交通研究史シリーズ第8回(総括回)を公開しました。流れ→需要→到達→都市→社会→不平等→自由と関心を広げてきた本シリーズが、最後に問うのは「現代の交通研究は実際に何を研究しているのか」です。近年のレビュー論文・文献計量分析を調べた結果、確認できたのは——古い分野(需要分析・最適化・アクセシビリティ)は機械学習や新データと結びついて今も活発、社会科学系の関心も定着、さらにテレワーク・MaaS・脱炭素という新テーマが加わっている。つまり「置換」ではなく「並存」です。全8回完結。
※この文書は AI Claude、スライド資料、音声解説 は Gemini により生成されており誤りを含む恐れがあります。
交通は何になるのか 研究プログラムの共存をめぐる現状
本レポートは交通研究史シリーズの総括回である。第1回から第7回までで、交通研究の主要な関心が、流れ(Flow)、需要(Demand)、到達(Accessibility)、都市(Land Use)、社会(Mobilities)、不平等(Mobility Inequality)、自由(Capability / Transport Justice)へと拡張してきた可能性を検証した。本稿の目的は、新たな理論の提案でも将来予測でもなく、現代の交通研究において実際に何が研究されているのかを、利用可能なエビデンス(近年のレビュー論文・研究動向分析)に基づいて記述することにある。検証する問いは二つである。第一に、交通研究は現在、移動そのものを研究しているのか、それともより広い対象(活動機会・社会参加・福祉・気候変動・デジタル接続・空間的不平等など)へ拡張しているのか。第二に、過去の研究分野(交通流理論・交通需要分析・交通経済学・アクセシビリティ研究)は、現在も主要分野として存在するのか、消滅したのか、新しいテーマと並存しているのか。本稿は提言・価値判断・規範的主張・独自理論・将来予測・未来像の提示を含まない。事実と推論を厳格に区別し、推論には [推論]…[/推論] の形式を用いる。根拠が不足する場合は「不明」と明記する。
目次
- 1 本レポートの対象と方法Scope and Method
- 2 近年のレビューが描く全体像The Overall Picture in Recent Reviews
- 3 なぜ対象が広がったのかWhy the Objects Widened
- 4 古い研究プログラムは存続しているかDo the Older Programs Persist?
- 5 行動研究という中間領域Travel Behaviour as an Intermediate Field
- 6 社会科学系の研究プログラムの現状The Social-Science Programs Today
- 7 複数のプログラムを束ねる主題Themes that Bind Multiple Programs
- 8 新しい研究テーマNew Research Themes
- 9 デジタル化とデータをめぐる展開Digitalization and Data
- 10 方法をめぐる現状The State of Methods
- 11 共存という現状Coexistence as the Present Condition
- 12 交通研究の境界という問いThe Question of Disciplinary Boundaries
- 13 検証結果Findings
- 14 参考文献References
- 15 年表
- 16 用語集
本レポートの対象と方法Scope and Method
本稿が検証の対象とするのは、現代の交通研究において実際に何が研究されているか、という事実である。第1回から第7回までは、交通研究の関心が歴史的にどう拡張してきたかを、各回ごとに一つの転換(「交通は○○だった」)として検証した。本稿はそれとは性格を異にする。本稿は、単一の知的転換を立証するのではなく、複数の研究プログラムが現在どのように共存しているかを、近年のレビュー論文・研究動向分析に基づいて記述する。
第一に、交通研究は現在、移動そのものを研究しているのか、それともより広い対象(活動機会・社会参加・生活可能性・福祉・気候変動・デジタル接続・空間的不平等など)へ拡張しているのか。第二に、過去の研究分野(交通流理論・交通需要分析・交通経済学・アクセシビリティ研究)は、現在も主要分野として存在するのか、新しいテーマと並存しているのか。本稿はこれらを、実際の論文・研究レビューに基づいて検証する。
方法と限界Method and Limitations
本稿は、近年(おおむね2020年代)に公表された交通研究のレビュー論文、文献計量(ビブリオメトリクス)分析、研究動向分析を主たる典拠とする。これらは、個別の研究ではなく、研究分野全体の動向を俯瞰するために適している。各事項には引用番号 [n] を付し、末尾の参考文献に対応させる。出典が確認できない情報は用いない。事実として確認できる事項のみを本文に記し、複数の研究から導く解釈には [推論]…[/推論] のタグを付す。根拠が不足する場合は「不明」と明記し、推測による補完は行わない。なお、本稿は研究の「動向」を記述するが、それは確認できたレビュー文献が報告する範囲に限られ、交通研究の全体を網羅するものではない点に、あらかじめ留保を付す。
第1回から第7回との関係Relation to Parts 1–7
第1回から第7回は、交通研究の関心が、流れ・需要・到達・都市・社会・不平等・自由へと、しだいに拡張してきた可能性を検証した。各回の検証において繰り返し確認されたのは、新しい関心の登場が、古い関心の消滅を意味しないという点であった。すなわち、各回はいずれも「一部の交通研究が対象を拡張した」と判定し、交通研究全体の方向転換ではないと限定してきた。本稿は、この各回で繰り返された限定──新旧の研究プログラムの並存──を、現在の研究動向において正面から検証する。
[推論]第1回から第7回が、いずれも「一部の交通研究が対象を拡張した」と判定し、全体の方向転換ではないと限定してきたとすれば、シリーズ全体を通じて示唆されてきたのは、交通研究が単線的に進化したのではなく、複数の研究プログラムを累積させてきたという像である。本稿が検証するのは、この累積・並存の像が、現在の研究動向のエビデンスによって裏づけられるか否かである。[/推論]
近年のレビューが描く全体像The Overall Picture in Recent Reviews
本章では、近年の文献計量分析・レビューが、交通研究の全体像をどう描いているかを整理する。
文献計量分析による俯瞰A Bibliometric Overview
持続可能なモビリティ・交通(sustainable mobility and transport)に関する近年の文献計量分析は、過去約30年間の7,710件の関連文献を分析し、この分野の学術的な全体像、主要な研究テーマとその進化、知識の伝播経路を提示したとされる[1]。この種の分析は、交通研究が、単一のテーマに収束するのではなく、多数の研究テーマへと分岐・拡張してきたことを、定量的に示す[1]。すなわち、研究テーマの数と多様性そのものが、時間とともに増大してきたことが、文献の集計から確認される[1]。
[推論]研究テーマの数と多様性が時間とともに増大してきたとすれば、交通研究は、古いテーマを新しいテーマで置き換える形ではなく、新しいテーマを追加していく形で拡張してきた可能性がある。これは、本シリーズ第1回から第7回が各回で限定してきた「並存」の像と整合する。ただし、文献数の増大は分野全体の拡大を反映する面もあり、個別テーマの相対的な比重の変化は、別途の検討を要する。[/推論]
なぜ対象が広がったのかWhy the Objects Widened
本章では、現代の交通研究が、移動そのものを超えて活動機会・福祉・気候・デジタル接続といった対象を扱うようになった背景を、確認できるレビューの記述に基づいて整理する。本章は背景の記述にとどまり、価値判断を含まない。
派生需要という前提の含意The Implication of Derived Demand
第2回・第3回で見たとおり、移動はそれ自体が目的ではなく、活動機会への到達の手段(派生需要)であるという理解は、交通研究に古くからある。この前提は、移動の理解が、移動の先にある活動・機会の理解と不可分であることを含意する。グールスとファン・ウェー(2023年)がアクセシビリティを標準概念として整理していること[5]は、活動機会への到達という観点が、現代の交通研究に定着していることを示す。すなわち、移動から活動機会へという関心の広がりは、派生需要という古い前提に、すでに含まれていたものの展開とも見られる。
[推論]移動を活動機会への手段とみなす派生需要の前提が、移動の先にある活動・機会の理解を要請するとすれば、交通研究が活動機会・社会参加・福祉へと関心を広げたことは、外部からの影響だけでなく、交通研究の内在的な前提の展開という側面をもつ可能性がある。すなわち、対象の拡張は、交通研究の外部(社会学・社会政策・正義論)からの流入と、内部の前提(派生需要)の展開という、二つの経路の双方によって進んだ可能性がある。これは、本シリーズの各回が、外部理論の流入と内部概念の発展の両方を確認してきたことと整合する。[/推論]
外部の社会的要請External Social Demands
対象の拡張の背景には、交通研究の外部にある社会的な要請もある。気候変動への対応は、その代表例である。シュワネン、バニスター、アナブル(2011年)は、気候変動への学術的関心の高まりが、公共政策・産業・メディアにおける気候変動への意識の高まりと結びついていることを指摘したとされる[6]。すなわち、交通研究が気候・脱炭素を扱うようになったのは、純粋に学術内在的な動機からだけでなく、社会全体における気候変動への関心の高まりを反映している[6]。同様に、テレワーク研究の急増は、2020年のコロナ禍という外部の出来事を契機としている[9]。
[推論]交通研究の対象の拡張が、外部の社会的出来事(気候変動・コロナ禍)を契機としているとすれば、交通研究が何を研究するかは、学術内在的な論理だけでなく、社会の関心・出来事によっても規定されている可能性がある。これは、研究テーマの登場のタイミング(テレワーク研究の2020年以降の急増など)が、社会的な出来事と対応していることからも示唆される。ただし、社会的要請と研究動向の因果関係を精密に示すことは、本稿の範囲を超え、ここでは両者の時間的な対応を確認するにとどめる。[/推論]
古い研究プログラムは存続しているかDo the Older Programs Persist?
本章では、本シリーズ第1回から第3回で扱った古い研究プログラム──交通流理論、交通需要分析、交通経済学、アクセシビリティ研究──が、現在も主要な研究分野として存続しているかを、近年の文献に基づいて検証する。
需要分析・選択モデルの現状Demand Analysis and Choice Models Today
第2回で扱った交通需要分析・離散選択モデルは、現在も活発に研究されている。近年(2020年代)の文献には、交通需要予測のための離散選択モデルの効用推定アルゴリズムの改良(ゴルバニら2025年)、離散選択モデルへの深層学習・ドメイン知識の組み込み(ハジ=ヤヒアら2025年)などがある[2]。すなわち、ランダム効用最大化に基づく選択モデルという第2回の枠組みは、放棄されたのではなく、機械学習などの新しい手法と結びつきながら、現在も研究が継続している[2]。表明選好(stated preference)実験と混合ロジットモデルを用いた研究も、新しい交通サービス(オンデマンド交通など)を対象として、現在も行われている[3]。
交通最適化・オペレーションズリサーチTransport Optimization and Operations Research
第1回で扱った交通工学の系譜に連なる、交通の最適化・オペレーションズリサーチも、現在活発である。フィリッピら(2023年)の旅客交通最適化の動向レビューは、現代の大都市における交通サービスの効率化が、情報技術と最適化手法の進歩を背景に、活発な研究領域であることを示すとされる[4]。すなわち、交通システムの性能を最適化するという第1回以来の関心は、現在も、異なる交通手段の統合・調整といった新しい課題のもとで、継続している[4]。
アクセシビリティ研究の現状Accessibility Research Today
第3回で扱ったアクセシビリティ研究も、現在活発である。グールスとファン・ウェー(2023年)は、交通システム・交通政策の入門書において、アクセシビリティの観点・指標・応用を整理する章を執筆しており、アクセシビリティが現在も交通研究の標準的な概念であることを示す[5]。さらに、アクセシビリティ指標は、新しい交通サービス(オンデマンド交通・共有モビリティ)の評価や、空間的な公平の分析へと応用されており、第3回の概念が現在の研究課題に組み込まれていることが確認できる[3]。
[推論]需要分析・選択モデル(第2回)、交通最適化(第1回の系譜)、アクセシビリティ研究(第3回)が、いずれも2020年代に活発に研究が継続しているとすれば、本稿の第二の問い(古い研究分野は存続しているか)に対しては、これらが消滅していないことが確認できる。すなわち、これらの古い研究プログラムは、新しい手法(機械学習)や新しい対象(共有モビリティ)と結びつきながら、現在も主要な研究分野として存続している可能性が高い。古い関心は、新しい関心によって置き換えられたのではない。[/推論]
行動研究という中間領域Travel Behaviour as an Intermediate Field
本章では、定量的な需要分析と社会科学的な関心の中間に位置する、移動行動(travel behaviour)研究の現状を整理する。これは、本稿が描く複数のプログラムの並存において、それらを媒介する領域の存在を示す。
活動ベースのアプローチThe Activity-Based Approach
移動行動研究の中心的な枠組みの一つが、活動ベースのアプローチ(activity-based approach)である。これは、移動を、独立した事象としてではなく、人々が行う活動(就労・就学・買い物・社会的交流など)から派生するものとして捉え、活動と移動を一体として分析する。前述のとおり、近年の活動ベースの交通需要モデルは、ICTの利用・仮想的な就労が、物理的・仮想的な空間における活動への参加と移動にどう影響するかを分析するように拡張されている[10]。すなわち、活動ベースのアプローチは、第2回の需要分析の系譜にありながら、デジタル接続という新しい対象を取り込んでいる[10]。
[推論]活動ベースのアプローチが、移動を活動から派生するものとして捉え、かつデジタル接続を取り込んでいるとすれば、この枠組みは、第2回(需要)・第3回(到達)の関心と、現代の新しいテーマ(デジタル接続)とを、媒介する位置にあると解釈できる。すなわち、移動行動研究は、定量的な伝統と新しい対象とを結びつける中間領域として機能している可能性がある。本稿が描く複数のプログラムの並存は、互いに孤立した並存ではなく、こうした中間領域を介して連結している可能性がある。[/推論]
移動行動の変化への注目Attention to Behaviour Change
移動行動研究の近年の関心の一つは、移動行動の変化(behaviour change)である。コロナ禍のような大きな出来事が、安定していた移動の習慣を変え、新しい交通手段への注意を高める「機会の窓(window of opportunity)」を開くという観点から、移動行動の変化を分析する研究がある[9]。これらの研究は、移動行動を、固定したものとしてではなく、出来事・文脈によって変化しうるものとして捉える。すなわち、移動行動研究は、安定した選択の説明(第2回)から、変化する行動の分析へと、関心を広げている[9]。
移動行動研究は、活動ベースのアプローチを通じてデジタル接続を取り込み[10]、また移動行動の変化を、出来事・文脈との関係で分析している[9]。これは、定量的な需要分析の伝統と、社会的・文脈的な関心とを媒介する。
[推論]移動行動研究が、安定した選択の説明から変化する行動の分析へと関心を広げているとすれば、この領域は、第2回で見た合理的選択の枠組みを、習慣・文脈・出来事といった、より広い要因を含む方向へ展開している可能性がある。これは、第5回で見たモビリティーズ研究が強調した、移動の習慣・感情・社会的文脈への関心と、部分的に重なる。すなわち、定量的な移動行動研究と、質的なモビリティーズ研究とは、移動を文脈のなかで捉えるという点で、関心を部分的に共有しつつある可能性がある。ただし、両者の方法は依然として異なり、その統合の程度は不明である。[/推論]
社会科学系の研究プログラムの現状The Social-Science Programs Today
本章では、本シリーズ第5回から第7回で扱った社会科学系の研究プログラム──モビリティーズ研究、モビリティ格差研究、交通正義・潜在能力研究──が、現在どのような位置を占めるかを検証する。
モビリティーズ研究の定着The Establishment of Mobilities Research
第5回で扱ったモビリティーズ研究は、学術誌『Mobilities』(2006年創刊)を擁する一つの研究領域として定着している。この領域は、移動を社会的・文化的に捉える研究を継続しており、近年の文献計量分析でも、交通・モビリティ研究の社会科学的な系統として位置づけられる[1]。ただし、後述するとおり、近年のレビューは、交通研究において定量的・実証主義的な分析が依然として優勢であり、社会科学的・質的なアプローチはなお相対的に少数である可能性を指摘している[6]。
不平等・公平研究の現状Inequality and Equity Research Today
第6回・第7回で扱った交通の不平等・公平・正義の研究も、現在活発である。近年の研究には、交通の不平等を、空間的な公平の観点から定量的に分析するもの(共有モビリティによるアクセシビリティの公平の改善の評価など)がある[3]。また、交通の炭素排出の公平を、垂直的・水平的・空間的な複数の次元で評価する研究のように、不平等研究が気候・環境の主題と結びつく動きも見られる[7]。すなわち、第6回・第7回の公平・正義への関心は、現在の研究において、定量的な分析や環境の主題と結びつきながら継続している[3][7]。
モビリティーズ研究(第5回)は一つの領域として定着し、不平等・公平・正義の研究(第6回・第7回)は、空間的公平の定量分析や気候・環境の主題との結合を通じて継続している[1][3][7]。
[推論]社会科学系の研究プログラム(第5〜7回)が定着・継続している一方、定量的・実証主義的な分析が依然として優勢である可能性が指摘されるとすれば、交通研究は、社会科学的な関心を取り込みつつも、その方法的な中心は依然として定量的な分析にある可能性がある。すなわち、関心の拡張(社会・不平等・自由へ)と、方法の中心(定量分析)とは、必ずしも同じ速度で変化していない可能性がある。ただし、これは確認できたレビューの指摘に基づく解釈であり、分野全体の方法的構成を網羅的に示すものではない。[/推論]
持続可能なモビリティという枠組みThe Sustainable Mobility Framing
第5回から第7回の社会的・規範的な関心と、第1回から第3回の技術的な関心とを、しばしば架橋する枠組みとして、持続可能なモビリティ(sustainable mobility)がある。バニスター(2008年)の「持続可能なモビリティ・パラダイム」(Transport Policy 15:73–80)は、従来の交通計画の枠組みをより柔軟にすることを論じ、近年のレビューでも、この分野の知識の伝播において重要な役割を果たした文献として位置づけられる[1][8]。ホールデン、バニスター、ゲスリングら(2020年)は、持続可能なモビリティをめぐる複数の「大きな物語(grand narratives)」を概念的にレビューしたとされる[8]。
[推論]持続可能なモビリティが、技術的な関心と社会的・規範的な関心を架橋する枠組みとして機能しているとすれば、現代の交通研究には、本シリーズが追跡してきた複数の研究プログラムを横断的に束ねる、いくつかの統合的な主題が存在する可能性がある。持続可能性・気候変動は、その一つの候補である。ただし、こうした統合的主題が、個別の研究プログラムを置き換えるのか、それともその上に重なるのかについては、後述するとおり、なお複数の見方がありうる。[/推論]
複数のプログラムを束ねる主題Themes that Bind Multiple Programs
本章では、本シリーズが追跡してきた複数の研究プログラムを、横断的に束ねる役割を果たしている主題を整理する。これは、現代の交通研究が、ばらばらの研究の集合なのか、それとも共通の主題のもとに緩やかにまとまっているのかを示す。
持続可能性という横断的主題Sustainability as a Cross-cutting Theme
前章で触れた持続可能なモビリティは、複数の研究プログラムを横断する主題の代表例である。近年の文献計量分析は、持続可能なモビリティ・交通という主題のもとに、技術・行動・政策・空間・環境といった多様な研究が集積していることを示すとされる[1]。すなわち、持続可能性は、特定の一プログラム(工学・経済学・社会学など)に属する主題ではなく、それらを横断して動員する問題領域として機能している[1]。ホールデン、バニスター、ゲスリングら(2020年)が、持続可能なモビリティをめぐる複数の「大きな物語」を整理したことは、この主題が、単一の枠組みではなく複数の語り方を含むことを示す[8]。
[推論]持続可能性が、特定のプログラムに属さず複数を横断する主題であるとすれば、現代の交通研究は、研究プログラムごとに完全に分断されているのではなく、いくつかの横断的な主題のもとで緩やかに連結している可能性がある。すなわち、並存する複数のプログラムは、互いに無関係に存在するのではなく、持続可能性・気候・公平といった共通の主題を通じて、部分的に結びついている可能性がある。ただし、この連結がどの程度緊密か、それとも名目的なものにとどまるかについては、確認できたレビューからは断定できず、不明である。[/推論]
「大きな物語」の複数性The Plurality of “Grand Narratives”
ホールデンら(2020年)が持続可能なモビリティをめぐる複数の大きな物語を論じたこと[8]は、現代の交通研究において、何を中心的な問題とみなすかについて、単一の合意が存在するのではなく、複数の語り方が併存していることを示唆する。すなわち、ある研究者は技術革新を、別の研究者は行動変容を、また別の研究者は社会的公平を、持続可能なモビリティの中心とみなしうる。これらの複数の語り方は、本シリーズが追跡してきた複数の研究プログラム(工学・経済学・行動研究・社会科学)に、おおむね対応する。
[推論]持続可能なモビリティという共通の主題のもとに、複数の「大きな物語」が併存し、それらが本シリーズの追跡してきた研究プログラムに対応するとすれば、現代の交通研究の状況は、次のように整理できる可能性がある。すなわち、複数の研究プログラムが、共通の主題(持続可能性・気候など)を共有しながら、その主題の中心を何に置くかについては異なる立場をとる、という状況である。これは、第5回で見たモビリティーズ研究の「パラダイムか否か」の論争や、第7回で見た正義論の複数性と、構造が類似する。本シリーズが繰り返し確認してきた「複数の立場の併存」は、現在の研究動向においても見られる可能性がある。[/推論]
新しい研究テーマNew Research Themes
本章では、本シリーズ第1回から第7回の枠組みには必ずしも収まらない、近年とりわけ活発な新しい研究テーマを整理する。これは、本稿の第一の問い(交通研究はより広い対象へ拡張しているか)に直接関わる。
情報通信技術・テレワーク・テレアクティビティICT, Telework, and Teleactivities
近年とりわけ活発な研究テーマの一つが、情報通信技術(ICT)・テレワーク・テレアクティビティ(teleactivities、遠隔活動)と移動行動の関係である。とくに2020年のコロナ禍以降、テレワークが移動行動・通勤・交通需要に与える影響をめぐる研究が、急速に増大したとされる[9]。これらの研究は、テレワークが移動を代替するのか、それとも(より長距離の移動を誘発するなどして)補完するのかをめぐって、知見が分かれていることを報告している[9]。すなわち、テレワークが交通量を減らすか否かについて、研究間で結論が一致していない[9]。
この主題は、物理的な移動だけでなく、仮想的な活動(virtual activities)を交通需要モデルに組み込む試みへと展開している。近年の活動ベースの交通需要モデルには、ICTの利用・仮想的な就労が、物理的・仮想的な空間における活動への参加と移動にどう影響するかを分析するものがある[10]。すなわち、第2回で見た交通需要モデルが、物理的な移動だけでなく、移動の代替・補完となる仮想的な活動をも扱うように拡張されている[10]。
ICT・テレワーク・テレアクティビティと移動行動の関係は、2020年のコロナ禍以降とりわけ活発な研究テーマであり、テレワークが移動を代替するか補完するかについては知見が分かれている[9]。仮想的活動を交通需要モデルに組み込む試みも進んでいる[10]。
[推論]交通研究が、テレワーク・仮想的活動という、物理的移動ではない対象を扱うようになっているとすれば、本稿の第一の問い(交通研究はより広い対象へ拡張しているか)に対して、これは肯定的な事例となる。すなわち、交通研究は、物理的な移動だけでなく、移動の代替・補完としてのデジタル接続をも対象に含めつつある。これは第6回で触れたバーチャル・モビリティの論点の、現在における展開とも見られる。ただし、これが交通研究の中心となったのか、周辺的な拡張にとどまるのかは、確認できたレビューからは断定できず、不明である。[/推論]
もう一つの活発な新しいテーマが、共有モビリティ(shared mobility)、サービスとしての移動(Mobility as a Service, MaaS)、オンデマンド交通(demand-responsive transport)である。これらは、所有から利用へ、固定路線から需要対応へという、交通サービスの新しい形態を扱う。ナラヤナンとアントニオウ(2023年)は、共有モビリティからMaaSへの展開を論じたとされる[3]。これらの研究は、第2回の需要分析、第3回のアクセシビリティ、第1回の最適化といった既存の手法を、新しい交通サービスの設計・評価に応用している[3][4]。
気候変動・脱炭素Climate Change and Decarbonization
気候変動の緩和・脱炭素も、現在の交通研究の主要なテーマである。シュワネン、バニスター、アナブル(2011年)は、交通における気候変動緩和の研究を批判的にレビューし、研究が技術・経済的手段・インフラ・行動変容・制度に焦点を当てていること、定量的・実証主義的な分析が優勢であるが代替的な方法も現れつつあること、より広い社会科学との関わりが課題であることを指摘したとされる[6]。脱炭素・エネルギー転換は、現在も交通研究の活発な領域であり、国際機関(国際エネルギー機関など)の資料でも、交通の脱炭素が主要な論点とされる[6]。
[推論]気候変動・脱炭素が交通研究の主要テーマであり、それが技術・経済・インフラ・行動・制度という複数の側面から研究されているとすれば、この主題は、本シリーズが追跡してきた複数の研究プログラム(工学・経済学・行動研究・社会科学)を横断して動員する、統合的な問題領域として機能している可能性がある。すなわち、気候変動は、特定の一プログラムの主題ではなく、複数のプログラムが共通して取り組む対象となっている可能性がある。ただし、各プログラムが気候の主題にどう寄与しているかの詳細は、本稿の範囲を超える。[/推論]
デジタル化とデータをめぐる展開Digitalization and Data
本章では、現代の交通研究において、デジタル技術とデータがもたらしている展開を、確認できる範囲で整理する。これは、本稿の第一の問い(対象の拡張)の、技術的な側面に関わる。
新しいデータ源と分析単位の細密化New Data Sources and Finer Units of Analysis
前章で触れたとおり、現代の交通研究は、スマートカード・携帯電話ネットワーク・GPSといった新しいデータ源を用いている[7]。これらのデータは、従来の調査票(パーソントリップ調査など)では得にくかった、大規模かつ細密な移動の記録を提供する。携帯電話のネットワークデータを活動ベースの交通需要モデルと組み合わせて、農村部の新しいモビリティ・サービスを検討する研究のように、新しいデータ源は、新しい交通サービスの分析にも用いられている[3]。すなわち、第1回以来の定量的な伝統は、データ源の刷新を通じて、分析の単位をより細かくする方向へ展開している[7]。
[推論]新しいデータ源が、移動の記録をより大規模かつ細密に提供しているとすれば、現代の交通研究は、集計的な平均(第1〜4回で見た伝統)から、個人・場所のレベルの細密な分析へと、データの面で移行しつつある可能性がある。これは、第6回で見た不平等研究(集計から分配への関心の移行)を、データの面から支える展開とも見られる。すなわち、関心の拡張(平均から分配へ)と、データの細密化とは、結びついている可能性がある。ただし、新しいデータ源には、代表性・プライバシーなどの課題も伴うとされ、その評価は本稿の範囲を超える。[/推論]
機械学習・深層学習の導入The Introduction of Machine Learning
現代の交通研究の方法上の展開として、機械学習・深層学習の導入がある。前述のとおり、離散選択モデルに深層学習やドメイン知識を組み込む研究[2]、深層学習を用いた移動行動の予測などが、近年(2020年代)に現れている[2]。これらは、第2回で見たランダム効用最大化の枠組みを置き換えるのではなく、それと結びつく、あるいはそれを補完する形で導入されている[2]。すなわち、機械学習は、交通研究の既存の枠組みに、新しい予測・推定の手法を加えている。
現代の交通研究は、新しいデータ源(スマートカード・携帯電話・GPS)と新しい手法(機械学習・深層学習)を導入しており、これらは既存の定量的枠組み(離散選択モデルなど)を置き換えるのではなく、それと結合する形で用いられている[2][7]。
デジタル接続そのものの研究対象化Digital Connectivity as an Object of Study
デジタル化は、研究の手法としてだけでなく、研究の対象としても現れている。前章で見たICT・テレワーク・テレアクティビティの研究[9][10]は、デジタル接続が物理的移動をどう代替・補完するかを問う。すなわち、デジタル接続は、移動を分析する道具であると同時に、移動との関係が分析される対象でもある。共有モビリティ・MaaSの研究[3]も、デジタル・プラットフォームを介した移動サービスを対象とする点で、デジタル化と移動の関係を扱う。
[推論]デジタル接続が、研究の手法であると同時に研究の対象でもあるとすれば、現代の交通研究は、物理的な移動と、それを取り巻くデジタルな環境(テレワーク・プラットフォーム・データ)とを、一体のものとして扱いつつある可能性がある。これは、本稿の第一の問いに即して言えば、交通研究の対象が、物理的移動からデジタル接続を含む領域へ拡張している事例と見られる。ただし、これが交通研究の中心的な対象となったのか、活発だが一部の拡張にとどまるのかは、確認できたレビューからは断定できず、不明である。[/推論]
方法をめぐる現状The State of Methods
本章では、現代の交通研究が用いる方法の構成を、近年のレビューに基づいて整理する。これは、関心の拡張(対象)と方法の構成とが、どう対応しているかを示す。
定量的分析の優勢と質的方法の出現Quantitative Dominance and Qualitative Emergence
近年のレビューは、交通研究において定量的・実証主義的な分析が依然として優勢であることを報告している。シュワネン、バニスター、アナブル(2011年)は、交通における気候変動緩和の研究について、実証主義的・定量的な分析が優勢であるが、代替的な方法論も現れつつあると指摘し、より豊かな理解はより広い社会科学との深い関わりから得られるだろうと論じたとされる[6]。すなわち、関心が社会・不平等・自由へ拡張する一方で、方法の中心は依然として定量的な分析にある、という構成が示唆される[6]。
近年のレビューは、交通研究において定量的・実証主義的分析が依然として優勢であり、質的・社会科学的な代替的方法が現れつつあるが、なお相対的に少数である可能性を指摘している[6]。
新しいデータ源の利用The Use of New Data Sources
現代の交通研究の方法上の特徴の一つは、新しいデータ源の利用である。スマートカードのデータ、携帯電話のネットワークデータ、GPSデータなどが、移動行動・交通量・炭素排出の分析に用いられている[7]。たとえば、スマートカードのデータを用いて公共交通の炭素排出の公平を分析する研究がある[7]。すなわち、第1回以来の定量的な伝統は、新しいデータ源と結びつくことで、移動行動をより細かい単位で分析する方向へ展開している[7]。
[推論]新しいデータ源(スマートカード・携帯電話・GPS)が、移動行動だけでなく、炭素排出の公平といった社会的・環境的な主題の分析にも用いられているとすれば、定量的な方法は、古い主題(移動量)にとどまらず、新しい主題(公平・環境)にも適用されつつある。すなわち、関心の拡張と定量的方法とは、対立するのではなく、定量的方法が新しい主題へ拡張する形で結びついている可能性がある。これは、社会科学的な主題が必ずしも質的方法だけで扱われるわけではないことを示す。[/推論]
共存という現状Coexistence as the Present Condition
本章では、以上の整理を踏まえ、現代の交通研究における複数の研究プログラムの関係を整理する。本章は新しい主張を加えず、前章までに示したエビデンスを総合する。
| 研究プログラム | 主たる起源 | 現在の状況(確認できる範囲) |
|---|---|---|
| 流れ・最適化(第1回) | 交通工学 | 最適化・OR研究として継続[4] |
| 需要・選択(第2回) | 交通経済学 | 機械学習等と結合し継続[2] |
| 到達(第3回) | 交通地理学 | 標準概念として継続・応用[5] |
| 社会(第5回) | 社会学 | 領域として定着[1] |
| 不平等・自由(第6・7回) | 社会政策・正義論 | 定量分析・環境と結合し継続[3][7] |
| ICT・テレワーク | 行動研究 | 近年とりわけ活発[9] |
| 共有モビリティ・MaaS | サービス設計 | 近年とりわけ活発[3] |
| 気候・脱炭素 | 横断的 | 主要テーマとして活発[6] |
この整理から確認できるのは、本シリーズが追跡してきた研究プログラムが、いずれも現在まで存続しており、かつ、新しいテーマ(ICT・MaaS・気候)が加わっているという状況である。すなわち、古い関心は新しい関心によって置き換えられたのではなく、両者が並存している。
[推論]本シリーズが追跡してきた研究プログラムが、いずれも存続しつつ新しいテーマが加わっているとすれば、現代の交通研究は、単一の対象(移動)に収束する分野でも、単一の方向(社会・自由)へ移行した分野でもなく、複数の研究プログラムが並存する分野であると解釈できる。本稿の二つの問いに即して言えば、(第一に)交通研究は移動そのものとより広い対象の両方を研究しており、(第二に)古い研究分野は新しいテーマと並存している。すなわち、検証された像は「拡張」よりも「累積」「並存」に近い。ただし、ここで確認できる事実は、個々の研究プログラムが現在も研究されているという点までであり、それらを総合して「累積・並存」と特徴づけることは、本稿による統合的な解釈であって、学界が共有する公式見解ではない。また、各プログラムの相対的な比重や、それらの間の相互関係の詳細は、本稿の範囲を超え、不明な部分が残る。[/推論]
交通研究の境界という問いThe Question of Disciplinary Boundaries
本章では、現代において「交通研究」の境界がどこにあるか、という問いを、確認できる範囲で整理する。これは、本稿が記述してきた対象の拡張・並存が、一つの分野の内部の出来事なのか、複数の分野にまたがる出来事なのかに関わる。
学術誌・学会の多様性The Diversity of Journals and Conferences
交通研究は、単一の学術誌・学会に収まらず、多数の媒体にまたがって行われている。交通工学・最適化を扱う媒体(Transportation Research の各パートなど)、交通地理学を扱う媒体(Journal of Transport Geography など)、交通政策・レビューを扱う媒体(Transport Policy, Transport Reviews など)、モビリティーズ研究を扱う媒体(Mobilities)、都市研究を扱う媒体(Cities, Environment and Planning 系列など)が、それぞれ交通・移動に関わる研究を掲載している。本稿が参照した文献も、これら多様な媒体にまたがる[3][5][6]。すなわち、交通研究は、複数の学問分野・媒体にまたがる、緩やかに定義された領域である。
[推論]交通研究が、単一の学術誌・学会に収まらず複数の媒体にまたがるとすれば、「交通研究」とは、明確な境界をもつ単一の分野というより、移動・交通という対象を共有する複数の分野の緩やかな集合である可能性がある。本シリーズが追跡してきた研究プログラムの並存は、この、緩やかに定義された領域の内部における、複数の分野的伝統の並存として理解できる可能性がある。すなわち、交通研究の「拡張」は、一分野の境界が広がったというより、移動という対象に関心をもつ分野の数が増えた、という側面をもつ可能性がある。[/推論]
地理的な集中という限界The Limitation of Geographic Concentration
現代の交通研究の重要な限界として、研究の地理的な集中がある。近年のレビューは、交通研究、とりわけテレワーク・移動行動の研究が、欧米先進国に地理的に集中しており、開発途上国・新興国を対象とする研究が相対的に少ないことを指摘している[9]。すなわち、本稿が記述してきた研究動向は、主として高所得国の文脈で観察されたものであり、世界全体の交通研究を代表するとは限らない。この限界は、第6回(不平等研究のグローバル・サウスの欠落)でも指摘されたものと、共通する。
交通研究は複数の学問分野・媒体にまたがる緩やかに定義された領域であり[3][5]、その研究動向は欧米先進国に地理的に集中している[9]。本稿が記述した動向は、主として高所得国の文脈で観察されたものである。
[推論]現代の交通研究の動向が欧米先進国に集中しているとすれば、本稿が「現代の交通研究」として記述した像は、世界全体ではなく、主として高所得国の研究を反映したものである可能性が高い。すなわち、本稿の二つの問いへの回答(古い分野と新しいテーマの並存)も、この地理的な範囲のなかで確認されたものであり、それ以外の地域における研究動向は、本稿の確認できる範囲を超え、不明である。この限界は、本シリーズの複数の回で繰り返し確認されてきたものである。[/推論]
検証結果Findings
本章では、本稿冒頭の二つの問いについて、確認できたエビデンスから言えることのみを整理する。本章は新しい主張・理論・将来予測を加えない。
第一の問い――研究対象は広がっているかThe First Question
第一の問い(交通研究は移動そのものを研究しているのか、それともより広い対象へ拡張しているのか)については、次のことが確認できる。交通研究は、移動そのもの(交通量・需要・最適化)を現在も研究している[2][4]。同時に、それより広い対象──活動機会・アクセシビリティ[5]、空間的不平等・公平[3][7]、デジタル接続・テレワーク[9][10]、気候変動・脱炭素[6]──をも研究している。すなわち、交通研究は、移動そのものと、より広い対象の双方を、並行して研究している。「移動そのものか、より広い対象か」という二者択一としてではなく、両者の並存として確認される。
第二の問い――古い分野は存続しているかThe Second Question
第二の問い(古い研究分野は存続しているのか、新しいテーマと並存しているのか)については、次のことが確認できる。交通流理論の系譜(最適化・OR)[4]、交通需要分析・選択モデル[2]、交通経済学的な手法、アクセシビリティ研究[5]は、いずれも現在も研究が継続している。これらは消滅していない。むしろ、これらの古い手法は、新しいテーマ(共有モビリティ・MaaS・気候・公平)の分析に応用され、新しい手法(機械学習・新しいデータ源)と結びつきながら、存続している[2][3][7]。すなわち、古い研究分野は、新しいテーマと並存している。
(第一の問い)交通研究は、移動そのものと、より広い対象(活動機会・不平等・デジタル接続・気候など)の双方を、並行して研究している[2][5][9]。ただし、確認できるレビューの範囲では、交通研究の方法的な主流は依然として工学・需要分析などの定量的分析にあり[6]、社会科学的なテーマはそれと並んで増加しているという構成である。(第二の問い)古い研究分野(流れ・需要・到達)は消滅しておらず、新しいテーマと並存し、新しい手法・データと結びついて継続している[2][4][5]。これらの個別の事実(各プログラムが現在も研究されていること)は文献から確認できる。なお、これらを総合して現状を「置換」ではなく「並存・累積」と整理することは、本稿による解釈であり、学界の公式見解として確立したものではない。
不明な部分What Remains Unknown
次の点は、本稿の調査範囲(確認できたレビュー文献)では十分に確認できなかった。第一に、各研究プログラムの相対的な比重(どのテーマがどれだけの研究者・文献を擁するか)の正確な分布。文献計量分析は全体の多様化を示すが[1]、本稿は個別プログラムの比重を精密には特定していない。第二に、新しいテーマ(ICT・MaaS)が、既存の研究プログラムの中心となったのか、周辺的な拡張にとどまるのか。第三に、欧米以外の地域における研究動向。近年のレビューは、研究が欧米先進国に地理的に集中していることを指摘しており[9]、それ以外の地域の動向は十分に確認できない。これらについては「不明」とし、推測で補わない。
[推論]本シリーズ第1回から第8回を通じて確認されたのは、交通研究が、流れ・需要・到達・都市・社会・不平等・自由という関心を、順に置き換えるのではなく、累積させてきたという像である。第8回が現在の研究動向から確認したのは、これらの研究プログラムが現在まで並存し、さらに新しいテーマ(デジタル接続・気候)が加わっているという状況である。すなわち、各回の「交通は○○だった」という命題は、いずれかが交通研究の唯一の本質であることを意味するのではなく、交通研究が累積的に獲得してきた複数の関心の層を指すものと整理できる。なお、「流れ→需要→到達→都市→社会→不平等→自由」という系列は、研究史を整然と並べた歴史的事実そのものではなく、研究史を理解するための解釈モデルである。実際には、需要研究・アクセシビリティ研究・都市研究・不平等研究などは、明確な順序で交代したのではなく、時期的に重なり合いながら発展してきた。この系列は、その重なり合う発展を、関心の焦点の移り変わりという観点から整理した一つの見取り図にすぎない。各プログラムの比重・相互関係・将来の展開については、本稿は記述せず、不明な部分を不明として残す。[/推論]
参考文献References
- [1] 持続可能なモビリティ・交通に関する文献計量レビュー(約30年・7,710件の分析)。”The landscape, trends, challenges, and opportunities of sustainable mobility and transport,” npj Sustainable Mobility and Transport, 2025. DOI: 10.1038/s44333-025-00026-8.(研究テーマの進化・多様化、知識伝播経路の分析)
- [2] Ghorbani, A., Nassir, N., Lavieri, P. S., Beeramoole, P. B. & Paz, A. “Enhanced Utility Estimation Algorithm for Discrete Choice Models in Travel Demand Forecasting.” Transportation, 2025. および Haj-Yahia, S., Mansour, O. & Toledo, T. “Incorporating Domain Knowledge in Deep Neural Networks for Discrete Choice Models,” Transportation Research Part C, Vol. 171, 2025, art. 105014.(離散選択モデルと機械学習の結合、需要予測の継続)
- [3] Narayanan, S. & Antoniou, C. “Shared Mobility Services towards Mobility as a Service (MaaS): What, Who and When?” Transportation Research Part A, Vol. 168, 2023, art. 103581.(共有モビリティからMaaSへ、アクセシビリティ・公平の評価への応用)
- [4] Filippi, C., Guastaroba, G., Peirano, L. & Speranza, M. G. “Trends in Passenger Transport Optimisation.” International Transactions in Operational Research, Vol. 30, No. 6, 2023, pp. 3057–3086. DOI: 10.1111/itor.13300.(旅客交通最適化の動向、複数交通手段の統合)
- [5] Geurs, K. & van Wee, B. “Accessibility: Perspectives, Measures and Applications.” In The Transport System and Transport Policy: An Introduction, pp. 178–199, Edward Elgar, 2023.(アクセシビリティの観点・指標・応用の整理、標準概念としての継続)
- [6] Schwanen, T., Banister, D. & Anable, J. “Scientific Research about Climate Change Mitigation in Transport: A Critical Review.” Transportation Research Part A, Vol. 45, No. 10, 2011, pp. 993–1006. DOI: 10.1016/j.tra.2011.09.005.(気候変動緩和研究の批判的レビュー、定量的・実証主義的分析の優勢と代替的方法の出現、社会科学との関わりの課題)
- [7] 公共交通の炭素排出の公平に関する研究(スマートカードデータを用いた垂直的・水平的・空間的公平の評価)。”Mining travel carbon emission patterns and evaluating equity in public transportation based on smart card data,” 2022–2024.(新しいデータ源による不平等・環境の分析)
- [8] Banister, D. “The Sustainable Mobility Paradigm.” Transport Policy, Vol. 15, No. 2, 2008, pp. 73–80. DOI: 10.1016/j.tranpol.2007.10.005. および Holden, E., Banister, D., Gössling, S. ほか “Grand Narratives for Sustainable Mobility: A Conceptual Review,” Energy Research & Social Science, Vol. 65, 2020, art. 101454.(持続可能なモビリティ・パラダイム、複数の大きな物語のレビュー)
- [9] テレワークと移動行動に関する系統的レビュー群(2023–2025年)。例:”Will Telework Reduce Travel? An Evaluation of Empirical Evidence with Meta-Analysis,” Urban Science, Vol. 9, No. 6, 2025, art. 199; および Transport Reviews ほかにおけるコロナ禍の移動行動・通勤に関するレビュー。(テレワークの移動代替・補完効果、知見の不一致、研究の地理的集中)
- [10] Anik, M. A. H. & Habib, M. A. “Exploring the Effects of Information and Communication Technology on Travel within an Activity-Based Travel Demand Modeling System.” Transportation Research Record, 2025. DOI: 10.1177/03611981251335892.(活動ベース需要モデルへの仮想的活動・テレワークの組み込み)
本レポートは交通研究史シリーズの総括回として、現代の交通研究において実際に何が研究されているかを、近年のレビュー論文・文献計量分析・研究動向分析に基づいて記述した。検証した二つの問い──交通研究は移動そのものを研究しているのか、それともより広い対象へ拡張しているのか/古い研究分野は存続しているのか、新しいテーマと並存しているのか──について、確認できたエビデンスから言えることのみを整理した。確認できたのは、交通需要分析・離散選択モデル、交通最適化、アクセシビリティ研究といった古い研究プログラムが現在も活発に継続していること、モビリティーズ研究・不平等研究・正義研究といった社会科学系の関心も定着・継続していること、そしてICT・テレワーク・共有モビリティ・MaaS・気候変動・脱炭素といった新しいテーマが加わっていることである。すなわち、確認できる現状は、古い関心が新しい関心に置き換えられた「置換」ではなく、複数の研究プログラムが並存する「並存・累積」である。各プログラムの相対的な比重、新しいテーマが中心となったか否か、欧米以外の地域の動向については、確認できたレビューの範囲では十分に特定できず、不明とした。本レポートは提言・価値判断・規範的主張・独自理論・将来予測・未来像の提示を含まない。これをもって、流れ・需要・到達・都市・社会・不平等・自由・(そして現在の並存)という交通研究史シリーズ全8回を終える。
年表
(現代の交通研究動向に関わる主要文献・出来事。日付は確認できた範囲)
- 1994年 — モフタリアンとサロモンが、テレコミューティング(在宅就労)と移動の関係の研究を本格化(ICT・移動研究の先行)
- 1998年 — モフタリアンとヴァルマが、センターベース在宅就労の排出影響における「トリップ数と距離のトレードオフ」を論じる
- 2008年 — バニスター「持続可能なモビリティ・パラダイム」(Transport Policy 15:73–80)
- 2011年 — シュワネン、バニスター、アナブル「交通における気候変動緩和の研究:批判的レビュー」。定量・実証主義の優勢と質的方法の出現を指摘
- 2015年頃 — 携帯電話ネットワークデータ・GPSデータを用いた移動分析(起終点推定など)が普及
- 2017年 — ペレイラ、シュワネン、バニスターが交通の分配的正義をレビュー(複数の正義論の比較)
- 2020年 — コロナ禍を契機に、テレワーク・在宅就労と移動行動の研究が急増
- 2020年 — ホールデン、バニスター、ゲスリングら「持続可能なモビリティの大きな物語:概念的レビュー」
- 2021年 — ヴェッキオとマルテンス、潜在能力アプローチとアクセシビリティの文献をレビュー(操作化の散在性を指摘)
- 2021年 — 国際エネルギー機関『Net Zero by 2050』ロードマップ。交通の脱炭素が主要論点に
- 2022年 — コロナ禍の日常移動行動に関する大規模な文献レビューが蓄積(Paul ら2022年など)
- 2023年 — フィリッピら「旅客交通最適化の動向」(交通最適化・ORの継続を示す)
- 2023年 — ナラヤナンとアントニオウ「共有モビリティからMaaSへ」(Transportation Research Part A)
- 2023年 — グールスとファン・ウェーが、アクセシビリティの観点・指標・応用を入門書で整理(標準概念としての継続)
- 2023年 — テレワークと移動行動の関係に関する系統的レビューが各誌で相次ぐ
- 2023年 — コロナ禍の通勤・移動手段選択に関する系統的レビュー(Transport Reviews 等)
- 2024年 — テレワークが移動を減らすか否かをめぐり、知見の不一致が継続(メタ分析的検討)
- 2025年 — 離散選択モデルの効用推定アルゴリズム改良、深層学習・ドメイン知識の組み込み(需要分析の継続)
- 2025年 — 活動ベース需要モデルへの仮想的活動・テレワークの組み込み(アニク=ハビブら)
- 2025年 — 持続可能なモビリティ・交通の文献計量レビュー(約30年・7,710件、テーマの多様化を定量的に提示)
用語集
形式:英語, 用語,(用語が英語と異なる場合), 正式名称(用語と異なる場合), 略称(と異なる場合):解説
研究動向・俯瞰の概念
- Research Program, 研究プログラム:共通の前提・手法・対象を共有する研究の系統。本シリーズが追跡してきた分析単位。
- Bibliometric Analysis, 文献計量分析, ビブリオメトリクス:文献の集計データから、研究分野のテーマ・進化・知識伝播を分析する手法。
- Grand Narratives, 大きな物語:ある分野で何を中心問題とみなすかについての包括的な語り方。持続可能なモビリティに複数併存する。
- Coexistence, 並存:古い研究プログラムと新しいテーマが、置き換えではなく同時に存在している状態。本稿の中心的所見。
持続可能性・脱炭素
- Sustainable Mobility, 持続可能なモビリティ:環境・社会・経済の持続可能性を志向する移動のあり方を扱う、横断的な研究主題。
- Sustainable Mobility Paradigm, 持続可能なモビリティ・パラダイム:バニスター(2008年)が提示した、従来の交通計画の枠組みをより柔軟にする構想。
- Transport Decarbonisation, 交通の脱炭素:交通部門の温室効果ガス排出を削減する取り組み・研究。
- Net-zero Transport, ネットゼロ交通:交通の温室効果ガス排出を実質ゼロにする目標・研究領域。
- Avoid-Shift-Improve, 回避・転換・改善:移動の回避、低炭素手段への転換、効率の改善という、持続可能な交通の三本柱の枠組み(国際エネルギー機関など)。
- Rebound Effect, リバウンド効果:効率化や移動の代替が、かえって別の移動・消費を誘発し、削減効果を相殺する現象。
- Carbon Equity, 炭素の公平:交通の炭素排出の負担・便益が集団間でどう分配されるかをめぐる公平の問題。
- Spatial Equity, 空間的公平:アクセシビリティや便益・負担が地域間でどう分配されるかをめぐる公平。
ICT・デジタル接続
- Teleactivities, テレアクティビティ, 遠隔活動:情報通信技術を介して行う、移動を伴わない活動(在宅就労・遠隔学習・オンライン買い物など)。
- Work from Home, 在宅勤務, WFH:自宅で就労する形態。コロナ禍以降、移動行動研究の主要対象。(※「Telework」は既出のため別語として補足)
- Virtual Activities, 仮想的活動:物理的空間ではなく仮想的空間で行う活動。近年の交通需要モデルが組み込みつつある対象。
- Window of Opportunity, 機会の窓:大きな出来事が安定した移動習慣を変え、新しい手段への転換を促しうる契機。コロナ禍が例。
- Behaviour Change, 行動変容:移動行動が出来事・文脈によって変化すること。近年の移動行動研究の関心。
新しい交通サービス
- Demand-Responsive Transport, 需要対応型交通, DRT:固定路線でなく需要に応じて運行する公共交通。
- Microtransit, マイクロトランジット:小型車両による、需要対応型の共有交通サービス。
手法・データ
- Mixed Logit, 混合ロジット(モデル):選好の個人差を確率的に扱う離散選択モデル。現在も活発に用いられる。
- Nested Logit, 入れ子型ロジット, ネステッドロジット:選択肢を階層的に構造化した離散選択モデル。
- Hybrid Choice Model, ハイブリッド選択モデル:態度・知覚などの潜在変数を組み込んだ離散選択モデル。
- Deep Learning, 深層学習:多層ニューラルネットワークによる機械学習。移動行動予測・離散選択モデルに導入されつつある。
- Smart Card Data, スマートカードデータ:交通ICカードから得られる移動の記録。炭素排出の公平分析などに利用。
- Mobile Phone Data, 携帯電話データ:携帯電話ネットワークから得られる移動の記録。起終点推定などに利用。
- GPS Data, GPSデータ:測位データから得られる移動の軌跡。細密な移動行動分析に利用。
人物
- Jillian Anable, ジリアン・アナブル:シュワネン、バニスターとともに交通の気候変動緩和研究をレビュー(2011年)。
- Patricia Mokhtarian, パトリシア・モフタリアン:ICT・テレコミューティングと移動行動の関係を先駆的に研究した交通研究者。
- Ilan Salomon, イラン・サロモン:モフタリアンとともに、移動の代替・補完をめぐる研究を行った。
- Erling Holden, アーリング・ホールデン:バニスター、ゲスリングらと持続可能なモビリティの「大きな物語」をレビュー(2020年)。
- Stefan Gössling, ステファン・ゲスリング:ホールデン、バニスターらとの共著者。観光・モビリティと環境の研究者。










