都市は自然にできるのか、それとも計画されるべきものか。19世紀の過密・スラム・公衆衛生の危機が、都市を意図的に構想する営み――都市計画を生み出しました。ハワードの田園都市から、合理的計画、漸進主義、弱者を代弁するアドボカシー・プランニング、対話による合意形成、そしてガバナンスと権力批判まで。「都市はどのように計画されるべきか」を問えば、必ず「誰のための計画か」に行き着きます。都市計画は中立的技術ではなく政治的実践である――都市理論シリーズ第八弾。
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目次
はじめに ― 都市は計画されるべきものか
本連載は、これまで一貫して、都市を「理解する」ための理論をたどってきました。シカゴ学派の都市社会学に始まり、コミュニティ論、都市政治経済学、成長機械論、都市レジーム論、ジェントリフィケーション研究、そして前回のグローバル都市論まで、私たちは、都市がどのように成り立ち、誰によって作られ、統治され、世界経済の中でどう位置づけられるのかを、さまざまな角度から分析してきました。これらの議論に共通していたのは、都市を、観察し、分析し、説明する「対象」として捉える視座でした。
しかし、前回の末尾でも予告したように、都市は、ただ自然発生的に形成され、機能しているだけの存在ではありません。都市は、人間が意図的に構想し、設計し、よりよいものへと作り変えていく「対象」でもあります。ここで、一つの根本的な問いが立ち上がります。すなわち、「都市は、自然に形成されるものなのか、それとも、計画されるべきものなのか」という問いです。
歴史を振り返れば、この問いが切実な実践的課題として立ち現れたのは、19世紀以降の急速な都市化の時代でした。産業革命を経て、人々が職を求めて都市へと殺到する中で、都市は、かつてない規模とスピードで膨張しました。しかし、この急激な成長は、深刻な問題を生み出しました。労働者が密集して暮らすスラムの形成、劣悪な住環境、上下水道の不備がもたらす公衆衛生の危機、コレラなどの伝染病の蔓延、そして増大する交通の混雑です。市場の力に任せて無秩序に膨張する都市は、そこに暮らす多くの人々にとって、健康と生活を脅かす場となっていきました。
こうした状況の中で、都市研究は、新たな使命を帯びるようになります。それは、都市を「理解する」だけでなく、都市を「より良くするための実践」へと踏み出すことでした。無秩序な成長を放置するのではなく、人間の理性と構想によって、都市をあるべき姿へと導いていく — この実践的な知が、都市計画(urban planning)であり、それを支える思想が、都市計画理論です。本記事では、この都市計画理論が、近代以降、どのような理念を掲げ、どのような批判を経て、現代に至っているのか、その知的な系譜をたどっていきます。あらかじめ一つの見通しを述べておけば、都市計画の思想史は、合理性、公平性、参加、ガバナンスという四つのテーマをめぐって展開してきた、と整理することができます。そしてその根底には、本連載が問い続けてきた「都市は誰によって作られるのか」という問いが、「都市はどのように計画されるべきか」という規範的な形をとって、流れ続けているのです。
近代都市計画の誕生
都市計画の思想は、19世紀末の都市問題への応答として、本格的に形を成していきました。その出発点に立つ二人の重要な人物 — エベネザー・ハワードとパトリック・ゲデス — から、議論を始めましょう。
ハワードの田園都市論
近代都市計画の思想に決定的な影響を与えたのが、イギリスのエベネザー・ハワード(Ebenezer Howard)です。彼は、専門の都市計画家でも建築家でもなく、議会の速記者を生業とする人物でしたが、1898年(後に1902年に改題)に著した『明日の田園都市(Garden Cities of To-morrow)』によって、都市計画思想の一つの礎を築きました。
ハワードの問題意識は、当時のロンドンに代表される、過密で不健康な大都市への批判にありました。しかし彼は、都市を捨てて農村に帰るべきだと考えたのではありません。彼が構想したのは、都市の魅力(雇用、社交、利便性)と、農村の魅力(自然、健康、安価な土地)とを結合させた、第三の選択肢でした。これが田園都市(garden city)です。ハワードは、都市と農村のそれぞれの長所を兼ね備え、短所を避けた新しい居住地を、「都市」と「農村」という二つの磁石に対する「第三の磁石」として描き出しました。
ハワードの田園都市の構想には、いくつかの重要な特徴がありました。第一に、それは限られた規模をもつ、自立的なコミュニティでした。一定の人口に達したら、それ以上は膨張させず、緑地帯(グリーンベルト)で囲み、新たな田園都市を別に建設する、という発想です。第二に、それは職と住が近接し、周囲を農地に囲まれた、自己充足的な町でした。第三に、そしてこれはとりわけ重要ですが、その土地は共同体が保有し、開発によって生じる利益を、地主の私的な利得とするのではなく、コミュニティ全体に還元するという、社会改革的な理念を含んでいました。ハワードの構想は、単なる都市の物理的な設計ではなく、より公正な社会のあり方を、空間を通じて実現しようとする、社会思想でもあったのです。
この構想は、現実の都市として結実しました。ロンドン郊外に建設されたレッチワース(Letchworth、1903年着工)と、ウェリン・ガーデン・シティ(Welwyn Garden City、1920年着工)が、その代表です。これらは、田園都市の理念を実際の都市として具現化した、画期的な試みでした。
もっとも、ハワードの田園都市論には、限界も指摘されてきました。彼の構想した土地共有や利益還元といった社会改革的な側面は、現実の建設過程では十分に実現されず、むしろ田園都市は、その物理的な形態 — 低密度で緑豊かな郊外的環境 — の側面が広く模倣されていきました。筆者の見るところ、皮肉なことに、ハワードの理念は、後の郊外開発やニュータウン建設に大きな影響を与えた一方で、その核心にあった社会変革の志は、しばしば見失われていったのです。それでもなお、ハワードが提起した、都市を意図的に構想し、より良い社会を空間を通じて実現しようとする発想は、近代都市計画の出発点として、決定的な意義をもっています。
ゲデスと「調査なくして計画なし」
ハワードと並んで、近代都市計画思想のもう一つの源流をなすのが、スコットランドのパトリック・ゲデス(Patrick Geddes)です。生物学者であったゲデスは、生物と環境の関係を探る生態学的な視点を、都市の理解に持ち込みました。
ゲデスの最も有名な主張は、「調査なくして計画なし(survey before plan)」という原則です。彼は、都市を計画するにあたって、まずその都市と地域の現実 — 地理、歴史、経済、人々の生活 — を、徹底的に調査し、理解することが不可欠だと考えました。机上の理想を一方的に押しつけるのではなく、その土地の固有の条件と文脈を踏まえた上で、計画を立てるべきだ、というのです。この、現実の綿密な調査を計画の前提とする姿勢は、今日の都市計画の実務にも受け継がれる、基本的な原則となりました。
ゲデスのもう一つの重要な貢献は、都市を、孤立した存在としてではなく、それを取り巻く地域(region)との関係の中で捉える、地域主義的な視点でした。彼は、都市が、その周辺の農村や自然環境と一体をなす、有機的なまとまりとして存在していることを強調しました。都市を、生態系の一部として、環境との相互作用の中で理解するこの視点は、第1回で扱ったシカゴ学派の人間生態学(human ecology) — 都市を生態学的な過程として捉える視座 — とも、響き合うものがあります。両者はともに、生物学・生態学の発想を都市の理解に応用した点で、共通の知的基盤をもっていたのです。筆者の見るところ、ゲデスが残した「調査に基づく計画」と「地域的・生態学的な視点」は、その後の都市計画が、科学的な認識に基づいて行われるべきだ、という発想の、重要な源流となりました。
合理的計画モデル ― 科学としての計画
ハワードやゲデスが切り開いた近代都市計画は、20世紀の半ばに、より体系的で「科学的」な理論へと発展していきます。その中心をなしたのが、合理的計画モデル(rational planning model)です。
合理的計画とは何か
合理的計画モデルは、計画を、合理的な意思決定のプロセスとして捉えます。このモデル — 合理的・包括的計画(rational comprehensive planning)、あるいは総観的計画(synoptic planning)とも呼ばれます — は、特定の一人の人物が創始したというより、1950年代から60年代にかけて発展した、計画理論の主流をなす考え方でした。この考え方を体系的に整理した代表的な研究者の一人が、アンドレアス・ファルディ(Andreas Faludi)です。彼は、1970年代に、計画理論を体系化する重要な著作を著し、合理的計画の考え方を明確に位置づけました。
合理的計画モデルの根底にあるのは、手段-目的合理性(means-end rationality)という考え方です。すなわち、まず達成すべき目的を明確に定め、次に、その目的を最も効率的に達成する手段を、科学的・客観的に選び出す、という発想です。この立場において、計画とは、専門的な知識と分析の能力をもつ計画家(プランナー)が、科学的な手続きに従って、最適な解を導き出す営みとして理解されます。これは、専門家主導(expert-led)の、科学的計画(scientific planning)の理念です。
このモデルは、計画のプロセスを、いくつかの段階からなる、明快な手順として描き出します。すなわち、第一に、解決すべき問題を設定し、目標を定める。第二に、関連する情報を収集し、現状を分析する。第三に、目標を達成するための複数の代替案を作成する。第四に、各代替案を、一定の基準に照らして評価し、最善のものを選択する。そして第五に、選ばれた案を実施し、その結果を監視する。この一連の手順を、合理的かつ体系的に踏むことで、最適な計画に到達できる、と考えられたのです。
合理的計画の長所と限界
合理的計画モデルには、明確な長所があります。それは、計画のプロセスに、一貫性、透明性、効率性をもたらす点です。目標を明示し、代替案を比較し、選択の根拠を示すこの手法は、計画を、恣意的な思いつきではなく、説明可能で検証可能な営みへと高めました。誰もが理解し、検証できる手順に従うことで、計画は、専門的な正当性を獲得したのです。
しかし、この合理的計画モデルは、やがて、さまざまな限界を指摘されるようになります。第一に、それは、計画家が、必要なすべての情報を完全に把握できる、という非現実的な仮定(完全情報の仮定)に立っていました。現実には、計画家が手にできる情報は限られており、未来は不確実です。第二に、このモデルは、計画の政治的な性格を軽視していました。「目標」は、科学的に客観的に与えられるものではなく、誰がどのような価値観と利害から設定するのかという、政治的な問題をはらんでいます。第三に、合理的計画は、計画をめぐる権力関係を、不可視にしてしまう傾向がありました。「専門家が客観的に最適解を導く」という建前のもとで、実際には誰の利益が優先され、誰の声が排除されているのか、という問いが、見えなくなってしまうのです。
筆者の見るところ、この最後の批判は、本連載がこれまで論じてきた都市政治経済学の視座と、深く通じ合います。第4回の成長機械論や第5回の都市レジーム論が明らかにしたように、都市の意思決定は、決して中立的・客観的なものではなく、特定の利害と権力に貫かれています。合理的計画モデルが「中立的な科学」を装うことは、こうした権力と利害の作用を覆い隠す危険をもっていたのです。この問題意識が、次に見る諸理論への展開を促していきます。
漸進主義 ― 「なんとか切り抜ける」科学
合理的計画モデルの非現実性に対する、最初の重要な批判の一つが、漸進主義(incrementalism)です。これは、計画を、壮大な合理的設計としてではなく、現実的な小さな改善の積み重ねとして捉える立場です。
リンドブロムの「漸進主義の科学」
漸進主義を理論化したのが、政治学者のチャールズ・リンドブロム(Charles Lindblom)です。彼が1959年に発表した論文「漸進主義の科学(The Science of Muddling Through)」は、計画と政策決定の理論に、大きな影響を与えました。論文のタイトルにある「muddling through」とは、「なんとか切り抜ける」「やりくりする」といった意味合いの言葉です。
リンドブロムの主張は、こうです。合理的計画モデルが描くような、すべての情報を集め、すべての代替案を比較し、最善の解を選ぶ、という意思決定は、現実には不可能である。現実の政策決定者や計画家は、限られた情報、限られた時間、限られた能力のもとで、判断を下さなければなりません。そこで、彼らが実際に行っているのは、現状からの小さな変化(漸進的な変更)を、いくつか比較検討し、なんとか実行可能な改善を選び取っていく、という営みなのだ、というのです。リンドブロムは、この現実的な意思決定のあり方を、理想からの逸脱としてではなく、むしろ複雑な現実に対処するための、一つの合理的な戦略として、積極的に評価しました。
サイモンの限定合理性との共鳴
このリンドブロムの議論は、ハーバート・サイモン(Herbert Simon)が提起した、限定合理性(bounded rationality)という重要な概念と、深く共鳴します。サイモンは、人間の合理性が、認知能力、情報、時間といった条件によって、本質的に制約されていることを指摘しました。人間は、完全に合理的な「最適化」を行う存在ではなく、限られた条件のもとで、「これで十分」と思える満足のいく選択肢を選ぶ(満足化)存在なのだ、というのです。
サイモンの限定合理性の概念は、合理的計画モデルが前提としていた「完全な合理性」が、人間の現実に合わないことを、理論的に明らかにしました。もっとも、リンドブロムの漸進主義は、サイモンの理論を単に応用したものというよりは、合理主義への批判から独自に展開された理論です。両者は、人間の合理性の限界を直視するという点で響き合いながら、それぞれ別の角度から、合理的計画モデルの前提を掘り崩していきました。サイモンが人間の認知の限界という観点から合理性を捉え直したのに対し、リンドブロムは、現実の政策決定がどのように行われているかという観点から、漸進的な意思決定のあり方を描き出したのです。
漸進主義の評価
漸進主義の長所は、何よりもその現実性にあります。それは、計画家や政策決定者が直面する、情報と能力の制約という現実を直視し、その中で実行可能な改善を積み重ねていく、堅実な道を示しました。大きな失敗のリスクを避け、試行錯誤を通じて少しずつ前進するこのアプローチは、複雑で不確実な現実において、確かな有効性をもっています。
しかし、漸進主義もまた、批判を免れませんでした。最も重要な批判は、それが現状維持的(conservative)になりがちだ、という点です。小さな改善の積み重ねを旨とする漸進主義は、現状を大きく変えること、構造的な問題に根本から取り組むことを、苦手とします。既存の枠組みの中での微調整に終始するため、深刻な不平等や、構造的な矛盾といった、根本的な変革を要する問題には、対応しきれないのです。筆者の見るところ、この批判は重要です。たとえば、第6回で論じたジェントリフィケーションによる排除や、都市の構造的な不平等といった問題は、小さな漸進的改善だけでは解決できない、構造的な性格をもっています。漸進主義の現実性は、同時に、その保守性という限界と、表裏一体だったのです。
アドボカシー・プランニング ― 計画は誰の利益を代表するのか
合理的計画モデルの「中立性」への批判を、より明確に、計画の政治性と公平性の問題へと推し進めたのが、アドボカシー・プランニング(advocacy planning)です。これは、本連載がこれまで論じてきた都市の不平等の問題と、都市計画理論とを、直接に結びつける、重要な理論でした。
ダヴィドフの問題提起
アドボカシー・プランニングを提起したのが、都市計画家のポール・ダヴィドフ(Paul Davidoff)です。彼が1965年に発表した論文「アドボカシーと都市計画における多元主義」は、計画理論に、鋭い問いを突きつけました。
ダヴィドフの出発点にあったのは、合理的計画モデルが前提とする「単一の公共の利益」という考え方への、根本的な疑問でした。合理的計画は、計画家が、社会全体にとっての最善 — 唯一の「公共の利益」 — を、客観的に導き出せる、と想定していました。しかしダヴィドフは、社会は、異なる利害と価値観をもつ、多様な集団から成り立っており、すべての人にとって単一の「公共の利益」など存在しない、と論じました。ある計画が、ある集団の利益になるとき、それは別の集団の不利益になるかもしれません。「公共の利益」とは、実際には、複数の競合する利益(複数の公共利益)の、せめぎ合いの場なのです。
この認識から、ダヴィドフは、計画家の役割について、革新的な提案を行いました。計画家は、中立を装って単一の最適解を提示するのではなく、むしろ、特定の集団の利益を、明示的に代弁(アドボケイト)すべきだ、というのです。とりわけ、彼が重視したのは、計画の過程で声を奪われがちな、弱い立場にある人々 — 低所得層、マイノリティ、住民 — の利益を代弁することでした。法廷で、弁護士がそれぞれの依頼人の利益を代弁し、その対抗の中から公正な判断が生まれるように、都市計画においても、複数の計画家が、それぞれ異なる集団の利益を代弁する計画案を提示し、その公開された対立と討議を通じて、より民主的で公平な意思決定がなされるべきだ、とダヴィドフは構想したのです。
ジェントリフィケーション・都市正義との接続
このアドボカシー・プランニングの問題意識は、第6回で論じたジェントリフィケーションと都市正義の議論と、直接的に接続します。第6回で見たように、都市の再開発は、しばしば、一部の層に利益をもたらす一方で、低所得層や既存住民を排除します。そして、その過程で、排除される人々の声は、計画の意思決定からこぼれ落ちていきます。ダヴィドフのアドボカシー・プランニングは、まさにこうした、計画における権力の不均衡と、弱者の排除に対する、計画理論の側からの応答でした。
「計画は誰の利益を代表するのか」 — ダヴィドフが突きつけたこの問いは、第6回で論じたファインスタインの「ジャスト・シティ(公正な都市)」論や、その背景にあったヤングの差異の政治、さらにはルフェーヴルの「都市への権利」とも、深く響き合います。これらはいずれも、都市の計画と空間が、誰のためのものであるべきかを問う、規範的な探究でした。筆者の見るところ、アドボカシー・プランニングの歴史的意義は、都市計画を、中立的な技術という装いから引きはがし、それが本質的に、利害と価値をめぐる政治的な営みであることを、計画理論の内部から明らかにした点にあります。計画家は、価値中立的な技術者ではなく、誰の側に立つのかという、価値選択を避けられない存在なのです。
コミュニケーション的計画理論 ― 対話による計画
計画の政治性が明らかになる中で、では計画は、いかにして多様な利害と価値の対立を乗り越え、正統性をもちうるのか、という問いが浮上します。この問いに、「対話」と「合意形成」という観点から答えようとしたのが、コミュニケーション的計画理論(communicative planning theory)です。これは、1980年代から90年代にかけて、計画理論の主流の一つとなりました。
ハーバーマスという理論的背景
コミュニケーション的計画理論の哲学的な基礎を提供したのが、ドイツの社会哲学者ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)です。ハーバーマスは、人間の合理性を、孤立した個人が手段と目的を計算する「道具的合理性」だけでなく、人々が対話を通じて相互に理解し、合意に至る能力 — コミュニケーション的合理性(communicative rationality) — として捉え直しました。
ハーバーマスが構想したのは、理想的発話状況(ideal speech situation)という概念です。これは、参加者が、権力や地位の差に左右されることなく、対等な立場で、自由に意見を述べ、ただ「よりよい論拠」の力だけによって合意に至る、という理想的な対話の条件を指します。この理想のもとでは、合意は、強制や操作によってではなく、理性的な討議を通じて達成されます。もっとも、ここで誤解を避けるために強調しておくべきことがあります。ハーバーマス自身は、この理想的発話状況を、現実にそのまま実現可能な制度として提示したのではありません。それは、現実の討議が、どれだけ正統なものであるかを評価し、批判するための、規範的な基準として構想されたものでした。すなわち、現実の対話を測るための「ものさし」であり、現実をそこへ近づけていくための理念だったのです。このハーバーマスの思想は、第6回でも触れた熟議民主主義(deliberative democracy)の考え方と通じ、計画を、専門家による一方的な決定ではなく、関係者の対話と熟議のプロセスとして捉え直す、理論的な枠組みを提供しました。
フォレスターとヒーリー
このハーバーマスの思想を、都市計画の理論と実践へと展開したのが、ジョン・フォレスター(John Forester)とパッツィ・ヒーリー(Patsy Healey)です。
ジョン・フォレスターは、計画家が日々の実践の中で行っている、対話やコミュニケーションの営みに注目しました。ただし、彼の議論の核心は、計画家を単なる「対話の促進者」として描くことにはありませんでした。彼の主著『権力に直面する計画(Planning in the Face of Power)』が示すように、フォレスターが重視したのは、現実のコミュニケーションが、権力によって歪められているという認識です。情報が一部の主体に独占されたり、ある人々の声が封じられたり、議論が特定の枠組みへと誘導されたりすることで、対話は容易に歪曲されます。フォレスターは、計画家の重要な役割を、こうした情報の非対称性や権力による歪みを是正し、歪められたコミュニケーションを、より開かれた公正なものへと正していく実践にある、と論じました。計画家は、中立的な技術者でも、単なる司会者でもなく、権力に抗してコミュニケーションの公正さを守る、実践的な役割を担う存在なのです。
パッツィ・ヒーリーは、こうした考え方を、協働型計画(collaborative planning)として、より体系的な理論へと発展させました。彼女は、計画を、多様な利害関係者(ステークホルダー)が、対話と協議を通じて、共有された理解と合意を作り上げていく、協働のプロセスとして捉えました。計画の正統性は、専門家の科学的権威からではなく、関係者の包摂的な参加と、開かれた対話から生まれる、というのが、ヒーリーの中心的な主張です。
長所と批判
コミュニケーション的計画理論の長所は、その民主性と包摂性にあります。それは、計画を、専門家や権力者による一方的な決定から解放し、影響を受ける人々が、対等な立場で参加し、自らの声を反映させる、民主的なプロセスへと開きました。市民参加、合意形成、熟議といった理念は、現代の都市計画の実務において、広く重視されるようになっています。
しかし、この理論には、きわめて重要な批判が向けられてきました。それは、現実の社会には、深刻な権力格差が存在するため、対話だけで公平な合意が得られるとは限らない、という批判です。ハーバーマスの「理想的発話状況」は、参加者が対等であることを前提とします。しかし、現実の都市計画の場では、参加者は決して対等ではありません。豊富な資源、専門知識、時間、人脈をもつ強者(大企業、開発業者など)と、それらを欠く弱者(低所得層、住民)とのあいだには、大きな力の差があります。こうした不平等な条件のもとで「対話」を行えば、形式的には合意が成立しても、実質的には強者の意向が通り、弱者の声が周縁化される危険があります。「対話」や「参加」という美しい言葉が、かえって既存の権力関係を覆い隠してしまうのではないか、というのです。なお、先に見たフォレスターが、まさに権力による対話の歪みの是正を論じたのは、この批判を計画家の実践の課題として引き受けようとしたものと理解できます。
筆者の見るところ、この批判は、本連載が繰り返し論じてきた権力と不平等の問題を、計画理論の核心に突きつけるものです。第5回の都市レジーム論が明らかにしたように、都市の意思決定には、資源をもつ者ともたない者のあいだの、構造的な力の差が貫いています。コミュニケーション的計画理論が描く理想の対話は、この現実の権力構造を、どこまで乗り越えられるのか — この問いは、計画理論における、未解決の重要な論点であり続けています。
ガバナンスと協働型計画
コミュニケーション的計画理論が重視した「参加」と「協働」は、より広い文脈では、現代の都市統治のあり方の変化 — ガバナンスへの移行 — と結びついています。本節では、この点を、第5回で論じた都市レジーム論との接続において、簡潔に確認しておきましょう。
第5回で論じたように、現代の都市の統治は、政府(ガバメント)による一方的な統治から、政府、企業、市民、NPOなど、多様な主体が関与する、より分散的で水平的な統治 — ガバナンス(governance) — へと、移行してきました。これは、財政的な制約や、課題の複雑化の中で、行政が単独で都市を運営することが難しくなり、さまざまな主体との連携(パートナーシップ)が不可欠になってきたことの現れです。
この変化は、都市計画のあり方にも、大きな影響を与えています。かつて、都市計画は、行政が、その権限に基づいて、上から立案し、実行するものでした。しかし、ガバナンスの時代において、計画は、行政だけでなく、民間企業、市民団体、NPO、住民といった多様な主体が、ネットワーク型の協働を通じて、共同で作り上げていくものへと変化しつつあります。先に見たヒーリーの協働型計画は、まさに、こうしたガバナンスの時代の計画のあり方を、理論化したものといえます。
ここで、第5回で論じた都市レジーム論を思い起こすことが有用です(その詳細は繰り返しませんが)。レジーム論は、都市の統治が、行政と民間が資源を持ち寄って形づくる、持続的な協力関係によって成り立っていることを明らかにしました。協働型計画やガバナンス型の計画は、この、資源の相互依存と協力という構図を、計画の領域において具体化したものと理解できます。筆者の見るところ、ここにも、計画の政治性という問題が、再び立ち現れます。多様な主体の「協働」といっても、そこに参加できるのは、一定の資源をもつ主体に偏りがちです。第5回で論じた、資源をもつ者ともたない者のあいだの不均衡は、ガバナンス型の計画においても、形を変えて存在し続けているのです。「協働」が、誰の協働なのか — この問いは、ガバナンスの時代の計画においても、問われ続けなければなりません。
日本の都市計画
ここまで論じてきた都市計画理論は、主として欧米の文脈で発展してきたものです。ここで、視点を日本に転じ、日本の都市計画が、どのような特徴をもっているのかを、簡潔に見ておきましょう。ただし、これまでの記事と同様、欧米の理論を日本にそのまま当てはめるのではなく、日本の固有の文脈を踏まえて理解することが重要です。
日本の近代都市計画は、その制度的な骨格を、都市計画法に置いてきました。その中核をなすのが、土地をその用途に応じて区分し、建てられる建物の種類や規模を規制する、用途地域制度です。また、日本の都市計画を特徴づける手法として、土地区画整理事業と、市街地再開発事業を挙げることができます。土地区画整理事業は、不整形な土地を整形し、道路や公園などの公共施設を整備する手法であり、日本の市街地形成において、広く用いられてきました。市街地再開発事業は、老朽化した市街地を、共同の建築物へと建て替え、土地を高度に利用する手法です。
これらの制度を通じて形成されてきた日本の都市計画には、いくつかの特徴があると解釈できます。第一に、制度設計の面では、行政が主導的な役割を果たす性格が強いと言われます。日本の都市計画は、その制度的な枠組みを、国や自治体が整備し、運用してきました。しかし、ここで注意が必要です。制度を行政が主導する一方で、実際の市街地形成は、民間の鉄道事業者や、土地区画整理事業における地権者、そして開発業者といった、民間主体との協働を通じて進められてきた側面も、きわめて大きいのです。土地区画整理事業は、地権者の合意と土地の供出(減歩)を前提とする仕組みであり、また、大都市圏の市街地形成は、民間鉄道事業者による沿線開発と一体的に進められてきました。したがって、日本の都市計画を「行政主導」と一面的に特徴づけるのは適切ではなく、行政の制度的主導と、民間主体との協働とが、複雑に組み合わさってきた、と理解するのが正確でしょう。第二に、高密度な都市形成です。限られた国土に多くの人口が集中する中で、日本の都市は、高密度に発展してきました。第三に、そしてこれは本連載が繰り返し触れてきた点ですが、鉄道との緊密な連携です。とりわけ大都市圏において、鉄道網の整備と沿線の市街地形成、駅周辺の開発とが、一体的に進められてきたことは、日本の都市計画の顕著な特徴です。これは、第4回・第5回でも触れた、鉄道事業者が都市開発において果たす独特の役割と、深く関わっています。
しかし、こうした日本の都市計画は、いま、大きな転換を迫られています。かつての都市計画が、人口増加と都市の成長を前提としていたのに対し、現代の日本は、人口減少という、まったく異なる条件に直面しているからです。増え続ける空き家、低密度に拡散した市街地の維持の困難、そして地方都市の縮退(シュリンキング)といった課題は、「成長」を前提とした従来の計画の枠組みでは、対応しきれません。こうした中で注目されているのが、都市機能を集約し、コンパクトな都市構造を目指す、コンパクトシティの考え方です。日本では、立地適正化計画といった制度を通じて、居住や都市機能を一定のエリアに誘導しようとする試みが進められています。これは、「拡大の計画」から「縮小・集約の計画」への、大きな転換を意味しています。次節で見るように、これは、現代の都市計画が直面する、より広い課題群の一部でもあります。
現代都市計画の新課題 ― 成長から持続可能性へ
現代の都市計画は、20世紀のそれとは異なる、新しい課題群に直面しています。これらの課題は、都市計画の目標そのものを、「成長のための計画」から「持続可能性のための計画」へと、転換させつつあります。
第一に、コンパクトシティ(compact city)の課題です。前節でも触れたように、人口減少や環境への配慮の中で、無秩序に拡散した都市を、より集約的でコンパクトな構造へと再編しようとする動きが、世界的に広がっています。これは、自動車に依存した拡散型の都市から、公共交通を基軸とした、歩いて暮らせる都市への転換を目指すものです。本連載で繰り返し取り上げてきた公共交通指向型開発(TOD)は、このコンパクトな都市構造を実現するための、有力な手法の一つと位置づけられます。ただし、TODはコンパクトシティ政策と深く結びつくものの、コンパクトシティの理念は、TODだけに尽きるものではなく、土地利用の集約、生活サービスの再配置、既存ストックの活用など、より広い政策の組み合わせを含む点には注意が必要です。
第二に、スマートシティ(smart city)の課題です。情報通信技術やデータを活用して、都市の機能を効率化し、生活の質を高めようとする試みです。前回のグローバル都市論・ネットワーク社会論で論じた情報化の進展は、都市計画の領域においても、新しい可能性と課題を生み出しています。ただし、スマートシティをめぐっては、データの管理や監視、技術への過度の依存といった、新たな懸念も指摘されており、後で触れる批判的な視点が重要になります。
第三に、レジリエンス(resilience、回復力・強靭性)の課題です。災害、感染症、経済的な危機といった、さまざまな衝撃に対して、都市がいかに耐え、回復し、適応できるか — この回復力が、現代の都市計画の重要なテーマとなっています。とりわけ、地震や水害といった災害の多い日本において、レジリエンスは切実な課題です。
第四に、そしてこれらすべてに関わるのが、気候変動への対応です。脱炭素化、再生可能エネルギーへの転換、緑地の保全、環境負荷の低減といった課題は、現代の都市計画の中心に位置づけられるようになっています。
筆者の見るところ、これらの新しい課題に共通しているのは、計画の目標が、かつての「いかに都市を成長させるか」から、「いかに都市を持続可能なものにするか」へと、根本的に転換しつつある、という点です。第4回で論じた成長機械論が描いたような、成長を自明の善とする都市観は、もはや自明ではなくなりました。限られた資源、環境の制約、人口の減少という現実の中で、都市計画は、量的な拡大ではなく、質的な持続可能性を、追求するものへと変わりつつあるのです。
都市計画理論への批判 ― 誰のための計画か
最後に、都市計画という営みそのものに向けられてきた、根本的な批判の視点を見ておきましょう。これらの批判は、本連載が一貫して問うてきた、権力と正義の問題を、計画理論の根底に突きつけます。
第一に、ポストモダン都市論からの批判があります。近代の都市計画は、しばしば、単一の理想的な秩序を、都市全体に押しつけようとする傾向をもっていました。これに対して、ポストモダンの視点は、都市の多様性、断片性、差異を重視し、単一の包括的な計画によって都市を統御しようとする発想そのものを、疑問に付しました。都市は、多様な人々の、多様な生のあり方を許容すべきであり、計画家の描く単一の理想を、上から押しつけるべきではない、というのです。
第二に、ミシェル・フーコー(Michel Foucault)の統治性(governmentality)論に由来する批判があります。フーコーの視点からすれば、都市計画は、単に空間を整える中立的な技術ではなく、人々の生活や行動を、特定の仕方で方向づけ、管理し、統治する権力の技術でもあります。どこに住み、どう移動し、どう暮らすかを規定する計画は、人々を、ある望ましいあり方へと導く、微細な権力の作用をはらんでいる、というのです。この視点は、先に触れたスマートシティにおけるデータ活用や監視の問題とも、深く関わってきます。計画は、善意のもとであっても、人々を管理する権力として作用しうるのです。
第三に、こうした批判を踏まえて、より根本的な変革を求める、ラディカル・プランニング(radical planning)の潮流があります。これは、既存の権力構造や、不平等を温存する計画のあり方を批判し、周縁化された人々の側に立って、社会の根本的な変革を志向する計画の立場です。たとえばジョン・フリードマン(John Friedmann) — 前回のグローバル都市論で世界都市仮説の提唱者として登場した、あの人物です — は、計画を、国家や専門家による上からの統制としてではなく、人々が自らの力で社会を変革していく「社会変革(social transformation)」の営みとして捉え直す、ラディカルな計画論を展開しました。これは、先に見たダヴィドフのアドボカシー・プランニングの問題意識を、社会変革という、より根本的な方向へと推し進めたものといえます。
これらの批判は、最終的に、本連載で繰り返し登場してきた、アンリ・ルフェーヴルの「都市への権利(right to the city)」へと、再び接続します。第3回と第6回で論じたように、ルフェーヴルは、都市空間を作り変える権利を、資本や専門家や権力の手から、そこに生きる人々の集合的な手へと取り戻すことを求めました。都市計画理論への根本的な批判が問うているのも、まさにこの問いです。すなわち、「誰が計画するのか」「誰のための計画か」という問いです。都市計画が、専門家や権力者だけのものではなく、そこに生きるすべての人々のものであるべきだとすれば、計画のあり方そのものが、より民主的で、より公正なものへと、問い直されなければなりません。筆者の見るところ、都市計画理論の歴史は、まさにこの「誰のための計画か」という問いを、深め、鋭くしていく歴史でもあったのです。
おわりに ― 都市計画は政治的実践である
本記事では、「都市はどのように計画されるべきか」という問いを軸に、近代都市計画の誕生から、合理的計画、漸進主義、アドボカシー・プランニング、コミュニケーション的計画、協働型計画、そして現代の新課題と根本的批判まで、都市計画理論の知的な系譜をたどってきました。これまで論じてきた主要な理論を、ここで整理しておきましょう。
| 理論 | 代表的人物 | 重視するもの |
|---|---|---|
| 合理的計画 | ファルディ(体系化) | 効率性・科学性 |
| 漸進主義 | リンドブロム、サイモン | 実現可能性・現実性 |
| アドボカシー・プランニング | ダヴィドフ | 公平性・弱者の代弁 |
| コミュニケーション的計画 | ハーバーマス、フォレスター、ヒーリー | 合意形成・対話 |
| 協働型計画 | ヒーリー、フォレスター | ガバナンス・協働 |
| ラディカル・プランニング | フリードマン | 社会変革・権力批判 |
この理論史の展開を振り返ると、一つの大きな流れが見えてきます。それは、都市計画が、当初の「専門家が科学的に最適解を導く」という発想から、次第に、「計画は、利害と価値の対立をはらむ、政治的なプロセスである」という認識へと、深まっていった流れです。合理的計画モデルは、計画を中立的な科学として描こうとしました。しかし、漸進主義はその非現実性を、アドボカシー・プランニングはその政治性と非中立性を、コミュニケーション的計画はその非民主性を、そして根本的批判はその権力性を、次々と明らかにしていきました。
ここに、本連載全体を貫いてきた洞察が、改めて確認されます。すなわち、都市計画は、決して中立的な技術ではない、ということです。それは、確かに「都市を設計する技術」です。しかし、それは同時に、「私たちがどのような都市社会を望むのか」という、価値の選択であり、政治的な実践でもあります。どこに何を建て、誰を優先し、何を犠牲にし、どのような暮らしを可能にするのか — これらの計画の決定は、つねに、特定の価値判断と、利害の配分と、権力の作用を、内包しています。第4回の成長機械論、第5回の都市レジーム論、第6回のジェントリフィケーションと都市正義が明らかにしてきた、都市をめぐる権力と利害と不平等の問題は、都市計画という実践の、まさに核心に存在しているのです。
だからこそ、都市計画に携わる人々 — 行政職員、計画家、そして都市政策に関わるすべての人々 — に求められるのは、自らの専門的な判断が、誰の利益にどう作用し、誰の声を反映し、誰を排除しうるのかを、絶えず自覚的に問い続ける姿勢です。よりよい都市とは、単に効率的で、機能的で、美しい都市ではなく、そこに生きるすべての人々の、多様な生と声を、公正に包摂する都市なのではないでしょうか。都市計画とは、その問いに、技術と価値の両面から応えようとする、終わりなき営みなのです。
次回予告
本記事では、都市を「どのように計画すべきか」という、計画のプロセスと理念をめぐる理論をたどってきました。しかし、ここで一つ、まだ十分に問うていない問いが残っています。それは、「では、そもそも『良い都市空間』とは、どのようなものなのか」という問いです。計画の手続きや理念を論じることと、その計画が目指すべき、良い空間の具体的な姿を描くことは、別の事柄です。
そこで次回、第9回は、「アーバンデザイン ― 良い都市空間とは何か」を扱います。都市の空間そのものの質、人々が歩き、出会い、暮らしたくなるような、良い都市空間の条件とは何かを、考えていきます。次回扱うのは、近代都市計画の画一性を鋭く批判し、街路の多様性と活気の価値を説いたジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)、人々が都市をどう知覚し、頭の中に地図を描くのかを探究したケヴィン・リンチ(Kevin Lynch)、良い空間に共通する普遍的なパターンを見出そうとしたクリストファー・アレグザンダー(Christopher Alexander)、そして人間の活動と暮らしのスケールから都市空間を構想したヤン・ゲール(Jan Gehl)です。計画の「理念」から、空間の「質」へ — 都市理論の探究を、さらに具体的な次元へと進めていきます。本記事が、読者の皆さんにとって、都市理論の体系を見通し、自らの実践や研究を位置づけるための一助となれば幸いです。
参考文献
本記事は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。
英語文献
- Howard, E. (1902). Garden Cities of To-morrow. London: Swan Sonnenschein. (Original work published 1898 as To-morrow: A Peaceful Path to Real Reform)
- Geddes, P. (1915). Cities in Evolution: An Introduction to the Town Planning Movement and to the Study of Civics. London: Williams & Norgate.
- Faludi, A. (1973). Planning Theory. Oxford: Pergamon Press.
- Faludi, A. (Ed.) (1973). A Reader in Planning Theory. Oxford: Pergamon Press.
- Lindblom, C. E. (1959). The Science of “Muddling Through”. Public Administration Review, 19(2), 79–88.
- Simon, H. A. (1947). Administrative Behavior: A Study of Decision-Making Processes in Administrative Organization. New York: Macmillan.
- Davidoff, P. (1965). Advocacy and Pluralism in Planning. Journal of the American Institute of Planners, 31(4), 331–338.
- Habermas, J. (1984). The Theory of Communicative Action, Volume 1. Trans. T. McCarthy. Boston: Beacon Press. (Original work published 1981)
- Forester, J. (1989). Planning in the Face of Power. Berkeley: University of California Press.
- Healey, P. (1997). Collaborative Planning: Shaping Places in Fragmented Societies. London: Macmillan.
- Friedmann, J. (1987). Planning in the Public Domain: From Knowledge to Action. Princeton, NJ: Princeton University Press.
- Fainstein, S. S. (2010). The Just City. Ithaca, NY: Cornell University Press.
- Allmendinger, P. (2017). Planning Theory (3rd ed.). London: Palgrave Macmillan.
- Fishman, R. (1977). Urban Utopias in the Twentieth Century: Ebenezer Howard, Frank Lloyd Wright, and Le Corbusier. New York: Basic Books.
- Hall, P. (2014). Cities of Tomorrow: An Intellectual History of Urban Planning and Design Since 1880 (4th ed.). Oxford: Wiley-Blackwell.
日本語文献
- ハワード, E. (2016). 『新訳 明日の田園都市』山形浩生訳. 鹿島出版会.
- ホール, P. (2009). 『明日の都市 ― 20世紀における都市計画・デザインの知的歴史』佐々木宏ほか訳. 鹿島出版会.
- 日端康雄 (2008). 『都市計画の世界史』講談社.
- 越澤明 (2005). 『復興計画 ― 幕末・明治の大火から東日本大震災まで』中央公論新社.
※ 本記事における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。合理的計画モデルは1950〜60年代の計画理論の主流として形成されたものであり、特定の一人によって創始されたものではない点、ファルディはその考え方を体系的に整理した代表的研究者の一人である点に留意してください。都市計画理論の整理や、各理論の長所・限界の評価には、確立した学説に依拠する部分と、筆者の解釈による部分とが含まれます。とりわけ「日本の都市計画」の節における特徴づけは、日本の都市計画を一面的に図式化することを避け、行政の制度的主導と民間主体との協働の両面から記述しましたが、その実態は制度や地域によってさらに多様です。各理論家の議論は、本記事では要点を簡潔に整理したものであり、原典における議論はより複雑で多面的です。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。
年表 ― 都市計画理論の展開
- 1898年 ― ハワード『明日への道』(後の『明日の田園都市』)。田園都市論を提起
- 1903年 ― レッチワース着工。最初の田園都市の実現
- 1915年 ― ゲデス『進化する都市』。「調査なくして計画なし」と地域主義を提唱
- 1920年 ― ウェリン・ガーデン・シティ着工。第二の田園都市
- 1947年 ― サイモン『経営行動』。限定合理性の概念を提起
- 1959年 ― リンドブロム「漸進主義の科学」。合理的計画への批判
- 1960年代 ― 合理的・包括的計画(総観的計画)が計画理論の主流に
- 1965年 ― ダヴィドフ「アドボカシーと都市計画における多元主義」。弱者の代弁を提起
- 1973年 ― ファルディ『計画理論』。合理的計画を体系的に整理
- 1981年 ― ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論』。理論的背景を提供
- 1987年 ― フリードマン『公共領域における計画』。ラディカル・プランニング論
- 1989年 ― フォレスター『権力に直面する計画』。歪められた対話の是正を論じる
- 1997年 ― ヒーリー『協働型計画』。コミュニケーション的計画を体系化
- 2010年 ― ファインスタイン『ジャスト・シティ』。公正な都市の構想(第6回)
- 2010年代 ― コンパクトシティ・スマートシティ・レジリエンス論の台頭
- (日本)1919年 ― (旧)都市計画法・市街地建築物法の制定
- (日本)1954年 ― 土地区画整理法の制定
- (日本)1968年 ― (新)都市計画法の制定。用途地域制度の整備
- (日本)1969年 ― 都市再開発法の制定。市街地再開発事業の制度化
- (日本)2014年 ― 改正都市再生特別措置法。立地適正化計画(コンパクトシティ政策)の導入
用語集
本稿および都市計画理論の理解に関連する主要な用語・人名を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合): 解説」です。
理論・概念
- Garden City, 田園都市: 都市と農村の長所を結合した自立的コミュニティ。ハワードが構想し、土地共有と利益還元の社会改革的理念を含んだ。
- Survey Before Plan, 調査なくして計画なし: 計画に先立ち都市・地域の現実を徹底調査すべきとするゲデスの原則。
- Rational Planning Model, 合理的計画モデル: 目的を定め最も効率的な手段を科学的に選ぶ計画モデル。総観的計画とも。1950-60年代の主流。
- Rational Comprehensive Planning, 合理的・包括的計画: 合理的計画モデルの正式な呼称の一つ。すべての情報と代替案を網羅的に検討するという理念。
- Synoptic Planning, 総観的計画: 合理的・包括的計画の別称。全体を俯瞰して最適解を導く計画観。
- Means-End Rationality, 手段-目的合理性: 目的を所与とし、それを達成する最適な手段を選ぶという合理性。合理的計画の根底にある。
- Incrementalism, 漸進主義: 壮大な設計ではなく、現状からの小さな改善の積み重ねとして計画・政策を捉える立場。リンドブロムが提起。
- Muddling Through, なんとか切り抜けること: 限られた条件下で実行可能な改善を選び取る現実的な意思決定。リンドブロムの鍵概念。
- Bounded Rationality, 限定合理性: 人間の合理性が認知・情報・時間により制約されるとするサイモンの概念。満足化と結びつく。
- Satisficing, 満足化: 最適化ではなく「これで十分」な選択肢を選ぶ行動。限定合理性の帰結。
- Advocacy Planning, アドボカシー・プランニング: 計画家が特定集団、とりわけ弱者の利益を明示的に代弁すべきとするダヴィドフの立場。
- Communicative Rationality, コミュニケーション的合理性: 対話を通じて相互理解と合意に至る能力。ハーバーマスが道具的合理性と対比した。
- Ideal Speech Situation, 理想的発話状況: 権力差なく対等に論拠のみで合意に至る対話の規範的条件。現実の制度ではなく評価基準。
- Collaborative Planning, 協働型計画: 多様な利害関係者の対話と協議を通じて合意を形成する計画。ヒーリーが体系化。
- Deliberative Democracy, 熟議民主主義, , , : 討議を通じて正統な決定に至る民主主義の構想。コミュニケーション的計画の背景(添付に熟議民主主義あり、英語表記を補記)。
- Radical Planning, ラディカル・プランニング: 既存の権力構造を批判し、周縁化された人々の側に立って社会変革を志向する計画の立場。
- Governmentality, 統治性: 計画を含む諸技術が人々の行動を方向づけ管理するとするフーコーの概念。計画の権力性を照らす。
- Expert-led Planning, 専門家主導の計画: 専門知識をもつ計画家が最適解を導くとする計画観。合理的計画の特徴。
人名
- Ebenezer Howard, エベネザー・ハワード: 田園都市論を提起したイギリスの社会改革者。『明日の田園都市』の著者。
- Patrick Geddes, パトリック・ゲデス: 「調査なくして計画なし」と地域主義を説いたスコットランドの生物学者・都市計画家。
- Andreas Faludi, アンドレアス・ファルディ: 合理的計画を含む計画理論を体系的に整理した計画理論家。
- Charles Lindblom, チャールズ・リンドブロム: 漸進主義を提起したアメリカの政治学者。
- Herbert Simon, ハーバート・サイモン: 限定合理性の概念を提起した社会科学者。ノーベル経済学賞受賞。
- Paul Davidoff, ポール・ダヴィドフ: アドボカシー・プランニングを提起したアメリカの都市計画家・法律家。
- Jürgen Habermas, ユルゲン・ハーバーマス: コミュニケーション的合理性を論じたドイツの社会哲学者。
- John Forester, ジョン・フォレスター: 権力に歪められた対話の是正を論じたアメリカの計画理論家。
- Patsy Healey, パッツィ・ヒーリー: 協働型計画を体系化したイギリスの計画理論家。
- Michel Foucault, ミシェル・フーコー: 統治性論で計画の権力性を照らしたフランスの哲学者。
著作
- Garden Cities of To-morrow, 『明日の田園都市』: ハワードが1902年に刊行した田園都市論の古典(原著1898年)。
- The Science of Muddling Through, 「漸進主義の科学」: リンドブロムが1959年に発表した、合理的計画批判の論文。
- Planning in the Face of Power, 『権力に直面する計画』: フォレスターが1989年に刊行した、計画と権力をめぐる著作。
- Collaborative Planning, 『協働型計画』, , Collaborative Planning: Shaping Places in Fragmented Societies: ヒーリーが1997年に刊行した協働型計画の体系書。
※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。コミュニケーション的計画、田園都市の関連語、コンパクトシティ、ガバナンスなど一部は添付リストに英語表記が含まれますが、本稿理解のため補足が有用なものは日本語訳語・解説を添えました。合理的計画モデルは特定個人の創始ではなく1950-60年代の主流であり、ファルディはその体系化者の一人である点に留意してください。次稿はアーバンデザイン(ジェイコブズ、リンチ、アレグザンダー、ゲール)を主題とします。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。
claude 執筆プロンプト
都市研究・都市計画理論の専門家として、以下の条件に従い日本語で長文記事を執筆してください。
記事タイトル
第8回 都市計画理論
― 都市はどのように計画されるべきか
記事の位置づけ
本記事は都市研究・都市社会学シリーズの第8回である。
これまでの連載では、
シカゴ学派
都市コミュニティ論
ルフェーヴル
カステル
ハーヴェイ
成長機械論
都市レジーム論
ジェントリフィケーション研究
グローバル都市論
を扱ってきた。
前回(第7回)では、
世界都市
グローバル都市
ネットワーク社会
都市間ネットワーク
を通じて、
「都市が世界経済のなかでどのように位置づけられるか」
を論じた。
本稿では視点を変え、
「その都市は誰が、どのような理念で計画するのか」
という問いを扱う。
記事の目的
単なる都市計画制度の説明ではなく、
都市計画理論の発展史
を描くこと。
特に
合理性
公平性
参加
ガバナンス
という4つのテーマを軸に、
都市計画思想がどのように変化してきたのかを説明すること。
想定読者
都市社会学初学者
都市計画を学び始めた学生
行政職員
都市政策に関心を持つ一般読者
専門的でよいが、
大学教養~学部レベルで読める文章にすること。
文字数
10,000~15,000字程度
構成
1. はじめに
以下の問題提起から始める。
都市は自然に形成されるものなのか
それとも計画されるべきものなのか
さらに、
19世紀以降の急速な都市化が
過密
スラム
公衆衛生問題
交通混雑
などの問題を生み出したことを説明する。
そして、
都市研究は
「都市を理解する学問」
だけでなく、
「都市をより良くするための実践」
を必要としたことを示す。
2. 近代都市計画の誕生
エベネザー・ハワード
詳しく説明すること。
扱う内容
田園都市論
『明日の田園都市』
都市と農村の統合
自立的コミュニティ
レッチワース
ウェリン
意義と限界の両方を書くこと。
パトリック・ゲデス
扱う内容
Survey Before Plan
地域主義
都市と地域の関係
都市を生態学的に理解する視点
シカゴ学派との接点にも軽く触れる。
3. 合理的計画モデル
アンドレアス・ファルディ
中心人物として扱うこと。
説明項目
Rational Planning
手段目的合理性
専門家主導
科学的計画
合理的計画モデルの流れ
問題設定
情報収集
代替案作成
評価
実施
長所
一貫性
透明性
効率性
限界
完全情報の仮定
政治性の軽視
権力関係の不可視化
4. 漸進主義
チャールズ・リンドブロム
必ず詳しく説明すること。
代表論文
The Science of Muddling Through
扱う内容
限定合理性
小さな改善
段階的意思決定
ハーバート・サイモン
限定合理性との関係を説明すること。
評価
長所
現実的
批判
現状維持的
構造的問題を変えにくい
5. アドボカシー・プランニング
ポール・ダヴィドフ
本節の中心人物。
説明項目
Advocacy Planning
複数の公共利益
弱者の代弁
重要
第6回で扱った
ジェントリフィケーション
都市正義
との理論的接続を示すこと。
論点
「計画は誰の利益を代表するのか」
6. コミュニケーション的計画理論
理論的背景
ユルゲン・ハーバーマス
コミュニケーション的合理性
理想的発話状況
ジョン・フォレスター
パッツィ・ヒーリー
を中心に説明すること。
長所
民主性
包摂性
批判
以下を明確に説明すること。
「現実の社会では権力格差が存在するため、
対話だけで公平な合意が得られるとは限らない」
7. ガバナンスと協働型計画
ここでは第5回の都市レジーム論との接続を行うこと。
扱う内容
ガバナンス
パートナーシップ
ネットワーク型統治
説明する主体
行政
市民
NPO
民間企業
都市レジーム論との関係を説明すること。
ただし
Stoneのレジーム論を再説明しすぎないこと。
8. 日本の都市計画
扱う内容
都市計画法
用途地域制度
土地区画整理事業
市街地再開発事業
現代的課題
人口減少
空き家
コンパクトシティ
地方都市の縮退
9. 現代都市計画の新課題
以下を扱う。
コンパクトシティ
スマートシティ
レジリエンス
気候変動対応
ここでは
「成長のための計画」
から
「持続可能性のための計画」
への転換を論じること。
10. 都市計画理論への批判
以下を扱う。
ポストモダン都市論
フーコーの統治性論
ラディカル・プランニング
重要
ルフェーヴルの
「都市への権利」
に再接続すること。
問い
誰が計画するのか
誰のための計画か
11. おわりに
以下の比較表を作成する。
理論
代表人物
重視するもの
合理的計画
ファルディ
効率
漸進主義
リンドブロム
実現可能性
アドボカシー
ダヴィドフ
公平性
コミュニケーション的計画
ヒーリー
合意形成
協働型計画
フォレスター等
ガバナンス
最後に、
都市計画は
「都市を設計する技術」
であると同時に
「どのような都市社会を望むのかという政治的実践」
でもあることを論じる。
執筆上の注意
都市計画制度の解説記事にしないこと。
必ず
都市計画理論史
として書くこと。
人物を中心に議論を展開すること。
必須人物
ハワード
ゲデス
ファルディ
リンドブロム
サイモン
ダヴィドフ
ハーバーマス
フォレスター
ヒーリー
第1〜7回との理論的連続性を意識すること。
特に
ルフェーヴル
ハーヴェイ
ストーン
サッセン
との接続を適宜示すこと。
都市計画を中立的技術として描かないこと。
計画には
権力
利害
価値判断
が含まれることを強調すること。
学術的だが読みやすい文章にすること。
箇条書きの羅列ではなく、
理論同士の対話として描くこと。
次回予告
第9回
「アーバンデザイン
― 良い都市空間とは何か」
への橋渡しで締めること。
次回では
ジェイン・ジェイコブズ
ケヴィン・リンチ
クリストファー・アレグザンダー
ヤン・ゲール
を扱う予定であることを示すこと。
このプロンプトなら、あなたの第1~7回と同じ水準で、理論史として一貫した第8回が生成されるはずです。完成後はこれまでと同様に、概ね 97~99/100レベル の査読ができると思います。
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