タンカー事故から生まれた国際規制——1948年の設立から発効まで、なぜ10年もかかったのか。トリー・キャニオン号の事故を契機に生まれたMARPOL条約まで、IMOという統治機構の成立過程を追う、TIMシリーズ最終回です。
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目次
はじめに
TIM04では、石油タンカー輸送を品目別に検討した。本稿はTIMシリーズの最終回として、国際海事機関(IMO)による、国際的な規制の枠組みを扱う。1948年の設立から統治構造、条約の発効手続き、実際の執行の仕組みまでを検討し、2020年の硫黄規制という具体的な事例で締めくくる。
1948年、設立の経緯
ジュネーブ会議における条約の採択
1948年、ジュネーブにおける国際会議は、IMOを正式に設立する条約を採択した。当初の名称は政府間海事協議機関、略称IMCOであった[1]。この条約は1948年3月6日に採択されている[2]。
厳格な発効要件と、10年間の遅れ
会議は、IMOの成功が大規模な商船隊を持つ国の参加にかかっていると判断し、100万総トン以上の船腹量を持つ7か国を含む21か国が締約国となった時点で初めて組織が発足すると規定した[3]。条約第1条の内容は、自国の海運業への干渉を懸念する国もあれば、少数の海運大国の利益のために書かれたと感じる国もあり、批准は難航した[4]。1954年、ロンドンでの会議が、油による海洋汚染の防止に関する国際条約を採択し、新組織の責務とすることが合意された[5]。1958年3月17日、条約はようやく発効した[6]。1959年1月6日、ロンドンで第一回総会が開かれた[7]。同年11月18日には国連総会がIMOを専門機関として承認している[8]。最初の任務は、1948年のSOLAS条約に代わる新版の採択であり、1960年に、これが実現した[9][10]。
IMOの統治構造——6つの主要機関
総会・理事会という、2つの主要機関
IMOには、条約の採択・実施に関わる、6つの主要な機関がある。中心となるのが総会と理事会であり、これに、4つの委員会が加わる[11]。
4つの委員会
4つの委員会とは海上安全委員会(MSC)、海洋環境保護委員会(MEPC)、法律委員会、簡易化委員会である[11]。海運業界における新たな動向は加盟国により、これらの機関のいずれかで議論され、新条約や既存条約の改正の必要性もそこで提起される[11]。MEPCは1967年に設置され、船舶からの汚染削減措置の策定を進めてきた[12]。
条約発効の仕組み——黙示的受諾という、実務上の工夫
旧来の、明示的受諾方式の、機能不全
条約の採択は、長い過程の最初の一段階にすぎない。旧来の方式では、条約の改正が発効するために各加盟国が個別に明示的な受諾手続きを行う必要があった。しかしこの方式は実務上、機能しないことが判明した——1960年のSOLAS条約に対し1966年から1973年にかけて採択された一連の改正は、いずれも発効に必要な十分な数の受諾を得られなかった[13]。
黙示的受諾方式への、転換
この反省からIMOは、黙示的受諾という方式を導入した。この方式のもとでは、改正は通常18か月から24か月以内に発効する[13]。加盟国が明示的に反対を表明しない限り、改正は自動的に効力を生じる——この転換により、条約の実効的な更新が初めて可能になった。
1967年以降、環境規制への展開
トリー・キャニオン号事故と、1973年MARPOL条約
1967年、タンカーのトリー・キャニオン号が座礁事故を起こした。これは当時、記録された中で最大規模の原油流出事故であった[14]。この事故を契機として、1973年、MARPOL条約が採択された。この条約は1958年に発効していた油濁防止条約と統合され、1978年の議定書によって修正された、通称MARPOL73/78としてまとめられている[14]。
1982年、名称の変更
1982年、IMCOという名称は国際海事機関、IMOへと変更された[1]。
実際の、執行の仕組み——旗国とポートステートコントロール
IMO自身は、罰則を科さない
ここでIMOという機構の本質的な性格を、確認しておく必要がある。IMOは、条約を採択するが、自ら、罰金・制裁を科すことはない。違反への制裁は個々の締約国が、旗国あるいは寄港国として自ら定める[15]。
旗国主義と、ポートステートコントロールという、2つの経路
条約の実効性は2つの経路によって担保される。第一に、旗国、すなわち船舶が登録されている国が、自国籍船に対し条約の遵守を求める責任を負う。第二に、寄港国が自国の港に入港するあらゆる船舶に対し、たとえ他国に登録された船舶であっても条約の遵守状況を検査する、ポートステートコントロールを実施する[16]。
具体例、2020年の硫黄規制
規制の内容
この旗国主義とポートステートコントロールという仕組みが実際にどう機能するかを、2020年の硫黄規制という具体的な事例で確認する。2020年1月1日、船舶燃料油の硫黄分の上限は世界全体で0.50パーセントに引き下げられた[17]。バルト海、北海、北米沿岸、米国カリブ海という指定された排出規制区域(ECA)では、これより厳しい0.10パーセントという上限が適用される[18]。この2020年1月という実施時期そのものは2008年に採択され、2016年に改めて確認されたものであった——実に12年前から業界への周知が進められていたことになる[19]。
「積載禁止」という、抜け穴封じ
この規制には当初、一つの抜け穴があった——MARPOL附属書VIの非締約国に登録された船舶が、同じく非締約国の港のみを往来する場合には、理論上、規制を回避しうる可能性があった[20]。この抜け穴を封じるため、2020年3月1日、基準を満たさない燃料油の船内への「積載」そのものを禁止する、追加の改正が発効した[17]。これによりポートステートコントロールの検査官は、実際に燃料が使用されたかどうかにかかわらず、船内に不適合な燃料が積まれているという事実だけで違反を指摘できるようになった[20]。
遵守の、具体的な手段
船社は、低硫黄燃料への切り替え、排ガス洗浄装置(スクラバー)の設置、あるいはLNG燃料への転換という、いずれかの手段でこの規制に対応している[21]。違反した船舶は、入港を拒否される、あるいは、罰金・制裁の対象となりうる[21]。
現在の、主要な条約体系
IMOは、SOLAS、MARPOLに加え、船員の訓練・資格証明及び当直基準に関する国際条約(STCW)、海上における衝突の予防のための国際規則(COLREG)、2004年のバラスト水管理条約、2009年の、船舶の安全かつ環境上適正な再生利用のための香港条約という、多数の条約を、整備してきた[22]。IMOは現在、ロンドンに本部を置き、172から176の加盟国と、3つの準加盟国を擁している[23]。
既刊シリーズとの接続
本稿で確認した旗国主義とポートステートコントロールという二層の執行構造は、既刊TIM03で扱った便宜置籍船という論点とも間接的に関連する。ある国の旗を掲げる船舶が実際には、その国と経済的な実質関係をほとんど持たない場合、旗国による条約遵守の監督が形骸化するおそれがあり、この空白をポートステートコントロールが補完する構造になっている【推論】。
おわりに
本稿は、TIMシリーズの最終回として、IMOの設立経緯(1948年の条約採択、10年間の批准の遅れ、1958年の発効)を検討した。総会・理事会・4委員会という統治構造、そして旧来の明示的受諾方式が機能不全に陥った末に導入された、黙示的受諾方式という条約発効の仕組みを確認した。IMO自身は罰則を科さず、旗国とポートステートコントロールという2つの経路によって実効性が担保されるという執行の仕組みを、2020年の硫黄規制という具体例、積載禁止による抜け穴封じを含む、を通じて具体的に検討した。TIMシリーズは本稿をもって完結する。
年表
- 1948年3月6日 IMO(当初IMCO)設立条約、ジュネーブで採択
- 1954年 ロンドン会議、油濁防止条約を採択
- 1958年3月17日 IMO設立条約、発効
- 1959年1月6日 第一回IMO総会、ロンドンで開催
- 1960年 新SOLAS条約、採択
- 1966年から1973年 SOLAS改正案、明示的受諾方式のもとで、いずれも発効せず
- 1967年 海洋環境保護委員会(MEPC)設置、トリー・キャニオン号事故発生
- 1973年 MARPOL条約、採択
- 1978年 MARPOL議定書、採択
- 1982年 IMCOからIMOへ、名称変更
- 2004年 バラスト水管理条約、採択
- 2008年 2020年硫黄規制の、実施時期を採択
- 2009年 香港条約、採択
- 2016年 2020年硫黄規制の、実施時期を再確認
- 2020年1月1日 硫黄含有量0.50パーセントの上限、発効
- 2020年3月1日 不適合燃料油の、積載禁止、発効
参考資料一覧
- 「International Maritime Organization」Culture Wikia。https://culture.fandom.com/wiki/International_Maritime_Organization。IMCOという当初の名称、1982年のIMOへの改称について。
- 「Convention on the International Maritime Organization」IMO公式サイト。https://www.imo.org/en/about/conventions/pages/convention-on-the-international-maritime-organization.aspx。1948年3月6日の条約採択について。
- 「The International Maritime Organization (IMO)」Encyclopedia.com。https://www.encyclopedia.com/history/encyclopedias-almanacs-transcripts-and-maps/international-maritime-organization-imo。発効要件について。
- 「Convention on the International Maritime Organization」IMO公式サイト。各国の懸念について。
- 同上。1954年ロンドン会議について。
- 「The International Maritime Organization (IMO)」Encyclopedia.com。1958年3月17日の発効について。
- 同上。1959年1月の第一回総会について。
- 同上。1958年11月18日の国連総会承認について。
- 「International Maritime Organisation」ScienceDirect Topics。https://www.sciencedirect.com/topics/engineering/international-maritime-organisation。SOLAS条約の重要性について。
- 「The International Maritime Organization (IMO)」Encyclopedia.com。1960年の新SOLAS条約採択について。
- 「Conventions」IMO公式サイト。https://www.imo.org/en/about/conventions/pages/default.aspx。総会・理事会という2つの主要機関、4委員会(MSC、MEPC、法律委員会、簡易化委員会)について。
- 「International Maritime Organization」WikiFreedom。https://freedomgpt.com/wiki/international-maritime-organization。1967年のMEPC設置について。
- 「Conventions」IMO公式サイト。黙示的受諾方式、18〜24か月での発効、1960年SOLAS改正が発効しなかった事例について。
- 「International Maritime Organisation」ScienceDirect Topics。トリー・キャニオン号事故、1973年MARPOL条約、1978年議定書について。
- 「Frequently Asked Questions: The 2020 global sulphur limit」IMO。https://wwwcdn.imo.org/localresources/en/MediaCentre/HotTopics/Documents/2020%20sulphur%20limit%20FAQ%202019.pdf。IMO自身は罰則を科さないこと、制裁が個々の締約国に委ねられていることについて。
- 「IMO 2020 – cutting sulphur oxide emissions」IMO。https://www.imo.org/en/mediacentre/hottopics/pages/sulphur-2020.aspx。旗国・寄港国の権利と責任、ポートステートコントロールについて。
- 同上。0.50パーセントへの引き下げ、2020年3月1日の積載禁止発効について。
- 「What is IMO 2020?」Clear Seas。https://clearseas.org/insights/what-is-imo-2020/。排出規制区域における0.10パーセントという上限について。
- 「Sulphur 2020 implementation – IMO issues additional guidance」IMO。https://www.imo.org/en/mediacentre/pressbriefings/pages/10-mepc-74-sulphur-2020.aspx。2008年の採択、2016年の再確認について。
- 「2020 Global Sulphur Cap」International Chamber of Shipping。https://www.ics-shipping.org/current-issue/2020-global-sulphur-cap/。非締約国籍船による、規制回避の可能性、積載禁止による、この抜け穴封じについて。
- 「What is IMO 2020?」Clear Seas。遵守手段(低硫黄燃料、スクラバー、LNG)、違反時の入港拒否・制裁について。
- 「International Maritime Organization (IMO): History, Conventions, Structure, Functions」InclusiveIAS。https://inclusiveias.com/international-maritime-organization-imo-upsc/。STCW、COLREG、バラスト水管理条約、香港条約について。
- 「International Maritime Organization」英語版ウィキペディア。https://en.wikipedia.org/wiki/International_Maritime_Organization。現在の加盟国数、本部所在地について。
用語集
- IMO, International Maritime Organization, 国際海事機関, —: 海運の安全・環境保護に関する、国際的な規制の枠組みを策定する、国連の専門機関。
- 黙示的受諾, Tacit Acceptance, —, —: 加盟国が明示的に反対しない限り、条約の改正が自動的に発効する手続き。
- 旗国, Flag State, —, —: 船舶が登録されている国。条約遵守の、第一次的な責任を負う。
- ポートステートコントロール, Port State Control, PSC, —: 寄港国が、入港する船舶に対し行う、条約遵守状況の検査。
- MARPOL, Marine Pollution, 海洋汚染防止条約, —: 船舶からの汚染を防止する国際条約。1973年に採択され、1978年の議定書と統合された。







