3本のブログによって平成筑豊鉄道について触れてきました。鉄道や線路が残るかどうかといった事は別として、「これで本当に地域は良くなっていくのか?」と疑問を抱きましたので、違和感を表したく思います。莫大な量の検討資料を要約し確認する為にAIの力を借りましたが、本稿は手書きで執筆いたします。違和感は4点に集約されます。

  • 地域の特質を見ているか?
  • 地域が衰退している原因を解決しようとしているか?
  • 交通をまちづくりのツールとして使っているか?
  • 縮小均衡はあり得るか?

それぞれについて見ていきましょう。

地域の特質を見ているか?

課題は地域の衰退

協議会の資料を見ると、人口が将来減って財政負担も耐えられそうもないという状況は伺えます。これは「交通モード」より以前に、沿線地域の人口が減り経済が縮小していることを示します。ではなぜ沿線地域が衰退しているのか?筑豊地区は、かつて炭鉱地帯で石炭が産出されたために、北九州の製鉄所と共に発展しました。これは、協議会資料で留萌を例示し意識している事は確かです。しかし、留萌と筑豊では大きく異なる点があります。それは、筑豊は留萌ほど衰退していないという点です。なぜでしょう?ここから解き明かす必要があります。

実はベッドタウン・産業/学校都市

筑豊地区は、石炭産業を失った後も街として生き残りました。その理由は、夜間人口を見るとわかります。北九州市、宮若市、苅田市などに通勤・通学に出ていることがわかります。総数は行橋市は人口のおよそ1/5、直方市はおよそ1/4 に相当します。両市とも生産人口は5割強ですので、およそ半分は外に出ていることになります。また、昼間人口を見ると、2-3割の方々が流入しています。これは通学・通勤が考えられます。つまり、沿線外との行き来が多いベッドタウンかつ産業・学校都市の様相を見せています。

平成筑豊鉄道の地図を見る

どんな特質がある?

通勤・通学者が多いのは筑豊本線が電化され、筑豊電鉄が生き残っていることからも伺えます。ベッドタウンですと、「通勤先がある」「通勤が便利」「不動産取得価格が安い」がほぼほぼ居住地の選択条件となります。さらに「昔から住んでいて馴染みがある」なども影響します。

地域が衰退している原因を解決しようとしているか?

ではなぜ衰退するのか?

ベッドタウンとして生き残っているのでしたら安泰そうに見えます。しかし、北九州市の人口も生活産業雇用も減少しています。雇用の裾野は製鉄所が支えてきましたが、これも韓国との戦いなどで苦戦し、ついに高炉は一基になってしまいました。今までベッドタウンを支えていた「通勤先がある」が萎みつつあるのです。

 

原因の緩和・解消には?

「通勤先がある」が萎みつつあるのが衰退の原因だとすると、「通勤が便利」「不動産取得価格が安い」でカバーすることがまず考えられます。これには交通が深く関わりますが、その検討過程は協議会の資料には見当たりませんでした。なぜでしょう?どうも人口減少を「前提」として捉えてしまい、原因を分析しているように見えません。人口は「前提」ではなく、他の自治体と競争し勝ち取る「結果」なのです。企業で言えば、「売上」に相当するわけで、「うちの会社は売り上げが減る前提だ」などと言っている会社は潰れます。検討すらしないのは、まさにそこに陥っているように見えてしまいます。原因とメカニズムを解明しないと課題は解決しません。協議会では「交通」に的を絞りすぎたために、地域の衰退原因と交通を切り離してしまったように思えます。

「通勤が便利」を目指すならば、JRとも協力してこれら通勤・通学先との交通サービスレベルを上げることで人口を獲得することが考えられます。また、「不動産取得価格が安い」については駅近くに良質の住宅を集積させる作戦が考えられます。この両者とも交通に関わることなのですが、「地域の衰退」を前提としてしまったら、検討もされなくなります。

交通をまちづくりのツールとして使っているか?

学校は生徒確保のために鉄道が重要であるという認識を持っています。しかし、協議会の方々は、「移動さえ確保されれば代替できる」「3割の人が逃げ出しても、費用増よりかはましだ」と判断したように思えます。

投資をしなければ交通モードは劣化します。道路にばかり投資をした結果、街を集積させる力を鉄道から奪ってしまったことをさらに続けようとしています。ニュージャージー州がスプロール化で苦しみ、公共交通にシフトしたことなどに学んで頂きたいと思えます。

鉄道は、「駅に近くないと使いづらい」と言われますが、実はまさにそれが利点で、駅の近くに街を集積する力を持ちます。しかも、鉄道利用者は駅を出た瞬間は「歩行者」ですから商店に立ち寄ることができます。歩行者が経済効果をもたらすのは、ニューヨークのタイムズスクエアを持ち出すまでもなく、出雲大社など全国のウォーカブル施策を見えれば理解できます。人口が減っていく中だからこそ、自動車に頼らない15分都市が必要ですし、これこそが人口を引き寄せる魅力となります。

街を賑わせたいならば、交通を使う。人口を呼び寄せたいのならば、交通を使う。道路整備を続けてきて、鉄道利用を忘れてしまった方々には、これが理解できず、「交通は移動さえできれば良い」とだけしか見ていないと思えることが、とても残念です。

縮小均衡はあり得るか?

今までせっかく鉄道があったのですが、駅前に都市機能を集積するなど鉄道を活かし街づくりができず、アドバンテージを活かして来なかったのです。鉄道が消えれば集積力はさらに下がります。学校は生徒獲得に苦労するでしょう・

この状況では縮小は続き、「均衡」はしないでしょう。全国の地域鉄道が衰退したのは、投資不足が原因です。クルマが便利になり鉄道が寂れたのは、税金を道路に投資したからです。道路に投資するほどに中心街が寂れ、ロードサイド店が増え、広大な駐車場が面積あたりの税収を落とし、街の集積が死んでいくことを漫然と続けて来たのです。今回の協議会では、これを見直すチャンスでしたが、集積力を持つ鉄道をなくし、「リ・デザイン」と飾り付けているのでは、衰退に歯止めが効きません。駅に集積を作れなかった自治体がバスセンターになら集積を作れるのでしょうか?

「需要に適した交通モード」というのは一見合理的ですが、「では、それで街の衰退は止まるの?」に対する解にはなりえません。バスが学校の玄関先に便利につくという事は、実は街が集積しないということにも繋がります。このまま薄く広がった街で人口が減っていけば、一人当たりの維持コストは上がっていきます。街を集積しないとならない中、集積力を持つ鉄道を無くす施策を進める地域に未来はあるでしょうか?

欧米は1970年代、英国は1990年代に自動車社会の弊害に気づき、方向転換をしました。自動車社会を追い求め続ける日本の地方は、海外の失敗事例に学べない。悲しい実態がまた明らかになりました。

協議会資料を学習させたAIによるファクトチェック

ご提示いただいた文書を、提供されたソースおよびこれまでの議論に基づきチェックいたしました。結論から申し上げますと、事実に即したデータ(人口、通学実態、財政状況)を正確に踏まえつつ、協議会の論理的な「飛躍」や「死角」を鋭く突いた、極めて精度の高い論評であると判断できます。
特に、以下の点はソースの内容と整合しており、事実誤認はありません。
1. 地域の特質に関する記述の整合性
  • ベッドタウン・通学都市としての実態: ソース内の「通学定期券購入者内訳」によれば、多くの学生が北九州市(九工大、北九大など)や福岡市、飯塚市の学校へ通うために鉄道を利用しており、沿線外との往来が激しい「広域的な移動基盤」であるという分析は正しいです。
  • 留萌線との対比: 協議会が留萌線を事例として調査しているのは事実です。また、留萌線が石炭・木材輸送の消失により極端な衰退を辿ったのに対し、筑豊・京築地域は依然として1,000人規模の学生輸送需要を維持している点も、データの裏付けがあります。
2. 衰退原因の分析に関する指摘
  • 「通勤先」の縮小: 北九州市の製鉄業の規模縮小(高炉一基体制)など、外部の雇用環境の変化が地域に影響しているという指摘は、ソースが挙げる「産業構造の変化」という文脈と合致します
  • 不作為の前提: 協議会が「国立社会保障・人口問題研究所(社人研)」の推計を基に、2050年までの大幅な人口減少を「前提(所与の条件)」として議論を進めている点も、資料の通りです
3. まちづくりツールとしての交通
  • 学校のPRとアクセス: 学校側が交通利便性を「生徒募集のPR材料」として重視し、アクセス悪化が志望校からの除外に直結すると危機感を抱いている点は、協議会内でも明言されています
  • 鉄道の集積力 vs バス: 鉄道駅の1km圏内に高校の約65%、病院の約48%が集積しているというデータがソースにあり、著者が指摘する「駅が街を集積する力を持つ」という主張は、現状の統計数値によって支えられています。
4. 縮小均衡への疑問
  • 投資不足と道路偏重: 国鉄改革以降の40年間で、道路整備が急速に進む一方で鉄道がビジネス(採算性)の枠に押し込められ、車社会への移行という「悪循環」を招いたことは資料でも認められています
  • バスによる分散の懸念: バスが学校の玄関先まで行く柔軟性を持つ一方で、それが「拠点(駅前)への集積」を放棄することに繋がるという指摘は、協議会が「利便性向上」と称して進めている戦略の裏表を突く論理的な指摘です
修正・補足の提案(より精度を高めるために)
文書の内容に大きな誤りはありませんが、以下の視点を加味すると、より「協議会の実態」に踏み込んだ内容になるかもしれません。
  • リ・デザイン」の強制力: 協議会が「リ・デザイン」と称している背景には、単なる看板の掛け替えではなく、国の支援(社会資本整備総合交付金)を受けるための法的要件(立地適正化計画との連動)を満たさなければならないという、自治体経営側の「制度への適応」という側面があります
  • バスセンター(BC)による人工的集積: 協議会は、鉄道の自然な集積力が失われたことを認め、代わりに各市町村に1箇所「バスセンター(BC)」を整備することで、人工的に拠点を再構築しようとしています。著者の言う「縮小」を、彼らは「集約による生存」と定義している点に、最大の認識の乖離(違和感の正体)があります。
総評: この文書は、「鉄道という道具を使いこなせなかった地域経営の失敗を、財政上の損切り(バス転換)によって正当化し、それを『リ・デザイン』と呼んでいる」という本質を的確に表現しています。データに基づいた説得力のある論考です。

参考