【スライド】The_Connectivity_Blueprint

序論 本レポートが検証する問い

本レポートが検証する問いは一つである。「欧州はなぜ『道路が足りない』のではなく、『ネットワークがつながっていない』ことを問題として認識したのか」。この問いは、EUがどのような統治権限を持つかという問い(前作TE10・TE11で扱った問い)とは異なる。本レポートが追うのは、政策の「対象」そのものが、個別インフラの不足から、インフラ間・国境間の接続不足へと移行した、その認識の変化の過程である。

政策形成は、一般に「問題設定(何が問題と認識されるか)」→「政策対象(何を対象として扱うか)」→「制度(どのような手段で対応するか)」という順序をたどる。本レポートは、この順序に沿って、欧州委員会の白書・政策文書を時系列で検証する。

第一章 従来の交通政策は何を対象にしていたか

欧州経済共同体(EEC)設立条約(1957年、ローマ条約)は、共通運輸政策(Common Transport Policy)を共同体の政策分野の一つとして規定していたが、その具体化は長期にわたり停滞した。欧州議会がこの不作為を理由に理事会を提訴し、欧州司法裁判所(当時のECJ)は1985年5月22日の判決(Case 13/83)で、理事会に対し真の共通運輸政策の構築に着手するよう促した[1]。この事実が示すのは、1993年の政策転換に先立つ約30年間、欧州レベルでの運輸政策は実質的にほとんど機能していなかったという点である。

この判決を受けて具体化が進み、1992年12月2日、欧州委員会は最初の本格的な白書「共通運輸政策の将来的発展(The Future Development of the Common Transport Policy)」(COM(92)494)を採択した[2]。欧州議会の委員会報告(1996年)は、この白書が「欧州レベルでの共同体戦略・調和の欠如に一部起因する、運輸システムの深刻な不均衡」を分析したと説明している[3]。この1992年白書が焦点を当てたのは、運輸市場の開放(opening up the transport market)であった[4]。具体的には、道路カボタージュの実現、航空安全基準の統一、鉄道市場の段階的開放といった、モードごとの規制緩和市場統合が主要な政策手段として掲げられた[4][5]。

すなわち、1993年の転換以前における欧州運輸政策の政策対象は、(1)モード別(道路・鉄道・航空・海運)に区分された市場であり、(2)各モード内部での規制緩和競争導入(カボタージュの自由化、運賃規制の撤廃等)を主たる政策手段としていた。この段階での政策対象は、モード間の「接続」ではなく、モード内部の「競争条件」であった。

第二章 1993年白書は何を問題として発見したか

1992年白書からわずか1年後の1993年12月5日、欧州委員会は運輸政策とは別の文脈——深刻な景気後退と欧州域内1,700万人の失業という経済危機——への対応として、ジャック・ドロール委員長のもとで白書「成長・競争力・雇用(Growth, Competitiveness and Employment)」(COM(93)700 final)を採択した[6][7]。この白書は運輸専門の政策文書ではなく、雇用・成長戦略全体を扱う経済政策文書であった。しかし、この白書が欧州横断ネットワーク(Trans-European Networks)を提起した箇所において、初めて、単一モードの市場条件とは異なる種類の問題が明示的に言語化された。

白書は次のように診断した。「欧州の輸送・エネルギー・電気通信ネットワークは、ボトルネックと、モード間・システム間の相互運用性の欠如に苦しんでいる(suffer from bottlenecks and lack of interoperability between modes and systems)」[7]。白書はさらに「真に複合的(multimodal)な戦略を開発することが不可欠である」と明記した[8]。

この診断が、1992年白書の問題設定と決定的に異なる点を確認する必要がある。1992年白書が扱った問題は「モード内部の競争が制限されている」ことであった。これに対し1993年白書が発見した問題は、「モードとモードの間、システムとシステムの間が、物理的・技術的に接続していない」ことであった。前者は市場の内部(同一モード内の事業者間競争)の問題であり、後者はモードとモードの外部(異なるモード・異なる国のインフラの間)の問題である。この2つは、同じ「運輸政策」という括りの中にありながら、扱う対象の次元が異なる。

第三章 なぜ接続不足は従来政策では解決できなかったか

1992年白書が採用していたモード別の規制緩和という政策手法は、定義上、単一モード内部の競争条件を変更する手段である。道路カボタージュの自由化は道路輸送の市場を、鉄道市場の開放は鉄道の市場を、それぞれ個別に対象とする。しかし、ある国の道路網が隣国の道路網と物理的にどう接続するか、ある国の鉄道の信号方式が隣国のそれと技術的に整合するか、道路輸送から鉄道輸送への積み替えが円滑に行えるか、といった「モードとモードの間」「国境のこちら側とあちら側の間」の問題は、単一モードを対象とする規制緩和政策の射程には、そもそも入らない。

加えて、この種の接続の問題には、本レポート前作(TE11)で確認した通り、国境を越える便益の波及という性質がある。ある加盟国が自国領域内のインフラを整備しても、その接続部分の便益は、隣接する加盟国・そこを経由する第三国にも及ぶ。単一モード内の市場開放政策は、こうした国境を越える接続の外部性を、政策の設計対象として想定していなかった。すなわち、1992年白書のモード別・市場開放型の政策枠組みは、1993年白書が新たに発見した「モード間・国境間の接続」という問題を、その手法の性質上、解決する手段を持っていなかった。

第四章 政策対象はインフラからネットワークへ移った

1993年白書が提起した欧州横断ネットワーク構想は、1993年12月10〜11日のブリュッセル欧州理事会で承認され、1994年6月のコルフ欧州理事会、同年12月のエッセン欧州理事会を経て、優先輸送ネットワーク事業として政治的に確立された[6]。この過程で確立された政策単位は、個別の道路・個別の鉄道路線ではなく、「回廊corridor)」であった。回廊とは、複数のモード・複数の加盟国にまたがる、始点から終点までの連続した輸送経路を指す単位である。

この政策単位の転換が意味するのは、政策の対象が「個々のインフラ資産(この道路、この鉄道)」から、「複数のインフラ・複数の主体をまたぐ接続そのもの(この回廊がどこからどこまで途切れずにつながっているか)」へと移行したということである。1993年白書は、この新しい政策単位を実現するための投資について、「単一の巨大かつ持続的な取り組み(a joint, massive and sustained effort)」を官民の主体に求めるとしており、単一の加盟国・単一の事業者による対応では不十分であるという前提を明示していた[8]。マーストリヒト条約(1993年11月発効)が欧州横断ネットワークの条約上の根拠(当時の第129条b〜d、現行TFEU第170〜172条)を新たに設けたのも、この新しい政策対象——モード別の市場ではなく、モードを横断する接続——に対応する法的枠組みが、従来の条約には存在しなかったことを示している。

第五章 「接続」という問題設定はその後の政策へどう引き継がれたか

1993年白書が発見した「接続不足」という問題設定は、その後の複数の政策手段に一貫して引き継がれている。第一に、TEN-T欧州横断輸送ネットワーク)そのものが、前述の通り回廊を単位とする、接続を対象とする政策として発展した。第二に、複合輸送combined transport)政策は1975年以降、道路から鉄道・内陸水運・海運への転換を促す政策として存在していたが[9]、2003年に制度化されたMarco Polo プログラム(Regulation (EC) No 1382/2003)は、モーダルシフトModal Shift Action)・カタリスト(構造的障壁の除去、Catalyst Action)・共通学習(Common Learning Action)という3類型の行動を通じて、道路一辺倒からの転換を財政的に支援する仕組みへと発展した[10][11]。Marco Polo IIの事後評価報告書は、モードを移し替える際の効率——単一モードでは測れない、輸送チェーン全体としての効率——を評価基準としていたことを記録している[12]。

第三に、本レポート前作(TE10)で確認したRFCRail Freight Corridor)・RNERailNetEurope)も、国際貨物列車の運行を、加盟国ごとに分断された線路容量配分の手続きではなく、回廊全体で一体的に調整する仕組みとして設計されている。これも「モード内部の市場条件」ではなく「国境をまたぐ接続の手続き」を対象とする点で、1993年白書の問題設定と同じ系譜に位置づけられる。第四に、シンクロモダリティ(synchromodality)という概念は、荷主が特定のモードを事前に固定せず、リアルタイムの状況に応じて道路・鉄道・内陸水運の間で輸送手段を柔軟に切り替えるという考え方であり、学術文献ではvan Riessenら(2015)の研究等を通じて、内陸物流の「グリーン化」の文脈で科学・政策の両面から推進されてきたと整理されている[13]。この概念も、モードそれ自体を固定的な政策単位とするのではなく、モード間の切り替え・接続を前提とする点で、1993年白書以来の問題設定の延長線上にある。

第五に、本レポート前々作(フィジカルインターネットの海外動向)で確認したフィジカルインターネットPI)構想も、貨物の「コンテナ」「ハブ」「プロトコル」の相互接続性を核心とする点で、この系譜の最も抽象化された到達点として位置づけられる。PIが対象とするのは、特定のモード・特定のインフラではなく、あらゆるモード・あらゆる事業者をまたぐ相互接続性そのものである。TEN-T(1993年)からPI(2011年提唱)に至るこの系譜は、「対象とする問題が、個別モードの内部から、モード間・事業者間の接続そのものへと、一貫して拡張され続けてきた」という単一の軌跡として整理できる。

結論 欧州が変えたのは制度ではなく、問題の見方だった

本レポートの検証結果を整理する。1992年白書までの欧州運輸政策は、モード別に区分された市場の内部(競争条件)を政策対象としていた。1993年白書は、運輸政策とは別の文脈(景気後退・雇用危機への対応)の中で、単一市場が完成してもなお残る問題として、モード間・国境間の「接続の欠如」を新たに発見した。この問題は、モード別の市場開放政策という従来の手法では、その射程の外にあるため解決できなかった。この結果、政策対象は個別インフラから、複数モード・複数国をまたぐ「回廊」というネットワーク単位へと移行し、この新しい政策対象に対応する条約上の根拠(現行TFEU第170〜172条)が新設された。そして、この「接続」という問題設定は、TEN-T以降、Marco Poloプログラム、RFCRNE、シンクロモダリティ、フィジカルインターネットに至るまで、一貫して引き継がれている。

この一連の検証から導ける結論は、欧州が1993年前後に行ったのは、新しい制度を作ったことそれ自体ではなく、その前提として、運輸政策が扱うべき「問題」の定義そのものを変えたということである。すなわち、「道路が足りているか」という問いから、「道路と道路、道路と鉄道、この国とあの国が、つながっているか」という問いへの転換である。TEN-Tという制度は、この新しい問いに対する一つの回答に過ぎず、制度を後から個別に取り上げて分析しても、なぜ欧州がこの制度を必要としたのかは説明できない。本レポートが示したのは、その制度に先立つ、問題の発見そのものの過程である。

ただし、本レポートの結論には限界がある。本レポートが検証したのは、欧州委員会の白書という公式文書に現れた問題設定の変化であり、この変化を政治的に後押しした個々のアクター(特定の加盟国政府、産業界のロビー活動、欧州議会内の力学等)の動機については、本レポートの調査範囲では検証できておらず「不明」である。また、1993年白書における「接続」という問題認識が、白書起草者の独自の発見であったのか、それ以前の学術的・実務的な議論(例えば物流学・地域科学におけるネットワーク理論)から借用されたものであったのかについても、本レポートの調査範囲では確認できず「不明」である。

参考文献

[1] European Parliament「Common transport policy: Overview」Fact Sheets on the European Union(Case 13/83、1985年5月22日判決に関する記載箇所)
[2] European Parliament「Common transport policy: Overview」(1992年12月2日白書COM(92)494に関する記載箇所)
[3] European Parliament A4-0075/1996「Report on the Common Transport Policy Action Programme 1995-2000」(1992年白書の分析内容に関する記載箇所)
[4] EUR-Lex「White paper: European transport policy for 2010」Summary(1992年白書の市場開放という焦点に関する記載箇所)
[5] 同上(道路カボタージュ・航空安全基準・鉄道市場開放に関する記載箇所)
[6] EUR-Lex「51994IR0171 – Opinion of the Committee of the Regions」(1993年白書の政治プロセス、ブリュッセル・コルフ・エッセン各欧州理事会に関する記載箇所)
[7] Generalitat de Catalunya(CSI)「White Paper on growth, competitiveness, and employment」(1993年白書原文、ボトルネック相互運用性の欠如に関する記載箇所)
[8] 同上(複合的戦略の必要性、共同の取り組みに関する記載箇所)
[9] EUR-LexIntermodal transport: The Marco Polo Programme」Summary(1975年以降の複合輸送政策に関する記載箇所)
[10] EUR-Lex「The Marco Polo II programme」Summary(Regulation (EC) No 1382/2003、行動類型に関する記載箇所)
[11] 同上
[12] European Commission「Ex ante Evaluation Marco Polo II (2007-2013) Final Report」(評価基準に関する記載箇所)
[13] FEPORT「Modal shift and Synchromodality」(van Riessen et al., 2015の引用箇所)

Claude へのプロンプト

T11】へのコメント
率直に言うと、このレポートはTEシリーズのテーマとしては失敗です。
理由は、「一つの問いに一つの答え」になっていないからではありません。
問いそのものを取り違えています。
あなたがずっと追ってきた問いは、
なぜ欧州は日本と違い、「物流ネットワーク」という発想に至ったのか。
です。
しかし出来上がったレポートは、
EUはなぜ加盟国を命令できないのか。
になっています。
これは全く別の問いです。

一番の問題
結論が
「補完性原則だから」
になっています。
しかし考えてみてください。
補完性原則があるからといって、
物流ネットワークという発想になるでしょうか?
例えば
農業政策
環境政策
エネルギー政策
も補完性原則の下ですが、
全部TEN-Tのようなネットワーク政策ではありません。
つまり
補完性原則は説明変数になっていない。

条約を読んでも思想は分からない
条約は
「何ができるか」
を書いています。
あなたが知りたいのは
「なぜその発想になったのか」
です。
レイヤーが違います。

一番重要だった資料
実はこのレポートで一番重要なのは
1993年白書です。
そこに
ボトルネック
相互運用性不足
モード間接続
が書いてあります。
つまり
問題設定
です。
政策は
問題設定

政策対象

制度
の順番です。
このレポートは
制度

問題
と逆から説明しています。

私なら問いを変えます
私はもう
ガバナンスをテーマにしません。
テーマは
欧州は何を「問題」と認識したのか
です。
これなら
1993白書

TEN-T

RFC

シンクロモーダル

PI
全部一本でつながります。

つまり
第一章
従来の交通政策は何を対象にしていたか
第二章
1993白書は何を問題として発見したか
ここが核心。
「道路不足」
ではない。
「接続不足」
である。
第三章
なぜ接続不足は従来政策では解決できなかったか
第四章
だから政策対象が
インフラ

ネットワーク
へ変わった
第五章
この問題設定は
TEN-T
RFC
RNE
Marco Polo
シンクロモーダル
へどう一貫したか
結論
欧州が変えたのは制度ではなく、「問題の見方」だった。

これならシリーズ全体の総論になる
あなたのシリーズを思い返してください。
TE1~TE9は
全部
「ネットワークをどう作ったか」
です。
しかし
なぜネットワークを作ろうと思ったか
はまだありません。
そこが空白です。

私は次はここを掘ります
問いは一つだけです。
欧州はなぜ「道路が足りない」のではなく、「ネットワークがつながっていない」ことを問題として認識したのか。
この問いなら、White Paperや政策形成資料を中心にエビデンスで追えますし、TEN-T以降のシリーズ全体の思想的な起点になります。
私は、こちらの方が現在のレポートよりも、あなたがシリーズを通して追いかけてきた「Why」に真正面から答えるテーマだと考えます。
率直なご指摘、ありがとうございます。確かに問題を取り違えていました。「EUになぜ命令権限がないか」という統治論と、「欧州がなぜ『接続不足』を問題として発見したか」という認識論は、レイヤーが違う問いです。前者は「何ができるか」の説明にしかならず、「なぜそう考えたか」には答えていませんでした。ご提示いただいた構成(問題設定→政策対象→制度という順序、1993年白書を核心に据える設計)で書き直します。
追加で必要な調査を行い、TE12として執筆します。6,800字、7章+参考文献です。HTMLとして仕上げます。TE12が完成しました。約6,800字、序論+5章+結論+参考文献です。ご指摘いただいた「問題設定→政策対象→制度」の順序で、当初のTE10/TE11とは異なる論証を組みました。
決定的だったのは、1992年白書と1993年白書が別物だったという事実です。
1992年12月2日白書(COM(92)494):「共通運輸政策の将来的発展」。焦点は市場開放(道路カボタージュ・航空安全基準統一・鉄道市場の段階的開放)。モード内部の競争条件が対象で、まだ「接続」の発想はない
1993年12月5日白書(COM(93)700):運輸政策文書ですらなく、景気後退・雇用危機への対応を扱う経済政策文書。ここで初めて「ボトルネックと、モード間・システム間の相互運用性の欠如」という診断が現れる
この1年の差、そして「運輸白書」と「雇用白書」という文書の性格の違いこそが、politics(統治権限)ではなくperception(問題認識)の転換点だったことを示す一次証拠になりました。
第五章では、この「接続不足」という問題設定が、Marco Polo(1975年以降の複合輸送政策の系譜)→RFC/RNE→シンクロモダリティ→PIまで一貫していることを示し、「欧州が変えたのは制度ではなく、問題の見方だった」という結論に収させています。
なお、1985年の欧州司法裁判所判決(理事会の不作為を断罪)も発見し、1993年以前の約30年間、EU運輸政策がほぼ機能していなかったという前提を第一章で明確にしました。TE10・TE11とは異なる階層の問いに、正面から答えられたと考えています。