を生み出した、二人が、いずれも、ごく最近、世を去っていたという、印象的な事実
1920年代、ウォルター・リップマンによる、先駆
- ニュースの価値という、問題意識そのものは、ガルトゥング&ルーゲより、40年以上、前から存在していたこと。二人の、真の功績が「体系的な因子のリスト化」と「実証的な検証」にあったことを、明確化
論文の、正確な書誌情報:『ジャーナル・オブ・ピース・リサーチ』誌、第2巻第1号、64ページから91ページ
引用[1]〜[11]、句読点1.28/文、全HTMLタグの対応を確認済み。総文字数は、約4,800字。
このHM02の、深度で、HM03(12因子の詳細)以降も、続けて、書き直していきたいが、進めてよいか、確認したい。








