都市は孤立して存在しているのではありません。東京の暮らしは、ニューヨークやロンドンの金融市場と見えない糸で結ばれています。情報通信技術がこれほど発達したのに、なぜ経済機能は特定の都市に集中し続けるのか――この逆説を解いたのがサッセンのグローバル都市論です。クリスタラーの中心地理論から、フリードマンの世界都市仮説、サッセンの生産者サービス論、カステルのネットワーク社会論まで。「都市はどのようにつながっているのか」を問う、都市理論シリーズ第七弾。

はじめに ― 都市は孤立して存在するのか

本連載は、これまで一貫して、都市の「内部」に目を向けてきました。第1回のシカゴ学派都市社会学では、都市という空間の内部で人々がどのように暮らし、適応するのかを問いました。第2回のコミュニティ論では、都市の中で人々がどのように結びつくのかを論じ、第3回から第5回にかけては、都市政治経済学成長機械論都市レジーム論を通じて、都市という空間が、その内部で、誰によって、どのような利害と権力のもとに作られ、統治されているのかを検討しました。そして前回の第6回では、ジェントリフィケーション都市正義を論じ、都市の内部で生じる排除と不平等の問題に向き合いました。

これらの議論に共通していたのは、一つの都市の「内側」を分析の対象とする視座でした。しかし、ここで立ち止まって考えてみると、ある重要な事実に気づきます。現代の都市は、決して孤立して存在しているわけではない、ということです。東京で働く人の暮らしは、ニューヨークやロンドンの金融市場の動きと無関係ではありません。ある都市の工場の閉鎖は、地球の反対側の都市の経済戦略と結びついているかもしれません。私たちが暮らす都市は、ほかの無数の都市と、目に見えない糸で結ばれ、巨大なネットワークの中の一つの結節点として機能しています。

本記事の中心的な問いは、まさにここにあります。すなわち、「都市は単独で存在しているのではなく、どのような都市間のネットワークの中に位置づけられるのか」という問いです。これまでの記事が都市の「内部」を見つめてきたのに対し、本記事は視点を大きく転じ、都市都市の「あいだ」 — 都市間関係、世界経済、グローバル化、情報化、そして都市ネットワーク — に焦点を当てます。

この問いをたどる道筋として、本記事は、都市を「都市群」として捉える都市システム論から出発し、ジョン・フリードマン(John Friedmann)の世界都市論、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のグローバル都市論、そしてマニュエル・カステル(Manuel Castells)のネットワーク社会論へと、理論の展開をたどっていきます。都市が、いかにして世界経済の中で結びつき、序列づけられ、そして新たな不平等を生み出しているのか — その理論史を、順を追って見ていきましょう。

都市システム論の誕生 ― 都市を「都市群」として捉える

都市を、孤立した単体としてではなく、相互に関係し合う「都市群」として捉える視座は、グローバル都市論よりもずっと以前から、都市研究の中に存在していました。その重要な理論的源流の一つが、中心地理論(central place theory)です。

クリスタラーの中心地理論

都市を群として捉える理論の古典的な出発点は、ドイツの地理学者ヴァルター・クリスタラー(Walter Christaller)が1933年に提起した中心地理論です。クリスタラーが問うたのは、なぜ都市は、ある特定の規模と間隔をもって、空間の中に分布しているのか、という問いでした。

彼の理論の核心は、都市が、周辺地域に対して財やサービスを供給する「中心地」として機能している、という洞察にあります。日常的に必要とされる財やサービス(食料品など)は、小さな中心地でも供給されますが、専門的で高度な財やサービス(専門医療、高等教育、高級品など)は、より大きな中心地でしか供給されません。この、財やサービスが供給される範囲(到達範囲)と、供給が成り立つために必要な最小限の需要(成立閾値)の違いによって、中心地には階層が生じます。小さな中心地が多数あり、それらをねるより大きな中心地があり、さらにそれらをねる最上位の中心地がある、という入れ子状の階層構造です。

クリスタラーは、この階層構造が、理念的には正六角形の規則的なパターンをなして空間に展開すると論じました。もちろん、現実の都市分布が、この幾何学的なパターンに正確に従うわけではありません。これはあくまで、都市の空間的配置の背後にある論理を抽出した、理念型(第1回で触れたウェーバーの概念)としてのモデルです。筆者の見るところ、中心地理論の重要性は、都市を、それぞれが独立した存在としてではなく、相互に機能的に結びつき、階層をなすものとして捉える視座を、明確に打ち出した点にあります。この「都市階層」と「都市間の機能的分業」という考え方は、後の都市システム論、そしてグローバル都市論へと受け継がれていきます。

都市システムという視座

ここで、中心地理論都市システム論との関係を、正確に整理しておく必要があります。中心地理論は、都市を群として捉える発想の重要な源流ですが、都市システム論そのものと同一ではありません。都市システム(urban system)という概念は、むしろ1960年代から70年代にかけて、ブライアン・ベリー(Brian Berry)やアラン・プレッド(Allan Pred)といった都市地理学者たちによって発展させられたものです。彼らは、クリスタラーの静態的な中心地モデルを超えて、都市間の人口移動、情報の流れ、経済的な相互作用といった、より動態的な関係を通じて、複数の都市が一つのシステムをなしていることを論じました。中心地理論は、こうした都市システム論の、重要な理論的源流の一つだったのです。

都市システム論は、一つの国や地域に存在する複数の都市を、相互に関連し合う一つのシステムとして捉えます。このシステムの中で、都市は、その規模と機能に応じて序列づけられ(都市階層)、互いに役割を分担します(都市間分業)。たとえば、最上位の都市が、国全体の経済を統括する管理機能や金融機能を担い、中位の都市が地域の中心として機能し、下位の都市がより限定的な役割を果たす、といった具合です。都市は、人、モノ、カネ、情報の流れを通じて互いに結びつき、一つのシステムとして機能している — これが都市システム論の基本的な認識です。

ここで重要なのは、視点の転換です。一つの都市を理解するためには、その都市の内部を見るだけでは不十分であり、それがほかの都市とどのような関係をもち、システムの中でどのような位置を占めているのかを見なければならない、という視座です。この「関係の中で都市を捉える」視座こそが、次に見る世界都市論・グローバル都市論へと発展していく、決定的な前提となります。これまで国や地域のスケールで考えられてきた都市システムを、地球規模(グローバル)のスケールへと押し広げたとき、世界都市論が生まれるのです。

世界都市論 ― フリードマンの仮説

都市システムの視座を、世界経済の規模へと拡張したのが、ジョン・フリードマン(John Friedmann)です。彼が1986年に発表した論文「世界都市仮説(The World City Hypothesis)」は、グローバルな都市間関係を理論化する、重要な一歩となりました。

世界都市仮説とは何か

フリードマンの基本的な発想は、明快です。世界経済がグローバルに統合されていく中で、一部の都市が、その世界経済を組織し、指令し、管理する拠点として、特別な役割を担うようになっている、というものです。彼は、こうした都市を「世界都市(world city)」と呼びました。

フリードマンの議論の核心は、世界都市を、それぞれの国の枠組みの中だけで理解するのではなく、グローバルな経済システムの中での位置づけから理解しようとした点にあります。彼が特に注目したのは、世界経済における「新しい国際分業(new international division of labor)」でした。製造業の生産機能が、賃金の低い発展途上地域へと分散していく一方で、その世界規模の生産を統括し、指令する中枢機能は、一部の都市に集中していく。フリードマンは、この新国際分業の中で中枢的な機能を担う都市を、世界都市として捉えたのです。すなわち、彼の関心は、都市内部の具体的な産業構成そのものよりも、世界経済における都市の位置づけと、都市間の階層構造にありました。この点が、後に見るサッセンとの、力点の違いとなります。

世界都市の階層

フリードマンは、世界都市が、グローバルな経済の中で階層をなしていることも論じました。先に見た都市システム論の「都市階層」の考え方を、世界規模へと拡張したものといえます。彼は、世界都市を、その経済的な役割の大きさに応じて、第一次的な世界都市と第二次的な世界都市に区別し、それらが、グローバル経済を頂点とする階層構造の中に組み込まれていると考えました。

この階層は、単なる都市の規模(人口)の序列ではありません。重要なのは、その都市が、グローバル経済の指令・管理においてどれだけの役割を担っているか、という機能的な序列です。人口が多くても、グローバル経済の管理機能をもたない都市は、この階層の上位には位置しません。逆に、人口規模では及ばなくても、世界経済を組織する機能が集積した都市が、上位を占めるのです。

筆者の見るところ、フリードマンの世界都市仮説の意義は、二つあります。第一に、彼は、都市の分析を、国家という枠組みから解き放ち、グローバルな経済システムの中に位置づける視座を、明確に提示しました。第二に、彼は、世界経済のグローバルな統合と、特定の都市への中枢機能の集中とを、結びつけて理解する道を開きました。ただし、フリードマンの議論は、なお「仮説」と銘打たれていたように、グローバルな都市間関係の大きな見取り図を示すものであり、なぜ、どのようにして、特定の都市に経済機能が集積するのか、その具体的なメカニズムの解明は、次に見るサスキア・サッセンに委ねられることになります。

グローバル都市論 ― サッセンの理論

フリードマンが描いた世界都市の見取り図を、精緻な理論へと発展させたのが、社会学者のサスキア・サッセンです。彼女が1991年に刊行した著作『グローバル・シティ(The Global City: New York, London, Tokyo)』は、グローバル化時代の都市を理解するための、最も影響力のある理論の一つとなりました。本記事の中心をなすのが、このサッセンのグローバル都市論です。

世界都市論からグローバル都市論へ

まず、フリードマンの「世界都市(world city)」とサッセンの「グローバル都市(global city)」の違いを明確にしておく必要があります。この二つは、しばしば混同されますが、その力点は異なります。

フリードマンの世界都市論が、新国際分業の中で世界経済を指令・管理する都市の「位置づけと階層」に注目したのに対し、サッセンのグローバル都市論は、その指令・管理を可能にする、より具体的なメカニズムに踏み込みました。彼女が注目したのは、グローバルに展開する経済活動を管理するために必要な、高度な専門サービスが、都市の内部でどのように生産されるのか、という点でした。すなわち、サッセンは、「なぜ特定の都市に経済機能が集まるのか」という問いに、生産者サービスという概念を通じて、都市内部の産業構造の変容にまで踏み込んだ答えを与えようとしたのです。サッセンの理論は、フリードマンの仮説を引き継ぎつつ、その作動のメカニズムを解明した点に、独自性があります。

生産者サービスと指令機能

サッセンの理論の鍵となるのが、生産者サービス(producer services、企業向けの高度な専門サービス)という概念です。生産者サービスとは、一般の消費者ではなく、企業の経済活動を支えるために提供される、高度に専門的なサービスを指します。具体的には、金融、法務、会計、経営コンサルティング、広告、保険といった、専門的な知識とスキルを要するサービスです。

サッセンの洞察は、こうです。経済がグローバル化し、企業の活動が世界中に分散していくと、その分散した活動を統括し、管理する仕事は、かえって複雑になります。世界中に広がる工場、支社、市場を、法的に、財務的に、戦略的に管理するためには、きわめて高度で専門的なサービスが必要になります。そして、こうした生産者サービスは、専門家同士の密接な対面の交流、情報の集積、関連企業の近接といった条件を必要とするため、特定の都市に集積する傾向をもちます。グローバル都市とは、まさに、この生産者サービスが高度に集積し、グローバル経済の指令機能(command functions)を担う都市なのです。

情報化の時代に、なぜ都市が重要であり続けるのか

ここで、サッセンの理論が答えた、きわめて重要な逆説に触れておかなければなりません。それは、「情報通信技術がこれほど発達し、どこにいても情報をやりとりできるようになったにもかかわらず、なぜ特定の都市への経済機能の集中が、むしろ強まったのか」という逆説です。

情報通信技術の発達は、当初、都市の終焉をもたらすと予想されることがありました。距離が問題でなくなれば、経済活動は地理的に分散し、都市に集まる必要はなくなるはずだ、という予想です。しかし、現実はその逆でした。経済活動が地理的に分散すればするほど、それを統括する中枢的な機能は、特定の都市に集中していったのです。

サッセンは、この逆説を、生産者サービスの性格から説明しました。グローバルに分散した経済活動を管理する高度な専門サービスは、標準化・自動化が難しく、専門家同士の対面の交流や、暗黙知の共有、複雑な判断を必要とします。こうしたサービスは、情報通信技術によって代替されるどころか、むしろ、それを担う専門家や企業が一箇所に集まることで、より効率的に提供されます。すなわち、グローバル化と情報化が進むほど、それを管理する中枢機能の集積地としての都市の重要性は、かえって高まったのです。筆者の見るところ、この逆説の解明こそ、サッセンの理論の最も鋭い貢献です。それは、「グローバル化は都市を不要にする」という素朴な予想を覆し、グローバル化のただ中でこそ、特定の都市が決定的な役割を果たすことを、説得的に示しました。

ニューヨーク・ロンドン・東京

サッセンが、その著作の副題で挙げたのが、ニューヨーク、ロンドン、東京という三つの都市でした。彼女は、これらの都市を、グローバル都市の典型例として分析しました。

これらの都市は、それぞれ異なる歴史と文化、異なる国家的文脈をもっています。しかしサッセンは、これらの都市が、グローバル経済の中で、驚くほど似通った機能を担うようになっていることに注目しました。いずれも、世界有数の金融市場を擁し、生産者サービスが高度に集積し、グローバル経済の指令・管理の結節点として機能しています。とりわけ金融のグローバル化(financial globalization)の中で、これらの都市は、世界中の資本が集まり、運用され、配分される拠点となりました。サッセンは、これらの都市が、それぞれの国民経済の単なる首位都市であることを超えて、グローバルな金融・サービス経済のネットワークを構成する、相互に結びついた結節点となっていることを明らかにしたのです。重要なのは、これらの都市が、それぞれの国の中で孤立して機能しているのではなく、互いに緊密に結びつき、一つのグローバルなシステムをなしているという点です。ニューヨークの金融市場の動きは、ロンドンや東京と連動しています。グローバル都市とは、こうした都市間ネットワークの結節点なのです。

カステルとネットワーク社会

都市間のネットワークという主題を、さらに包括的な社会理論へと展開したのが、マニュエル・カステルです。本連載の第3回では、カステルを、集合的消費都市社会運動を論じた都市政治経済学者として紹介しました。しかし、1990年代以降のカステルは、研究の関心を大きく転じ、情報化がもたらす社会の根本的な変容を論じる、ネットワーク社会論者として、新たな理論を展開しました。本節では、この後期のカステルを扱います(第3回で論じた集合的消費都市社会運動の議論は、ここでは繰り返しません)。

ネットワーク社会の登場

カステルは、1990年代に著した大著『情報の時代(The Information Age)』三部作において、ネットワーク社会(network society)という概念を提起しました。彼の主張は、情報通信技術の革命によって、社会の基本的な構造そのものが、変容しつつあるというものでした。

ここで重要なのは、カステルが、ネットワーク社会を、単なる技術の産物として捉えたのではない、という点です。彼が論じたのは、情報技術の革命と、資本主義の再編とが結びつくことによって、ネットワーク社会が形成された、ということでした。1970年代以降の資本主義の危機と再構築の過程で、情報技術が、経済を組織する新しい基盤として用いられ、その結果、情報を基盤とする資本主義 — いわば情報化資本主義 — とでも呼ぶべき、新しい経済社会の編成が生まれた、というのです。富、権力、情報、そして社会的な活動は、この情報化資本主義のもとで、ますますネットワークを通じて組織されるようになっていきます。垂直的で固定的な階層組織に代わって、水平的で柔軟なネットワークが、社会を組織する基本的な形態となりつつある。企業も、経済も、文化も、政治も、そして都市も、このネットワークの論理に従って再編されていきます。カステルは、こうしたネットワークを基盤とする新しい社会のあり方を、ネットワーク社会と呼びました。

「フローの空間」と「場所の空間」

このネットワーク社会論の中で、カステルが提起した、都市研究にとってとりわけ重要な概念が、「フローの空間(space of flows)」と「場所の空間(space of places)」の対比です。

場所の空間」とは、私たちが日常的に経験する、地理的に限定された具体的な場所のことです。私たちが暮らし、働き、人と出会う、特定の地点に根ざした空間です。歴史的に、人々の生活と社会は、この場所の空間基盤として組織されてきました。これに対して「フローの空間」とは、情報、資本、人、シンボルといったものが、ネットワークを通じて流れていく、その流れそのものが組織する空間です。それは、特定の地理的な場所に縛られず、ネットワークによって結ばれた地点の「あいだ」を流れる、新しいタイプの空間です。

カステルの洞察は、ネットワーク社会において、社会を組織する支配的な論理が、「場所の空間」から「フローの空間」へと移行しつつある、という点にあります。グローバルな経済や権力は、もはや特定の場所にではなく、フローの空間 — 世界中に張り巡らされたネットワークの流れ — の中で組織されるようになっている、というのです。グローバル都市は、このフローの空間における、決定的な結節点(ノード)として捉えることができます。ニューヨークやロンドンや東京は、それぞれが独立した「場所」であると同時に、グローバルなフローの空間を構成する、相互に結ばれた結節点なのです。

しかし、ここにカステルは、重要な緊張関係を見出します。グローバルなエリートが、場所を超えたフローの空間の中で活動する一方で、大多数の人々は、依然として、特定の場所の空間に根ざして生きています。フローの空間の論理と、場所の空間の論理とのあいだには、ずれと断絶が生じます。筆者の見るところ、この「フローの空間」と「場所の空間」の対比と緊張は、グローバル都市が抱える矛盾 — 後で論じる都市内部の二極化 — を理解する上で、鋭い視座を提供します。グローバル都市は、フローの空間の結節点として繁栄する一方で、その同じ都市の中で、場所に根ざして生きる人々が、その繁栄から取り残されていくのです。

都市ネットワーク論 ― 結節点としての都市

都市間ネットワークを理解するための補助的な視点として、ここで、ネットワークそのものを分析する社会ネットワーク論の概念に、簡潔に触れておきましょう。なお、社会ネットワーク論そのものの詳細は、本記事の主題ではないため、都市間ネットワークを理解する手がかりとなる範囲にとどめます。

社会ネットワーク分析の分野では、ネットワークの中である地点(ノード)がどれだけ重要な位置を占めるかを測る、さまざまな概念が発展してきました。たとえば、第2回でも触れたマーク・グラノヴェッター(Mark Granovetter)は、「弱い紐帯の強さ」という議論で、異なる集団を橋渡しする弱いつながりが、情報の流れにおいて重要な役割を果たすことを示しました。また、ロナルド・バート(Ronald Burt)は、「構造的空隙(structural holes)」という概念で、ネットワークの中で、本来つながっていない集団同士を仲介する位置にあるノードが、大きな優位性をもつことを論じました。

これらの概念は、本来は個人や組織のあいだの関係を分析するものですが、都市間のネットワークを理解する上でも、示唆的な比喩を提供します。グローバル都市が重要なのは、それが単に大きいからではなく、グローバルなネットワークの中で、多くの流れが集まり、異なる地域を橋渡しする、戦略的な結節点の位置を占めているからだ、と理解することができます。ニューヨークやロンドンが力をもつのは、世界中の資本と情報の流れが、そこで交差し、媒介されるからです。都市の重要性を、その内部の規模や属性ではなく、ネットワークの中での位置(関係性)から捉える — この視座が、グローバル都市論の根底にあるのです。実際、後にピーター・テイラー(Peter J. Taylor)らは、こうした発想を引き継ぎ、生産者サービス企業の立地ネットワークを手がかりに、世界の都市間ネットワークを実証的に測定する研究を発展させました。

グローバル都市の光と影

グローバル都市は、世界経済の中で輝かしい役割を担っています。しかし、その繁栄には、影の側面も伴います。本節では、グローバル都市がもたらす利益と、それが生み出す問題の両面を見ていきます。そして、ここで前回までの記事との理論的な連続性が、再び立ち現れます。

グローバル都市の光

まず、光の側面です。グローバル都市は、世界経済の指令・管理機能を担うことで、大きな経済的な繁栄を享受します。金融や生産者サービスといった高付加価値の産業が集積し、高い経済成長を実現します。また、グローバルな競争の中で、これらの都市は、世界中から人材、資本、企業を引き寄せ、強い国際競争力をもちます。さらに、多様な人材と企業、知識が集積することで、グローバル都市は、イノベーションの拠点ともなります。新しいアイデアや事業が生まれ、文化的な活力に満ちた場となるのです。これらは、グローバル都市がもつ、確かな魅力であり、強みです。

グローバル都市の影 ― 都市内部の二極化

しかし、サッセンの理論が鋭く指摘したのは、グローバル都市が、その繁栄の裏側で、深刻な内部の格差を生み出すという点でした。これが、グローバル都市の影の側面です。

サッセンは、グローバル都市の内部で、社会的・経済的な二極化(polarization)が進行することを論じました。ここで重要なのは、彼女が論じた二極化が、単なる所得格差の拡大ではなく、労働市場の構造そのものの変化を伴うものだった、という点です。そのメカニズムは、こうです。グローバル都市には、金融や生産者サービスに従事する、高い報酬を得る高度専門職・管理職の層が集積します。しかし同時に、こうした高所得層の生活と、彼らが働くオフィスや高度なサービス経済を支えるために、低賃金のサービス労働 — 清掃、警備、飲食、配達、家事といった仕事 — に従事する、多数の労働者が必要とされます。すなわち、グローバル都市の経済は、高所得の専門職層と、低賃金のサービス労働者層という、両極の雇用を同時に拡大させ、その一方で、かつて社会の安定を支えていた製造業の中間層的な雇用が、相対的に縮小していくのです。中間層が痩せ細り、労働市場が両極へと引き裂かれていく — これが、サッセンの言う二極化です。

ここで、前回までの記事との理論的な連続性が明らかになります。グローバル都市における高所得層の集積と地価の上昇は、前回論じたジェントリフィケーションを駆動する大きな推進力となります。都心の地区が、グローバル経済に従事する富裕層にとって魅力的な居住地となり、再投資が進み、もとの低所得層が排除されていく。グローバル都市論は、ジェントリフィケーションという現象の、マクロな経済的背景を説明するものといえます。また、カステルの「フローの空間」と「場所の空間」の対比を思い起こせば、グローバルなフローの空間で活動する富裕層と、場所に根ざして生きる低所得層との分断が、まさにこの二極化として現れている、と理解することもできます。さらに、前回扱ったソジャの空間的正義の視座からすれば、グローバル都市の内部に生じるこうした格差は、空間的な不平等として、都市の地理に刻み込まれていくのです。グローバル都市の繁栄(光)と、その内部に生じる格差(影)は、コインの裏表をなしています。世界経済の結節点としての成功が、同時に、都市内部の深刻な不平等を生み出す — この両義性こそが、グローバル都市を理解する上で、決定的に重要な点なのです。

日本の都市システムをどう理解するか

ここまで見てきた理論を手がかりに、日本の都市システムについて考えてみましょう。ただし、これまでの記事と同様、慎重さが求められます。以下に述べるのは、日本の都市を理論によって「説明する」ものではなく、あくまで「これらの理論から、日本の都市システムをどのように解釈し、理解することができるか」という、視座の提示にとどまります。

東京一極集中という現象

日本の都市システムを考えるとき、避けて通れないのが、東京への一極集中という現象です。人口、企業の本社、金融機能、政治・行政機能、情報・文化機能 — そのいずれもが、東京に著しく集中しています。この東京一極集中は、本記事で論じてきた理論から、興味深く解釈することができます。

サッセンのグローバル都市論の視点からすれば、東京は、グローバル都市の一つとして位置づけて解釈することができます。実際、サッセンは、その著作において、東京をニューヨーク、ロンドンと並ぶグローバル都市の代表例として分析しました。この見方からすれば、東京には、国際的な金融機能と、高度な生産者サービスが集積し、グローバル経済の中で重要な指令・管理機能を担っている、と解釈することができます。すなわち、東京への一極集中は、単なる国内的な現象ではなく、東京がグローバル経済の結節点として機能していることの現れとして、理解できる側面をもつのです。もっとも、東京を「グローバル都市」と位置づけることは、あくまで理論的な解釈です。サッセンが分析した当時と現在とでは状況も変化しており、現在の研究では、東京の金融機能の国際的な性格や、ニューヨーク・ロンドンとの異同をめぐって、さまざまな議論があることも、付け加えておく必要があります。

大阪・名古屋・地方中枢都市

都市システム論の視点からは、東京以外の日本の都市の位置づけも見えてきます。大阪や名古屋といった大都市は、それぞれの地域経済の中心として、また独自の産業集積をもつ拠点として、都市システムの中で重要な位置を占めています。さらに、札幌、仙台、広島、福岡といった地方中枢都市は、それぞれの地方圏において、中心地理論が描いたような、地域に対する管理・サービス機能を担う中心地として機能している、と解釈することができます。

日本の都市システムは、東京を頂点とし、大阪・名古屋などの大都市、そして地方中枢都市、さらに中小都市へと連なる、階層的な構造をもつものとして理解できます。これは、クリスタラーやフリードマンが論じた都市階層の考え方を、日本の文脈に当てはめて解釈したものです。ただし、繰り返しになりますが、これはあくまで理論からの解釈であり、日本の都市システムの具体的なあり方 — 一極集中の度合いやその帰結、地方都市の活力の維持といった論点 — は、個別の実証的な検討を要する課題です。とりわけ、東京一極集中がもたらす地方の活力低下や、国土の均衡ある発展という政策課題は、本記事で論じた理論だけでは捉えきれない、日本固有の重要な論点であることを、申し添えておきます。

批判と限界

グローバル都市論やネットワーク社会論は、現代の都市を理解する上で大きな影響力をもちましたが、それ自体もさまざまな批判にさらされてきました。これらの批判を検討することは、これらの理論の射程と限界を理解する上で重要です。

第一に、欧米中心主義への批判があります。グローバル都市論は、ニューヨーク、ロンドン、東京といった、先進国の少数の巨大都市を中心に組み立てられてきました。そのため、グローバル・サウス(発展途上世界)の都市や、グローバル都市の階層の下位に置かれる多数の都市が、十分に視野に入れられてこなかった、という批判です。世界の大多数の都市は、グローバル都市ではありません。これらの「ありふれた都市(ordinary cities)」を、グローバル都市の序列の中で劣ったものとして扱うのではなく、それぞれの固有性において理解すべきだ、という批判が、近年の都市研究から提起されています。

第二に、国家の役割の軽視という批判があります。グローバル都市論やネットワーク社会論は、グローバルな経済の流れと都市間ネットワークを強調するあまり、国家(国民国家)が依然として果たしている重要な役割を、過小評価しているのではないか、という批判です。都市の運命は、グローバルな力だけでなく、国家の政策 — 規制、税制、インフラ投資、移民政策など — によっても、大きく左右されます。グローバル化の中でも、国家は消滅したわけではなく、むしろ都市のグローバルな競争力を支える上で、重要な役割を果たし続けています。

第三に、グローバル都市以外の都市の扱いという、第一の批判とも関連する論点があります。グローバル都市論は、世界経済の結節点となる少数の都市に光を当てる一方で、そうした機能をもたない、しかし人々が暮らす大多数の都市について、十分な分析の枠組みを提供してこなかった、という指摘です。

第四に、これは批判というより、理論が確認した事実ですが、デジタル化が進んでも都市は消滅しなかった、という点の意義です。先に見たように、情報通信技術の発達は、都市の終焉ではなく、むしろ特定の都市への集中をもたらしました。これは、サッセンの理論が正しく予見した点であり、グローバル都市論の強みです。同時にこれは、「技術が地理を無意味にする」という、繰り返し現れる予言に対する、重要な反証でもあります。物理的な近接性、対面の交流、場所のもつ価値は、デジタル化の時代にあっても、失われていないのです。筆者の見るところ、これらの批判は、グローバル都市論を無効にするものではなく、その射程を明確にし、より多様な都市の現実 — グローバル都市だけでなく、無数のありふれた都市を含む現実 — を捉えるために、理論を補完していく必要を示すものといえます。

おわりに ― 都市はネットワークの中で機能する

本記事では、「都市は単独で存在しているのではなく、どのような都市間ネットワークの中に位置づけられるのか」という問いを軸に、都市システム論から、世界都市論、グローバル都市論、ネットワーク社会論へと至る理論の展開をたどってきました。最後に、その歩みを振り返っておきましょう。

出発点にあったのは、中心地理論を源流の一つとし、ベリーやプレッドらによって発展させられた、都市を「都市群」「都市システム」として捉える視座でした。それは、一つの都市を、孤立した存在としてではなく、ほかの都市との関係の中で、階層と分業をなすシステムの一部として理解する視座です。この視座を世界経済の規模へと拡張したのが、フリードマンの世界都市仮説であり、それを生産者サービスの集積という具体的なメカニズムによって精緻化したのが、サッセンのグローバル都市論でした。そしてカステルは、これらの議論を、情報技術革命と資本主義の再編が結びついて生まれたネットワーク社会という、より包括的な社会変容の中に位置づけ、「フローの空間」と「場所の空間」という鋭い対比を提示しました。

これらの理論を通じて見えてきたのは、次のような都市の姿です。第一に、都市は孤立した存在ではなく、人、モノ、カネ、情報の流れを通じて、ほかの都市と結びついています。第二に、都市は、こうした都市間ネットワークの中で機能し、その中での位置によって、その役割と運命が大きく左右されます。第三に、グローバル都市は、世界経済のネットワークの結節点として、決定的な役割を果たしています。そして第四に、その繁栄の利益と、それが生み出す負担とは、決して均等ではありません。グローバル都市の成功は、その内部に深刻な二極化と空間的不平等を生み出し、前回論じたジェントリフィケーションのような現象と、分かちがたく結びついているのです。

本記事は、これまで都市の「内部」を見つめてきた本連載の視点を、都市都市の「あいだ」 — グローバルな都市間ネットワーク — へと、大きく押し広げるものでした。都市内部の社会と政治経済から、都市間のグローバルなネットワークへ。この視野の拡大を経て、私たちは、都市というものを、ミクロからマクロまで、重層的に捉える視座を獲得しつつあります。

次回予告

本連載は、これまで、都市が「どのように成り立ち」「どのように機能しているのか」を、社会、政治経済、そしてグローバルなネットワークという、さまざまな角度から分析してきました。これらの議論に共通していたのは、都市を、分析し、説明し、理解する対象として捉える視座でした。

しかし、都市は、ただ自然発生的に形成され、機能しているだけの存在ではありません。都市は、人間が意図的に構想し、設計し、作り変えていく対象 — すなわち、計画の対象 — でもあります。私たちが暮らす都市の姿は、市場の力や社会の力によって自ずと生まれたものであると同時に、誰かが「こうあるべきだ」と構想し、計画した結果でもあるのです。

そこで次回は、視点を再び転じ、「都市計画理論 ― 都市はどのように計画されるべきか」を扱います。都市を分析し理解する理論から、都市をいかに構想し、設計し、よりよいものへと作り変えていくかを問う、規範的・実践的な理論へと、議論を進めていきます。都市は自然発生的に形成されるだけではなく、計画の対象でもある — この問題提起を出発点として、近代以降の都市計画の思想が、どのような理想を描き、どのような批判を経て、現代に至っているのかを、たどっていきたいと思います。本記事が、読者の皆さんにとって、都市理論の体系を見通し、自らの実践や研究を位置づけるための一助となれば幸いです。

参考文献

本記事は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。

英語文献

  1. Christaller, W. (1966). Central Places in Southern Germany. Trans. C. W. Baskin. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall. (Original work published 1933)
  2. Berry, B. J. L. (1964). Cities as Systems within Systems of Cities. Papers of the Regional Science Association, 13(1), 147–163.
  3. Pred, A. (1977). City-Systems in Advanced Economies. London: Hutchinson.
  4. Friedmann, J. (1986). The World City Hypothesis. Development and Change, 17(1), 69–83.
  5. Friedmann, J., & Wolff, G. (1982). World City Formation: An Agenda for Research and Action. International Journal of Urban and Regional Research, 6(3), 309–344.
  6. Sassen, S. (1991). The Global City: New York, London, Tokyo. Princeton, NJ: Princeton University Press.
  7. Sassen, S. (1994). Cities in a World Economy. Thousand Oaks, CA: Pine Forge Press.
  8. Castells, M. (1996). The Rise of the Network Society (The Information Age: Economy, Society and Culture, Vol. 1). Oxford: Blackwell.
  9. Castells, M. (1989). The Informational City: Information Technology, Economic Restructuring, and the Urban-Regional Process. Oxford: Blackwell.
  10. Granovetter, M. (1973). The Strength of Weak Ties. American Journal of Sociology, 78(6), 1360–1380.
  11. Burt, R. S. (1992). Structural Holes: The Social Structure of Competition. Cambridge, MA: Harvard University Press.
  12. Taylor, P. J. (2004). World City Network: A Global Urban Analysis. London: Routledge.
  13. Robinson, J. (2006). Ordinary Cities: Between Modernity and Development. London: Routledge.
  14. Brenner, N., & Keil, R. (Eds.) (2006). The Global Cities Reader. London: Routledge.

日本語文献

  1. サッセン, S. (2008). 『グローバル・シティ ― ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』伊豫谷登士翁監訳. 筑摩書房.
  2. カステル, M. (2009). 『ネットワーク社会の到来』石川淑子ほか訳. 青木書店.
  3. 町村敬志 (2020). 『都市に聴け ― アーバン・スタディーズから読み解く東京』有斐閣.
  4. 町村敬志・西澤晃彦 (2000). 『都市社会学 ― 社会がかたちをあらわすとき』有斐閣.

※ 本記事における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。都市システム論は中心地理論を重要な源流の一つとしつつ、ベリーやプレッドら後続の都市地理学者によって発展させられたものであり、中心地理論と同一ではない点に留意してください。とりわけ「日本の都市システムをどう理解するか」の節における記述は、欧米で形成された理論を日本の文脈に当てはめた解釈の可能性を示したものであり、東京を「グローバル都市」と位置づけることや、日本の都市階層の整理も、理論的な解釈であって確定した事実認識ではありません。サッセンが東京を代表的なグローバル都市として分析したこと自体は事実ですが、その現在における妥当性にはなお議論があり、慎重な実証的検討を要します。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。

年表 ― グローバル都市論と都市システム論の展開

用語集

本稿およびグローバル都市論・都市システム論の理解に関連する主要な用語・人名を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合): 解説」です。

理論・概念

人名

著作

※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。グローバル都市ネットワーク社会フローの空間、サッセン、カステル、フリードマンなど一部は添付リストに英語表記が含まれますが、本稿理解のため補足が有用なものは日本語訳語・解説を添えました。次稿は都市計画理論を主題とします。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。

claud 執筆依頼

あなたは都市社会学都市政治経済学都市計画学を専門とする研究者です。
以下の条件に従い、日本語で学術的かつ一般読者にも理解しやすい都市研究解説記事を執筆してください。

記事タイトル
グローバル都市論と都市システム
世界都市はどのようにつながっているのか

記事の位置づけ
本記事は都市研究理論シリーズの第7回である。
既に以下の記事が存在する。
都市社会学の誕生 ― シカゴ学派から都市性論まで
都市コミュニティ論 ― 都市は人々を孤立させるのか
都市政治経済学の誕生 ― 都市は誰によってつくられるのか
成長機械論 ― なぜ都市は成長を追求するのか
都市レジーム論都市は誰によって統治されるのか
ジェントリフィケーション都市正義都市再生は誰のためのものか
そのため本記事では、
シカゴ学派
Wirth
Simmel
コミュニティ論
Wellman
都市社会運動
ジェントリフィケーション
などの説明を繰り返してはならない。
必要な場合は簡潔に言及する程度に留めること。

記事の中心テーマ
本記事の中心的な問いは、
都市は単独で存在しているのではなく、どのような都市間ネットワークの中で位置づけられるのか」
である。
都市内部の社会関係や権力構造ではなく、
都市間関係
世界経済
グローバル化
情報化
都市ネットワーク
を主題とすること。

想定読者
都市計画
交通計画
まちづくり
都市政策
に関心のある読者
専門知識がなくても読める文章にすること。
ただし大学教養〜大学院初級レベルの理論的正確性を維持すること。

想定文字数
10,000〜15,000字程度

必須理論家
以下の理論家を必ず扱うこと。
Walter Christaller
中心地理論

John Friedmann
World City Hypothesis
世界都市仮説

Saskia Sassen
Global City Theory
本記事の中心人物として扱うこと。

Manuel Castells
Network Society
Space of Flows
Space of Places

補助的に扱う理論家
必要に応じて以下を補助的に扱うこと。
Mark Granovetter
Ronald Burt
David Harvey
Edward Soja
ただし本記事の中心はあくまで
Friedmann

Sassen

Castells
である。

必須構成
1. はじめに
前回までの議論を整理する。
都市内部の社会関係や政治経済を扱ってきたが、
現代都市都市間ネットワークの中で理解する必要があることを提示する。

2. 都市システム論の誕生
扱う内容
都市階層
都市間分業
中心地理論
都市システム
重要なのは
都市を単体ではなく都市群として捉える視点」
である。

3. 世界都市
John Friedmann
World City Hypothesis
を説明する。
扱う概念
世界都市
世界経済
指令・管理機能
都市階層
なぜ重要だったのかを解説する。

4. グローバル都市
本記事の中心章。
Saskia Sassenを詳しく扱う。
必須概念
Global City
Producer Services
Command Functions
Financial Globalization
なぜ情報通信技術が発達したにもかかわらず都市が重要であり続けるのかを説明する。
事例として
ニューヨーク
ロンドン
東京
を扱う。

5. Castellsとネットワーク社会
必須概念
Network Society
Space of Flows
Space of Places
ここでは第3回で扱った政治経済学者としてのCastellsではなく、
ネットワーク社会論者としてのCastellsを説明すること。
情報化と都市空間の関係を論じること。

6. 都市ネットワーク論
補助章。
GranovetterやBurtに簡潔に触れてよい。
ただし社会ネットワーク論の詳細な解説は不要。
都市間ネットワークを理解する補助として扱うこと。

7. グローバル都市の光と影
必須内容
利点
経済成長
国際競争
イノベーション
問題点
都市内格差
ジェントリフィケーション
空間的不平等
ここでは前回の記事との理論的連続性を示すこと。
Sassenの都市二極化論にも触れること。

8. 日本の都市システム
扱う内容
東京一極集中
大阪
名古屋
地方中枢都市
重要な注意点
日本都市を理論で「説明する」と断定してはならない。
「理論から解釈できる」
「理論的に理解できる」
という慎重な表現を用いること。

9. 批判と限界
必須論点
欧米中心主義
国家の役割の軽視
グローバル都市以外の都市の扱い
デジタル化によっても都市は消滅しなかったこと

10. おわりに
以下をまとめる。
都市は孤立した存在ではない
都市はネットワークの中で機能する
グローバル都市は世界経済の結節点である
しかし利益と負担は均等ではない

学術的注意事項
世界都市論とグローバル都市論を混同しないこと。
FriedmannとSassenの違いを明確に説明すること。

Castellsは本記事では
ネットワーク社会論」
として扱うこと。
第3回で扱った
集団消費
都市社会運動
の説明は繰り返さないこと。
GranovetterやBurtは補助的扱いに留めること。
本記事を社会ネットワーク論の記事にしないこと。
東京をグローバル都市と位置付ける際も、
理論的な解釈であることを明示すること。

ジェントリフィケーション都市正義については前回記事で詳細に扱っているため、
簡潔な接続に留めること。

文体
学術的
客観的
わかりやすい
都市研究の理論史を重視
過度な断定を避ける
ブログ記事として読みやすい構成

次回予告
最後に次回記事
都市計画理論
都市はどのように計画されるべきか」
への橋渡しを行うこと。
結論として、
都市は自然発生的に形成されるだけではなく、計画の対象でもある」
という問題提起で締めること。
このプロンプトなら、これまでのシリーズとの重複を抑えつつ、
都市内部(社会・政治経済)→ 都市間ネットワーク(グローバル都市)→ 都市計画理論
という流れを自然につなげられるはずです。