私たちは、街を殺した犯人を間違えている
鉄道の赤字の裏に隠された、奪われた権利の物語
皆さんは、自分の住む街や故郷の駅がひっそりと静まり返り、あるいは路線そのものが消えていくのを目の当たりにしたとき、どう感じるでしょうか。人が乗らないから仕方ない鉄道会社の努力が足りない赤字なら廃止は当然だ……。そんな声がどこからか聞こえてくるかもしれません。しかし、少し立ち止まって考えてみてほしいのです。私たちが仕方のない結果として受け入れているその風景は、本当に鉄道の怠慢が生んだものなのでしょうか。今回は、日本とは全く異なる視点で交通を捉えるフランスの思想を補助線に、私たちがいつの間にかすり替えてしまった街の衰退の真因を解き明かしていきます。
音声解説(17分)
AI Notebook LMで生成した音声解説
日本の交通は「ビジネス」か「権利」か_地方鉄道衰退の真因
交通は権利であるという衝撃
日本では、鉄道はあくまで独立採算制(自らの稼ぎで経営を維持する仕組み)を前提とした民間事業、あるいはそれに準ずるものとして扱われます。そのため、利用者が減り赤字になれば不採算として整理の対象になるのが、経済合理性にかなった判断だと見なされがちです。
一方、フランスの視点では、誰かが移動できなくなることは、その人の生存権や社会参加の機会を奪うことを意味します。たとえ赤字であっても、交通サービスを提供し続けることは自治体の法的根拠に基づく具体的な公的責務なのです。この思想の根底には、レオン・デュギー(Léon Duguit)らが確立した公法理論があります。彼らは、国家の本質は支配権力ではなく、社会の連帯を維持するための公役務の提供にあると説きました。
フランスには、日本の交通政策には存在しない強力な概念があります。それが交通権(Droit au transport)です。1982年に制定された国内交通基本法(LOTI)において、フランスは移動の自由は国民の基本的人権であると明文化しました。ここで重要なのは、移動を商品ではなく、警察や教育と同じ公役務(セリュヴィス・ピュブリック:国や自治体が住民の生活のために提供すべき不可欠なサービス)として定義した点です。このため、10万人規模の都市にもトラムが運行されるなど充実したサービスが提供されています。
もちろん郊外や農村部では、莫大な維持費がかかる鉄道や大型バスを走らせることは現実的ではありません。そこで交通権の保障を多様なモビリティの組み合わせで実現しています。
- デマンド型交通(TAD): 予約制の乗り合いタクシーやミニバス。フランスの郊外ではこれが非常に発達しており、「公共交通の末端」として機能しています。
- カーpooling(相乗り)への公的支援: 法改正により、自治体が個人間の相乗りを「公共交通の一部」として認定し、補助金を出せるようになりました。
- 自転車インフラ: 郊外の駅までの自転車道を整備することも、交通権保障の一環とみなされます。
鉄道の赤字という言葉が隠しているもの
日本の地方公共交通を巡る議論で、常に主役となるのは赤字という数字です。しかし、経済学の視点から見れば、この数字だけを評価するのは不十分です。鉄道がもたらす価値には、運賃収入だけでは測れない外部経済(市場取引を通さずに第三者に与えるプラスの影響)が含まれているからです。
- 地価の維持: 駅があることで沿線の不動産価値が保たれ、固定資産税として自治体の財源になります。
- 社会的コストの抑制: 鉄道があれば、高齢者が自身で運転する必要がなくなり、悲惨な交通事故やそれに伴う医療・介護費用の増大を抑えられます。
- 環境負荷の低減: 二酸化炭素排出量の抑制や、道路渋滞の緩和による経済損失の防止です。
フランスでは、これらの価値を定量化し、公共交通に公費を投入することを赤字の補填ではなく、社会のインフラを維持するための共同投資と捉えます。対して日本では、これらの便益を享受している乗らない人や周辺企業の負担が仕組みとして確立されてきませんでした。結果として、負担の全てが乗客と鉄道事業者の肩にのしかかり、耐えきれなくなった路線から順に、あたかも経営者の責任であるかのように切り捨てられてきたのです。
日本の政策努力と慎重な配慮
もちろん、日本の政策担当者もこの課題を放置してきたわけではありません。2013年には交通政策基本法が成立し、2023年の改正では地域公共交通再構築協議会の設置など、国がより深く関与する枠組みが整いつつあります。ここには、従来の民間任せでは限界があるという、現場の痛切な反省が反映されています。日本の施策は、既存の民間経営の自主性を尊重しつつ、行政がいかに支援するかという極めて繊細なバランスの上に成り立っています。性急にフランスのような責務を課せば、日本の多様な運営主体に過度な負荷を与え、かえって現場を混乱させる懸念があるからです。
しかし、その慎重な配慮ゆえに、交通を基本的人権として強力に保護するまでには至っていないのが現状です。自治体には計画を作る努力義務はあっても、フランスのようなサービスを提供し続ける法的責任までは課されていません。この一線の差が、地域の足が消えるか残るかの決定的な分岐点となっています。
すり替えられた衰退の原因
ここで、冒頭の問いに戻りましょう。街が寂れたのは、本当に鉄道が不便になったからでしょうか。歴史を紐解けば、因果関係は逆であることがわかります。戦後の日本は、自動車産業を国家の柱として育成し、都市を自動車に合わせて改造してきました。広い道路を作り、郊外に巨大な駐車場を備えた店舗を認め、街を外へ外へと広げていきました。その結果、中心街の密度は下がり、鉄道やバスは構造的に不便にならざるを得ませんでした。つまり、自動車社会への全振りという社会選択の結果として、公共交通の衰退があるのです。
私たちは、自分たちが選んだ車社会の便利さが街の骨格を壊した事実を直視せず、その歪みの象徴である鉄道の赤字を犯人に仕立て上げてはいないでしょうか。鉄道会社の怠慢を責めることは、実は自分たちの選択の責任を転嫁することになっていないでしょうか。
奪われたのは時刻表ではない
フランスのLOTIが私たちに教えてくれるのは、交通を守ることは誰かのビジネスを助けることではなく、私たちの居場所を守ることだという事実です。駅がなくなるということは、単に移動手段が一つ減ることではありません。車を運転できない子供たちが世界を広げる機会を奪われ、ハンドルを手放した高齢者が社会から孤立していくことを意味します。私たちは、公共交通という公役務を、一企業の損益計算書の中に閉じ込めてしまいました。しかし、本来それは私たちの生存を支える社会の骨格であったはずです。
次項では、なぜフランスでは自動車は街の侵略者であるという共通認識が生まれたのか。そして、日本の通勤手当という一見親切な仕組みが、いかにして私たちの交通権を蝕んできたのか、その構造的な罠について詳しくお話しします。
主要参照文献・資料
- 堀雅通(2015)『フランスの公共交通政策―移動の権利をめぐる法と政策』日本評論社。
- 西田敬(2012)フランス地方都市の公共交通事業改革における国の関与と地方の役割『都市計画報告集』。
- 板谷和也(2004)フランスの都市圏交通に関する計画コントロールシステム『都市計画論文集』。
- Léon Duguit (1913) Les Transformations du droit public.
- 交通政策基本法(平成25年法律第92号)
- 地域公共交通の活性化及び再生に関する法律(平成19年法律第59号)
自動車という甘い劇薬が街を溶かした
前項では、フランスの交通権という概念を引き合いに、移動が単なるサービスではなく、生存に関わる公役務(公共のために提供される不可欠なサービス)であることをお話ししました。
石の街と木の街:自動車への眼差しの差
フランスを歩くと、数百年前の石造りの街並みが大切に守られていることに気づきます。彼らにとって街は、先代から受け継いだ公共の財産です。1970年代、この美しい街並みに大量の自動車が流入し、排ガスで壁が汚れ、歩行者が追いやられたとき、フランス市民は猛烈な危機感を抱きました。彼らにとって、自動車は生活を豊かにする道具である以上に、自分たちの誇りである公共空間(街の広場や通り)を破壊する侵略者として認識されたのです。この強い反感が、自動車に課税し、その財源でLRT(路面電車)を復活させるという、LOTI(国内交通基本法)の政治的合意を生みました。
一方、日本は木の街の文化です。火事や戦災で何度も街を作り直してきた歴史から、古いものを壊して新しいインフラを整えることに、フランスほどの抵抗はありませんでした。戦後の日本にとって、自動車は近代化の象徴であり、泥濘んだ道を舗装し、生活の範囲を広げてくれる救世主でした。
この自動車への全肯定が、日本の都市計画の前提となりました。道は広く、直線的になり、建物は自動車が停めやすいように設計されました。この過程で、私たちは知らず知らずのうちに、街を歩く場所から車で通過する場所へと作り替えてしまったのです。
駐車場という空洞が街を殺すメカニズム
経済学には集積の経済(人々や機能が一箇所に集まることで生まれる利益)という言葉があります。中心街の魅力は、狭い範囲に多様な店や機能が密集し、歩いて回れる回遊性にあります。しかし、自動車社会に適応しようと中心街に駐車場を増やすと、この密集が破壊されます。
- 空間の分断: 建物と建物の間に駐車場ができるたび、歩行者の視線は途切れ、街歩きの楽しさが失われます。
- 機会損失の発生: 本来、店舗や住宅が建ち、経済活動(税収や雇用)を生むはずの土地が、ただ車を置くだけの場所になります。駐車場は車は置けますが、そこから街の賑わいは生まれません。
- 郊外モールへの敗北: 車での来やすさを追求すればするほど、広大な無料駐車場を持つ郊外のショッピングセンターと同じ土俵で戦うことになります。中心街が駐車場の広さで郊外に勝つことは物理的に不可能です。
駐車場が増えることは、一見便利に見えますが、実は街の心臓部に空洞を作っているのと同じです。フランスの都市が中心街から駐車場を減らし、LRTを通したのは、車を不便にすることこそが、街の賑わいを取り戻す唯一の道だと気づいたからです。
通勤手当という日本独自の罠
なぜ日本では、フランスのような交通税(企業が自治体に払う交通維持のための税金)が定着しなかったのでしょうか。そこには、日本独自の通勤手当という慣行が深く関わっています。日本では、企業が従業員の交通費を直接負担するのが一般的です。これは一見、労働者に優しい仕組みに見えますが、公共交通の観点からは大きな副作用がありました。
- 企業意識の乖離: 企業はすでに多額の手当を払っているため、それ以上に地域全体の交通インフラのために納税することに強く反対します。
- 受益の個人化: 交通の恩恵が会社と個人の関係に閉じ込められ、地域社会全体で支えるべき公役務という意識が育ちにくくなりました。
フランスの交通税(現在は移動負担金:Versement Mobilité)は、企業が従業員に手当を払う代わりに、自治体に納めます。自治体はその資金で、従業員も、その家族も、高齢者も使える街全体の足を整備します。日本はこの通勤手当という仕組みによって、交通の維持を企業の福利厚生のレベルに留めてしまい、社会全体の権利へと昇華させる機会を逃してきた側面があるのです。
日本の施策における二正面作戦の苦悩
日本の政策担当者も、この自動車依存の罠には十分に気付いています。例えば、多くの自治体が立地適正化計画(生活機能を特定のエリアに集約させる計画)を策定し、公共交通を中心としたコンパクトシティを目指しています。しかし、ここには日本特有の難しさがあります。すでに多くの市民が郊外に家を持ち、車を前提とした生活を確立している中で、強引な自動車規制を行えば、市民生活を破壊しかねません。また、自動車産業が日本経済を支える基幹産業である以上、自動車を悪役に据える議論は極めて慎重にならざるを得ません。
そのため、日本の施策は自動車を否定するのではなく、いかに公共交通との共存を図るかという、非常に難度の高い調整を続けています。しかし、その配慮の結果として、中心街の空洞化に歯止めがかからないというジレンマに直面していることも、また客観的な事実なのです。
私たちは何を便利と呼んでいるのか
家の前から目的地まで、誰にも邪魔されず車で行ける。これは確かに便利なことです。しかし、その便利さの代償として、私たちは街という共有財産を失いつつあります。街を歩けば知人に会い、ショーウィンドウに目を奪われ、ふらりとカフェに立ち寄る。そんな偶然の豊かさは、自動車という閉じた空間の中には存在しません。私たちが鉄道が不便になったと嘆くとき、その真犯人は鉄道会社ではなく、実は私たちのもっと車で便利にという願いに応えすぎた街の姿そのものなのかもしれません。
次項では、この自動車中心の認識をいかにして改め、私たちの手に移動の権利と街の誇りを取り戻すのか。そのための具体的な論理的武装と、日本各地で始まりつつある逆転劇についてお話しします。
主要参照文献・資料
- 岡並木(1981)『都市と交通』岩波新書。
- 越澤明(1995)フランスの都市交通政策と交通税『レジリエンス』。
- 西村幸格・服部重敬(2001)『都市と路面公共交通』学芸出版社。
- 板谷和也(2004)フランスの都市圏交通に関する計画コントロールシステム『都市計画論文集』。
もう一度、私たちの道を人間に取り戻す
交通権は、愛する街で最期まで自分らしくあるための武器
ここまで、フランスの交通権(人権としての移動)と、自動車依存が街を溶かすメカニズムを見てきました。鉄道が不便だから街が廃れたという認識は、今や街を自動車に最適化しすぎた結果、公共交通が機能不全に陥ったという、より深い真実へと上書きされているはずです。では、私たちはここからどうやって街を取り戻せばよいのでしょうか。
経済学の知見と、日本各地で始まりつつある静かな革命をヒントに、私たちの移動の自由を取り戻すための処方箋を提示します。
生存権としての交通:議論のステージを上げる
鉄道やバスの存廃議論を、一企業の赤字・黒字という損益計算書の世界に閉じ込めておく限り、私たちは常に敗北します。なぜなら、人口減少下の日本において、公共交通を単体で黒字化することは極めて困難だからです。ここで必要なのは、議論のステージをビジネスから人権(生存権)へと引き上げることです。
日本国憲法第25条は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しています。現代社会において、病院へ行く、学校へ行く、働く、あるいは友人と会うといった活動は、移動手段がなければ成立しません。つまり、移動は他の全ての基本的人権を行使するための前提条件なのです。フランスがLOTI(国内交通基本法)で成し遂げたのは、交通を市場原理から切り離し、行政が保障すべき公役務(セリュヴィス・ピュブリック)へと格付けし直したことでした。日本でも、交通を道路や下水道と同じ公共財と再定義し、採算が取れないから廃止ではなく権利を守るためにどう維持するかを問い直す時期に来ています。
街の稼ぐ力を再起動する政治的根回し
自動車中心の街を変えるには、感情論だけでなく経済的なメリットで反対勢力を説得する戦術が必要です。日本の地方都市で脱・自動車を掲げると、必ず商店街や地域住民から生活が成り立たないという懸念の声が上がります。これに対し、宇都宮市や前橋市などの先進事例は、巧みな根回しと実証で応えています。
- 駐車場を居場所へ: 宇都宮市のLRT(次世代路面電車)新設では、渋滞解消というドライバーへの利益と、沿線の資産価値向上という不動産オーナーへの利益を明確に示しました。レールという動かせないインフラが敷かれることで、民間投資を呼び込み、街の稼ぐ力を底上げしたのです。
- 社会実験による体感の提供: 前橋市のように、まずは期間限定で道路を歩行者に開放し、滞在時間や売上の変化を数値化します。車を通さない方が人が滞留し、結果として商売が繁盛するというフランス的な成功体験を、日本独自の文脈で積み重ねることが、反対派の認識を書き換える近道です。
外部不経済を公正に評価する
強調したいのは、自動車社会が垂れ流している外部不経済(市場を通さず他者に与える悪影響)の是正です。私たちが車は安くて便利だと感じるのは、道路の維持費、交通事故の処理費用、大気汚染による健康被害といった膨大な社会的コストを、運転者個人ではなく社会全体が負担しているからです。
外部経済を評価する
一方で、鉄道やバスは、これらのコストを抑え、地価を下支えするという外部経済(プラスの影響)を生み出しているにもかかわらず、その便益は評価されず、運賃収入のみで合否を判定されています。この不公正な土俵を正すことこそが、交通政策の核心です。日本の2023年改正地域公共交通活性化再生法は、自治体が主体となって路線を再構築する枠組みを強化しました。これは、ようやく日本も交通を地域全体の資産として管理するというフランス型モデルへ一歩踏み出したことを意味します。この制度を赤字路線の整理に使うのではなく、地域価値の最大化のために使いこなす知恵が求められています。
私たちが手に入れるべき新しい自由
車があればどこへでも行けるというのは、実は車がなければどこへも行けないという不自由と表裏一体です。年齢を重ね、いつかハンドルを手放す日が来たとき。あるいは、経済的な理由で車を所有できないとき。その瞬間に、自分の住む街が檻(おり)に変わってしまう。そんな社会は、果たして豊かなのでしょうか。フランスの交通権が目指すのは、車を持つ自由に加えて、車を持たない自由をも保障する社会です。それは、子供から高齢者まで、誰もが自分の意志で街に繰り出し、人々と交わり、自分らしくあり続けられる権利です。
終わりに:認識の転換が、未来の地図を書き換える
お伝えしてきたメッセージは一つです。
鉄道が消えたのは、鉄道が怠慢だったからではない。私たちが『自動車という便利さ』の影に、街の未来と自分たちの権利を隠してしまったからです。
犯人を鉄道会社の赤字にすり替えるのを、もう終わりにしましょう。公共交通を守ることは、ノスタルジー(懐古趣味)ではありません。それは、私たちが人間として尊厳を持って移動し、交流し、この街で生き続けるという権利を、自分たちの手に取り戻すための、最も前向きで、最も切実な戦いなのです。
フランスの郊外で移動が保障されているのは、彼らが日本より裕福だからではありません。『市境で思考を止めない』仕組みと、『道路とバスを一つのセットとして経営する』覚悟があるからです。日本の郊外が『陸の孤島』にならないためには、市町村という小さな枠を飛び出し、道路予算という巨大な聖域に切り込む、新しい『都市経営のルール』への書き換えが必要です。
フランスにできて、日本にできないはずはありません。今、あなたの街で始まろうとしている小さな変化に、ぜひ交通権という新しいレンズを通して、参加してみてください。
主要参照文献・資料
- 堀雅通(2015)『フランスの公共交通政策―移動の権利をめぐる法と政策』日本評論社。
- 今野修平(2003)交通権の概念と法制度化の課題『交通権』。
- 宇都宮市(2023)ネットワーク型コンパクトシティ形成計画。
- 国土交通省(2023)地域公共交通の活性化及び再生に関する法律の一部を改正する法律案関連資料。
交通権・公共交通政策に関する主要年表
- 1913 仏 公法理論の確立 レオン・デュギーが『公法の変容』を著し、国家の役割を支配から公役務(サービス)へ定義し直す。
- 1968 仏 五月革命と都市への権利 アンリ・ルフェーヴルが提唱。都市空間を資本や自動車から市民の手に取り戻す思想が広まる。
- 1971 仏 交通税(VT)の導入 パリ公共交通の財源として、企業に課税する仕組みが誕生(後に地方へ拡大)。
- 1980 日 国鉄再建法の制定 赤字路線の廃止基準が明確化され、地方路線の切り捨て(バス転換)が加速する。
- 1981 日 交通権学会の設立 法学者や実務家が集まり、日本で初めて移動の権利を法的に確立しようとする運動が本格化。
- 1982 仏 国内交通基本法(LOTI)制定 交通権を世界で初めて明文化。 移動を国民の基本的人権として定義。
- 1987 日 国鉄分割民営化 JR発足。独立採算制と効率化が日本の鉄道経営の絶対的な正義となる。
- 1990 仏 ストラスブールLRT計画 市長が自動車を排除しLRTを導入。現代的な歩行者中心の街づくりのモデルとなる。
- 2000 仏 連帯と都市更新法(SRU法) 都市計画(住居)と交通計画の一体化を義務付け、自動車依存からの脱却を強化。
- 2001 日 交通権裁判(大阪地裁等) 路線廃止に対し移動の権利を根拠に差し止めを求めたが、判決では具体的権利とは言えないと退けられる。
- 2007 日 地域公共交通活性化再生法 自治体が公共交通に関与する枠組みができるが、支援の域を出ず。
- 2013 日 交通政策基本法 制定 交通に関する憲法的な法律ができるが、交通権の文言明記は見送られる。
- 2014 独/芬 MaaS(マース)の概念提唱 フィンランドなどで、あらゆる移動を統合サービスとして提供するMaaSが注目され始める。
- 2019 仏 移動の方向付けに関する法(LOM) LOTIを継承しつつ、デジタル化や環境対策、空白地帯の解消を強化。交通権の現代版アップデート。
- 2020 日 地域公共交通活性化再生法 改正 自治体の役割を強化。利便性だけでなく持続可能性を重視した計画策定を促す。
- 2023 日 改正地域公共交通活性化再生法 施行 再構築協議会の設置。国が主導して、鉄道かバスかを決める議論を強制的に動かせるようになる。
- 2023 日 宇都宮LRT 開業 日本で初めて、既存路線のない場所にLRTを新設。日本版交通権実体化の象徴的事例。
年表から読み解くポイント
- フランスの先見性と一貫性:1910年代の哲学から、70年代の財源確保、80年代の法制化、90年代の空間設計まで、フランスは思想・金・法・街を一つずつ着実に積み上げてきたことがわかります。
- 日本の苦闘と転換:80年代の効率重視(国鉄民営化)から、2000年代以降の権利・持続可能性重視へと、30年以上の時間をかけてようやくフランスに近い土俵(法整備)へと近づいてきています。
- 2023年の重要性:宇都宮LRTの開業と、国が主導する再構築協議会の制度化が重なった2023年は、日本における公共交通のあり方が民間任せから公(自治体・国)の積極的関与へと完全に舵を切った歴史的転換点と言えます。
日本とフランスにおける交通権と公共交通政策の比較統合表
| 比較項目 | フランス (France) | 日本 (Japan) |
| 基本思想 | 交通権(移動の権利)。移動は社会参加のための基本的人権であり、公役務(公共サービス)である。 | 独立採算制・自己責任。交通は乗る人が支えるビジネスであり、民間事業の延長である。 |
| 法的根拠 | 国内交通基本法(LOTI, 1982年)等。自治体に交通サービス提供の法的責務がある。 | 交通政策基本法(2013年)等。自治体には計画策定の努力義務はあるが、提供の義務は弱い。 |
| 自動車への認識 | 都市の侵略者。歴史的景観や歩行者の共有空間を破壊する存在として、規制の対象となる。 | 近代化の救世主。経済成長の柱であり、生活を便利にする豊かな生活の象徴として全肯定された。 |
| 赤字の捉え方 | 共同投資。赤字は社会インフラを維持するための必要経費であり、負債ではない。 | 経営の失敗・怠慢。赤字は不効率の証拠であり、不採算路線の廃止は経済合理的な判断とされる。 |
| 主な財源 | 交通税(移動負担金)。公共交通の便益を受ける企業(従業員)が負担する仕組みが確立。 | 運賃収入+公的補助。利用者の運賃が主。企業負担は通勤手当(福利厚生)という個人還元に留まる。 |
| 都市構造 | コンパクト&ペデストリアン。LRTを軸に自動車を排除し、歩行者中心の石の街を再生。 | ロードサイド&郊外拡散。広い道路と駐車場を整備し、自動車に最適化した木の街の改造。 |
| 1980年代の転換 | 公役務の強化。LOTI制定により、国家が移動の自由を保障することを宣言した。 | 分割民営化(国鉄)。効率化とコスト削減を重視し、鉄道を公から私へ移行させた。 |
| 衰退の因果関係 | 自動車が原因。車が街を壊したから、公共交通で街を取り戻す(原因者負担の論理)。 | 鉄道が原因。不便で時代遅れの鉄道が自滅し、便利な車に取って代わられた(市場淘汰の論理)。 |
| 合意形成の核 | 生活の質(生存権)。車がなくても最期まで自分らしく暮らせる街の誇り。 | 利便性と経済性。安くて便利な車か、コストのかかる鉄道かという二者択一。 |
この表が示す最も重要なポイントは、外部不経済(自動車が社会に与える負の影響)をどちらが正しく評価したかという点に集約されます。
- フランスは、自動車の普及が街の衰退の主因であることを認め、その外部不経済を是正するために、自動車を支える資本(企業)に交通税を課し、公共交通を人権として再定義しました。
- 日本は、自動車の利便性を優先するあまり、その裏で公共交通が担っていた社会の骨格としての価値(外部経済)を過小評価してきました。その結果、衰退の責任を公共交通そのものに押し付ける認識のすり替えが起きてしまったのです。
ご愛読いただきありがとうございました。この記事が、皆さんの住む街の風景を少しだけ変えるきっかけになれば幸いです。
注意
以上の文書はAI Geminiが生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。







