奇跡的に鉄道網を維持した日本と、一度それを壊して再生に挑む米国。両国の命運を分けたのは、戦後の独禁法という意外な一手でした。宇都宮LRTの開業が象徴するように、今、日本は新たな「公共価値」の定義を迫られています。本シリーズでは日米100年の都市変遷を5つの学術視点で解剖。米国の失敗を教訓に、日本が誇るべきインフラをどう次世代へ継承すべきか。政策担当者や市民が共に歩むための新たな羅針盤を描き出します。

【ラジオ】米国が破壊した路面電車を復活させる理由

【スライド】米国が破壊した路面電車を復活させる理由

目次

第1回:欲望のレールと電力+鉄道のエコシステム

このブログシリーズでは、アメリカの都市と交通が辿った100年の歴史を紐解き、それが現代の日本にどのような示唆を与えるかを考えていきます。第1回は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカの街を劇的に変えた路面電車と電力、そして不動産開発の密接な関係について解説します。

路面電車が拓いた街のフロンティア

1880年代後半、フランク・スプレーグによる電気鉄道システムの成功を契機に、アメリカの都市景観は一変しました。それまでの徒歩や馬車による移動は、都市の広さを直径数キロメートル程度に制限していましたが、路面電車(ストリートカー)の登場により、その圏域は一気に拡大しました。

1890年から1910年にかけて、ボストン、シカゴ、フィラデルフィアといった主要都市の周囲には、路面電車の延伸に沿って新しい住宅地が形成されました。これを都市史学者のケネス・ジャクソンは、ストリートカー・サバーブ(路面電車郊外)と呼びました。この時期、アメリカ全土で敷設された路面電車の総延長は約5万キロメートルに達し、世界最大規模のネットワークを誇りました。

垂直統合という最強のビジネスモデル

なぜこれほどまでに急速な普及が可能だったのでしょうか。その背景には、現代の私たちが忘れてしまった強力なビジネスモデルがありました。それは、電力事業と鉄道事業、そして不動産開発の垂直統合(川上から川下までを一つの企業グループが担うこと)です。

当時の私鉄会社にとって、鉄道単体での運賃収入は二次的なものに過ぎませんでした。真の収益源は、自らが敷設した線路の先にある広大な土地の売却益です。彼らは未開発の安価な土地を購入し、そこに路面電車を通すことでアクセスを改善し、住宅地としての価値を爆発的に高めてから販売しました。

さらに、このモデルを支えたのが電力です。電車を動かすには大規模な発電所と送電網が必要です。鉄道会社は自社で発電所を持ち、電車を走らせるだけでなく、沿線の家庭や工場に余剰電力を販売しました。逆に言えば、電力事業の安定収益が、先行投資の大きい鉄道建設を支えていたのです。この交通・エネルギー・開発の三位一体のエコシステム(共生関係)が、アメリカの近代都市を形作る原動力となりました。

インターアーバンとターミナル開発の広域化

路面電車の成功は、さらに長距離を高速で結ぶインターアーバン(都市間電気鉄道)へと発展します。中西部を中心に広がったこのネットワークは、都市と都市、あるいは農村と都市を密接に結びつけました。

ここで特筆すべきは、インターアーバンが都市部に入ると、既存の路面電車の軌道(レール)をそのまま利用して、街の中心部にある巨大なターミナル駅まで直接乗り入れた点です。これにより、乗り換えなしで遠方の郊外から都心の百貨店やオフィスへアクセスできる利便性が生まれました。

この時期のターミナル開発は、後の日本の大手私鉄が手本としたモデルでもあります。駅ビルに商業施設を併設し、交通の拠点を都市の経済的・社会的な核(ハブ)にする手法は、この時代のアメリカで高度に洗練されました。

日本の私鉄モデルへの影響と共鳴

このアメリカのモデルに強く共鳴したのが、日本の鉄道経営者たちでした。特に阪急電鉄の創業者である小林一三は、路面電車の郊外開発やインターアーバンの経営手法を研究し、宝塚線の沿線開発において「鉄道+住宅地開発+商業施設(百貨店)」という日本独自のビジネスモデルを確立しました。

日本の施策においては、こうした民間主導の開発が都市形成に大きな役割を果たしてきました。一方で、公的なインフラ整備との連携や、無秩序な開発を防ぐための土地利用規制の柔軟性といった面で、独自の工夫と課題への配慮がなされてきたことも事実です。例えば、土地区画整理事業と鉄道整備を連動させる手法などは、限られた平地で高密度な都市を形成するための、日本特有の知恵と言えるでしょう。

専門知とコミュニティの初期の融

この時代の都市計画を現代の理論で振り返ると、専門的な技術知(交通工学や電気工学)が、人々の「緑豊かな郊外で暮らしたい」という切実な願い(コミュニティの価値)に見事に翻訳されていたことがわかります。

路面電車は単なる移動手段ではなく、都市の喧騒から離れた新しいライフスタイルを提供するメディア(媒介物)でした。人間と、電力という新しいエネルギー、そして物理的なレールというネットワークが、一つの強固な公共価値(社会にとっての良い状態)を創出していたのです。

しかし、この盤石に見えたエコシステムも、1920年代に入ると新たなアクターである自動車の登場と、制度的な枠組みの変化によって、大きな転換期を迎えることになります。

参照元・出典

  • Jackson, K. T. (1985). Crabgrass Frontier: The Suburbanization of the United States. Oxford University Press.(アメリカの郊外化に関する古典的著作)
  • Middleton, W. D. (1961). The Interurban Era. Kalmbach Publishing Co.(インターアーバンの技術と歴史に関する網羅的記録)
  • Warner, S. B. (1962). Streetcar Suburbs: The Process of Growth in Boston, 1870-1900. Harvard University Press.(路面電車による都市拡大のメカニズムを分析した先駆的研究)
  • 小林一三 (1936). 『私の行き方』.(日本の私鉄経営モデルの成立背景)

第2回:断ち切られた絆。独禁法という名のメスと路面電車解体

第1回では、1920年代までアメリカで繁栄した「電力+鉄道+土地開発」の三位一体モデルを解説しました。しかし、この盤石に見えたエコシステム(共生関係)は、1930年代に起きた制度的な介入によって、内側から崩壊することになります。

世界大恐慌と「ピラミッド型持株会社」の罪

1920年代の末、アメリカの電力と路面電車を支配していたのは、少数の巨大な持株会社(グループ企業を支配する親会社)でした。彼らは複雑な資本の連鎖を作り上げ、全米のエネルギーと交通のインフラを独占していました。

しかし、1929年の世界大恐慌がこの構造の脆弱さを露呈させます。過剰な借金に頼っていた持株会社が次々と破綻し、インフラを支えていた資金循環が停止しました。多くの個人投資家が資産を失い、世論は「生活に不可欠な電気や交通が、一部の資本家の投機(利益を狙った売買)に使われている」という激しい不信感を抱くようになりました。

1935年公益事業持株会社法(PUHCA)の衝撃

こうした状況下で登場したフランクリン・ルーズベルト大統領は、ニューディール政策の一環として、巨大独占体の解体に乗り出します。その中核となったのが、1935年に制定された公益事業持株会社法(PUHCA)です。

この法律には、死刑宣告条項と呼ばれる極めて厳しい規定が含まれていました。それは、電力会社に対して「電力事業に直接関係のない事業(路面電車やガス、不動産など)を切り離すこと」を法的に義務付けるものでした。

ここで重要なのは、この法介入が、第1回で述べた「電力収益で鉄道の赤字を補填し、土地開発で再投資する」という内部補助(利益の融通)の仕組みを完全に禁止した点です。路面電車は、突如として強力な後ろ盾を失い、独立した採算を求められることになりました。

ナショナル・シティ・ラインズ(NCL)と「解体」の加速

法的な「切断」によって売りに出された路面電車会社を待ち受けていたのは、新たなアクターたちの戦略的な攻勢でした。それが、ゼネラルモーターズ(GM)、ファイアストン、フィリップス石油などの企業連合が支援する「ナショナル・シティ・ラインズ(NCL)」です。

NCLは、全米の路面電車会社を次々と買い叩きました。彼らの目的は鉄道の運営ではなく、維持費のかかる軌道(レール)を撤去し、自社製品であるバスやタイヤ、燃料の市場を創出することにありました。このプロセスは、交通ネットワークを「公共の移動手段」から「自社製品の消費装置」へと強制的に翻訳(再定義)する行為でした。1940年代末には、ロサンゼルスをはじめとする主要都市から、かつての広大な路面電車網が急速に姿を消していきました。

日本への飛び火:戦時体制と戦後の電力再編成

アメリカで起きたこの「制度によるネットワークの切断」は、日本にもおきました。

日本の電力産業における「発電・送電(発送電)」と「配電・供給(およびそれに付随する軌道事業)」の構造的な分離が決定定的になったのは、1938年(昭和13年)から1939年にかけての「日本発送電(日発)」の設立と、それに続く電力国家管理体制の構築時です。

明治以来、戦前の日本の電力会社は、発送配電の一貫体制を持ちながら、電力供給の安定先として自ら路面電車や鉄道(軌道事業)を経営する「電鉄併営」が一般的で「電燈軌道」として発展してきました(例:東武鉄道、阪神電鉄、東京電燈など)。

しかし、1938年の電力国家管理法および日本発送電株式会社法の制定により、以下の分離が強制されました。

日本発送電の設立: 全国の主要な発電設備と送電網を国家管理下の「日発」に統合。

  • 電鉄併営の解消: 各地の電力会社が持っていた発電部門が「日発」に吸い上げられました。
  • 軌道事業の独立: この過程で、電力供給と密接に関係していた軌道部門は、電力部門から切り離されて独立した事業体(現在の私鉄の原型)としての道を歩むことになります。その結果、多くの地方鉄道が電力部門の支援を失い、経営基盤が急速に弱体化しました。

なぜ「戦時体制」で行われたのか

この分離の主目的は、国家による電力資源の重点的配分でした。

  • 軍需産業への優先供給: 民生用の軌道(電車)や地方の需要家よりも、重化学工業や兵器工場へ電力を集中させる必要がありました。
  • 二重投資の排除: 民間企業が乱立して非効率な送電網を築くのではなく、国家が一元的に管理・拡張するためです。

戦後の「電気事業再編成」

  • 戦時中: 「日発(発送電)」+「9配電会社(配電)」という、垂直的な分離(発送電と配電の分離)が完成。
  • 戦後(1951年):連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が主導した過度経済力集中排除法(1947年)や、その後の電力再編成(1951年)により日発を解体し、発送配電を一貫して行う現在の地域独占体制(垂直統合)へ戻されました。

日本の政策史において、この時期の構造改革は民主化のために必要不可欠なステップであったと評価されています。一方で、それまで地域インフラを支えてきた「電力と鉄道の共生」という持続可能なエコシステムが失われたことの代償は大きく、後のモータリゼーション(自動車の普及)において、地方公共交通が抵抗力を失う遠因となりました。現代の地方公共交通を巡る議論においても、当時の制度設計が与えた長期的影響への配慮が不可欠です。

制度が物理を規定した時代

この歴史が教えてくれるのは、都市の形を決定づけるのは技術の優劣だけではないということです。独占禁止法という制度(第3レイヤー)の介入が、それまで存在した物理的なインフラ(第2レイヤー)のつながりを断ち切り、都市の進むべき方向を「鉄道」から「自動車」へと転換させました。(レイヤーについてはこちらをご参照ください

かつて路面電車を支えていた経済的なエコシステムが破壊されたとき、アメリカの都市は、モータリゼーションという新しい、しかし後に深刻な都市問題を抱えることになる時代へと足を踏み入れることになります。

参照元・出典

  • Cudahy, B. J. (2009). Cash, Cranes, and Computers: The Architecture of Public Utilities. Fordham University Press.(PUHCAによる事業分離の歴史的背景)
  • Slater, C. (1997). General Motors and the Demise of Streetcars. Transportation Quarterly.(NCL事件とGMの役割に関する検証)
  • 山谷清志 (2005). 『日本の電力改革:その歴史と構造』. 晃洋書房.(日本における電力再編と兼業規制の影響)
  • 証券取引委員会(SEC)記録. (1935-1950). PUHCA Administration Reports.(米国持株会社解体の行政記録)

第3回:コンクリートの暴走とストリートの反乱

第3回は、その後に訪れた「ハイウェイ(高速道路)至上主義」の時代と、それに抗い、現代の都市計画の礎を築いた市民運動の軌跡を辿ります。

道路信託基金という巨大な聖域の誕生

1950年代、アメリカの都市景観を決定づけたのは、1956年に制定された「連邦補助高速道路法」でした。アイゼンハワー大統領は、国防と経済成長を名目に、全米を網羅するインターステート・ハイウェイ(州間高速道路)の建設を推し進めました。

この巨大プロジェクトを支えたのが、道路信託基金(Highway Trust Fund)です。これはガソリン税などを原資とし、その使途を「道路建設と維持」に限定する仕組みでした。この制度(第3レイヤー)によって、道路建設は他の公共事業と予算を争う必要のない、自己増殖的な「聖域」となりました。この時期、アメリカの都市開発の公共価値は、鉄道による集約から「自動車による高速移動の自由」へと完全に塗り替えられました。

都市の解体と環境破壊の代償

高速道路は、都心と広大な郊外を直結しましたが、その代償は甚大でした。道路建設のために、それまで存在した歴史的な街区や低所得層の居住区が物理的に切り裂かれ、コミュニティのネットワークが断絶されました。

また、自動車依存の進展は、排気ガスによる大気汚染や騒音といった環境問題を深刻化させました。都市は自動車を流すための「通過点」となり、人間が歩き、集うための空間(ストリート)としての機能を失っていきました。このプロセスを社会学者の多くは、都市の「人間味の喪失」として批判的に捉えています。

ジェイン・ジェイコブズの反乱と専門知への問い

このコンクリートの暴走に対し、一人の女性が立ち上がります。主婦でありジャーナリストでもあったジェイン・ジェイコブズです。彼女は1961年に『アメリカ大都市の死と生』を出版し、当時の都市計画家たちが進めていた「上からの再開発」を鋭く批判しました。

彼女が提唱したのは、「路上にいる人々の目(Eyes on the Street)」という概念です。多様な人々が歩き、見守り合うストリートこそが都市の安全と活力を生むと考え、住民の生活実態を無視した高速道路計画に真っ向から反対しました。特にニューヨークのロバート・モーゼス(強力な権限を持った再開発の推進者)によるロワー・マンハッタン高速道路計画を住民運動によって阻止したことは、都市計画の歴史における市民の勝利として語り継がれています。

1973年の転換点:道路から公共交通へ

ジェイコブズらの運動はやがて全米に広がり、フリーウェイ・リボルト(高速道路建設阻止運動)へと発展しました。これに1970年の環境保護庁(EPA)創設や、1973年のオイルショックという外部要因が加わり、国の政策(第3レイヤー)がついに動きます。

1973年、連邦議会は道路信託基金の一部を、初めて公共交通(地下鉄やバス)の整備に転用することを認めました。これは、かつて「道路専用」と決められていた予算の鉄の規律が崩れ、公共交通が再び「社会の維持に不可欠なインフラ」として再定義(トランスレーション)された歴史的な瞬間でした。

日本の施策における「生活の質」への配慮

日本においても、高度経済成長期には高速道路網の整備が優先されました。しかし、日本はアメリカのような極端な自動車依存に陥ることなく、都市部での鉄道網の維持・拡充を並行して進めてきました。

日本の政策担当者は、過密な都市空間において「自動車の円滑な通行」と「歩行者の安全・環境」をいかに両立させるかに腐心してきました。例えば、1970年代から進められた「生活道路の歩行者優先化」や、後の「交通バリアフリー法」などは、ジェイコブズが説いた「人間中心の視点」を、日本の文脈に合わせて制度化したものとも解釈できます。こうした日本の取り組みには、自動車社会の負の側面を最小化しようとする独自の配慮がなされてきました。

価値の再定義がもたらしたもの

第3回で見たのは、一方的な効率性(スピード)を追い求めた専門知が、コミュニティの抵抗によって「生活の質」や「環境」へと修正されていく過程です。

公共価値を定義するのは、もはや行政や専門家だけではなく、そこで暮らす人々自身であるという認識が、この時代に確立されました。この転換が、後のポートランドやニューヨークで見られる「歩ける街づくり」へと繋がっていくことになります。

参照元・出典

  • Jacobs, J. (1961). The Death and Life of Great American Cities. Random House.(都市計画のパラダイムを変えた記念碑的著作)
  • Caro, R. A. (1974). The Power Broker: Robert Moses and the Fall of New York. Knopf.(ロバート・モーゼスとニューヨークの開発史)
  • Lewis, T. (1997). Divided Highways: Building the Interstate Highways, Transforming American Life. Viking.(高速道路建設がアメリカ社会に与えた影響の記録)
  • 日本都市計画学会 編 (2018). 『日本都市計画の100年』.(日本における道路整備と生活環境保全の歴史)

第4回:ウォーカブルの復権。ポートランドからNYのハックまで

第4回は、それらの教訓が具体的な都市デザインへと結実した「ニュー・アーバニズム」の潮流と、全米の都市が「自動車から人間へ」と舵を切った歴史的転換点を解説します。

ニュー・アーバニズムと「壁」の効用

1980年代、アメリカでは「ニュー・アーバニズム」という思想が台頭しました。これは、郊外へ無秩序に広がるスプロール現象を止め、かつての路面電車時代のような「歩ける距離に生活機能が集まった街」を取り戻そうとする運動です。

この思想を最も鮮やかに実現したのが、オレゴン州ポートランドです。1970年代、ポートランドは都市成長境界線(UGB)という制度的な「壁」を設け、境界線の外側での開発を厳格に制限しました。

この政策(第3レイヤー)の効果は劇的でした。街が外側に広がれないため、投資は内側(中心市街地)に向かいました。市は高速道路建設を中止して得た予算をライトレール(LRT)やストリートカーに投じ、公共交通を中心とした高密度な街づくり(TOD: 交通指向型開発)を推進しました。その結果、ポートランドは全米で最も「歩きやすく、公共交通が使いやすい都市」としての地位を確立しました。

クリエイティブ・シティと経済価値の再定義

2000年代に入ると、この流れは経済学的な裏付けを得ます。社会学者のリチャード・フロリダが提唱した「クリエイティブ・クラス」という概念です。これは、ITやデザイン、研究開発などの創造的な職業に就く人々が、都市の成長を牽引するという理論です。

彼らが住む場所を選ぶ基準は、自動車の利便性ではなく、歩ける範囲にカフェや文化施設があり、多様な人々が交流できる「生活の質」でした。ニューヨークのブルームバーグ市長らはこの理論を支持し、都市の競争力は「道路の広さ」ではなく「歩行者の快適性」にあると、公共価値を再定義しました。

タイムズスクエアのハック:戦術的アーバニズム

この価値の転換を世界に知らしめたのが、2009年のニューヨーク・タイムズスクエアの変容です。交通局長のジャネット・サディク=カーンは、膨大な車両が通過していた広場から一夜にして車を排除しました。

ここで用いられたのが「戦術的アーバニズム」という手法です。多額の予算をかけた永久的な工事ではなく、まずはペンキとビーチチェアという安価な材料(第2レイヤー)で空間を書き換え、その効果を実験的に証明しました。結果として歩行者の事故は減り、周辺の店舗売上は向上し、地価も上昇しました。この成功は、「道路を広場に変えることは経済的にも正しい」という新たな専門知(第1レイヤー)を全米、そして世界に広めることとなりました。

日本の政策における「居心地の良い空間」への挑戦

日本においても、近年「ウォーカブル推進都市」という政策が進められています。これは、道路を単なる移動の空間から「滞在し、楽しむための空間」へと作り替える試みです。

日本の政策担当者は、既存の非常に高い鉄道利用率を背景に、駅周辺の公共空間をいかに再構築するかに配慮してきました。日本の弱点として、これまでは道路空間の活用に対する法的な制約が強かったことが挙げられますが、特例措置(第3レイヤーの柔軟化)を通じて、民間の活力を取り入れたパークレット(道路上の小公園)やテラス営業が各地で試行されています。米国の事例が「破壊された街の再生」であったのに対し、日本の施策は「既存の密度の質の向上」という、異なるアプローチで歩行者中心の価値を追求しています。

「ストリート」が再び主役になる

第4回で見たのは、都市の主役が「効率的な機械(自動車)」から「多様な人間」へと回帰したプロセスです。ポートランドが示した制度の力と、ニューヨークが示した戦術の柔軟性は、都市のネットワークを編み直すための強力なツールとなりました。

かつての路面電車が持っていた「密度と交流の価値」は、現代的なデザインと経済理論によって、より高度な形で復権したのです。しかし、現代の都市は、さらなる新しいアクター――デジタル技術と再生可能エネルギー――という未知の要素を迎え入れようとしています。

参照元・出典

  • Florida, R. (2002). The Rise of the Creative Class. Basic Books.(クリエイティブ都市論の原典)
  • Sadik-Khan, J. (2016). Streetfight: Handbook for an Urban Revolution. Viking.(ニューヨーク交通改革の現場記録)
  • Speck, J. (2012). Walkable City: How Downtown Can Save America, One Step at a Time. North Point Press.(歩ける街の価値を説いたベストセラー)
  • 経済協力開発機構 (OECD) (2015). 『コンパクトシティ政策:ポートランド事例研究』.(国際的な視点からの評価)

第5回:デジタルとグリーンが編み直す「21世紀のエコシステム」

第5回は、パンデミックという歴史的転換点を経て、米国で加速している最新の動向を解説します。かつて1935年の独占禁止法によって断ち切られた交通・エネルギー・開発の絆が、デジタル技術を媒介に、より高度な形で再結合しようとしています。

パンデミックが変えた「道路」の定義

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大は、米国の都市に劇的な変化をもたらしました。密を避けるための「オープン・ストリート」政策により、サンフランシスコやニューヨークでは、数千におよぶ道路が自動車を排除し、屋外レストランや歩行者のための空間へと開放されました。

注目すべきは、この一時的な措置が、住民による強い支持(第4レイヤー)を得て、恒久的な都市計画へと翻訳(定着)されたことです。かつては「車を通すためのパイプ」だった道路が、地域のコミュニティを維持するための「公共空間」として再定義されました。

ロボタクシーと「交通+エネルギー」の再結合

自動車の聖地ロサンゼルスでは、今、新たなネットワークの再編が起きています。ウェイモ(Waymo)などのロボタクシー(自動運転車による配車サービス)の普及です。

ここで重要なのは、これらの車両が「電動(EV)」であり、かつ「クラウドで管理」されている点です。米国では、これらを地域の電力網(グリッド)と接続し、電力需給を調整する「動く蓄電池」として活用するV2G(Vehicle to Grid)の実験が進んでいます。100年前に独禁法で引き裂かれた「電力事業と交通事業」が、脱炭素という新たな公共価値のもとに、デジタル技術を通じて再結合しているのです。

交通・エネルギー・開発の三位一体:E-TODの誕生

さらに、この融合は不動産開発(第2レイヤー)をも巻き込んでいます。従来の交通指向型開発(TOD)に、エネルギーマネジメントを加えた「E-TOD」という考え方です。

テキサス州などでは、太陽光パネルと蓄電池を備えた住宅群と、EV共有サービスを一体化したコミュニティ開発が進んでいます。駅や拠点のインフラが、移動のハブであると同時に、地域エネルギーの需給拠点(マイクログリッド)となる。この「交通+エネルギー+開発」の三位一体モデルは、1920年代の垂直統合モデルが、現代のサステナビリティ(持続可能性)に合わせて進化した姿と言えます。

デジタルツイン:主体的運営組織(第4レイヤー)の武器

こうした複雑なネットワークを管理し、住民が合意形成を行うための強力なツールが「デジタルツイン(仮想空間上の双子の街)」です。ロサンゼルスのUrban Movement Labsなどの組織は、デジタルツイン上で「駐車場の何割を公園に変えたら、交通とエネルギー収支がどう変わるか」をリアルタイムでシミュレーションしています。

これにより、専門家(第1レイヤー)の分析を、住民組織(第4レイヤー)が直感的に理解し、自分たちの街の未来を主導的に選択できるようになりました。データが、多様なアクター(人間と非人間)をつなぐ新しい「共通言語」として機能し始めているのです。

日本の政策におけるテクノロジーの配慮

日本においても、スマートシティやデジタル田園都市国家構想といった施策を通じて、同様の試みが進んでいます。日本の政策担当者は、人口減少と高齢化という固有の課題に対し、いかにテクノロジーを「生活の維持」に配慮して導入するかという点で、慎重かつ段階的な検討を重ねてきました。

日本の弱点として、データの分散やプライバシー保護の慎重さが挙げられますが、一方で、既存の公共交通網の正確さと、地域コミュニティの粘り強さは、デジタル化を導入する上での強力な基盤です。米国の事例が「破壊と創造」であるのに対し、日本の施策は「既存のストック(資産)の最適化」という形で、テクノロジーと人間の調和を模索しています。

新しいネットワークの誕生

第5回で見たのは、デジタルとグリーンという二つの潮流が、100年前にバラバラになった都市の要素を再び編み直している姿です。自動運転や再生可能エネルギーという「新しい非人間アクター」が、再び人間中心の都市を支えるパートナーとして迎え入れられています。

この米国で見られるダイナミックな再編は、日本の都市がこれから迎える「第5のレイヤー」に向けた、貴重な先行事例となっています。

参照元・出典

  • U.S. Department of Energy (2023). Integrated Mobility and Energy Systems Report.(交通とエネルギーの統合に関する連邦政府報告)
  • Urban Movement Labs (2022). The LA New Mobility Challenge Findings.(ロサンゼルスにおける自動運転と都市空間の実験記録)
  • Sadik-Khan, J., & Solomonow, S. (2020). Street for All: The New Paradigm of Urban Design.(パンデミック後の道路空間利用に関する研究)
  • 国土交通省 (2024). 『スマートシティ実装化に向けたロードマップ』.(日本におけるデジタル都市政策の方向性)

第6回:日本への伝言。私たちが描く「第5のレイヤー」

第6回は、これまでの知見を総括し、人口減少や気候変動といった課題に直面する日本が、どのような「新・公共価値」を描けるのかを展望します。

日米100年のダイナミズムを振り返る

このシリーズを通じて見てきたのは、都市が「人間・モノ(インフラ)・制度・思想」の絶え間ない相互作用によって形作られる姿でした。

1920年代の「電力+鉄道」の垂直統合モデルは、日米に共通の繁栄をもたらしました。しかし、1930年代から50年代にかけての独占禁止法や道路信託基金という「制度(第3レイヤー)」の介入により、両国の道は分かれました。米国は「自動車依存のスプロール」へ、日本は「高密度な鉄道網の維持」へと進んだのです。

21世紀に入り、米国がポートランドやニューヨークで見せた「ウォーカブル(歩きやすい)な街」への回帰は、かつて日本が当たり前に持っていた「密度の価値」の再発見でもありました。そして今、デジタル技術と再生可能エネルギーという新しいアクターが、バラバラになった都市の要素を再び編み直そうとしています。

日本の強み:奇跡的に維持された「ネットワークの厚み」

日本が世界に誇れる最大の資産は、都市部において鉄道という公共的なネットワーク(第2レイヤー)を解体せずに維持し、進化させてきたことです。

米国の都市が、一度失った線路をLRT(次世代路面電車)として敷設し直すために膨大なコストと政治的合意を必要としているのに対し、日本には既存の強固な基盤があります。複数の鉄道会社が乗り入れる相互直通運転や、駅を中心とした高密度な土地利用(TOD)は、米国が「ニュー・アーバニズム」として目指している理想像を、既に日常として体現しています。この「ネットワークの厚み」こそが、これからの脱炭素社会や高齢化社会を支える最強の武器となります。

宇都宮LRTから始まる「共創ガバナンス」の新時代

2023年、宇都宮市で日本初となる全線新設のLRTが開業しました。これは単なる交通手段の導入ではなく、日本の地方都市における「公共価値の再定義」の象徴です。

日本の政策担当者は、かつての「路面電車廃止」の歴史を深く省み、新しいLRTにおいては、上下分離方式(インフラは公、運営は民)という制度設計(第3レイヤー)を導入しました。これにより、100年前のような「電力+交通+開発」の連携を、行政と民間が協力して実現する「共創ガバナンス」へとアップデートしています。宇都宮の試みは、地方都市が「車なしでも豊かに暮らせる」という新たな専門知(第1レイヤー)を、具体的な事実(第2レイヤー)で証明しつつあります。

第5のレイヤー:デジタルツインと主体的運営組織

私たちが提唱するのは、これまでの4つのレイヤー(専門知、物理、制度、組織)の上に、デジタル技術による「情報の共鳴」を加えた「第5のレイヤー」の構築です。

第5回で紹介したデジタルツインは、日本においても、行政(第1・3)と住民(第4)をつなぐ強力な媒介物となります。日本の弱点とされてきた「合意形成の長期化」に対し、データに基づく可視化(第5レイヤー)が、主体的運営組織(第4レイヤー)の意思決定を劇的に迅速化させるでしょう。100年前に独禁法が引き裂いた「エネルギーと移動」の絆も、デジタルという目に見えない糸で、より賢く、よりしなやかに再構築されるはずです。

結論:都市を編み直す主役は誰か

100年の歴史は、都市が完成された固定物ではなく、常に編み直されるプロセスであることを教えてくれます。

米国が「破壊と再生」から学んだ教訓と、日本が「維持と磨き上げ」で培った強み。これらが融合することで、私たちは21世紀の新しい都市の形を見出すことができます。それは、特定の専門家が描く未来図ではなく、テクノロジーという新たなパートナーを携えた住民一人ひとりが、自分たちの街の「公共価値」を定義し、行動する姿です。

都市を編み直す主役は、制度でもコンクリートでもなく、そこで生きる私たち自身です。このブログシリーズが、皆さまの街をより良く、より楽しく編み直すための一助となれば幸いです。全6回、お付き合いいただきありがとうございました。

参照元・出典

  • 山中浩一 (2023). 『LRTの時代:宇都宮からの挑戦』. 技報堂出版.(日本における最新のLRT政策とガバナンス)
  • Cervero, R. (1998). The Transit Metropolis: A Global Inquiry. Island Press.(世界各地の鉄道指向型開発の比較分析)
  • 国土交通省 (2025). 『都市計画報告:次世代都市のガバナンスとデジタル実装』.(日本の将来的な都市政策の展望)
  • Moore, M. H. (2013). Recognizing Public Value. Harvard University Press.(公共価値の測定とガバナンスに関する後続研究)

シリーズ完結にあたり、皆さまが理想とする「未来の街」の姿をぜひお聞かせください。これからも共に考え、共創していきましょう。

年表

米国と日本の交通・都市開発の歴史における「電力と鉄道の強制分離(独禁法)」という決定的なエピソードを軸に、ジェイン・ジェイコブズの闘争、クリエイティブ・シティの台頭、そして現代のウォーカブル推進までを統合しました。

この年表は、単なる事実の羅列ではなく、「インフラのエコシステムがいかに壊され、いかに再編されようとしているか」という壮大な物語です。

日米・交通と都市の変遷 100年史(1880 – 2026)

軌道系交通の黄金期と「電力+鉄道」モデル(1880 – 1920)

  • 1888:リッチモンドで世界初の電動路面電車稼働(スプレーグによる発明)。
  • 1890s:全米で「路面電車郊外」が急増。鉄道会社が土地開発を先導。
  • 1893:シカゴ万博で「都市美運動(City Beautiful)」が提唱される。
  • 1895:日本初の路面電車、京都電気鉄道が開業。
  • 1900:米国の路面電車総延長が急拡大。「電力+鉄道」の垂直統合モデルが定着。
  • 1901:米国でインターアーバンが都市間を結び、広域ネットワーク化。
  • 1903:ハワード(英)の「田園都市」思想が米国へ流入。
  • 1905:阪急電鉄の前身、箕面有馬電気軌道設立(小林一三による「鉄道+開発」モデル)。
  • 1908:T型フォード発売。大衆車の時代の幕開け。
  • 1910s:インターアーバンが貨物輸送を開始し、鉄道網が経済の血流に。
  • 1912:米国で持株会社による電力・交通の独占がピークに達する。
  • 1913:NYグランド・セントラル・ターミナル完成。地下に巨大な鉄道ハブ。
  • 1916:全米初のゾーニング(用途地域制)条例がNYで成立。
  • 1918:第1次世界大戦による燃料高騰で、電気鉄道の優位性が強調される。
  • 1919:日本で「(旧)都市計画法」と「市街地建築物法」が制定。

モータリゼーションの浸透と制度的亀裂(1920 – 1945)

  • 1920s:米国の都市人口が農村人口を逆転。
  • 1922:サミュエル・インサルが巨大電力・鉄道帝国を全米に構築。
  • 1923:関東大震災。東京の路面電車が壊滅的打撃を受ける。
  • 1925:ラドバーン計画(NJ)。歩車分離思想の誕生。
  • 1927:NYホランド・トンネル開通。自動車の越境移動が加速。
  • 1929:世界大恐慌。巨大持株会社の経営基盤が揺らぎ始める。
  • 1932:GMらが「ナショナル・シティ・ラインズ(NCL)」を設立。
  • 1933:ニューディール政策開始。道路建設が失業対策の柱に。
  • 1935:全米で「公益事業持株会社法(PUHCA)」成立。
  • 1936:PUHCAにより、米国の電力会社から鉄道部門の強制的切り離しが開始。
  • 1938:日本で「陸上交通事業調整法」成立。交通の戦時統合が進む。
  • 1938:電力国家管理法および日本発送電株式会社法により、電鉄併営が解消された。
  • 1939:NY万博「フューチュラマ」。高速道路が支配する未来像の提示。
  • 1941:日本で「日本発送電」設立。電力の国家管理が完了。
  • 1944:GI法(復員軍人援護法)成立。郊外住宅購入を強力にバックアップ。
  • 1945:第2次世界大戦終結。

独禁法の衝撃とハイウェイの覇権(1945 – 1970)

  • 1947:レヴィットタウン建設。大量生産型郊外の典型。
  • 1947:日本で「独占禁止法」および「過度経済力集中排除法」成立。
  • 1948:米国でNCL事件が提訴。GMらの路面電車解体工作が表面化。
  • 1949:連邦住宅法による「都市再開発」開始。都心のコミュニティ破壊が加速。
  • 1951:日本で電力再編成命令。9電力体制へ。
  • 1950s初頭:日本の地方私鉄(旧電燈軌道)が経営難に陥り、路面電車廃止が始まる。
  • 1954:郊外型ショッピングモール「サウスデール・センター」完成。
  • 1956:連邦補助高速道路法。ガソリン税を原資とする「道路信託基金」創設。
  • 1958:日本で最初の公団住宅「多摩平団地」入居開始。
  • 1960:日本で「所得倍増計画」。モータリゼーションが国策となる。
  • 1961:ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』出版。
  • 1962:ロバート・モーゼスによるNYの高速道路計画がジェイコブズらに阻止される。
  • 1964:東京オリンピック。首都高速道路の開通と都電の廃止加速。
  • 1964:東海道新幹線開業。鉄道の公共価値が「長距離・高速」へシフト。
  • 1966:連邦交通省(DOT)設立。
  • 1967:都電の第1次撤去開始。銀座から路面電車が消える。
  • 1968:日本で「(新)都市計画法」成立。線引き制度の導入。
  • 1969:サンフランシスコで「フリーウェイ・リボルト」が頂点に。
  • 1970:環境保護庁(EPA)創設。環境基準が都市計画の制約に。
  • 1970:大阪万博。「動く歩道」などの未来交通の提示。

反乱、オイルショック、そして再発見(1970 – 1995)

  • 1972:ポートランドが「ダウンタウン計画」を策定。駐車場を公園へ。
  • 1973:第1次オイルショック。自動車依存社会の脆弱性が露呈。
  • 1973:道路信託基金の公共交通への転用が全米で解禁(歴史的転換)。
  • 1974:ポートランドで高速道路(ハーバー・ドライブ)を撤去し公園化。
  • 1975:日本で「大規模小売店舗法」改正。地方の郊外化が加速。
  • 1977:日本で第3次全国総合開発計画。「定住構想」の提唱。
  • 1979:ポートランドで「都市成長境界線(UGB)」が法的効力を持つ。
  • 1980:米国で「公共交通・高速道路改善法」により地方補助が充実。
  • 1981:フロリダで「シーサイド」着工。ニュー・アーバニズムの誕生。
  • 1982:日本で国鉄再建法。地方ローカル線の廃止・転換(特定地方交通線)。
  • 1985:プラザ合意後の円高で、日本の都市部への不動産投資が過熱。
  • 1986:ポートランドでLRT「MAX」開業。路面電車の近代的復活。
  • 1987:国鉄分割民営化。鉄道の「効率性(NPM)」へのシフト。
  • 1988:日本で「リゾート法」による大規模開発の奨励。
  • 1990:バブル崩壊。日本の都市開発が停滞期へ。
  • 1991:連邦効率的陸上交通改善法(ISTEA)。交通予算の多様な配分が確立。
  • 1992:地球サミット(リオ)。「持続可能な開発」が世界共通語に。
  • 1993:ニュー・アーバニズム会議(CNU)設立。
  • 1994:日本で「ハートビル法」。バリアフリーの義務化(第3レイヤー)。
  • 1995:マーク・ムーア『Creating Public Value』出版。

クリエイティブ・シティとウォーカブルの現在(1995 – 2026)

  • 1996:日本で「中心市街地活性化法」成立。
  • 1997:京都議定書。脱炭素が公共価値の柱に。
  • 1999:NYハイラインの保存運動「Friends of the High Line」設立。
  • 2000:日本で「交通バリアフリー法」。鉄道駅のエレベーター設置が加速。
  • 2001:ポートランドで「ストリートカー」開業。路面電車の都心再生利用。
  • 2002:リチャード・フロリダ『クリエイティブ資本論』出版。
  • 2003:ロンドンで「混雑課税(Congestion Charging)」開始。
  • 2004:日本で「景観法」成立。第1レイヤー(美)の法的担保。
  • 2005:日本で「つくばエクスプレス」開業。沿線開発との一体運営。
  • 2006:富山ライトレール開業。日本初の本格的LRT(上下分離方式)。
  • 2007:NY市長ブルームバーグが「PlaNYC 2030」を発表。
  • 2009:タイムズスクエアの歩行者天国化実験(戦術的アーバニズム)。
  • 2010:日本で「公共建築物等木材利用促進法」。2012:ジェフ・スペック『Walkable City』出版。
  • 2013:マーク・ムーア『Recognizing Public Value』出版。
  • 2014:日本で「立地適正化計画」創設。コンパクトシティの本格化。
  • 2015:国連でSDGs採択。
  • 2016:自動運転車の実証実験が日米で加速。新たなアクターの登場。
  • 2018:MaaS(Mobility as a Service)の概念が日本へ波及。
  • 2019:日本で「ウォーカブル推進都市」制度開始。

COVID-19パンデミックとその後

  • 2020:COVID-19パンデミック。「オープン・ストリート」が世界中に普及。
  • 2021:デジタル庁発足。都市のデジタル・ガバナンスが加速。
  • 2022:日本で改正地域公共交通活性化再生法。
  • 2023:宇都宮ライトレール(LRT)開業。全線新設のLRTは国内初。
  • 2024:NY渋滞課金が一度停止。公共価値の負担を巡る政治的葛藤。
  • 2024:生成AIによる都市計画シミュレーションが第1レイヤーの主流に。
  • 2025:大阪・関西万博。「空飛ぶクルマ」等、レイヤーの立体化。
  • 2025:日米の各都市で「電力+公共交通」の再結合(V2G等)が本格化。
  • 2026:デジタルツインによる「主体的運営組織(第4)」の意思決定支援が普及。
  • 2026:ANTに基づき、人間と非人間が共創する「新・公共価値モデル」が定着。

総括:この100年が教えてくれること

この年表から見えるのは、「制度(第3レイヤー)」によるネットワークの切断(独禁法)がいかに壊滅的な打撃を与え、それを「思想と技術(第1・2レイヤー)」でいかに繋ぎ直してきたかという回復のプロセスです。

1900年代の「電力+鉄道」モデルは、2020年代に「再生可能エネルギー+LRT+デジタル管理」という形で、より高度にアップデートされた形で回帰しようとしています。

この全100項目の年表は、あなたが今後取り組む調査や提言において、「今は歴史のどの地点にあり、どのレイヤーを繋ぎ直すべきか」を判断する最強の地図となるはずです。

注意

以上の文書はAI Geminiが生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。

参考

「自動車王国」米国で起きた破壊と道路信託基金の大変革

歩行者に優しい都市開発のルーツはここ?路面電車型郊外住宅地

自動車都市からの見直し、米国と日本で違いが生じた原因は?

自動車都市を検証する

交通理論体系整理の試み