交通研究史シリーズ第5回を公開しました。第1回「流れ」から第4回「都市」まで、交通研究は対象を拡張してきました。第5回が問うのは、移動を「人や車両の移動」ではなく「社会を構成する現象」として捉える研究——モビリティーズ・ターン——が現れたか否かです。アーリ『社会を超える社会学』、シェラー=アーリの新しいモビリティ・パラダイム、クレスウェルの movement/mobility 区別を跡づけました。結論は「部分的に支持される」。移動を社会の構成契機とする研究は確立したが、担い手は主に社会学・人文地理学で、交通研究そのものの拡張とは言いにくく、「パラダイム転換」かは見解が分かれます。
※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります。
目次
- 1 交通は「社会」だった モビリティーズ・ターンの時代
- 1.1 本レポートの対象と方法Scope and Method
- 1.2 なぜ「社会」が論点になったのかWhy “Society” Became a Question
- 1.3 新しいモビリティ・パラダイムThe New Mobilities Paradigm
- 1.4 理論的前史Theoretical Antecedents
- 1.5 モビリティとは何と定義されたかHow Mobility Was Defined
- 1.6 従来の交通研究への批判Critiques of Conventional Transport Research
- 1.7 自動車という社会システムAutomobility as a Social System
- 1.8 研究の広がりと歴史性The Spread of Research and Its Historicity
- 1.9 グローバル化・ネットワーク・リスクGlobalization, Networks, and Risk
- 1.10 移動を捉える方法Methods for Studying Movement
- 1.11 パラダイムへの批判と留保Critiques and Reservations
- 1.12 各分野は移動をどう定義したかHow Each Field Defined Movement
- 1.13 五つの視点の比較Comparing Five Perspectives
- 1.14 検証結果Findings
- 1.15 中心仮説への判定Assessing the Central Hypothesis
- 1.16 参考文献References
- 1.17 年表
- 1.18 用語集
- 1.19 Claudeへのプロンプト
交通は「社会」だった モビリティーズ・ターンの時代
本レポートは交通研究史シリーズの第5回であり、第1回「流れ」、第2回「需要」、第3回「到達」、第4回「都市」に続く。ただし前回までの結論を前提とはしない。本稿で検証する中心仮説は「20世紀後半から21世紀初頭にかけて、一部の交通研究は『人や車両の移動を説明する学問』から『移動が社会そのものを構成する現象を説明する学問』へと対象を拡張した」である。この命題が歴史的・学術的エビデンスによって支持されるか否かを、研究史・学説史・実証研究の整理として検証する。結論を先に決めず、文献に基づいて判定する。本稿は提言・政策提案・将来予測・独自理論・価値判断・規範的主張・読者への行動提案を含まない、認識の変化を分析する歴史研究である。事実と推論を厳格に区別し、推論には [推論]…[/推論] の形式を用いる。学説間に対立がある場合は「見解が分かれている」、根拠が不足する場合は「不明」と明記する。
本レポートの対象と方法Scope and Method
本稿が検証の対象とするのは、20世紀後半から21世紀初頭にかけて、一部の交通研究が、人や車両の移動を説明する学問から、移動が社会そのものを構成する現象を説明する学問へと、対象を拡張したと言えるか否かである。第1回から第4回までは、交通という対象の捉え方が「流れ」「需要」「到達」「都市構造」へと拡張してきたかを検証した。これらはいずれも、交通研究の内部における対象の拡張であった。本稿が検証するのは、それとは性格を異にする問い──交通研究そのものの境界が、社会学・人文地理学などの社会理論へと広がったと言えるか──である。
「20世紀後半から21世紀初頭にかけて、一部の交通研究は『人や車両の移動を説明する学問』から『移動が社会そのものを構成する現象を説明する学問』へと対象を拡張した」。本稿はこの命題を前提とせず、文献上確認できる事実を積み上げた結果として、支持される部分・支持されない部分・不明な部分を分けて整理する。
前回までとの関係Relation to the Previous Parts
本稿は第1回から第4回の続編であるが、それらの結論を無批判の前提とはしない。第1回から第4回が扱ったのは、交通工学・交通経済学・アクセシビリティ研究・土地利用交通研究という、交通を主たる対象とする諸分野の内部における関心の拡張であった。本稿が検証するのは、それらの分野とは別に、あるいはそれらを批判する形で、移動(mobility)を社会理論の中心概念として捉える研究の系統──しばしばモビリティーズ・ターン(mobilities turn)、新しいモビリティ・パラダイム(new mobilities paradigm)と呼ばれるもの──が現れたか否か、そしてそれが交通研究の対象を社会の構成へと拡張したと言えるか否かである。
情報源と引用Sources and Citation
本稿は、査読付き学術論文、学術出版社の書籍、政府・国際機関資料、大学研究機関資料を主たる典拠とし、研究機関レポート・専門家の解説を補助的に用いる。各事項には引用番号 [n] を付し、末尾の参考文献に対応させる。出典が確認できない情報は用いない。事実として確認できる事項のみを本文に記し、複数の研究から導く解釈には [推論]…[/推論] のタグを付す。学説間に対立がある場合は「見解が分かれている」、根拠が不足する場合は「不明」と明記し、推測による補完は行わない。なお、本稿が扱う「モビリティーズ研究」は、社会理論・人文地理学を基盤とする学際的な領域であり、その評価には論者の立場による幅があるため、本稿は特定の立場を支持せず、複数の見解を併記する方針をとる。
なぜ「社会」が論点になったのかWhy “Society” Became a Question
本章では、交通研究史において「社会」が論点として現れた背景を、前章までの整理を踏まえて述べる。これは、本稿の検証する問いの前提にあたる。
移動の社会的文脈The Social Context of Movement
第1回から第4回で見たとおり、交通研究は、交通を流れ・需要・到達・都市構造として捉えてきた。これらに共通するのは、移動を、説明されるべき対象(交通量、需要、到達可能性、都市の形との関係)として扱う点である。これに対し、本稿が検証する系統は、移動を、それ自体が社会関係・社会構造・アイデンティティ・権力を構成する契機として捉えようとする。すなわち、移動は、社会の結果(派生需要)であるだけでなく、社会を作り出す過程でもあるのではないか、という問いである。この問いは、交通工学・交通経済学の枠組みでは正面から扱われてこなかった、というのが、後述するモビリティーズ研究の出発点にある認識である[1]。
[推論]交通研究が伝統的に移動を「説明されるべき対象」として扱ってきたとすれば、移動を「社会を構成する契機」として捉える視点は、交通研究の関心の単なる拡張ではなく、移動と社会の関係についての見方の転換を含む可能性がある。すなわち、本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」は、交通研究が扱う範囲が広がったというだけでなく、移動を因果の結果から原因の側へと捉え直す、認識の組み替えを伴う可能性がある。ただし、この組み替えがどの程度生じたかは、以下で文献に即して検証する。[/推論]
社会科学における「静態」への批判The Critique of the “Static” in Social Science
モビリティーズ研究の主唱者たちは、社会科学が伝統的に「静態的(static)」であったと批判する[1]。シェラーとアーリ(2006年)によれば、社会科学は移動を「ブラックボックス」として扱い、仕事や家族生活、余暇、政治・抗議のための人々の系統的な移動の重要性を、無視するか些末なものとして扱ってきたとされる[1]。すなわち、従来の社会科学は、人々を特定の場所に結びついた静的な存在として捉えるか、あるいはグローバル化のなかの没場所的な存在として捉えるかのいずれかであり、移動そのものを正面から理論化してこなかった、という批判である[1]。
シェラーとアーリ(2006年)は、社会科学が移動を「ブラックボックス」として扱い、人々の系統的な移動の社会的重要性を軽視してきたと批判し、これをモビリティーズ・ターンの出発点とした[1]。
新しいモビリティ・パラダイムThe New Mobilities Paradigm
本章では、モビリティーズ・ターンの中核をなす「新しいモビリティ・パラダイム」が、どのように定式化されたかを整理する。
アーリの「社会を超える社会学」Urry’s “Sociology Beyond Societies”
モビリティーズ研究の代表的な出発点として、しばしば挙げられるのが、社会学者ジョン・アーリによる2000年の著作 “Sociology Beyond Societies: Mobilities for the Twenty-First Century”(Routledge)である[2]。アーリは、この書において、人々・物・イメージ・情報・廃棄物の多様な移動(mobilities)と、それらの移動のあいだの複雑な相互依存、およびその社会的帰結を検討する社会学のための「宣言(manifesto)」を提示したとされる[2]。従来の社会学が、国民社会(society)を一つの閉じた単位として前提してきたのに対し、アーリは、社会を、さまざまな移動によって構成される過程として捉え直すことを提唱した。表題の「社会を超える社会学(sociology beyond societies)」は、この、社会を閉じた容器としてではなく移動の編成として捉える視点を表す。
アーリ(2000年)『社会を超える社会学』は、人々・物・イメージ・情報・廃棄物の多様な移動と、その相互依存・社会的帰結を検討する社会学の宣言を提示したとされる[2]。これは、社会を移動によって構成される過程として捉え直す視点を含む[2]。
シェラーとアーリの2006年論文Sheller and Urry, 2006
新しいモビリティ・パラダイムを明示的に定式化した論文として、最も頻繁に参照されるのが、ミミ・シェラーとジョン・アーリによる2006年の論文 “The New Mobilities Paradigm”(Environment and Planning A, 38(2), pp.207–226)である[1]。この論文は、社会科学のなかに「新しいモビリティ・パラダイム」が形成されつつあると述べ、人類学、文化研究、地理学、移民研究、科学技術社会論(STS)、観光・交通研究、社会学といった複数の分野からの貢献によって、このパラダイムが形成・安定化しつつあると論じたとされる[1]。すなわち、このパラダイムは、一つの分野の内部の動きではなく、複数の分野を横断する学際的な動きとして提示された[1]。
シェラーとアーリは、このパラダイムが二つの既存の理論的傾向を問題化すると述べたとされる[1]。一つは、人々を特定の場所に固定された存在として捉える「定住主義(sedentarism)」である。もう一つは、人々を場所から切り離された没場所的な存在として捉える「脱領域化(deterritorialisation)」あるいは遊牧主義(nomadism)である[1]。新しいモビリティ・パラダイムは、このいずれでもなく、移動とその移動を駆動・制約し、また移動によって生み出される諸力を、正面から捉えようとするものとされる[1]。なお、シェラーとアーリは、このパラダイムの源流の一人として、社会学者ゲオルク・ジンメル(1858–1918)を挙げている[1]。
[推論]新しいモビリティ・パラダイムが、複数の分野を横断する学際的な動きとして提示され、定住主義と脱領域化の双方を批判したとすれば、この動きは、交通研究という一分野の拡張というより、社会理論全体における移動の位置づけの組み替えを志向していたと解釈できる。すなわち、本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」は、交通研究の側から見れば社会への拡張であるが、モビリティーズ研究の側から見れば、社会理論の側が移動を中心に据える動きであった可能性がある。両者は同じ現象を異なる方向から記述している可能性がある。[/推論]
学術誌『Mobilities』の創刊The Launch of the Journal “Mobilities”
この研究領域の制度的な確立を示す出来事として、学術誌 “Mobilities” の創刊(2006年)がある。その創刊号の巻頭論文、ハンナム、シェラー、アーリによる “Editorial: Mobilities, Immobilities and Moorings”(Mobilities, 1(1), pp.1–22)は、この領域の課題を提示したとされる[3]。この論文の表題が示すとおり、この領域は、移動(mobilities)だけでなく、移動しないこと(immobilities)、および移動を支える固定的な基盤(moorings、係留)をも、一体のものとして扱う点に特徴がある[3]。すなわち、移動は、移動を可能にする不動のインフラ(空港、道路、ケーブルなど)と対(つい)で理解される[3]。
[推論]モビリティーズ研究が、移動だけでなく不動・係留をも一体として扱うとすれば、この領域は、単に「移動が増えた」ことを論じるのではなく、移動と不動の関係、移動を可能にする条件、移動の不均等な分配を問題にしていた可能性がある。これは、移動を社会の構成契機として捉えるという、本稿の中心仮説に整合する。とりわけ、移動の不均等な分配への関心は、後続の交通の不平等・公正の研究(本シリーズの次回以降の主題)へとつながる素地をなしていた可能性がある。[/推論]
理論的前史Theoretical Antecedents
本章では、モビリティーズ研究が自らの源流として位置づけた、より古い社会理論の系譜を整理する。これは、この研究が、突然現れたのではなく、社会学の伝統のなかに先行者をもつと主張したことを示す。
ジンメルという源流Simmel as a Source
シェラーとアーリ(2006年)は、モビリティの原初的な理論家として、社会学者ゲオルク・ジンメル(1858–1918)を挙げている[1]。ジンメルは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、都市生活における人々の相互作用、貨幣経済における流通、橋と扉といった空間的な隔たりと結合の象徴などを論じた。シェラーとアーリは、ジンメルが、人々の空間的な移動と社会的な相互作用との関係を early に論じた点で、モビリティーズ研究の先駆をなすと位置づけたとされる[1]。すなわち、移動と社会の関係を問う関心は、20世紀末に突然現れたのではなく、社会学の古典のなかに萌芽をもつ、という主張である。
[推論]モビリティーズ研究が、ジンメルを源流として位置づけたことは、この研究が、自らを社会学の伝統の内部に正統に位置づけようとしたことを示すと解釈できる。すなわち、新しいモビリティ・パラダイムは、移動への関心が社会学に本来備わっていたものであり、それが20世紀の社会学において見失われ、いま回復されつつある、という自己理解をもっていた可能性がある。ただし、ジンメルを「モビリティの理論家」とみなすことが、後付けの系譜化(遡及的な正統化)である可能性も否定できず、この位置づけ自体が一つの解釈である点に留意を要する。[/推論]
空間論的転回との関係Relation to the Spatial Turn
モビリティーズ研究は、1980年代以降の人文・社会科学における「空間論的転回(spatial turn)」の延長線上にも位置づけられる。空間論的転回とは、社会現象を時間・歴史の軸だけでなく空間の軸からも捉えようとする動きであり、地理学・社会理論において空間への関心が高まった。モビリティーズ研究は、この空間への関心を、固定された空間の配置から、空間を横断する移動へと、さらに展開したものと位置づけられることがある。すなわち、空間論的転回が「どこで」を問うたのに対し、モビリティーズ研究は「どのように移動するか」を問うた、という整理である。
[推論]モビリティーズ研究が空間論的転回の延長に位置づけられるとすれば、本稿の中心仮説がいう移動への関心の高まりは、交通研究の内部の動きであるより、人文・社会科学全体における空間・移動への関心の高まりという、より大きな知的潮流の一部であった可能性がある。第3回(到達)・第4回(都市構造)で見た空間への関心と、第5回(社会)で見た移動への関心とは、この空間論的転回という共通の背景を分かちもっていた可能性がある。ただし、これらの関心が単一の起源をもつと断定する根拠は乏しく、本稿はこれを一つの解釈として示すにとどめる。[/推論]
移動と不動の弁証法The Dialectic of Mobility and Immobility
モビリティーズ研究の重要な論点の一つは、移動(mobility)が、不動(immobility)・係留(moorings)と不可分であるという認識である[3]。前述のとおり、学術誌『Mobilities』の創刊論文の表題は「移動・不動・係留」であった[3]。移動は、それを可能にする不動の基盤(空港、港、ケーブル、道路、サーバーなど)を必要とする。また、ある人々の移動は、別の人々の不動(移動できないこと)と表裏をなす。たとえば、一部の人々のグローバルな移動は、それを支える労働者の固定された労働に依存する。この、移動と不動の関係への注目は、移動を一様な増大としてではなく、不均等に分配されたものとして捉える視点を含む[3]。
[推論]モビリティーズ研究が、移動を不動・係留と不可分のものとして、また不均等に分配されたものとして捉えたとすれば、この研究は、移動を、増大する一様な現象としてではなく、社会的な権力・不平等の構造のなかに位置づけて捉えていたと解釈できる。すなわち、誰が移動でき、誰が移動できないか、誰の移動が誰の不動に支えられているか、という問いが、ここに含まれる。この問いは、移動を社会の構成契機として捉える本稿の中心仮説に整合すると同時に、移動の不平等・正義という主題への入り口をなす可能性がある。[/推論]
モビリティとは何と定義されたかHow Mobility Was Defined
本章では、モビリティーズ研究において、モビリティ(mobility)がどのように定義されたかを整理する。これは、この研究が「移動(movement)」と何を区別しようとしたかを明らかにする。
移動とモビリティの区別――クレスウェルMovement and Mobility: Cresswell
モビリティの概念を理論的に整理した代表的な研究として、地理学者ティム・クレスウェルによる2006年の著作 “On the Move: Mobility in the Modern Western World”(Routledge)がある[4]。クレスウェルは、移動(movement)とモビリティ(mobility)を区別した。彼の整理では、モビリティが移動に対してもつ関係は、場所(place)が位置(location)に対してもつ関係と同じであるとされる[4]。すなわち、移動(movement)が、地点Aから地点Bへの物理的・幾何学的な変位という抽象的な事実であるのに対し、モビリティ(mobility)は、意味・権力・経験を帯びた、社会的に構成された移動である[4]。クレスウェルは、モビリティを、物理的な移動、移動の表象(representation)、移動の実践(practice)という三つの契機の脆い結びつきとして捉えたとされる[4]。
クレスウェル(2006年)は、移動(movement)とモビリティ(mobility)を区別し、モビリティを、物理的移動・表象・実践の三つの契機の結びつきとして、社会的・文化的・政治的に構成されるものとして捉えたとされる[4]。
[推論]クレスウェルが、移動(地点間の変位)とモビリティ(意味・権力・経験を帯びた移動)を区別したとすれば、モビリティーズ研究は、交通工学・交通経済学が扱ってきた「移動」(交通量、トリップ)を、より広い「モビリティ」の一契機(物理的移動)として相対化したと解釈できる。すなわち、従来の交通研究が扱ってきた移動量は、モビリティの全体のうちの一面にすぎない、という主張がここに含まれる。これは、本稿の中心仮説がいう、移動を社会を構成する現象として捉える方向と整合する。ただし、この区別が交通研究の実務をどの程度変えたかは、別の問題である(後述)。[/推論]
移動の両義性――自由と統制The Ambivalence of Movement: Freedom and Control
クレスウェルは、近代における移動が、自由(freedom)と結びつけて語られる一方で、移動を統制・制限しようとする試みもまた近代に特徴的であることを論じたとされる[4]。すなわち、移動は解放の源泉でもあり、不安・統制の対象でもある、という両義性をもつ[4]。クレスウェルの著作は、移民、ホームレス、ダンス、空港など、多様な事例を通じて、モビリティがいかに構成され、政治化されるかを示したとされる[4]。
[推論]移動が自由と統制の両義性をもつものとして論じられたことは、モビリティーズ研究が、移動を、効率や便益の問題としてではなく、権力と政治の問題として捉えていたことを示すと解釈できる。これは、交通工学・交通経済学が移動を最適化・評価の対象としてきたのとは、関心の方向を異にする。移動の誰が・どこへ・どのように移動できるか、そして誰が移動を制約されるか、という問いは、移動を社会的な権力関係の現れとして捉えるものであり、本稿の中心仮説に整合する。[/推論]
理論的源流――ネットワーク社会と再帰的近代Theoretical Antecedents
モビリティーズ研究は、いくつかの社会理論を背景にもつ。一つは、マニュエル・カステルによる『ネットワーク社会の到来』(The Rise of the Network Society, 1996年)に代表される、情報・資本・人の流れが社会を組織するという議論である[5]。カステルは、現代社会が「場所の空間(space of places)」から「フローの空間(space of flows)」へと組織原理を移しつつあると論じたとされる[5]。もう一つは、アンソニー・ギデンズらによる、時間と空間の隔たりを越えて社会関係が編成される(時空間の遠隔化)という議論である。これらは、社会を、固定された場所の集合としてではなく、流れ・ネットワークとして捉える点で、モビリティーズ研究と発想を共有する。
[推論]モビリティーズ研究が、ネットワーク社会論や時空間の遠隔化の議論を背景にもつとすれば、この研究は、交通研究の内部から自生したというより、社会理論一般における「流れ」「ネットワーク」への関心の高まりの一部として現れた可能性がある。すなわち、本稿の中心仮説がいう交通研究の社会学への拡張は、社会理論の側が移動・流れを中心概念に据える動きと、双方向的に結びついていた可能性がある。ただし、カステルやギデンズ自身を交通研究者とみなすことはできず、これらは交通研究の外部にある社会理論である点に留意を要する。[/推論]
従来の交通研究への批判Critiques of Conventional Transport Research
本章では、モビリティーズ研究が、本シリーズ第1回から第4回で扱った従来の交通研究に対して、どのような批判を向けたかを整理する。これは、本稿の中心仮説(対象の拡張)が、何からの拡張として主張されたかを明らかにする。
移動量中心主義への批判The Critique of Movement-Centrism
モビリティーズ研究は、従来の交通研究が、移動を主として量(交通量、走行距離、トリップ数)として捉えてきたことを批判する。シェラー自身、自らの研究の出発点を振り返って、従来の交通モデルが「合理的で個人主義的、効率最大化的な消費者」を前提していることへの反発があったと述べているとされる[1]。すなわち、移動を量として測り、それを最小化・最適化の対象とする発想(第1回・第2回)は、移動がもつ意味・経験・社会的文脈を捨象している、という批判である。
[推論]モビリティーズ研究が移動量中心主義を批判したとすれば、この研究は、第1回(流れ)・第2回(需要)で見た、移動を量・需要として扱う枠組みを、不十分なものとして退けたと解釈できる。すなわち、本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」は、従来の枠組みへの肯定的な追加というより、その枠組みへの批判を伴う組み替えであった可能性がある。ただし、後述するように、この批判が従来の交通研究を置き換えたのか、それと並立したのかについては、見解が分かれる。[/推論]
個人選択モデルへの批判The Critique of Individual Choice Models
モビリティーズ研究は、第2回で見た交通経済学の個人選択モデル(離散選択モデル、ランダム効用最大化)に対しても、批判的である。これらのモデルは、個人を、与えられた選択肢から効用を最大化するように選択する合理的な主体として扱う。これに対し、モビリティーズ研究は、移動の選択が、習慣、感情、身体、社会関係、文化的意味によって形づくられることを強調する[1]。たとえば、自動車の利用は、単なる費用と時間の計算の結果ではなく、感情・アイデンティティ・家族の日常生活に埋め込まれた実践である、という見方である[1]。
モビリティーズ研究は、従来の交通モデルが前提する「合理的・個人主義的・効率最大化的な消費者」という人間像を批判し、移動の選択が習慣・感情・身体・社会関係・文化的意味に埋め込まれていることを強調する[1]。
空間偏重への批判The Critique of Spatial Bias
モビリティーズ研究は、第3回(到達)・第4回(都市構造)で見た、空間的な配置を中心に据える研究に対しても、留保を示す。これらの研究は、機会の空間的配置やアクセシビリティを扱うが、それでもなお、空間的に区切られた関係(どの地点からどの地点へ)を基礎とする。モビリティーズ研究の一部は、空間的に区切られた関係のみに基づく理論的枠組みが、移動によって構成される膨大な社会的相互作用・行動を覆い隠す、と論じたとされる[1]。すなわち、社会を、固定された場所・地区の関係としてではなく、移動の過程として捉えるべきだ、という主張である。
[推論]モビリティーズ研究が空間偏重を批判したとすれば、この研究は、第3回・第4回で見た、空間(到達可能性・都市構造)を中心に据える研究をも、なお静態的なものとして退けたと解釈できる。すなわち、本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」は、流れ・需要だけでなく、到達・都市構造をも超えて、移動そのものの社会的構成へと向かう志向を含む可能性がある。ただし、空間を扱う研究(アクセシビリティ・土地利用交通研究)と、移動の社会的構成を扱う研究(モビリティーズ)とが、対立するのか補完するのかについては、論者により見方が異なる。[/推論]
自動車という社会システムAutomobility as a Social System
本章では、モビリティーズ研究が具体的な対象をどう扱ったかの一例として、自動車をめぐる研究(automobility)を整理する。これは、移動を社会の構成契機として捉える視点が、具体的な分析にどう適用されたかを示す。
移動様式から社会システムへFrom Mode to System
シェラーとアーリは、自動車を、単なる交通手段(移動様式)としてではなく、一つの社会・技術システム(socio-technical system)として捉えた[1]。自動車は、車両だけでなく、道路、燃料供給、駐車場、法制度、保険、産業、都市の形、そして人々の感情・アイデンティティ・日常生活の編成と、分かちがたく結びついている。シェラー自身、自らの研究が、当初、自動車が都市をどう形づくるかを問題にすることから始まり、やがて自動車文化の感情的・情緒的な側面、およびそれが家族の日常生活に社会的・空間的に埋め込まれる様式の探究へと展開したと述べているとされる[1]。すなわち、自動車は、移動の手段であると同時に、社会生活を組織する一つのシステムとして分析された。
シェラーとアーリは、自動車を単なる移動手段ではなく、車両・インフラ・制度・産業・感情・日常生活が結びついた社会・技術システム(automobility)として捉えた[1]。これは、移動を社会の構成契機として捉える視点の具体的な適用例である[1]。
[推論]自動車が、移動手段としてではなく社会システムとして分析されたことは、モビリティーズ研究が、移動を、それを取り巻く技術・制度・感情・日常生活の総体のなかで捉えようとしたことを示すと解釈できる。これは、第1回(流れ)で自動車交通が流量として、第2回(需要)で自動車利用が選択として扱われたのとは、関心の射程を異にする。すなわち、本稿の中心仮説がいう「移動が社会を構成する現象」という捉え方は、自動車という具体的な対象において、移動とそれを支える社会的編成の不可分性として現れた可能性がある。[/推論]
感情・身体・経験Affect, Body, and Experience
モビリティーズ研究は、移動の感情的・身体的・経験的な次元を重視する。従来の交通研究が、移動を、起点から終点への効率的な移送として扱ったのに対し、モビリティーズ研究は、移動のあいだに何が経験されるか(車内・車中の経験、待つこと、混雑のなかの身体)を分析の対象とする[1]。たとえば、鉄道駅における乗客の身体的な経験や、通勤がもたらす身体的・情緒的な負荷を扱う研究がある。これらは、移動の「途上(en route)」を、空白の時間ではなく、社会的・身体的な経験の場として捉える。
[推論]モビリティーズ研究が移動の途上の経験を分析対象としたことは、第2回で見た交通経済学が移動時間を「価値時間」として(節約すべき費用として)扱ったのと、対照的であると解釈できる。交通経済学にとって移動時間は最小化すべき費用であったが、モビリティーズ研究にとって移動時間は、それ自体が経験・意味・社会関係の場である。これは、第2回で触れた「移動自体の効用」(モフタリアンとサロモン)の議論と関心を共有しつつ、それを社会的・経験的な次元で展開したものと位置づけられる可能性がある。すなわち、移動を費用とみなす見方と、移動を経験とみなす見方の対比が、ここに現れている。[/推論]
研究の広がりと歴史性The Spread of Research and Its Historicity
本章では、モビリティーズ研究が、自動車以外のどのような対象へ広がったか、また移動を歴史的に捉える視点をもっていたかを整理する。これは、この研究の射程と方法上の特徴を補足する。
多様な移動形態への展開Expansion to Diverse Forms of Mobility
新しいモビリティ・パラダイムに触発された研究は、多様な移動形態・移動空間を扱ってきた。クレスウェル(2010年)は、このパラダイムに触発された研究が、運転と道路から、飛行と空港にいたるまで、特定の移動形態・移動空間に関する多様な研究を生んだと整理している[7]。たとえば、空港や航空をめぐる移動(しばしばエアロモビリティ、aeromobilities と呼ばれる)を扱う研究や、道路・運転の文化的・歴史的地理を扱う研究がある[7]。これらは、移動を、抽象的な一般概念としてではなく、特定の文脈・空間における具体的な実践として捉える点で共通する。
[推論]モビリティーズ研究が、特定の移動形態・空間における具体的な実践を扱うことで広がったとすれば、前章で見たエイディの批判(概念の過度の拡張)への一つの応答が、ここに含まれると解釈できる。すなわち、移動を抽象的に「すべて」として論じるのではなく、特定の文脈に即して具体的に分析することで、概念の空虚化を避けようとしたと見ることができる。この点で、本稿の中心仮説がいう対象の拡張は、抽象的な拡張と具体的な文脈化の両方を含んでいた可能性がある。[/推論]
移動の歴史性The Historicity of Movement
モビリティーズ研究の一部は、移動を歴史的に捉える視点をもつ。クレスウェルの『On the Move』(2006年)は、19世紀の事象と現代の日常生活の諸側面とのあいだの、予期しない結びつきを、豊富な事例を通じて示したとされる[4]。この点について、モビリティーズ研究が現在に過度に焦点を当てがちであることへの留保として、現在の移動の実践・観念の連続性と変化を見分ける歴史的な感覚を養うことの意義が指摘されている[4]。すなわち、移動は、現代に固有の現象としてだけでなく、長い歴史をもつ現象として捉えられうる。
[推論]モビリティーズ研究において、移動を歴史的に捉える視点と、現在への過度の集中への留保とが共存しているとすれば、この研究の内部にも、移動をどの時間軸で捉えるか(現代の新現象か、長い歴史をもつ現象か)をめぐる緊張があったと解釈できる。これは、本稿の中心仮説がいう対象の拡張が、単一の方向への一様な動きではなく、内部に複数の論点と緊張を含む動きであったことを示す。すなわち、モビリティーズ研究は、一枚岩のパラダイムというより、共通の関心のもとに多様な立場を含む研究領域であった可能性がある。[/推論]
グローバル化・ネットワーク・リスクGlobalization, Networks, and Risk
本章では、モビリティーズ研究が、グローバル化研究、ネットワーク社会論、リスク社会論といった、同時代の社会理論とどのように関係したかを整理する。
グローバル化と流動性Globalization and Flows
モビリティーズ研究が登場した20世紀末から21世紀初頭は、グローバル化(globalization)が社会科学の主要な論点となった時期である。人・物・資本・情報・イメージが国境を越えて移動する規模が拡大したという認識が広がった。シェラーとアーリ(2006年)の論文は、亡命希望者、留学生、観光客、難民、ビジネスパーソン、通勤者など、多様な人々が移動している現代の状況を列挙して論を始めるとされる[1]。すなわち、モビリティーズ研究は、グローバル化のもとで移動が社会の中心的な現象になったという認識を、出発点の一つとしていた。
[推論]モビリティーズ研究がグローバル化を背景としていたとすれば、この研究が移動を社会の中心に据えたのは、純粋に理論的な動機からだけでなく、移動が現実に増大し社会を組織しつつあるという同時代の認識を反映していた可能性がある。すなわち、本稿の中心仮説がいう交通研究の社会への拡張は、対象としての移動現象そのものの拡大とも結びついていた可能性がある。ただし、移動が実際にどの程度増大したか、その測定をめぐっては別途の検証を要し、本稿はこれを「不明」とする。[/推論]
ネットワーク社会論との関係Relation to Network Society Theory
前章で触れたカステルのネットワーク社会論は、モビリティーズ研究と密接に関係する。カステルの「フローの空間」は、資本・情報・組織の流れが、固定された場所を越えて社会を組織するという概念である[5]。モビリティーズ研究は、この流れの概念を、人・物・身体の物理的な移動をも含む形で展開したと位置づけられる。ただし、両者には強調点の違いがある。ネットワーク社会論が主として情報・資本の流れに着目するのに対し、モビリティーズ研究は、身体的な移動・物の移動・対面の相互作用をも重視する[1]。
リスク社会論との関係Relation to Risk Society Theory
モビリティーズ研究と、ウルリヒ・ベックらのリスク社会論との関係については、両者が現代社会の不確実性・グローバルな相互依存を論じる点で関心を共有する一方、直接的な理論的継承関係を明確に示す資料は、本稿の調査範囲では十分に確認できなかった。アーリは後年、気候変動と社会、複雑性などへ関心を広げており、移動とエネルギー・環境・リスクの関係を論じているが、リスク社会論との体系的な接続については、本稿は「不明」とする。推測による補完は行わない。
モビリティーズ研究とリスク社会論との体系的な理論的接続については、本稿の参照しえた資料の範囲では十分に確認できなかったため、「不明」とする。両者が現代社会の不確実性・相互依存への関心を共有することは確認できるが、直接の継承関係は断定しない。
移動を捉える方法Methods for Studying Movement
本章では、モビリティーズ研究が、移動を捉えるためにどのような研究方法を用いたかを整理する。方法の違いは、この研究が従来の交通研究と何を異にするかを具体的に示す。
移動的方法Mobile Methods
モビリティーズ研究は、移動を捉えるための方法として、しばしば「移動的方法(mobile methods)」と呼ばれる質的な手法を用いる[1]。これは、研究者が対象とともに移動しながら観察・記録する手法(同行調査、移動中のインタビューなど)を含む。従来の交通研究が、移動を、調査票・カウント・モデルによって集計的・定量的に把握したのに対し、移動的方法は、移動の経験・実践を、その場で、移動しながら捉えようとする。アーリらは、こうした移動的方法の意義を論じたとされる[1]。
モビリティーズ研究は、移動しながら観察・記録する質的手法(移動的方法、mobile methods)を用いる点で、調査票・カウント・モデルを中心とする従来の交通研究の方法と異なる[1]。
[推論]モビリティーズ研究が、移動的・質的な方法を用いることは、この研究が、移動を集計量としてではなく経験・実践として捉えるという、その対象観と方法とが一貫していることを示すと解釈できる。すなわち、本稿の中心仮説がいう対象の拡張は、対象の捉え方の変化だけでなく、それを捉える方法の変化をも伴っていた。これは、モビリティーズ研究と従来の交通研究が、対象だけでなく方法においても異なる学問的伝統に属することを示し、両者の統合が容易でないことの一因をなす可能性がある。[/推論]
定量と質的の対比Quantitative and Qualitative
方法の違いは、両者の関係を考えるうえで重要である。交通工学・交通経済学・アクセシビリティ研究・土地利用交通研究(第1回〜第4回)は、主として定量的なデータ・モデル・統計に基づく。これに対し、モビリティーズ研究は、エスノグラフィー、インタビュー、テクスト・映像の分析など、質的な方法を多く用いる。ただし、両者は排他的ではなく、近年では、位置データ(GPS、携帯電話データなど)を用いてモビリティのパターンを捉える研究のように、定量と質的の境界を越える試みも現れている。この点については、研究の動向が続いており、本稿は確定的な評価を行わない。
[推論]定量的方法と質的方法の対比が、第1回〜第4回の研究とモビリティーズ研究とを分けるとすれば、両者の違いは、移動の何を重要とみなすか(集計可能な量か、経験・意味か)という、より深い認識の違いに根ざしている可能性がある。すなわち、本稿の中心仮説がいう対象の拡張は、単なる関心領域の追加ではなく、移動という現象の何を知るに値するものとみなすかという、認識上の選択の違いを含む可能性がある。ただし、両方法を架橋する近年の試みは、この対比が固定的でないことをも示唆する。[/推論]
パラダイムへの批判と留保Critiques and Reservations
本章では、新しいモビリティ・パラダイムに対して向けられた批判・留保を整理する。これは、本稿の中心仮説を無批判に受け入れないために必要な検討である。
「すべてが移動なら、移動は何でもない」“If Mobility is Everything, then it is Nothing”
モビリティーズ研究に対する内在的な批判として、しばしば引かれるのが、ピーター・エイディによる2006年の論文 “If mobility is everything then it is nothing: towards a relational politics of (im)mobilities”(Mobilities, 1(1), pp.75–94)である[6]。エイディは、移動という分析概念を過度に拡張することに警告を発し、「もしすべてが移動するなら、その概念はほとんど切れ味をもたない」と論じたとされる[6]。すなわち、あらゆる社会現象を移動として捉えると、移動という概念は、何も特定しない空虚な記号(empty signifier)になりかねない、という批判である[6]。
エイディ(2006年)は、移動という概念を過度に拡張することに警告し、「すべてが移動なら、その概念はほとんど切れ味をもたない」と論じたとされる[6]。これはモビリティーズ研究の内部からの自己批判である[6]。
[推論]モビリティーズ研究の内部から、概念の過度の拡張への警告が発せられたことは、移動を社会の構成契機として捉える視点が、その射程の広さゆえに、概念的な明確さを失う危険を抱えていたことを示すと解釈できる。すなわち、本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」は、拡張それ自体が、分析概念としての有用性を損なうという代償を伴いうる。この点で、対象の拡張は、無条件の前進としてではなく、明確さとのトレードオフを含む動きとして理解するのが、確認できる事実に整合的である。[/推論]
交通地理学との関係The Relation to Transport Geography
モビリティーズ研究と、従来の交通地理学(transport geography)との関係については、見解が分かれている。一方で、クレスウェル(2011年)は、モビリティーズ研究を交通地理学から区別し、モビリティーズ研究のほうがより全体論的(holistic)な視点をとり、従来は結びつかなかった事象を結びつけると論じたとされる[7]。他方で、ショーとヘス(2010年)は、交通地理学とモビリティーズ研究の関係を論じ、両者を対立させて一方を優先するのではなく、いずれも状況依存的で部分的な、生産的な抽象の様式として捉えるべきだと論じたとされる[8]。すなわち、モビリティーズ研究が交通地理学を乗り越えたのか、それとも両者は補完的なのかについては、論者により評価が異なる[7][8]。
モビリティーズ研究と従来の交通地理学の関係については、見解が分かれている。モビリティーズ研究をより全体論的な新しい視点とみなす立場(クレスウェル2011年)[7]と、両者を対立させず補完的・状況依存的な抽象とみなす立場(ショーとヘス2010年)[8]がある。
パラダイムか、ヒューリスティックかA Paradigm, or a Heuristic?
新しいモビリティ「パラダイム」という呼称そのものについても、評価が分かれる。シェラーとアーリは、新しいモビリティ・パラダイムが「社会科学の根本的な作り直し(fundamental recasting)」を志向すると述べたとされる[1]。一方で、より控えめに、これをパラダイム(科学革命を意味するクーン的な用語)ではなく、隠れた連関を明らかにする一つのヒューリスティック(発見的な道具)とみなす論者もいるとされる。すなわち、これが既存の社会科学を置き換える新パラダイムなのか、それとも有用な視角の一つなのかについては、見解が分かれている。なお、シェラーとアーリ自身も、移動・流動・液状性の新たな「大きな物語(grand narrative)」を主張するわけではなく、一連の問い・理論・方法論を提示するものだと述べているとされる[1]。
[推論]新しいモビリティ・パラダイムが、パラダイムなのかヒューリスティックなのかについて評価が分かれ、提唱者自身も大きな物語を主張しないと述べているとすれば、「パラダイム」という呼称は、確立した科学革命の記述というより、研究プログラムの自己規定・主張として理解するのが適切である可能性がある。すなわち、本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」が生じたことは確認できるが、それが社会科学全体を作り直す「パラダイム転換」に達したか否かは、評価が分かれる。本稿は、対象の拡張という事実と、それをパラダイム転換と呼ぶか否かという評価とを、区別する。[/推論]
各分野は移動をどう定義したかHow Each Field Defined Movement
本章では、本シリーズが扱ってきた諸分野が、移動(movement / mobility)をそれぞれどのように定義・概念化したかを、文献に即して比較する。これは、モビリティーズ研究の定義が、従来の諸分野の定義と何を異にするかを明確にする。
定義の対比Contrasting the Definitions
第1回から第4回で見た諸分野は、移動を、おおむね観測・測定の対象として定義してきた。交通工学は、移動を、交通量・速度・密度といった、流れの物理量として捉えた(第1回)。交通経済学は、移動を、活動から派生する需要、および効用・費用の関数として捉えた(第2回)。アクセシビリティ研究は、移動を、機会へ到達する手段として捉え、到達可能性を中心に置いた(第3回)。土地利用交通研究は、移動を、都市の空間構造が生み出す現象として捉えた(第4回)。これらに共通するのは、移動を、外的に観測・測定し、モデル化しうる対象として扱う点である。
これに対し、モビリティーズ研究は、前章までに見たとおり、移動(movement)とモビリティ(mobility)を区別し、モビリティを、意味・権力・経験を帯びた、社会的に構成される現象として定義した[4]。クレスウェルの整理では、モビリティは、物理的移動・表象・実践の三つの契機の結びつきであった[4]。すなわち、モビリティーズ研究は、移動を、測定すべき量としてではなく、解釈すべき社会的・文化的な現象として定義した。
| 分野 | 移動の定義 | 移動の位置づけ |
|---|---|---|
| 交通工学 | 流れの物理量(量・速度・密度) | 測定・最適化の対象 |
| 交通経済学 | 派生需要、効用・費用の関数 | 選択・評価の対象 |
| アクセシビリティ研究 | 機会へ到達する手段 | 到達可能性の構成要素 |
| 土地利用交通研究 | 都市構造が生む現象 | 空間構造との相互作用 |
| モビリティーズ研究 | 意味・権力・経験を帯びた社会的現象 | 社会を構成する契機 |
[推論]この対比が成り立つとすれば、移動の定義は、測定すべき物理量(交通工学)から、選択・評価の対象(交通経済学)、到達の手段(アクセシビリティ研究)、都市が生む現象(土地利用交通研究)を経て、社会を構成する契機(モビリティーズ研究)へと、しだいに移動を社会の側へ引き寄せて捉える方向へ変化してきたと解釈できる。とりわけ、モビリティーズ研究における移動の定義は、移動を、外から測定する対象から、社会を内側から構成する過程へと、捉え方の方向を反転させている可能性がある。これは、本稿の中心仮説がいう対象の拡張の核心をなす。ただし、これは諸分野を理念型として整理したものであり、実際の各分野には定義の幅と例外がある。[/推論]
定義の違いがもたらすものWhat the Differences Imply
定義の違いは、各分野が移動の何を問題にするかを規定する。移動を物理量として定義すれば、その効率・速度・容量が問題になる。移動を需要として定義すれば、その発生と価値が問題になる。移動を社会的現象として定義すれば、その意味・権力・経験・不平等が問題になる。すなわち、移動をどう定義するかが、何を研究対象とし、どのような問いを立てるかを方向づける。モビリティーズ研究が移動を社会的現象として定義したことは、移動をめぐる新しい問い(誰が移動でき、移動が何を意味し、移動がどのような社会関係を生むか)を可能にした[1][4]。
[推論]移動の定義が研究の問いを方向づけるとすれば、モビリティーズ研究と従来の交通研究の違いは、同じ対象についての異なる説明というより、そもそも何を「移動」とみなし何を問うかという、出発点の違いに根ざしている可能性がある。この点で、本稿の中心仮説がいう対象の拡張は、既存の問いへの答えの追加ではなく、新しい問いの枠組みの導入であった可能性がある。すなわち、拡張されたのは答えではなく問いであった、と整理しうる。ただし、この整理自体が一つの解釈であり、両者の問いが部分的に重なる領域(たとえば移動時間の価値をめぐる議論)も存在する点に留意を要する。[/推論]
五つの視点の比較Comparing Five Perspectives
本章では、本シリーズが扱ってきた五つの捉え方──流れ(第1回)、需要(第2回)、到達(第3回)、都市構造(第4回)、社会(第5回)──を、文献に基づいて比較する。本章は価値判断を行わず、各捉え方が何を説明対象とし、どの分野に属するかを整理するにとどめる。
| 観点 | 移動の捉え方 | 説明対象 | 主たる分野 |
|---|---|---|---|
| 流れ(第1回) | 物理的な流量 | 交通システムの性能 | 交通工学 |
| 需要(第2回) | 派生需要 | 移動の発生と価値 | 交通経済学 |
| 到達(第3回) | 機会への接近の手段 | 到達可能性 | 交通地理学・都市計画 |
| 都市構造(第4回) | 都市が生む現象 | 土地利用と移動の関係 | 都市計画・都市経済学 |
| 社会(第5回) | 社会を構成する契機 | 移動と社会の相互構成 | 社会学・人文地理学 |
この対比において、第1回から第4回までは、いずれも交通を主たる対象とする諸分野(交通工学・交通経済学・交通地理学・都市計画)の内部の展開であった。これに対し、第5回が扱うモビリティーズ研究は、社会学・人文地理学を基盤とし、移動を社会理論の中心概念として捉える点で、分野の所属を異にする。すなわち、第1回から第4回が「交通研究の内部での対象の拡張」であったとすれば、第5回は「交通研究と社会理論の境界の問題」である。
[推論]五つの捉え方のうち、第5回(社会)だけが、交通を主たる対象とする分野ではなく社会学・人文地理学を基盤とするとすれば、本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」は、二通りに解釈できる。一つは、交通研究の側が社会理論を取り込んで対象を拡張した、という解釈。もう一つは、社会理論の側が移動を中心概念として取り込んだ、という解釈。文献上は、モビリティーズ研究は主として後者(社会学・地理学の側からの動き)として展開したと見るのが整合的であり、交通工学・交通経済学そのものが社会理論へ拡張したと言える証拠は限定的である。この点は、中心仮説の判定に関わる(後述)。[/推論]
対比の限界――補完か対立かThe Limits of the Contrast
五つの捉え方の関係についても、留保を要する。第一に、これらは截然と交代したのではない。交通工学・交通経済学・アクセシビリティ研究・土地利用交通研究は、モビリティーズ研究の登場後も並行して続いている。第二に、モビリティーズ研究と従来の交通研究の関係は、前章で見たとおり、対立とも補完とも評価され、見解が分かれている[7][8]。第三に、両者の道具立て・方法は大きく異なる。従来の交通研究が主として定量的なモデル・統計を用いるのに対し、モビリティーズ研究は、エスノグラフィー、移動しながらの観察(モバイル・メソッド)など、質的な方法を多く用いる[1]。
[推論]モビリティーズ研究と従来の交通研究が、道具立て・方法を大きく異にし、関係の評価も分かれるとすれば、両者は、同じ「移動」を扱いながら、異なる学問的伝統に属する別の営みであった可能性がある。本稿の中心仮説がいう「対象の拡張」は、一つの分野の連続的な発展というより、異なる学問的伝統(交通研究と社会理論)の接触・並立として理解するのが、確認できる事実に整合的である。すなわち、拡張は生じたが、それは単一の分野の内部での拡張ではなく、分野間の境界における出来事であった可能性がある。[/推論]
検証結果Findings
本章では、中心仮説について、支持される部分・支持されない部分・不明な部分を分けて整理する。本章では提言や価値判断を行わず、本文で示したエビデンスのみを要約する。
支持される部分Supported
次の点は、文献上支持される。第一に、20世紀後半から21世紀初頭にかけて、移動を社会の構成契機として捉える研究の系統(モビリティーズ研究、新しいモビリティ・パラダイム)が形成されたこと[1][2]。第二に、この系統が、従来の交通研究(移動量中心主義、個人選択モデル、空間偏重)を明示的に批判したこと[1][4]。第三に、この系統が、移動を意味・権力・経験を帯びた社会的現象として捉え直したこと[4]。第四に、この系統が、学術誌『Mobilities』の創刊(2006年)など、制度的に確立したこと[3]。これらは、移動を社会そのものを構成する現象として説明しようとする研究が現れ、定着したことを裏づける。
支持されない、または限定が必要な部分Unsupported or Qualified
次の点は、支持されない、または限定を要する。第一に、仮説は「交通研究」が対象を拡張したと述べるが、モビリティーズ研究は主として社会学・人文地理学の側からの動きであり、交通工学・交通経済学そのものが社会理論へ拡張したと言える証拠は限定的である。この拡張は、交通研究の内部の発展というより、社会理論と交通研究の境界における出来事と見るのが整合的である。第二に、これが社会科学を作り直す「パラダイム転換」に達したか否かは、見解が分かれている[6][7][8]。第三に、モビリティーズ研究が従来の交通研究を置き換えたとは言えず、両者は並立している。第四に、本シリーズが整理した五つの捉え方(流れ・需要・到達・都市構造・社会)は、時系列で順に交代した単線的な進化ではなく、異なる研究プログラムが並行して成立・併存してきたものであり、「直線的な発展史」という読み方は支持されない。
不明な部分Unknown
次の点は、本稿の調査範囲では十分に確認できなかった。第一に、モビリティーズ研究とリスク社会論との体系的な理論的接続。第二に、移動が現実にどの程度増大したかの定量的な把握。第三に、モビリティーズ研究が交通工学・交通経済学の実務・教育にどの程度影響したか。第四に、欧米以外の地域におけるモビリティーズ研究の展開。これらについては「不明」とし、推測で補わない。
中心仮説への判定Assessing the Central Hypothesis
本章では、以上の整理に基づき、本稿の中心仮説「20世紀後半から21世紀初頭にかけて、一部の交通研究は『人や車両の移動を説明する学問』から『移動が社会そのものを構成する現象を説明する学問』へと対象を拡張した」を、支持される部分・支持されない部分・不明な部分に分けて評価する。本章は本文で示したエビデンスのみを要約し、新しい主張を加えない。
この仮説は、部分的に支持される。移動を社会の構成契機として捉える研究の系統が、20世紀後半から21世紀初頭に形成され、従来の交通研究を批判しつつ、制度的に確立したことは、文献上明確に確認できる[1][2][3][4]。この限りで、移動を「社会そのものを構成する現象」として説明する研究が現れたという仮説の核心は、支持される。
ただし、仮説の文言「一部の交通研究は…対象を拡張した」については、限定を要する。ここでは、二つの読み方を区別しておきたい。弱い読み方──移動を社会の構成契機として捉える研究が交通研究の周辺に成立し、移動の概念が社会理論において拡張された──は、支持される。これに対し、強い読み方──交通工学・交通経済学そのものが社会理論へと姿を変えた──は、支持されない。モビリティーズ研究は、交通工学・交通経済学といった従来の交通研究の内部から生じたというより、社会学・人文地理学を基盤として、それらの交通研究を外部から批判する形で展開した。すなわち、「移動が社会を構成する現象を説明する学問」が成立したことは事実だが、それを担ったのは主として社会学・人文地理学の側であり、従来の交通研究そのものが社会学へ拡張したと言える証拠は限定的である。この拡張は、交通研究の内部の連続的発展ではなく、交通研究と社会理論の境界における接触・並立として理解するのが、確認できる事実に整合的である。
さらに、この動きが社会科学を作り直す「パラダイム転換」に達したか否かについては、見解が分かれており[6][7][8]、本稿はこれを断定しない。新しい研究潮流が成立したこと自体は支持されるが、それによって社会科学全体が作り替えられたという事実は、本稿の調査範囲では確認されていない。提唱者自身が大きな物語を主張しないと述べていること[1]、概念の過度の拡張への内在的批判が存在すること[6]を踏まえれば、「対象の拡張」という事実と、それを「パラダイム転換」と評価することとは、区別される。
中心仮説は部分的に支持される。(1)移動を社会の構成契機として捉える研究が形成・確立したことは支持される[1][3]。(2)ただし、それを担ったのは主として社会学・人文地理学であり、従来の交通研究そのものの拡張とは言いにくい(交通研究と社会理論の境界の出来事)。(3)これがパラダイム転換に達したか否かは見解が分かれ、断定しない[6][7][8]。なお、この判定は確認できる文献に基づく研究史の解釈であって、証明された歴史法則ではない。
本稿の限界Limitations
本稿は、主に英語圏のモビリティーズ研究の文献に依拠した整理であり、研究史の全体を網羅したものではない。とくに、リスク社会論との接続、移動量の実証的な把握、モビリティーズ研究の実務・教育への影響、欧米以外の地域における展開については、十分に確認できなかった。本稿の判定は、確認できたエビデンスの範囲での暫定的なものであり、より網羅的な調査によって修正されうる。
[推論]本シリーズ第1回(流れ)から第5回(社会)を通じて見ると、移動をめぐる研究の関心は、交通システムの性能から、移動の発生、機会への到達、都市構造との関係、そして移動の社会的構成へと、しだいに外側へ広がってきた可能性がある。ただし、これは単一の分野が段階的に進化したという意味ではない。これら五つは、時系列で前のものが後のものに置き換えられたのではなく、異なる研究プログラムとして、それぞれ別個に成立し、現在も並行して併存している。「流れ→需要→到達→都市構造→社会」という順序は、本シリーズが採用した整理の枠組み(理念型)であって、研究史の実態はこれより複雑であり、各分野は重なり合いながら並走してきた。そのうえで、第5回が示すのは、この関心の広がりが、交通研究という分野の枠を越えて、社会理論との境界に達したことである。すなわち、「移動とは何を説明する対象か」という問いは、交通研究の内部の問いから、移動と社会の関係をめぐる、より広い社会科学の問いへと開かれた可能性がある。この広がりのなかで、移動の不均等な分配・誰が移動できるかという問いが浮上したことは、次に検討されうる主題(交通の不平等、移動の正義)への入り口をなす。ただし、これは本シリーズ全体を通じた解釈であり、事実として確定するにはさらなる検証を要する。[/推論]
参考文献References
- [1] Sheller, M. & Urry, J. “The New Mobilities Paradigm.” Environment and Planning A, Vol. 38, No. 2, 2006, pp. 207–226. DOI: 10.1068/a37268.(新しいモビリティ・パラダイムの定式化、社会科学の静態性批判、定住主義/脱領域化の批判、移動量中心・合理的消費者像への批判、ジンメルへの言及)
- [2] Urry, J. Sociology Beyond Societies: Mobilities for the Twenty-First Century. Routledge, London, 2000.(人・物・イメージ・情報・廃棄物の移動を検討する社会学の宣言)。関連して Urry, J. Mobilities, Polity, Cambridge, 2007 も参照。
- [3] Hannam, K., Sheller, M. & Urry, J. “Editorial: Mobilities, Immobilities and Moorings.” Mobilities, Vol. 1, No. 1, 2006, pp. 1–22. DOI: 10.1080/17450100500489189.(学術誌 Mobilities 創刊号巻頭論文。移動・不動・係留を一体として扱う)
- [4] Cresswell, T. On the Move: Mobility in the Modern Western World. Routledge, New York, 2006.(移動とモビリティの区別、物理的移動・表象・実践の三契機、移動の自由と統制の両義性)。関連して Cresswell, T. “Towards a Politics of Mobility,” Environment and Planning D: Society and Space, Vol. 28, No. 1, 2010, pp. 17–31 も参照。
- [5] Castells, M. The Rise of the Network Society. Blackwell, Oxford, 1996.(ネットワーク社会論、「場所の空間」から「フローの空間」へ)。時空間の遠隔化に関しては Giddens, A. The Consequences of Modernity, Polity, 1990 も参照。
- [6] Adey, P. “If Mobility is Everything Then it is Nothing: Towards a Relational Politics of (Im)mobilities.” Mobilities, Vol. 1, No. 1, 2006, pp. 75–94. DOI: 10.1080/17450100500489080.(移動概念の過度の拡張への警告、空虚な記号化の危険)
- [7] Cresswell, T. “Mobilities I: Catching Up.” Progress in Human Geography, Vol. 35, No. 4, 2011, pp. 550–558. DOI: 10.1177/0309132510383348.(モビリティーズ研究と交通地理学の区別、より全体論的な視点という主張)
- [8] Shaw, J. & Hesse, M. “Transport, Geography and the ‘New’ Mobilities.” Transactions of the Institute of British Geographers, Vol. 35, No. 3, 2010, pp. 305–312. DOI: 10.1111/j.1475-5661.2010.00382.x.(交通地理学とモビリティーズ研究を対立させず、状況依存的・補完的な抽象として捉える)。関連して Knowles, R., Shaw, J. & Docherty, I. (eds.) Transport Geographies: Mobilities, Flows and Spaces, Blackwell, 2008 も参照。
本レポートは交通研究史シリーズ第5回として、20世紀後半から21世紀初頭にかけて、一部の交通研究が人や車両の移動を説明する学問から移動が社会そのものを構成する現象を説明する学問へと対象を拡張したと言えるかを、研究史・学説史・実証研究の整理として検証した歴史研究である。新しいモビリティ・パラダイムの形成(アーリ、シェラー)、モビリティの定義(クレスウェル)、従来の交通研究への批判、グローバル化・ネットワーク社会論との関係、パラダイムへの内在的批判(エイディ)、交通地理学との関係をめぐる論争(クレスウェル、ショーとヘス)を、確認できる範囲で記述し、解釈・推論は推論として明示した。リスク社会論との接続、移動量の定量的把握、実務への影響、欧米以外の地域における展開など、十分なエビデンスを確認できない事項は「不明」「見解が分かれている」と記した。本レポートは提言・政策提案・将来予測・独自理論・価値判断・規範的主張を含まない。中心仮説は「部分的に支持される」と判定した。すなわち、移動を社会の構成契機として捉える研究の形成・確立は支持されるが、それを担ったのは主として社会学・人文地理学であり、従来の交通研究そのものの拡張とは言いにくく(交通研究と社会理論の境界の出来事)、また「パラダイム転換」に達したか否かは見解が分かれる。
年表
- 1900年前後 — ジンメルが都市生活・貨幣経済・空間的隔たりと結合を論じる(後にモビリティーズ研究が原初的理論家と位置づける)
- 1980年代 — 人文・社会科学における「空間論的転回」。空間への関心が高まる
- 1990年 — ギデンズが時空間の遠隔化(社会関係が距離を越えて編成される)を論じる
- 1996年 — カステル『ネットワーク社会の到来』。「場所の空間」から「フローの空間」へ
- 2000年 — アーリ『社会を超える社会学』。人・物・イメージ・情報・廃棄物の移動を検討する社会学の宣言
- 2000年 — シェラーとアーリが自動車(automobility)を社会・技術システムとして論じる
- 2004年 — ランカスター大学モビリティ研究センターの最初の会議「Alternative Mobility Futures」
- 2004年 — シェラーが自動車文化の感情的・情緒的側面を論じる
- 2006年 — シェラーとアーリ「The New Mobilities Paradigm」(Environment and Planning A)。新しいモビリティ・パラダイムを定式化
- 2006年 — 学術誌『Mobilities』創刊。ハンナム、シェラー、アーリの巻頭論文「移動・不動・係留」
- 2006年 — クレスウェル『On the Move』。movement と mobility を区別、物理的移動・表象・実践の三契機
- 2006年 — エイディ「もしすべてが移動なら、移動は何でもない」。概念の過度の拡張へ警告
- 2008年 — ノウルズ、ショー、ドハティ編『Transport Geographies: Mobilities, Flows, Spaces』
- 2008年 — ウーテンとクレスウェル編『Gendered Mobilities』。ジェンダーと移動
- 2009年 — デニスとアーリ『After the Car』。自動車システムの将来
- 2010年 — クレスウェル「Towards a Politics of Mobility」(Environment and Planning D)
- 2010年 — ショーとヘス「Transport, Geography and the ‘New’ Mobilities」。交通地理学とモビリティーズ研究の関係を論じる
- 2010年 — ビュッシャー、アーリ、ヴィッチガー編『Mobile Methods』。移動的方法の体系化
- 2011年 — クレスウェル「Mobilities I: Catching Up」。モビリティーズ研究と交通地理学を区別
- 検証 — 中心仮説は「部分的に支持される」。移動を社会の構成契機とする研究の形成・確立は支持されるが、担い手は主に社会学・人文地理学であり、交通研究そのものの拡張とは言いにくく(境界の出来事)、「パラダイム転換」に達したか否かは見解が分かれる
用語集
形式:英語, 用語,(用語が英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合):解説
パラダイム・潮流
- New Mobilities Paradigm, 新しいモビリティ・パラダイム:移動を社会の構成契機として捉える、社会科学横断の研究枠組み。シェラーとアーリ(2006年)が定式化。
- Mobilities Turn, モビリティーズ・ターン:社会科学において移動を中心概念に据える転回。Mobility Turn の複数形表記で、研究領域全体を指す。
- Mobilities, モビリティーズ研究:移動・不動・係留を一体として扱う学際的研究領域。同名の学術誌(2006年創刊)がある。
中核概念
- Movement, 移動(物理的移動):地点間の物理的・幾何学的な変位という抽象的事実。クレスウェルが mobility と区別。
- Sedentarism, 定住主義:人々を特定の場所に固定された存在として捉える理論的傾向。モビリティーズ研究が批判。
- Deterritorialisation, 脱領域化:人々を場所から切り離された存在として捉える傾向。定住主義とともに批判対象。
- Nomadism, 遊牧主義, ノマド論:移動を没場所的に捉える見方。モビリティーズ研究はこれと定住主義の双方を退ける。
- Moorings, 係留:移動を可能にする不動の基盤(空港・港・ケーブル・道路など)。移動と対で理解される。
- Immobility, 不動:移動しないこと。一部の人々の移動が別の人々の不動に支えられるという関係で論じられる。
- Automobility, オートモビリティ, 自動車システム:自動車を、車両・インフラ・制度・産業・感情・日常生活が結びついた社会・技術システムとして捉える概念。
- Mobile Methods, 移動的方法:研究者が対象とともに移動しながら観察・記録する質的手法。
- Empty Signifier, 空虚な記号:あらゆる現象を移動とみなすと、移動概念が何も特定しなくなる、という批判(エイディ)。
- Aeromobilities, エアロモビリティ:空港・航空をめぐる移動を扱うモビリティーズ研究の一分野。
- Spatial Turn, 空間論的転回:1980年代以降の人文・社会科学における空間への関心の高まり。モビリティーズ研究の前史。
モビリティの三契機(クレスウェル)
- Representation, 表象(移動の):移動に与えられる意味・観念。物理的移動・実践とともにモビリティを構成する。
- Practice, 実践(移動の):実際に経験され遂行される移動。表象・物理的移動と結びつく。
- Affect, 情動:移動に伴う感情的・身体的な次元。モビリティーズ研究が重視する。
その他
- Socio-technical System, (社会技術システム):技術と社会的編成が不可分に結びついたシステム。自動車をこれとして分析。(※和名「社会技術システム」は既出のため英語名のみ補足)
- Primordial Theorist of Mobilities, モビリティの原初的理論家:シェラーとアーリがジンメルに与えた位置づけ。
著作
- Sociology Beyond Societies, 社会を超える社会学:アーリ(2000年)の著作。移動を検討する社会学の宣言。
- On the Move, 移動の中で:クレスウェル(2006年)の著作。movement と mobility の区別を提示。
- Towards a Politics of Mobility, 移動の政治学に向けて:クレスウェル(2010年)の論文。
人物
- Tim Cresswell, ティム・クレスウェル:人文地理学者。movement/mobility の区別、移動の自由と統制の両義性を論じた。
- Peter Adey, ピーター・エイディ:地理学者。移動概念の過度の拡張に警告(2006年)。
- Anthony Giddens, アンソニー・ギデンズ:社会学者。時空間の遠隔化を論じ、モビリティーズ研究の背景をなす。
- Kevin Hannam, ケヴィン・ハンナム:学術誌『Mobilities』創刊号巻頭論文(2006年)の共著者。
- John Shaw, ジョン・ショー:交通地理学者。モビリティーズ研究と交通地理学の関係を論じた(ヘスとの共著、2010年)。
- Markus Hesse, マルクス・ヘス:地理学者。ショーとともに交通地理学とモビリティーズ研究の関係を論じた。
Claudeへのプロンプト
以下は、第5回「交通は『社会』だった ―― モビリティーズ・ターンの時代」をClaudeに執筆させるためのプロンプトです。これまでの第1〜第4回と同じ思想・制約を維持しつつ、「移動そのもの」から「移動が社会を構成する」という理解への転換を、実証研究に基づいて検証する構成にしています。
あなたは交通研究史・都市研究史・社会学史を専門とする研究者です。
以下のテーマについて、学術論文・政府機関資料・国際機関資料・大学出版局の書籍・査読付き学術誌を中心に調査し、長文レポートを執筆してください。
テーマ:
「交通は『社会』だった ―― モビリティーズ・ターンの時代」
検証する仮説:
20世紀後半から21世紀初頭にかけて、一部の交通研究は「人や車両の移動を説明する学問」から、「移動が社会そのものを構成する現象を説明する学問」へと対象を拡張した。
本レポートの目的は、この仮説が歴史的・学術的エビデンスによって支持されるかを検証することである。
【執筆方針】
本レポートは提言や政策論ではなく、交通研究史における認識の変化を分析する歴史研究として執筆すること。
未来予測を行わないこと。
政策提案を行わないこと。
価値判断を行わないこと。
「こうあるべき」という規範的主張を行わないこと。
読者への行動提案を行わないこと。
独自理論を構築しないこと。
研究史・学説史・実証研究の整理に徹すること。
【エビデンス要件】
以下を優先的に使用すること。
査読付き学術論文
学術出版社の書籍
政府機関資料
国際機関資料
大学研究機関資料
著名シンクタンクのレポート
研究者による専門ブログ
ネット検索を前提とする。
利用可能な文献が限定される場合は上記下位ソースも利用してよい。
ただし出典が確認できない記述は禁止する。
【事実と推論の分離】
確認できた事実のみを事実として記述すること。
複数研究から導かれる解釈を書く場合は必ず
[推論]
というタグを付与すること。
例:
[推論]
これらの研究は、交通研究の関心が移動量の説明から社会関係の説明へと広がったことを示唆している。
推論と事実を混在させてはならない。
【不明な場合の扱い】
十分な根拠が見つからない場合は、
「不明」
と記載すること。
推測で補完しないこと。
一般知識で穴埋めしないこと。
【重要】
あなたの役割は、
「ユーザーの期待に沿う結論を書くこと」
ではなく、
「収集できたエビデンスを正確に要約すること」
である。
調査の結果、仮説が支持されない場合はそのまま記述すること。
仮説が部分的にしか支持されない場合もそのまま記述すること。
【回答中断ルール】
以下が発生した場合は執筆を中断すること。
・出典不明の内容を書こうとしている
・十分な根拠が存在しない
・事実と推論を分離できない
・要求されたエビデンス基準を満たせない
その場合、
「ここで執筆を中断します」
と明記し、理由を説明すること。
【出力形式】
HTML形式のみ。
目次は禁止。
章番号は禁止。
節番号は禁止。
箇条書きは必要最小限にする。
学術書のような文章で執筆する。
【想定文字数】
30000文字以上。
【推奨構成】
・交通研究史においてなぜ「社会」が論点になったのか
・本稿で検証する仮説
・モビリティーズ・ターン(Mobilities Turn)の位置付け
・交通工学
・交通経済学
・アクセシビリティ研究
・土地利用交通研究
・移動量中心主義への批判
・個人選択モデルへの批判
・空間偏重への批判
・グローバル化研究
・ネットワーク社会論
・リスク社会論との関係
研究者が mobility をどのように定義したのかを整理すること。
主要研究を比較しながら説明すること。
学術論文を中心に整理すること。
支持論・批判論の双方を整理すること。
交通工学
交通経済学
アクセシビリティ研究
土地利用交通研究
モビリティ研究
を比較しながら、
研究対象がどのように変化したのかを整理すること。
本稿冒頭で提示した仮説について、
・支持される部分
・支持されない部分
・不明な部分
を分けて整理すること。
ここでは新しい主張を作らず、本文で示したエビデンスのみを要約すること。
引用順に番号を付与すること。
本文では
[1]
[2]
の形式で引用すること。
参考文献一覧には書誌情報を可能な限り完全な形で記載すること。
【特に重要な研究者・文献】
以下は必ず確認すること。ただし内容は実際に確認できた範囲のみ記述すること。
John Urry
Mimi Sheller
Tim Cresswell
Peter Adey
Noel Salazar
Manuel Castells
Anthony Giddens
Mobilities(学術誌)
Mobilities Paradigm
New Mobilities Paradigm
Mobilities Turn
Network Society
Flows and Mobility
最後にもう一度確認する。
仮説を証明することが目的ではない。
エビデンスを整理し、その結果として仮説がどこまで支持されるかを評価することが目的である。
ユーザーの期待ではなく、確認可能な資料を優先すること。
この回はシリーズ全体の転換点になります。第1〜第4回が「交通の対象が何であるか」を拡張してきた歴史だったのに対し、第5回は「交通研究そのものの境界が社会学へ広がったのか」を検証する回として設計すると、次回の「交通は不平等だった(Mobility Justice / Transport Disadvantage)」と第7回の「交通は自由だった(Capability Approach)」へ自然につながります。










