良い都市空間とは何でしょうか。人が歩きたくなり、思わず立ち止まり、誰かと出会いたくなる空間。それは美観の問題ではなく、人間の行動と社会関係を支える設計の問題です。リンチは人がどう都市を認識するかを、ジェイコブズは街路の多様性と活気を、ホワイトはなぜ人が広場に集まるかを、ゲールは人間尺度を問いました。そして現代のプレイスメイキングへ。ただし問わねばなりません――その良い空間は、誰のための空間なのか。都市理論シリーズ第九弾。

※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります。

目次

はじめに ― 良い都市空間とは何か

前回の第8回では、都市計画理論をたどり、「都市をどのように計画するか」という問いを探究しました。合理的計画から漸進主義アドボカシー・プランニングコミュニケーション的計画、そしてガバナンスへと至る計画思想の変遷を通じて、私たちは、計画が誰によって、どのような手続きで、誰のために行われるべきかという、計画のプロセスと理念をめぐる議論を整理しました。

しかし、前回の末尾でも述べたように、計画の手続きや理念を論じることと、その計画が目指すべき「良い空間」の具体的な姿を描くことは、別の事柄です。どれほど民主的で公正な手続きを踏んだとしても、では実際に、どのような空間が人々にとって望ましいのか — 人が歩きたくなり、滞留したくなり、出会いたくなるような空間とは、どのようなものなのか — という問いには、別途、答えなければなりません。本稿が扱うのは、まさにこの問いです。すなわち、「良い都市空間とは何か」という問いです。

都市計画と都市デザインの違い

この問いに入る前に、本稿の主題である都市デザイン(urban design)が、前回扱った都市計画(urban planning)と、どう異なるのかを、整理しておきましょう。両者は密接に関連し、しばしば重なり合いますが、その関心の焦点には違いがあります。

都市計画が主として扱うのは、土地利用、制度、インフラといった、都市の骨格をなす枠組みです。どの地区をどのような用途に充てるか、道路や鉄道をどう配置するか、開発をどう規制し誘導するか — こうした、都市全体の構造と仕組みに関わる事柄が、都市計画の領域です。これに対して都市デザインが扱うのは、より具体的で、人間の経験に近い次元です。すなわち、空間体験、景観、歩行環境、公共空間といった、人々が実際に都市を歩き、見て、過ごすときに経験する、空間の質です。

比喩的に言えば、都市計画が都市の「骨格」や「仕組み」を扱うのに対し、都市デザインは、人々が日々接する都市の「肌ざわり」や「表情」を扱う、と言えるかもしれません。ある街路が歩いていて楽しいか、ある広場が人を引き寄せるか、ある街並みが心地よいか — こうした、人間と空間との具体的な関係こそが、都市デザインの問いなのです。筆者の見るところ、この区別は絶対的なものではなく、両者は連続しています。しかし、本稿が「良い都市空間とは何か」という問いに焦点を当てる以上、計画の制度やプロセスよりも、空間の質と人間の経験に光を当てる、都市デザインの視座が、中心となります。

本稿の問いと道筋

本稿全体を貫く問いは、「良い都市空間とは何か」です。この大きな問いを、本稿では、いくつかのより具体的な問いへと分解しながら、探究していきます。すなわち、人はどのような空間を魅力的と感じるのか。なぜ活気ある街路が生まれるのか。なぜ人は公共空間に滞留するのか。歩きたくなる都市とは、どのようなものなのか。これらの問いに、20世紀後半の都市デザイン理論が、いかに答えてきたのかを、たどっていきます。

本稿がたどる知的な系譜は、おおよそ次のような流れをなしています。まず、近代都市計画の機能主義への批判の中から、人間が都市をどう認識するのかを問うたケヴィン・リンチ(Kevin Lynch)、都市の生命が多様な街路にあることを説いたジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)が登場します。次に、人々が公共空間でどう行動するのかを観察によって解明したウィリアム・H・ホワイト(William H. Whyte)、人間の尺度から都市を構想したヤン・ゲール(Jan Gehl)へと展開します。さらに、これらとはやや異なる系譜に属しながら、徒歩圏という人間の生活圏から都市を構想した先駆として、クラレンス・ペリー(Clarence Perry)の近隣住区論を取り上げ、最後に、これらの理論を現代へとつなぐプレイスメイキング(placemaking)の実践へと至ります。リンチ、ジェイコブズ、ホワイト、ゲール、そしてプレイスメイキングへ — この知的系譜を、相互の関係性に注目しながら、たどっていきましょう。

近代都市計画の限界と都市デザインの誕生

都市デザインの理論が、20世紀の半ばに本格的に登場してきた背景には、それ以前の近代都市計画 — とりわけ機能主義(functionalism)の都市観 — への、根本的な批判がありました。都市デザインは、いわば、近代都市計画が見失ったものを取り戻そうとする営みとして、生まれてきたのです。まずは、その批判の対象となった、近代都市計画の都市観を見ておきましょう。

ル・コルビュジエと機能主義都市

近代都市計画の機能主義を代表する人物が、建築家のル・コルビュジエ(Le Corbusier)です。彼が構想した都市像は、20世紀の都市計画と都市建設に、計り知れない影響を与えました。

ル・コルビュジエ都市構想の核心にあったのは、都市を、合理的に機能を整理した、効率的な機械として捉える発想でした。彼は、過密で雑然とした既存の都市を否定し、それに代えて、広大な空地の中に高層建築を建て、そこに人々を集住させる都市像を描きました。建物と建物のあいだには、広々とした緑地と、自動車のための高速道路が配置されます。住む、働く、憩う、移動するといった都市の諸機能は、それぞれ別の区域に明確に分離されます。これは、前回扱った用途地域制(ゾーニング)による、機能の分離 — とりわけ職住分離 — の思想と、深く結びついていました。

この機能主義都市の特徴を、いくつか挙げておきましょう。第一に、自動車を中心とした都市構造です。広い道路と高速道路が都市を貫き、移動は主として自動車に委ねられます。第二に、機能の徹底した分離です。住宅地、業務地、商業地、工業地が、それぞれ別々の区域に配置されます。第三に、スーパーブロック(超大街区)の採用です。従来の細かい街区に代えて、大きな街区が設けられ、その中に高層の建物が配置されます。第四に、高層団地です。人々は、緑地に囲まれた高層の集合住宅に、集住することになります。

機能主義都市がもたらしたもの

こうした機能主義都市構想は、20世紀半ばの世界各地で、実際の都市建設に適用されました。戦災からの復興、急増する人口への対応、スラムの一掃といった課題に対して、機能主義都市は、合理的で効率的な解決策に見えました。しかし、実際に建設された機能主義都市は、やがて、深刻な問題を抱えていることが明らかになっていきます。

第一に、街路の衰退です。機能主義都市では、自動車のための広い道路はあっても、人々が歩き、出会い、滞留するような、活気ある街路が失われていきました。建物は道路から後退し、広大な空地に孤立して建ち、街路に面した店舗や賑わいは消えていきました。第二に、人間尺度(human scale)の喪失です。高層建築と広大な空地、広い道路からなる都市は、人間の身体的なスケールからかけ離れ、歩く人にとっては、広々として、しかし空虚で、よそよそしい空間となりました。第三に、公共空間の空洞化です。緑地は豊富にあっても、それらは人々に使われず、誰のものでもない、活気を欠いた空間にとどまりました。機能を分離した結果、人々が自然に集まり、交わる場が失われていったのです。

筆者の見るところ、機能主義都市の最大の問題は、都市を、効率的に機能を配置すべき「機械」として捉えるあまり、都市が、生身の人間が暮らし、歩き、出会う「生活の場」であることを、見失ってしまった点にあります。都市は、図面の上では合理的に見えても、そこで実際に生きる人々の経験の次元では、しばしば貧しいものとなっていたのです。本稿でこれから見ていく都市デザインの理論家たちは、いずれも、この機能主義都市への批判を出発点として、都市を、人間の経験と生活の次元から捉え直そうとした人々でした。彼らに共通していたのは、上から都市を設計する計画家の視点ではなく、都市の中を歩き、暮らす、生身の人間の視点から、都市を考えようとする姿勢だったのです。最初に登場するのは、人間が都市をどのように「認識」しているのかを問うた、ケヴィン・リンチです。

ケヴィン・リンチ ― 都市はどのように認識されるのか

都市デザインの理論に、新しい視座を切り開いた最初の重要な人物が、アメリカの都市計画家ケヴィン・リンチ(Kevin Lynch)です。彼が1960年に著した『都市のイメージ(The Image of the City)』は、都市デザインの古典として、今日まで読み継がれています。

リンチの問題意識 ― 認識される空間としての都市

リンチが立てた問いは、それまでの都市計画には見られない、新鮮なものでした。それは、「人々は、都市をどのように認識し、頭の中に思い描いているのか」という問いです。従来の都市計画が、都市を、上空から見下ろした図面の上で、物理的に配置すべき対象として捉えていたのに対し、リンチは、都市を、地上を歩く人々が、知覚し、記憶し、頭の中に像を結ぶ、認識の対象として捉え直しました。

なぜ、この問いが重要なのでしょうか。リンチの洞察はこうです。人々が都市の中で快適に活動し、迷うことなく目的地にたどり着き、その都市に愛着をもつためには、都市が、認識しやすく、頭の中に明快な像を結びやすいものでなければなりません。逆に、認識しにくく、自分がどこにいるのか分からなくなるような都市は、人々に不安と混乱をもたらします。都市の良し悪しは、その物理的な配置だけでなく、人々がそれをどう認識できるかにかかっている — これが、リンチの新しい視座でした。

イメージアビリティとレジビリティ

リンチの理論の鍵となるのが、イメージアビリティ(imageability、心像喚起性)と、レジビリティ(legibility、読み取りやすさ)という二つの概念です。

イメージアビリティとは、ある都市環境が、見る人の心の中に、強く、鮮明な像(イメージ)を喚起する力のことです。印象的な建物、特徴的な街並み、はっきりとした空間の構成は、人々の心に鮮やかなイメージを刻みます。こうしたイメージを喚起しやすい都市は、人々に強く記憶され、愛着をもたれます。レジビリティとは、都市の構成が、見る人にとって、どれだけ容易に読み取れ、理解できるかということです。街路や地区の構成が明快で、自分がどこにいて、どちらへ行けばよいかが分かりやすい都市は、レジビリティが高い、ということになります。リンチは、良い都市空間の重要な条件として、この、人々が明快に認識し、把握できるという性質を重視したのです。

人々が都市を認識する五つの要素

では、人々は、何を手がかりに都市を認識しているのでしょうか。リンチは、ボストン、ジャージーシティ、ロサンゼルスといった都市で、人々がどのように都市を認識しているかを調査し、人々が都市の像を結ぶ際に手がかりとする、五つの基本的な要素を見出しました。重要なのは、これらが、都市を物理的に構成する要素のリストというより、人々が都市を認識する際に手がかりとする、認知上の要素として捉えられている点です。

第一が、パス(path、道)です。これは、人々が移動する経路 — 街路、歩道、鉄道、運河など — であり、都市認識の最も基本的な要素です。人々は、こうした移動の経路に沿って、都市を経験し、認識します。第二が、エッジ(edge、縁)です。これは、二つの領域の境界をなす、線的な要素 — 海岸線、川、壁、鉄道の線路など — です。エッジは、領域を区切り、都市に構造を与えます。第三が、ディストリクト(district、地域)です。これは、ある共通の性格をもった、まとまりのある一定の広がりをもつ区域です。人々は、「あのあたりは〜の地区だ」というように、都市を地区のまとまりとして認識します。第四が、ノード(node、結節点)です。これは、人々が集まり、経路が交わる、焦点となる地点 — 交差点、駅前広場、主要な広場など — です。第五が、ランドマーク(landmark、目印)です。これは、遠くからでも見える、目印となる特徴的な物体 — 塔、特徴的な建物、記念碑、山など — です。人々は、ランドマークを手がかりに、自分の位置を把握します。

リンチは、これら五つの要素が、明快に配置され、互いに関係づけられている都市が、認識しやすく、イメージアビリティの高い、良い都市空間だと論じました。重要なのは、これらが、単なる物理的な要素のリストではなく、人間が都市を認識する際の、心理的な手がかりとして捉えられている点です。

リンチの意義と現代への影響

筆者の見るところ、リンチの最も重要な貢献は、都市デザインの問いを、「都市をどう配置するか」から、「人々が都市をどう認識し、経験するか」へと、転換させた点にあります。彼は、都市を、客観的な物理的対象としてだけでなく、人間の主観的な認識の対象として捉える視座を確立しました。これは、第1回で扱ったシカゴ学派が、都市を人々の生活の場として捉えたのとはまた別の角度から、都市を人間の経験の次元で捉え直す試みでした。

リンチの理論は、現代の都市デザインの実務にも、大きな影響を与えています。たとえば、駅前空間の整備において、人々が分かりやすく方向を把握でき、目的地にたどり着けるようにする工夫は、リンチのレジビリティの考え方に通じます。また、案内サインの計画(サイン計画)や、ウェイファインディング(wayfinding、経路案内)の設計は、リンチが論じた、人々がどう都市を認識し、経路を見出すかという問いの、直接的な応用といえます。本連載で繰り返し触れてきた駅という空間も、まさに、多くの人々が経路を見出し、方向を把握しなければならない、認識のしやすさが決定的に重要な場であり、リンチの視座が生きる領域なのです。

ジェイン・ジェイコブズ ― 都市の生命は街路にある

リンチが人々の都市認識に注目したのとほぼ同じ時期に、まったく別の角度から、近代都市計画を根底から批判し、都市デザインの思想に決定的な転換をもたらした人物がいます。ジャーナリストであり都市活動家であったジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)です。彼女が1961年に著した『アメリカ大都市の死と生(The Death and Life of Great American Cities)』は、都市論の歴史において、最も影響力のある著作の一つとなりました。

ジェイコブズの問題意識 ― モダニズム批判

ジェイコブズの出発点にあったのは、当時の主流であった近代都市計画 — モダニズムの都市計画 — への、激しい怒りと批判でした。彼女は、専門家でも建築家でもありませんでしたが、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジに暮らす一住民として、自らが暮らす活気ある街が、都市計画の名のもとに破壊されていくことに、強い危機感を抱いていました。

彼女の批判の矛先は、ル・コルビュジエに代表される機能主義都市と、それを現実の都市に適用しようとする都市再開発に向けられました。とりわけ、ニューヨークで強大な権力を握り、高速道路の建設や大規模な再開発を強力に推進した行政官、ロバート・モーゼス(Robert Moses)との対立は、象徴的でした。モーゼスが、ジェイコブズの暮らす地区に高速道路を通す計画を進めたとき、ジェイコブズは住民運動の先頭に立って、これに反対し、ついには計画を撤回させました。この対立は、第8回で論じた「上からの計画」と「下からの都市形成」という、二つの都市の作り方の対立を、象徴するものでした。モーゼスが体現する、専門家と権力による上からの大規模な都市改造に対して、ジェイコブズは、地上に暮らす人々の生活の視点から、既存の都市がもつ生命力を擁護したのです。

都市は「組織化された複雑性」である

ジェイコブズ都市観の根底にあったのは、都市を、単純な機械や、解くべき秩序の問題としてではなく、「組織化された複雑性(organized complexity)」として捉える発想でした。彼女は、当時の科学の考え方を援用しながら、都市が、無数の要素が複雑に絡み合い、相互に影響し合いながら、全体として一つの秩序を生み出している、有機的なシステムであると論じました。

この見方は、機能主義都市の発想とは、根本的に対立します。機能主義は、都市を、機能ごとに整理し、単純化すべき対象として捉えました。これに対してジェイコブズは、都市の複雑さや雑然とした多様性こそが、都市の生命の源泉なのであって、それを単純な秩序へと還元しようとすることは、都市の生命を殺すことだ、と論じたのです。この「組織化された複雑性」という都市観は、後の複雑系の視点からの都市研究の、重要な先駆ともなっています。

都市の多様性を支える四つの条件

ジェイコブズが擁護したのは、一見すると雑然として非効率に見える、伝統的な都市の街路でした。彼女は、こうした街路にこそ、都市の生命と活気が宿っていると論じ、機能主義都市が、その生命を破壊していると批判しました。では、活気ある都市の街路は、どのような条件によって生まれるのでしょうか。ジェイコブズは、都市多様性(diversity)を生み出す、四つの条件を挙げました。

第一が、混合用途(mixed use)です。ある地区が、住居、商業、業務など、複数の異なる用途を併せもつことです。機能主義が用途を分離したのに対し、ジェイコブズは、用途が混在することで、一日のさまざまな時間帯に、さまざまな目的の人々が街路を行き交い、街が絶えず活気を保つと論じました。第二が、短い街区(short blocks)です。街区が小さく、街路の交差点が多いことで、人々の移動経路が多様になり、街路の賑わいが広がります。第三が、建物の多様性(aged buildings、年代の異なる建物の混在)です。古い建物と新しい建物が混在することで、家賃の高い店舗も安い店舗も成り立ち、多様な事業や活動が共存できます。第四が、高密度(density)です。十分な人口密度があることで、多様な店舗やサービスを支えるだけの需要が生まれ、街路に人が満ちます。これら四つの条件が揃うことで、都市の街路は、多様で活気あるものになる、というのがジェイコブズの主張でした。

「街路の目」と自然監視

ジェイコブズの議論の中で、とりわけ有名なのが、「街路の目(eyes on the street)」という概念です。これは、都市の安全が、警察や監視カメラといった上からの管理によってではなく、街路に面して暮らし、働き、行き交う人々の、さりげない視線によって保たれる、という洞察です。

商店の主人が店先から通りを眺め、住民が窓から街路を見下ろし、歩行者が行き交う — こうした人々の自然な視線が、街路に絶えず注がれていることで、街路は安全に保たれます。これを、自然監視(natural surveillance)と呼びます。重要なのは、この安全が、意図的な監視のためではなく、人々が街路で生活し、活動することの、いわば副産物として生まれる点です。活気があり、人々が行き交い、街路に目が注がれている街は、安全であり、安全であるからこそ、さらに人々が集まる。逆に、人気のない街路は、街路の目を失い、危険になり、ますます人を遠ざける。ジェイコブズは、都市の安全と活気が、こうした人々の存在と行動によって支えられる、有機的なものであることを示したのです。

ジェイコブズの意義と現代への影響

筆者の見るところ、ジェイコブズの最も重要な貢献は、都市を、専門家が上から設計すべき対象としてではなく、人々の日常的な生活と活動が、下から生み出していく、有機的な生命体として捉え直した点にあります。彼女は、都市の活気と安全と魅力が、計画家の図面からではなく、混合用途、短い街区、多様な建物、高密度といった条件のもとで営まれる、人々の生活そのものから生まれることを、説得的に示しました。第2回で論じたコミュニティや社会関係資本の議論とも通じるように、ジェイコブズは、都市の物理的な形態が、人々の社会的な関係や交わりと、分かちがたく結びついていることを明らかにしたのです。

ジェイコブズの思想は、現代の都市デザインに、絶大な影響を与え続けています。とりわけ、近年世界的に注目されている、歩いて暮らせる都市 — ウォーカブルシティ(walkable city) — の理念は、ジェイコブズの議論を、直接の源流の一つとしています。混合用途で、歩きやすく、活気ある街路をもつ都市を目指すこの潮流は、まさにジェイコブズが擁護した都市像の、現代的な再評価といえます。本連載で繰り返し触れてきたコンパクトシティTODの理念とも、ジェイコブズの思想は深く響き合っているのです。

ウィリアム・H・ホワイト ― 人々はなぜ広場に集まるのか

リンチとジェイコブズが、都市の認識と街路の生命を論じたのに続いて、より具体的に、人々が公共空間で実際にどう行動するのかを、緻密な観察によって解明した人物がいます。ジャーナリストであり都市観察者であった、ウィリアム・H・ホワイト(William H. Whyte)です。彼が1980年に著した『小さな都市空間の社会生活(The Social Life of Small Urban Spaces)』は、公共空間のデザインに、実証的な基礎を与えました。

ホワイトの問題意識 ― 観察から学ぶ

ホワイトが立てた問いは、きわめて素朴で、しかし重要なものでした。それは、「なぜ、ある公共空間には人が集まり、賑わうのに、別の公共空間には人が集まらず、閑散としているのか」という問いです。ニューヨークには、数多くの広場や小公園(プラザ)がありますが、その中には、人々で賑わうものもあれば、ほとんど使われずに閑散としているものもあります。その違いは、どこから生まれるのでしょうか。

ホワイトの研究方法は、当時としては画期的なものでした。彼は、理論や思弁からではなく、徹底した観察から、この問いに答えようとしました。彼は、研究チームとともに、ニューヨークの広場や小公園に、長時間にわたってカメラを据え、人々が実際にどこに座り、どこに立ち止まり、どう行動するのかを、ビデオに記録し、分析したのです。これは、人々の行動を、思い込みや経験則ではなく、客観的なデータに基づいて解明しようとする、行動科学的なアプローチでした。

良い公共空間の条件

こうした緻密な観察を通じて、ホワイトは、人々が集まり、滞留する良い公共空間の条件を、具体的に明らかにしました。

第一に、そして最も重要なのが、座れる場所(sittable space)の存在です。ホワイトの観察によれば、人々が広場に滞留するかどうかを最も大きく左右するのは、座れる場所が十分にあるかどうかでした。ベンチ、階段、縁石、可動式の椅子など、人々が腰を下ろせる場所が豊かにある広場は、人を引き寄せます。第二に、日照(sun)です。とりわけ寒い季節には、日の当たる暖かい場所に、人々は集まります。第三に、飲食(food)です。屋台やカフェ、軽食を売る店がある広場は、人々を引き寄せ、滞留を促します。第四に、アクセス(access)、すなわち街路との関係です。街路から入りやすく、街路と一体となった広場は、人々に使われます。逆に、街路から隔絶され、入りにくい広場は、使われません。

そして、ホワイトが見出した、最も逆説的で重要な発見が、人を引き寄せるのは、何よりも人の存在だ、ということでした。人々は、誰もいない閑散とした空間よりも、すでに人がいて、活気のある空間に引き寄せられます。人が人を呼ぶのです。この発見は、公共空間の賑わいが、自己強化的なメカニズムをもっていることを示しています。

ホワイトの意義 ― 経験則から科学へ

筆者の見るところ、ホワイトの最も重要な貢献は、都市デザインを、デザイナーの直感や経験則の世界から、観察に基づく実証的な知の領域へと、一歩近づけた点にあります。それまで、良い公共空間とは何かは、デザイナーの感性や経験に委ねられがちでした。ホワイトは、人々の実際の行動を緻密に観察することで、良い公共空間の条件を、具体的で検証可能な知見として示したのです。

ジェイコブズが、都市の活気を、生活者の視点から論じたのに対し、ホワイトは、それを、観察データに基づいて実証的に裏づけたといえます。両者は、人々の実際の生活と行動に都市の良さの根拠を求める点で共通していますが、ジェイコブズが洞察と論争によって、ホワイトが観察と実証によって、その主張を展開した点に、違いがあります。ホワイトの観察手法と知見は、後のヤン・ゲールや、現代のプレイスメイキングの実践へと、受け継がれていきます。実際、ホワイトの観察研究は、1975年に設立された「公共空間のためのプロジェクト(Project for Public Spaces)」という組織の活動に、大きな影響を与えました。彼の実証的アプローチは、現代の公共空間デザインの基礎の一つとなっているのです。

ヤン・ゲール ― 人間尺度の都市へ

ホワイトの観察的アプローチと共鳴しながら、それを、より体系的な都市デザインの理論と実践へと発展させたのが、デンマークの建築家ヤン・ゲール(Jan Gehl)です。彼が1971年に著した『建物のあいだの生活(Life Between Buildings)』をはじめとする一連の著作と実践は、現代の人間中心の都市デザインに、決定的な影響を与えました。

ゲールの問題意識 ― 建物のあいだの生活

ゲールの問題意識は、その主著のタイトルに、見事に表れています。すなわち、都市において重要なのは、建物そのものではなく、「建物のあいだ」の空間 — 街路や広場といった、人々が実際に活動する空間 — である、という洞察です。

近代の建築と都市計画は、しばしば、個々の建物の造形や、上空から見た都市の形態に、関心を集中させてきました。しかしゲールは、人々が実際に経験するのは、建物のあいだの、地上の空間だと考えました。人々が歩き、立ち止まり、語らい、座り、子どもが遊ぶ — こうした、建物のあいだで営まれる人間の生活(life)こそが、都市を生きたものにする。ゲールは、この、建物のあいだの人間の活動を、都市デザインの中心に据えました。彼は、機能主義都市が、建物と自動車のための空間を作る一方で、この、人間の活動のための空間を、貧しいものにしてしまったと批判したのです。なお、ゲールは、ホワイトの観察的アプローチだけでなく、ジェイコブズ都市観からも、大きな影響を受けています。人々の生活と活動こそが都市を生かすというジェイコブズの洞察は、ゲールの理論の根底にも、流れているのです。

人間尺度という概念

ゲールの理論の核心にあるのが、人間尺度(human scale)という概念です。これは、都市空間が、人間の身体、感覚、移動の速度に、適合しているべきだ、という考え方です。

ゲールは、人間が、時速およそ5キロメートルで歩く生き物であり、その速度と、人間の視覚や聴覚といった感覚に応じて、心地よく感じる空間のスケールがある、と論じました。歩く人にとって心地よいのは、適度な幅の街路、変化に富んだ建物の低層部、立ち止まって眺めたくなる細部、人と人が出会える距離感です。これに対して、機能主義都市の、自動車の速度(時速50キロメートル以上)に合わせて作られた、広い道路と巨大な建物、単調な壁面は、歩く人間のスケールからかけ離れており、心地よさを与えません。ゲールは、自動車中心の都市計画が、人間の尺度を無視して、自動車の尺度で都市を作ってきたことを、鋭く批判しました。そして、都市を、再び人間の尺度へと取り戻すこと — 歩く人間にとって心地よい、ヒューマンスケールの都市を作ること — を、提唱したのです。

パブリック・ライフ・スタディとコペンハーゲン

ゲールは、ホワイトと同様に、人々の実際の活動を観察することを重視しました。彼は、都市公共空間における人々の活動を、体系的に調査する手法 — パブリック・ライフ・スタディ(public life studies公共生活調査) — を発展させました。どこに人が滞留し、どう歩き、どう過ごすのかを、丹念に調査し、その知見を都市デザインに生かす、という方法です。

ゲールの理論と手法が、現実の都市を変えた、最も有名な事例が、彼の母国デンマークの首都、コペンハーゲンです。コペンハーゲンは、20世紀半ばには、他の多くの都市と同様、自動車中心の都市へと向かいつつありました。しかし、ゲールらの調査と提言に基づいて、市は、長い時間をかけて、都心部の街路を、自動車から歩行者と自転車のための空間へと、段階的に転換していきました。中心部の目抜き通りを歩行者専用とし、広場から駐車場を取り除き、自転車道を整備し、人々が滞留できる空間を増やしていったのです。その結果、コペンハーゲンは、世界でも有数の、歩いて、自転車で暮らせる、人間中心の都市へと変貌しました。これは、人間尺度都市デザインが、現実の都市を変えうることを示す、力強い実例となっています。

ホワイトとゲールの共通点と違い

ここで、ホワイトとゲールの関係を、整理しておきましょう。両者は、人々の実際の活動を観察することから出発し、人間中心の公共空間を構想した点で、深く共通しています。いずれも、机上の理論ではなく、現実の人間の行動に、都市デザインの根拠を求めました。

しかし、両者には違いもあります。筆者の見るところ、ホワイトが、主としてニューヨークの広場という、比較的小さな公共空間の観察に焦点を当て、その賑わいの条件を解明したのに対し、ゲールは、より広く、都市全体のスケールで、人間尺度都市をいかに作るかという、体系的な都市デザインの理論と政策へと、議論を発展させました。ホワイトが、優れた観察者として、良い公共空間の条件を見出したとすれば、ゲールは、その知見を、都市全体を人間中心に作り変えるための、理論と実践の体系へと、練り上げたといえます。両者は、観察から都市を考えるという系譜の中で、互いに補い合う関係にあるのです。ゲールの思想は、現代の世界中の都市で進められている、歩行者空間の整備や、自転車政策、公共空間の再生に、直接的な影響を与え続けています。

クラレンス・ペリー ― 近隣住区という単位

ここまで見てきたリンチ、ジェイコブズ、ホワイト、ゲールは、いずれも20世紀後半に、近代都市計画への批判として登場し、空間の質や人間の経験を論じた、都市デザインの系譜に連なる人々でした。これに対して、本節で取り上げるクラレンス・ペリー(Clarence Perry)は、これらの理論家とは、やや異なる系譜に属します。ペリーは、空間の経験的な質よりも、人間の生活圏を、近隣計画・住宅地計画の単位として構想した人物です。それでも、徒歩圏という人間の移動のスケールから、良い生活の場を構想したという点で、本稿の「良い都市空間とは何か」という問いにとって、重要な先駆として位置づけることができます。彼が1920年代に提唱した近隣住区論(neighborhood unit)を、見ていきましょう。

近隣住区論とは何か

ペリーが構想した近隣住区とは、人々の日常生活が、安全で快適に営まれる、まとまりのある居住の単位です。彼は、この単位を、いくつかの原則に基づいて構想しました。

その中心にあったのが、小学校を核とするという発想です。ペリーは、一つの近隣住区の規模を、一つの小学校を支えるのに必要な人口を基準に定めました。そして、その住区の中心に小学校を置き、子どもが、危険な幹線道路を渡ることなく、徒歩で通学できるようにしました。住区の規模は、中心から端まで、おおむね徒歩圏(歩いて行ける範囲)に収まるように定められました。幹線道路は、住区の内部を貫くのではなく、住区の周囲を囲むように配置され、住区の内部は、通過交通から守られた、安全な生活空間とされました。住区の内部には、日常的な買い物ができる店舗や、公園、コミュニティの施設が配置され、住民の日常生活が、その住区の中で完結できるように構想されました。

すなわち、近隣住区論とは、徒歩圏という人間の移動のスケールを基礎として、小学校を核とし、日常生活が安全に完結する、近隣コミュニティの単位を構想したものでした。これは、第2回で論じたコミュニティの議論とも通じる、空間を通じてコミュニティを支えようとする試みだったといえます。

ウォーカビリティ・TOD・15分都市との関係

ペリーの近隣住区論は、提唱から100年近くを経た現在、改めてその先駆性が注目されています。なぜなら、現代の都市デザインが追求している、いくつかの重要な理念が、ペリーの構想と思想的に通じているからです。

第一に、ウォーカビリティ(walkability、歩きやすさ)です。徒歩圏を基礎とし、日常生活を歩いて営めるようにするというペリーの発想は、現代のウォーカブルシティの理念と、思想的に通じています。第二に、本連載で繰り返し取り上げてきたTOD(公共交通指向型開発)です。ここで注意が必要なのは、TODの直接的な源流は、ペリーではなく、1980年代以降のニューアーバニズム(new urbanism)や、それを代表する建築家・都市計画家のピーター・カルソープ(Peter Calthorpe)らの議論にある、という点です。TODは、これらの議論から直接に発展したものです。しかし、駅を中心とした徒歩圏に生活機能を集約するというTODの基本的な発想は、小学校を中心とした徒歩圏に生活を集約するペリーの近隣住区論と、徒歩圏を基礎とするという点で、思想的な連続性を指摘することができます。第三に、近年世界的に注目されている15分都市(15-minute city)です。これは、生活に必要な機能のすべてに、徒歩や自転車で15分以内にアクセスできる都市を目指す理念ですが、これもまた、徒歩圏に日常生活を集約するという、ペリーの発想と、思想的に響き合うものと見ることができます。

ペリーの位置づけと限界

もっとも、ペリーを、こうした現代の理念と単純に同一視することには、慎重でなければなりません。ペリーは、あくまで1920年代という時代の中で、先駆的な理論を提示した人物であって、現代の思想家ではありません。また、先に述べたように、TOD15分都市の直接的な源流は、ペリーとは別の、より新しい議論にあります。ペリーは、これらの理念の「直接の起源」というより、徒歩圏を基礎とした生活圏という発想の、早い時期の先駆として位置づけるのが正確です。

さらに、ペリーの近隣住区論には、いくつかの限界も指摘されてきました。たとえば、近隣住区を、明確に区画された自己完結的な単位として構想する発想は、住区を周囲から閉ざし、社会的な分離や、同質的な住民による排他的なコミュニティを生み出す危険をはらんでいる、という批判があります。実際、近隣住区論は、後の郊外開発において、画一的で同質的な住宅地を生み出す方向に応用された面もありました。また、幹線道路で囲まれた住区という構想は、結果として自動車交通を前提とし、住区を分断する面もありました。筆者の見るところ、ペリーの近隣住区論は、徒歩圏を基礎とした生活単位という、現代にも通じる先駆的な洞察を含む一方で、それを閉じた単位として構想したことの限界も併せもっています。重要なのは、ペリーの先駆的な発想を評価しつつ、その限界を踏まえて、より開かれた、多様性を許容する近隣のあり方を、現代において構想することなのです。

プレイスメイキング ― 都市デザインの現代的展開

これまで見てきた都市デザインの理論 — リンチ、ジェイコブズ、ホワイト、ゲール、そしてペリー — は、現代において、プレイスメイキング(placemaking)という、実践的な潮流へと結実しています。本節では、この現代的な展開を見ていきましょう。

「空間」と「場所」の違い

プレイスメイキングを理解する鍵は、「空間(space)」と「場所(place)」の違いにあります。この区別は、本連載でも、第3回(ルフェーヴル)や第7回(カステル)で、別の文脈で触れてきましたが、ここでは都市デザインの観点から捉え直します。

「空間」とは、いわば、まだ意味を与えられていない、物理的な広がりです。これに対して「場所」とは、人々がそこで活動し、経験し、意味と愛着を与えた、生きられた空間です。同じ物理的な広場でも、人々に使われず、誰のものでもない、ただの「空間」にとどまることもあれば、人々が集い、活動し、愛着をもつ、生きた「場所」になることもあります。プレイスメイキングとは、まさに、単なる「空間」を、人々に使われ愛される「場所」へと変えていく、創造的な営みを指します。

プレイスメイキングとは何か

プレイスメイキングは、これまで見てきた都市デザインの理論を、実践へと展開したものです。とりわけ、ホワイトの観察的アプローチの影響を受けた「公共空間のためのプロジェクト(Project for Public Spaces、PPS)」という組織が、この概念の普及に大きな役割を果たしました。

プレイスメイキングの特徴は、いくつか挙げられます。第一に、人々の活動を中心に据えることです。物理的なデザインそのものよりも、その空間で人々がどう活動し、どう過ごすかを重視します。第二に、市民参加です。場所を作るのは、専門家だけではなく、そこを使う人々自身であるべきだ、という考え方です。これは、第8回で論じた、計画への市民参加の理念とも通じます。第三に、タクティカル・アーバニズム(tactical urbanism)と呼ばれる、小規模・低コスト・暫定的な都市介入の手法です。これは、恒久的な大規模整備を行う前に、まず仮設的・暫定的に空間を作り変えてみて、その効果を試す、という発想に立ちます。たとえば、車道の一部を一時的に歩行者空間にしてみる、空き地に仮設の椅子やテーブルを置いてみる、といった小さな介入を通じて、場所の可能性を探ります。低コストで、迅速に、試行錯誤しながら場所を作っていくこのアプローチは、第8回で論じた漸進主義の精神とも通じるものがあります。

第四に、エリアマネジメント(area management)との結びつきです。これは、地域の多様な主体が協働して、継続的に地域の空間を管理・運営していく仕組みであり、第5回で論じた都市レジーム論や、第8回で論じたガバナンス型の計画とも、深く関わります。プレイスメイキングは、一度きりの空間整備ではなく、こうした継続的な運営を通じて、場所を育てていく営みなのです。

筆者の見るところ、プレイスメイキングは、これまで見てきた都市デザインの理論的な系譜 — 人間の認識(リンチ)、街路の多様性(ジェイコブズ)、滞留の条件(ホワイト)、人間尺度(ゲール) — を統合し、それを、市民参加と継続的な運営を通じて実現しようとする、現代的な実践だといえます。それは、都市デザインを、専門家が完成形を設計して与えるものから、人々が参加し、試行錯誤しながら、ともに育てていくものへと、転換させようとする試みなのです。

日本の都市空間を読み解く

ここまで見てきた都市デザインの理論を手がかりに、日本の都市空間を読み解いてみましょう。日本の都市には、欧米の都市とは異なる、独特の空間的特徴があります。これらを、リンチ、ジェイコブズ、ホワイト、ゲール、ペリーの理論を通じて解釈することで、その魅力と課題が、より明確に見えてきます。

路地と商店街 ― ジェイコブズの視点から

日本の都市空間の魅力を考えるとき、まず思い浮かぶのが、路地と商店街です。これらを、ジェイコブズの理論から読み解くと、その魅力の根拠が、鮮やかに見えてきます。

日本の伝統的な商店街や、下町の路地は、ジェイコブズが活気ある都市の条件として挙げた要素を、しばしば備えています。狭い街路に、小さな店舗が軒を連ね、住居と商業が混在し(混合用途)、街区は小さく入り組み(短い街区)、古い建物と新しい建物が混在し(建物の多様性)、高い密度で人々が暮らし、行き交っています(高密度)。まさに、ジェイコブズが擁護した、多様で活気ある都市の街路の条件を、日本の路地や商店街は、自然に体現してきたといえます。また、商店主が店先から通りを見守り、住民が行き交うこうした街路は、ジェイコブズの言う「街路の目」による自然監視が働く、安全な空間でもありました。日本の都市が、世界的に見て比較的安全であることの一因を、ここに見ることもできるでしょう。

しかし、こうした路地や商店街は、近年、大きな課題に直面しています。郊外の大型商業施設との競争、商店主の高齢化と後継者不足、そして再開発による街並みの一掃です。第6回で論じたジェントリフィケーションや再開発の議論とも関わりますが、活気ある商店街や路地が、大規模な再開発によって、画一的で大規模な商業空間へと置き換えられていくとき、ジェイコブズが価値を置いた、多様性と人間的な活気は、失われてしまう危険があります。

駅前空間 ― リンチとゲールの視点から

日本の都市を特徴づける、もう一つの重要な空間が、駅前空間です。本連載で繰り返し論じてきたように、日本の都市は、鉄道駅を中心に発展してきました。駅前は、多くの人々が行き交い、集まる、都市の結節点(リンチの言うノード)です。

リンチの視点からすれば、駅前空間は、人々が経路を見出し、方向を把握する、認識上きわめて重要な場です。分かりやすく、迷わずに移動でき、明快に構成された駅前空間は、レジビリティが高く、人々に快適な経験をもたらします。逆に、複雑で分かりにくい駅前空間は、人々に混乱と不安をもたらします。日本の主要駅の駅前が、しばしば複雑で分かりにくいものになっていることは、リンチの視点からは、改善の余地がある課題として捉えられます。

また、ゲールの人間尺度の視点からすれば、日本の駅前空間には、課題と可能性の両方があります。多くの駅前は、自動車のためのロータリーや道路が大きな面積を占め、歩行者の空間が圧迫されている面があります。一方で、近年では、駅前を歩行者中心の空間へと再編し、人々が滞留できる広場を整備する試みも進んでいます。こうした試みは、ゲールやホワイトが論じた、人間中心の、滞留したくなる公共空間の理念を、日本の駅前に適用するものといえます。

日本の近隣と徒歩圏 ― ペリーの視点から

ペリーの近隣住区論の視点からは、日本の都市の、徒歩圏を基礎とした生活圏が、興味深く読み解けます。日本の都市、とりわけ鉄道沿線に発展した住宅地は、駅を中心とした徒歩圏に、商店、学校、生活サービスが集まる構造を、しばしば備えてきました。これは、ペリーの近隣住区論や、現代の15分都市の理念と、構造的に通じるものがあります。日本の鉄道沿線の住宅地は、図らずも、駅という核を中心とした、徒歩圏の生活単位を形成してきたといえます。

もっとも、人口減少が進む現在、こうした徒歩圏の生活圏は、維持が難しくなりつつあります。沿線の商店が閉じ、学校が統廃合され、生活サービスが撤退していく中で、かつて徒歩圏で完結していた生活が、成り立たなくなりつつある地域も少なくありません。第8回で論じたコンパクトシティの課題は、まさに、こうした徒歩圏の生活圏を、人口減少の中でいかに維持・再編するか、という問いと深く関わっているのです。

理論的整理と批判 ― 誰にとっての良い空間か

ここまで、都市デザインの理論をたどってきました。ここで、これまで見てきた主要な理論家を整理し、その上で、都市デザインという営みそのものに向けられる、重要な批判を検討しましょう。

五つの理論の整理

本稿で見てきた五人の理論家は、それぞれ、良い都市空間をめぐる、異なる問いに答えようとしてきました。その違いと連続性を、整理しておきましょう。

理論家 中心的な問い 鍵概念 目指す都市
ケヴィン・リンチ 人は都市をどう認識するか イメージアビリティ、五要素 認識しやすい都市
ジェイン・ジェイコブズ 都市の活気はどこから生まれるか 多様性街路の目組織化された複雑性 多様性のある都市
ウィリアム・H・ホワイト 人はなぜ公共空間に集まるか 座れる場所、人が人を呼ぶ 滞留したくなる都市
ヤン・ゲール 都市は人間に適合しているか 人間尺度建物のあいだの生活 人間尺度都市
クラレンス・ペリー 日常生活の単位はどうあるべきか 近隣住区徒歩圏 生活圏としての都市

この整理から見えてくるのは、五人が、それぞれ異なる角度から、しかし共通の方向を目指していた、ということです。リンチ、ジェイコブズ、ホワイト、ゲールは、近代の機能主義都市が見失った、人間の経験、活動、生活の次元から、都市を捉え直そうとしました。リンチは認識の、ジェイコブズは活気の、ホワイトは滞留の、ゲールは尺度の観点から、それぞれ「人間にとっての良い都市空間」を探究したのです。ペリーは、やや異なる近隣計画の系譜に属しながらも、徒歩圏という生活圏の観点から、良い生活の場を構想しました。これらは、互いに対立するというより、補い合う視座であり、その総体が、現代の都市デザインプレイスメイキングの、豊かな理論的基盤をなしているのです。

デザインだけで社会問題は解決できるのか

しかし、都市デザインの理論を、無批判に礼賛することはできません。ここで、都市デザインという営みに向けられる、いくつかの重要な批判を検討しなければなりません。

第一の、そして最も根本的な批判は、「デザインだけで、社会問題は解決できるのか」という問いです。良い街路、良い公共空間、人間尺度都市をデザインすることは、確かに重要です。しかし、都市が抱える問題の多くは、貧困、格差、差別、社会的排除といった、深い社会的・経済的な根をもっています。物理的な空間をいかに美しく、心地よくデザインしても、こうした構造的な問題そのものが、解決されるわけではありません。空間のデザインが、社会問題を解決できるかのように考えることは、問題の根を見誤る、空間決定論の危険をはらんでいます。筆者の見るところ、都市デザインは、人々の生活の質を高める重要な営みですが、それは、社会的・経済的な政策と組み合わされてはじめて、真に有効なものとなるのです。

ジェントリフィケーションとの関係 ― 誰のための良い空間か

第二に、そしてこれは本連載の第6回と深く接続する批判ですが、都市デザインの「成功」が、皮肉にも、ジェントリフィケーションを引き起こしうる、という問題があります。

ある地区が、優れた都市デザインによって、魅力的で、活気があり、歩きやすく、心地よい空間へと再生されたとします。これは、一見すると、望ましいことです。しかし、第6回で論じたように、地区の魅力が高まれば、その地区の不動産価値が上昇し、家賃が上がり、もともとそこに住んでいた低所得層が、住み続けられなくなって、排除されていく可能性があります。良い公共空間や、歩きやすい街路や、おしゃれな広場が、結果として、より豊かな層を引き寄せ、もとの住民を押し出してしまう。すなわち、都市デザインの「成功」が、ジェントリフィケーションの引き金となりうるのです。

ここから、決定的に重要な問いが浮かび上がります。すなわち、「その良い空間は、誰にとっての良い空間なのか」という問いです。ある空間が「魅力的」だとされるとき、それは、誰にとって魅力的なのでしょうか。新たに流入してくる豊かな層にとってでしょうか、それとも、もとからそこに住む人々にとってでしょうか。都市デザインが想定する「人々」とは、いったい誰なのでしょうか。第6回で論じたファインスタインの「ジャスト・シティ(公正な都市)」論や、ルフェーヴルの「都市への権利」が問うたのも、まさにこの、空間が誰のためのものなのか、という問いでした。

筆者の見るところ、都市デザインは、この「誰のための良い空間か」という問いから、目をそらしてはなりません。良い都市空間をデザインすることと、その空間が、もとからそこに暮らす多様な人々を排除せず、包摂するものであることとは、別の事柄です。真に良い都市空間とは、単に美しく、心地よく、活気がある空間ではなく、そこに生きるすべての人々 — 豊かな者も、そうでない者も — の、多様な生と活動を、公正に支える空間でなければならないのです。都市デザインは、その美的・経験的な質の追求と同時に、第6回で論じた都市正義の問いを、つねに抱え続けなければならないのです。

おわりに ― 人間と空間の関係を設計する

本稿では、「良い都市空間とは何か」という問いを軸に、都市デザインの理論の系譜をたどってきました。最後に、その歩みを振り返り、この問いへの一つの答えを示したいと思います。

私たちは、近代の機能主義都市への批判から出発し、五人の理論家の探究をたどってきました。ケヴィン・リンチは、人々が都市をどう認識するかを問い、認識しやすい都市の重要性を示しました。ジェイン・ジェイコブズは、都市の活気が、多様性に満ちた街路から生まれることを論じ、多様性のある都市を擁護しました。ウィリアム・H・ホワイトは、人々がなぜ公共空間に集まるのかを観察によって解明し、滞留したくなる都市の条件を示しました。ヤン・ゲールは、都市を人間の尺度へと取り戻すことを説き、人間尺度都市を構想しました。そしてクラレンス・ペリーは、やや異なる近隣計画の系譜から、徒歩圏を基礎とした、日常生活の単位としての都市を、先駆的に構想しました。これらの理論は、現代のプレイスメイキングへと結実し、人々が参加し、ともに育てる、生きた場所づくりの実践へと展開しています。

これらの探究を貫いて見えてくるのは、一つの根本的な認識です。すなわち、都市デザインとは、単なる美観の問題ではない、ということです。それは、建物を美しく見せたり、街並みを飾り立てたりする、表層的な装飾の営みではありません。都市デザインとは、人間の行動、経験、そして社会的な関係を支える、空間を設計する営みなのです。人がどう認識し、どう歩き、どこに集まり、どう交わり、どう暮らすか — こうした人間の活動と社会関係が、いかにして空間によって支えられ、あるいは妨げられるかを問い、人間の生を豊かにする空間を作り出すこと。それが、都市デザインの本質です。

したがって、「良い都市空間とは何か」という問いへの、本稿の答えは、こうなります。良い都市空間とは、人間の行動や社会関係を支える空間です。人々が、安心して認識でき、活気の中を歩き、思わず滞留したくなり、人間らしい尺度で過ごし、日常の生活を営める — そして、その豊かさが、特定の層だけでなく、そこに生きるすべての人々に、公正に開かれている。そうした空間こそが、良い都市空間なのです。それは、美しさと、機能性と、そして正義とを、ともに備えた空間でなければなりません。都市デザインとは、この困難な調和を、人間と空間の関係の次元で、追求し続ける営みなのです。

次回予告

本稿では、良い都市空間とは何かを問い、その中で、人々が歩き、集まり、暮らす空間の質を探究してきました。とりわけ、クラレンス・ペリー近隣住区論を通じて、徒歩圏を基礎とした生活圏という発想に触れ、それが現代のウォーカビリティやTOD15分都市の理念と、思想的に通じることを見ました。

次回、第10回は、この流れを引き継ぎ、「交通計画とTOD ― 人と都市をどのように結びつけるのか」を扱います。ペリーが構想した徒歩圏の生活単位という発想は、現代において、ニューアーバニズムやカルソープらの議論を経て、鉄道駅を中心とした徒歩圏に生活機能を集約する、TOD(公共交通指向型開発)の理念へと発展しています。良い都市空間を、個々の街路や広場のスケールから、都市全体の移動と交通のスケールへと広げたとき、私たちは、人と都市を結びつける交通という、決定的に重要な主題に行き当たります。ペリーの近隣住区論から、歩行圏、そしてTODへ — この思想的な流れをたどりながら、次回は、人々の移動をいかに支え、都市と交通をいかに統合するかという、本連載が繰り返し触れてきた主題を、正面から論じていきます。良い都市空間は、良い移動の仕組みと結びついてはじめて、真に人々の生活を支えるものとなります。その、都市と交通の結びつきを、次回、探究していきたいと思います。本稿が、読者の皆さんにとって、都市理論の体系を見通し、自らの実践や研究を位置づけるための一助となれば幸いです。

参考文献

本稿は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。

英語文献

  1. Lynch, K. (1960). The Image of the City. Cambridge, MA: MIT Press.
  2. Jacobs, J. (1961). The Death and Life of Great American Cities. New York: Random House.
  3. Whyte, W. H. (1980). The Social Life of Small Urban Spaces. Washington, D.C.: Conservation Foundation.
  4. Whyte, W. H. (1988). City: Rediscovering the Center. New York: Doubleday.
  5. Gehl, J. (1971/1987). Life Between Buildings: Using Public Space. Trans. J. Koch. New York: Van Nostrand Reinhold.
  6. Gehl, J. (2010). Cities for People. Washington, D.C.: Island Press.
  7. Perry, C. A. (1929). The Neighborhood Unit. In Regional Survey of New York and Its Environs, Volume VII. New York: Regional Plan of New York and Its Environs.
  8. Calthorpe, P. (1993). The Next American Metropolis: Ecology, Community, and the American Dream. New York: Princeton Architectural Press.
  9. Carmona, M., Heath, T., Oc, T., & Tiesdell, S. (2010). Public Places, Urban Spaces: The Dimensions of Urban Design (2nd ed.). Oxford: Architectural Press.
  10. Carmona, M. (2021). Public Places Urban Spaces: The Dimensions of Urban Design (3rd ed.). London: Routledge.
  11. Project for Public Spaces (2000). How to Turn a Place Around: A Handbook for Creating Successful Public Spaces. New York: Project for Public Spaces.
  12. Speck, J. (2012). Walkable City: How Downtown Can Save America, One Step at a Time. New York: Farrar, Straus and Giroux.

日本語文献

  1. リンチ, K. (2007). 『都市のイメージ 新装版』丹下健三・富田玲子訳. 岩波書店.
  2. ジェイコブズ, J. (2010). 『アメリカ大都市の死と生 新版』山形浩生訳. 鹿島出版会.
  3. ゲール, J. (2014). 『人間の街公共空間のデザイン』北原理雄訳. 鹿島出版会.
  4. ゲール, J. (2011). 『建物のあいだのアクティビティ』北原理雄訳. 鹿島出版会.
  5. ホワイト, W. H. (1994). 『都市という劇場 ― アメリカン・シティ・ライフの再発見』柿本照夫訳. 日本経済新聞社.

※ 本稿における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。クラレンス・ペリー近隣住区論は、リンチ・ジェイコブズ・ホワイト・ゲールの都市デザインの系譜とはやや異なる、近隣計画・住宅地計画の系譜に属する点に留意してください。また、TODの直接的な源流は、ペリーではなく、ニューアーバニズムピーター・カルソープらの議論にあり、ペリーの近隣住区論との関係は、徒歩圏を基礎とするという思想的な連続性として理解すべきものです。各理論家の議論は、本稿では「良い都市空間とは何か」という問いに即して要点を整理したものであり、原典における議論はより複雑で多面的です。とりわけ「日本の都市空間を読み解く」の節における記述は、欧米で形成された理論を日本の都市に当てはめた解釈の試みであり、確定した事実認識ではありません。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。

年表 ― 都市デザイン理論の展開

用語集

本稿および都市デザイン理論の理解に関連する主要な用語・人名・著作を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合): 解説」です。

理論・概念

人名

著作

※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。リンチの五要素やジェイコブズ多様性の条件、ニューアーバニズム、カルソープ、タクティカル・アーバニズムなど一部は添付リストに既収載のため、本用語集では未収載の概念・人物・著作を中心に補いました。クラレンス・ペリー近隣住区論は、リンチ・ジェイコブズ・ホワイト・ゲールの都市デザインの系譜とはやや異なる近隣計画の系譜に属し、TODの直接的源流はニューアーバニズム/カルソープにある点に留意してください。次稿は交通計画とTOD(ペリーの近隣住区論→歩行圏→TODの流れ)を主題とします。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。

claudeへの執筆依頼

以下の条件に従い、都市研究・都市計画理論の連載記事を執筆してください。

記事タイトル
【9】都市デザインプレイスメイキング
― 良い都市空間とは何か

記事の位置づけ
本稿は都市理論史シリーズ第9回である。
既に以下の記事を執筆済みである。
都市社会学の誕生
都市コミュニティ論
都市政治経済学の誕生
成長機械論
都市レジーム論
ジェントリフィケーション都市正義
グローバル都市論と都市システム
都市計画理論
第8回では、
合理的計画
インクリメンタリズム
アドボカシー・プランニング
コミュニケーティブ・プランニング
ガバナンス
などを扱い、
都市をどのように計画するか」
という計画思想の変遷を整理した。
本稿ではそこから一歩進み、
「良い都市空間とは何か」
という問いを扱う。
都市計画が制度やプロセスを扱うのに対し、
都市デザインは空間の質や経験を扱う。
本稿は都市デザイン理論の系譜を整理しながら、
現代のプレイスメイキングへ接続することを目的とする。

想定読者
都市計画を学び始めた大学生
自治体職員
まちづくり実務者
交通計画担当者
不動産・再開発関係者
学術的には大学学部〜大学院初級レベル。
専門性は高くてよいが、
一般読者にも読める文章とする。

文章スタイル
・論文ではなく解説記事
・ですます調
・学術的でありながら読みやすい
・単なる人物紹介にしない
・理論の背景
・問題意識
・現代への影響
を重視する
都市理論史としての流れを重視する
・各理論家を独立して紹介するのではなく、
相互の関係性を説明する

記事の中心テーマ
本稿全体を貫く問いは
「良い都市空間とは何か」
です。
さらに、
・人はどのような空間を魅力的と感じるのか
・なぜ活気ある街路が生まれるのか
・なぜ人は公共空間に滞留するのか
・歩きたくなる都市とは何か
を論じる。

記事構成
1. はじめに
都市計画と都市デザインの違いを説明する。
都市計画が
土地利用
制度
インフラ
を扱うのに対し、
都市デザイン
空間体験
景観
歩行環境
公共空間
を扱うことを説明する。
本稿の問い
「良い都市空間とは何か」
を提示する。

2. 近代都市計画の限界と都市デザインの誕生
以下を説明する。
Le Corbusier機能主義都市
ゾーニング
自動車中心都市
職住分離
スーパーブロック
高層団地
その結果として
街路の衰退
人間尺度の喪失
公共空間の空洞化
が批判されるようになったことを説明する。
ここを導入として、
Lynch
Jacobs
Whyte
へつなげる。

3. Kevin Lynch
都市はどのように認識されるのか
必ず扱う内容
The Image of the City
Imageability
Legibility
五要素
Path
Edge
District
Node
Landmark
都市
「認知される空間」
として捉えたことの意義を論じる。
単なる要素紹介ではなく、
なぜ都市認知が重要なのかを説明する。
現代のサイン計画や駅前整備との関係にも触れる。

4. Jane Jacobs
都市の生命は街路にある
必ず扱う内容
The Death and Life of Great American Cities
Robert Moses 批判
モダニズム批判
混合用途
短い街区
建物の多様性
密度
Eyes on the Street
自然監視
「上からの計画」と
「下からの都市形成」
の対比を説明する。
現代のウォーカブルシティとの関係も説明する。

5. William H. Whyte
人々はなぜ広場に集まるのか
必ず扱う内容
The Social Life of Small Urban Spaces
観察調査
ビデオ分析
行動科学的アプローチ
良い公共空間の条件
座れる場所
日照
飲食
アクセス
人の存在
Whyte が
都市デザインを経験則から科学へ近づけたことを説明する。

6. Jan Gehl
人間尺度都市
必ず扱う内容
Life Between Buildings
Public Life Studies
人間中心設計
歩行者空間
自動車中心都市批判
コペンハーゲンの事例
人間尺度」という概念を丁寧に説明する。
Whyte との共通点と違いも説明する。
現代の歩行者空間整備との関係も説明する。

7. Clarence Perry
近隣住区理論
必ず扱う内容
Neighborhood Unit
徒歩圏
小学校中心
生活圏
近隣コミュニティ
以下との関係を説明する。
Walkability
TOD
15 Minute City
ただし、
Perry を現代思想家としてではなく、
先駆的理論として位置づけること。
また限界も説明する。

8. プレイスメイキング
以下を扱う。
SpacePlace の違い
プレイスメイキングとは何か
Project for Public Spaces
市民参加
社会実験
タクティカル・アーバニズム
エリアマネジメント
都市デザインの現代的展開として説明する。

9. 日本の都市空間
日本の特徴を論じる。

駅前空間
商店街
路地
混合用途地域
Jacobs
Gehl
の理論から日本都市を読み解く。
成功例と課題を論じる。
再開発との関係にも触れる。

10. 理論的整理と批判
以下を比較表で整理する。
Lynch
Jacobs
Whyte
Gehl
Perry
それぞれが答えようとした問いを比較する。
さらに批判として、
デザインだけで社会問題は解決できるのか
ジェントリフィケーションとの関係
誰にとっての「良い空間」なのか
を論じる。
第6回「ジェントリフィケーション都市正義」と接続する。

11. おわりに
以下を整理する。
Lynch
→ 認識しやすい都市
Jacobs
多様性のある都市
Whyte
→ 滞留したくなる都市
Gehl
人間尺度都市
Perry
→ 日常生活圏としての都市
そして、
「良い都市空間とは、人間の行動や社会関係を支える空間です」
という形でまとめる。

次回への接続
最後に次回予告として、
【10】交通計画とTOD
― 人と都市をどのように結びつけるのか
へ自然につながる文章を書くこと。
特に
Perry の近隣住区

歩行圏

TOD
という流れを示すこと。

分量
最低20,000字以上。
分量上限なし。
30,000字を超えてもよい。

品質要件
単なる人物列伝にしない。
都市デザイン理論の歴史的発展として描くこと。
Lynch → Jacobs → Whyte → Gehl → Placemaking
という知的系譜が読者に理解できるように構成すること。
学術的厳密性を重視すること。
専門書レベルの内容を維持しながら、一般読者にも読める解説記事として執筆すること。
このプロンプトなら、あなたの第1〜8回と同じ「理論史シリーズ」のトーンを保ちつつ、第10回のTODへも自然につながるはずです。
追加指示(重要)
本記事は単独記事ではなく、既存の都市理論史シリーズ第9回として執筆する。
そのため、過去記事との文体・構成・見出し形式を可能な限り統一すること。

文体
・必ず「ですます調」で執筆する
・論文調の「である調」は使用しない
・過度に口語的にはしない
・大学教員が一般向けに解説するような文体を目指す
・学術的厳密性を維持しながら読みやすさを重視する

フォーマット
過去記事と同様、
以下の形式を維持すること。
はじめに
問題提起

理論史の展開

日本への適用

理論比較と批判

おわりに
という流れで構成する。

見出し構造
見出しは過去記事と同様に
大見出し
中見出し
小見出し
を用いる。
箇条書きだけで終わらせず、
必ず解説文を書くこと。

理論家の扱い方
人物紹介記事にしない。
生涯や経歴の説明は最小限とし、
必ず
「何を問題視したのか」
「どの理論への批判として登場したのか」
「現代都市計画へどのような影響を与えたのか」
を中心に説明すること。

シリーズとの接続
既存記事との関係を意識すること。
特に以下との接続を明示する。
第1回
都市社会学
シカゴ学派
人間生態学
第2回
都市コミュニティ論
→ コミュニティ
社会関係資本
第6回
ジェントリフィケーション都市正義
→ 誰のための都市
第8回
都市計画理論
→ 計画プロセス
→ 参加
ガバナンス

特に重視する点
本稿は
「良い都市空間とは何か」
を論じる記事である。
したがって、
理論家の紹介よりも
良い街路とは何か
良い公共空間とは何か
良い近隣とは何か
良い都市体験とは何か
という問いを軸に展開すること。

日本の事例
日本の都市空間を分析する章では、
単なる事例紹介ではなく、
Lynch
Jacobs
Whyte
Gehl
Perry
の理論を用いて解釈すること。

批判的視点
本稿は都市デザイン礼賛で終わらせない。
必ず以下を扱う。
・デザインだけでは社会的不平等は解決できない
ジェントリフィケーションとの関係
・誰にとっての魅力的な空間なのか
都市正義との関係
これにより第6回との理論的接続を作ること。

分量
過去記事と同程度の密度を維持すること。
20,000〜30,000字程度を目安とする。
ただし字数を目的化せず、
理論的説明の充実を優先すること。

記事のゴール
読者が読み終えたとき、
Lynch
都市認知
Jacobs
多様性
Whyte
→ 滞留行動
Gehl
人間尺度
Perry
→ 生活圏
という理論の違いと連続性を理解できるようにすること。
また、
都市デザインとは美観の問題ではなく、人間と空間の関係を設計する営みである」
という理解に到達できる記事にすること。