駅前なのに、市街化調整区域で田んぼ――近江鉄道八日市線で出会ったこの違和感から、交通と都市の長い歴史をたどります。鉄道はいかに都市をつくり、そして都市に支えられてきたのか。アメリカの路面電車郊外と垂直統合、日本の私鉄モデル、両者を分けた制度の選択。そして人口減少時代、交通事業者は「都市をつくる」存在から、地域とともに「沿線の価値を支える」回廊マネージャーへ。交通と都市は、互いに支え合うエコシステムなのです。都市理論シリーズ第十三弾。
※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります。
目次
- 1 はじめに ― 駅前の田んぼという違和感から
- 2 開拓と交通
- 3 開発と交通
- 4 米国鉄道の滅亡と日本の存続
- 5 成熟・人口減少期と交通
- 6 結論 ― 交通と都市というエコシステム
- 7 参考文献
- 8 年表 ― 交通と都市形成の系譜
- 9 用語集
- 10 Claud への執筆プロンプト
はじめに ― 駅前の田んぼという違和感から
本稿は、これまでの本連載とは、少し性格を異にします。第1稿から第12稿までは、都市を理解するための理論の系譜を、一つひとつたどってきました。本稿は、その理論を解説することを目的とはしません。むしろ、交通事業の現場で観察される、都市形成の現象を、歴史的に読み解いてみたい。そのための補助線として、これまで学んできた理論を、ときおり脇に置いて使う — そういう試みです。鉄道史でも、都市計画史でもありません。あえて言えば、交通事業者の視点から書く、都市形成論です。
話は、滋賀県の近江鉄道八日市線の沿線から始まります。筆者は、この沿線のまちづくりに関わるなかで、一つの、ささやかな、しかし拭いがたい違和感に出会いました。ある駅の駅前が、市街化調整区域であり、しかも農業振興地域に指定されていたのです。
交通事業者の素朴な感覚からすれば、これは奇妙なことです。駅前といえば、ふつう、その地域で最も人が集まり、最も土地が活用される場所のはずです。商店が並び、住宅が建ち、人々が行き交う。それが、私たちが「駅前」という言葉に抱く、当たり前のイメージです。ところが、目の前の駅前は、開発を抑制すべき区域とされ、田畑として守るべき土地とされていました。駅があるのに、開発されていない。いや、開発しないことになっている。[図1]に示したのは、まさにこうした状況を象徴する都市計画図です。駅の周辺が調整区域となっている様子が見てとれます。
「駅前なのに、なぜ開発されていないのか」。この問いは、一見すると、たんなる制度上の矛盾、あるいは行政の縦割りの産物のようにも見えます。実際、そうした側面もあるでしょう。しかし、筆者がこの問いを抱えて都市形成の歴史を調べ始めると、それは思いがけず、交通と都市が織りなしてきた、長い歴史全体へとつながっていきました。なぜ、ある駅前は栄え、ある駅前は田んぼのままなのか。なぜ、日本の私鉄は、沿線に街をつくることができたのか。そして、なぜアメリカでは、かつて隆盛をきわめた郊外鉄道が、跡形もなく消えてしまったのか。これらの問いは、すべて根を一つにしている — 筆者は、調べを進めるうちに、そう考えるようになりました。
本稿は、その思索の道のりを、皆さんと共有する試みです。交通インフラが、どのように都市の形成を促し、その後、どのように都市と相互に支え合う関係を築いてきたのか。そして、人口減少という新しい時代に、交通事業者の役割は、どう変わろうとしているのか。最後には、ふたたび八日市線の、あの駅前の田んぼに戻ってきたいと思います。遠回りに見えるかもしれませんが、しばし、おつきあいください。
開拓と交通
鉄道が都市を追いかけたのか、都市が鉄道を追いかけたのか
まず、一枚の地図から始めましょう。[図2]は、1900年(明治33年)の時点で存在した鉄道駅を黒い点で、そして2020年の人口集中地区(DID、Densely Inhabited District)を淡い色で重ね合わせたものです。人口集中地区とは、人口密度の高い市街地を、統計的に定義したものだと考えてください。要するに、現在、人々が密集して暮らしている場所です。
この地図を眺めると、一つの傾向が、ぼんやりと、しかし確かに浮かび上がってきます。120年前の鉄道駅があった場所と、現在の市街地とが、かなりの程度、重なっているのです。もちろん、完全に一致するわけではありません。明治期には鉄道が通らなかった地域が、その後発展した例もありますし、逆もあります。しかし、大づかみに言えば、「古い鉄道駅のあったところに、いまの街がある」という関係が、見てとれます。
もう一枚、別の角度からの図を見てみましょう。[図3]は、中部地方の夜間光の分布と、鉄道網とを重ね合わせたものです。夜間光、つまり夜に地表から放たれる光の強さは、しばしば、経済活動や人口集積の代理指標として用いられます。明るいところには、人が住み、活動している。この図を見ると、明るく輝く光の帯が、鉄道路線に沿って、まるで川の流れのように伸びている様子が、印象的に浮かび上がります。[図4]の全国図でも、列島の骨格をなす光の連なりが、鉄道網の形と響き合っているのが見てとれるでしょう。
さて、ここで慎重にならなければなりません。これらの図は、何を語っているのでしょうか。一つの解釈は、「鉄道が、都市をつくった」というものです。鉄道が敷かれ、駅ができたところに、人が集まり、街が形成された。もう一つの解釈は、「鉄道が、都市を追いかけた」というものです。すでに人が集まっていたところ、栄えていたところに、鉄道が後から敷かれた。
実際には、この二つは、どちらか一方が正しいというものではありません。歴史的には、その両方が、地域によって、時代によって、混在してきたと考えるのが、おそらく正確です。既存の城下町や宿場町を結んで鉄道が敷かれた例もあれば、何もなかった土地に鉄道が通り、そこから街が生まれた例もあります。研究の世界でも、鉄道と都市の因果関係をめぐっては、慎重な議論が積み重ねられてきました。ですから、本稿は「鉄道が都市をつくった」と単純に断定することは控えます。
しかし、それでもなお、これらの図が示唆する一つの観察は、記憶にとどめておく価値があります。それは、「鉄道が都市を追いかけたというより、むしろ鉄道沿線に都市が形成されていったように見える」という、現場の感覚に近い観察です。とりわけ、後で詳しく見る私鉄や郊外電車の歴史を考えると、この観察は、無視できない重みをもってきます。鉄道事業者が、自ら沿線に街をつくっていった事例が、確かに存在するからです。本稿は、この観察を出発点として、交通と都市の相互の関係を、歴史のなかにたどっていきたいと思います。
開拓の手段としての鉄道
鉄道が、既存の都市を結ぶだけでなく、新しい都市形成の起点となった — このことが、最も鮮やかに見てとれるのが、開拓の歴史です。
その典型が、北海道です。明治政府は、北海道の開拓を国家的な事業として進めましたが、その大動脈となったのが鉄道でした。幌内鉄道に始まる北海道の鉄道網は、石炭の輸送という資源開発の目的とともに、内陸部への人と物の流れをつくりだしました。鉄道が通り、駅が置かれたところに、開拓の拠点となる集落が生まれ、それが都市へと育っていく。北海道の多くの都市は、こうして鉄道とともに形成されていきました。札幌をはじめとする道内の主要都市の発展は、鉄道網の展開と、分かちがたく結びついています。
同じような現象は、東北地方、信越地方、あるいは山陰地方といった、それまで大規模な都市集積の乏しかった地域でも、程度の差はあれ、見られました。鉄道が、人々がまばらに暮らしていた地域に通され、その沿線に、新しい人の流れと、経済の集積が生まれていく。鉄道は、たんなる輸送の手段ではなく、地域を開発し、都市を生み出すための、いわば触媒として機能したのです。
ここで重要なのは、鉄道が、すでにあるものを結んだのではなく、これからつくられるべきものの、起点となったという点です。筆者の見るところ、この「開拓としての鉄道」という発想は、後に日本の私鉄が確立する、沿線開発のビジネスモデルの、いわば原型をなしています。何もないところに鉄道を通し、そこに都市を生み出す。この発想を、国家の開拓事業ではなく、民間の企業活動として展開したとき、日本独特の私鉄モデルが生まれてくるのです。その話に進む前に、もう一人、興味深い人物に触れておきましょう。
雨宮敬次郎と殖産興業の鉄道
明治期の鉄道をめぐる人物のなかに、雨宮敬次郎という、いささか型破りな実業家がいます。「天下の雨敬」とも称された彼は、株式投資で財をなし、その資金を、各地の鉄道事業へと注ぎ込みました。軽便鉄道を中心に、全国で多くの鉄道の建設に関わり、「鉄道王」とも呼ばれた人物です。
雨宮の鉄道事業には、たんに儲かるから鉄道をつくる、という以上の発想がありました。彼は、アメリカの鉄道のあり方に強い関心を抱き、視察にも出かけています。当時のアメリカは、後で詳しく見るように、鉄道が国土開発の最前線を担い、鉄道会社が土地の開発と一体となって事業を進める、という独特のモデルを発展させていました。雨宮が、そうしたアメリカ型の発想に、どこまで影響を受けたのかを正確に測ることは難しいのですが、彼の事業に、地方の開発と殖産興業を、鉄道を通じて推し進めようとする志向があったことは、見てとれます。
筆者がここで雨宮を取り上げたいのは、彼を英雄として描きたいからではありません。むしろ、明治期の日本において、すでに「鉄道を、地域開発と産業振興の手段として捉える」という発想が、民間の実業家のなかに芽生えていた、という事実に注目したいのです。鉄道は、点と点を結ぶ線であると同時に、その沿線に経済活動を呼び込み、地域を豊かにする装置でもある。この発想は、その後の日本の鉄道事業の、一つの底流をなしていきます。そして、この発想を、最も洗練された形で参照すべきモデルが、太平洋の向こうにありました。アメリカです。
開発と交通
アメリカが生んだ、交通と都市開発のモデル
19世紀のアメリカは、鉄道と都市開発が一体となった、壮大な実験場でした。その仕組みを理解することは、日本の私鉄モデルの独自性を理解する上でも、そして後で論じる日米の分岐を理解する上でも、欠かせません。
大陸横断鉄道と土地付与
アメリカの鉄道開発を特徴づけたのが、土地付与(land grant)という政策でした。これは、政府が、鉄道会社に対して、路線の沿線の広大な土地を、無償または安価で与えるという仕組みです。1862年の太平洋鉄道法などを通じて、大陸横断鉄道の建設に際し、鉄道会社には、線路の両側に、膨大な面積の公有地が付与されました。
なぜ、こうした政策がとられたのでしょうか。当時のアメリカ西部は、広大な未開の土地が広がるばかりで、人口もまばらでした。鉄道会社からすれば、そんなところに鉄道を通しても、すぐに利益が出るわけではありません。しかし、もし沿線の土地を手に入れられるなら、話は別です。鉄道を通し、その沿線に人を呼び込み、土地の価値を高めて売却すれば、大きな利益が得られる。政府からすれば、民間の資本を使って西部の開発を進められる。両者の利害が、ここで一致したのです。
鉄道会社による都市づくり
この仕組みのもとで、アメリカの鉄道会社は、たんなる運輸業者ではなく、土地開発業者、そして都市の創造者となっていきました。鉄道会社は、沿線の土地に、新しい町を計画的に配置していきました。駅を置き、その周辺に街区を区画し、入植者や事業者を誘致する。鉄道沿いに、いわば人工的に、都市が次々と生み出されていったのです。
ここには、明確な経済的な論理があります。鉄道会社の収益は、運賃収入だけではありません。むしろ、沿線の土地を開発し、その価値を高めることから得られる利益が、決定的に重要でした。鉄道を通すこと自体が、沿線の土地の価値を押し上げる。その値上がり益を、鉄道会社が獲得する。この、輸送事業と土地開発事業を結びつける発想こそが、アメリカ型の鉄道モデルの核心でした。筆者の見るところ、この「鉄道が沿線の土地価値を生み出し、それを事業者が回収する」という発想は、形を変えながら、日本の私鉄にも、そして現代の交通事業者の課題にも、通じていく重要な論理です。本稿の後半で論じる「回廊価値マネジメント」という考え方の、いわば源流が、ここにあります。
路面電車郊外 ― 電力・電車・不動産の結合
アメリカの交通と都市の関係を考える上で、本稿が最も重視したいのが、路面電車郊外(streetcar suburb)という現象です。これは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカの都市の周縁部に広がった、路面電車に依存した新しい郊外住宅地のことです。歴史家サム・バス・ウォーナーが、ボストンを事例に克明に描き出したこの現象は、交通が都市の形を直接につくりだした、最も鮮やかな実例といえます。
三つの事業の垂直統合
路面電車郊外を生み出した仕組みの核心にあったのが、三つの事業の結合 — 垂直統合 — でした。すなわち、電力会社、路面電車会社、そして不動産会社の結合です。
その論理は、こうです。当時、路面電車を動かすには、電力が必要でした。そして、電力会社にとって、路面電車は、電力の大口の需要家です。さらに、路面電車を郊外へと延ばせば、それまで何もなかった土地に、人々が通えるようになります。すると、その土地は、住宅地としての価値をもちはじめます。そこで、路面電車会社、あるいはその背後の事業家は、あらかじめ郊外の安い土地を買っておき、そこに路面電車を通し、住宅地として開発して分譲する。土地は値上がりし、その利益を得られる。同時に、そこに住む人々は、路面電車の乗客となり、運賃収入をもたらす。そして、その人々が使う電気は、電力会社の収益となる。
電力・交通・不動産が、一つの事業体、あるいは緊密に結びついた事業群として統合されることで、それぞれが互いを支え合い、利益を生み出す。この垂直統合の仕組みが、路面電車郊外を、爆発的に拡大させる原動力となりました。事業家にとって、郊外に電車を延ばすことは、運賃を稼ぐためというより、沿線の土地を売るための手段だった、という側面すらあったのです。
星型に伸びる市街地
路面電車郊外が生み出した都市の形には、はっきりとした特徴がありました。それは、星型(star-shaped)、あるいは指状(finger-like)とも呼ばれる、放射状に広がった市街地です。
なぜ、そうなるのか。路面電車は、決められた軌道の上を走ります。人々は、その電車に乗って都心へ通うわけですから、住宅地は、電車の路線沿いに、そして電停(停留所)から歩いて行ける範囲に、形成されていきます。路線から離れた場所は、電車が使えないため、開発されにくい。結果として、市街地は、都心から路面電車の路線に沿って、いくつもの腕を伸ばすように広がっていきます。路線と路線のあいだの、電車の届かない場所は、開発から取り残され、緑地や農地のまま残る。都市全体を上空から見れば、中心から放射状に腕を伸ばした、星のような、あるいは広げた指のような形になる。これが、路面電車が都市に刻んだ、独特の形態でした。
歩いて暮らせる都市構造
もう一つ、路面電車郊外の重要な特徴は、それが、徒歩を前提とした都市構造だったということです。人々は、自宅から電停まで歩き、電車に乗り、降りた先でも歩く。ですから、住宅地は電停の徒歩圏に、商店は電停の周辺に集まりました。電停を中心とした、歩いて暮らせる範囲 — いわば駅勢圏 — が、生活の単位となっていたのです。自動車が普及する以前のこの時代、都市は、人間の足の速度を基準に、できあがっていました。
TODとの関係 ― 慎重に
ここまで読まれた読者のなかには、「これは、いまで言うTOD(公共交通指向型開発)ではないか」と感じた方もいるでしょう。公共交通を中心に据え、徒歩圏に生活機能を集め、沿線を開発し、用途を混在させる。確かに、路面電車郊外は、こうした特徴を備えていました。
ただし、ここは慎重に言葉を選びたいと思います。路面電車郊外が「TODそのものだった」と言うのは、適切ではありません。TODという概念は、第10稿で論じたように、20世紀の後半、自動車社会への反省のなかから、ピーター・カルソープらによって明確に定式化されたものです。路面電車郊外は、そうした理論が存在する、はるか以前の現象です。当時の事業家たちは、「TODをやろう」と考えて電車を延ばしたわけではありません。彼らは、土地を売り、運賃を稼ぐという、事業上の論理にしたがって動いていました。その結果として、たまたま、後の世にTODと呼ばれるものに近い、都市の形ができあがった。ですから、本稿としては、路面電車郊外は「TODに近い特徴をもっていた」と表現するにとどめます。理論が現象をつくったのではなく、現象が先にあり、理論が後からそれを捉えた — この順序を、見失わないようにしたいと思います。
トロリーパーク ― 週末の乗客を生み出す装置
路面電車会社の経営には、一つの悩みがありました。需要の偏りです。平日の朝夕は、通勤・通学の乗客で混み合いますが、休日には、その需要が落ち込んでしまう。せっかく敷いた路線も、車両も、休日には遊んでしまう。この遊休を、どう埋めるか。
ここで、アメリカの路面電車会社が編み出したのが、トロリーパーク(trolley park)という、実に巧妙な仕組みでした。これは、路面電車の路線の終点や沿線に、遊園地やレジャー施設を建設するというものです。電力会社が路面電車を運営していた場合、電気を使う遊園地は、電力の需要先としても好都合でした。週末に、人々が、この遊園地を目指して路面電車に乗る。すると、休日にも乗客が生まれ、路線が活用される。遊園地そのものの入場料収入も得られる。需要の谷を、自らつくりだした目的地によって埋めようとしたわけです。
この発想は、日本の読者には、馴染み深いものに感じられるはずです。日本の私鉄が、沿線に遊園地や行楽地を開発してきたことと、見事に重なるからです。宝塚や、各地の私鉄系の遊園地、行楽地は、まさに、休日の乗客を沿線に呼び込むための装置でした。トロリーパークと日本の私鉄遊園地は、「鉄道の需要を、自ら創出する」という、共通の発想に立っています。筆者の見るところ、これは偶然の一致ではなく、鉄道事業というものが本質的に抱える、需要創出への志向の、それぞれの土地での現れだったと考えられます。鉄道事業者は、たんに人を運ぶのではなく、人が乗りたくなる理由そのものを、沿線につくりだしてきたのです。
ターミナルデパート ― 駅と商業の結合
需要創出の発想は、行楽地だけにとどまりませんでした。もう一つの重要な形が、駅と百貨店の結合 — ターミナルデパートです。
鉄道のターミナル(終着駅)は、毎日、膨大な人が乗り降りする場所です。この、すでにそこにいる大量の人々に対して、何かを売ることができれば、これほど効率のよい商売はありません。そこで、ターミナルの駅舎そのものに、あるいは駅に直結して、百貨店を設けるという発想が生まれます。乗客は、電車を降りれば、そのまま買い物ができる。買い物のために、わざわざ電車に乗ってくる人も生まれる。駅と商業施設が、互いの集客力を高め合うのです。
この、ターミナルデパートという形態を、世界に先駆けて、洗練された形で確立したことで知られるのが、日本の阪急です。後で詳しく触れる小林一三が、大阪・梅田のターミナルに開いた百貨店は、鉄道のターミナルと百貨店を一体化させた、画期的な事業として、しばしば語られます。鉄道事業者が、自ら百貨店を経営し、駅という場所のもつ集客力を、商業の収益へと転換する。この発想は、その後の日本の私鉄経営の、一つの柱となっていきました。アメリカの路面電車やインターアーバンの周辺でも、駅と商業を結びつける試みは見られましたが、駅と百貨店を一体的に経営するという形を、ビジネスモデルとして確立した点に、日本の特徴があると、筆者は考えています。
住宅地に名前をつけるということ
鉄道会社による沿線開発を考える上で、見落とされがちですが、興味深いのが、住宅地のネーミングの問題です。
郊外に住宅地を開発し、分譲するということは、土地を商品として売る、ということです。そして、商品である以上、それには、魅力的なイメージが必要です。アメリカの路面電車郊外でも、開発業者は、新しい住宅地に、自然の豊かさや、上品な暮らしを連想させる名前をつけ、緑したたる理想の郊外生活を謳って、入居者を募りました。郊外住宅地は、たんなる土地ではなく、「こういう暮らし」というイメージとともに、商品化されていったのです。
この手法もまた、日本の私鉄沿線の住宅地開発と、強く響き合います。日本の私鉄は、沿線の住宅地に、上品で、文化的で、健康的な暮らしを連想させる名前を冠し、田園の理想郷というイメージを売りこんできました。沿線に良いイメージをまとわせることは、住宅地の価値を高めると同時に、その鉄道に乗って暮らすこと自体を、一つのステータスや、ライフスタイルとして、人々に印象づけました。鉄道会社は、土地を売っていたのであり、同時に、沿線で送る暮らしのイメージを売っていたのです。筆者の見るところ、これは現代のいわゆる「沿線ブランディング」の、はるかな源流といえます。
インターアーバン ― 都市と都市のあいだ
路面電車が都市の内部と近郊を結んだのに対し、より長い距離を、より高速で結んだのが、インターアーバン(interurban、都市間電車)でした。これは、都市と都市のあいだを、電車で結ぶ鉄道です。20世紀初頭のアメリカ、とりわけ中西部では、このインターアーバンの路線網が、急速に発達しました。
インターアーバンもまた、路面電車郊外と同じ論理を、より広い範囲で展開しました。都市間を結ぶ路線の沿線に、郊外住宅地を開発し、行楽地を設け、商業施設を呼び込む。インターアーバンの駅を中心に、新しい集落や、商業の集積が生まれていきました。電力・交通・不動産の結合という基本構造は、ここでも生きていました。
このインターアーバンの隆盛は、しかし、長くは続きませんでした。その急速な衰退こそが、後で論じる、日米の分岐を考える上での、重要な手がかりとなります。なぜ、これほど広がった都市間電車が、消えていったのか。その問いは、しばらく胸にとどめておいてください。先に、日本で何が起きたのかを見ておきましょう。
日本版電鉄モデルの成立 ― 模倣ではなく再構築
アメリカの交通と都市開発のモデルは、海を越えて、日本に大きな影響を与えました。しかし、ここで強調しておきたいのは、日本の私鉄が確立したモデルは、アメリカの単なる模倣ではなかった、ということです。それは、アメリカの発想を参照しながらも、日本の条件のなかで、独自に再構築された、別個のモデルでした。
小林一三という発明
その中心にいたのが、阪急の創業を導いた小林一三です。彼の事業構想は、しばしば日本の私鉄経営の原型として語られます。何もない郊外に鉄道を敷き、その沿線に住宅地を開発して分譲する。ターミナルには百貨店を構える。沿線には、宝塚に代表される行楽地や、文化施設を設ける。こうして、鉄道に乗る理由を、沿線に次々とつくりだしていく。
小林の構想の巧みさは、鉄道を、それ単独の運輸事業として捉えなかった点にあります。鉄道は、沿線という土地に、人々の暮らしと活動を呼び込むための、いわば背骨でした。その背骨に沿って、住宅、商業、行楽、文化といった、さまざまな事業を配置し、それらが互いの価値を高め合うように設計する。鉄道の運賃収入だけに頼るのではなく、沿線開発の全体から利益を得る。この発想は、アメリカの路面電車郊外の垂直統合と、確かに発想を共有しています。しかし小林は、それを、日本の都市の条件、土地の条件、そして人々の暮らしのなかで、独自に組み立て直したのです。
その他の電鉄経営者たち
こうしたモデルを発展させたのは、小林一人ではありません。根津嘉一郎は、東武をはじめとする多くの鉄道の経営に関わり、「鉄道王」と称されました。五島慶太は、東急を率い、沿線開発と、後には大規模な学園都市の構想などを通じて、独自の沿線経営を展開しました。彼らは、それぞれの個性と戦略をもって、鉄道を軸とした沿線経営のモデルを、磨き上げていきました。
ここで大切なのは、彼らを、アメリカモデルの輸入業者として描かないことです。彼らがやったのは、輸入ではなく、再発明でした。日本の私鉄モデルは、アメリカの発想という種子を、日本という土壌で育て、まったく独自の花を咲かせたものだ — そう捉えるのが、筆者には最も正確に思えます。そして、その独自性は、次に見る、事業の統合の幅広さにあらわれています。
日本の私鉄モデル ― 統合された生活産業
日本の私鉄が確立したモデルの最大の特徴は、その事業の統合の幅広さにあります。鉄道、住宅、百貨店、学校、観光、レジャー — これらを、一つの企業グループのもとに統合した、複合的な生活産業。これが、日本の私鉄モデルの姿です。
沿線を一つの生活圏として捉え、そこで人々が暮らし、働き、学び、買い物をし、遊ぶ。その一連の生活のすべてに、私鉄グループが関与する。朝、私鉄系のディベロッパーが開発した住宅地から、私鉄の電車に乗って通勤し、ターミナルの私鉄系百貨店で買い物をし、休日には私鉄系の行楽地に出かけ、子どもは私鉄が誘致に関わった学校に通う。沿線住民の生活が、まるごと、私鉄の事業圏のなかにある。これは、世界的に見ても、きわめて特異な事業モデルでした。
筆者がこのモデルを重視するのは、それが、交通事業者を、たんなる運輸業者から、都市そのものの形成主体へと変えたからです。私鉄は、電車を走らせていたのではありません。沿線という都市を、まるごと経営していたのです。第4稿で論じた成長機械論の言葉を、ここで補助線として借りるなら、私鉄は、沿線の土地の価値を高めることで利益を得る、強力な「成長連合」の中核そのものでした。ただし、本稿は、それを批判的に告発したいのではありません。むしろ、その事業の論理が、結果として、どのような都市の形を生んだのかを、見定めたいのです。そして、その形は、後で見るように、現代において新たな課題を抱えることにもなります。その前に、避けて通れない大きな問いに向き合わなければなりません。なぜ、アメリカと日本は、これほど違う道を歩んだのか、という問いです。
米国鉄道の滅亡と日本の存続
なぜアメリカと日本は分岐したのか
ここからが、本稿の最大の論点です。20世紀の初頭、アメリカと日本は、よく似た仕組み — 電力・交通・不動産を結合した、鉄道による都市開発 — を、それぞれに発展させていました。ところが、20世紀の半ばを過ぎると、両者は、まったく異なる姿になっていました。アメリカでは、路面電車もインターアーバンも、ほぼ完全に姿を消し、自動車中心の都市が広がりました。日本では、私鉄が、沿線開発の主体として生き残り、いまなお、鉄道を軸とした都市が機能しています。
この分岐は、なぜ起きたのでしょうか。これは、たいへん難しい問いであり、単一の原因で説明することはできません。複数の要因が、複雑に絡み合っています。ここでは、その主要な要因を、一つずつ、しかし単純化を避けながら、見ていきたいと思います。
大恐慌とインターアーバンの衰退
第一の要因は、1929年に始まる世界大恐慌です。インターアーバンの多くは、もともと、経営基盤が必ずしも盤石ではありませんでした。土地開発の利益を当て込んで建設された路線も多く、過剰な投資や、過当な競争を抱えていたものも少なくありませんでした。そこに、大恐慌が襲いかかります。経済の崩壊は、これらの脆弱な事業者に、深刻な打撃を与えました。多くのインターアーバンが、この時期に経営に行き詰まり、姿を消していきました。これは、日米の分岐の、一つの出発点となりました。
公益事業持株会社法という制度的転換点
第二の、そして筆者がとりわけ重要だと考える要因が、制度の変化です。なかでも、1935年に制定された、公益事業持株会社法(PUHCA、Public Utility Holding Company Act)が、決定的な意味をもちました。
この法律の背景を理解するには、当時のアメリカの電力業界の状況を知る必要があります。先に述べたように、アメリカでは、電力会社が、持株会社のもとで、路面電車などの交通事業や、その他のさまざまな事業を、傘下に収めていました。巨大な持株会社が、ピラミッド状に多くの事業を支配する構造です。しかし、こうした構造は、しばしば不透明で、複雑で、ときに投機的な金融操作の温床ともなっていました。大恐慌は、こうした持株会社の構造の危うさを、白日のもとにさらしました。
公益事業持株会社法は、こうした巨大な公益事業持株会社の構造を、規制し、解体することを目的としていました。その結果として、電力事業は、それ以外の事業から、切り離されていく方向へと向かいました。ここで重要なのは、この法律が、電力・交通・不動産を結びつけてきた、あの垂直統合の構造に、制度的な楔を打ち込んだ、という点です。電力会社が、交通事業を傘下に抱え続けることが、難しくなっていったのです。路面電車郊外を生み出した、あの三位一体の仕組みの、一つの結節点が、制度によって断ち切られていきました。
筆者の見るところ、このPUHCAは、日米の分岐を考える上で、見過ごすことのできない、制度的な転換点です。日本の私鉄モデルを支えた垂直統合が、アメリカでは、こうして制度的に解体される方向へと進んだ。この対比は、後で日本の事例と比べたとき、いっそう際立ってきます。
独占禁止政策という背景
PUHCAの背後には、より広く、アメリカの独占禁止政策の伝統があります。アメリカは、19世紀末以来、巨大企業による市場の独占や、過度な事業の集中に対して、警戒的な姿勢をとってきました。シャーマン法に始まる反トラスト(独占禁止)の法体系は、特定の企業が、複数の事業を垂直に統合し、市場を支配することに、しばしば批判的でした。
電力・交通・不動産の垂直統合は、まさに、こうした独占禁止政策が問題視しうる構造でした。一つの事業体が、地域のインフラと、その上での暮らしを、まるごと支配する。それは、効率的である一方で、独占の弊害を生みうる。アメリカの制度は、効率よりも、競争と分散を重んじる方向へと、繰り返し作用してきました。その帰結として、日本の私鉄が当然のように営んできた、鉄道と不動産と商業の一体経営は、アメリカでは、制度的に育ちにくかった。これを、日米の鉄道の明暗を分けた、重要な制度要因の一つとして、本稿は捉えます。
ただし、ここで単純化は避けなければなりません。独占禁止政策が、すべてを決めたわけではありません。アメリカの郊外鉄道の衰退には、後で見る自動車の普及や、人々の選好の変化など、多くの要因が複合的に働きました。制度は、その複合のなかの、重要な一つの要素であって、唯一の原因ではない。この点は、強調しておきたいと思います。
ナショナル・シティ・ラインズ問題 ― 陰謀論を排して
アメリカの路面電車の衰退を語るとき、しばしば持ち出されるのが、ナショナル・シティ・ラインズ(National City Lines)をめぐる話です。これは、自動車・石油・タイヤ業界の関係する企業が出資した持株会社が、各地の路面電車会社を買収し、それをバス路線へと転換していった、という出来事です。この事実をめぐって、「自動車業界が、利益のために、意図的に路面電車を潰した」という、いわゆる陰謀論が、根強く語られてきました。
しかし、本稿は、この出来事を、陰謀論として描くことを、はっきりと拒否します。確かに、関係企業が、独占禁止法に関わる裁判で有罪となった事実はあります。バスへの転換が、特定の業界の利害と無関係だったとは言えないでしょう。しかし、研究史を踏まえれば、路面電車の衰退を、この一つの出来事だけで説明することは、できません。
路面電車は、ナショナル・シティ・ラインズが関与する以前から、すでに各地で衰退の兆しを見せていました。その背景には、自動車の普及、道路の整備、人々の郊外へのさらなる拡散、路面電車事業そのものの採算の悪化、運賃規制による経営の圧迫など、実に多くの要因がありました。ナショナル・シティ・ラインズの買収は、すでに進行していた衰退の流れの、一つの要素ではあっても、その原因のすべてではありません。むしろ、衰退しつつあった事業を、買収して転換した、という側面が強い。
筆者がここで強調したいのは、歴史を、単純な悪役と犠牲者の物語として描くことの危うさです。路面電車の衰退は、特定の誰かの陰謀の結果ではなく、技術、経済、制度、人々の選好といった、複数の要因が織りなした、複雑な現象でした。この複雑さを、複雑なまま捉えることが、交通と都市の歴史を、正しく理解する上で、欠かせないと考えます。
高速道路の時代へ
そして、決定的だったのが、自動車と高速道路の時代の到来です。20世紀の半ば、アメリカは、本格的な自動車社会へと移行していきました。連邦政府による大規模な高速道路網の建設は、自動車での移動を、圧倒的に便利なものにしました。人々は、鉄道や路面電車ではなく、自家用車で移動するようになり、都市は、自動車を前提とした、低密度に拡散した形へと、つくり変えられていきました。第10稿で論じた、自動車都市の成立です。
路面電車が刻んだ、あの星型の都市は、自動車の時代に、星と星のあいだの空白を埋められ、面的に広がる、のっぺりとした郊外へと変貌していきました。徒歩と電車を前提とした都市構造は、自動車を前提とした都市構造へと、置き換えられていったのです。こうして、アメリカの交通と都市の関係は、鉄道の時代から、自動車の時代へと、大きく舵を切りました。では、同じ時代、日本では何が起きていたのでしょうか。
日本では何が起きたのか ― 維持された不動産事業
日本もまた、20世紀の半ばに、大きな制度の変化を経験しました。とりわけ、電力をめぐる再編は、重要です。戦時下の統制経済のもとで、日本の電力事業は、国家的な管理のもとに再編され、私鉄が電力事業を兼営する構造は、整理されていきました。電力は、鉄道事業から、分離されたのです。
ここまでは、アメリカと、ある意味で似た方向です。電力と交通の分離。しかし、決定的な違いが、ここにありました。日本では、電力こそ分離されたものの、私鉄による不動産事業、すなわち沿線開発の事業は、維持されたのです。私鉄は、電力事業を手放しても、鉄道と不動産と商業を結びつける、あの統合モデルの中核を、保ち続けることができました。
これが、日米の分岐の、決定的な要因の一つだと、筆者は考えます。アメリカでは、独占禁止政策やPUHCAを通じて、電力・交通・不動産の結合そのものが、解体される方向へと進みました。一方、日本では、電力の分離は起きたものの、交通と不動産の結合は、解体されませんでした。鉄道事業者が、沿線の土地を開発し、その価値を高め、そこから利益を得るという、私鉄モデルの核心が、制度的に温存されたのです。
この違いが、その後の両国の都市の姿を、大きく分けました。アメリカでは、鉄道による都市形成のエンジンが、制度的に止められ、自動車がそれに取って代わりました。日本では、鉄道による都市形成のエンジンが、生き続けました。同じような仕組みから出発しながら、制度の選択の違いが、半世紀後には、まったく異なる都市の風景を生み出した。これは、制度というものが、都市の形にいかに深く関わるかを示す、興味深い事例だと、筆者は感じています。
鉄道都市としての日本
こうして、鉄道による都市形成のエンジンを保ち続けた日本は、世界でも稀な、鉄道を軸とした大都市圏を発展させていきました。
私鉄は、戦後も、沿線開発を続けました。郊外に住宅地を開発し、ターミナルに商業を集め、沿線に多様な事業を展開する。この営みが、大都市圏の拡大とともに、繰り返されていきました。さらに、戦後の日本の大都市圏では、地下鉄の整備と、私鉄・地下鉄・JRの相互直通運転が進みました。郊外の私鉄が、都心の地下鉄に乗り入れ、さらに反対側の私鉄へと直通する。これによって、郊外の住宅地から、都心を貫いて、反対側の郊外まで、乗り換えなしで結ばれる、広大な鉄道ネットワークが形成されました。広域の都市圏が、鉄道網によって、一つに編み上げられていったのです。
「日本はTODを発明した」とは言わない
この、鉄道を軸とした日本の都市の姿を見て、「日本は、TODを発明していたのだ」と言いたくなる気持ちは、よく分かります。公共交通を中心に据え、駅を中心に高密度の市街地を形成し、沿線に多様な機能を配置する。これは、TODが理想とする都市の姿に、確かに近い。
しかし、ここでも、路面電車郊外について述べたのと同じ、慎重さが必要です。本稿は、「日本はTODを発明した」とは言いません。日本の私鉄や行政が、TODという理論を掲げて、意図的にこの都市をつくったわけではないからです。彼らは、それぞれの時代の、事業上の論理、政策上の論理にしたがって動いてきました。その結果として、後の世にTODと呼ばれる都市の姿に近いものが、できあがった。ですから、本稿は、「結果として、TODに近い都市形成が行われていた」と、慎重に記述するにとどめます。日本の鉄道都市は、TODの理論的な実践というより、事業と制度の積み重ねが生んだ、歴史的な産物なのです。この区別は、たんなる言葉の問題ではありません。理論が現象を生んだのか、現象が先にあったのかを取り違えると、これからの都市づくりの方向を、見誤ることになるからです。
成熟・人口減少期と交通
都市形成から回廊経営へ ― 時代の転換
ここまで、人口が増え続けた時代の、交通と都市の物語を見てきました。その時代、交通事業者の役割は、明快でした。増え続ける人口を、沿線に受け止め、住宅を供給し、新しい都市を形成すること。鉄道を延ばし、街をつくることが、そのまま事業の成長につながる。それが、人口増加時代の、交通事業者の基本的な役割でした。
しかし、いま、私たちは、まったく異なる時代に立っています。人口減少です。第11稿でも論じたように、日本は、人口が減少し、高齢化が進む社会へと移行しました。この変化は、交通事業者の役割を、根本から問い直すことを迫っています。
新しい都市を開発する時代から、既存の都市を維持し、再生する時代へ。これが、いま起きている、大きな転換です。かつて、何もないところに鉄道を延ばし、街をつくった事業者は、いまや、すでにつくった街を、いかに維持し、再生していくか、という課題に直面しています。沿線に、もうこれ以上、新しい住宅地を開発する必要はない。むしろ、かつて開発した住宅地が、高齢化し、空き家を抱え、活力を失っていく。その既存の沿線を、どう支えていくか。交通事業者の役割は、都市を「つくる」ことから、都市の「価値を保つ」ことへと、重心を移しつつあるのです。以下では、この新しい時代の、いくつかの試みを見ていきましょう。
相鉄に見る「成功した郊外」の課題
この転換を、具体的に考えるために、まず、相鉄(相模鉄道)の沿線を取り上げてみましょう。相鉄は、横浜を起点に、沿線に住宅地を開発し、人口を受け止めてきた、私鉄モデルの典型的な担い手の一つです。その沿線開発は、戦後の大都市圏の拡大のなかで、大きな成功を収めました。
ところが、いま、その「成功した郊外」が、新たな課題に直面しています。かつて、若い世代が、新しい住宅地を求めて移り住んだ沿線は、時を経て、住民が一斉に高齢化する局面を迎えています。いわゆるオールドタウン問題です。同じ時期に、同じような世代が入居した住宅地は、同じ時期に、一斉に高齢化します。子どもたちは独立して都心へ出ていき、残された高齢の世代だけが暮らす。空き家が増え、地域の活力が失われていく。かつての成功が、いまの課題を生んでいるのです。
筆者が、この相鉄の事例を重視するのは、それが、日本の私鉄モデルの、いわば成功の代償を、鮮やかに示しているからです。沿線に都市を形成するという、あの輝かしい事業は、人口が増え続けるという前提のもとで、最大の力を発揮しました。しかし、その前提が崩れたとき、かつて生み出した都市そのものが、維持・再生の対象へと変わる。都市形成の成功が、新たな課題を生んだ。この逆説のなかで、相鉄をはじめとする私鉄各社は、沿線住宅地の再生という、新しい事業へと、踏み出そうとしています。近年の相鉄が、沿線のイメージを刷新し、都心への直通運転によって沿線の魅力を高めようとしている動きも、こうした、既存沿線の価値を維持・向上させようとする試みの一環として、捉えることができるでしょう。
京急 newcal に見る、地域プラットフォームへの変化
もう一つ、別の方向からの試みとして、京急(京浜急行)の取り組みを見てみましょう。京急が近年展開している「newcal(ニューカル)」と呼ばれる取り組みは、交通事業者の役割の変化を、象徴的に示しています。
従来、交通事業者の事業は、鉄道の運営を中心に、それぞれが、ある程度独立して営まれてきました。鉄道は鉄道、商業は商業、観光は観光、というように。これに対して、newcalのような取り組みが目指しているのは、これらを横断的に結びつけ、沿線という地域を、一つのプラットフォームとして捉え直すことです。鉄道の運営、商業、観光、地域に根ざした事業、そして、住民どうしのつながりを育むコミュニティの形成 — こうしたものを、別々の事業としてではなく、沿線という場を支える、一体の営みとして結びつけていく。
筆者の見るところ、これは、私鉄モデルの、現代的な再定義の試みと見ることができます。かつての私鉄モデルは、沿線に住宅や商業や行楽地を「配置」することで、人々の暮らしを丸ごと囲い込みました。それに対して、newcalのような発想は、沿線の人々や事業を「つなぐ」ことで、地域全体の価値を高めようとします。配置から、接続へ。囲い込みから、プラットフォームへ。交通事業者が、地域のさまざまな活動を結びつける、いわば「場の運営者」へと変化していく。これは、人口減少時代の交通事業者が向かいつつある、一つの方向を示しています。そして、この「地域をつなぐことで沿線を支える」という発想は、海の向こうの、ある興味深い試みと、深く響き合います。英国のコミュニティレールです。
英国コミュニティレールの挑戦
英国には、コミュニティレール(Community Rail)と呼ばれる、独特の仕組みがあります。これは、地方のローカル線を、たんなる交通インフラとしてではなく、地域全体で支え、活用していくための、制度であり、運動です。日本の交通事業者が向かおうとしている方向を考える上で、たいへん示唆に富む事例ですので、やや詳しく紹介しましょう。
コミュニティレール・パートナーシップ
コミュニティレールの中核にあるのが、コミュニティレール・パートナーシップ(Community Rail Partnership、CRP)という仕組みです。これは、一つの路線や地域を舞台に、さまざまな主体が連携して、その路線と沿線の価値を高めていく、協働の枠組みです。
そこに参加するのは、地域の住民、自治体、鉄道事業者、学校、NPO、地域の企業など、実に多様な顔ぶれです。彼らが、それぞれの立場から、路線を支え、活用するために、力を合わせます。駅の花壇を住民が世話し、地域の物産を駅で売り、学校が鉄道を使った学習を行い、地域の祭りに合わせて利用を促す。こうした、地に足のついた、無数の小さな取り組みの積み重ねが、ローカル線を、地域に欠かせない存在として、支えていくのです。
交通政策を超えて
ここで重要なのは、コミュニティレールが、たんなる交通政策の枠を、大きく超えている、という点です。それは、地域づくり、観光振興、教育、福祉、まちづくりといった、幅広い領域を包み込んでいます。鉄道を、地域のさまざまな活動の、結節点として活用する。駅を、たんに電車に乗る場所ではなく、地域のコミュニティの拠点として、再生する。鉄道を軸に、地域の暮らし全体を、豊かにしていこうとする。これが、コミュニティレールの発想です。
双方向の発想 ― 支え、支えられる
そして、筆者が、コミュニティレールから最も学ぶべきだと考えるのが、その双方向の発想です。すなわち、「鉄道を支えるために、地域を活性化する」と同時に、「地域を支えるために、鉄道を活用する」という、二つの方向が、分かちがたく結びついている点です。
ローカル線は、それ単独では、採算をとることが難しい。だからこそ、地域に活力を呼び込み、利用を増やすことで、鉄道を支える必要がある。しかし同時に、鉄道は、地域にとって、たんなる移動手段以上のものです。それは、地域のアイデンティティであり、人々をつなぐ絆であり、外から人を呼び込む観光資源でもある。だから、その鉄道を活用することが、地域そのものを支えることにつながる。鉄道と地域は、一方が他方を支えるという、一方通行の関係ではありません。互いが互いを支え合う、双方向の関係にあるのです。この双方向性こそが、本稿が最後にたどり着く、「エコシステム」という見方の、核心をなします。
回廊価値マネジメントという考え方
ここまでの議論を、整理してみましょう。アメリカの路面電車郊外から、日本の私鉄モデル、そして相鉄や京急の現代の試み、さらに英国のコミュニティレールまで、私たちは、交通と都市の、長い関係をたどってきました。これらを貫いて見えてくるのは、交通事業者の役割が、大きく変化しつつある、ということです。
かつて、そして基本的にはいまも、交通事業者は、線路を敷き、駅を置き、列車を走らせる存在です。それは、交通事業の、揺るがぬ本質です。しかし、本稿がたどってきた歴史が示すのは、交通事業者が、それだけにとどまらない存在であり続けてきた、ということです。私鉄は、沿線という都市を、まるごと経営してきました。そしていま、人口減少の時代に、その役割は、沿線全体の価値を、維持し、向上させる、という方向へと、いっそう深化しようとしています。
筆者は、この、交通事業者の新しい役割を、「回廊価値マネジメント」と呼びたいと思います。回廊(コリドー)とは、鉄道路線とその沿線が一体となった、帯状の地域を指す言葉です。交通事業者は、たんに列車を運行する「運輸業者」ではなく、この回廊全体の価値を、住民や行政や地域の事業者とともに、維持し、高めていく、「回廊マネージャー」へと、変わりつつある。線路の上だけでなく、線路の両側に広がる地域の暮らし全体に、責任と関心をもつ存在へ。これが、本稿が、現代の交通事業者に見いだす、新しい姿です。
この見方に立つと、相鉄の沿線再生も、京急のnewcalも、英国のコミュニティレールも、一つの線でつながってきます。それらはいずれも、回廊の価値を、いかに維持し、高めるか、という共通の課題への、それぞれの応答なのです。第11稿で触れた、レジリエンスや、エリアマネジメントといった考え方も、この回廊価値マネジメントを支える、補助線として生きてきます。沿線という回廊を、変化に強く、しなやかに維持していくこと。それは、まさに、危機の時代の都市を考えることと、地続きなのです。
日本の民鉄モデルは、ふたたび輸出できるのか
ここで、一つの問いを立ててみましょう。戦前から続いてきた、日本の民鉄モデル — 鉄道を軸に、不動産、商業、教育、観光、地域経営を統合する、あのモデル — は、世界でも稀な、独自の発明でした。このモデルは、これからの時代に、どのような意味をもつのでしょうか。ふたたび、世界に向けて、輸出できるものなのでしょうか。
かつて、日本の民鉄モデルは、急速に成長する都市に、鉄道を軸とした秩序ある拡大をもたらすモデルとして、注目されてきました。実際、アジアの成長する諸都市に対して、日本の鉄道と都市開発を一体で展開するノウハウは、一定の関心を集めてきました。これは、人口が増え、都市が拡大する局面での、民鉄モデルの価値です。
しかし、本稿が注目したいのは、別の可能性です。それは、人口減少という局面における、民鉄モデルの、新しい価値です。日本の民鉄は、いま、人口減少のなかで、既存の都市を維持し、再生し、沿線の価値を保つ、という課題に、世界に先駆けて取り組んでいます。相鉄のオールドタウン再生も、京急のnewcalも、その最前線の試みです。ここで蓄積される、既存都市の再生と、地域マネジメントのノウハウは、やがて、人口減少や成熟を迎える、世界の他の都市にとっても、貴重な参照先となるかもしれません。
つまり、民鉄モデルは、「都市をつくるモデル」としてではなく、「都市を支えるモデル」として、再評価されうるのではないか。新しい都市の開発ノウハウとしてではなく、既存の都市の地域マネジメントのノウハウとして。筆者は、ここに、日本の民鉄モデルの、新しい輸出可能性を見たいと思います。
そして、その際、英国のコミュニティレールとの比較が、示唆に富みます。日本の民鉄モデルが、企業主導の、統合された事業として発展してきたのに対し、英国のコミュニティレールは、地域の多様な主体の、協働として発展してきました。一方は、強力な事業者が、回廊を統合的に経営する。もう一方は、地域のさまざまな主体が、回廊を協働で支える。この二つは、対照的でありながら、どちらも、「鉄道と地域が、互いに支え合う」という、同じ理想に向かっています。日本の民鉄モデルが、これからの時代に学ぶべきは、おそらく、コミュニティレールがもつ、この協働の発想です。企業主導の統合に、地域協働の発想を、いかに接ぎ木するか。そこに、回廊価値マネジメントの、次の地平があるように、筆者には思えます。
結論 ― 交通と都市というエコシステム
長い道のりを、たどってきました。最後に、本稿が見てきたことを、結び合わせておきましょう。
鉄道は、都市をつくってきました。北海道の開拓から、アメリカの路面電車郊外、そして日本の私鉄沿線まで、交通インフラは、何もないところに、人の流れと、暮らしと、街を生み出してきました。そして同時に、都市は、鉄道を支えてきました。沿線に集まった人々が、乗客となり、鉄道事業を成り立たせてきたのです。鉄道が都市をつくり、都市が鉄道を支える。この相互の関係こそが、交通と都市の、長い歴史を貫く、基本的な構図でした。
そして、いま、私たちは、この関係の、新しい局面に立っています。人口減少の時代には、もはや、新しい都市を、際限なくつくり続けることはできません。代わりに、すでにある都市を、いかに維持し、再生し、その価値を保つか、が問われています。そのとき、交通事業者は、もはや、自らの力だけで、都市を支えることはできません。地域、行政、事業者、そして住民が、ともに、沿線の — 回廊の — 価値を支える時代へと、移りつつあります。英国のコミュニティレールや、日本の沿線再生、エリアマネジメントの試みは、まさに、この新しい関係性の、芽生えを示しています。
ここに至って、私たちは、交通と都市の関係を、一つの言葉で捉え直すことができます。それは、エコシステム(生態系)です。交通と都市は、たんなるインフラと土地利用の、機械的な関係ではありません。鉄道があるから街ができ、街があるから鉄道が成り立ち、その街と鉄道を、地域の人々が支え、その鉄道と街が、地域の暮らしを支える。すべての要素が、互いに依存し、互いを支え合う。それは、一方が他方を制御する関係ではなく、全体が、互いの関わりのなかで、生きて、変化していく、一つのエコシステムなのです。第12稿で論じた、都市を複雑なシステムとして捉える視座は、ここでも、静かに生きています。交通と都市は、設計図どおりに組み立てられる機械ではなく、互いに支え合いながら、ゆっくりと形を変えていく、生きたシステムなのです。
さて、ここで、最初の問いに戻りましょう。近江鉄道八日市線の、あの駅前の田んぼです。駅前なのに、市街化調整区域で、農業振興地域。「なぜ、開発されていないのか」。あの違和感から、私たちは、長い旅に出ました。
いま、あの駅前を、もう一度、眺めてみます。すると、あの田んぼは、たんなる制度の矛盾でも、行政の手抜かりでもないことが、見えてきます。それは、交通と都市が、どのような関係を結んできたか、あるいは、結んでこなかったか、ということの、一つの帰結なのです。アメリカでは、制度が、交通と都市の結合を解体しました。日本では、私鉄が、その結合を保ち、沿線に都市を生み出しました。しかし、すべての鉄道が、すべての駅前で、都市を生み出したわけではありません。地方の鉄道のなかには、沿線開発の事業を十分に展開できないまま、あるいは、行政の土地利用の方針と噛み合わないまま、駅前に都市を形成しきれなかった例も、数多くあります。八日市線の、あの駅前の田んぼは、交通と都市が、うまくエコシステムを結べなかった場所の、一つの姿なのかもしれません。
だとすれば、私たちが、これからなすべきことも、見えてきます。あの駅前の田んぼを、たんに惜しむのでも、責めるのでもなく、そこに、交通と都市の、新しいエコシステムを、いかに育てていくか。鉄道を、地域とともに、いかに支え、活かしていくか。それは、本稿がたどってきた、長い歴史の、まさに続きを書くことに、ほかなりません。駅前の田んぼという、ささやかな違和感から始まった問いは、こうして、交通と都市形成の歴史全体へとつながり、そして、私たち自身の、これからの課題へと、還ってきたのです。
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参考文献
本稿は、以下の文献に多くを負っています。交通と都市形成をめぐる古典的研究を中心に、可能な限り原典を示し、邦訳のあるものは併記しました。本稿は学術論文ではなく講演のための原稿ですが、記述の典拠を明らかにするため、主要な文献を掲げます。
英語文献
- Warner, S. B. (1962). Streetcar Suburbs: The Process of Growth in Boston, 1870–1900. Cambridge, MA: Harvard University Press.
- Jackson, K. T. (1985). Crabgrass Frontier: The Suburbanization of the United States. New York: Oxford University Press.
- Fishman, R. (1987). Bourgeois Utopias: The Rise and Fall of Suburbia. New York: Basic Books.
- Hilton, G. W., & Due, J. F. (1960). The Electric Interurban Railways in America. Stanford, CA: Stanford University Press.
- Rose, M. H. (1979). Interstate: Express Highway Politics, 1939–1989. Knoxville: University of Tennessee Press.
- Cervero, R. (1998). The Transit Metropolis: A Global Inquiry. Washington, D.C.: Island Press.
- Logan, J. R., & Molotch, H. L. (1987). Urban Fortunes: The Political Economy of Place. Berkeley: University of California Press.
- Hood, C. (1993). 722 Miles: The Building of the Subways and How They Transformed New York. New York: Simon & Schuster.
- Post, R. C. (2007). Urban Mass Transit: The Life Story of a Technology. Westport, CT: Greenwood Press.
- Hughes, T. P. (1983). Networks of Power: Electrification in Western Society, 1880–1930. Baltimore: Johns Hopkins University Press.
- Calthorpe, P. (1993). The Next American Metropolis: Ecology, Community, and the American Dream. New York: Princeton Architectural Press.
日本語文献
- 原武史 (2020). 『「民都」大阪対「帝都」東京 ― 思想としての関西私鉄』講談社.
- 老川慶喜 (2014). 『日本鉄道史 幕末・明治篇』中央公論新社.
- 老川慶喜 (2016). 『日本鉄道史 大正・昭和戦前篇』中央公論新社.
- 三宅俊彦・小林一三に関する諸研究、および 小林一三 (1953/復刻). 『逸翁自叙伝』。
- 和久田康雄 (2007). 『日本の私鉄』(各種版). 鉄道に関する基礎文献として.
- 武知京三 (1986). 『日本の地方鉄道網形成史』柏書房.
- 青木栄一 (2008). 『鉄道の地理学 ― 鉄道の成り立ちがわかる事典』WAVE出版.
- 矢島隆・家田仁 編著 (2014). 『鉄道が創りあげた世界都市・東京』計量計画研究所.
- 宇都宮浄人 (2015). 『地域再生の戦略 ― 「交通まちづくり」というアプローチ』筑摩書房.
- 宇都宮浄人 (2020). 『地域公共交通の統合的政策 ― 日欧比較からみえる新時代』東洋経済新報社.
※ 本稿は、交通事業者の視点から都市形成の歴史を読み解く試みであり、学術的な実証研究ではありません。「筆者の見るところ」等と明記した箇所は、筆者による解釈であり、各文献の主張そのものではありません。鉄道と都市形成の因果関係については研究上さまざまな議論があり、本稿の「鉄道沿線に都市が形成された」という観察は、一つの見方を示すものです。路面電車郊外や日本の私鉄沿線が「TODそのものだった」とは述べておらず、「TODに近い特徴をもっていた」「結果としてTODに近い都市形成が行われた」と記述しています。日米の分岐については、公益事業持株会社法(PUHCA)や独占禁止政策を重要な制度要因の一つとして挙げましたが、自動車の普及など複数の要因が複合した現象であり、単一の原因に帰すべきではありません。ナショナル・シティ・ラインズをめぐる出来事は、路面電車衰退の複数要因の一つであり、本稿は「自動車業界の陰謀」とする見方をとりません。掲げた事例(相鉄、京急newcal、英国コミュニティレール等)の評価は、成功と課題の両面を含む解釈であり、確定した評価ではありません。本文中の[図1]〜[図4]は、別途差し込む図版(八日市線周辺の都市計画図/1900年駅と2020年DIDの重なり/中部地方の夜間光と鉄道網/全国の鉄道網)を指します。各文献の議論はより複雑で多面的であり、引用に際しては原典を確認されることをお勧めします。
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年表 ― 交通と都市形成の系譜
- 1862年 ― (米)太平洋鉄道法。鉄道会社への土地付与により大陸横断鉄道と沿線都市開発が進む
- 1869年 ― (米)大陸横断鉄道が開通
- 1888年 ― (米)スプレイグが実用的な電車システムを確立し、路面電車が普及へ
- 1870〜1900年代 ― (米)路面電車郊外が拡大。電力・電車・不動産の垂直統合と星型市街地
- 1900年前後 ― (米)トロリーパークが各地に建設され、週末需要を創出
- 1900〜1920年代 ― (米)インターアーバン(都市間電車)が中西部を中心に隆盛
- 1929年 ― 世界大恐慌。経営基盤の弱いインターアーバンが打撃を受ける
- 1935年 ― (米)公益事業持株会社法(PUHCA)制定。電力と交通の垂直統合に楔
- 1936〜1950年代 ― (米)ナショナル・シティ・ラインズによる路面電車のバス転換(衰退の複数要因の一つ)
- 1956年 ― (米)連邦補助高速道路法。州間高速道路網の建設で自動車都市化が加速
- 1962年 ― ウォーナー『ストリートカー・サバーブズ』。路面電車郊外を実証的に描く
- 1985年 ― ジャクソン『クラブグラス・フロンティア』。アメリカ郊外化の通史
- (背景)1893年 ― アメリカ初期の遊園地・行楽地が鉄道沿線に発達
- (日本)1872年 ― 新橋〜横浜間に官設鉄道が開業
- (日本)明治期 ― 雨宮敬次郎ら、アメリカ型を参照しつつ各地で軽便鉄道・地方開発に関与
- (日本)1910年 ― 箕面有馬電気軌道(後の阪急)開業。小林一三が沿線開発モデルを構築
- (日本)1929年 ― 阪急がターミナルに百貨店を開業。鉄道と百貨店の一体経営
- (日本)戦時期 ― 電力国家管理により私鉄の電力兼営は整理されるが、不動産事業は維持
- (日本)戦後 ― 地下鉄整備と相互直通運転により広域鉄道都市圏が形成
- (日本)近年 ― 人口減少下で相鉄の沿線再生、京急newcal等、回廊価値マネジメントの試み
- (英)近年 ― コミュニティレール・パートナーシップが地域協働で沿線価値を高める
用語集
本稿および交通から見た都市形成論の理解に関連する主要な用語・人名・著作を示します(添付リストに既収載の用語、および前稿までで扱った用語は除外)。形式は「英語, 用語(英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合): 解説」です。
理論・概念
- Land Grant, 土地付与: 政府が鉄道会社に沿線の公有地を無償・安価で与え、鉄道建設と沿線開発を一体で促した米国の政策。
- Star-shaped City, 星型市街地, , , : 路面電車路線に沿って都心から放射状に市街地が伸び、都市全体が星形・指状に拡大した形態。
- Streetcar Suburb Vertical Integration, 路面電車郊外の垂直統合: 電力会社・路面電車会社・不動産会社を一体化し、運賃・電力需要・土地値上がり益を相互に支え合わせた事業構造。
- Terminal Department Store, ターミナルデパート: 鉄道のターミナル駅に百貨店を一体的に設け、駅の集客力を商業収益へ転換する事業形態。日本で洗練された。
- Corridor Value Management, 回廊価値マネジメント: 交通事業者が線路・駅・列車の運営を超え、沿線(回廊)全体の価値を住民・行政等とともに維持・向上させる考え方。本稿の中心概念。
- Corridor Manager, 回廊マネージャー: 運輸業者にとどまらず、回廊全体の価値を担う存在として再定義された交通事業者像。
- Oldtown Problem, オールドタウン問題: 同時期に入居した郊外住宅地が一斉に高齢化し、空き家増加と地域活力の低下を招く現象。
- Community Rail Partnership, コミュニティレール・パートナーシップ, , , CRP: 住民・自治体・鉄道事業者・学校・NPO・地域企業が連携し、路線と沿線の価値を高める英国の協働枠組み。
- Reverse TOD, 逆TOD: 公共交通の駅前が開発抑制区域となり、TODの理念と逆行した土地利用となっている状態を指す説明上の呼称(本稿の図版に由来)。
人名
- Kenneth Jackson, ケネス・ジャクソン: アメリカ郊外化の通史『クラブグラス・フロンティア』を著した歴史家。
- Robert Fishman, ロバート・フィッシュマン: 郊外という理想の興亡を論じた『ブルジョワ・ユートピア』の著者。
- Mark Rose, マーク・ローズ: アメリカの高速道路政策史を論じた歴史家。
- Thomas P. Hughes, トマス・ヒューズ: 電力システムの社会史『ネットワークス・オブ・パワー』を著した技術史家。
- Frank J. Sprague, フランク・スプレイグ: 実用的な電車推進システムを確立し、路面電車普及の技術的基礎を築いた発明家。
- 五島慶太: 東急を率い、沿線開発と学園都市構想など独自の沿線経営を展開した実業家。
著作
- Streetcar Suburbs, 『ストリートカー・サバーブズ』: ウォーナーがボストンを事例に路面電車郊外の形成過程を描いた古典(1962年)。
- Crabgrass Frontier, 『クラブグラス・フロンティア』: ジャクソンによるアメリカ郊外化の通史(1985年)。
- Bourgeois Utopias, 『ブルジョワ・ユートピア』: フィッシュマンによる郊外という理想の興亡を論じた著作(1987年)。
- The Electric Interurban Railways in America, 『アメリカの電気インターアーバン鉄道』: ヒルトンとデューによるインターアーバンの代表的研究。
- The Transit Metropolis, 『トランジット・メトロポリス』: サーベロが世界の公共交通都市を比較した著作(1998年)。
※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。路面電車郊外、トロリーパーク、インターアーバン、公益事業持株会社法(PUHCA)、ナショナル・シティ・ラインズ、サム・バス・ウォーナー、ジョージ・ヒルトン、ロバート・サーベロ、ローガン&モロッチ、成長機械論、小林一三、根津嘉一郎、雨宮敬次郎、コミュニティレール、newcal、相鉄関連、近江鉄道、垂直統合、回廊(Corridor)など多くの語は添付リストに既収載のため、本用語集では未収載の概念・人物・著作を中心に補いました。本稿は交通事業者の視点から都市形成史を読み解く試みであり、鉄道と都市の因果関係、日米分岐の要因、路面電車衰退の要因については、いずれも複数の要因が複合した現象として、単一原因への還元を避けて扱っています。とりわけナショナル・シティ・ラインズをめぐる出来事を「自動車業界の陰謀」とする見方はとっていません。本稿は本連載のこれまでの理論回とは異なり、理論を現象理解の補助線としてのみ用いています。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。
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Claud への執筆プロンプト
以下の条件に従い、日本語による長編ブログ記事を執筆してください。
本記事は都市工塾における70分講演の原稿を兼ねるものであり、後にスライド化されることを前提とします。
記事タイトル
第13稿
交通から見た都市形成の系譜とエコシステム
―なぜ鉄道は都市を作り、そして都市に支えられるのか―
本稿の位置づけ
本稿は鉄道史ではない。
また都市計画史でもない。
交通事業者の視点から、
「交通インフラがどのように都市形成を促し、その後どのように都市と相互依存関係を築いたのか」
を考察する都市形成論である。
都市理論を解説することが目的ではなく、
現場で観察される都市形成の現象を歴史的に読み解くことを目的とする。
想定読者
・都市計画研究者
・交通研究者
・鉄道事業者
・自治体職員
・まちづくり関係者
・都市史に関心のある一般読者
執筆方針
・学術的に正確であること
・研究史に反しないこと
・断定を避けること
・陰謀論を排除すること
・交通事業者の視点を維持すること
・理論の紹介を主目的にしないこと
・専門家が読んでも違和感のない内容にすること
・読み物としても面白くすること
文体
・ですます調
・エッセイと学術解説の中間
・都市理論を振り回さない
・理論は現象を説明する補助線としてのみ用いる
文字数
25000〜35000字
必要であれば35000字を超えてもよい。
長さよりも内容の充実を優先すること。
構成
はじめに
近江鉄道八日市線沿線の事例から始める。
筆者は沿線まちづくりに関わる中で、
駅前であるにもかかわらず
・市街化調整区域
・農業振興地域
になっている場所に遭遇した。
交通事業者の感覚として
「駅前なのになぜ開発されていないのか」
という疑問を抱いた。
そこから都市形成の歴史を調べ始めた。
鉄道が日本を作った
1900年の鉄道駅と2020年DIDの重なり
夜間光分布と鉄道路線の一致
を紹介する。
ここでは
「鉄道が都市を追いかけたのではなく、鉄道沿線に都市が形成されたように見える」
という観察を示す。
開拓としての鉄道
北海道
東北
信越
山陰
などを例に、
鉄道が既存都市を結んだだけではなく、
新しい都市形成の起点となったことを論じる。
雨宮敬次郎と殖産興業鉄道
アメリカ鉄道モデルの影響
地方開発
殖産振興
を扱う。
アメリカが生んだ交通と都市開発モデル
大陸横断鉄道
土地付与政策
鉄道会社による土地開発
都市形成
を説明する。
路面電車郊外(Streetcar Suburb)
本稿で最も重要なテーマの一つとして詳述する。
以下を必ず扱う。
・電力会社
・路面電車会社
・不動産会社
の垂直統合
星型市街地(Star-shaped City)
路面電車路線に沿って放射状に市街地が伸びたこと
都市全体が星型あるいは指状に拡大したこと
ウォーカブルな都市構造
電停徒歩圏
駅勢圏
を前提とした都市構造
TODとの関係
TODという言葉が生まれる以前に
路面電車郊外が
公共交通中心
徒歩圏生活
沿線開発
混合利用
という特徴を持っていたこと
ただし
「TODそのものだった」
とは書かず
「TODに近い特徴を持っていた」
と表現すること
トロリーパーク
必ず詳しく解説する。
鉄道利用促進のために建設された遊園地
週末需要創出
日本の私鉄遊園地との共通性
を論じる。
ターミナルデパート
必ず扱う。
駅と百貨店の結合
日本の阪急百貨店などとの比較
を行う。
住宅団地のネーミング
郊外住宅地の商品化
鉄道会社によるイメージ戦略
日本の沿線住宅地との類似性
を論じる。
インターアーバン
都市間電鉄
郊外住宅地形成
商業施設開発
との関係を解説する。
日本版電鉄モデルの成立
小林一三
根津嘉一郎
五島慶太
などを扱う。
重要なのは
「アメリカモデルの模倣」
ではなく
「日本的再構築」
として描くこと。
日本の私鉄モデル
鉄道
住宅
百貨店
学校
観光
レジャー
を統合したビジネスモデルとして説明する。
なぜアメリカと日本は分岐したのか
本稿最大の論点として扱う。
世界大恐慌
インターアーバン衰退
公益事業持株会社法(PUHCA)
必ず詳しく解説する。
電力会社と交通事業の分離
垂直統合モデルへの影響
を説明する。
独占禁止政策
本稿では必須テーマとする。
アメリカでは
独占禁止政策や規制によって
交通
電力
不動産
の垂直統合が解体されたことを論じる。
これを日米の鉄道の明暗を分けた重要な制度要因の一つとして扱う。
ただし単純化しないこと。
National City Lines問題
必ず扱う。
GM陰謀論として描いてはならない。
研究史を踏まえ、
路面電車衰退の複数要因の一つとして冷静に論じる。
高速道路時代
道路中心都市への転換
自動車都市の成立
を説明する。
日本
戦時統制によって電力は分離されたが、
私鉄による不動産事業は維持されたことを論じる。
これを日米分岐の重要な要因として扱う。
鉄道都市としての日本
私鉄沿線開発
地下鉄直通
相互乗り入れ
広域都市圏形成
を論じる。
TODとの関係
「日本はTODを発明した」
とは書かない。
「結果としてTODに近い都市形成が行われていた」
と慎重に記述する。
都市形成から回廊経営へ
人口増加時代の交通事業者の役割は、
沿線への住宅供給と都市形成であった。
しかし人口減少社会では、
新たな都市を開発する時代から、
既存の都市を維持・再生する時代へ移行している。
その中で交通事業者の役割も変化しつつある。
相鉄に見る「成功した郊外」の課題
オールドタウン問題
高齢化
空き家増加
郊外住宅地の再生
相鉄沿線の事例を取り上げ、
「都市形成の成功が新たな課題を生んだ」
という視点で論じること。
京急 newcalに見る地域プラットフォーム化
京急の newcal を事例として、
交通事業者が
鉄道運営
商業
観光
地域事業
コミュニティ形成
を横断的に結びつける存在へ変化していることを論じること。
英国コミュニティレールの挑戦
英国の Community Rail を紹介すること。
以下を含めること。
Community Rail Partnership(CRP)
地域住民
自治体
鉄道事業者
学校
NPO
地域企業
が連携して沿線価値を高める仕組み
単なる交通政策ではなく、
地域づくり
観光振興
教育
福祉
まちづくり
を包含した制度であることを説明すること。
また、
「鉄道を支えるために地域を活性化する」
「地域を支えるために鉄道を活用する」
という双方向の発想が重要であることを論じること。
回廊価値マネジメントという考え方
ここまでの議論を整理し、
交通事業者は
線路
駅
列車
だけを運営する存在ではなく、
沿線全体の価値を維持・向上させる
「回廊マネージャー」
へ変化しつつあることを論じること。
日本の民鉄モデルは再び輸出できるのか
戦前から続く日本の民鉄モデルは
不動産
商業
教育
観光
地域経営
を統合する世界でも稀なモデルであった。
人口減少社会においては、
新たな都市開発ではなく、
既存都市の再生と地域マネジメントのノウハウとして
再評価できる可能性があることを論じること。
英国コミュニティレールとの比較も行うこと。
結論
鉄道が都市をつくり、
都市が鉄道を支えてきた。
そして人口減少時代には、
地域・行政・事業者・住民がともに沿線価値を支える時代へ移りつつある。
英国コミュニティレールや日本のエリアマネジメントの試みは、その新しい関係性を示している。
交通と都市は、単なるインフラと土地利用の関係ではない。
それは相互に支え合うエコシステムなのである。
という結論にする。
最後は再び八日市線の事例に戻り、
駅前調整区域への違和感から始まった問いが、
交通と都市形成の歴史全体につながったことを示して締める。
都市理論の扱い
以下は必要な範囲でのみ言及する。
・成長機械論
・都市レジーム論
・TOD
・エリアマネジメント
・複雑系都市論
ただし理論解説は行わない。
現象を理解するための補助線としてのみ用いる。
参考文献
可能な限り充実させること。
特に以下の研究者や文献群を参照すること。
Sam Bass Warner
Kenneth Jackson
Robert Fishman
George Hilton
Mark Rose
Robert Cervero
Logan & Molotch
日本の私鉄史
都市交通史
都市形成史
沿線開発史
に関する主要文献も掲載すること。
最終目標
本稿は
「交通事業者が都市形成の歴史を読み解く試み」
として、
都市計画研究者が読んでも信頼でき、
鉄道事業者が読んでも共感できる内容にすること。
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