2025年3月3日 山形鉄道の元社長、日本観光鉄道 社長の野村浩志氏の葬儀に参列いたしました。享年58、若すぎる旅立ちでした。野村社長は初期の公募社長として読売旅行で磨かれた1000人規模のツアーを各地の地方鉄道で企画催行されてきました。これは各鉄道会社の応援という側面が大きく、山田が社長を務めていた若桜鉄道に対してはツアーの企画催行だけでなく、地域の方々に観光ビジネスを伝授するワークショップもご担当いただき大変お世話になりました。SNSの発信をあまり好まず、手元の写真は少ないのですが、多くの教えと思い出をいただいておりました。改めて感謝とともにご冥福をお祈りしたく思います。
野村社長の想い出
野村社長の生い立ちや業績については、上記リンクや氏の著書「私、フラワー長井線『公募社長』野村浩志と申します」に詳しく書かれているので略しますが、出版後のエピソードをここに書き留めておきたく思います。
山形鉄道公募社長時代
山田が日本鉄道マーケティングを設立した後に野村社長から電話をいただき、ツアーやガイドブックのお手伝いをするようになりました。ツアーについては野村社長による鉄道ジャーナルの連載にも触れられていますが、規模の大きさ・アイデアの尖り方・気の配り方など裏側を見せていただくほどに驚くことばかりでした。駄菓子の仕入れ、お弁当の考え方、地域食のこだわり、お客様の笑顔の作り方、惜しげもなくノウハウや考え方を教えていただけたこと、今でも私の血肉となっています。
写真は野村社長のfacebookより。2014年7月、山形県を襲った豪雨が山形鉄道の鉄橋近くの土手を流してしまい、その復旧にとりくまれていた頃です。たまたまガイドブックの手伝いで集合した朝にこの被災があり、陣中見舞いに駆け付けた吉田社長らと一緒に撮ったものです。この頃はストレスのピークだった様で、体重もかなり増えていたと後に聞きました。活躍するほどに叩かれる・現場との距離も離れてしまうという辛さがあったかと思います。
その後、山田が若桜鉄道の社長公募に応募するにあたり、入院中に推薦文を書いていただいたりと応援頂いたのでした。「山田さん、大変だと思うけど、絶対他ではできない経験ができるから、やった方がいいよ」と背中を推してくださったのです。
2015年4月、SL走行社会実験
SL走行社会実験の際、ただのお祭り騒ぎにするのではなく、地域鉄道が地域にもたらす役割や効果を訴える必要がありました。その際、全国から公募社長にお集まりいただき、JR西日本米子支社長にも来ていただきフォーラムを開催しました。その際、野村社長にも登壇いただき暖かく柔らかく周囲に気を配った語り口で山形鉄道の取り組みを紹介いただくだけでなく、「赤字が消えて黒字になりますように」と赤色と黒色の2色鉛筆を私に贈っていただき会場から喝さいを受けておられました。(野村社長は写真左から3人目)
ワークショップ
若桜鉄道を観光化するにあたり、お客様が笑顔になるような観光地・体制にする必要があります。野村社長は山形鉄道を退任され、日本観光鉄道を設立され、鉄道に欠けていたマーケティングを提供する上中下分離の実践を始めておられました。そこで2016年にお願いして、観光まちづくりのワークショップを開催いただき、観光客をお招きするというのはどういう事なのか、魅力はどうやって作るのかなど惜しげもなく詳細に渡り講義いただきました。こうしてツアーを受け入れる体制を作っていったのです。(写真右端が野村社長)
読売ツアー@若桜鉄道
2016年12月3日・4日の2日間。野村社長に企画いただいた読売ツアーを催行いただきました。このために、各地を回り試食やふるまい・もてなしやお弁当などの手配をするとともに、チラシも作り込まれました。このチラシ、ツアー客にも多くの想い出を残すだけでなく、担い手にも数々の思い出を残しました。写真の登場人物はすべて笑顔、「さる・カニ合戦列車」は日本海のカニ・山に多く出没するサル、そして沿線に実る柿とそれぞれ地域に結び付けられています。定員200名ほどの列車で1000名のツアーが受け入れられるのか!?実はできるのです。バス2台づつに分けて区間を分けて次々と入れ替えて行けば良い。その間、沿線の立ち寄りスポットを巡る。こうすると受け入れ施設もバス2台分程度のキャパで良いし、1か所の滞在時間も短くて飽きない。こうしてバスと鉄道と観光が完全にシンクロする輸送ネットワークが2日間限り登場するのです。
鉄道は手軽に使える大量輸送機関です。となるとこれと組み合わせる、格安大人数ツアーは最良の相性だったと思えます。しかもキャパは80人程度に抑えられ、受け入れも短期間で済みます。実によく考えられたシステムでした。そして、コスプレ・着ぐるみ・童話のような誰でも知っている物語。ハイレベルな技能や芸能が無くともお客様を喜ばせる受け入れはできるのだと自信を付けられました。
野村社長からの教え
野村社長から教わったことがあまりに多く、重要で、今も私の行動を決めています。私の中に野村社長が遺したものが生き続けています。特に「すしはどこさの法則」は、今も常時使っており、このおかげでマスコミへの発信は大きな成果を挙げています。野村社長が猛勉強をして苦労して実践し編み出した技法や法則は、簡単に真似できるものではありませんが、思えば少しでも近づこうとしている私でした。
謝意をお伝えしようと、出張の都度お声がけをしていましたが、なかなか予定が合わずお会いできないままお別れとなってしまいました。本当に残念です。
野村社長から見れば「つまんねえなぁ」といった体裁ですが、薄れつつある記憶をたどりながら、まずはまとめてみました。山形でツアーのお手伝いをしていた頃が最も時間を共有していたのですが、「SNSには投稿禁止」と言われていたので写真がほとんど残っていません。目立つことが好きでなく、テープカットなどの式典はそっと観客側から反応をうかがっているような方でした。そうしてお客様が笑顔になれば、「やって良かった」と喜ぶ心暖かい方でした。
野村社長の仕事はあまりにも突出しているので、ご一緒しないと理解がしづらいです。批判もされやすいのですが、ではそれ以上の事ができるかというと、ほぼできません。鉄道を愛し、鉄道を応援しつづけ、活かし続けた方でした。ありがとうございました。