都市は本当に計画できるのでしょうか。近代都市計画は、都市を専門家が制御できる「機械」として捉えました。しかしジェイコブズの「組織化された複雑性」に始まり、システム論、複雑系科学、そしてマイケル・バティの都市科学を経て、都市は自己組織化し、創発し、非線形に振る舞う「複雑適応系」として捉え直されてきました。都市が予測できないのは、知識が足りないからではなく、都市そのものがそういう存在だから。ビッグデータは理論に取って代わるのか。シリーズ最終回・第十二弾。
※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります。
目次
はじめに ― 都市は本当に計画できるのだろうか
本連載は、これまで11回にわたって、都市を理解し、よりよくするための理論をたどってきました。シカゴ学派の都市社会学に始まり、コミュニティ論、都市政治経済学、成長機械論、都市レジーム論、ジェントリフィケーションと都市正義、グローバル都市論、都市計画思想、都市デザイン、交通計画とTOD、そして前回の持続可能性とレジリエンスまで、私たちは、都市が、どのように成り立ち、誰によって作られ、統治され、計画され、設計され、そして危機に向き合うのかを、さまざまな角度から探究してきました。
この長い探究の道のりを振り返るとき、一つの問いが、繰り返し、形を変えながら現れてきたことに気づきます。それは、「都市は、本当に計画できるのだろうか」という問いです。第8回で論じた都市計画思想は、人間が、理性と構想によって、都市をよりよいものへと導いていく営みの歴史でした。合理的計画モデルは、専門家が、科学的な手続きによって、都市の最適な姿を導き出せると考えました。しかし、その後の計画思想は、この「計画によって都市を合理的に制御できる」という発想を、次々と問い直していきました。そして前回、第11回で論じたレジリエンスの概念は、まさに、都市が、私たちの予測を超え、計画を裏切るような、変化と不確実性にさらされていることを、前提としていました。
本稿が正面から扱うのは、この問いです。すなわち、「都市は、計画し、制御し、予測できる存在なのか」、そして「もしそうでないなら、都市とは、いったいどのような存在なのか」という問いです。本連載の前回の末尾で予告したように、本稿は、この問いを、都市を「複雑適応系(complex adaptive system)」として捉える、現代の都市論の視座から、探究していきます。
あらかじめ、本稿の立場を明確にしておきましょう。本稿は、AIやビッグデータといった、最新の技術を紹介する記事ではありません。また、複雑系の科学を、一般的に解説する記事でもありません。本稿が目指すのは、都市理論の歴史の中で、「都市は計画・制御できる存在なのか」という問いが、どのように変化してきたのかをたどり、その一つの到達として、都市を複雑適応系として理解する、現代の都市論を位置づけることです。そして、本稿は、本連載のいわば総括として、これまで論じてきた数々の理論が、複雑系という視座の中で、どのように一つに結びつくのかをも、示していきます。「都市はなぜ予測できないのか」 — この問いをめぐる旅を、近代都市計画が前提としていた、都市についての一つの見方を問い直すことから、始めましょう。
都市を機械として見るか、生態系として見るか
都市が計画・制御できるかどうかという問いは、突き詰めれば、「都市とは、そもそもどのような存在なのか」という、都市観の問題に行き着きます。ここには、対照的な二つの見方があります。都市を「機械」として見る見方と、都市を「生態系」として見る見方です。
近代都市計画と都市の制御可能性
第8回や第9回で論じたように、近代都市計画 — とりわけ機能主義の都市計画 — は、都市を、一種の機械として捉える発想に立っていました。機械は、設計者が、その仕組みを完全に理解し、部品を組み合わせて作り上げ、思いどおりに制御できる存在です。同じように、近代都市計画は、都市を、専門家が、その全体を見渡し、合理的に設計し、制御できる対象として捉えました。
この発想の根底には、第8回で論じた、合理的計画モデルの考え方がありました。すなわち、専門家が、必要な情報をすべて把握し、目標を定め、最適な手段を選べば、都市を、望ましい姿へと導けるという、楽観的な信念です。この見方において、都市は、原因と結果が明確に対応し、予測可能で、制御可能な、秩序ある対象でした。計画とは、この機械を、設計図に従って組み立てる営みだったのです。ル・コルビュジエが構想した、機能を整然と配置した都市は、まさに、この「機械としての都市」観の、極致といえるでしょう。
しかし、第8回で詳しく見たように、この「都市を合理的に制御できる」という発想は、20世紀の後半、次々と批判にさらされていきました。リンドブロムの漸進主義は、計画家が完全な情報をもちうるという前提の非現実性を突き、サイモンの限定合理性は、人間の認識能力の限界を明らかにしました。現実の都市は、専門家が思いどおりに設計し、制御できるほど、単純でも、従順でもなかったのです。
ジェイコブズと「組織化された複雑性」
この「機械としての都市」観を、最も根底から批判し、それに代わる、もう一つの都市観 — 都市を「生態系」のような、有機的なシステムとして見る見方 — を、鮮やかに提示したのが、第9回で詳しく論じた、ジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)でした。ここで、彼女の議論を、複雑系都市論への導入として、改めて捉え直してみましょう。
ジェイコブズは、『アメリカ大都市の死と生』の中で、都市を、「組織化された複雑性(organized complexity)」の問題として捉えるべきだ、と論じました。これは、本稿の主題にとって、決定的に重要な洞察です。彼女が言わんとしたのは、こうです。都市は、単純な機械のように、少数の要素が、明確な因果関係で結ばれた問題(単純性の問題)ではない。かといって、気体の分子のように、無数の要素が、まったくランダムに振る舞う問題(無秩序な複雑性の問題)でもない。都市は、その中間にある。すなわち、都市は、無数の要素 — 人々、商店、街路、建物、活動 — が、互いに複雑に関連し合いながら、しかし、全体として、ある秩序やパターンを生み出している、「組織化された複雑性」をもつシステムなのだ、というのです。
この見方からすれば、都市の活気や秩序は、計画家が上から設計して与えるものではありません。それは、無数の人々の、無数の相互作用の中から、いわば下から、自然に生み出されてくるものです。第9回で論じた、ジェイコブズの「街路の目」の議論を思い起こしてください。街路の安全は、誰かが設計したのではなく、人々が街路で生活し、活動することの、副産物として、自然に生まれてきます。これは、複雑なシステムが、中心的な設計者なしに、自ら秩序を生み出す現象 — 後で論じる、自己組織化(self-organization)や創発(emergence) — の、まさに一例です。
筆者の見るところ、ジェイコブズの「組織化された複雑性」という洞察は、その時代にあっては、まだ十分に理論化されてはいませんでしたが、後の複雑系都市論を、半世紀近くも先取りする、先駆的なものでした。もっとも、ここで正確を期しておけば、ジェイコブズ自身が、複雑系都市論を創始したわけではありません。むしろ、後の複雑系都市論の研究者たち — とりわけ、後で論じるマイケル・バティ — が、ジェイコブズを、自分たちの議論の重要な先駆者として、再評価したのです。実際、バティは、その著作の中で、繰り返しジェイコブズを引用しています。彼女は、都市を機械として制御しようとする近代都市計画の限界を、都市が複雑なシステムであるという認識から、鋭く突き、後の理論家たちが本格的な理論を築くための、重要な礎を残したのです。本稿がこれからたどるのは、このジェイコブズの直観が、20世紀後半の科学の発展の中で、いかにして、精緻な理論へと展開されていったのか、という道のりです。
システム論から複雑系へ
都市を、相互に関連し合う要素からなる、一つのシステムとして捉える発想は、ジェイコブズだけのものではありませんでした。20世紀の半ば、科学のさまざまな分野で、世界を「システム」として理解しようとする、新しい知的潮流が興っていました。本節では、この潮流 — システム論 — が、いかにして複雑系の考え方へとつながり、都市の理解に応用されていったのかを、たどります。
一般システム理論とサイバネティクス
システムという考え方を、一つの体系的な理論へと高めた人物の一人が、生物学者のルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ(Ludwig von Bertalanffy)です。彼が提唱した一般システム理論(General Systems Theory)は、生物、機械、社会といった、一見すると異なる対象を、いずれも「システム」という共通の枠組みで捉えようとする、野心的な試みでした。
ベルタランフィの重要な洞察の一つが、開放系(open system)という概念です。それまでの科学は、しばしば、外部から閉じた孤立したシステム(閉鎖系)を扱ってきました。しかしベルタランフィは、生物のような複雑なシステムは、外部の環境と、物質やエネルギーや情報を、絶えず交換しながら存在している、開放系だと論じました。都市もまた、まさにこの開放系の典型です。都市は、外部から、人、物、エネルギー、情報を絶えず取り入れ、外部へと送り出しながら、生きているシステムなのです。
システム論のもう一つの源流が、数学者のノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener)が創始した、サイバネティクス(cybernetics)です。サイバネティクスは、機械や生物における、制御とコミュニケーションの仕組みを、統一的に研究しようとする学問でした。その中心的な概念が、フィードバック(feedback)です。フィードバックとは、システムの出力が、再びそのシステムの入力へと戻され、次の振る舞いに影響を与える仕組みを指します。たとえば、サーモスタットは、室温という出力を感知し、それを入力として、暖房を制御します。これがフィードバックです。
フィードバックには、二つの種類があります。一つは、変化を打ち消し、システムを安定させる、負のフィードバックです。もう一つは、変化を増幅し、システムを加速させる、正のフィードバックです。本稿の主題にとって重要なのは、この正のフィードバックです。なぜなら、後で論じるように、正のフィードバックこそが、複雑なシステムに、予測困難で、非線形な振る舞いを生み出す、重要な源泉となるからです。
システム論を都市に応用する
これらのシステム論の考え方は、20世紀の半ば以降、都市の理解にも、応用されていきました。都市を、相互に関連し合う要素からなり、フィードバックを通じて振る舞い、環境と交換する、一つのシステムとして捉える視座は、都市研究に、新しい可能性を開きました。
しかし、ここで重要なのは、システム論の都市への応用が、当初は、しばしば「都市を制御する」という、近代都市計画の発想と結びついていた、という点です。すなわち、都市というシステムの仕組みを科学的に解明すれば、それをよりよく制御し、計画できるはずだ、という期待です。この期待を、最も野心的な形で、都市の研究へと持ち込んだのが、次に論じる、ジェイ・フォレスターでした。そして、彼の試みとその限界が、皮肉にも、都市が単純には制御できない、複雑な存在であることを、明らかにしていくことになります。
ジェイ・フォレスターと都市ダイナミクス
システム論を、都市の動態の分析へと、本格的に応用した先駆者が、アメリカの工学者、ジェイ・フォレスター(Jay Forrester)です。彼が1969年に著した『アーバン・ダイナミクス(Urban Dynamics)』は、都市を、ダイナミックなシステムとしてモデル化する、画期的な試みでした。
システム・ダイナミクスという方法
フォレスターは、もともと、企業の経営や、産業のシステムを分析するために、システム・ダイナミクス(system dynamics)という手法を開発した人物でした。彼は、この手法を、都市へと応用したのです。
システム・ダイナミクスの考え方の核心には、ストック(stock)とフロー(flow)、そしてフィードバックという概念があります。ストックとは、ある時点で蓄積されている量 — たとえば、都市の人口、住宅の数、企業の数 — です。フローとは、そのストックを増減させる流れ — たとえば、人口の流入と流出、住宅の建設と取り壊し — です。そして、これらのストックとフローは、フィードバックのループを通じて、互いに複雑に影響し合います。フォレスターは、都市を、こうしたストックとフローとフィードバックからなる、一つの動的なシステムとしてモデル化し、コンピュータ上でシミュレーションすることで、都市が時間とともにどう変化するかを、分析しようとしました。
フォレスターの試みが、都市研究にとって重要だったのは、それが、都市を、静的な構造としてではなく、時間の中で変化し続ける、動的なシステムとして捉えた点にあります。また、彼のモデルは、しばしば、私たちの直観に反する結果を示しました。たとえば、貧困層のための住宅を建設するという、一見すると望ましい政策が、長期的には、かえって都市の状況を悪化させうる、といった分析結果です。これは、フィードバックのループを通じて、ある政策が、当初の意図とは異なる、思いがけない帰結をもたらしうることを示すものでした。複雑なシステムにおいては、原因と結果が、単純に対応しないのです。フォレスター自身、こうした都市システムの「直観に反する振る舞い」を示すことを、自らの重要な狙いとしていました。
フォレスターの意義と限界
しかし、フォレスターの都市ダイナミクスは、多くの批判も受けました。本稿の立場として、その意義と限界を、ともに、率直に論じておく必要があります。
第一に、彼のモデルは、都市を、上から見下ろす視点で、いくつかの集計された変数(人口、住宅、企業など)の関係として捉えるものでした。そこには、第1回以来、本連載が重視してきた、生身の人々の生活や、社会的な関係、権力や利害といった次元が、抜け落ちていました。第二に、彼のモデルが導く結論は、その前提となる仮定に、大きく依存していました。どのような関係を、どのようなパラメータで設定するかによって、結果は大きく変わります。モデルの客観性や妥当性をめぐっては、多くの議論がありました。
そして第三に、これが本稿の主題にとって重要な点ですが、フォレスターのアプローチの性格を、正確に捉えておく必要があります。彼が、都市を、フィードバックを通じて振る舞う動的なシステムとして捉え、その直観に反する複雑な挙動を示した点は、きわめて革新的でした。それは、原因と結果が単純に対応するという、素朴な見方を、確かに乗り越えるものでした。しかし同時に、彼のアプローチは、なお、都市を、精密にモデル化し、分析し、管理・制御の可能な対象として捉える発想 — いわば、制御志向的なシステム論 — の枠内に、とどまっていました。彼は、都市を、より精緻にモデル化すれば、その振る舞いを理解し、コントロールできるという信念を、保持していたのです。
筆者の見るところ、フォレスターの試みの歴史的な意義と限界は、表裏一体です。彼は、都市を動的なシステムとして捉え、フィードバックがもたらす直観に反する帰結を示すことで、都市が単純には制御できないことを、図らずも示しました。しかし、彼自身は、なお、都市を、モデル化を通じて理解し、管理しうる対象とみなす、制御志向の発想に立っていました。都市が、それ自体、容易には予測も制御もできない複雑な存在でありうる、という認識へと進むためには、システム論が、複雑系の科学へと、さらに深化する必要があったのです。
複雑適応系としての都市
20世紀の終わりにかけて、システム論は、複雑系科学(complexity science)という、新しい段階へと発展していきました。そして、この複雑系科学の視座から、都市を「複雑適応系(complex adaptive system)」として捉える、現代の都市論が生まれてきます。本稿の、中心をなす部分です。なぜ、都市は予測しにくいのか — その答えが、ここにあります。
複雑適応系とは何か
複雑適応系とは、多数の構成要素が、互いに相互作用し、その相互作用を通じて、システム全体として、適応し、進化していくシステムを指します。この複雑適応系という概念は、1980年代以降、アメリカのサンタフェ研究所(Santa Fe Institute)を中心とする、複雑系研究の中で、体系化されていきました。ジョン・ホランド(John Holland)や、マレー・ゲルマン(Murray Gell-Mann)といった研究者たちが、この概念の発展に、中心的な役割を果たしました。生態系、経済、脳、そして都市は、いずれも、この複雑適応系の典型例とされます。
ここで注意すべきは、複雑系を、しばしば混同される、カオス理論と、単純に同一視してはならない、ということです。複雑系は、完全な無秩序(カオス)でも、完全な秩序でもなく、その中間 — 秩序と無秩序の境界 — に、その本質があります。これは、ジェイコブズの「組織化された複雑性」と、まさに響き合う考え方です。複雑適応系を特徴づける、いくつかの重要な性質を、見ていきましょう。
自己組織化と創発
第一の、そして最も重要な性質が、自己組織化(self-organization)と創発(emergence)です。自己組織化とは、システムが、外部からの中心的な指令や設計なしに、構成要素の相互作用を通じて、自ら秩序やパターンを生み出す現象です。創発とは、個々の構成要素には見られない、新しい性質やパターンが、要素の相互作用を通じて、システム全体のレベルで、立ち現れる現象です。
都市は、まさに、この自己組織化と創発の宝庫です。都市の、活気ある商業地区、特定の業種が集まる街、住み分けのパターン、人々の移動の流れ — これらの多くは、誰か一人が設計し、計画したものではありません。それらは、無数の人々や事業者が、それぞれの判断で行動し、互いに影響し合う中から、自然に生み出され、立ち現れてきた、創発的な秩序です。第1回で論じたシカゴ学派が描いた、都市の同心円的な構造や、自然地域の形成もまた、こうした創発的な秩序の、先駆的な観察だったと見ることができます。ジェイコブズが擁護した都市の活気も、まさに、計画されざる、自己組織的な秩序でした。
非線形性と予測の困難さ
第二の性質が、非線形性(nonlinearity)です。線形のシステムでは、原因と結果が、比例的に対応します。小さな原因は小さな結果を、大きな原因は大きな結果を生みます。しかし、非線形のシステムでは、この比例関係が成り立ちません。小さな原因が、フィードバックを通じて増幅され、巨大な結果を生むこともあれば、大きな働きかけが、ほとんど何の効果も生まないこともあります。先に論じた、正のフィードバックは、この非線形性の、重要な源泉です。
この非線形性こそが、本稿の中心的な問い — なぜ都市は予測しにくいのか — への、核心的な答えです。非線形なシステムでは、初期のわずかな違いが、時間とともに増幅され、まったく異なる帰結へと至ることがあります。そのため、システムの将来の状態を、長期にわたって、詳細に予測することが、きわめて困難になります。ある小さな出来事 — 一軒の店の開業、一つの政策の変更、一人の人物の行動 — が、思いがけない連鎖を引き起こし、都市全体を、予測しえなかった方向へと変えてしまうことがあります。フォレスターのモデルが示した、直観に反する帰結も、この非線形性の現れでした。
ここで、誤解を避けるために、重要な留保を述べておきましょう。都市が予測しにくいといっても、都市について、何も予測できない、ということではありません。むしろ、都市には、後で論じる都市スケーリングの規則性のように、統計的な規則性や、短期的な傾向が、確かに存在します。交通需要の予測や、人々の移動の予測など、一定の範囲内では、有用な予測が成り立ちます。予測が困難なのは、複雑なシステムである都市の、長期的で、詳細な将来の状態を、完全に予測しようとする場合です。都市が予測しにくいのは、私たちの知識や計算能力が足りないからだけではなく、都市というシステムそれ自体が、非線形で、長期的・詳細な完全予測を許さない性質を、本来的にもっているからなのです。
適応 ― 学習し変化するシステム
第三の性質が、適応(adaptation)です。複雑「適応」系という名が示すように、このシステムの構成要素は、環境や、互いの振る舞いに応じて、自らの行動を変化させ、適応していきます。都市を構成する人々や組織は、固定された部品ではありません。彼らは、状況を認識し、学習し、戦略を変え、適応していく、能動的な主体です。
この適応という性質は、都市を、いっそう予測しにくいものにします。なぜなら、都市についての予測や計画それ自体が、人々の行動を変え、その結果、予測を裏切ることがあるからです。たとえば、「この地区が発展する」という予測が広まれば、人々がそこに投資し、実際に発展が加速する(予測の自己成就)こともあれば、逆に、混雑を嫌って人々が避け、予測が外れることもあります。都市は、それを観察し、予測する者の振る舞いをも取り込んで、変化していく、生きたシステムなのです。そして、この適応という性質は、前回の第11回で論じたレジリエンスの概念と、深く結びついています。後で改めて論じますが、レジリエンスとは、まさに、複雑適応系が、衝撃を受けながら、学習し、適応していく能力にほかなりません。
筆者の見るところ、都市を複雑適応系として捉えることは、都市についての、私たちの見方を、根本的に転換させます。都市は、設計者が思いどおりに制御できる機械ではありません。それは、自己組織化し、創発し、非線形に振る舞い、適応し続ける、生きたシステムなのです。この見方は、近代都市計画が抱いていた、都市を完全に予測し制御できるという信念を、退けます。しかし、それは、都市が、まったく理解不能で、手の施しようのない混沌だ、ということを意味するのでもありません。この微妙な立場については、本稿の結びで、改めて論じることにしましょう。
ネットワークとしての都市
都市を複雑適応系として理解する上で、もう一つ重要な視座が、都市を「ネットワーク」として捉える見方です。複雑なシステムにおける、要素間の相互作用は、しばしば、ネットワークの形をとります。そして、本連載は、すでにこのネットワークという視座を、繰り返し用いてきました。ここで、それらを、複雑系という文脈の中で、改めて結びつけてみましょう。
弱い紐帯と構造的空隙
第2回の都市コミュニティ論で論じたように、社会学者のマーク・グラノヴェッター(Mark Granovetter)は、「弱い紐帯の強さ」という、有名な議論を提起しました。私たちの社会的なネットワークにおいて、家族や親友といった強い紐帯よりも、たまにしか会わない知人といった弱い紐帯のほうが、新しい情報や、異なる世界への橋渡しとして、重要な役割を果たす、という洞察です。
また、社会学者のロナルド・バート(Ronald Burt)は、これと関連して、構造的空隙(structural holes)という概念を提起しました。これは、互いにつながっていない集団のあいだの、隙間のことです。この空隙を橋渡しする位置にいる人は、異なる集団の情報を媒介することで、大きな優位性を得る、というのです。これらの議論が示すのは、社会というネットワークにおいて、その構造 — 誰が誰と、どのようにつながっているか — が、情報の流れや、機会の分布を、大きく左右する、ということです。都市は、まさに、こうした無数の社会的なネットワークが、複雑に重なり合う場です。
ネットワーク社会と流動の空間
第7回のグローバル都市論で論じたように、社会学者のマヌエル・カステル(Manuel Castells)は、現代社会を「ネットワーク社会(network society)」として捉えました。情報技術の発展によって、世界は、場所と場所が結びついた「流動の空間(space of flows)」として、組織されるようになった、というのです。都市は、こうしたグローバルなネットワークの、結節点(ノード)として位置づけられます。
これらのネットワークの視座を、複雑系という文脈に置くと、その意味が、より深く見えてきます。ネットワークは、複雑適応系における、相互作用の構造そのものです。そして、ネットワークの構造は、しばしば、自己組織的に形成され、非線形な振る舞いを生み出します。たとえば、ネットワークにおける、一つの結節点の障害が、連鎖的に波及し、システム全体を麻痺させる(カスケード故障)こともあれば、特定の結節点に、つながりが集中していく(優先的選択)こともあります。第11回で論じた、都市のレジリエンスやネットワークの頑健性の問題も、まさに、このネットワークの構造と、深く関わっています。筆者の見るところ、都市を、ネットワークとして、そして複雑適応系として捉えることは、本連載がこれまで別々に論じてきた、コミュニティ、グローバル都市、レジリエンスといった主題を、一つの統一的な視座のもとに、結びつけるものなのです。
マイケル・バティと複雑系都市論
都市を複雑適応系として捉える視座を、最も体系的に、そして都市研究の中心へと押し上げた人物が、イギリスの都市研究者、マイケル・バティ(Michael Batty)です。本稿の、最も重要な理論家といえます。彼は、複雑系の科学と、都市の研究とを結びつけ、現代の都市科学への橋渡しをした、中心的な存在です。
複雑性としての都市
バティの仕事の核心にあるのは、都市を、複雑なシステムとして、科学的に理解しようとする、一貫した試みです。彼の著作『シティーズ・アンド・コンプレキシティ(Cities and Complexity)』や、その後の一連の研究は、都市が、いかにして自己組織化し、創発的な秩序を生み出すのかを、精緻に分析しました。
バティの重要な主張の一つが、都市を、トップダウンの計画の産物としてではなく、ボトムアップの、自己組織化のプロセスの産物として理解すべきだ、ということです。これは、ジェイコブズの「組織化された複雑性」の洞察を、現代の複雑系科学の道具立てによって、本格的に理論化し、実証しようとするものでした。先に述べたように、バティ自身が、ジェイコブズを重要な先駆者として、繰り返し引用しています。バティは、コンピュータ・シミュレーションや、数理的なモデル — たとえば、個々の主体の行動をモデル化し、その相互作用から都市の全体的なパターンが立ち現れる様子を再現する、エージェント・ベースのモデルや、細胞の状態変化から都市の成長を再現するセル・オートマトンといった手法 — を駆使して、都市の自己組織化のプロセスを、解明しようとしました。
フラクタル都市と都市スケーリング
バティの研究の中で、とりわけ有名なのが、フラクタル都市(fractal cities)という考え方です。フラクタルとは、部分が全体と相似形をなす、自己相似的な構造を指します。バティは、都市の形態 — その境界の入り組んだ形や、市街地の広がり方 — が、しばしば、このフラクタル的な性質をもっていることを、明らかにしました。都市の複雑な形は、無秩序な混沌ではなく、自己組織化のプロセスが生み出す、数学的な規則性をもった秩序だったのです。
また、近年の都市研究で注目されているのが、都市スケーリング(urban scaling)という現象です。これは、都市の規模(人口)と、都市のさまざまな特性 — 経済活動、イノベーション、インフラの量、犯罪、移動の量など — とのあいだに、一定の数学的な関係(べき乗則)が、多くの都市で観察される、という発見です。たとえば、都市の人口が倍になると、一人あたりの経済的な生産性やイノベーションが、一定の割合で増える、といった規則性です。物理学者のジェフリー・ウェスト(Geoffrey West)らの研究は、こうした都市スケーリングの規則性を、広く明らかにしてきました。これらの発見は、都市が、その多様性と個別性にもかかわらず、複雑系として、ある種の規則性をもっていることを、示唆しています。もっとも、こうした都市スケーリングが、すべての都市に普遍的に当てはまる法則として確立しているのか、それとも、強い経験則の段階にとどまるのかについては、なお研究上の議論が続いています。
筆者の見るところ、バティの仕事の意義は、都市の複雑性を、単に「都市は複雑だ」という曖昧な主張にとどめるのではなく、自己組織化、フラクタル、スケーリングといった、具体的で、測定可能な現象として、科学的に分析した点にあります。彼は、ジェイコブズの直観を、検証可能な科学へと、橋渡ししました。そして、この橋渡しが、次に論じる、現代の「都市科学」の誕生へと、つながっていくのです。
都市科学の誕生
バティらが切り開いた、都市を複雑系として科学的に分析する試みは、21世紀に入り、新しいデータの爆発的な増大とともに、「都市科学(urban science)」という、新しい研究分野へと結実していきました。本節では、この都市科学の誕生を、見ていきましょう。
都市科学を可能にした、最大の要因が、都市に関する膨大なデータ — ビッグデータ(big data) — の登場です。かつて、都市を分析するためのデータは、国勢調査のような、限られた、静的なものに限られていました。しかし、今日では、実にさまざまな源から、都市の動態を、リアルタイムで捉える、膨大なデータが生み出されています。GPSや携帯電話の位置情報は、人々が、いつ、どこを、どのように移動しているかを、刻々と記録します。スマートフォンのデータや、交通系ICカードの記録は、人々の活動の、詳細な軌跡を残します。SNSのデータは、人々が、どこで、何を感じ、語っているかを、明らかにします。そして、都市のいたるところに設置されたセンサーは、交通量、エネルギー消費、環境の状態などを、絶えず計測しています。
こうした膨大なデータを用いることで、都市科学は、これまで捉えられなかった、都市の動態を、かつてない精度と粒度で、分析できるようになりました。人々の移動のパターン、都市の活動のリズム、地区ごとの特性の変化 — これらを、リアルタイムで、定量的に把握する、リアルタイム都市分析(real-time urban analysis)が、可能になったのです。これは、都市を、生きて動いているシステムとして、その鼓動を捉えようとする試みであり、都市を複雑系として理解する、強力な手段となりました。
筆者の見るところ、都市科学は、第1回で論じたシカゴ学派以来の、都市を経験的なデータに基づいて理解しようとする、都市研究の伝統の、現代的な展開と見ることができます。シカゴ学派が、フィールドワークや地図によって都市を観察したように、都市科学は、ビッグデータによって、都市を観察します。ただし、ここで注意しておくべきは、都市科学を、単なる「データ分析」と同一視してはならない、ということです。データは、それ自体では、何も語りません。それを、複雑系という理論的な視座のもとで解釈してはじめて、都市の理解へとつながるのです。この点は、後で改めて、重要な論点として論じます。
デジタルツインとAIによる都市分析
都市科学の発展は、近年、デジタルツイン(digital twin)や、AI(人工知能)を用いた、新しい都市分析の手法を生み出しています。本節では、これらの最新の動向を見ますが、本稿の立場として、これらを、未来の技術として礼賛するのではなく、あくまで、都市理論との関係において、その意義と限界を捉えていきます。
デジタルツインとは、現実の都市を、コンピュータ上に、デジタルな双子(ツイン)として、再現したものです。現実の都市から、リアルタイムでデータを取り込み、仮想空間上に、都市のありさまを、映し出します。ここで正確を期しておけば、デジタルツインは、現実の都市を、そっくりそのまま完全に再現するものではありません。それは、特定の目的に応じて、都市の主要な状態や挙動を、デジタル空間上に表現する、目的に即したモデル化です。そして、この仮想の都市の上で、さまざまな施策をシミュレーションし、その効果を、事前に試すことができる、とされます。たとえば、ある場所に新しい施設を作ったら、交通の流れがどう変わるか、といったことを、現実に実行する前に、仮想空間で検証する、というわけです。日本でも、都市の三次元データを整備する取り組みなどを通じて、こうしたデジタルツインの基盤づくりが、進められています。
また、AIや機械学習は、膨大な都市データの中から、人間には見出しにくいパターンを発見し、将来を予測する(予測分析)ために、用いられるようになっています。
これらの技術は、都市の理解と計画に、新しい可能性をもたらします。しかし、本稿が一貫してたどってきた、複雑系の視座は、これらの技術に対して、重要な留保を促します。すなわち、都市が、非線形で、長期的・詳細な完全予測の難しい複雑適応系であるならば、どれほど精密なデジタルツインを作り、どれほど高度なAIを用いても、都市の未来を、完全に予測し、制御することは、原理的にできない、ということです。シミュレーションは、あくまで、一定の仮定のもとでの、可能性の探索にとどまります。フォレスターのモデルがそうであったように、その結果は、前提となる仮定に依存します。そして、都市を構成する人々が、予測や計画に反応して行動を変える(適応する)以上、予測それ自体が、予測を裏切ることもあるのです。筆者の見るところ、デジタルツインやAIは、都市を制御する万能の道具としてではなく、複雑な都市を、よりよく理解し、対話するための、新しい手段として、捉えるべきものなのです。そして、この「データと技術で、都市をどこまで理解・制御できるのか」という問いは、次に論じる、より根本的な論争へと、私たちを導きます。
都市科学は都市を理解できるのか
ビッグデータとAIの時代において、一つの挑発的な主張が、提起されました。それは、「もはや理論は必要ない。十分なデータさえあれば、データが自ら語る」という主張です。本節では、この主張をめぐる論争を通じて、都市を理解する上での、理論の役割を、改めて考えます。これは、本稿のもう一つの重要な論点です。
「理論の終焉」論争
この主張を、最も鮮明な形で提起したのが、雑誌の編集者であったクリス・アンダーソン(Chris Anderson)が、2008年に、技術雑誌に発表した、「理論の終焉(The End of Theory)」と題する、論争的なエッセイでした。彼の主張は、こうです。これまで科学は、まず仮説や理論を立て、それをデータで検証する、という方法をとってきた。しかし、ビッグデータの時代には、もはやそうした理論は必要ない。膨大なデータの中から、相関関係を見つけ出せば、なぜそうなるのかという理由(理論)を理解せずとも、ものごとを予測し、対応できる、というのです。データ駆動型の研究が、理論駆動型の研究に、取って代わる、というわけです。
この挑発的な主張は、大きな反響を呼ぶとともに、多くの研究者から、強い批判を受けました。そして、本稿の立場として、また、本連載が一貫してとってきた立場として、この「理論の終焉」論には、明確に異を唱えなければなりません。
データだけでは都市を説明できない
なぜ、データだけでは、都市を理解できないのでしょうか。いくつかの理由があります。
第一に、相関は、因果ではありません。データの中に、二つの事柄の相関を見出すことと、その背後にある因果のメカニズムを理解することは、まったく別のことです。なぜそうなるのかを理解しなければ、相関が、いつ、どのような条件で成り立ち、いつ崩れるのかを、知ることはできません。第二に、データは、それ自体では、何を問うべきかを教えてくれません。どのようなデータを集め、何を分析するのか — その問いの立て方そのものが、理論的な視座に、依存しています。理論なきデータ分析は、方向を見失います。
そして、第三に、本連載が最も重視してきた点ですが、データは、都市をめぐる権力、利害、価値、正義といった次元を、それ自体では捉えられません。ここで、第3回以来繰り返し登場してきた、デヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)や、第6回で論じたスーザン・ファインスタイン(Susan Fainstein)の議論を、思い起こす必要があります。ハーヴェイの視座からすれば、都市のデータが示すパターンの背後には、資本の論理と、その地理的な不均衡が、働いています。データは、そのパターンを記述できても、なぜそうした不平等が生み出されるのか、それが正しいのかを、説明し、判断することはできません。ファインスタインの「ジャスト・シティ」論からすれば、都市について問うべき最も重要な問いは、「都市はどうなっているか」だけでなく、「都市はどうあるべきか」という、規範的な問いです。この問いに、データは、答えてくれません。
筆者の見るところ、都市科学のビッグデータは、都市を理解するための、強力な新しい手段です。しかし、それは、これまでの都市理論に、取って代わるものではありません。むしろ、データは、理論的な視座のもとで解釈されてはじめて、意味をもちます。「都市はなぜ、どのように、誰のために、こうなっているのか」を理解し、「都市はどうあるべきか」を問うためには、本連載がたどってきた、都市理論の蓄積が、不可欠なのです。データと理論は、対立するものではなく、互いを必要とするものなのです。
レジリエンスと複雑系 ― なぜその概念が必要だったのか
ここで、前回の第11回で論じたレジリエンスの概念を、複雑系という視座から、改めて捉え直しておきましょう。本稿の議論は、なぜレジリエンスという概念が、現代の都市論において登場し、重要になったのかを、より深く理解させてくれます。
第11回で論じたように、レジリエンスとは、システムが、衝撃を吸収し、そこから学び、自らを変革しながら、その本質を保ち続ける、しなやかな能力でした。そして、生態学者ホリングが、このレジリエンスの概念を、生態系という、複雑なシステムの研究の中から、提起したことを、思い起こしてください。
本稿の議論を踏まえれば、レジリエンスという概念が、なぜ必要とされたのかが、明確になります。それは、都市が、複雑適応系であり、その長期的で詳細な将来を、完全に予測し制御することが難しい存在だからです。もし、都市が、機械のように、完全に予測し、制御できる存在であれば、私たちは、あらゆる危機を事前に予測し、それを防ぐように、都市を設計すればよいはずです。レジリエンスという概念は、必要ありません。しかし、都市が、非線形で、予測の難しい複雑適応系である以上、私たちは、すべての危機を予測し、防ぐことはできません。必ず、予期せぬ衝撃が、都市を襲います。だからこそ、予測できない衝撃に対して、それを吸収し、適応し、立ち直る能力 — レジリエンス — が、決定的に重要になるのです。
すなわち、レジリエンスという概念の登場そのものが、都市を、予測・制御可能な機械から、予測の難しい複雑適応系として捉える、都市観の転換を、反映しているのです。第11回で論じた、レジリエンスを支える要素 — 冗長性、多様性、柔軟性、学習能力 — は、いずれも、複雑で不確実なシステムに、しなやかに対応するための性質でした。そして、「学習する都市」という考え方は、まさに、都市を、変化に適応し、進化していく複雑適応系として捉える視座の、現れにほかなりません。筆者の見るところ、複雑系都市論は、レジリエンスという概念に、その理論的な基礎を与えるものなのです。
都市理論を統合する視座としての複雑系都市論
ここで、本連載全体を振り返り、これまでたどってきた数々の都市理論が、複雑系都市論という視座のもとで、どのように一つに結びつくのかを、整理しておきましょう。本稿は、本連載の、いわば総括的な位置にあります。
振り返れば、第1回のシカゴ学派は、都市を、人間生態学の視点から、自然に形成される秩序として捉えました。これは、都市の自己組織化と創発という、複雑系の発想の、先駆でした。第2回の都市コミュニティ論は、都市における社会的なネットワークを論じ、第7回のグローバル都市論は、都市をネットワークの結節点として捉えました。これらは、複雑系における、相互作用の構造としてのネットワークの視座と、結びつきます。
第3回から第6回にかけて論じた、都市政治経済学、成長機械論、都市レジーム論、そして都市正義の議論は、都市を動かす、権力、利害、資本の論理を明らかにしました。これらは、複雑適応系としての都市において、構成要素である人々や組織が、どのような動機と力関係のもとで相互作用するのかを、理解する上で、不可欠の視座です。複雑系都市論は、ともすれば、こうした権力や利害の次元を見落としがちですが、本連載の蓄積は、それを、複雑系の理解の中に、しっかりと組み込むことを求めます。
第8回の都市計画思想は、都市を計画・制御しようとする試みの歴史であり、まさに本稿が問い直してきた、「機械としての都市」観をめぐる、思想の展開でした。第9回の都市デザインは、ジェイコブズの「組織化された複雑性」を通じて、本稿の複雑系の視座と、直接につながりました。第10回のTODは、都市の構造を形づくる、交通というネットワークの役割を論じました。そして第11回のレジリエンスは、本稿で見たように、都市を複雑適応系として捉える視座と、深く結びついていました。
筆者の見るところ、複雑系都市論は、これらの多様な理論を、否定したり、置き換えたりするものではありません。むしろ、それは、これらの理論が明らかにしてきた、都市の多様な側面 — 自己組織化する秩序、社会的ネットワーク、権力と利害、計画の限界、空間の質、危機への適応 — を、「都市は複雑適応系である」という、一つの視座のもとに、結びつけようとする、統合的な枠組みを提供するものです。ただし、複雑系都市論を、都市理論の最終的な「到達点」と見なすことには、慎重でなければなりません。たとえば、ハーヴェイに連なる批判的都市論の立場からは、複雑系という、一見すると価値中立的な科学の言葉が、かえって、都市をめぐる権力や不正義の問題を、見えにくくしてしまうのではないか、という批判もありえます。複雑系都市論は、すべての都市理論を一つに統べる、究極の理論なのではなく、現代の都市理論における、有力な統合的視座の一つとして、位置づけるのが適切でしょう。それは、本連載がたどってきた、都市理論の蓄積を、一つの新しい角度から、結びつけ直す試みなのです。
おわりに ― 都市は理解不能ではない
本稿では、「都市はなぜ予測できないのか」という問いを軸に、都市を複雑適応系として捉える、現代の都市論をたどってきました。最後に、その歩みを振り返り、一つの立場を示して、結びとしたいと思います。
本稿で見てきたことを、整理すれば、こうなります。近代都市計画は、都市を、専門家が完全に予測し、制御できる「機械」として捉えました。しかし、ジェイコブズの「組織化された複雑性」の洞察を、後の研究者たちが受け継ぎ、システム論、複雑系科学、そしてマイケル・バティの複雑系都市論を経て、都市は、自己組織化し、創発し、非線形に振る舞い、適応し続ける、「複雑適応系」として、捉え直されてきました。この視座からすれば、都市の長期的で詳細な未来が予測しにくいのは、私たちの知識が足りないからだけではなく、都市というシステムそれ自体が、本来的に、そうした完全な予測を許さない性質をもっているからなのです。
ここから、本稿が示したい立場は、こうです。都市は、その長期的で詳細な姿を、完全には予測できません。そして、完全には制御できません。近代都市計画が抱いた、都市を思いどおりに設計し、制御できるという信念は、退けられなければなりません。しかし — これが重要な点ですが — だからといって、都市は、まったく理解不能で、手の施しようのない混沌だ、ということにはなりません。都市は、無秩序なカオスではなく、「組織化された複雑性」をもつ、秩序あるシステムです。私たちは、その自己組織化のパターンを、ネットワークの構造を、スケーリングの規則性を、そして、それを動かす権力と利害の論理を、理解することができます。完全な予測と制御はできなくとも、都市の振る舞いの傾向を理解し、それと賢く対話し、しなやかに適応していくことは、できるのです。
では、この複雑適応系としての都市の理解は、私たちに、何をもたらすのでしょうか。それは、都市に対する、新しい向き合い方です。都市を、上から完全に設計し、制御しようとするのではなく、都市が自ら生み出す秩序を尊重し、小さな働きかけが思わぬ大きな帰結を生みうることに注意を払い、予測できない衝撃に対してレジリエントであろうとし、そして、絶えず学習し、適応しながら、都市とともに歩んでいく — そうした、謙虚で、しなやかな向き合い方です。第8回で論じた、リンドブロムの漸進主義や、ヒーリーの協働型計画、第9回で論じたプレイスメイキングの、試行錯誤の精神は、まさに、こうした複雑な都市への、賢い向き合い方の、現れだったといえるでしょう。
本連載は、ここまで、都市を理解するための、さまざまな理論をたどってきました。シカゴ学派から始まり、複雑系都市論という、現代の有力な視座に至るまで、私たちは、都市が、いかに多面的で、奥深い存在であるかを、見てきました。都市は、人々が暮らし、出会い、争い、創造する場であり、権力と利害が交錯する場であり、計画され、設計される対象であり、そして、それ自体が、生きて、自ら組織し、適応していく、複雑なシステムです。都市を理解するとは、この多面性のすべてを、視野に収めようとすることなのです。都市は、私たちの完全な理解も、制御も、つねにすり抜けていきます。しかし、だからこそ、都市は、私たちが、問い続け、学び続けるに値する、尽きせぬ探究の対象であり続けるのです。本連載が、読者の皆さんにとって、この尽きせぬ探究へと分け入るための、一つの地図となれたなら、これに勝る喜びはありません。
参考文献
本稿は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。
英語文献
- Jacobs, J. (1961). The Death and Life of Great American Cities. New York: Random House.
- von Bertalanffy, L. (1968). General System Theory: Foundations, Development, Applications. New York: George Braziller.
- Wiener, N. (1948). Cybernetics: Or Control and Communication in the Animal and the Machine. Cambridge, MA: MIT Press.
- Forrester, J. W. (1969). Urban Dynamics. Cambridge, MA: MIT Press.
- Holland, J. H. (1992). Adaptation in Natural and Artificial Systems (2nd ed.). Cambridge, MA: MIT Press.
- Holland, J. H. (1995). Hidden Order: How Adaptation Builds Complexity. Reading, MA: Addison-Wesley.
- Batty, M. (2005). Cities and Complexity: Understanding Cities with Cellular Automata, Agent-Based Models, and Fractals. Cambridge, MA: MIT Press.
- Batty, M. (2013). The New Science of Cities. Cambridge, MA: MIT Press.
- Batty, M. (2018). Inventing Future Cities. Cambridge, MA: MIT Press.
- Batty, M., & Longley, P. (1994). Fractal Cities: A Geometry of Form and Function. London: Academic Press.
- Portugali, J. (2011). Complexity, Cognition and the City. Berlin: Springer.
- Granovetter, M. (1973). The Strength of Weak Ties. American Journal of Sociology, 78(6), 1360–1380.
- Burt, R. S. (1992). Structural Holes: The Social Structure of Competition. Cambridge, MA: Harvard University Press.
- Castells, M. (1996). The Rise of the Network Society. Oxford: Blackwell.
- West, G. (2017). Scale: The Universal Laws of Growth, Innovation, Sustainability, and the Pace of Life in Organisms, Cities, Economies, and Companies. New York: Penguin Press.
- Holling, C. S. (1973). Resilience and Stability of Ecological Systems. Annual Review of Ecology and Systematics, 4, 1–23.
- Alexander, C. (1965). A City is Not a Tree. Architectural Forum, 122(1), 58–62.
- Anderson, C. (2008). The End of Theory: The Data Deluge Makes the Scientific Method Obsolete. Wired, 16(7).
日本語文献
- ジェイコブズ, J. (2010). 『アメリカ大都市の死と生 新版』山形浩生訳. 鹿島出版会.
- ベルタランフィ, L. (1973). 『一般システム理論 ― その基礎・発展・応用』長野敬・太田邦昌訳. みすず書房.
- ウィーナー, N. (2011). 『サイバネティックス ― 動物と機械における制御と通信』池原止戈夫ほか訳. 岩波書店.
- ウェスト, G. (2020). 『スケール ― 生命、都市、経済をめぐる普遍的法則』山形浩生・森本正史訳. 早川書房.
※ 本稿における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。ジェイン・ジェイコブズは、複雑系都市論の重要な先駆者として後の研究者(とりわけバティ)に再評価された人物であり、複雑系都市論そのものの創始者ではない点に留意してください。複雑適応系の概念は、サンタフェ研究所を中心とする複雑系研究の中で体系化されたものです。複雑系はカオス理論と同一ではなく、また都市科学はデータ分析と同一ではない点にも注意が必要です。都市が「予測できない」とは、長期的・詳細な将来状態の完全な予測が困難という意味であり、統計的規則性や短期的傾向の予測は一定の範囲で成立します。都市スケーリングは多くの都市で観察される強い経験則ですが、普遍法則として確定したわけではありません。「理論の終焉」論は技術雑誌の論争的エッセイであり、多くの研究者から批判を受けました。複雑系都市論は、本稿では都市理論の有力な統合的視座として位置づけており、唯一の最終理論とみなすものではありません。各概念や理論家の議論は、本稿では要点を整理したものであり、原典における議論はより複雑で多面的です。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。
年表 ― 複雑系都市論と都市科学の展開
- 1948年 ― ウィーナー『サイバネティックス』。制御とコミュニケーションの統一理論
- 1961年 ― ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』。「組織化された複雑性」を提起
- 1965年 ― アレグザンダー「都市はツリーではない」。都市の複雑な構造を論じる
- 1968年 ― ベルタランフィ『一般システム理論』。システム論を体系化
- 1969年 ― フォレスター『アーバン・ダイナミクス』。都市をシステムとしてモデル化
- 1972年 ― ローマクラブ『成長の限界』。システム・ダイナミクスを地球規模に応用
- 1980年代 ― 複雑系科学の興隆。サンタフェ研究所の設立(1984年)
- 1994年 ― バティ&ロングリー『フラクタル・シティ』。都市のフラクタル構造を分析
- 2005年 ― バティ『シティーズ・アンド・コンプレキシティ』。複雑系都市論を体系化
- 2008年 ― アンダーソン「理論の終焉」。ビッグデータ時代の科学方法論論争
- 2013年 ― バティ『ニュー・サイエンス・オブ・シティーズ』。都市科学を提唱
- 2010年代 ― ビッグデータ・GPS・SNSデータによるリアルタイム都市分析の本格化
- 2017年 ― ウェスト『スケール』。都市スケーリング法則を一般向けに展開
- 2020年代 ― デジタルツイン・AIによる都市シミュレーションの普及
- (背景)1970年代 ― カオス理論・フラクタル幾何学(マンデルブロ)の発展
- (背景)1990年代 ― 複雑適応系・創発・自己組織化の概念が学際的に広がる
- (日本)シカゴ学派以来のデータに基づく都市研究の伝統が都市科学へと連なる
- (日本)2020年 ― 国土交通省「プロジェクトPLATEAU」。3D都市モデルの整備開始
- (日本)近年 ― 人流解析・携帯位置情報による都市分析の行政・民間への普及
- (日本)近年 ― スマートシティ・デジタルツインの社会実装の試み
用語集
本稿および複雑系都市論・都市科学の理解に関連する主要な用語・人名・著作を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合): 解説」です。
理論・概念
- Complex Adaptive System, 複雑適応系, , , CAS: 多数の構成要素が相互作用し、システム全体として適応・進化していくシステム。都市はその典型。本稿の中心概念。
- Complexity Science, 複雑系科学: 多数の要素の相互作用から生じる複雑な振る舞いを研究する学際的な科学。システム論を発展させたもの。
- Self-Organization, 自己組織化: 中心的な指令や設計なしに、構成要素の相互作用を通じてシステムが自ら秩序を生み出す現象。
- Emergence, 創発: 個々の要素には見られない新しい性質やパターンが、要素の相互作用を通じてシステム全体のレベルで立ち現れる現象。
- Nonlinearity, 非線形性: 原因と結果が比例関係にないこと。小さな原因が増幅されて巨大な結果を生むなど、予測困難性の源泉。
- General Systems Theory, 一般システム理論: 生物・機械・社会を共通の「システム」の枠組みで捉えようとするベルタランフィの理論。
- Open System, 開放系: 外部環境と物質・エネルギー・情報を絶えず交換しながら存在するシステム。都市はその典型。
- Feedback, フィードバック, , , : システムの出力が再び入力へ戻り次の振る舞いに影響する仕組み。変化を打ち消す負と、増幅する正がある(添付にFeedback Loopあり、概念を補記)。
- Urban Dynamics, アーバン・ダイナミクス: フォレスターが都市をストック・フロー・フィードバックからなる動的システムとしてモデル化した試み。
- Fractal City, フラクタル都市: 部分が全体と相似形をなす自己相似的な構造をもつ都市形態。バティが分析した。
- Urban Scaling, 都市スケーリング: 都市の人口規模と諸特性(経済・イノベーション・インフラ等)のあいだに見られる数学的なべき乗則。
- Urban Science, 都市科学: ビッグデータを用いて都市を複雑系として定量的・科学的に分析する現代の研究分野。
- Cellular Automata, セル・オートマトン: 格子状の細胞が単純な規則で状態変化し、全体として複雑なパターンを生む数理モデル。都市成長の再現に用いられる。
- Agent-Based Model, エージェント・ベース・モデル, , , ABM: 個々の主体の行動をモデル化し、その相互作用から全体的パターンの創発を再現する手法(添付にAgent-Based Simulationあり、近接概念を補記)。
- Digital Twin, デジタルツイン, , , : 現実の都市をデータに基づき仮想空間に精密再現し、施策のシミュレーションに用いるもの(添付にデジタル・ツインあり、英語を補記)。
- Predictive Analytics, 予測分析: 膨大なデータからパターンを発見し将来を予測する分析手法。AI・機械学習が用いられる。
- End of Theory, 理論の終焉: 十分なデータがあれば理論は不要とするアンダーソンの主張。本稿が批判的に検討する論争的命題。
- Data-Driven Research, データ駆動型研究: 仮説や理論から出発するのではなく、データから出発して知見を導く研究の方法。
人名
- Ludwig von Bertalanffy, ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ: 一般システム理論を提唱したオーストリアの生物学者。
- Norbert Wiener, ノーバート・ウィーナー: サイバネティクスを創始したアメリカの数学者。
- Jay Forrester, ジェイ・フォレスター: システム・ダイナミクスを開発し、都市の動態モデル化を試みたアメリカの工学者。
- Michael Batty, マイケル・バティ: 複雑系都市論と都市科学を体系化したイギリスの都市研究者。本稿の最重要人物。
- Geoffrey West, ジェフリー・ウェスト: 都市スケーリングの普遍法則を研究したアメリカの理論物理学者。
- Christopher Alexander, クリストファー・アレグザンダー: 「都市はツリーではない」で都市の複雑な構造を論じた建築家・都市理論家。
- Chris Anderson, クリス・アンダーソン: 「理論の終焉」を提起した雑誌編集者・著述家。
- Brian Arthur, ブライアン・アーサー: 経済における収穫逓増と複雑性を論じた複雑系経済学者。
著作
- General System Theory, 『一般システム理論』: ベルタランフィが1968年に著した、システム論の基礎的著作。
- Cybernetics, 『サイバネティックス』: ウィーナーが1948年に著した、制御とコミュニケーションの統一理論の古典。
- Urban Dynamics, 『アーバン・ダイナミクス』: フォレスターが1969年に著した、都市のシステム・ダイナミクス分析。
- Cities and Complexity, 『シティーズ・アンド・コンプレキシティ』: バティが2005年に著した、複雑系都市論の体系的著作。
- The New Science of Cities, 『ニュー・サイエンス・オブ・シティーズ』: バティが2013年に著した、都市科学を提唱する著作。
- Fractal Cities, 『フラクタル・シティ』: バティとロングリーが1994年に著した、都市のフラクタル構造の分析。
- Scale, 『スケール』: ウェストが2017年に著した、生命・都市・経済のスケーリング法則を論じた著作。
- A City is Not a Tree, 「都市はツリーではない」: アレグザンダーが1965年に発表した、都市の複雑な構造を論じた論文。
※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。ジェイコブズ、組織化された複雑性、サイバネティクス、システム・ダイナミクス、ストック、フロー、カステル、グラノヴェッター、構造的空隙、ネットワーク社会、フラクタル、ハーヴェイ、ファインスタインなど多くの語は添付リストに既収載のため、本用語集では未収載の概念・人物・著作を中心に補いました。複雑系はカオス理論と同一ではなく、都市科学はデータ分析と同一ではない点、また「理論の終焉」論に対してはデータが理論的視座のもとで解釈されてはじめて意味をもつという立場をとる点に留意してください。本稿をもって、シリーズは現代都市理論の到達点に至りました。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。
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