前シリーズでは、アメリカが1973年に道路の聖域を解体した歴史的ドラマを追いました。しかし、自動車社会からの脱却を目指しているのはアメリカだけではありません。今、世界中の賢い都市が、これまでの常識を180度覆す決定を下しています。
それは、道路を物理的に減らし、車を追い出すことで、経済を再生させるという戦略です。今回は、世界が目撃した逆転の都市経営の成功例を見ていきましょう。

ソウルの衝撃:高速道路の下から川が湧き出た日

アジアにおける最も大胆な転換は、2003年の韓国・ソウルで起きました。市内の中心部を貫き、1日16万台の車を流していた巨大な高速道路の高架を、当時の李明博(イ・ミョンバク)市長は完全に撤去すると宣言したのです。周辺の商店主やドライバーからは交通がパニックになる商売があがったりだと猛烈な反対が巻き起こりました。しかし、工事が完了したとき、起きたのは奇跡でした。

  • 高架道路の跡地からは、かつてコンクリートの下に埋め殺されていた清渓川(チョンゲチョン)が復元され、美しい親水公園が姿を現しました。
  • 経済効果: 周辺の地価は跳ね上がり、観光客が激増。中心街のビジネス価値は以前よりも高まりました。
  • 環境効果: 川の復元により、周辺温度が最大で3.6度低下し、ヒートアイランド現象が劇的に改善されました。
  • 交通の真実: 驚くべきことに、懸念された大渋滞は起きませんでした。車線が減ったことで、人々が地下鉄やバスへと移動手段を切り替えたからです。

オランダの執念:市民の命が変えたインフラの優先順位

今日、世界一の自転車大国として知られるオランダも、1960年代までは今の日本と同じように、街中に車が溢れ、歴史的な広場が駐車場に変わる自動車優先の国でした。

転機となったのは、1970年代に起きたStop de Kindermoord(子供の殺害を止めろ)という市民運動です。自動車事故で亡くなる子供たちの多さに耐えかねた親たちが、街頭に立ちました。これを受けたオランダ政府は、単なる安全対策を超えた決断をします。車が通れる場所を制限し、自転車と歩行者が主役の街にするという構造改革です。

  • 空間の再定義: 生活道路から車を排除し、歩行者や子供が自由に過ごせる空間を最優先で整備しました。
  • 結果: 現在のアムステルダムは、世界中からIT企業やスタートアップが住みやすさを求めて集まる、欧州屈指の経済都市へと成長しました。

ポンテベドラの奇跡:車を捨てて人口が増えた地方都市

「それは大都市だからできることだ」という声が聞こえてきそうですが、スペインの地方都市ポンテベドラ(人口約8万人)の例は、その先入観を打ち砕きます。1999年、ロレス市長は都市の中心部30万平方メートルから車を完全に排除するという極端な政策を断行しました。

  • 得られたもの: 導入後、中心部での交通事故による死亡者は20年以上ゼロ。排ガス汚染は70%削減されました。
  • 経済の復活: 周辺の地方都市が過疎化に苦しむ中、ポンテベドラだけは歩いて暮らせる安全な街を求めて若者が流入し、人口が増加し続けています。

日本の現状と経営的視点の欠如

これらの事例に共通するのは、彼らが環境に優しいからという道徳的な理由だけで動いたのではない、という点です。彼らは道路を減らして人間を呼び戻す方が、都市経営として黒字になるという経済的合理性に気づいたのです。

一方、日本の多くの地方都市では、いまだにバイパスを作れば街が活性化するという昭和の神話が根強く残っています。しかし、そのバイパスが中心街から人を吸い出し、自治体の維持費を膨らませ、街を疲弊させている現実に、私たちは目を向けるべき時が来ています。もちろん、日本の施策においてもウォーカブル推進事業など、変化の兆しはあります。しかし、世界が車を減らして価値を上げる競争をしている中で、日本が車のために価値を下げ続ける選択をすることは、あまりにも大きな損失です。

都市は誰のものか

道は車が走るためのものという思い込みを一度捨ててみてください。世界では、道は富を生み、人々が交流するための貴重な共有財産(社会的共通資本)として再定義されています。次回は、なぜ日本だけがこの世界の成功法則から取り残されているのか。各国の制度を数値で比較し、日本の公共交通が置かれている不公平な土俵を見てみます。

主要参照文献・資料

  1. Seoul Metropolitan Government (2006). Cheonggyecheon Restoration Project Official Report.
  2. Nieuwenhuijsen, M. J., & Khreis, H. (2016). Car-free cities: Pathway to healthy urban living. Environment International.
  3. Gehl, J. (2010). Cities for People. Island Press.
  4. 宇沢弘文 (2000). 『社会的共通資本』岩波新書。

【日米欧・比較論】なぜ日本の公共交通は不公平な土俵にいるのか

予算の流動性と交通権が生む決定的な格差

前項では、世界各地で道路を減らして富を築く逆転劇が起きていることをお伝えしました。しかし、こうした話を日本の地方自治体ですると、必ずと言っていいほど「うちは予算がないから」「鉄道は赤字だから無理だ」という壁にぶつかります。なぜ、諸外国にはできて日本にはできないのか。それは、私たちの能力の差ではなく、予算のルールと権利の考え方という土俵そのものが、日本だけ極めて不利に設計されているからです。今回は、その不公平な構造をデータで解き明かします。

予算の流動性:道路の金を鉄道に使えるか?

最大の格差は、確保した予算をどれだけ柔軟に組み替えられるか、という点にあります。

  • 欧米(戦略的スライド型): 前回触れた米国のウィズドロー(計画撤回・予算転用)が象徴的です。米国やフランスでは、一度道路建設用として確保した予算であっても、自治体が道路をやめてLRT(路面電車)を作ると決めれば、その資金をそのままスライドさせることができます。つまり、手段に縛られず移動の確保という目的に対して投資ができるのです。
  • 日本(縦割り・分散型): 日本は2009年に道路特定財源を一般財源化しました。一見、自由度が増したように見えますが、実は交通という枠組みの中での流動性は失われました。予算は自治体の大きな財布(一般会計)に混ざり、教育や福祉との奪い合いになります。結果として、道路予算を削って鉄道の赤字を埋めるといった戦略的な資金移動が制度的に難しくなっています。

公共交通の定義:インフラかビジネスか

次に深刻なのが、公共交通の赤字に対する捉え方です。

  • フランス・オランダ(社会的共通資本型): これらの国では、公共交通を上下水道や消防と同じ生存に不可欠なインフラと定義しています。運営が赤字であっても、それは街の資産価値を維持するための必要経費と見なされます。例えばフランスでは、企業の給与総額に課税する交通付加金という制度があり、これを原資に公共交通を支えています。
  • 日本(独立採算・事業型): 日本では、鉄道やバスを切符代で自立すべき民間ビジネスと見なす傾向が極めて強いです。道路は1円も稼がなくても税金で維持するのが当たり前とされる一方、鉄道が1円でも赤字を出すと無駄存廃議論の対象になります。このインフラ(道路)vs ビジネス(鉄道)という非対称な競争条件こそが、日本の公共交通を衰退させている元凶です。

空間配分の比較:誰のための土地か?

都市の土地という限られた資源を、誰にどれだけ割り当てているかという空間戦略にも大きな差があります。

  • 欧州・韓国(人間中心型): 都心の中心部において、意図的に車道を削り、歩道を広げることで滞留空間を増やしています。経済学的には、車の通行というフロー(通過)よりも、人の滞留というストック(定着)の方が、店舗の売上や地価への貢献度が遥かに高いことを知っているからです。
  • 日本(郊外ロードサイド型): 道路を広げて郊外への流出を許容した結果、日本の地方都市は低密度スプロール(虫食い状の拡散)を起こしました。駐車場だらけの郊外店は土地の利用効率が低く、単位面積あたりの税収は中心市街地の10分の1以下にまで落ち込みます。

交通権という法的な盾

欧米、特にフランスには交通権(Droit au transport)という法概念が存在します。これはすべての市民は、住んでいる場所にかかわらず、適切なコストで移動する権利を持つという考え方です。この権利が法的に保障されているため、自治体は赤字だからバスを止めるという選択が容易にはできません。

逆に日本には、長らく移動の権利を明確に定めた法律がありませんでした。2013年に交通政策基本法が成立し、ようやく議論の端緒につきましたが、いまだに移動は個人の自己責任(自家用車で移動すべき)という空気が根強く残っています。

不公平なルールを書き換える

日本は車社会だから鉄道は無理だという諦めは、この不公平なルールを前提にしたものです。しかし、今回見てきたように、諸外国は意図的にルールを人間中心に書き換えることで、都市の再生に成功しました。日本だけが、道路を無料の聖域とし、公共交通を厳しいビジネスの荒野に放り出している。この異常な対比に気づくことが、再生への第一歩です。

次項では、この不公平なルールの結果として地方が陥っている、より深刻な経済的メカニズム。失敗の構造(税収密度とインフラ維持費の罠)について詳しく解説します。

各国比較

国・地域 予算の仕組み 公共交通の定義 空間戦略の成功例
フランス 企業からの交通税 基本的人権(交通権) トラムによる都市再生
米国 道路予算の転用権 渋滞緩和のツール ボストンの緑の回廊
韓国 大胆な公費投入 都市経営のエンジン 高速道路を川に戻す
オランダ 自転車・公共交通優先 安全と健康の基盤 世界一の自転車網
日本 一般財源(分散型) 独立採算(事業) (郊外ロードサイド化)

主要参照文献・資料

  • L’Union des transports publics et ferroviaires (UTP). The “Versement Transport”: a unique French funding tool.
  • 国土交通省(2013)交通政策基本法について。
  • OECD (2020). Land-use Planning Systems in the OECD: Country Fact Sheets.

【解剖・失敗の構造】良かれと思った道路建設が地方を殺す理由

税収密度、維持費の罠、そして地域経済のストロー現象

前項では、日本と諸外国の予算ルールの差についてお話ししました。日本は道路を無料の聖域とし、公共交通を自助努力のビジネスとして扱うことで、両者に極めて不公平な競争を強いています。

しかし、問題の本質は不公平という道徳的な話に留まりません。実は、良かれと思って進めてきた道路中心の街づくりそのものが、地方自治体の経営を内側から破壊しているという残酷な事実があります。今回は、その失敗の経済構造を3つの視点から解剖します。

税収密度の崩壊:駐車場は1円も稼がない

自治体の財政を支えるのは、土地から得られる固定資産税です。ここで重要になるのが、単位面積あたりでどれだけの税収を生むかという税収密度という考え方です。

道路を広げて郊外化を促すと、都心の商店街が消え、広大な駐車場を備えた郊外型大型店が増えます。一見、新しい商業施設ができると税収が増えるように見えますが、実態は逆です。

  • 郊外店: 敷地の60〜80%がアスファルトの駐車場です。駐車場は土地の利用効率が極めて低く、建物の評価額も低いため、生み出す税収は微々たるものです。
  • 中心市街地: 垂直に空間を利用し、店舗や住居が密集しています。米国の調査(Urban3)では、中心街の古いビルの税収密度は、郊外の大型店の10倍から50倍に達することが示されています。

道路を広げて中心地を空洞化させることは、自治体にとって優良な高収益部門を潰して、効率の悪い不採算部門を拡大するという、経営上の致命的なミスなのです。

インフラ維持費という時限爆弾

道路を新設する際、その多くは国からの補助金で賄われます。しかし、作ってしまった後の維持・修繕のコストは、原則として自治体が一般財源から出し続けなければなりません。

  • 負債の蓄積: 道路を延ばせば延ばすほど、自治体が将来にわたって管理すべき資産(という名の負債)が増えていきます。
  • 低密度のジレンマ: 人口が減り、税収が落ちている中で、維持すべき道路の総延長だけが増え続ける。これは、1人あたりの住民が背負うアスファルトの維持費が年々重くなっていることを意味します。

現在、全国の橋梁や道路が一斉に寿命を迎えようとしていますが、多くの自治体ですでに修繕予算が足りず、放置されるインフラが出始めています。無理な道路拡張は、次世代の首を絞める借金に他なりません。

ストロー現象:地域のお金がガソリン代として消えていく

自動車依存の街づくりは、地域の富をストローで吸い出すように、外部へ流出させます。

  • 支出の構造: 地方都市の1世帯が車を維持するために支払うコスト(車両購入、ガソリン、保険)は、年間で約50万〜70万円に達します。
  • 富の流出: このお金のほとんどは、地域外の大企業(自動車メーカーや石油会社)や産油国へ流れていきます。もし、街がコンパクトで一家に車が1台で済むようになれば、その浮いた数十万円は地元のレストランや商店での消費に向けられるはずです。

道路を優先して公共交通を切り捨てることは、結果として地域内の購買力を奪い、地元経済を貧困化させているのです。

バケツの穴を広げていないか

道路を広げれば街が元気になるという考え方は、人口が増え続け、税収が右肩上がりだった時代の遺物です。現在の地方都市が直面しているのは、維持できないインフラと低下する税収密度という二重苦です。道路という名の底の抜けたバケツに、これ以上水を注ぎ続ける余裕は、もうどの自治体にも残されていません。

では、私たちはどのようにしてこの呪縛から逃れ、持続可能な街を取り戻すべきなのでしょうか。次項では、道路を減らし、人間中心の街へと舵を切るための具体的な処方箋を提示します。

主要参照文献・資料

  • Minicozzi, J. (2012). The Smart Math of Mixed-Use Development. Public Management.
  • 国土交通省(2018)道路の老朽化対策の現状と課題。
  • 富山市(2017)コンパクトシティ戦略によるインフラ維持管理費の抑制効果試算。

【逆転の処方箋】車線を減らすことから始まる、都市の経営黒字化

交通蒸発とウォーカブル推進、日本が進むべき『令和の道』

ここまで、自動車社会の限界と、世界が選んだ新しい道について考察してきました。ここでは、私たちが抱える負のスパイラルを止めるための具体的な処方箋、つまり攻めの撤退についてお話しします。道路を減らすことは、決して衰退を受け入れることではありません。それは、街を経営の視点から立て直すための、最も前向きな投資なのです。

交通蒸発というパラドックス:道は減らしても渋滞しない

道路を減らそうとすると、必ず渋滞がひどくなって経済が麻痺するという反対意見が出ます。しかし、交通工学には交通蒸発(Disappearing Traffic)という興味深い現象があります。道路を増やすと交通量が増える(誘発需要)のと同じように、道路を減らすと、交通需要そのものが消えてしまうのです。

  • 人間の適応力: 道が狭まると、ドライバーは移動時間をずらす別の道を探す歩きや自転車に切り替える、あるいは不要な外出を控えるといった合理的判断を瞬時に行います。
  • 実績: 世界70カ所以上の道路削減事例を分析した研究では、削減された道路容量のうち、周辺道路に流れ込んだのは約半分に過ぎず、残りの約40%以上の交通量は文字通り蒸発しました。

つまり、車線を削っても、私たちの生活や経済が止まることはない。むしろ、無駄な通過交通を整理するチャンスなのです。

ウォーカブル(歩きたくなる)がもたらす経済的黒字

今、日本でもウォーカブルな街づくりという言葉が注目されていますが、これは単にお洒落なカフェを並べることではありません。税収密度の高い空間を取り戻すための経営戦略です。

  • 滞留空間の創出: 車道を削り、ベンチや植栽、広い歩道を設けることで、人はその場所に長く留まるようになります。
  • 消費の増大: 第3回で述べた通り、自動車は通過しますが、人間は滞留し、消費します。ニューヨークのタイムズスクエアの歩行者天国化では、周辺の売上が最大71%向上しました。
  • 維持費の削減: 管理すべきアスファルトの面積を減らし、集約型の街づくりを進めることで、将来のインフラ補修費という時限爆弾の威力を最小限に抑えることができます。

日本が進むべき令和の道

日本がこの逆転の処方箋を実行するためには、以下の3つのステップが必要です。

  • 予算の交通枠化: 道路と公共交通の予算を完全に分離するのをやめ、自治体が移動を確保するために自由に予算をスライドできる仕組み(日本版ウィズドロー)を強化すること。
  • 公共交通の上下分離の徹底: 道路が公設民営(公費で作り、民間が走る)であるように、鉄道やバスもインフラの維持は公的責任、運行は民間という、不公平のない土俵を全国に広げること。
  • 車を使わない贅沢の再定義: 車を手放したことで浮いた年間数十万円の維持費が、地元の消費を潤し、歩くことで健康寿命が伸び、医療費が下がる。このトータルでの豊かさを数値化し、住民と共有すること。

100年後の子孫への責任

かつて、アメリカが1973年に道路の聖域を解体したとき、それは単なる道路建設の停止ではありませんでした。それは、自分たちの街を、誰のために、どう使うかという決定権を、市民が取り戻した瞬間でした。

今、日本の地方都市は分岐点に立っています。維持できない道路を延ばし続け、公共交通を枯らし、ゴーストタウンのような郊外を広げ続けるのか。それとも、勇気を持って車線を減らし、人間が主役の、経営的に自立した美しい街へ回帰するのか。道路は、街の血管です。しかし、血液(人や富)が流れない太すぎる血管は、体を蝕みます。今こそ、適正なサイズに街をリ・デザインするときです。

私たちの世代の決断が、50年後、100年後の街の景色を決めます。あなたは、どんな道を歩きたいですか?

主要参照文献・資料

  • Cairns, S., et al. (2002). Disappearing traffic? The design consequences of road capacity reductions.
  • New York City Department of Transportation (2013). Measuring the Street.
  • 国土交通省(2023)居心地が良く歩きたくなるまちなかの形成(ウォーカブル推進事業)。
  • 山崎大祐 (2021). 『地方都市の再生戦略』。

【あとがき】

お読みいただき、本当にありがとうございました。交通と経済という視点から、皆様の住む街の未来を考えるきっかけになれば、これ以上の喜びはありません。

注意

以上の文書はAI Geminiが生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。

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