「都市は誰によってつくられるのか」再開発、地価高騰、投資の集中。これらは住民の社会関係だけでは説明できません。1960年代、都市を資本と権力がせめぎ合う場として捉え直す大転換が起きました。ルフェーヴルの「空間の生産」、カステルの「集合的消費」、ハーヴェイの「空間的固定」と「都市企業家主義」。都市社会学から都市政治経済学へのパラダイム転換を、TODや日本の駅前再開発への示唆とともに解説します。シリーズ第三弾、公開しました。
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目次
はじめに
前回の記事「都市コミュニティ論 ― 都市は人々を孤立させるのか」では、都市化が人間の社会関係をどのように変えるのかという問いをめぐって、コミュニティ喪失論、存続論、解放論、そして社会関係資本論という四つの理論的潮流をたどりました。これらの理論は、都市に生きる人々が、近隣で、あるいは近隣を超えたネットワークの中で、どのように結びつき、信頼や互酬性を育んでいくのかを、きわめて豊かに描き出してきました。コミュニティ研究の最大の成果は、都市を、そこに住む人々が織りなす社会関係の網の目として捉え、その網の目の構造と変容を緻密に分析する視座を確立したことにあります。
しかし、前回の記事の末尾でも触れたように、コミュニティ研究には一つの構造的な限界がありました。その関心の重心が、もっぱら「住民間の関係」に置かれていたという点です。人々がどのように結びつくのかを問うことは重要です。しかし、都市の姿を実際に大きく変えていくのは、住民同士の関係だけではありません。再開発のプロジェクト、地価の変動、不動産への投資、行政の政策決定、そして開発をめぐる政治的な権力 — こうした力こそが、都市空間の形成と変容を駆動しているように見えます。
具体的に考えてみましょう。なぜ、ある地区で大規模な再開発が起こるのでしょうか。なぜ、特定のエリアで地価が急騰するのでしょうか。なぜ、投資は特定の地区に集中し、別の地区は見捨てられていくのでしょうか。なぜ、都市政策は、しばしば住民の生活よりも開発や成長を優先する方向へと進んでいくのでしょうか。これらの問いに対して、人々の社会的紐帯を分析するコミュニティ研究は、十分な答えを用意できませんでした。ある地区が再投資を通じて中産階級化し、もとの住民が住み続けられなくなっていくジェントリフィケーション(gentrification、都心部の地区が再投資によって富裕化し、従来の低所得層が立ち退きを迫られる現象)のような事象は、コミュニティ内部の関係の論理だけでは説明できないのです。そこには、不動産市場、資本の流れ、そして都市政治の力学が働いているからです。
こうした問題意識から、1960年代末から1970年代にかけて、都市研究には大きなパラダイムの転換が生じました。都市を「社会的適応の結果」や「社会関係の網の目」として捉える視座から、都市を「資本の蓄積と政治的権力がせめぎ合う場」として捉える視座への転換です。この新しい視座を体系化したのが、本記事が扱う都市政治経済学(urban political economy)という潮流です。本記事は、「都市は住民によって形成されるのか、それとも資本と権力によって形成されるのか」という問いを軸に、新都市社会学、マルクス主義都市論、そして空間の政治経済学の成立を解説していきます。
あらかじめ一点お断りしておきます。本記事で扱う理論の多くは、マルクス主義的な思想的背景をもっています。本記事は、これらの理論を都市研究史における重要な知的潮流として客観的に解説することを目的としており、特定の思想的立場の当否を論じるものではありません。理論の主張を紹介する箇所と、筆者自身の解釈や評価を述べる箇所とは、可能な限り区別して記述します。
都市社会学から都市政治経済学への転換
都市政治経済学の登場を理解するためには、それが何に対する批判として生まれたのかを知る必要があります。その批判の対象とは、前々回の記事で詳しく扱った、シカゴ学派に代表される古典的な都市社会学でした。ここではまず、シカゴ学派の都市理解を簡潔に振り返り、それがなぜ1960年代の都市問題を前に行き詰まったのかを見ていきます。
シカゴ学派の都市理解
前々回の記事「都市社会学の誕生」で論じたように、20世紀前半の都市社会学を主導したのは、シカゴ大学を拠点とするシカゴ学派でした。ロバート・E・パーク(Robert E. Park)とアーネスト・W・バージェス(Ernest W. Burgess)を中心とするこの学派は、都市の空間構造を、人間生態学(human ecology)という枠組みによって理解しようとしました [1]。
人間生態学の核心は、都市の空間秩序を、生物の生態系になぞらえて捉える点にありました。植物や動物の群集が、環境への適応と競争を通じて一定の空間的配置を形成するように、人間の集団もまた、都市という環境の中で競争し、適応しながら、特定の地区へと棲み分けられていく。この過程を通じて、都市にはスラム、商業地区、民族集住地区といった、固有の性格をもつ自然地域(natural area)が形成される、とされました [1]。バージェスの同心円地帯モデルは、この発想を、都市が中心から外側へと同心円状に拡大していくという空間モデルへと結晶させたものです。
ここで注意したいのは、シカゴ学派が都市の空間秩序を、基本的に「自然発生的な過程」の結果として描く傾向をもっていたという点です。競争、侵入、遷移といった生態学的な概念は、いずれも、無数の個人や集団の相互作用から自ずと生じる秩序を捉えるものでした。もっとも、パークやバージェス、マッケンジーが、権力や制度の働きをまったく視野に入れていなかったというわけではありません。彼らもまた、都市の政治や制度的な要因に一定の関心を寄せていました。しかし、後に登場する都市政治経済学の論者たちは、シカゴ学派の生態学的アプローチが、結果として都市空間の形成を「自然化」してしまい、その背後で働く経済的利害や政治的権力を十分に主題化しなかったと批判しました。すなわち、「都市の自然化」というのは、シカゴ学派自身の自己理解というよりも、後続の都市政治経済学者がシカゴ学派に向けた批判的な要約だという点に留意が必要です。筆者の見るところ、この批判の当否はともかく、都市の空間秩序をどこまで「自然な過程」として、どこまで「権力の産物」として捉えるかという論点こそが、二つのパラダイムを分かつ分水嶺となりました。
1960年代の都市問題
シカゴ学派の都市理解は、20世紀前半の都市社会学を長く支配しました。しかし、1960年代に入ると、欧米の諸都市は、従来の理論では十分に説明しきれない深刻な問題に直面するようになります。
アメリカの都市では、戦後の大規模な都市再開発(urban renewal)が、もとの住民、とりわけ貧困層やマイノリティの居住地区を破壊し、彼らを立ち退かせるという事態を引き起こしていました。同時に、白人中間層が郊外へと流出する郊外化(suburbanization)が進行し、都心部には貧困が集中していきました。1960年代後半には、こうした都市内部の矛盾が、各地での人種暴動という形で噴出します。住宅問題、貧困の空間的集中、人種隔離、そして再開発をめぐる住民と行政の対立 — これらは、当時の都市が抱える切実な現実でした。
こうした問題を前にして、シカゴ学派の人間生態学は、説明力の限界を露呈しました。なぜなら、これらの問題は、住民の自然な適応や競争の結果というよりも、明らかに、特定の主体による意図的な決定 — どこを再開発し、どこに投資し、誰を立ち退かせるか — の結果だったからです。再開発を決定したのは誰なのか。その決定によって誰が利益を得て、誰が損失を被ったのか。これらの問いは、生態学的な均衡のモデルからは出てきにくいものでした。都市問題を、政治と経済の権力関係の観点から捉え直す必要が、痛切に感じられるようになったのです。
新都市社会学の登場
このような問題意識を背景に、1970年代にかけて登場したのが、新都市社会学(new urban sociology)と呼ばれる潮流です。これは、単一の理論というよりも、シカゴ学派以来の主流派都市社会学を批判し、都市を資本主義社会の構造との関連で捉え直そうとする、一連の研究の総称です。
新都市社会学の基本的な視座は、都市現象を、その都市の内部だけで完結する自律的な過程としてではなく、より大きな社会構造 — とりわけ資本主義経済のあり方 — の反映として理解しようとする点にありました。スラムや郊外化や再開発は、都市の自然な進化の段階なのではなく、資本主義経済における資本の蓄積と循環、階級間の関係、そしてそれを調整する国家の役割によって生み出されるものだ、と新都市社会学は主張します。
この視座の転換において、決定的に重要だったのが、国家(state)の役割への注目です。シカゴ学派が市場の自生的な過程を強調したのに対し、新都市社会学は、住宅供給、インフラ整備、再開発の認可、土地利用の規制といった、国家や自治体の介入こそが、都市空間の形成を大きく規定していることを強調しました。都市は、放任された市場が自然に作り上げるものでも、住民が自発的に作り上げるものでもなく、資本と国家と階級が織りなす政治経済的な過程の産物である — この見方が、都市政治経済学の出発点となりました。以下では、この潮流を代表する三人の理論家 — ルフェーヴル、カステル、ハーヴェイ — の議論を順に検討していきます。
アンリ・ルフェーヴルと空間の生産
都市政治経済学の思想的源流として、まず挙げるべきはフランスの哲学者・社会学者アンリ・ルフェーヴル(Henri Lefebvre)です。彼は、空間というものについての根本的な発想の転換を促し、後続の理論家たちに決定的な影響を与えました。
ルフェーヴルの問題意識
ルフェーヴルの問題意識の核心は、一見すると当たり前すぎて疑問にも思わないような、ある前提を覆すことにありました。その前提とは、空間とは、人間の活動が繰り広げられる、単なる中立的な「容れ物」だ、という見方です。私たちは普段、空間を、その中で出来事が起こる、あらかじめ与えられた舞台のようなものとして考えがちです。地図上の座標や、幾何学的な広がりとして、空間を客観的で自然なものと見なしています。
ルフェーヴルは、この見方を根底から批判しました。彼によれば、空間は決して自然に与えられた中立的な容れ物ではなく、社会によって能動的に「生産される」ものです [2]。とりわけ資本主義社会においては、空間はその社会の生産様式 — 生産がどのように組織され、誰が利益を得るのか — を反映し、またそれを支えるものとして、意図的に作り出されていきます。都市空間のあり方、土地の区画、用途の配置、中心と周縁の構造、これらはすべて、社会的・経済的・政治的な力の産物なのだ、というのがルフェーヴルの根本的な主張でした。筆者の理解では、この「空間は社会的に生産される」というテーゼこそが、都市政治経済学全体の哲学的な基礎を据えたものといえます。
空間の生産
ルフェーヴルがこの思想を体系的に展開したのが、1974年に刊行された『空間の生産(La production de l’espace)』です [2]。この著作の中で彼は、空間がどのように生産されるのかを分析するために、三つの契機からなる枠組みを提示しました。この三項図式は難解なことで知られますが、その骨子を可能な限り平易に説明してみます。
第一の契機は、空間的実践(spatial practice)です。これは、日々の生活の中で人々が実際に空間を使い、移動し、そこで活動する、その物理的・知覚的な側面を指します [2]。通勤の経路、住む場所と働く場所の関係、人々が都市の中を実際にどう動き回るのか — こうした具体的で身体的な空間の使われ方が、空間的実践です。これは、社会が空間を物質的に作り出し、また再生産していく日常的な過程に対応します。
第二の契機は、空間の表象(representations of space)です。これは、都市計画家、技術者、行政官、建築家といった専門家たちが、その専門的な知識や図面、概念を用いて構想する、抽象的で計画された空間を指します [2]。都市計画図、ゾーニング、設計図面などがこれにあたります。ルフェーヴルは、これを支配的な空間、すなわち権力と結びついた、社会を上から秩序づけようとする空間の捉え方と位置づけました。筆者の見るところ、ここには都市計画という営みそのものへの批判的な眼差しが含まれており、都市計画が中立的な技術ではなく、特定の権力作用でありうることを示唆しています。
第三の契機は、表象の空間(representational space、日本語文献では「表象空間」あるいは「生きられた空間」とも訳されます)です。これは、住民が実際に生きて経験する空間、象徴や意味やイメージに満ちた、生きられた空間を指します [2]。人々が場所に対して抱く愛着、記憶、抵抗の感覚といった、専門家の図面には還元されない次元です。ルフェーヴルは、この生きられた空間が、支配的な「空間の表象」に対抗し、それを内側から変容させる潜在的な力をもつと考えました。
この三項図式の意義は、空間というものが、物理的な実践、専門家による計画、そして住民の生きられた経験という、複数の次元のせめぎ合いの中で生産されるものだと示した点にあります。都市空間は、決して一枚岩の自然な所与ではなく、これらの次元が緊張をはらみながら絡み合う、動的な社会的生産物なのです。
都市への権利
ルフェーヴルのもう一つの重要な貢献が、1968年に刊行された『都市への権利(Le Droit à la ville)』で提起された、「都市への権利(right to the city)」という概念です [3]。この概念は、後の都市計画やまちづくり、さらには都市をめぐる社会運動に、計り知れない影響を与えました。
都市への権利とは、単に都市に住む権利や、都市のサービスを利用する権利にとどまるものではありません。ルフェーヴルがこの概念に込めたのは、より根本的な要求でした。それは、都市空間がどのように作られ、変えられていくのか、その決定の過程に住民自身が参加する権利です [3]。すなわち、都市を「作り、作り変える」ことへの集合的な権利です。
この概念の背後には、資本主義のもとで都市空間が、住民の生活の必要よりも、資本の論理 — 利潤の追求や交換価値 — に従って作り変えられていくことへの批判があります。再開発が住民を立ち退かせ、都市が投資の対象として再編されていくとき、住民は自らが生きる空間の形成から疎外されてしまう。都市への権利は、この疎外に対する異議申し立てであり、都市を住民の手に取り戻そうとする要求でした [3]。筆者の見るところ、この概念は、後の参加型まちづくりや、開発に対する住民運動、そして近年の「都市への権利」運動に至るまで、都市の民主的なあり方を構想するための理念的な基盤を提供し続けています。前回扱った住民参加や協働型計画の思想とも、深いところで響き合うものです。
マニュエル・カステルと都市問題
ルフェーヴルが哲学的な次元で空間の社会的生産を論じたのに対し、それをより社会学的・構造的な分析へと展開したのが、スペイン出身の社会学者マニュエル・カステル(Manuel Castells)です。彼の初期の仕事は、新都市社会学を理論的に基礎づける上で中心的な役割を果たしました。
都市問題への新しい視点
カステルが1972年に刊行した『都市問題(La Question urbaine)』は、新都市社会学の出発点を画する著作とされています [4]。この著作でカステルは、それまでの都市社会学 — とりわけシカゴ学派の都市性論 — を厳しく批判しました。
カステルの批判の核心は、従来の都市社会学が「都市」や「都市性」を、それ自体で独立した分析対象であるかのように扱ってきた点にありました。ワースの都市性論が、人口の規模・密度・異質性といった都市の特性から特定の生活様式を導いたように、従来の理論は、都市というものに固有の論理があると想定していました。カステルは、これを「都市イデオロギー」として斥けます。彼によれば、「都市」なるものを自律的な実体として論じることは、その背後にある本当の規定要因 — 資本主義社会の構造 — を覆い隠してしまうイデオロギー的な操作にほかなりません [4]。
ここで重要なのは、初期のカステルが、都市を独立した分析対象とみなすこと自体に強く批判的であったという点です。彼の狙いは、新しい「都市理論」を打ち立てることというよりも、むしろ既存の「都市」という分析カテゴリーそのものを解体し、都市現象を資本主義社会の構造全体の中に位置づけ直すことにありました [4]。すなわちカステルにとって、都市は、資本主義における生産、消費、そしてそれらの再生産が空間的に組織される、その場として捉えられるべきものでした。この視座の転換によって、都市研究の問いは、「都市とは何か」から「資本主義社会において都市空間はどのような機能を果たしているのか」へと組み替えられたのです。
集合的消費論
この問いに対するカステルの最も独創的な回答が、集合的消費(collective consumption)という概念です。これは、初期のカステル理論の中核をなすものであり、都市というものを定義し直す試みでした。
カステルは、都市空間に特有の機能を、「集合的消費」の過程に見出しました [4]。集合的消費とは、人々が個人で市場から購入するのではなく、集合的に — とりわけ国家や自治体による供給を通じて — 消費する財やサービスのことを指します。具体的には、公営住宅、公共交通、学校教育、医療や福祉、上下水道といった、都市生活を支える基盤的なサービスがこれにあたります [4]。
なぜこれらが理論的に重要なのでしょうか。カステルの議論によれば、これらのサービスは、労働者が日々の労働力を回復し、次の世代の労働力を育てる、すなわち「労働力の再生産」にとって不可欠です。ところが、住宅や交通といった財は、しばしば民間市場だけでは十分かつ適正な価格で供給されません。そこで国家が介入し、これらを集合的に供給することになります。こうして都市は、国家による集合的消費の組織化が集中的に行われる場として特徴づけられるのです [4]。
この集合的消費論の意義は、国家を都市分析の中心に据えた点にあります。都市空間の形成において、住宅をどこにどれだけ供給するか、公共交通をどこに整備するか、学校や病院をどう配置するかといった国家の決定が、決定的な役割を果たす。都市は、市場の自生的な秩序でも住民の自然な適応でもなく、国家の政策的介入によって構造化された空間なのだ、という見方が、ここで明確に打ち出されました。筆者の見るところ、この視座は、公共交通投資や住宅政策、インフラ整備といった、まさに都市計画の中核的な領域を、政治経済学的に分析するための枠組みを提供するものです。
もっとも、初期カステルの集合的消費論は、その後の研究史の中で少なからぬ批判を受けてきたことも付言しておくべきでしょう。とりわけ、都市を国家による労働力再生産の装置として捉えすぎており、文化やアイデンティティ、住民の能動的な意味づけといった次元を軽視している、という指摘がなされてきました。なお、カステル自身も後年には研究関心を大きく移し、情報技術が社会を再編する過程を論じる情報社会論・ネットワーク社会論へと向かっていきました。本記事で扱うのはあくまで初期カステルの都市論であり、彼の知的軌跡全体の一断面である点に留意が必要です。
都市社会運動
集合的消費が国家によって供給されるということは、その供給のあり方をめぐって、政治的な対立が生じうることを意味します。家賃が高すぎる、公共交通が不便だ、学校が足りない — こうした集合的消費をめぐる不満は、住民の集合的な行動、すなわち都市社会運動(urban social movements)へと発展しうる、とカステルは論じました [5]。
カステルは、後の著作『都市・階級・権力(City, Class and Power)』などにおいて、集合的消費をめぐる住民運動を、現代都市における重要な政治的主体として位置づけました [5]。家賃統制を求める運動、立ち退きに反対する運動、地域のサービス改善を求める運動といった都市社会運動は、都市空間のあり方をめぐる政治的な闘争であり、都市の変容を駆動する力となりうる、というのです。
この都市社会運動への注目は、都市政治経済学に、構造の分析だけでなく、人々の能動的な行為(エージェンシー)の次元を組み込むものでした。都市は資本と国家によって一方的に作られるだけでなく、住民の集合的な行動によっても作り変えられうる。この視点は、前回扱ったコミュニティ研究 — とりわけ住民の集合的効力感や社会運動への関心 — と、都市政治経済学とを架橋する接点ともなっています。また、後の都市ガバナンス論が扱う、多様な主体による都市の統治という主題の先駆けともいえるでしょう。
デヴィッド・ハーヴェイと都市の政治経済学
ルフェーヴルが哲学を、カステルが社会学を出発点としたのに対し、地理学の側から都市政治経済学に決定的な貢献をしたのが、イギリス出身の地理学者デヴィッド・ハーヴェイ(David Harvey)です。彼は、マルクスの経済理論を空間と都市の分析に体系的に応用し、この分野で最も影響力のある理論家の一人となりました。
都市地理学の転換
ハーヴェイのキャリアは、それ自体が都市政治経済学への転換を体現しています。彼は当初、実証主義地理学(positivist geography)の有力な担い手でした。実証主義地理学とは、空間現象を、数量的なデータと統計的・数理的な手法によって客観的に分析しようとする立場であり、1960年代の地理学で主流をなしていました。ハーヴェイの初期の著作『地理学における説明(Explanation in Geography)』は、この立場の代表的な成果とされます。
しかし、1960年代末の都市問題 — 貧困、人種隔離、再開発をめぐる対立 — を前にして、ハーヴェイは実証主義地理学の限界を痛感します。空間のパターンを客観的に記述・分析することはできても、なぜそのような不平等が生じるのか、それを変えるにはどうすればよいのか、という規範的・批判的な問いに、実証主義は答えられなかったからです。こうしてハーヴェイは、マルクス主義に依拠する批判地理学(radical geography)へと、その立場を大きく転換させていきました。1973年の『社会正義と都市(Social Justice and the City)』は、この転換を記録した著作として知られています [6]。この本の前半は実証主義的な分析を、後半はマルクス主義的な分析を展開しており、一人の研究者の中での思想的転回がそのまま書物の構成に現れている点で、象徴的な著作といえます。
資本蓄積と都市化
ハーヴェイの理論の核心は、都市化(urbanization)の過程を、資本主義における資本蓄積(capital accumulation)の論理から説明する点にあります。彼の代表的著作『資本の限界(The Limits to Capital)』や『資本の都市化(The Urbanization of Capital)』は、この観点を体系的に展開したものです [7][8]。
ハーヴェイの議論を理解する鍵は、建造環境(built environment)という概念です。建造環境とは、建物、道路、鉄道、上下水道、港湾といった、都市を構成する物理的なインフラの総体を指します。ハーヴェイは、この建造環境を、資本が投下され、固定される対象として捉えました [7]。すなわち、都市の物理的な姿は、資本がそこに投資されることによって作られていくのです。
では、なぜ資本は建造環境へと向かうのでしょうか。ハーヴェイの説明は、資本主義に内在する矛盾に注目するものでした。資本主義経済は、絶えず利潤を生み出し、それを再投資して成長を続けようとします。しかし、生産が拡大しすぎると、商品が売れ残り、投資先が枯渇する「過剰蓄積(overaccumulation)」の危機が生じます。利潤を生む先を失った余剰資本は、行き場を求めることになる。このとき、その吐け口の一つとなるのが、都市の建造環境への投資なのだ、とハーヴェイは論じます [7]。
空間的固定
この、過剰蓄積の危機を、建造環境への投資を通じて一時的に回避しようとする過程を、ハーヴェイは空間的固定(spatial fix、日本語では空間的修復・空間的解決とも訳されます)という概念で捉えました [7][8]。これは、彼の理論の中でも最も重要かつ独創的な概念の一つです。原語の「fix」には、「固定する」という意味と「(一時的に)解決する・修復する」という意味の両方が掛けられており、この多義性ゆえに訳語も一つに定まっていません。
具体例で考えてみましょう。ある時期、製造業への投資が飽和し、これ以上の利潤を生みにくくなったとします。行き場を失った余剰資本は、不動産開発や都市インフラの建設へと向かいます。オフィスビルの建設、ショッピングモールの開発、新しい鉄道や高速道路の整備、大規模な再開発プロジェクト — これらは、余剰資本を吸収する巨大な受け皿となります。資本は、地理的な空間(建造環境)に固定されることで、過剰蓄積の危機を一時的に先送りするのです [8]。19世紀パリの大改造や、20世紀の郊外住宅地開発、そして現代の都市再開発ブームなどは、しばしばこの空間的固定の事例として論じられてきました。
しかし、この解決は一時的なものにすぎません。建造環境への投資は、やがてそれ自体が過剰となり、新たな危機を準備します。すると資本は、既存の建造環境を破壊し、別の場所へ、あるいは同じ場所の作り変えへと向かう。ハーヴェイは、このように資本が空間を絶えず作り、壊し、作り直していく過程として、都市化のダイナミズムを描き出しました。筆者の見るところ、この空間的固定の概念は、なぜ都市が絶え間ない再開発と建設のサイクルにさらされ続けるのかを、資本の論理から説明する強力な視座を提供しています。都市の物理的な変容を、個別の開発判断の集積としてではなく、資本主義経済の構造的な必然として捉える点に、その理論的な力があります。
都市企業家主義
ハーヴェイのもう一つの重要な貢献が、1989年の論文「管理者主義から企業家主義へ(From Managerialism to Entrepreneurialism)」で提起された、都市企業家主義(urban entrepreneurialism)という概念です [9]。これは、20世紀後半における都市統治のあり方の変化を捉えたものです。
ハーヴェイによれば、戦後しばらくの間、都市の自治体は、主として「管理者主義」的な役割を担っていました。すなわち、住民に対して住宅、教育、福祉といったサービスを供給し、都市を管理することが、自治体の主たる任務とされていたのです。これは、先に見たカステルの集合的消費論が描いた都市像とも重なります。
しかし、1970年代以降の経済の停滞とグローバル化の進展の中で、都市の役割は大きく変化していきました。脱工業化によって雇用と税収を失った都市は、生き残りをかけて、企業や投資、観光客を呼び込むために、互いに競争するようになります。自治体は、もはや単なるサービスの供給者ではなく、自らの都市を「売り込み」、投資を誘致する、企業家のような主体へと変貌したのです。これがハーヴェイの言う都市企業家主義です [9]。
ハーヴェイがこの論文で特に強調したのは、この企業家主義的な統治が、しばしば公民パートナーシップ(public-private partnership、官民連携)という形をとる点でした [9]。自治体は、民間の開発業者や投資家と連合を組み、公的な資源やリスクを投じて投資を誘致しようとします。都市間競争(inter-urban competition)に勝ち抜くために、こうした官民連合は、見栄えのする大規模な再開発、コンベンションセンターやスタジアムといったメガプロジェクト、ウォーターフロント開発、文化施設の誘致などに力を注ぐようになります。これらは、都市のイメージを高め、投資を引きつけることを狙ったものです。しかしハーヴェイは、こうした企業家主義的な都市開発が、しばしば公的資源を一部の華やかなプロジェクトに集中させ、住民の生活の必要 — 手頃な住宅や基礎的なサービス — を後回しにし、都市内部の格差を拡大させる傾向をもつことを批判的に指摘しました [9]。この官民連携を通じた投資誘致型の統治という論点は、後の都市レジーム論やガバナンス論が深く掘り下げていく主題の先駆けでもあります。筆者の見るところ、この都市企業家主義の概念は、現代の駅前再開発やウォーターフロント開発、大規模イベントの誘致といった、日本の都市でも広く見られる現象を分析する上で、きわめて示唆に富むものです。
三者の比較 ― 都市政治経済学の内部差異
ここまで、ルフェーヴル、カステル、ハーヴェイという三人の理論家を見てきました。彼らはいずれも、都市を資本主義社会の構造との関連で捉えるという点で、大きな方向性を共有しています。しかし、その力点や中心的な概念は、実は互いにかなり異なっています。三者を一枚岩の「都市政治経済学」として捉えてしまうと、この豊かな内部差異を見落とすことになります。そこで、本格的な理論的整理に入る前に、三者の違いを対比的に確認しておきましょう。
| 理論家 | 出発点の学問 | 中心概念 | 都市形成の主因 | 主たる関心 |
|---|---|---|---|---|
| ルフェーヴル | 哲学 | 空間の生産・都市への権利 | 社会的実践と諸力のせめぎ合い | 空間が社会的に生産される論理 |
| カステル(初期) | 社会学 | 集合的消費・都市社会運動 | 国家による集合的消費の組織化 | 国家の役割と住民運動 |
| ハーヴェイ | 地理学 | 空間的固定・資本蓄積 | 資本蓄積の論理 | 資本の循環と都市化の関係 |
この対比から見えてくるのは、三者がそれぞれ異なる角度から、都市の政治経済を照らし出しているということです。ルフェーヴルは、空間そのものの哲学的な捉え方を転換させ、空間が社会的に生産されるという根本テーゼを据えました。初期カステルは、国家と集合的消費に焦点を当て、住民運動という政治的主体に光を当てました。そしてハーヴェイは、資本蓄積という経済の論理に最も徹底して焦点を当て、資本が空間を作り変えていくダイナミズムを描きました。それぞれ「社会的実践」「国家」「資本」という、異なる規定要因を中心に据えているのです。筆者の見るところ、都市政治経済学の豊かさは、まさにこの内部の多様性 — 空間論、国家論、資本論という複数の焦点 — にあるといえます。
都市政治経済学の理論的特徴
三者の差異を確認した上で、今度は、都市政治経済学という潮流が全体として、従来の都市社会学とどのように異なるのかを整理しておきましょう。
都市社会学との対比
両者の違いを、いくつかの観点から対比的に示すと、次のように整理できます。この対比は理解のための単純化であり、それぞれの内部にも多様性があることをお断りしておきます。
| 観点 | 古典的都市社会学(シカゴ学派) | 都市政治経済学 |
|---|---|---|
| 都市形成の主因 | 住民・集団の競争と適応(生態学的過程) | 資本の蓄積と政治的権力 |
| 空間の捉え方 | 自然発生的に生じる秩序として描かれがち | 社会的・政治的に生産されるもの |
| 分析の単位・焦点 | 近隣、自然地域、コミュニティ | 資本の循環、階級、国家、都市政治 |
| 国家の位置づけ | 背景的・限定的 | 中心的(集合的消費の供給・規制) |
| 資本の位置づけ | 主題化されにくい | 都市形成の駆動力 |
| 権力への注目 | 相対的に希薄 | 中心的な分析対象 |
| 都市計画の見方 | 調整・適応の枠組み | 権力作用であり、利害の調整・闘争の場 |
| 規範的志向 | 相対的に弱い(記述的) | 強い(不平等への批判的関心) |
この対比から見えてくるのは、都市政治経済学が、都市を見る視座そのものを転換させたということです。シカゴ学派が都市を、人々の適応が生み出す均衡へ向かう過程として描く傾向をもったのに対し、都市政治経済学は都市を、特定の経済構造と権力関係が生み出す、闘争に満ちた歴史的産物として捉えます。前者が「都市はどのように均衡へ向かうか」を問う傾きをもったのに対し、後者は「都市は誰の利益のために、どのように作り変えられるか」を問うたのです。
都市をめぐる権力と資本
都市政治経済学の中心的な洞察は、都市空間の核心に「土地」と「不動産」をめぐる利害が存在するという点にあります。都市の土地は、有限であり、移動できず、その価値は周辺の開発や立地によって大きく変動します。この特異な性格ゆえに、土地と不動産は、投資と投機の対象となり、巨大な利益と損失を生み出す源泉となります。
都市政治経済学の視座から見れば、再開発、地価の変動、投資の集中といった現象は、この土地・不動産をめぐる利害の力学から理解できます。ある地区に投資が集中し、地価が上昇するのは、そこに利潤の機会を見出す資本が流入するからです。そして、この資本の流れは、しばしば都市政治と密接に結びついています。どの地区を再開発するか、どこに公共交通を通すか、容積率をどう設定するかといった行政の決定は、土地の価値を大きく左右し、それゆえに、開発をめぐる利害関係者 — 不動産業者、開発業者、金融機関、地権者、そして政治家 — の政治的な働きかけの対象となります。都市空間の形成は、こうした経済的利害と政治的権力の交錯の中で進んでいくのです。
都市空間は誰がつくるのか
こうして、本記事の中心的な問い — 都市空間は誰がつくるのか — に立ち返ることができます。コミュニティ研究が示したように、都市は確かに、そこに住む人々の日常的な相互作用と社会関係によって形作られる側面をもっています。しかし、都市政治経済学が明らかにしたのは、都市空間の大きな枠組み — どこが開発され、どこが見捨てられ、誰がそこに住めるのか — を決定づけているのは、資本の論理と政治的権力だという点です。
もっとも、この問いに「資本と権力がすべてを決める」と単純に答えてしまうことには、慎重でなければなりません。先に見たルフェーヴルの「都市への権利」やカステルの「都市社会運動」が示すように、都市政治経済学の内部にも、住民の能動的な行為が都市を作り変えうるという視点が含まれています。都市空間は、資本と権力によって一方的に生産されるだけでなく、それに対する抵抗や、住民の参加によっても形作られる、せめぎ合いの場なのです。筆者の見るところ、「都市は誰がつくるのか」という問いに対する都市政治経済学の最も成熟した答えは、「都市は、資本・国家・住民という複数の力が、不均衡な力関係の中でせめぎ合いながら、共同で(しかし対立しつつ)作り出す」というものだと考えられます。この見方は、前回扱ったコミュニティ研究と、本記事の都市政治経済学とを、対立するものではなく相補的なものとして統合する視座を与えてくれます。
都市計画への影響
都市政治経済学は、抽象的な理論にとどまるものではありません。それは、都市計画やまちづくりの実務を理解し、批判的に検討するための、強力な視座を提供します。ここでは、いくつかの実務領域に即して、その含意を考えてみます(以下の関連づけには、確立した知見と筆者の解釈とが含まれます)。
都市再開発について、都市政治経済学は、それを単なる物理的環境の改善としてではなく、土地の交換価値を高め、資本の投資先を作り出す過程として捉えます。再開発によって誰が利益を得て、誰が立ち退きを迫られるのか、という分配の問いを、この視座は常に前景化させます。ジェントリフィケーションの問題は、まさにこの観点から分析されてきました。
公共交通投資やTOD(transit-oriented development、公共交通指向型開発)についても、都市政治経済学は重要な視点を加えます。前回までの記事では、TODを、歩きやすく持続可能な都市構造を実現し、社会的包摂に資する手法として論じてきました。しかし都市政治経済学の視座は、駅周辺への公共投資が、同時に周辺の地価を押し上げ、不動産開発の機会を生み出し、結果として既存の住民を押し出す力をもちうることにも注意を促します。公共交通投資は、集合的消費の供給という公共的な意義をもつと同時に、土地の価値をめぐる資本の運動と不可分に結びついているのです。筆者の見るところ、TODを構想する際には、その交通計画上・環境上の便益と、それがもたらしうる地価上昇や立ち退きの圧力との両面を、ともに視野に収める必要があります。
住宅政策やインフラ整備も、カステルの集合的消費論の観点から捉え直すことができます。これらは、労働力の再生産を支える公共的なサービスであると同時に、それをどこに、誰のために供給するかという、すぐれて政治的な決定でもあります。手頃な公営住宅をどれだけ供給するか、インフラ投資をどの地区に振り向けるかといった決定は、都市の社会的な公正さを大きく左右します。
日本の都市計画との関係
都市政治経済学の視座は、欧米の都市を主たる対象として形成されたものですが、日本の都市計画を理解する上でも、多くの示唆を与えてくれます。ただし、日本には、強力な鉄道事業者による沿線開発や、独自の土地利用規制の体系といった固有の条件があり、欧米の理論をそのまま当てはめることには慎重さが求められます。以下に述べるのは、ハーヴェイらの理論を日本の文脈に当てはめて読み解いた場合の解釈であり、確立した実証的事実としてではなく、一つの分析の視座として提示するものです。
高度経済成長期の日本では、急速な都市化と工業化を背景に、大規模な都市開発とインフラ整備が進められました。郊外では、住宅公団などによる大規模な団地開発や、鉄道事業者による沿線住宅地の開発が展開され、都市圏が外延的に拡大していきました。これらの開発は、増大する住宅需要に応えるものであると同時に、建設・不動産・鉄道といった産業にとっての巨大な投資機会でもありました。ハーヴェイの空間的固定の概念から解釈すれば、高度成長期に蓄積された資本が、こうした郊外開発やインフラ建設へと向かった過程を、一つの理論的な視座から読み解くことができます。ただし、これがどこまで日本の実態に当てはまるかは、慎重な実証的検討を要する論点です。
とりわけ日本に特徴的なのが、鉄道事業者による開発のあり方です。前々回の記事でも触れたように、日本の私鉄は、鉄道の敷設と沿線の宅地開発、ターミナルでの商業施設の経営を一体的に行うという独自のビジネスモデルを発展させてきました。これは、交通インフラの整備と不動産開発と商業を結びつけ、沿線の地価上昇による利益を事業者が回収する仕組みであり、ハーヴェイの理論から解釈すれば、資本と空間の結びつきのきわめて明瞭な事例として読むことができます。近年の都市再生施策のもとで進む大規模な駅前再開発も、容積率の緩和などの公的な制度を梃子として、民間資本による大規模な不動産開発を誘導するものであり、ハーヴェイの都市企業家主義や官民連携の観点から分析する余地が大きいといえます。これらの日本的事例の本格的な分析は、なお実証的な検討に開かれた課題です。
都市政治経済学への批判
都市政治経済学は、都市研究に大きな転換をもたらしましたが、それ自体もまた、さまざまな批判にさらされてきました。これらの批判を検討することは、この理論の限界を理解すると同時に、その後の都市研究の展開を見通す上で重要です。
最も根本的な批判は、経済決定論(economic determinism)に対するものです。初期の都市政治経済学、とりわけマルクス主義的な議論は、都市現象を究極的には資本の論理や経済構造に還元して説明する傾向をもっていました。これに対して、都市空間のあり方は、経済構造だけでなく、文化、政治、歴史、住民の行為など、より多様な要因によって規定されているのではないか、という批判が提起されました。経済的な構造を過度に強調することは、人々の能動的な実践や、文化的・象徴的な次元の重要性を見えなくしてしまう、というのです。
こうした批判の中から、1980年代以降、いくつかの新しい潮流が登場しました。一つは、文化的転回(cultural turn)と呼ばれる動きであり、都市における文化、象徴、アイデンティティ、表象の役割に注目するものです。シャロン・ズーキン(Sharon Zukin)による、文化と経済が交錯する都市景観の分析などが、その代表例として知られています [10]。もう一つは、ポストモダン都市論であり、エドワード・ソジャ(Edward Soja)らは、ロサンゼルスのような都市を題材に、近代的な単一中心の都市像が解体し、断片化・多核化した新しい都市空間が出現していると論じました [11]。これらの議論は、ハーヴェイらの経済中心的な分析を、空間の多様性や文化の次元から補完あるいは批判しようとするものでした。
さらに、アクターネットワーク理論(actor-network theory)のように、都市を、人間だけでなく、技術やモノ(インフラ、建物、自然など)をも含む多様な要素(アクター)のネットワークとして捉え直そうとする視座も登場しました。この立場は、資本や階級といった大きな構造から出発するのではなく、具体的な事物の絡み合いの中から都市が立ち現れる過程を、より細やかに記述しようとします。
また、ガバナンス論(urban governance)の発展も、都市政治経済学への一つの応答として位置づけられます。ガバナンス論は、都市の統治を、国家や資本といった単一の主体の論理からではなく、行政、企業、住民、NPOといった多様な主体の相互作用とネットワークの観点から捉えようとします。これは、後述する成長機械論や都市レジーム論とも深く関わる潮流です。筆者の見るところ、これらの批判と新潮流は、都市政治経済学を乗り越えたというよりも、その経済中心的な傾きを修正し、より多元的な都市理解へと発展させていったものと理解するのが適切でしょう。
都市政治経済学は誰を見落としたのか ― 次の理論への接続
都市政治経済学は、都市を資本と権力の産物として捉える視座を確立しましたが、同時に、その焦点の置き方ゆえの「見落とし」も抱えていました。この見落としを補おうとする試みが、次回扱う理論へと、私たちを自然に導いていきます。
これまで見てきたように、ハーヴェイの理論は資本の論理に、初期カステルの理論は国家の役割に、それぞれ焦点を当てていました。これらは、いわばマクロな構造の水準から都市を捉えるものです。資本の蓄積や国家の政策といった、大きな力が都市を作り変えていく、という視座です。しかし、こうしたマクロな視座からは、ある重要な水準が抜け落ちがちでした。それは、実際の都市開発の現場で、具体的に誰が、どのような利害から、開発を推進しているのか、という水準です。
現実の都市において、再開発や成長を推し進めているのは、抽象的な「資本」や「国家」そのものではありません。より具体的には、土地を所有する地権者、利益を求める不動産業者や開発業者、地域経済の活性化を望む商工会議所や地元企業、税収と票を求める地方政治家、そして開発を後押しする地元メディア — こうした、都市の現場にいる具体的なアクターたちです。彼らは、しばしば立場の違いを超えて、土地の価値を高め、都市を成長させるという一点で利害を共有し、ゆるやかな連合を形づくります。マクロな構造論は、こうした具体的なアクターたちの利害と連合の力学を、十分に捉えきれていませんでした。
この見落とされた水準 — 具体的なローカルなアクターたちの連合 — に正面から光を当てたのが、次回扱う成長機械論(growth machine theory)です。1976年にハーヴェイ・モロッチ(Harvey Molotch)が提起し、1987年にジョン・ローガン(John Logan)とともに体系化したこの理論は、都市を、土地の交換価値の増大 — すなわち成長 — を共通の目的とする、地元のエリート連合(成長連合)によって駆動される「成長の機械」として捉えます [12][13]。彼らは、土地の「使用価値」(住民にとっての生活の場としての価値)と「交換価値」(投資対象としての市場価値)の対立を軸に、なぜ都市政治がしばしば成長を優先するのかを、具体的な主体の利害から説明しました。
このように位置づければ、成長機械論は、突如として現れる新しい理論ではなく、都市政治経済学が残した「具体的なアクターの欠落」を補う理論として、系譜の中に自然に位置づけられます。ハーヴェイらの構造的な政治経済学と、成長機械論の具体的なアクター分析とは、対立するというより、異なる水準で都市を照らす相補的な視座です。そして成長機械論のさらに先には、都市の統治連合のあり方をより動態的に論じる都市レジーム論(urban regime theory)が控えています。都市政治経済学から成長機械論、そして都市レジーム論へという流れは、都市の政治と経済を理解するための、一つの連続した理論的系譜を形づくっているのです。
おわりに
本記事では、「都市は誰によってつくられるのか」という問いを軸に、1960年代以降に登場した都市政治経済学の成立と理論的意義をたどってきました。最後に、議論の全体を振り返っておきます。
都市政治経済学は、都市を住民の自然な適応の結果として描く傾向をもったシカゴ学派以来の視座への批判として生まれました。1960年代の都市問題 — 再開発、貧困、人種隔離、住宅問題 — を前に、都市現象を資本主義社会の構造との関連で捉え直す必要が痛感され、新都市社会学という潮流が登場しました。ルフェーヴルは、空間が社会的に生産されるものであることを示し、「都市への権利」という理念を提起しました。初期のカステルは、集合的消費という概念によって国家を都市分析の中心に据え、都市社会運動に注目しました。そしてハーヴェイは、資本蓄積の論理から都市化を説明し、空間的固定や都市企業家主義といった概念によって、都市の変容のダイナミズムを描き出しました。三者は方向性を共有しつつも、それぞれ「社会的実践」「国家」「資本」という異なる焦点をもっており、都市政治経済学はこの内部の多様性によって豊かなものとなっています。
これらの理論に共通するのは、都市空間を、自然な所与でも中立的な容れ物でもなく、特定の経済構造と権力関係が生み出す、闘争に満ちた歴史的産物として捉える視座です。この視座は、再開発、地価変動、投資の集中、そして都市政策の方向性といった、コミュニティ研究では説明しきれなかった現象に、強力な説明の枠組みを与えました。同時に、経済決定論への批判から、文化的転回やガバナンス論といった新たな潮流が生まれ、都市理解はより多元的なものへと発展していきました。
前回のコミュニティ研究が「都市の中で人々はどのように結びつくのか」を問うたのに対し、本記事の都市政治経済学は「都市空間は誰によって、どのように作られるのか」を問うてきました。この二つの問いは、対立するものではなく、現代の都市を立体的に理解するための、相補的な視角です。人々の結びつきへの注目と、資本や権力への注目とを、ともに視野に収めることで、私たちははじめて、都市という複雑な対象に正面から向き合うことができます。そして、本記事が浮かび上がらせた「具体的には誰が都市の成長を推し進めるのか」という問いは、次回扱う成長機械論へと、私たちを導いていきます。本記事が、読者の皆さんにとって、都市理論の体系を見通し、自らの実践や研究を位置づけるための一助となれば幸いです。
参考文献
本記事は以下の文献に基づいています。原典の刊行年と版については、入手可能な版に応じて記載しています。可能な限り原典を優先し、邦訳のあるものは併記しました。
英語文献
- Park, R. E., Burgess, E. W., & McKenzie, R. D. (1925). The City. Chicago: University of Chicago Press.
- Lefebvre, H. (1974). La production de l’espace. Paris: Anthropos. (English translation: Lefebvre, H. (1991). The Production of Space. Trans. D. Nicholson-Smith. Oxford: Blackwell.)
- Lefebvre, H. (1968). Le Droit à la ville. Paris: Anthropos. (English translation in: Kofman, E., & Lebas, E. (Eds.) (1996). Writings on Cities. Oxford: Blackwell.)
- Castells, M. (1972). La Question urbaine. Paris: François Maspero. (English translation: Castells, M. (1977). The Urban Question: A Marxist Approach. Trans. A. Sheridan. London: Edward Arnold.)
- Castells, M. (1978). City, Class and Power. London: Macmillan.
- Harvey, D. (1973). Social Justice and the City. London: Edward Arnold.
- Harvey, D. (1982). The Limits to Capital. Oxford: Blackwell.
- Harvey, D. (1985). The Urbanization of Capital. Oxford: Blackwell.
- Harvey, D. (1989). From Managerialism to Entrepreneurialism: The Transformation in Urban Governance in Late Capitalism. Geografiska Annaler: Series B, Human Geography, 71(1), 3–17.
- Zukin, S. (1991). Landscapes of Power: From Detroit to Disney World. Berkeley: University of California Press.
- Soja, E. W. (2000). Postmetropolis: Critical Studies of Cities and Regions. Oxford: Blackwell.
- Molotch, H. (1976). The City as a Growth Machine: Toward a Political Economy of Place. American Journal of Sociology, 82(2), 309–332.
- Logan, J. R., & Molotch, H. L. (1987). Urban Fortunes: The Political Economy of Place. Berkeley: University of California Press.
- Fainstein, S. S. (2010). The Just City. Ithaca, NY: Cornell University Press.
- Brenner, N. (2004). New State Spaces: Urban Governance and the Rescaling of Statehood. Oxford: Oxford University Press.
- Gottdiener, M., & Hutchison, R. (2010). The New Urban Sociology (4th ed.). Boulder, CO: Westview Press.
- Castells, M. (1996). The Rise of the Network Society. Oxford: Blackwell.(後期カステルの情報社会論。参考として)
日本語文献
- ルフェーヴル, H. (2000). 『空間の生産』斎藤日出治訳. 青木書店.
- カステル, M. (1984). 『都市問題 ― 科学的理論と分析』山田操訳. 恒星社厚生閣.
- ハーヴェイ, D. (1980). 『都市と社会的不平等』竹内啓一・松本正美訳. 日本ブリタニカ.
- ハーヴェイ, D. (1991). 『都市の資本論 ― 都市空間形成の歴史と理論』水岡不二雄監訳. 青木書店.
- ハーヴェイ, D. (2013). 『反乱する都市 ― 資本のアーバナイゼーションと都市の再創造』森田成也ほか訳. 作品社.
- 吉原直樹 (1994). 『都市空間の社会理論 ― ニュー・アーバン・ソシオロジーの射程』東京大学出版会.
- 町村敬志・西澤晃彦 (2000). 『都市の社会学 ― 社会がかたちをあらわすとき』有斐閣.
- 町村敬志 (2020). 『都市に聴け ― アーバン・スタディーズから読み解く東京』有斐閣.
※ 本記事における事実の記述は上記文献に基づいていますが、「筆者の見るところ」「筆者の理解では」「ハーヴェイの理論から解釈すれば」等と明記した箇所は筆者による解釈・整理であり、各文献の主張そのものではありません。とりわけ「都市計画への影響」「日本の都市計画との関係」の各節における理論と実務の関連づけには、確立した文献的根拠をもつ部分と筆者の見解に依拠する部分とが含まれます。日本の都市への応用は、欧米で形成された理論を日本の文脈に当てはめた解釈であり、その妥当性にはなお実証的検討を要します。マルクス主義都市論をはじめとする諸理論については、その主張を客観的に紹介することに努め、特定の思想的立場の当否の判断は避けました。読者が引用される際は、原典にあたって確認されることをお勧めします。
年表 ― 都市政治経済学の展開
- 1925年 ― パーク&バージェスら『都市(The City)』。シカゴ学派の人間生態学が後の批判対象となる出発点
- 1938年 ― ワース「生活様式としての都市性」。都市性論が後にカステルから「都市イデオロギー」と批判される
- 1968年 ― ルフェーヴル『都市への権利』刊行。都市形成への住民参加の権利を提起
- 1968年 ― フランス五月革命。都市をめぐる社会運動と批判理論が交錯した時代背景
- 1969年 ― ハーヴェイ『地理学における説明』。実証主義地理学の代表作(後に自己批判)
- 1972年 ― カステル『都市問題(La Question urbaine)』刊行。新都市社会学の出発点、集合的消費論を提起
- 1973年 ― ハーヴェイ『社会正義と都市』刊行。実証主義からマルクス主義への転回を記録
- 1974年 ― ルフェーヴル『空間の生産』刊行。空間的実践・空間の表象・表象の空間の三項図式を提示
- 1976年 ― モロッチ「成長機械としての都市」発表。成長機械論の起点(次稿の主題)
- 1977年 ― カステル『都市問題』英訳刊行。英語圏へ新都市社会学が広がる
- 1978年 ― カステル『都市・階級・権力』。都市社会運動を政治的主体として位置づける
- 1982年 ― ハーヴェイ『資本の限界』刊行。資本蓄積と空間的固定の理論を体系化
- 1985年 ― ハーヴェイ『資本の都市化』刊行。建造環境への資本投下を論じる
- 1987年 ― ローガン&モロッチ『Urban Fortunes』。成長機械論を体系化(次稿への橋渡し)
- 1989年 ― ハーヴェイ「管理者主義から企業家主義へ」発表。都市企業家主義と官民連携を論じる
- 1989年 ― ソジャ『ポストモダン地理学』。ポストモダン都市論・空間論的転回の代表作
- 1991年 ― ズーキン『権力の景観』。文化的転回の代表的研究
- 1996年 ― カステル『ネットワーク社会の到来』。後期カステルの情報社会論への転回
- 2000年 ― ソジャ『ポストメトロポリス』刊行。断片化・多核化する現代都市を論じる
- 2010年 ― ファインスタイン『The Just City』。都市正義論の代表作
- (日本)1980年 ― ハーヴェイ『都市と社会的不平等』邦訳刊行
- (日本)1994年 ― 吉原直樹『都市空間の社会理論』。ニュー・アーバン・ソシオロジーを日本に紹介
- (日本)2013年 ― ハーヴェイ『反乱する都市』邦訳刊行。都市への権利論が再注目される
用語集
理論・概念
- Urban Political Economy, 都市政治経済学: 都市空間を、資本の蓄積と政治的権力がせめぎ合う場として捉える潮流。シカゴ学派の生態学的視座への批判から生まれた(添付リストに英語名あり、解説として補記)。
- Production of Space, 空間の生産: 空間は中立的な容れ物ではなく社会によって能動的に生産されるとするルフェーヴルの根本テーゼ(添付リストに英語名あり、解説として補記)。
- Spatial Practice, 空間的実践: ルフェーヴルの三項図式の第一契機。人々が日々空間を使い移動する物理的・知覚的側面。
- Representations of Space, 空間の表象: 三項図式の第二契機。都市計画家や専門家が構想する抽象的・計画的な空間。権力と結びつく支配的空間。
- Representational Space, 表象の空間, , , : 三項図式の第三契機。住民が生きて経験する象徴と意味に満ちた空間。「表象空間」「生きられた空間」とも訳される。
- Right to the City, 都市への権利, , , : 都市空間の形成と決定に住民が参加する集合的な権利。ルフェーヴルが提起。
- Collective Consumption, 集合的消費: 公営住宅・公共交通・教育・福祉など、国家や自治体を通じて集合的に消費される財・サービス。初期カステルの中心概念。
- Urban Social Movements, 都市社会運動: 集合的消費をめぐる住民の集合的行動。都市空間のあり方をめぐる政治的闘争。カステルが理論化。
- Capital Accumulation, 資本蓄積: 利潤を再投資して資本が拡大する過程。ハーヴェイはこれを都市化の駆動力と捉えた。
- Built Environment, 建造環境: 建物・道路・鉄道・上下水道など都市を構成する物理的インフラの総体。資本が固定される対象。
- Spatial Fix, 空間的固定, , , : 過剰蓄積の危機を建造環境への投資で一時的に回避する過程。原語fixの多義性から「空間的修復」「空間的解決」とも訳される。ハーヴェイの概念。
- Overaccumulation, 過剰蓄積: 生産が拡大しすぎて投資先が枯渇する資本主義の危機。空間的固定の前提となる。
- Urban Entrepreneurialism, 都市企業家主義: 自治体が投資誘致をめぐり企業のように競争する統治のあり方。官民連携を通じた投資誘致型統治。ハーヴェイが1989年に提起。
- Managerialism, 管理者主義: 自治体が住民へのサービス供給と都市管理を主任務とする統治のあり方。企業家主義に先立つ段階。
- Inter-urban Competition, 都市間競争: 投資・企業・観光客を呼び込むために都市同士が競い合うこと。都市企業家主義の帰結。
- New Urban Sociology, 新都市社会学: シカゴ学派以来の主流派都市社会学を批判し、都市を資本主義社会の構造から捉え直す潮流の総称(添付リストに英語名あり、解説として補記)。
- Radical Geography, 批判地理学: マルクス主義などに依拠し、空間の不平等を批判的に分析する地理学。実証主義地理学への対抗として登場。
- Positivist Geography, 実証主義地理学: 空間現象を数量データと統計的手法で客観的に分析する立場。1960年代に主流。ハーヴェイが当初依拠し後に転回。
- Urban Renewal, 都市再開発: 既存市街地を大規模に再編する事業。アメリカでは貧困層・マイノリティの立ち退きを招き批判された(添付リストに英語名あり、解説として補記)。
- Economic Determinism, 経済決定論: 都市現象を究極的に経済構造に還元して説明する傾向。初期都市政治経済学への主要な批判点。
- Cultural Turn, 文化的転回: 都市における文化・象徴・アイデンティティ・表象の役割に注目する1980年代以降の潮流。
- Use Value, 使用価値: 土地や場所がもつ、住民にとっての生活の場としての価値。成長機械論で交換価値と対比される。
- Exchange Value, 交換価値: 土地や場所がもつ、投資・取引の対象としての市場価値。成長機械論の鍵概念(次稿の主題)。
- Growth Machine Theory, 成長機械論: 都市を、土地の交換価値増大を目指す地元エリート連合が駆動する「成長の機械」として捉える理論。次稿の主題。
- Urban Regime Theory, 都市レジーム論: 都市の統治を行政と民間の非公式な連合(レジーム)の観点から分析する理論。成長機械論の先にある潮流。
- Urban Governance, 都市ガバナンス: 行政・企業・住民・NPOなど多様な主体の相互作用とネットワークから都市の統治を捉える視座(添付リストにGovernanceあり、都市の文脈として補記)。
人名
- Henri Lefebvre, アンリ・ルフェーヴル: 「空間の生産」「都市への権利」を提起したフランスの哲学者・社会学者(添付リストに英語名あり、訳語を補記)。
- Manuel Castells, マニュエル・カステル: 集合的消費論で新都市社会学を基礎づけ、後年は情報社会論へ転回したスペイン出身の社会学者(添付リストに英語名あり、訳語を補記)。
- David Harvey, デヴィッド・ハーヴェイ: 資本蓄積・空間的固定・都市企業家主義の概念で知られるイギリス出身のマルクス主義地理学者。
- Harvey Molotch, ハーヴェイ・モロッチ: 成長機械論を提起したアメリカの社会学者(次稿の主題)。
- John Logan, ジョン・ローガン: モロッチとともに『Urban Fortunes』で成長機械論を体系化した社会学者。
- Edward Soja, エドワード・ソジャ: ポストモダン都市論・空間論的転回を主導したアメリカの都市地理学者。
- Sharon Zukin, シャロン・ズーキン: 文化と経済が交錯する都市景観を論じた、文化的転回を代表するアメリカの社会学者。
- Susan Fainstein, スーザン・ファインスタイン: 都市正義論(The Just City)を展開したアメリカの都市計画研究者。
- Neil Brenner, ニール・ブレナー: 国家空間の再編やスケールの問題を論じる都市理論家。
- 吉原直樹, , Naoki Yoshihara: ニュー・アーバン・ソシオロジーを日本に紹介した都市社会学者。
著作・組織
- The Urban Question, 『都市問題』, La Question urbaine: カステルが1972年に刊行した、新都市社会学の出発点をなす著作。
- The Limits to Capital, 『資本の限界』: ハーヴェイが1982年に刊行した、資本蓄積と空間的固定の理論的著作。
- The Urbanization of Capital, 『資本の都市化』: ハーヴェイが1985年に刊行した、建造環境への資本投下を論じた著作。
- Urban Fortunes, 『アーバン・フォーチュンズ』, , Urban Fortunes: The Political Economy of Place: ローガンとモロッチが1987年に刊行した、成長機械論を体系化した著作。
- The Just City, 『ジャスト・シティ』: ファインスタインが2010年に刊行した、都市正義論の代表的著作。
※ 用語の訳語・解説は本稿の文脈に即したものです。ルフェーヴル、カステル、都市政治経済学など一部は添付リストに英語表記が含まれますが、本稿理解のため日本語訳語と解説を補記しました。成長機械論・都市レジーム論・使用価値/交換価値は次稿で扱う主題として参考までに収録しています。学術的に厳密な定義は各原典・専門事典をご参照ください。
Claud 執筆指示
あなたは都市計画学・都市社会学・都市経済学・都市地理学を専門とする研究者です。
以下の条件に従い、日本語で学術的かつ読みやすい解説記事をHTML形式で執筆してください。
記事タイトル
都市政治経済学の誕生 ― 都市は誰によってつくられるのか
記事の目的
本記事の目的は、1960年代以降に登場した「都市政治経済学(Urban Political Economy)」の成立過程と理論的意義を解説することである。
前回の記事では都市コミュニティ論を扱い、
都市化は共同体を破壊するのか
都市でもコミュニティは維持されるのか
ネットワーク型コミュニティは成立するのか
という議論を整理した。
しかしコミュニティ研究だけでは、
なぜ再開発が起こるのか
なぜ地価が上昇するのか
なぜ特定地区へ投資が集中するのか
なぜ都市政策が特定の方向へ進むのか
を十分に説明できない。
そこで登場したのが都市政治経済学である。
本記事では、
「都市は住民によって形成されるのか、それとも資本と権力によって形成されるのか」
という問いを中心に、
新都市社会学
マルクス主義都市論
空間の政治経済学
の成立を解説する。
執筆条件
20,000~30,000字程度
HTML形式
h2・h3のみ使用
h1は使用しない
学術論文と一般向け解説の中間レベル
都市計画実務との関連を重視
理論の歴史的背景を丁寧に説明
人物紹介で終わらせず理論間の関係を説明
特定の思想への賛否は避ける
客観的な記述を行う
記事構成
前回の都市コミュニティ論の整理
コミュニティ研究の成果
コミュニティ研究の限界
なぜ政治経済学的視点が必要になったのか
説明内容
Park
Burgess
Human Ecology
自然地域
都市を社会的適応の結果として捉える視点
説明内容
都市再開発
貧困
郊外化
人種問題
住宅問題
なぜ従来理論では説明できなかったのかを説明する。
説明内容
New Urban Sociology
社会構造への注目
資本主義との関係
国家の役割
説明内容
都市空間は自然に形成されるのではない
社会によって生産される
必ず解説すること
The Production of Space
以下をわかりやすく説明
Spatial Practice
Representations of Space
Representational Space
必ず解説すること
Right to the City
説明内容
都市を利用する権利
都市形成への参加
後の都市計画への影響
説明内容
The Urban Question
都市を資本主義社会の産物として理解
必ず解説
Collective Consumption
説明内容
住宅
交通
教育
福祉
国家の役割を説明する。
説明内容
Urban Social Movements
住民運動
都市ガバナンスとの関係
説明内容
Positivist Geographyからの転換
Radical Geography
必ず解説
Capital Accumulation
Built Environment
Urbanization
必ず解説
Spatial Fix
具体例を用いて説明すること。
必ず解説
Urban Entrepreneurialism
説明内容
都市間競争
再開発
メガプロジェクト
以下を整理
都市社会学との違い
比較表を作成
項目例
都市形成要因
分析単位
国家
資本
権力
都市計画観
説明内容
土地
不動産
投資
政治
本記事の中心論点として論じる。
説明内容
都市再開発
TOD
公共交通投資
住宅政策
インフラ整備
都市政治経済学がどのような視点を提供するのか説明する。
説明内容
高度経済成長期
郊外開発
再開発事業
駅前開発
民間主導開発
具体例を交えて解説する。
説明内容
経済決定論批判
文化的転回
ポストモダン都市論
アクターネットワーク理論
ガバナンス論
説明内容
都市政治経済学は
なぜ都市が成長を追求するのか
という問いを生み出した。
この問いへの代表的な回答が
Growth Machine Theory
である。
次回扱う成長機械論への橋渡しを行う。
本記事全体を要約する。
必須文献
必ず参照し内容に反映すること。
Henri Lefebvre
Le Droit à la Ville (1968)
The Production of Space (1974)
Manuel Castells
The Urban Question (1972)
City, Class and Power (1978)
David Harvey
Social Justice and the City (1973)
The Limits to Capital (1982)
The Urbanization of Capital (1985)
From Managerialism to Entrepreneurialism (1989)
その他
Logan & Molotch (1987)
Fainstein (2010)
Brenner (2019)
Soja (2000)
参考文献
記事末尾に参考文献一覧を掲載すること。
日本語文献と英語文献を分けて整理すること。
参考文献数は最低15本以上とする。
出力形式
HTMLのみ出力。
説明文や前置きは不要。
記事本文から開始すること。
この記事が完成すると、次はほぼ自動的に
「成長機械論 ― なぜ都市は成長を追求するのか」
へ接続できます。都市政治経済学 → 成長機械論 → 都市レジーム論は、都市計画理論史の中でも非常に流れのよい三部作になります。
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