なぜ日本の交通や物流は、これほどまでに疲弊してしまったのか。その正体は、明治以来私たちが「モノを作る(形態)」ことと「売る(所有)」ことに心血を注ぐ一方で、その間にある「移動(場所・時間)」の価値を定義し忘れてきた150年の空白にあるのかもしれません。本シリーズでは、経営学や歴史の断片から、移動を「気合い」で代替可能な雑用とみなす日本文化の原因は学問の空白であると仮説を立て、過去の事象と検証し、2024年問題を乗り越えるための新たな視座を提示します。

【ラジオ】物流危機は明治からの150年の呪い

目次

第1回:なぜ日本の物流は無料だと思われてしまったのか

消えた2つの価値

私たちの生活は、蛇口をひねれば水が出るように、注文すれば翌日には荷物が届くことが当たり前の社会になりました。しかし、この便利さを支える物流現場がいま、かつてない危機に直面しています。2024年問題(トラック運転手の残業制限による輸送能力の不足)として知られるこの事態は、単なる人手不足だけが理由ではありません。その背景には、日本人が明治時代から150年以上にわたって抱き続けてきた、移動に対するある思い込みが潜んでいるように見えます。

経済学には、商品が消費者の手に渡るまでに生み出される4つの効用(満足度や価値)という考え方があります。1つ目は、原材料を製品に加工して生まれる形態効用。2つ目は、所有権が移転することで生まれる所有効用。そして3つ目と4つ目が、需要がある場所にモノを運ぶ場所効用と、必要なタイミングで届ける時間効用です。

欧米のマーケティングや経済学の歴史を紐解くと、これら4つは対等の価値として扱われてきました。しかし、日本の学問や産業の歩みを振り返ると、どうも形態(作る)と所有(売る)の2つに意識が偏り、場所と時間という移動に付随する価値が取りこぼされてきたのではないか、という疑念が浮かび上がります。

明治の殖産興業が残した偏り

なぜ日本では移動の価値が低く見積もられてきたのでしょうか。その糸口は、明治時代に西洋から学問を導入した過程にあります。当時の日本は、富国強兵を急ぐあまり、モノを作る技術である工学や、所有権を扱う商学を最優先で取り入れました。

この過程で、日本の商学はドイツ流の商業学の影響を強く受け、取引のルールや帳簿の付け方、つまり商流の研究に特化していきました。一方で、製造現場の管理を扱う経営学は、いかに効率よく安く製品を作るかという生産管理に傾倒しました。その結果、商学は売ることを語り、経営学は作ることを語る一方で、その間をつなぐ物理的な移動(物流)は、誰からも価値を定義されない空白地帯として残されてしまったのです。

移動は、製造や販売を助けるための単なる付随作業、あるいは利益を削る経費として扱われるようになりました。これが、現代に至るまで続く「物流は安ければ安いほどいい」「配送料は無料が当たり前」という感覚の根源にあるのかもしれません。

兵站軽視という歴史の断片

この移動に対する認識の薄さは、かつての戦時中の記録にも色濃く表れています。日本軍の作戦において、補給(ロジスティクス)が等閑視された事実は多くの戦史が物語っています。

前線の兵士の精神力や兵器の質といった形態効用には執着しましたが、それを必要な場所(場所効用)に適切なタイミング(時間効用)で届けるための仕組み作りは、主活動に対する従属的な雑務とみなされました。兵站を軽視した結果、どれほど優れた兵器があっても、燃料や食料が届かずにその価値を発揮できないという事態が頻発しました。

この、移動を価値創造の主役ではなく、後回しにしてもよい手間だとみなす思考様式は、戦後の高度成長期においても形を変えて生き残り、日本の産業構造の中に深く根を張ってしまったのではないかと考えざるを得ません。

投資評価にみるダブルスタンダード

移動の価値を認めてこなかった影響は、現代の国の予算配分の仕組みにも明確な差異となって現れています。
道路建設には、これまで巨額の公費が投じられてきました。これは、道路というコンクリートの構造物が形態効用(目に見えるモノ)として認識されやすかったためです。しかし、その道路の上を流れる公共交通や物流というサービス(時間・場所効用)に対しては、長く自己責任、あるいは独立採算という厳しい論理が適用されてきました。

日本の公共事業の評価手法(費用便益分析)においても、その傾向は顕著です。英国の評価基準(TAG)では、移動の利便性が高まることで地域の企業が集積し、生産性が向上する効果(集積の経済)をプラスの価値として幅広く評価に組み込みます。これに対し、日本の評価は主に、移動時間の短縮というマイナスの解消に主眼が置かれています。移動をプラスの価値を生む活動としてではなく、削るべき無駄として捉える視点が、数式の中にまで染み込んでいるのです。

ブレーキとハンドルの喪失

市場を健全に保つためのブレーキである独禁法(独占禁止法)や、市場を望ましい方向へ導くハンドルであるゲーム理論(相手の出方を予測して自分の戦略を決める数学的手法)の運用においても、日本特有のチグハグさが見られます。

海外では、特定の事業者が市場を独占し、サービスの質(場所・時間効用)が下がることを防ぐために、独禁法が厳格なブレーキとして機能します。一方で、社会全体にとって有益な協力関係については、積極的に認める柔軟性も持っています。

しかし日本では、移動の価値が明確に定義されていなかったために、サービス維持のための有益な協力(ダイヤ調整など)がカルテル(不当な談合)として禁止される一方で、現場を疲弊させる行き過ぎた安値競争(不当廉売)へのブレーキが遅れるといった事態が起きてきました。
また、バラバラの事業者が自分勝手に行動した結果、全体が不便になる囚人のジレンマ(個別の最適化が全体の不利益を招く状況)を解消するための、ゲーム理論に基づいたルール設計も十分とは言えませんでした。

150年目の精算に向けて

私たちが直面している2024年問題や、各地で相次ぐバス路線の廃止。これらは、明治以来の私たちが場所効用と時間効用を正当に評価してこなかったことに対する、150年目の精算なのかもしれません。
移動は決して、無料でもなければ、気合いで解決できる雑用でもありません。それは、モノや人の価値を別の場所、別の時間へとつなぎ、経済を駆動させる立派な生産活動です。この当たり前の事実を、もう一度私たちの学問と政策、そして生活の実感の中に据え直す必要があります。
次回からは、この失われた2つの効用が、どのように私たちの制度や思考を歪めてきたのか、具体的なデータと歴史の証言をもとに検証していきます。

参照元・主要文

  • Arch W. Shaw (1915), “Some Problems in Market Distribution”, Harvard University Press.
  • Paul D. Converse (1954), “The Development of the Science of Marketing”, Journal of Marketing.
  • Department for Transport (UK), “Transport Analysis Guidance (TAG)”.
  • 国土交通省「公共事業評価の費用便益分析に関する指針
  • 藤井聡(2014)『土木哲学 ―― 都市・交通・国土』学芸出版社

第2回:明治の殖産興業が遺した、美しくも危険な偏り

導入された学問の偏向

日本の公共交通や物流の課題を深掘りすると、明治時代に西洋から経済学や経営学を導入した際の、ある「選択」に行き着きます。当時の日本は、欧米列強に比肩するための国策として殖産興業(産業を興し、製品を作る力を高めること)を掲げました。この急進的な近代化の過程で、私たちは経済的価値の根源を「目に見える製品の完成度」に強く求めるようになりました。

経済学において、モノやサービスの価値を構成する要素には、形態・所有・場所・時間の4つの効用(充足感や価値)があります。しかし、明治期の日本が受容した学問体系は、このうち「形態(作る)」と「所有(売る)」の2つに著しく偏ったものでした。この初期設定が、その後の日本の産業構造や、移動に対する冷淡な認識を決定づけたのではないかという仮説を検証します。

ドイツ商業学の影と商流の肥大化

明治から大正期にかけて、日本の高等商業学校(現在の商学部や経済学部の前身)が模範としたのは、主にドイツの商業学(Handelswissenschaft)でした。この学問体系は、取引の法的性質や帳簿の処理、すなわち「商流」の研究に極めて長けていました。

しかし、当時のドイツ商業学において、物理的な移動を伴う物流や交通は、商取引に付随する「実務的な作業」として扱われ、理論的な価値創造の主役にはなり得ませんでした。日本はこの体系を忠実に受け継ぎ、大学では商社や銀行の業務に直結する所有権の移転(所有効用)を論じる一方で、モノを動かすプロセスについては「工学的、あるいは現場的な下位概念」として、学術的な光を当ててきませんでした。

この商学と物流の断絶が、後に「営業(売ること)が主、物流(運ぶこと)は従」という、日本の企業文化における根深い階層構造を生む一因となったと考えられます

経営学が求めた製造の最適化

一方で、大正から昭和にかけて発展した日本の経営学は、米国のテイラーによる科学的管理法(作業を細分化し、効率を最大化する手法)や、戦後のデミング博士による品質管理を熱心に導入しました。これらはすべて、工場の中でいかに高品質な製品を安く作るかという「形態効用」の極大化に特化したものでした。

製造現場での徹底した無駄の排除(ジャストインタイムなど)は、日本の製造業を世界冠絶の地位に押し上げました。しかし、ここでも「移動」は、それ自体が価値を産む生産活動ではなく、工場の工程間を繋ぐ「削るべきコスト」として定義されました。

製造(形態)を主軸に置く経営学の成功があまりに鮮やかであったがゆえに、場所の移動や時間の制御そのものが独立した「価値」であるという認識は、日本の学問体系の中で育つ機会を失ってしまったのです。

物理的移動の「学術的空白地帯」

結果として、日本の大学教育や政策論議において、移動は奇妙な「空白地帯」となりました。

  • 商学の視点:取引が成立すれば、モノは「魔法のように」そこに存在することを前提とし、運ぶ苦労やその価値転換については問わない。
  • 経営学の視点:製品が完成するまでの効率は追求するが、完成した後の社会的な移動(交通)は、外部コストとして切り離す。
  • 工学の視点:道路や車両といったハードウェア(形態)の設計には心血を注ぐが、それが人々の「時間」や「場所」の価値をどう変えるかという経済学的分析には踏み込まない。

この三者の間に落ち込んだ「物理的移動」は、誰からもその経済的本質を語られることがありませんでした。これが、日本の公共交通において「路線というインフラ(形態)は維持するが、運行サービス(時間・場所)の質には無関心である」という、現在の歪な政策運営の土壌となった可能性があります。

欠落したブレーキとハンドル

移動の価値(場所効用・時間効用)が学術的に定義されなかったことは、市場を制御する思想にも深刻な影響を及ぼしました。

本来、独占禁止法などの競争政策は、事業者が「移動の質」を落として不当な利益を得ることにブレーキをかけ、消費者の利益を守るためにあります。しかし、移動の質が価値として計算されない日本では、ブレーキの基準が「価格の安さ」のみに収束してしまいました。

また、バラバラな事業者の行動を地域全体の最適解へと導くハンドルである「ゲーム理論(利害が対立する主体間の意思決定を分析する理論)」も、移動の価値が定量化されていないため、何を目標にハンドルを切るべきかの指針を持てませんでした。事業者に「効率化」を強いるハンドルはあっても、利便性を高めることで「価値を創出する」ための誘導策が育たなかったのです。

第2回のまとめ

明治以来、日本は「作る」ことと「売る」ことのプロフェッショナルを育てる学問体系を築き上げましたが、その間を繋ぐ「運ぶ」ことの経済的意味を定義し忘れてきました。

この美しくも危険な偏りは、平時においては「目に見えないほど効率的な物流」として称賛されましたが、有事や人口減少社会においては、根底からシステムを崩壊させる脆弱性へと転じます。私たちが現在直面している交通・物流の危機は、この150年にわたる思考の空白が、物理的な限界として現れたものと言えるでしょう。

参照元・主要文献

  • 上山名城(1994)『日本経営学史 ―― 成立と展開』中央経済社。
  • 幸田清一郎(2001)『わが国における商業学の成立と展開』日本経済評論社。
  • Arch W. Shaw (1915), “Some Problems in Market Distribution”, Harvard University Press.
  • 三井淳平(2018)「明治期におけるドイツ商業学の受容とその変容」『商学論纂』
  • Frederick W. Taylor (1911), “The Principles of Scientific Management”, Harper & Brothers.

第3回:ガダルカナルとインパール ― 兵站軽視という悲劇の予行演習

精神が物理を凌駕するという思考

日本の交通・物流政策の根底に流れる「移動の軽視」を語る上で、避けて通ることができない歴史的断片があります。それは、第二次世界大戦における旧日本軍のロジスティクス(兵站)に対する姿勢です。
多くの戦史研究が指摘するように、当時の指導部は、前線の将兵の精神力や、兵器の個別の性能といった形態効用を過信しました。その一方で、それらを必要な場所(場所効用)へ、必要なタイミング(時間効用)で送り届けるという物理的なプロセスを、戦いの本質ではない雑務として退けました。この、移動を価値創造の主役から引きずり下ろす思考様式は、現代の私たちが直面している物流危機の原型であるという仮説を立てることができます。

ロジスティクスを戦略の外部に置いた代償

欧米の軍事思想では、クラウゼヴィッツやマハン以降、ロジスティクスが戦略を規定するという考え方が定着していました。つまり、輸送能力(場所・時間効用)の限界が、作戦(所有・形態効用)の限界を決めるという物理的なリアリズムです。
これに対し、当時の日本軍では「作戦(商流・戦略)」と「兵站(物流・実務)」が学術的にも組織的にも分断されていました。作戦担当者は、輸送の限界という物理的制約を考慮せずに計画を立て、現場にその完遂を強いました。
インパール作戦の例: 険峻な山岳地帯を越えて数万人規模の部隊を移動させる計画において、食料や弾薬の補給(場所・時間効用)は「現地調達」や「牛に荷を引かせて最後は食べる」といった、極めて不確実な精神論に委ねられました。
ガダルカナルの例: 輸送船が撃沈され、補給が途絶した状況でも、拠点の死守(形態の維持)が優先されました。移動という供給網が断たれた時点で、形態効用(将兵や兵器)がその価値を失うという経済的冷徹さが欠落していたのです。

欠落していた「ハンドル」としての統計学

米軍がこの時期に、輸送船団の最適な護衛方法や補給ルートを算出するために、統計学や数学を駆使したOR(オペレーションズ・リサーチ)を導入していた事実は重要です。これは、限られた資源の中で最大の効用を得るための、まさにゲーム理論的な「ハンドル操作」でした。

日本側には、移動や補給を数値化し、最適化する学問的土壌がありませんでした。明治期に導入した商学や経営学において、物理的移動が「空白地帯」となっていたツケが、国家の命運を分ける戦場において「計算できない組織」という弱点となって現れました。移動を価値として評価できない組織は、ブレーキ(物理的制約による停止)をかけるタイミングを見失い、ハンドル(最適解への誘導)を切る技術も持てなかったのです。

「気合い」で解決する文化の継承

戦後、日本の産業界は驚異的な復興を遂げましたが、この「移動への冷淡さ」というOS(基本となる思考体系)は、形を変えて生き残りました。
現代の物流における「24時間365日の配送」や、一部で見られる「送料無料」の慣習は、かつての兵站軽視と地続きの思想を感じさせます。商流(注文・販売)の利便性を最大化するために、物流(物理的移動)に無理を強いる構造は、移動を「気合い」や「現場の努力」で代替可能なコストとみなす、戦時中からの悪癖の再来ではないでしょうか。

物流現場で起きている「荷主による長時間の荷待ち」や「無理な配送指定」は、作戦担当者が兵站の限界を無視して進軍を命じた姿に重なります。移動が生み出す場所効用と時間効用に対して、正当な敬意(経済的対価)を払わない文化が、現代の担い手不足を招いた一因であるという仮説は、にわかには信じがたいかもしれませんが、歴史の連続性を見れば否定しきれない重みを持っています。

第3回のまとめ

戦時中の悲劇は、単なる軍事的な失敗ではなく、「移動を価値として認めない」という経済思想の破綻でした。この思想的宿痾(しゅくあ)を治療しないまま、私たちは戦後の高度成長を駆け抜けてきました。

道路というインフラ(形態)を整備することには熱心でも、その上を流れる移動サービス(質)を軽視してきたダブルスタンダードは、明治から戦時中、そして現代へと連綿と続く日本独自の風景です。次回は、この「移動の価値」を数値化し、評価する仕組みが、海外と日本でいかに異なっているかを、投資評価の数式の違いから検証します。

参照元・主要文献

  • 藤井非三四(2015)『帝国陸軍 兵站の動機 ―― 補給なき軍隊、その悲劇の構造』光人社。
  • 堀栄三(1989)『大本営参謀の回想 ―― 情報なき戦い、その敗因の構造』文藝春秋。
  • 共同通信社社会部(編)(2005)『インパール、死の彷徨』共同通信社。
  • 杉村芳美(2008)『ロジスティクスの経営学 ―― 価値創造のメカニズム』白桃書房。
  • Peter Drucker (1962), “The Economy’s Dark Continent”, Fortune. (物流を経済学の暗黒大陸と評した論文)

第4回:海外では「数式」が現場を動かす ―― 英国TAGと日本B/Cの格差

投資評価という名のハンドル

交通インフラの整備や公共交通への公金投入を決定する際、その妥当性を判断するために用いられるのが投資評価です。この評価指標は、社会が「移動」のどこに価値を見出しているかを雄弁に物語る鏡でもあります。

本来、投資評価は、限られた予算をどこに投じるべきかを示すハンドル(誘導の指針)であるはずです。しかし、日本と諸外国、特に英国の評価基準を比較すると、移動がもたらす場所効用と時間効用に対する認識に、にわかには信じがたいほどの開きがあることがわかります。この「数式の差」こそが、日本の公共交通を衰退させ、道路予算とのダブルスタンダード(二重基準)を生んできた根源ではないかという仮説を検証します

日本のB/Cが捉えきれない「価値」

日本の公共事業評価で主軸となるのは、費用便益分析(B/C)です。この数式において算出される「便益」の多くは、走行時間の短縮、走行経費の減少、交通事故の減少の3点に集約されます。

時間短縮の限界: 日本の評価手法では、移動は「負(コスト)」であり、それをいかに削り取るかという「マイナスの解消」に主眼が置かれています。
場所効用の不在: 道路が一本できることで、その地域の企業が活性化したり、新しい雇用が生まれたりといった、移動が社会全体の生産性を高める「プラスの創出」については、慎重すぎるほど評価の対象から外されてきました。

この、移動を「無駄な時間の消費」としか見なさない冷淡な数式は、明治以来、物理的移動を学術的空白地帯としてきた日本の思想的帰結といえるかもしれません。

英国TAGが描く「集積の経済」

対照的なのが、英国の交通解析指針(TAG:Transport Analysis Guidance)です。英国の評価基準は、移動を「経済を駆動させる生産活動」として明確に位置づけています。

集積の経済(Agglomeration benefits): 英国では、交通網の改善によって人と企業がより密接に結びつき、情報交換や労働市場の効率が上がることで生じる生産性の向上を、数値化して便益に組み込みます。
場所効用の価値化: 移動の質の向上が、直接的に地域の「形態効用(製造やサービス業の価値)」をブーストさせるという因果関係を、数式レベルで肯定しているのです。

英国の担当者は、このTAGというハンドルを駆使し、単なる時間短縮を超えた「社会全体の効用最大化」を目指して、公共交通への戦略的な投資判断を行います。移動を「価値」と捉える数式があるからこそ、大胆なハンドル操作が可能になるのです。

道路と鉄道を分かつ「二重基準」

この投資評価の差は、日本の「道路」と「鉄道・バス」に対する極端な予算配分の違い、すなわちダブルスタンダードへと直結しています。

日本では、道路建設は「土木構造物というモノ(形態効用)」の建設として、古くから巨額の公費が投じられてきました。一方、鉄道やバスの運行は「移動というサービス(場所・時間効用)」であるため、その価値が数式で正当化されにくく、長らく事業者の独立採算(所有効用)という枠組みに閉じ込められてきました。

道路には「形態(モノ)」としてガソリン税などの巨大な財布が用意される一方で、その上を走るサービスには「移動はコスト」という数式が適用される。この、モノには投資するがサービスには投資しないという歪んだ構図は、場所と時間の価値を無視してきた私たちの「思考の空白」が生み出した、最大級の矛盾といえるでしょう。

ゲーム理論への接続点

投資評価が「どのような社会を目指すか」という目的地を示すものだとすれば、次に必要になるのは、事業者をその目的地へと正しく導く「ルールの設計」です。

英国では、TAGで示された「高い社会的価値」を実現するために、事業者が競い合うゲームのルールが精緻に設計されています。対して日本では、移動の価値を定義する数式(ハンドル)が弱いために、事業者にどのような努力を促すべきかというインセンティブ設計が曖昧なまま、赤字補填という場当たり的な対応に終始してきた形跡があります。

第4回のまとめ

日本の投資評価に刻まれた「移動への冷淡さ」は、単なる技術的な問題ではなく、明治以来の思想的宿痾の現れです。移動をマイナスの解消としか捉えない数式(B/C)を使い続ける限り、道路という「ハコモノ」への投資は正当化できても、移動という「価値の連鎖」を支える公共交通を活性化させるハンドルを握ることはできません。

参照元・主要文献

  • Department for Transport (UK), “Transport Analysis Guidance (TAG)”.
  • 国土交通省(2022)「公共事業評価の費用便益分析に関する指針」。
  • 土木学会(編)(2018)『実務者のための交通計画便覧』。
  • Venables, A. J. (2007), “Evaluating Urban Transport Improvements: Imperfect Competition, Agglomeration and Income
  • Taxation”, Journal of Transport Economics and Policy.
  • 日本交通政策研究会(2021)『交通投資評価の国際比較 ―― 価値創造の視点から』。

第5回:最適化を阻む「囚人のジレンマ」 ― 物流の標準化と公共交通の自立

なぜ誰もが損をする道を選ぶのか

移動の価値を最大化するには、複数のプレイヤーが足並みを揃える全体最適が必要です。物流であればパレットやシステムの標準化、公共交通であれば乗り継ぎの改善がそれにあたります。しかし、現在の日本では、関係者が協力すれば全体の利益になるはずの局面で、各々がバラバラに行動し、結果として全員が疲弊していくという光景が至る所で見られます。

この膠着状態は、ゲーム理論(利害が対立する主体の意思決定を分析する数学的モデル)における「囚人のジレンマ(個別の最適化が全体の不利益を招く状況)」という概念で説明できます。日本において「ハンドル(誘導)」が機能していない実態を、物流と公共交通の2つの現場から検証します

物流現場に居座る「非効率の均衡

物流の2024年問題に対し、政府は荷役の標準化や共同配送を推奨しています。しかし、現場ではなかなか進みません。ここに、ゲーム理論的な罠が潜んでいます。

  • 物流のジレンマ: 特定の荷主がコストをかけて標準パレットを導入しても、他社が独自の規格を使い続ければ、積み替えの手間が増えるだけでメリットが得られません。他社を出し抜いて自社独自の「わがままな指定」を通す方が、短期的には自社の効率(所有効用)を維持できるため、誰もが標準化という最初の一歩を踏み出さない「非効率な均衡」に陥っています。
  • 欠落したハンドル: 明治以来、場所効用と時間効用を「現場の調整コスト」として軽視してきたため、標準化がもたらす巨大な社会的価値を評価する尺度がありません。そのため、抜け駆けを防止し、協調を促すためのインセンティブ(報酬やペナルティ)というハンドル操作が遅れてしまいました。

公共交通における「自立」という名の孤立

公共交通の現場でも、同様のジレンマが深刻な影響を及ぼしています。日本では長らく「各事業者の自立(独立採算)」が金科玉条とされてきました。しかし、これが全体最適を阻む壁となっています。

公共交通のジレンマ: A社のバスとB社の鉄道が駅で接続する場合、ダイヤを調整して乗り継ぎを良くすれば、地域全体の利便性(場所・時間効用)は高まります。しかし、各事業者が「自社の車両の稼働率」や「自社の収支改善」というミクロの最適化のみを優先すると、接続時間は無視され、利用者は離れていきます。

共有地の悲劇: 地域という限られた市場で、各事業者が利己的に振る舞った結果、地域交通そのものが崩壊し、全員が共倒れになる。これは、自分一人だけが資源を使いすぎると全体が枯渇するという「共有地の悲劇」そのものです。

ハンドルを握る「メカニズム・デザイン」の不在

欧米では、こうしたジレンマを解消するために「メカニズム・デザイン(望ましい結末へ導くための制度設計)」というゲーム理論的手法が活用されています。

例えば欧州の多くの都市では、行政が「ハンドル」を握り、複数の事業者に共通のダイヤと運賃を強制する代わりに、サービス品質に応じた報酬を支払う契約を結びます。事業者が「自分の利益を追求して動くと、結果として地域全体の利便性が高まる」ように、ルールの数式をあらかじめ設計しているのです。

対する日本では、移動の価値(効用)を定量化する学問的基礎が弱かったため、事業者の「善意」や「協力要請」という精神論に頼らざるを得ませんでした。しかし、ゲーム理論が教える通り、利害が対立する状況で善意に頼るハンドル操作には限界があります。

第5回のまとめ

物流の標準化が進まないのも、公共交通の乗り継ぎが悪いのも、関係者の能力不足ではありません。移動を価値として評価できず、バラバラな個人の最適化が全体の不利益を招く「負の均衡」を、制度設計の力で打ち破れなかったことの結果です。

明治以来、私たちが「形態(モノ)」にばかり目を向け、その裏にある「関係性の調整(ハンドル操作)」を学問としても政策としても等閑視してきたツケが、この膠着状態として現れています。次回は、この歪んだ市場環境を正すべき「ブレーキ」であるはずの独禁法が、日本においていかにチグハグな運用をされてきたのかを検証します。

参照元・主要文献

  • Avinash K. Dixit & Barry J. Nalebuff (1991), “Thinking Strategically: The Competitive Edge in Business, Politics, and Everyday Life”, W. W. Norton & Company.
  • 岡田章(2011)『ゲーム理論 新版』有斐閣。
  • 坂井豊貴(2013)『マーケットデザイン ―― 最先端経済学で社会の不備を解消する』ちくま新書。
  • 日本物流学会(編)(2020)『現代物流概論』白桃書房。
  • 諸富徹(2021)『公共経済学』有斐閣。

第6回:歪んだブレーキ ―― 独禁法が守っているのは誰か?

ブレーキの役割を見失った市場

市場経済を健全な車に例えるなら、独占禁止法(独禁法)は、過度なスピードや暴走を抑制し、乗客である消費者の安全を守るためのブレーキです。本来、このブレーキは「消費者の利便性(場所効用・時間効用)」を損なうような不当な独占や排他的な行為に対して、的確に踏み込まれるべきものです

しかし、日本の交通・物流市場における独禁法の運用を振り返ると、そこには目を疑うようなチグハグさが漂っています。現場を疲弊させる下請けいじめやダンピング(不当廉売)にはブレーキがかからず、一方で、利用者の利便性を高めるはずの事業者間の協調が「カルテル(不当な談合)」として縛られる。この歪みの根底にも、移動が生み出す質的な価値を経済的な評価対象として認めてこなかった、私たちの思想的欠落が横たわっています。

放置される「負の連鎖」とブレーキの不全

物流現場では長年、荷主(強者)が運送事業者(弱者)に対し、場所効用や時間効用を無視した過酷な条件を強いる構造が続いてきました。

  • ダンピングの常態化: 荷主による一方的な運賃の買い叩きや、契約外の付帯作業(荷待ちや積み降ろし)の強要は、本来、独禁法が禁じる「優越的地位の濫用」にあたります。しかし、日本では「安ければ消費者利益になる」という短絡的な解釈が優先され、この不当な安値競争に対してブレーキが踏み込まれることは稀でした。
  • 効用の先食い: このブレーキの不作動は、短期的には製品価格の維持に寄与したかもしれません。しかし、それは供給網の崩壊という「未来の不利益」を担保にした、効用の先食いに他なりません。移動の価値を正しく定義できない法運用が、結果として市場を自壊させてきたといえます。

有益な協調を縛る「形式的な競争」

一方で、利用者の利便性を高めるための事業者間の連携に対しては、驚くほど厳しいブレーキがかけられてきました。
協調の禁止: 公共交通において、複数のバス会社がダイヤを調整して乗り継ぎを良くしたり、共通の定期券を発行したりすることは、場所・時間効用を最大化する「善の協調」です。しかし、日本ではこれが「価格や供給量の制限」と疑われ、競争を阻害するカルテルとして長らく禁止、あるいは敬遠されてきました。

  • 形式への固執: 消費者にとっての真の利益は「目的地までスムーズに移動できること」であっても、独禁法の運用は「形式的な価格競争が維持されているか」という一点に固執しがちでした。この硬直性が、地域交通のネットワーク化を阻み、利用者の利便性を損なうという皮肉な結果を招いたのです。

海外にみる「価値の番人」としての競争政策

欧米の競争政策(独禁法)の運用を比較すると、移動の価値に対する認識の差が浮き彫りになります。

  • 欧州の柔軟性: 欧州の競争当局は、交通分野における事業者の協調を「公共の利益(Public Interest)」として評価する枠組みを持っています。特定の地域でネットワークを維持するために収益を分配したり、ダイヤを統合したりすることが、市民の「時間効用」を向上させると判断されれば、それを是認し、代わりに質の高いサービスを維持するよう事業者を監視します。
  • 米国の事後的ブレーキ: 米国では、規制緩和によって自由な参入を促す一方で、巨大プラットフォームが市場支配力を悪用して消費者の選択肢(移動の自由)を奪う兆候があれば、アンチトラスト法によって事後的に、かつ強力にブレーキをかけます。

これらに共通しているのは、独禁法を単なる「禁止命令のリスト」としてではなく、市場から最高の効用(価値)を引き出すための「動的な制御装置」として使いこなしている点です。

迷走する日本の「特例」

2020年に日本で制定された「独禁法特例法」は、地方のバス事業者が維持困難な場合に限り、共同経営(カルテル)を容認するものです。これは、これまでの硬直的なブレーキ運用が、地域交通の崩壊を招きかねないという反省から生まれた緊急避難的な措置です。

しかし、この特例法も、あくまで「存続」のための消極的な配慮にとどまっています。移動を「価値を生む生産活動」と定義し直し、より利便性を高めるための「攻めの協調」を促すような、前向きなハンドルの機能とセットになったブレーキの再設計には至っていません。

第6回のまとめ

日本の独禁法運用におけるチグハグさは、場所と時間の価値を経済的な権利として認めてこなかった、私たちの学術的・思想的空白の写し鏡です。ブレーキが「安さ」という一面的な基準でしか機能しないとき、市場は供給網の疲弊という衝突事故を避けられません。

明治以来の「空白」を埋め、移動の質を価値として法理学的に定義し直すこと。それがあって初めて、ブレーキ(独禁法)は弱者を守り、ハンドル(ゲーム理論)は社会全体を幸福にするための本来の機能を取り戻すはずです。次回は、この歪みの象徴ともいえる、道路予算と公共交通予算の間に横たわる「ダブルスタンダード」の正体を暴きます。

参照元・主要文献

  • 公正取引委員会(2020)「独占禁止法特例法の概要と運用」。
  • 伊丹敬之・伊東元重・後藤晃(2005)『日本の競争政策』東京大学出版会。
  • 根岸哲(2011)『競争法における公共利益と効率性』有斐閣。
  • European Commission (2013), “Guidelines on the application of Article 101 of the TFEU to maritime transport services”.
    OECD (2021), “Competition and Public Transport”.

第7回:ダブルスタンダードの正体 ―― 道路というモノ、交通というサービス

予算配分に潜む深い溝

日本の交通政策を俯瞰したとき、誰もが抱く素朴な疑問があります。なぜ、道路を建設・整備することには、これほどまでに巨額の公費が長年にわたって投じられ続けてきたのか。そして一方で、その道路の上を走るバスや鉄道といった公共交通サービスには、なぜこれほどまでに厳しい独立採算や「自立」が求められてきたのか、という点です。

この予算配分の極端な差、すなわちダブルスタンダード(二重基準)は、単なる行政の縦割りの弊害ではありません。その根底には、明治以来私たちが築き上げてきた、モノ(形態効用)を神聖視し、移動というサービス(場所・時間効用)を軽視する歪んだ価値観が潜んでいます。

「形態」としての道路、「サービス」としての交通

これまでの回で検証してきた通り、日本の経済思想は「目に見える製品や構造物」を作ることに価値の源泉を求めてきました。この文脈において、道路は「土木構造物というモノ(形態効用)」として、非常に理解しやすい投資対象でした。

  • 道路予算の正当化: 道路は一度造れば形として残り、地図に刻まれます。この「形態」としての完成度は、日本の工学的・経営学的パラダイムと合致し、ガソリン税などの目的税制度(現在は一般財源化)によって、自動的に予算が還流する仕組みすら正当化されてきました。
  • 交通予算の脆弱性: 対照的に、公共交通の運行は形のない「サービス(場所・時間効用)」です。明治期の学問体系がこの移動そのものの価値を定義し損ねたために、運行に対する公金投入は、価値への投資ではなく、単なる「赤字の穴埋め(コスト)」と見なされてきました。
    この認識の差が、コンクリートには数兆円を惜しみなく注ぎながら、その上を走るバスの運転手の確保やダイヤの維持には、わずかな補助金すら渋るという、奇妙な風景を生み出したのです。

ハンドルのない「箱モノ」行政

道路建設を「形態」としてのみ捉える姿勢は、投資評価のハンドル(誘導)をも狂わせてきました。

第4回で触れたように、日本のB/C(費用便益分析)は、道路を造ることによる時間短縮という「マイナスの解消」を主眼に置いています。しかし、道路という「箱」を造ることに満足し、その上で提供されるべき「移動の質」については、無関心のままでした。

  • ミスマッチの発生: 立派なバイパスは完成したが、歩道が不十分でバス停へのアクセスが悪い、あるいは並行する鉄道の利便性が低下するといった事態が各地で起きています。これは、移動を「点と点を繋ぐ線(形態)」としてしか見ておらず、人々の生活に寄り添う「時間と場所の連続体(効用)」として捉えていない証左です。

英国にみる「目的」と「手段」の統合

再び英国の事例を引くと、彼らの政策にはこうしたダブルスタンダードが見られません。英国のTAG(投資評価指針)では、道路も鉄道も「移動というサービスを向上させるための手段」として、同じ土俵で評価されます。

  • 共通の物差し: 道路を拡幅するよりも、バス優先レーンを整備したり、鉄道の運行本数を増やしたりする方が「地域全体の生産性(集積の経済)」を高めると数式(ハンドル)が示せば、予算は柔軟に移動サービスへと振り向けられます。
  • 形態からの脱却: 彼らにとって重要なのは、アスファルトの量ではなく、それによって市民が手にする「時間」と「機会(場所)」の価値なのです。

ブレーキを失ったままのアクセル

道路建設というアクセルが踏み続けられる一方で、既存の公共交通網が崩壊していくのを止められないのは、適切なブレーキ(制約)が機能していないからでもあります。

本来、独占禁止法や競争政策は、過度な自家用車への依存が公共交通という社会インフラ(共有財)を破壊しないよう、市場のバランスを監視するブレーキの役割を果たすべき側面を持っています。しかし、道路を「公共財」、交通サービスを「私的財」と分断して扱う日本のダブルスタンダードの下では、このブレーキは作動しませんでした。

移動という価値を定義できないまま、片方の足でアクセル(道路建設)を踏み、もう片方の足で公共交通に「自立」という名の足枷をはめる。この不条理な運転こそが、現在の地域交通の混迷を招いた正体ではないでしょうか。

第7回のまとめ

道路予算と公共交通予算の間に横たわる深い溝は、私たちが明治以来「目に見えるモノ」にのみ価値を認め、目に見えない「場所と時間の連鎖」を無視してきたことの象徴です。

コンクリートの道を作ることは目的ではなく、人々をより良い場所へ、より良い時間に導くための手段に過ぎません。この手段と目的の逆転を正さない限り、どれほど立派なインフラを築いても、人々の移動の幸福度が上がることはないでしょう。次回はシリーズの締めくくりとして、これら150年の思考の空白を埋め、2024年問題を乗り越えるための「新しいハンドル」の握り方について考察します。

参照元・主要文献

  • 藤井聡(2009)『公共事業が日本を救う』文藝春秋(道路投資の経済波及効果に関する議論)。
  • 土木学会(2012)『交通政策論 ―― 21世紀の持続可能なモビリティを目指して』。
  • 宇沢弘文(1974)『自動車の社会的費用』岩波新書。
  • Department for Transport (UK), “Transport Business Case”.
  • OECD (2020), “Investment in Transport Infrastructure”.

第8回:2024年問題は「150年目の精算」か? ―― 新しいハンドルを求めて

150年目の臨界

物流の2024年問題や、相次ぐ地方公共交通の廃止。これらは単なる一時的な労働力不足や、人口減少による自然淘汰ではありません。本シリーズを通じて検証してきた通り、明治期に学問体系が「場所効用」と「時間効用」を定義し損ね、戦時中の「兵站軽視」を経て、戦後の「道路とサービスの二重基準」を積み重ねてきた結果、ついに物理的な限界を迎えた「150年目の精算」であると捉えるべきです。

私たちは、モノを作る技術(形態)や売る技術(所有)には長けていましたが、それをつなぐ「移動」という価値を、気合いや現場の無理で代替可能なコストとして扱い続けてきました。この思考の空白を埋めない限り、どれほどDX(デジタルトランスフォーメーション)や自動運転といった最新技術を投入しても、システムの崩壊を止めることはできません。今こそ、新しいハンドル(誘導)を握り直す時です。

全体最適を導くルールの再設計

物流でも公共交通でも、最大の問題は「バラバラな主体が自分だけの利益を追求すると、全体が不幸になる」という囚人のジレンマ(個別の最適化が全体の不利益を招く状況)でした。これを打破するには、事業者の善意に頼るのではなく、ゲーム理論に基づいた「仕組み(メカニズム・デザイン)」の力が必要です。

物流の標準化への強制力: 特定の荷主が自社のわがままを通すことが、社会全体の物流キャパシティを奪う行為であると明確に定義し、標準化に従わない場合に「場所・時間効用の毀損コスト」を負担させるようなルール設計が必要です。

  • 公共交通の共同運営: 自社の収支だけを追うブレーキを緩め、地域全体の利便性を最大化する「協調」を促すハンドル操作が不可欠です。独禁法特例法を、単なる延命の免罪符ではなく、ダイヤの統合や運賃の共通化という、攻めの価値向上に使うべきです。

投資評価と財源の統合

道路建設(モノ)と運行サービス(価値)を分断してきたダブルスタンダードにも、終止符を打たなければなりません。

英国のTAGのように、道路も鉄道も「人々の生産性(集積の経済)」を高めるための共通の資産として評価する物差しを導入すること。そして、道路整備の財源を「その上を走る移動サービスの質を高めるため」に流用できる柔軟な仕組みを構築すること。移動をコストとみなす日本のB/C(費用便益分析)を、価値を創出するプラスの数式へと書き換えることは、学術界と政策担当者に課せられた急務です。

独禁法を「価値の番人」へ

これまでの独禁法の運用は、不当な安値(ダンピング)を放置する一方で、有益な協調を縛るという、壊れたブレーキのようなものでした。

これからは、移動の質を損なう買いたたきには厳格なブレーキをかけ、一方で「移動しやすさ」を高める事業者間の連携は、消費者の正当な利益として積極的に守護する姿勢が求められます。法理学の中に「場所と時間の価値」を組み込むことが、健全な市場の防波堤となります。

移動の自由という「新しい権利」

私たちが取り戻すべきなのは、効率的な輸送網だけではありません。「いつでも、どこへでも、負担少なく移動できる」という、場所と時間の権利の再定義です。

明治の先達が形態効用を追求して豊かな国を築いたように、現代を生きる私たちは、その空白であった移動の効用を価値として認め、それを支える人々を正当に報いる社会を築く責任があります。2024年問題を単なる危機としてではなく、この150年の歪みを正すための「歴史的な転換点」にできるかどうか。その鍵は、私たちが移動という目に見えない価値に対して、どれほど真摯に向き合えるかにかかっています。

第8回のまとめ(シリーズの結び)

移動は無料ではなく、気合いで生み出されるものでもありません。それは、経済と社会を編み上げる、最も基本的で価値ある営みです。
本シリーズが、現場で戦う実務者、政策を担う公務員、そして移動の便益を享受するすべての市民にとって、これまでの「当たり前」を疑い、新しい場所・時間効用の価値を語り始めるための一助となれば幸いです。

参照元・主要文献

  • 坂井豊貴(2013)『マーケットデザイン ―― 最先端経済学で社会の不備を解消する』ちくま新書。
  • 藤井聡(2014)『土木哲学 ―― 都市・交通・国土』学芸出版社。
  • 諸富徹(2021)『公共経済学』有斐閣。
  • 経済産業省・国土交通省(2023)「物流革新に向けた政策パッケージ」。
  • Roth, A. E. (2015), “Who Gets What — and Why: The New Economics of Matchmaking and Market Design”, Houghton Mifflin Harcourt.

公共交通政策の各国比較

項目 日本 欧州(仏・独など) 英国(ロンドン以外) 米国
市場化の形態 民営一体型(自主経営)

鉄道を核とした付帯事業(不動産等)で収支を均衡させるモデル。

公設民営(契約競争)

インフラは公有し、運行権を数年単位の入札で民間委託する。

完全自由化(市場競争)

1980年代に参入・運賃を完全自由化。現在は管理競争へ回帰中。

公的直接運営 + 補完的競争

基幹交通は公的主体が担い、シェアサイクル等は民間競争。

独禁法の運用 維持のための特例容認

2020年の特例法により、地域維持のための共同経営(カルテル)を容認。

効率のための競争維持

運輸連合による価格統合を認めつつ、運行入札での談合は厳格に排除。

市場支配力の監視

支配的地位にある企業による、新規参入者の排除(不当廉売など)を監視。

事後の厳格な是正

規制緩和後の独占に対して、アンチトラスト法で強力に介入する姿勢。

ゲーム理論の活用 協調への誘導

競合他社同士が「共食い」せず、ダイヤ調整等で共存する協調均衡を模索。

入札設計の最適化

事業者が過度な安値でなく、高品質で応札するインセンティブを設計。

参入障壁の調整

大手による囲い込みを防ぎ、新規参入の選択肢が残る環境を設計。

プラットフォーム競争

配車アプリ等、複数プレイヤーが価格や速度を競う動的な均衡を維持。

政策の主眼 事業の継続性

人口減少下での「ネットワーク維持」が最優先。

社会的包摂と質

「移動は権利」とし、公費投入と競争によるサービス維持を重視。

経済的効率性

市場原理によるコスト削減と、利便性向上の両立を追求。

個人の選択肢

市場の多様性と、参入機会の平等性を重視。

差異が生まれる背景の分析

1. 経済思想と「移動」の定義

  • 欧州(「移動は権利」): 交通を「生存権」に近い公的サービスと捉えています。そのため、市場原理を取り入れつつも、政府がルール(ゲームの枠組み)を厳格に管理します。
  • 米国(「移動は商品」): 市場競争が最も効率的であるという信頼が強く、事前規制を嫌います。その代わり、ルール違反(独占)には事後的に非常に厳しい罰則を与えます。
  • 日本(「事業の自立」): 公共性を担保しつつも、歴史的に「税金投入を最小限に抑え、民間の付帯事業収入で支える」という独自の自立モデルを歩んできました。

2. 地理的・人口動態的要因

  • 日本: 急激な人口減少と過疎化に直面しており、欧米型の「競争」を強いると、誰もいなくなる(市場の崩壊)という危機感があります。これが独禁法特例法という「守り」の施策を生みました。
  • 欧州: 都市の集積度が高く、入札にかければ複数の事業者が集まる「市場」が成立しやすいため、競争を通じた効率化が機能しています。

3. 独禁法の役割の変化

かつての独禁法は「消費者のために価格を下げる」ことが主眼でしたが、現代の交通政策では「将来にわたってサービスを維持するために、どう健全な市場を保つか」という持続可能な競争の設計へとシフトしています。日本はこの調整を「特例」で行い、欧州は「入札ルールの精緻化(ゲーム理論的アプローチ)」で行っているのが特徴です。

「移動の価値(場所・時間効用)」の変遷と、学問・政策・事件を軸にした150年間の年表

【第一期:明治・大正】 形態と所有の確立、移動の価値の取りこぼ

1868年:明治維新。「富国強兵」「殖産興業」の国策が決定。
1869年:赤松則良、オランダより帰国。近代的工学(形態の創造)の基礎を築く。
1872年:新橋・横浜間の鉄道開通。移動が文明開化の象徴となる。
1873年:福沢諭吉「帳合の法」刊行。簿記(所有の管理)の普及。
1875年:三菱商会が上海航路を開設。「海運(所有権移転)」が国策となる。
1877年:西南戦争。軍事輸送におけるロジスティクスの重要性が一時的に認識される。
1880年:ドイツ商業学の流入。商学が「商取引」中心の学問として定着。
1881年:日本鉄道会社(日本初の私鉄)設立。
1885年:内閣制度発足。農商務省と逓信省に商と運が分断される。
1887年:帝国大学官制。工学が理学から独立し、モノ作りが特権化される。
1889年:東海道本線全通。場所効用への期待が高まる。
1890年:ドイツ商業学の影響で「商業経営学」が確立。物理的移動は研究対象外に。
1893年:日本郵船、ボンベイ航路開設。遠距離輸送が貿易の一部となる。
1896年:鉄道敷設法改正。全国的な鉄道路線網の形態の完成を急ぐ。
1900年:独占禁止法の原型となる議論が始まるが、産業保護が優先される。
1904年:日露戦争。軍事兵站の規模が拡大するが、精神力重視の傾向も強まる。
1906年:鉄道国有法公布。所有を国家に一元化。
1911年:テイラー「科学的管理法」公刊。製造現場の効率化が信仰となる。
1912年:アーチ・ショー(Arch Shaw)、市場流通の諸問題を論じ始める。
1915年:アーチ・ショー「Some Problems in Market Distribution」刊行。場所効用・時間効用を提唱し、物理的流通(Physical Distribution)を定義。
1919年:道路法制定。道路が「公物(形態)」として再定義される。
1920年:日本経営学会発足。生産管理が主流となり、物流は工程の隙間に。
1923年:関東大震災。都市における移動(交通)の脆弱性が露呈。
1926年:国産自動車の補助金制度開始。ハードウェア(形態)への投資。

【第二期:昭和戦前・戦中】 ロジスティクス軽視の悲劇

1931年:満州事変。軍需輸送の激増。
1932年:タクシーの流しが社会問題化。初期の過当競争と規制議論。
1934年:日本通運株式会社法。運送の国家統制が始まる。
1937年:日中戦争勃発。国家総動員に向け、移動の自由が制限される。
1938年:陸上交通事業調整法。事業者の自律より形態の統合を優先。
1939年:戦時体制下の配給制。所有効用と場所効用の極端な抑圧。
1941年:太平洋戦争開戦。兵站を度外視した広域作戦の開始。
1942年:ガダルカナル島戦。補給(場所・時間効用)の欠絶による餓死者の続出。
1943年:海上護衛総司令部設置。輸送の防衛(ブレーキ)が致命的に遅れる。
1944年:インパール作戦。「現地調達」という名の場所効用無視。
1945年:敗戦。兵站軽視という思考の空白がもたらした壊滅的被害。

【第三期:戦後・高度成長】 道路予算の聖域化と物流の調整弁化

1947年:独占禁止法公布。しかし交通・物流分野は例外的な扱いが多い。
1949年:日本国有鉄道(国鉄)発足。公共交通を独立採算の枠に閉じ込める。
1953年:ガソリン税の道路特定財源化。道路建設(形態)への投資が開始。
1954年:ポール・コンバース(Paul Converse)、「The Other Half of Marketing」を発表。物流をマーケティングの「暗黒大陸」と呼び、価値の半分は流通にあると強調。
1955年:日本生産性本部設立。物流を第三の利益源(削るべきコスト)と定義。
1956年:第一次道路整備五箇年計画。道路網(ハード)へのアクセル。
1958年:名神高速道路起工。高速移動時代の幕開け。
1960年:所得倍増計画。大量生産・大量消費。移動は空気のような存在に。
1962年:P.ドラッカー、コンバースの理論を引き継ぎ「経済の暗黒大陸」を執筆。
1964年:東海道新幹線開通。時間短縮が便益(B/C)の主役となる。
1965年:名神高速道路全通。トラック輸送のシェア急拡大。
1966年:日本ロジスティクスシステム協会(JILS)の前身発足。
1968年:コンテナ船の日本就航。物理的移動の標準化が始まる。
1970年:日本万国博覧会。都市交通システムへの形態投資。
1971年:円切り上げ。輸出製造業のコスト削減圧力が物流に転嫁される。
1973年:第一次オイルショック。エネルギーとしての移動の制約。
1974年:宇沢弘文「自動車の社会的費用」。道路へのダブルスタンダードを批判。
1975年:国鉄のスト権スト。利用者の鉄道離れとトラック・自家用車へのシフト。
1976年:宅急便サービス開始(ヤマト運輸)。時間効用が商品化される。

【第四期:安定成長からバブル】 効率性の追求とサービス無料の定着

1980年:物流の小口化・多頻度化が進行。製造の調整弁としての物流が固まる。
1981年:第二次臨時行政調査会。国鉄改革の議論。移動を経営の問題へ。
1983年:英国で公共交通の規制緩和議論(サッチャー政権)。
1984年:国鉄、貨物輸送を拠点間輸送へ集約(場所効用の縮小)。
1985年:プラザ合意。円高加速。製造業の海外移転開始。
1986年:道路特定財源が過去最大級に。公共交通との格差拡大。
1987年:国鉄分割民営化(JR発足)。「自立(所有)」が絶対の評価軸に。
1989年:バブル景気の絶頂。移動の質より量が優先される。
1990年:物流二法(貨物自動車運送事業法等)施行。規制緩和と過当競争の開始。

【第五期:失われた30年】 制度の硬直化と現場の疲弊

1991年:バブル崩壊。デフレ経済突入。送料無料という幻想の萌芽。
1994年:英国でTAG(投資評価指針)の原型が整備される。
1995年:阪神・淡路大震災。代替輸送ルート(冗長性)の価値が再認識される。
1997年:消費税率引き上げ(5%)。さらなる物流コスト削減圧力。
2000年:交通バリアフリー法施行。形態効用(ハード)の改善。
2002年:改正鉄道事業法。路線の廃止(ブレーキ)が容易になる。
2004年:英国で現行のTAG体系が確立。集積の経済を数値化。
2005年:日本郵政公社民営化議論。
2006年:道路特定財源の一般財源化が議論。形態投資への批判が高まる。
2007年:iPhone発売。MaaS(移動のサービス化)への技術的下地。
2008年:リーマンショック。世界的な需要蒸発。
2009年:道路特定財源の一般財源化(実質的な機能維持)。
2011年:東日本大震災。サプライチェーンの分断と脆弱性の露呈。
2012年:関越道高速バスツアー事故。過当競争による安全の毀損。
2013年:アベノミクス。物流をインフラとして再定義する動き。
2014年:交通政策基本法施行。移動を権利として認める第一歩。
2015年:SDGs採択。持続可能な交通網への関心。
2016年:軽井沢スキーバス転落事故。再びの安全規制強化(ブレーキの再調整)。
2017年:ヤマト運輸、運賃値上げを表明。サービスへの正当な対価への転換。
2018年:日本版MaaSの推進開始。移動の価値をサービスとして統合。
2019年:働き方改革関連法施行。ドライバーの残業規制が視野に入る。
2020年:独禁法特例法施行。バス・地方銀行の共同運営容認(苦肉のブレーキ)。
2020年:新型コロナウイルス感染拡大。物理的移動の劇的な制限と価値の再確認。
2021年:DX推進。移動のデジタル化。
2022年:JR西日本、ローカル線の収支公表。独立採算制の限界の可視化。
2023年:物流革新に向けた政策パッケージ。荷待ち時間の短縮(時間効用の保護)。

【第六期:2024年以降】 150年目の精算と再定義

2024年:物流2024年問題(4月)。輸送能力不足の顕在化。
2024年:地域交通活性化再生法改正。行政のハンドル操作の法的強化。
2024年:再配達率削減目標の義務化(場所・時間効用の効率化)。
2025年:万博を通じた自動運転・空飛ぶクルマの社会実装。形態からサービスへ。
2025年:公共投資評価の見直し議論。集積の経済を考慮したB/Cの検討。
2025年:ダブルスタンダード解消に向けた、道路財源の交通サービスへの活用拡大。
2026年:物流DXによる共同配送の一般化。ナッシュ均衡からの脱却(本年)。
2026年:独禁法のさらなる柔軟運用。利便性を高める「善の協調」の定着。
2026年:時間価値を反映したダイナミック・プライシングの公共交通導入。
2026年:大学における移動経済学(仮)の創設。150年の空白の埋め合わせ。
2026年:場所・時間効用が経済活動の主役として認識される社会の到来。

注意

以上の文書はAI Geminiが生成しており、誤りが含まれる場合があります。

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参考

なぜ欧米は物流を投資対象とし、日本はコストと見なすのか

明暗を分けた物流自由化の日米比較:市場設計・独占禁止法執行・政策決定プロセス

交通理論体系整理の試み