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目次
はじめに
AF01では、本フレームが依拠する存在論的な立場として、批判的実在論と、その枠内でアーチャーが提示した分析的二元論・形態生成サイクルを導入した。しかしAF01の記述は、実務ツール路線への転換を優先したため、これらの理論そのものの内実には深く立ち入らなかった。
本稿の目的は、この二理論を、定義、理論形成の歴史、主要な先行研究、具体的な事例研究という観点から掘り下げ、AF01が依拠する存在論的立場の理論的な基礎づけを補完することである。
批判的実在論
定義
批判的実在論とは、実在を、実在の層(real domain:物事を生じさせる構造・力・傾向性が存在する層)、現実態の層(actual domain:その力が実際に発動し出来事として生じる層)、経験の層(empirical domain:その出来事のうち人間が観察・経験する層)という三層構造として捉える哲学的立場である。批判的実在論は、経験されたものだけを実在とみなす経験主義(empiricism)と、実在をそのまま人間の認識と同一視する素朴な観念論のいずれとも異なり、実在は人間の認識から独立して存在し、かつその全体が経験によって汲み尽くされることはないという立場を取る。
理論形成の歴史
批判的実在論を確立したのは、哲学者ロイ・バスカーである。バスカーは1975年の著書『科学の実在論的理論』において、自然科学が対象とする実在が、実験によって人為的に切り出された条件のもとでのみ規則的に観察される、閉じた系(closed system)を前提としていることを指摘し、この閉じた系を可能にする、実験対象から独立した生成的な力(generative mechanism)の存在を前提としなければ、科学的説明そのものが成り立たないことを論じた[1]。この議論は、実在を認識から独立したものとして扱う「超越論的実在論(transcendental realism)」として定式化された。
バスカーは1979年の著書『自然主義の可能性』において、この実在論を社会科学に拡張し、「批判的自然主義(critical naturalism)」という立場を提示した[2]。バスカーは、社会的な対象が自然科学の対象とは異なり、人間の活動から独立には存在しえない(構造は行為者の再生産・変容を通じてのみ存在し続ける)という点を認めつつも、それでもなお、社会構造が個々の行為者の認識には還元できない、独自の実在性を持つことを論じた。
批判的実在論は、その後、社会科学の実際の研究方法論へと応用されていく。地理学者アンドリュー・セイヤーは、著書『社会科学の方法』において、批判的実在論の存在論を、具体的な社会科学研究の設計・実施にどう活かすかを体系的に論じた[3]。社会学者のベルト・ダーナーマルクらは、2002年の著書『社会を説明する』において、批判的実在論を、諸理論を単一体系に統合するのではなく、それぞれの理論がどの層・種類のメカニズムを扱っているかを整理する「地ならし(under-labouring)」として位置づけ、批判的実在論の実践的な機能を明確化した[4]。
経済学の分野では、経済学者トニー・ローソンが、著書『経済学と実在』において、主流派経済学が、閉じた系を前提とする数理モデルに過度に依存していることを批判的実在論の立場から批判し、経済現象の説明において、開かれた系(open system)における生成メカニズムの分析を重視すべきことを論じた[5]。
主要な先行研究
都市計画研究者ペター・ナイスは、批判的実在論を、都市計画・交通計画研究の方法論として明示的に応用してきた研究者である。ナイスは2015年の論文において、都市・交通計画研究の多くが、経験的に観察された相関関係(たとえば人口密度と自動車利用率の相関)を、そのまま因果関係として扱う傾向があることを批判し、批判的実在論の三層構造に基づき、観察された相関の背後にある生成メカニズムを特定する必要性を論じた[6]。
具体的事例 都市・交通計画研究における相関と因果の混同
ナイスの分析では、都市の人口密度が高いほど自動車利用率が低いという、広く知られた経験的な相関関係を事例に、この相関を単純に因果関係として解釈することの危険性が論じられている[6]。ナイスによれば、この相関は、密度そのものが自動車利用を抑制する生成メカニズムとして働いている可能性もあれば、密度の高い地域に自動車を必要としないライフスタイルを持つ人々が選択的に居住しているという、自己選択(self-selection)の結果である可能性もある。批判的実在論の三層構造に立てば、経験の層で観察された相関(経験的層)から、現実態の層で実際に何が生じたかを経て、実在の層でどのような生成メカニズムが働いているかを特定するという、段階を踏んだ分析が必要になる[6]。
主要先行研究
Bhaskar (1975)、Bhaskar (1979)、Sayer (1992)、Danermark, Ekström, Jakobsen & Karlsson (2002)、Lawson (1997)、Næss (2015)。
分析的二元論・形態生成サイクル
定義
分析的二元論とは、構造と行為者を存在として完全に分離するのではなく、両者が時間的に位相のずれた形で作動することを利用し、方法論上、一時的に分離して分析できるとする立場である。この分析的二元論を時間軸上に展開した図式が形態生成サイクルであり、ある時点における構造的な配置(構造的条件づけ)が行為者間の相互行為を条件づけ、その相互行為の帰結として、構造が再生産される(形態静態、morphostasis)か、あるいは変容する(形態生成、morphogenesis)かが、次の時点で確定するという、循環的な過程を示す。
理論形成の歴史
この理論を確立したのは、社会学者マーガレット・アーチャーである。アーチャーは1988年の著書『文化とエージェンシー』において、文化的な要素(観念、信念の体系)と、行為者による文化の実践を、分析的に区別することの重要性を論じ、形態生成論の枠組みを、まず文化の分析に適用した[7]。
アーチャーはこの枠組みを、1995年の著書『実在論的社会理論』において、批判的実在論の存在論と明示的に接続し、社会構造一般の分析へと拡張した[8]。アーチャーはこの著書で、社会学における長年の論争——構造が行為を決定するのか、行為が構造を作るのか——を、「上方への融合(構造を行為に還元する)」と「下方への融合(行為を構造に還元する)」という二つの誤った解決策として批判し、両者を時間的に分離して捉える形態生成論こそが、この論争を回避する道であることを論じた[8]。
アーチャーはその後、行為者が構造的な条件づけにどう応答するかという、行為者側の主観的な過程に焦点を移していく。2003年の著書『構造、エージェンシー、内的会話』では、行為者が自らの置かれた状況について、内的な対話(internal conversation)を通じて反省的に検討し、その結果として行為の方向性を定めていく過程が論じられた[9]。この視座は、2007年の著書『世界を渡り歩く』において、社会的な流動性と結びつけてさらに展開された[10]。
主要な先行研究
形態生成論の実証研究への応用を集めた重要な業績として、ボブ・カーターとキャロライン・ニューが編集した2004年の論文集『リアリズムを機能させる』がある[11]。この論文集は、形態生成論を、教育、ジェンダー、労働といった多様な経験的領域に適用した研究を集め、理論を実際の実証研究へと橋渡しする役割を果たした。
組織研究の分野では、社会学者アリステア・マッチが、形態生成論を、組織における技術の導入・活用過程の分析に応用してきた。マッチは2010年の論文において、組織が新しい技術を導入する過程を、既存の組織構造(構造的条件づけ)が技術の解釈・利用方法をどう条件づけ、その利用実践の蓄積が、組織構造をどう再生産・変容させるかという、形態生成サイクルとして分析した[12]。
具体的事例 組織における技術導入の形態生成サイクル
マッチの分析では、ある組織が新しい情報技術を導入する際、既存の業務プロセスや権限関係(構造的条件づけ、T1)が、その技術がどう解釈され、どう利用されるかを条件づけることが示されている[12]。しかし技術の利用実践は、単に既存の構造を反映するだけでなく、現場の行為者たちの創意工夫(社会的相互行為、T2-T3)を通じて、当初の設計者が想定していなかった使い方へと展開することがあり、この実践の蓄積が、最終的に組織の構造そのものを変容させる(形態生成、T4)場合と、既存の構造を強化する形で収束する(形態静態、T4)場合の両方がありうることが論じられている[12]。
この事例は、AF04で扱ったメカニズム仮説の時間的な位置づけに、具体的な組織研究の裏づけを与える。交通事業者が新しいデジタル技術(乗車券システム、運行管理システム等)を導入する過程も、同様に、既存の組織構造がその技術の利用方法を条件づけ、その利用実践の蓄積が組織構造を変容させるか強化するかという、形態生成サイクルとして分析できる可能性がある。
主要先行研究
Archer (1988)、Archer (1995)、Archer (2003)、Archer (2007)、Carter & New (2004)、Mutch (2010)。
二理論の比較と統合的位置づけ
何が異なるのか
批判的実在論は、実在一般についての存在論的立場——実在は層状構造を持ち、人間の認識から独立して存在するという、社会科学・自然科学を問わず適用される広い哲学的枠組みである。これに対し分析的二元論・形態生成サイクルは、この存在論を、社会構造と行為者という、社会科学に固有の対象へと具体化した、より狭い方法論的な図式である。批判的実在論が「実在とは何か」という問いに答えるのに対し、形態生成論は「社会構造と行為者の関係をどう分析するか」というより実務的な問いに答える。
補完関係
両者は、抽象度の異なる階層関係にあると整理できる。批判的実在論は、AF01が採用する存在論的立場全体の哲学的な正当化を提供し、形態生成サイクルは、その存在論を、実際の分析手続き(AF04のメカニズム仮説構築、AF05の七ステップ)に落とし込むための、具体的な方法論的道具を提供する。
AF01・AF04との接続
| 理論 | AF01・AF04における役割 |
|---|---|
| 批判的実在論 | 次元点検の結果(経験の層)と、その背後にある生成メカニズム(実在の層)を区別する、AF04のメカニズム仮説の存在論的根拠 |
| 分析的二元論・形態生成サイクル | 9次元への分解という作業仮説そのものの正当化、およびAF04の時間軸上のメカニズム仮説構築の枠組み |
AF01へのフィードバック
AF01は、批判的実在論を「地ならし」として位置づけ、分析的二元論を存在論的主張ではなく方法論的な作業仮説として採用する、という最小限の宣言にとどめていた。本稿の検討を踏まえると、この宣言はナイスやマッチの実証研究が示す通り、単なる哲学的な立場表明ではなく、実際の社会科学研究において具体的な分析上の利益(相関と因果の混同を避ける、技術導入過程を時間軸上で分析する等)をもたらす、実務的に有効な立場であることが確認できる。この点は、AF01が当初「学術統合路線ではなく実務ツール路線を選ぶ」という判断を行った際の理由づけを、事後的に補強するものである。
おわりに
批判的実在論と分析的二元論・形態生成サイクルは、AF01が依拠する存在論的立場の根幹をなす二理論である。バスカーの三層存在論から、アーチャーの形態生成論、そしてナイス・マッチによる都市計画・組織研究への実証的応用に至る系譜は、この存在論的立場が、単なる抽象的な哲学ではなく、具体的な社会科学研究の方法論として機能してきたことを示している。
参考資料一覧
- Bhaskar, R. (1975). A Realist Theory of Science. Leeds Books.
- Bhaskar, R. (1979). The Possibility of Naturalism: A Philosophical Critique of the Contemporary Human Sciences. Harvester Press.
- Sayer, A. (1992). Method in Social Science: A Realist Approach (2nd ed.). Routledge.
- Danermark, B., Ekström, M., Jakobsen, L., & Karlsson, J. C. (2002). Explaining Society: Critical Realism in the Social Sciences. Routledge.
- Lawson, T. (1997). Economics and Reality. Routledge.
- Næss, P. (2015). Critical realism, urban planning and urban research. European Planning Studies, 23(6), 1228–1244.
- Archer, M. S. (1988). Culture and Agency: The Place of Culture in Social Theory. Cambridge University Press.
- Archer, M. S. (1995). Realist Social Theory: The Morphogenetic Approach. Cambridge University Press.
- Archer, M. S. (2003). Structure, Agency and the Internal Conversation. Cambridge University Press.
- Archer, M. S. (2007). Making Our Way through the World: Human Reflexivity and Social Mobility. Cambridge University Press.
- Carter, B., & New, C. (Eds.). (2004). Making Realism Work: Realist Social Theory and Empirical Research. Routledge.
- Mutch, A. (2010). Technology, Organization, and Structure—A Morphogenetic Approach. Organization Science, 21(2), 507–520.
用語集
- 批判的実在論, Critical Realism, CR, 超越論的実在論: 実在を実在的・現実態的・経験的という三層構造として捉え、実在は人間の認識から独立して存在するとする哲学的立場。バスカーが確立した。
- 実在の層, Real Domain, —, 実在的層: 物事を生じさせる構造・力・生成メカニズムが存在する層。批判的実在論における三層構造の一つ。
- 現実態の層, Actual Domain, —, 現実態的層: 実在の層にある力が実際に発動し、出来事として生じる層。批判的実在論における三層構造の一つ。
- 経験の層, Empirical Domain, —, 経験的層: 現実態の層で生じた出来事のうち、人間が観察・経験する層。批判的実在論における三層構造の一つ。
- 生成メカニズム, Generative Mechanism, —, —: 実在の層に存在し、出来事を生じさせる力・傾向性。バスカーの科学哲学における中心概念。
- 批判的自然主義, Critical Naturalism, —, —: 社会科学の対象が自然科学の対象と異なる性質を持つことを認めつつ、社会構造の独自の実在性を認める、批判的実在論の社会科学への拡張。バスカーの概念。
- 地ならし, Under-labouring, —, —: 諸理論を単一体系に統合するのではなく、それぞれの理論がどの層・種類のメカニズムを扱っているかを整理する、批判的実在論の実践的機能。ダーナーマルクらが定式化。
- 分析的二元論, Analytical Dualism, —, —: 構造と行為者を存在として完全に分離するのではなく、時間的な位相のずれを利用して方法論上一時的に分離し点検する考え方。アーチャーの概念。
- 形態生成サイクル, Morphogenetic Cycle, —, —: 構造的条件づけ→社会的相互行為→構造の再生産・変容という循環的過程を示す、アーチャーの概念。
- 形態生成, Morphogenesis, —, —: 社会的相互行為の結果として、既存の構造が変容すること。形態生成サイクルにおける帰結の一つ。
- 形態静態, Morphostasis, —, —: 社会的相互行為の結果として、既存の構造が再生産されること。形態生成サイクルにおける帰結の一つ。
- 内的会話, Internal Conversation, —, 内省的な熟慮: 行為者が自らの置かれた状況について、内的な対話を通じて反省的に検討し、行為の方向性を定めていく過程。アーチャーの概念。
年表
- 1975年 ― ロイ・バスカー『科学の実在論的理論』刊行。超越論的実在論を提示
- 1979年 ― バスカー『自然主義の可能性』刊行。批判的自然主義として社会科学へ拡張
- 1984年 ― アンドリュー・セイヤー『社会科学の方法』初版刊行
- 1988年 ― マーガレット・アーチャー『文化とエージェンシー』刊行。形態生成論を文化分析に初適用
- 1992年 ― セイヤー『社会科学の方法』第2版刊行
- 1993年 ― バスカー『弁証法:自由の鼓動』刊行。弁証法的批判的実在論への展開
- 1995年 ― アーチャー『実在論的社会理論』刊行。形態生成論を社会構造一般へ拡張
- 1997年 ― トニー・ローソン『経済学と実在』刊行
- 1997年 ― 国際批判的実在論学会(IACR)設立
- 2000年 ― アーチャー『人間であること:エージェンシーの問題』刊行
- 2002年 ― ベルト・ダーナーマルクら『社会を説明する』刊行。批判的実在論の「地ならし」機能を整理
- 2003年 ― アーチャー『構造、エージェンシー、内的会話』刊行。内的会話の概念を提示
- 2004年 ― ボブ・カーター&キャロライン・ニュー編『リアリズムを機能させる』刊行。形態生成論の実証研究への応用集
- 2007年 ― アーチャー『世界を渡り歩く』刊行。反省性と社会的流動性を接続
- 2010年 ― アリステア・マッチ「技術、組織、構造:形態生成論的アプローチ」発表
- 2012年 ― アーチャー編『反省性の分化』刊行。反省性の類型論をさらに展開
- 2015年 ― ペター・ナイス「批判的実在論、都市計画、都市研究」発表。都市・交通計画研究への応用
- 2026年 ― 本シリーズ【AF01-1】にて、批判的実在論と形態生成論を統合的に整理し、AF01の存在論的立場を理論的に補強
Claude ログ
方針を確定し、【AF01-1】から執筆する。整合性を確認する。【AF01-1】存在論的基盤の理論的深掘り——批判的実在論・分析的二元論/形態生成サイクルを執筆した。本文に用語集(CM Tooltip Glossary形式)と年表(18項目)を組み込み済み。引用[1]〜[12]・参考文献12件・全HTMLタグの対応を確認した。
SNSリード文(200文字)
相関と因果を混同していないか——批判的実在論は、実在を「実在的・現実態的・経験的」の三層に分けることで、この問いに答える枠組みを提供します。バスカーの三層存在論からアーチャーの形態生成論、そして都市計画研究への応用まで整理。AF01が採用した存在論的立場に、理論的な基礎づけを与える回です。(142文字)
タイトル案(3案)
次は【AF03-10】(学問接続方法論:中範囲の理論・境界オブジェクト)に進んでよいか確認したい。








