【ラジオ】トラックを高コスト化し鉄道へ誘導する欧州の物流戦略

欧州の物流政策を大きく変えたのは、2019年に発表された欧州グリーンディールという巨大な政策パッケージです。これは単なる環境保護の宣言ではなく、物流を社会の重要なインフラと再定義し、その構造を法規制によって作り替える経済戦略でもあります。

目次

第1回:欧州グリーンディールとプッシュ型モーダルシフトの法理

欧州連合(EU)は、2050年までに域内の温室効果ガス排出を実質ゼロにする目標を掲げています。交通部門に関しては、2050年までに90%の削減を求めており、その実行手段の筆頭に挙げられているのがモーダルシフト(輸送手段の転換)です。

特筆すべきは、2030年までに300km以上の長距離道路貨物輸送の30%を、2050年までに50%以上を鉄道や内陸水運へ転換するという具体的な数値目標です。日本では荷主や事業者の自主的な努力に期待する側面が強いですが、欧州では目標から逆算して必要な規制を次々と導入するバックキャスト(目標から逆算して今すべきことを決める手法)の論理が徹底されています。

空間計画の指針:ESDP(欧州空間開発展望)の役割

欧州の物流インフラ整備において、その上位概念として機能しているのがESDP(欧州空間開発展望:European Spatial Development Perspective)です。これは、欧州全域をバランスよく発展させるための空間計画の指針であり、物流網を単なる点と線の結合ではなく、都市や地域の発展と切り離せない一体のものとして位置づけています。

ESDPの視点がモーダルシフトに与える影響は、特定の地域への過度な集中を避け、多極的なネットワークを形成することにあります。例えば、特定の港湾や道路に貨物が集中して混雑を招くのではなく、鉄道や内陸水路を網の目のように巡らせ、各地域にロジスティックパーク(第4回詳述)を適切に配置することで、物流の効率化と地域開発を同時に達成しようとしています。欧州のインフラ整備が、国境を越えてなお整合性を保っているのは、このESDPという共通の空間開発の設計図が底流にあるからです。

外部不経済の内在化という市場原理

欧州の政策担当者が一貫して主張するのは、道路輸送がもたらす社会的なコスト(外部不経済)を、運賃の中に正しく反映させるべきだという考え方です。これには交通事故、大気汚染、騒音、そして何より二酸化炭素の排出による環境負荷が含まります。

これを実現する具体的な手段が、道路通行料の改定と排出権取引の導入です。例えばドイツのLKWマウト(大型トラック道路通行料)は、車両の重量だけでなく、排出ガス規制の等級や二酸化炭素の排出量に応じて細かく料金が設定されています。2023年末からは、二酸化炭素排出量に応じた追加料金が導入され、実質的にトラック輸送のコストを大幅に引き上げることとなりました。

かつての物流コストの議論は、いかに効率化して安く運ぶかという点に終始していましたが、現在の欧州では環境負荷を払わない輸送は不当に安いと見なされます。このコスト増は、単なる増税ではなく、鉄道や内陸水運との価格差を強制的に縮めるための調整弁として機能しています。

インフラ政策の両輪:TEN-TとCEF

強力な法規制(ソフト)を支えるのが、TEN-T(欧州広域輸送ネットワーク)というインフラ政策(ハード)です。これは欧州全域を網羅する鉄道、道路、内陸水路、港湾を一つの有機的なネットワークとして結びつける壮大な計画です。

特に優先されるのは、国境を跨ぐボトルネックの解消です。EUはCEF(欧州連結ファシリティ)という基金を通じ、鉄道の電化、信号システムの統一、列車の長編成化を可能にするインフラ改修に巨額の資金を投じています。これは「環境負荷を下げるためには、鉄道がトラックと同等以上に使いやすく、かつ低コストなインフラでなければならない」という合理的な判断に基づいています。道路通行料などで徴収した資金が、これらクリーンなインフラの整備に再投資される循環構造が、欧州モデルの強みです。

排出量取引制度(ETS2)がもたらす産業構造の変化

さらに今後、日本の陸運事業者にとっても注目すべきなのが、道路交通を対象とした新たな排出量取引制度(ETS2)の導入です。これは燃料販売業者に対して排出枠の購入を義務付けるもので、最終的には燃料価格への転嫁を通じて、トラック運送のコストをさらに押し上げることが予定されています。

この制度の肝要な点は、徴収された資金の多くが社会気候基金を通じて、物流の脱炭素化に向けた投資や、低所得世帯への支援に還流される仕組みになっていることです。つまり、トラックから徴収した費用が、鉄道インフラの高度化やEVトラックの導入支援に充てられるという、産業構造の転換を自己完結的に促すモデルとなっています。

欧州の荷主企業は、こうした制度的なコスト増を回避するために、自発的に鉄道や船を選択せざるを得ない状況に置かれています。環境対応はもはや社会貢献(CSR)の枠を超え、企業の財務諸表に直結するコスト管理の問題となっているのです

公共の利益と移動の自由の再定義

欧州では、移動の自由はEUの基本理念の一つですが、貨物輸送に関しては「何でもトラックで運んで良い自由」を制限しつつあります。これは、公共の利益、すなわち気候変動への対応という大義名分が個別の経済活動の自由に優先されるべきだという社会的合意が形成されているためです。

例えば、オーストリアのブレンナー峠のような環境負荷に敏感な地域では、夜間のトラック走行禁止や、特定の貨物における鉄道利用の義務化(セクトラル・ドライビング・バン)といった規制が敷かれています。こうした規制は、物流事業者からすれば営業権の侵害とも取れますが、欧州司法裁判所は、環境保護という目的が正当であれば、こうした制限は許容されるという判断を下しています。

日本の施策への配慮と客観的視点

日本の政策においても、グリーン物流パートナーシップ会議などを通じて、長年モーダルシフトの推進が行われてきました。日本の担当者が欧州のような極端なプッシュ施策に慎重なのは、島国特有の地形や、急峻な山岳地帯を縫うように走る鉄道網の容量(キャパシティ)の制約、そして災害時の代替性(レジリエンス)を十分に考慮しているためです。

欧州のようなプッシュ型の施策は、短期的には運送業界への強い負荷となります。欧州内でも、特に東欧諸国の中小運送事業者からは、コスト転嫁が追いつかず競争力を失うという不満の声が上がっているのも事実です。欧州委員会はこれに対し、国境を越える際の事務手続きの簡素化や、デジタル化による効率向上で負荷を相殺しようと試みていますが、その調整は容易ではありません。

しかし、欧州はあえてこの痛みを受け入れ、物流を脱炭素という新しい競争軸の上で再構築しようとしています。これは、遅かれ早かれ世界標準となる低炭素物流において、自域内の産業が先導権を握るための先行投資でもあります。

政策担当者に求められる役割の変遷

公務員や政策担当者の役割は、今や単に補助金というアメを出すことだけではありません。欧州の事例が示すのは、市場のルールそのものを書き換え、事業者が将来のコスト増を予測し、新しい投資に踏み切れるような予測可能性の高い法制度を設計することの重要性です。

ESDPの視点を含めた空間的なインフラ配置、TEN-Tによる国境なきインフラ整備、そして外部不経済を内在化させる価格政策。これらが三位一体となって初めて、実効性のあるモーダルシフトが実現します。日本の物流も、2024年問題に加え、2050年のカーボンニュートラルという長期的な宿題を抱えています。欧州がグリーンディールという旗印の下で進めているのは、物流を経済成長の手段から、持続可能な社会を維持するための仕組みへと昇華させる試みです。

欧州モデルから学ぶべき法理の要旨

欧州が推進するプッシュ型モーダルシフトの根底にあるのは、汚染者が費用を負担する(Polluter Pays Principle)という法理の徹底です。この原則が、道路通行料の改定や排出権取引、そして広域的な空間開発の指針であるESDPに基づいたインフラ投資を通じて、物流現場の意思決定に直接作用しています。

日本の陸運業界においても、燃料価格の高騰や人件費の上昇によって、従来の安価なトラック輸送が難しくなっています。この変化を単なる危機として捉えるのではなく、輸送の価値を再定義し、環境負荷を含めた真のコストに基づいた運賃体系を構築する機会と捉えるべきかもしれません。欧州の理想と、それに伴う現実の痛みを客観的に見つめることは、日本が独自の、かつ持続可能なマルチモーダル輸送網を構築する上での不可欠なプロセスとなります。

出典:

  • European Commission: The European Green Deal (COM/2019/640 final)
  • Sustainable and Smart Mobility Strategy (COM/2020/789 final)
  • European Commission: European Spatial Development Perspective (ESDP)
  • Innovation and Networks Executive Agency (INEA): Connecting Europe Facility (CEF) Transport
  • Federal Ministry for Digital and Transport (BMDV): LKW-Maut details (2023)
  • European Court of Justice (ECJ) Rulings on Sectoral Driving Bans in Austria

第2回:TEN-T(欧州広域輸送ネットワーク)と規格の標準化

欧州の強力な脱炭素政策が、どのように具体的なインフラの姿へと落とし込まれているのか。第2回では、欧州全域を一つの巨大な物流網として機能させるための骨格であるTEN-T(欧州広域輸送ネットワーク)と、その実装を担うRFC(鉄道貨物コリドー)の投資構造、そしてスワップボディの標準化プロセスを詳述します。

欧州でモーダルシフト(輸送手段の転換)が実効性を持っている最大の理由は、単に環境意識が高いからではなく、国境を越えても輸送効率が落ちない物理的な器が、大陸規模で整備されているからです。その中核を成すのが、TEN-T政策と、その実行部隊であるRFC(鉄道貨物コリドー:Rail Freight Corridors)です。

TEN-T政策の深層:二段構えのネットワーク構造

TEN-T(Trans-European Transport Network)は、単なる建設予定リストではなく、欧州連合(EU)全体の経済・社会・環境目標を達成するための「空間的基盤」として位置づけられています。この政策は、1990年代の草創期を経て、2013年の規則改正(Regulation No 1315/2013)によって、より厳格な法的拘束力を持つ体系へと進化しました。

TEN-Tの構造は、以下の二つの層で構築されています。

  • コア・ネットワーク(基幹網): 欧州全体の物流において最も戦略的価値が高い路線・拠点。2030年までの完成が義務付けられており、後述する9つのRFC(鉄道貨物コリドー)はこのコア・ネットワークを具体的に運用するための「動的な枠組み」です。
  • 包括ネットワーク(総合網): 欧州全域のアクセシビリティ(接続性)を確保するための路線。2050年までの完成を目指し、地方都市や周辺地域をコア・ネットワークに繋ぐ役割を担います。

この二段構えのポイントは、限られた公的資金(CEF等)を、まずは欧州の「背骨」となるコア・ネットワークへ集中投下することにあります。これにより、国境付近で線路が途切れる、あるいは規格が変わるといったボトルネックを優先的に解消する仕組みが担保されています。

RFC(鉄道貨物コリドー)の財務・投資スキームとガバナンス

TEN-Tのコア・ネットワークを実際に管理・運用するのが、RFCです。RFCは単なる路線図上の名称ではなく、各国のインフラ管理者(IM)や割当機関が一つの「コリドー管理委員会」を組織し、国境を越えた一貫的な投資と運営を行う法的枠組みです。

RFCの整備を支える財務スキームの柱は、EUによるCEF(欧州連結ファシリティ:Connecting Europe Facility)という直接補助金です。CEFは、単なる地方道路の整備には使われません。以下の要件を満たすプロジェクトにのみ、最大で費用の50%(国境区間など)が補助されます。

  • 相互運用性の向上: 異なる国のシステムを繋ぐための信号統一(ETCS)や電圧の変換。
  • ミッシング・リンク(欠けた鎖)の解消: 山岳地帯のトンネル建設や、河川を跨ぐ橋梁の強化。
  • マルチモーダル性の強化: 鉄道から港湾、あるいは内陸水路への積み替え能力を向上させる設備。

RFCの投資決定プロセスにおいて特筆すべきは、各国の国益よりも「コリドー全体の流動性」が優先される点です。例えば、ドイツ国内の区間であっても、イタリアやオランダを結ぶ貨物フローに不可欠であれば、EUが戦略的な投資判断を行い、CEFから多額の資金が投入されます。この広域的なガバナンスが、インフラの質の平準化を可能にしています。

鉄道貨物の「標準仕様」:TSIによる物理的統合の深度

欧州の鉄道輸送におけるTSI(相互運用性のための技術仕様:Technical Specifications for Interoperability)は、加盟国に遵守を義務付ける強力な指令です。RFCにおける投資の多くは、このTSIを現場で具現化するために行われます。

特に重要な標準化項目が以下の3点です。

  • 列車の有効長 740m: 欧州全域で全長740mの貨物列車を走行可能にすること。これにより、一度に運べる貨物量を劇的に増やし、トラックに対するコスト競争力を高めます。投資は、この長さに対応した待避線(行き違いのための線路)の延伸に優先的に充てられます。
  • 軸重 22.5トン: 重い貨物を載せてもレールや橋梁が耐えられる基準の統一。これにより、機関車や貨車の設計を共通化でき、機材の融通が容易になります。
  • ETCS(欧州列車制御システム)の導入: 国境を越えるたびに機関車を交換したり、運転士が交代したりする手間を省くための、デジタル信号システムの統一。これは単なる効率化だけでなく、列車の運行間隔を詰めることで、線路容量(キャパシティ)を最大化する効果も持っています。

スワップボディ:標準化の歴史的経緯と仕組み

物理的なインフラと並び、欧州のマルチモーダル輸送を完成させたのが、スワップボディ(Swap Body)の標準化です。これは1980年代後半から1990年代にかけて、欧州標準化委員会(CEN)によって主導されました。海上コンテナが船舶の積載効率を基準にしているのに対し、スワップボディは「欧州の陸上交通」に最適化されています。

スワップボディの標準化は、以下の三つのステップで進められました。

  • 寸法の統一(EN 284規格等): スワップボディは「欧州の道路交通法(車両幅2.55m)」と「ユーロパレット(1,200mm×800mm)」に最適化されました。具体的には、クラスC(7.15m、7.45m、7.82m)といった長さが定義され、パレットが隙間なく並ぶ内寸が確保されました。
  • 固定具と支持構造の標準化: どのメーカーのトラックでも、どの鉄道貨車でも積載できるよう、ISOコンテナと同じツイストロック(固定金具)の配置が採用されました。さらに、トラックが荷体を置いて去るための「自立脚(フォールディング・レッグ)」の高さと強度が標準化され、クレーンの「グリップ・ポケット」の位置も厳密に定められました。
  • インターモーダル性の付与: 鉄道のポケット貨車(タイヤを載せるための窪みがある貨車)に適合する形状が定義されました。これにより、クレーンで吊り上げて鉄道に載せ、駅で再びトラックが拾い上げる「縦持ち」の運用が、欧州全域で可能になったのです。

物理的標準化がもたらす「モードの柔軟性」

第2回のまとめとして、物理的なインフラと機材の標準化こそが、国境やモードの壁を物理的に破壊するということです。TEN-Tによるネットワークの定義、RFCによる戦略的投資、そしてスワップボディといった機材の規格統一。これらが三位一体となって初めて、事業者は「どのルートを通っても、どの手段を使っても、荷姿を変えずに運べる」という自由を手にします。

欧州のインフラ整備が民間投資を呼び込むのは、規格が欧州全域で通用し、中古市場での流動性も高いという安心感があるからです。CEFによる公的資金が呼び水となり、民間企業も標準規格に準拠した機材への投資を加速させるという好循環が生まれています。ハードの統一がなされてこそ、その上のソフト(運行管理やマッチング)が真に威力を発揮するのです。

出典:

  • European Commission: Regulation (EU) No 1315/2013 on Union guidelines for the development of the trans-European transport network.
  • European Commission: Regulation (EU) No 913/2010 concerning a European rail network for competitive freight.
  • European Union Agency for Railways (ERA): Technical Specifications for Interoperability (TSI) overview.
  • C.E.N. (European Committee for Standardization): EN 284, Swap bodies – Non-stackable swap bodies of class C.
  • Innovation and Networks Executive Agency (INEA): CEF Transport projects portfolio 2021-2027.

第3回:上下分離の深化と中立的インフラ管理者(IM)の役割

欧州の鉄道が、国境を越えてトラックと対等に戦える背景には、第2回で詳述した物理的な標準化に加え、インフラを誰が、どのようなルールで管理するかという仕組みの改革があります。その核となるのが「上下分離」の徹底です。

上下分離の定義と制度的背景

欧州における上下分離とは、鉄道のインフラ(線路、信号、駅、電力供給など)の管理主体と、その上で列車を走らせる実運送主体(鉄道会社)を、法的、組織的、財務的に切り離すことを指します。

1991年の指令(91/440/EEC)に始まり、2016年の第4次鉄道パッケージに至るまで、EUはこの分離を深めてきました。これは単なる組織改編ではなく、インフラを「公共のプラットフォーム」として開放し、民間企業の自由な参入を促すための措置です。

この分離には大きく分けて、組織的に完全に独立させる「完全分離モデル(フランスのSNCF Réseauなど)」と、持ち株会社の下で別会社とする「持ち株会社モデル(ドイツのDB InfraGOなど)」がありますが、いずれにせよ財務の透明性と運営の中立性は厳格に求められます。

インフラ管理者(IM)という新しい主役

この仕組みにおいて、中心的な役割を担うのがインフラ管理者(IM:Infrastructure Manager)です。IMは自ら列車を運行せず、線路というインフラの維持管理と、列車の走行枠(パス)の配分に特化します。

IMの主な責務は以下の通りです。

  • 中立的なパス配分: 貨物列車、旅客列車、そして新規参入企業の列車を差別なく、効率的なダイヤに組み込む。
  • 線路使用料(トラック料)の設定: 利用料を透明な基準で算定し、徴収した資金を維持更新に充てる。
  • 長期的な投資計画の策定: 第2回で触れたTEN-TやRFCの目標に基づき、ボトルネック解消に向けた投資を行う。

公務員の視点から見れば、IMは市場の審判員(レフェリー)であり、かつインフラの価値を最大化するディベロッパーでもあります。彼らが中立であるからこそ、民間の物流事業者は「自前の線路」を持たずとも、機関車と貨車を自前で用意するか、既存の運行会社からスペースを買うことで、自由に鉄道輸送ビジネスを開始できるのです。

RFC管理委員会とOne-Stop Shop(OSS)の実務

複数の国を跨ぐ長距離貨物輸送において、かつては国ごとに個別に走行枠を申請する必要がありました。これが鉄道のリードタイムを長くし、トラックに対する最大の弱点となっていました。

この問題を解決するために、RFC(鉄道貨物コリドー)の枠組みでは、各国のIMが共同で「C-OSS(コリドー・ワンストップ・ショップ)」という窓口を設置しています。荷主や実運送人は、この窓口一つに申請するだけで、例えばロッテルダム(オランダ)からジェノバ(イタリア)までの、国境を越えた一貫した走行枠を即座に確保できます。

この仕組みを支えるのが、財務的な裏付けを持つRFC管理委員会です。彼らは、CEF(欧州連結ファシリティ)などの公的資金を活用し、国境区間の単線区間の複線化や、信号システムの高度化といった「国を跨ぐための投資」を優先的に実行します。一つの国だけでは投資対効果が低いプロジェクトでも、コリドー全体の流動性が向上すればEU全体の利益になるという、広域的な投資判断が下されるのです。

ネットワーク・ステートメント(網供用条件)の透明性

IMは、Network Statement(ネットワーク・ステートメント)と呼ばれる膨大な文書を毎年公開することが義務付けられています。ここには、線路の勾配や有効長、利用可能な電圧、さらには線路使用料の計算根拠まで、あらゆる情報が公開されています。

新規参入を目指す物流事業者にとって、この文書は「参入のガイドブック」となります。どのルートを使えば、どの程度のコストで、何トンの荷物を運べるかが事前に精密に計算できるため、事業リスクの予見可能性が高まります。この情報の透明性こそが、欧州の鉄道貨物市場における民間投資の呼び水となっています。

競争の導入によるサービス品質の向上

上下分離によってインフラが開放された結果、欧州では旧国鉄系の企業だけでなく、多くの民間鉄道会社(RU:Railway Undertaking)が誕生しました。彼らは、特定の荷主に特化した柔軟な運行スケジュールや、スワップボディを活用した効率的な積み替えサービスを競い合っています。

IMは、これらの競合するRUに対して公平なアクセス権を保証しなければなりません。もし不公正な扱い(例えば、旧国鉄系の列車を優先し、民間の貨物列車を待避線で長時間待たせるなど)があれば、独立した規制当局が介入し、強力な是正勧告や罰金を科します。この「公平な競争環境の担保」が、鉄道輸送全体のサービス向上とコスト削減を強力に推進しています。

現実的な課題と調整の困難さ

もちろん、欧州のモデルも完璧ではありません。インフラ管理者と運行主体を分離したことで、現場での緊急時の連携(事故対応や突発的な工事の調整)が、一体型組織よりも難しくなったという指摘もあります。また、旅客列車と貨物列車の線路の奪い合いは依然として深刻な課題です。

特にドイツのDB Netz(現DB InfraGO)のような巨大なIMであっても、老朽化したインフラの更新工事が多発し、貨物列車の遅延が慢性化している現状があります。これに対し、欧州委員会は「貨物列車の優先枠」の法制化や、工事情報のデジタル共有を強化することで、官民の調整コストを下げようと腐心しています。こうした負の側面への配慮も含めた、泥臭い調整の積み重ねが欧州の実態です。

物流の公共性と効率性の融合

第3回のまとめとして、上下分離の真髄は「インフラを特定の企業の独占から解放し、公共の資産として社会全体で使い倒す」という思想にあります。中立的なインフラ管理者(IM)がルールを司り、民間の実運送人がその上で創意工夫を競う。この官民の役割分担が、第1回で述べた脱炭素という高い目標を、第2回で述べた標準化されたインフラの上で実現するための、強力なソフトパワーとなっています。

出典:

  • Council Directive 91/440/EEC of 29 July 1991 on the development of the Community’s railways.
  • Directive 2012/34/EU of the European Parliament and of the Council establishing a single European railway area (Recast).
  • Regulation (EU) No 913/2010 concerning a European rail network for competitive freight.
  • European Union Agency for Railways (ERA): Report on Railway Safety and Interoperability in the EU 2024.
  • DB InfraGO AG: Network Statement 2026.

第4回:RFC(鉄道貨物コリドー)とC-OSSの一元管理

第2回、第3回では物理的なインフラの標準化と、それを管理する組織的な「上下分離」の仕組みを見てきました。器とルールが整った次に必要となるのは、その上で流れる貨物を、国境を越えていかに「一つの流れ」として制御するかという情報・実務の統合です。第4回では、その司令塔となるRFCの運用現場に迫ります。

欧州の鉄道貨物輸送をトラックに対抗しうる存在に引き上げた最大の功労者は、11のRFC(鉄道貨物コリドー:Rail Freight Corridors)の設置と、それに付随するC-OSS(コリドー・ワンストップ・ショップ)という仕組みです。これらは、複雑な国境を跨ぐ手続きを、荷主や運送事業者にとって「見えないもの」にするための高度な行政・実務の統合体です。

物流の「廊下」という概念:RFCの設置

RFCは、2010年のEU規則(Regulation No 913/2010)に基づき、欧州の主要な経済圏を結ぶ「貨物専用の優先動線」として設定されました。例えば、RFC 1(ライン・アルプス・コリドー)は、欧州最大の海港であるロッテルダムとジェノバを結び、欧州の心臓部を南北に貫きます。

RFCの最大の特徴は、各国のインフラ管理者(IM)がそれぞれ独立して判断するのではなく、コリドー全体を一つの管理組織として運営している点です。各コリドーには、関係国のIMや政府代表からなる管理委員会が設置され、国境を越えた一貫的な運行品質を保証する法的責任を負っています。

C-OSS:国境を溶かす単一窓口

欧州を鉄道で縦断する場合、かつては通過する国(オランダ、ドイツ、スイス、イタリアなど)ごとに、各言語で別々に走行枠(スロット)を申請し、それぞれの国で異なる運行許可を得る必要がありました。これでは、ある国で遅延が発生した際、他国での接続調整に膨大な時間と手間がかかり、トラックの機動性には到底及びません。

この課題を解決したのが、C-OSS(コリドー・ワンストップ・ショップ)です。C-OSSは、各RFCに設置された単一のデジタル窓口であり、以下の機能を提供します。

  • PaP(プレ・アレンジド・パス)の提供: 各国のIMがあらかじめ合意し、国境での接続時間を最小化した「予約済みの高速走行枠」です。
  • 一括申請と即時配分: 利用者はC-OSSを通じて一度申請するだけで、出発地から目的地までの全区間の走行枠を確保できます。
  • 紛争解決の中立性: 複数の事業者が同じ走行枠を希望した場合、C-OSSが透明な基準に基づき公平に配分します。

C-OSSは国境を跨ぐ行政手続きをデジタル化し、一つの共通インターフェースに統合した「行政サービスのワンストップ化」の極致と言えます。

PaP(予約済み走行枠)による優先権の確立

C-OSSが提供するPaPは、単なるスロットの予約ではありません。これは、旅客列車が優先されがちな欧州の線路利用において、貨物列車が安定して高速走行できるよう「聖域化」された枠です。

通常、鉄道ダイヤの作成では旅客列車が先に組まれ、貨物はその隙間を縫うように設定されますが、RFCの主要な時間帯においては、PaPとして貨物専用の枠を優先的に確保することが義務付けられています。これにより、長距離輸送であってもトラックと遜色ない、あるいはそれ以上の定時性を確保することが可能になりました。これは、インフラを「公共のプラットフォーム」として開放する際、特定の政策目的(モーダルシフト)のために利用優先順位を法的に規定した事例と言えます。

デジタル連携を支えるPCS(パス・コーディネーション・システム)

C-OSSの背後で動いているのが、PCS(Path Coordination System)という欧州共通のIT基盤です。これは、各国のIMが持つ個別の運行管理システムを橋渡しし、国境を越えた列車の走行枠をリアルタイムで調整・管理するためのソフトウェアです。

利用者はPCSの画面上で、地図を見ながら必要なルートと時間を選択し、クリックするだけで国際的な運行計画を確定できます。各国のIM側でも、このシステムを通じて他国の状況が可視化されるため、国境付近での車両の滞留や、工事に伴う迂回ルートの調整などが自動化・半自動化されています。この「データの相互運用性」こそが、物理的な国境をデジタル上で消滅させる鍵となっています。

財務的自立とパフォーマンス管理

RFCは単に窓口を作るだけでなく、その運行品質を厳格に管理しています。各RFCは毎年「パフォーマンス報告書」を公開し、以下の指標を測定・公表することが義務付けられています。

  • 国境での平均停止時間: 以前は数時間かかっていた手続きや機関車交換を、いかに短縮できたか。
  • 定時運行率: 予定されたPaPに対して、どれだけ正確に運行されたか。
  • キャパシティ利用率: 用意された走行枠がどれだけ有効に活用されたか。

これらのデータは、次年度のインフラ投資(第2回で触れたCEFの配分など)の重要な判断材料となります。つまり、効率の悪い区間や遅延の多い国境には、それを是正するための予算が優先的に割り振られるという、データに基づいた投資サイクルが確立されています。

実務における「中立的なコーディネーター」の役割

C-OSSの担当者は、特定の国のIMの利益を代表するのではなく、コリドー全体の最適化を追求する中立的な立場にあります。これは、日本の物流政策においても、モードや地域を跨ぐ調整を行う際に「誰が中立的な調整役(コーディネーター)を担うか」という議論に、一つの解を与えるものです。

欧州では、この中立性を担保するために、各RFCの管理事務局を複数の国が持ち回りで担当したり、独立した監査機関によるチェックを受けたりする仕組みを取り入れています。これにより、新規参入企業であっても「公平にインフラを利用できる」という信頼感が醸成され、民間投資が促進されています。

まとめ:情報の統合が物理の壁を溶かす

第4回の要旨は、RFCとC-OSSという仕組みが、複雑な多国間の調整をデジタルと組織の力で一つのサービスにまとめ上げたということです。PaPという優先枠を設け、C-OSSという単一窓口で提供し、PCSというシステムで支える。この三段構えの統合が、鉄道貨物を「遅くて不透明な手段」から「計画的で効率的な手段」へと変貌させました。

ハード(線路)を統一し、ルール(上下分離)を定め、さらに情報(C-OSS)を統合する。この重層的な取り組みが実を結び、欧州を跨ぐ数千キロの輸送が、あたかも一つの国内輸送であるかのようにスムーズに行われるようになっています。

出典:

  • Regulation (EU) No 913/2010 of the European Parliament and of the Council concerning a European rail network for competitive freight.
  • RailNetEurope (RNE): C-OSS Operations Manual.
  • RFC Rhine-Alpine: Annual Implementation Report 2024.
  • European Commission: Evaluation of the Regulation (EU) 913/2010 (2023).

第5回:TAF-TSI:欧州鉄道のOSとなる共通データ規格

欧州の鉄道貨物輸送が、数多くの国境を越え、複数の事業者を介しながらも一つのバトンパスを完結できるのは、TAF-TSI(貨物輸送のためのテレマティクス・アプリケーション:Telematic Applications for Freight – Technical Specifications for Interoperability)という強力なデータ標準が存在するからです。これは、欧州全域の鉄道システムが従うべき共通の通信プロトコルであり、いわば欧州鉄道を動かすためのオペレーティング・システム(OS)と言えます。

TAF-TSIが解決した情報のバベルの塔

かつて欧州の鉄道は、各国が独自の列車番号、車両ID、駅コード、そしてデータ形式を持っていました。ドイツのシステムが吐き出した情報をフランスのシステムが読み取れず、国境では依然として紙の書類を手渡し、手入力で再登録するという非効率が常態化していました。

TAF-TSIは、こうした「情報のバベルの塔」を解消するために策定されました。これは、荷主から運送の依頼を受けてから、貨物が目的地に到着し、受領されるまでの全プロセス(ビジネス・プロセス)において、やり取りされるデータの項目、形式、順序、そして通信経路を厳密に定義したものです。

業務プロセスを規定するメッセージ群の詳細

TAF-TSIの真髄は、鉄道実務のあらゆる場面を想定したXMLベースの共通メッセージセットにあります。これらは単なる情報の羅列ではなく、次のアクションを誘発するトリガーとして機能します。

  • 列車編成報告(Train Composition Message): 列車の全長、総重量、ブレーキ性能、連結されている貨車の一覧(各車両番号)を網羅します。特に、欧州で厳格に管理されている「危険物(RID)」の積載位置や品目コードがデータ化されているため、トンネル進入時や国境通過時の安全確認が、システム上の自動照合だけで完結します。
  • 列車走行報告(Train Running Message): ある地点(地点コード)を列車が何時何分に通過したか、あるいは到着したかという実績データです。これが送信されることで、後続の駅や接続するトラックへの到着予測が自動的に更新されます。
  • 貨物運送状(Electronic Consignment Note): 従来の紙の運送状(CIM)をデジタル化したものです。税関手続きや支払処理に必要な情報が、貨物の物理的な動きに先んじて、あるいは同期して移動します。
  • 通信基盤:Common Interface(共通インターフェース)の構造

各事業者は自社のシステムを改修する際、このTAF-TSIに対応した「共通インターフェース(CI)」を導入します。これは、各社がバラバラなプロトコルで通信するのではなく、統一された暗号化と認証の下でデータを交換するためのゲートウェイです。

このCIを介することで、小規模な鉄道会社であっても、巨大な国営鉄道のシステムと対等に、かつ低コストでデータをやり取りできるようになりました。これは、インフラ管理者(IM)が中立的に提供するデジタル・インフラの一部であり、市場参入の障壁を情報の面から取り除く、公務員や政策担当者にとっても極めて重要な施策です。

参照データの標準化:ロケーションコードと車両DB(ERADIS)

データ形式を揃えるだけでなく、データの中身(マスターデータ)の統一も徹底されています。

  • 地点コード(Primary Location Codes): 欧州全域の全ての停車場、分岐点、ターミナルに、重複のない一意のコードが付与されています。これにより、言語の壁を越えて地点を特定できます。
  • 車両データベース(ERADIS:European Railway Agency Database for Interoperability and Safety): 全ての貨車に付与された12桁の車両番号をキーに、その車両の積載可能重量、所有者、最終検査日、認可された走行可能範囲などを即座に参照できます。

このマスターデータの統合により、国境での「この貨車は自国のレールを走らせても安全か」という確認作業が、物理的な検査からデータベースの照会へと置き換わりました。

デジタル化の強制力とガバナンス:ERAの役割

TAF-TSIが単なる推奨規格に終わらず、実効性を持っているのは、それがEU法(指令)に基づく法的な義務であるためです。欧州鉄道庁(ERA:European Union Agency for Railways)がこの規格の番人となり、各国のシステムが正しく規格に準拠しているかを厳格に監視しています。

新しい車両を導入したり、大規模なシステム更新を行ったりする際には、このTAF-TSIへの適合証明が必須となります。また、前述のCEF(欧州連結ファシリティ)による補助金を受ける際も、この規格に準拠したデジタル実装が採択の要件となることが多く、アメ(補助金)とムチ(法規制)の両面から普及が強力に推進されています。

実務的な課題:レガシーシステムとの共存

もちろん、課題も存在します。古くから鉄道を運営している大規模な事業者ほど、過去数十年にわたって構築された独自のレガシーシステム(旧来のシステム)を抱えています。TAF-TSIへの完全移行には膨大なコストがかかるため、現在は「コンバータ(変換機)」を用いる手法が一般的です。

自社内では従来のデータ形式を使いつつ、外部(他国や他社)との通信の出口でTAF-TSI形式に変換する仕組みです。しかし、これではデータの微細なニュアンスが欠落したり、リアルタイム性が損なわれたりするリスクがあるため、欧州委員会は現在、クラウドネイティブな共通プラットフォームへの直接移行をさらに促しています。

まとめ:データという名の「見えないレール」

第5回の要旨は、TAF-TSIという共通規格が、欧州全域に「データという名の見えないレール」を敷いたということです。物理的なレール(第2回)がつながり、組織(第3回)や窓口(第4回)が統合されても、システムが共通の言語で語り合えなければ、物流は分断されたままです。

TAF-TSIによる情報の同期が実現したことで、初めて欧州鉄道は、国境を意識させない一つの巨大な、自律的に動く物流機械としての体をなすことができました。この「データの相互運用性」という考え方は、日本が目指す物流DXやフィジカルインターネットの実装において、各事業者のシステムをいかにして一つの大きなOSのように連携させるかという問いに対する、極めて示唆に富む先行事例です。

出典:

  • Commission Regulation (EU) No 1305/2014 on the technical specification for interoperability relating to the telematics applications for freight subsystem of the rail system in the European Union.
  • European Union Agency for Railways (ERA): TAF-TSI Technical Documents and Implementation Guides.
  • RailNetEurope (RNE): TAF-TSI Implementation Tools and IT Solutions.
  • Shift2Rail Joint Undertaking: Digitalisation of rail freight through TAF-TSI (Project Report).

第6回:TIS(列車情報システム)とETA(到着予測)の高度化

欧州を跨ぐ数千キロの輸送において、荷主が鉄道を敬遠する最大の理由は「不確実性」でした。かつて、一度国境を越えた列車が今どこにいるのか、予定通り着くのかを知る術は極めて限られていました。この情報の空白を埋め、鉄道に「トラック並みの透明性」をもたらしたのが、TIS(列車情報システム:Train Information System)です。

TIS:欧州全域の動態データを統合するプラットフォーム

TISは、欧州の主要なインフラ管理者(IM)が結成した組織であるRailNetEurope(RNE)によって運営されている、国際的なリアルタイム運行監視システムです。このシステムの画期的な点は、各国のIMが独自に運用している国内運行管理システム(TMS)のデータを、第5回で解説したTAF-TSIの規格に基づいて吸い上げ、一つの地図上に統合したことにあります。

現在、欧州20カ国以上のIMがTISに接続しており、国際貨物列車のほぼ全ての動態が網羅されています。利用者は、自分の貨物が積載された列車番号を入力するだけで、国境を越えて刻々と更新される現在地を確認できます。これは単なる「位置の表示」にとどまらず、列車種別、遅延の理由、担当する運行会社(RU)などの属性情報も紐付けられており、物流実務における高度な動態管理を可能にしています。

信号データとGPSのハイブリッドによる高精度な位置把握

TISの情報信頼性の根担は、GPSによる位置情報と、各国の鉄道信号システムが発する「列車の占有情報(実績データ)」を組み合わせた点にあります。

  • 信号の実績データ: 列車がある信号区間(閉塞区間)を通過したり、駅に到着・出発したりするたびに、地上のセンサー(車軸計数器や軌道回路)が検知し、そのデータが各国のIMのシステムに送られます。TISはこの生データをミリ秒単位で受信し、あらかじめ登録されている列車番号と紐付けます。これにより、GPS信号が届かない長いトンネル内や深い山間部であっても、列車がどの地点を何時何分に通過したかを、誤差数秒レベルで把握することが可能になりました。
  • GPSの補完: 多くの機関車にはGPS受信機も搭載されており、駅間でのより詳細な位置把握に利用されます。

この「地上のインフラから得られる確かな証跡」が、情報の信頼性を担保しています。既存の安全確保用インフラから得られる副産物を、物流の付加価値へと転換した優れた事例と言えるでしょう。

ETA(到着予測時刻)の高度化:遅延の波及を計算するアルゴリズム

単に現在地がわかるだけでは、物流の実務としては不十分です。荷主が真に求めているのは「最終的な到着時刻」です。TISは、単なる動態表示から、高度なアルゴリズムを用いたETA(到着予測時刻)の算出へと進化を遂げています。

欧州の鉄道網は極めて複雑に絡み合っています。ある区間での遅延は、単にその列車の到着を遅らせるだけでなく、単線区間での行き違いや、後続列車の待避設定、さらには運転士の拘束時間(乗務員交代)に連鎖的な影響を及ぼします。TISのETAエンジンは、以下の要素をリアルタイムで計算に組み込みます。

実績ベースの走行速度(Historical Data): 過去の同様の天候や時間帯、条件下での平均走行速度を反映させます。
国境での滞留時間実績: 各国境駅における平均的な書類審査や機関車交換にかかる時間を、直近の実績から動的に算出します。
ダイヤの制約と優先順位: 進行方向にある旅客列車の優先枠や、計画された保守工事による徐行区間の情報を、第4回で紹介したPCS(パス・コーディネーション・システム)からリアルタイムで取得します。

遅延の伝播シミュレーション: 前方で発生した遅延が、対象の列車にいつ、どの程度の待ち時間を生じさせるかの因果関係をシミュレートします。
このようにして算出されたETAは、15分から30分おきに自動更新され、荷主やロジスティックパーク、積み替えターミナルの担当者に即座に共有されます。

情報の同期がもたらす現場の生産性向上

正確なETAがもたらす最大の恩恵は、積み替え拠点における「作業の同期」です。これは第1回で述べた物流の効率化が、情報の透明性によって現場レベルで達成されている姿です。

鉄道貨物の弱点は、列車が着いてからトラックへの積み替えが始まるまでの「待機時間」にありました。しかし、TISによって正確なETAが共有されることで、ターミナルのクレーンオペレーターや、接続するトラックのドライバーは、列車の到着に合わせて人員や機材を配置できます。

列車の遅延が数時間前に予見できれば、接続トラックの集荷時間を事前に遅らせ、ドライバーの無駄な拘束時間を削減することも可能です。逆に、予定より早く着くことがわかれば、作業の前倒しを行うこともできます。この情報のバトンが物理的な貨物の動きに先んじて届くことで、マルチモーダル輸送全体の同期が初めて可能になるのです。

データ提供の民主化と市場開放への貢献

TISのもう一つの重要な側面は、データの利用権がオープンであることです。特定の巨大企業だけでなく、TAF-TSIに準拠したシステムを持つ中小の鉄道会社や、認可を受けた荷主であれば、等しくこのリアルタイム情報にアクセスできます。

これにより、自前の高価な監視システムを持たない小規模な鉄道事業者であっても、欧州全域を股にかけた高度な運行管理が可能となりました。IMが中立的にデータを公開する「データプロバイダー」としての役割を果たすことで、新規参入企業の競争力を高め、市場全体の活性化を図っているのです。これは、デジタル化を通じた「公正な競争環境の整備」という、行政側にとっても極めて重要な役割の一環です。

課題と次世代への取り組み:AIによる学習型ETA

もちろん、課題も存在します。各国によって信号システムの密度が異なるため、情報の更新間隔にばらつきが生じることがあります。また、極端な悪天候や大規模な事故が発生した際、既存のアルゴリズムでは想定外の事態に対応しきれず、予測精度が一時的に低下する場面も見受けられます。

これに対し、現在では機械学習(AI)を用いた「学習型ETA」の導入が進められています。過去数年分の膨大な運行データから「この場所で、この時間帯に遅延が発生した際、最終的にどう収束するか」というパターンをAIに学習させ、予測精度をさらに高める試みが続けられています。

まとめ:透明性が鉄道を計算可能な手段に変える

第6回の要旨は、TISという「視覚システム」が、鉄道輸送を不透明なブラックボックスから、信頼性の高い「計算可能なロジスティクス」へと変貌させたということです。

信号データという物理的な証跡をベースに、高度なアルゴリズムでETAを算出し、それを全プレイヤーで共有する。この透明性こそが、荷主が安心して鉄道に貨物を預けるための、最大の心理的・実務的担保となっています。欧州の事例は、物理的なインフラ整備と同じくらい、その動きを可視化するデジタル・インフラの整備が重要であることを教えてくれます。

出典:

  • RailNetEurope (RNE): Train Information System (TIS) User Guidelines and Technical Specifications.
  • European Commission: Handbook on the implementation of the TAF TSI for RU and IM.
  • International Union of Railways (UIC): Digital Platform for Rail Freight Data Exchange.
  • Shift2Rail Joint Undertaking: Final Report on Advanced Travel Information Systems (ATIS).

第7回:RIS(河川情報サービス)と欧州水運のデジタル・ハイウェイ

鉄道と水運という二つの巨大な幹線が交わる場所、それが内陸港です。欧州では、たとえ小規模な内陸港であっても、船のすぐ脇まで線路が引き込まれ、クレーンが船と貨車を直接結ぶ光景が当たり前のように見られます。第7回では、水の幹線を支えるRIS(河川情報サービス)と、港湾における鉄道接続の核心である「オン・ドック・レール」の仕組みを詳述します。

欧州のモーダルシフト戦略において、内陸水運は最も低コストで、環境負荷が低い輸送モードとして重用されています。EU全体の貨物輸送における内陸水運のシェアは約6%ですが、ライン川流域などの主要回廊に限れば、そのシェアは40%を超える区間もあり、特にコンテナやばら積み貨物の長距離輸送において圧倒的な存在感を示しています。

RISの定義と4つの柱

内陸水路には鉄道のような固定されたレールや信号機がなく、水位の変動や霧といった自然環境の影響をダイレクトに受けます。こうした不確実な環境下で、全長100mを超える自航船や、複数の台船を連結したプッシャー・バージを安全かつ計画的に運航させるためのデジタル基盤が、RIS(河川情報サービス:River Information Services)です。

RISは、2005年のEU指令(Directive 2005/44/EC)によって法制化された情報サービス体系であり、以下の4つの主要なサービスを統合したパッケージとして機能しています。

  • フェアウェイ情報(Fairway Information): 航路の物理的状況を提供します。現在の正確な水位、橋の下の桁下高、閘門の稼働状況や、臨時の航路制限情報などが含まれます。
  • 交通情報(Traffic Information): 周辺を航行する他船の動静を知らせます。衝突回避のための戦術的情報と、全体の交通流管理のための戦略的情報に分かれます。
  • 災害軽減情報(Calamity Abatement): 事故発生時の緊急通報と、積載されている危険物情報の即時共有を行い、被害を最小限に食い止めます。
  • 物流支援情報(Information for Logistics): 港湾ターミナルや荷主に対して、正確な到着予測(ETA)を提供し、陸上輸送とのスムーズな接続を支援します。

鍵となる技術:内陸AISと電子航海図の統合

RISを支える技術的バックボーンの一つが、内陸AIS(自動識別装置)です。海上のAISを内陸水路向けに高度化したもので、自船の識別番号、位置、進路、速力に加え、船体のサイズや喫水、さらには欧州特有の右側通行合図の掲揚状況までをデジタル信号で発信します。

このAISデータが、内陸ECDIS(電子航海図)上にリアルタイムで投影されます。船長はレーダー映像に重畳された周辺船の動きと、現在の正確な水位データを参照しながら、夜間や霧の中でも安全に航行することができます。公務員の視点で見れば、これは目に見えない航路をデジタル上で可視化し、安全基準を平準化する公共サービスと言えます。

零細事業者を支えるデジタル・ガバナンス

欧州の内陸水運業界の大きな特徴は、事業者の規模が極めて小さい点にあります。業界の8割以上がいわゆるオーナー船主であり、1隻の船を家族で運営しているケースも珍しくありません。

このような小規模事業者が、最新のデジタル規制に対応するのは容易ではありません。そのため、EUや各国政府は、内陸AISや電子航海図などの機材導入に対して手厚い補助金を支給しています。また、RISのインターフェースを極力シンプルにし、スマートフォンやタブレットからでも容易に情報の入力・閲覧ができるよう配慮されています。これは、デジタル化を特定の巨大企業の利便性のためではなく、業界全体のレジリエンスを高めるための公共インフラとして捉えている証です。

自然の猛威:渇水と洪水へのデジタル対応

内陸水運にとって最大の弱点は、気候変動に伴う水位の極端な変動です。近年の欧州では、夏季の深刻な渇水や、激しい集中豪雨による洪水が頻発しています。

  • 渇水の影響: 水位が下がると、船は座礁を避けるために積載量を減らさざるを得ません。通常ならコンテナを3段積める船が1段しか積めなくなり、輸送コストが急騰します。
  • 洪水の影響: 水位が上がりすぎると、橋の下を通過できなくなり、航路全体が封鎖されます。

RISは、これらの事態に対して予測機能で応えています。上流の降雨量やダムの放流計画、最新の気象データから数日後の水位を予測し、船主に対してあと何トンまでなら安全に積めるかという指針を提示します。荷主はこの予測に基づき、事前に鉄道やトラックへの代替手配を検討することが可能になります。

内陸港の高度化:オン・ドック・レール(On-Dock Rail)による直結

欧州の内陸港がモーダルシフトの結節点として機能している最大の理由は、オン・ドック・レール(On-Dock Rail)の徹底した整備にあります。これは、港湾の岸壁(ドック)のすぐ脇まで鉄道線路を引き込み、船舶から荷揚げした貨物をトラックによるシャトル輸送を挟まずに、直接鉄道貨車へと載せ替えるインフラ形態を指します。

大規模なハブ港はもちろん、ライン川やドナウ川沿いの比較的小規模な内陸港であっても、このオン・ドック・レールの思想が浸透しています。これにより、以下のような高度な連携が実現しています。

  • 積み替えコストの最小化: コンテナを一度地面に降ろしてトラックでヤードへ運ぶ手間を省き、ガントリークレーンが一連の動作で船から貨車へ、あるいは貨車から船へと貨物を移動させます。
  • リードタイムの短縮: RISから得られる船舶の動静データと、鉄道のTIS(第6回詳述)から得られる列車の運行データを港湾管理者が照合することで、船の到着に合わせて貨車を岸壁に配車し、即座に荷役を開始できます。
  • 小規模港の競争力: 設備がコンパクトであっても、線路が岸壁に直結していることで、周辺地域からの貨物を集約し、長距離鉄道網へと直接流し込むゲートウェイとして機能します。

このように、水上のデジタルデータ(RIS)と物理的な直結インフラ(オン・ドック・レール)が組み合わさることで、欧州の物流はモードの境界を感じさせないシームレスな運用を実現しています。

船位通報の電子化と閘門管理の最適化

河川を跨ぐ際、かつては各自治体や閘門の管理所ごとに、紙の書類や無線で積荷の内容を報告する必要がありました。RISでは、この手続きがERINOT(電子通報メッセージ)によって標準化されています。

船長が航海開始時に一度データを入力すれば、その情報は航路上の全ての閘門や港湾当局に自動的に転送されます。これにより、閘門の管理所は数時間前から接近する船の正確な位置と速度を把握でき、複数の船を効率よく閘門内に収める最適化配置が可能になりました。これは、鉄道のC-OSS(第4回)が走行枠を調整するように、水上の交通流をシステムで同期させる試みです。

物流の視点:信頼性の高い供給網への組み込み

RISの究極の目的は、内陸水運を信頼できる供給網の一部に組み込むことです。そのために最も重要なのが、正確なETA(到着予測時刻)です。
河川のETA算出は、鉄道よりも複雑です。船の推進力だけでなく、流速、水位による積載量の制限、閘門での待ち時間をリアルタイムで計算に組み込む必要があります。RISが提供する高精度なデータは、荷主やターミナルオペレーターに共有され、オン・ドック・レールを介した鉄道やトラックとのモード間接続をスムーズにします。

例えば、ライン川を遡上するコンテナ船のETAが遅れることがわかれば、内陸ターミナルでは、その船に積まれる予定だった貨物を待つ列車の出発時間を調整したり、緊急性の高い貨物のみをトラックへ切り替えたりといった、複数の輸送モードを動的に使い分ける高度な運用(第14回詳述予定)が可能になります。

まとめ:水上のデジタル・ハイウェイがもたらす競争力

第7回の要旨は、RISというデジタル・インフラが、自然の川を高度に制御された物流チャネルへと変貌させたということです。
物理的な航路整備には限界がありますが、情報の力で安全性を高め、不確実な自然現象を予測可能なリスクへと変えることで、内陸水運は強力な選択肢となりました。特にオーナー船主という零細事業者が主役の業界において、デジタル基準を平準化し、オン・ドック・レールのような鉄道連携インフラを小規模な港にも備える欧州のアプローチは、物流全体の持続可能性を支える重要な柱となっています。

出典:

Directive 2005/44/EC on harmonised river information services (RIS) on inland waterways in the Community.
Central Commission for the Navigation of the Rhine (CCNR): Annual Report on Inland Navigation in Europe.
European Commission: NAIADES III: Boosting future-proof European inland waterway transport (2021).
PIANC: RIS Guidelines and Recommendations for Inland Navigation.

第8回:内陸港(インランド・ポート)の戦略的ハブ機能

鉄道と水運という二つの巨大な幹線が交わる場所、それが内陸港(インランド・ポート)です。欧州の物流において、これらの港は単なる「貨物の積み替え場所」ではなく、輸送モード間の速度差や規格差を吸収し、物流全体の流動性を最適化する「知能」を備えた戦略的ハブへと進化しています。第8回では、TEN-T(欧州広域輸送ネットワーク)の心臓部として機能する内陸港の物理的・機能的実態を詳述します。

欧州の強力な脱炭素政策が実効性を持っているのは、内陸部に点在する港が「モード転換の触媒」として機能しているからです。ライン川やドナウ川沿いの主要都市にある内陸港は、第7回で述べたRIS(河川情報サービス)と、第6回で詳述した鉄道のTIS(列車情報システム)が物理的に結合する現場であり、モーダルシフトを「日常のビジネス」へと昇華させる舞台となっています。

インランド・ポートの定義と欧州における役割の再定義

欧州における内陸港は、かつての「川沿いの倉庫群」という姿から、高度な「内陸物流プラットフォーム」へと変貌しました。現在、EUの政策指針において内陸港が担うべき役割は、以下の三つの機能によって定義されています。

  • マルチモーダル接続の保証: 船舶(内陸船)、鉄道、トラックの三つのモードが、最短距離で、かつ効率的に接続されていること。
  • 付加価値サービス(VAS)の集積: 単なる積み替えだけでなく、コンテナの検品、修理、洗浄、あるいは簡易的な加工やクロスドッキング(第12回詳述予定)を行う能力を備えていること。
  • デジタル・インターフェース機能: 港湾管理者が各モードの動静を把握し、荷主や運送事業者に対して最適な「モードの組み合わせ」を提示できる情報のハブであること。

例えば、欧州最大の河川港であるドイツのデュイスブルク港(Duisport)は、20以上のターミナルを有し、年間数百万TEUのコンテナを処理します。ここはもはや単なる港ではなく、中国からの国際貨物列車(中欧班列)の終着駅の一つであり、ライン川の船舶ネットワークと欧州全域の鉄道網を直結する巨大な「物流の指揮所」として機能しています。

オン・ドック・レール(On-Dock Rail):物理的直結の思想

欧州の内陸港における最大の物理的特徴は、オン・ドック・レール(On-Dock Rail)の徹底した実装です。これは、岸壁(ドック)のクレーンが稼働するすぐ脇まで鉄道の線路を引き込み、船舶と貨車を「物理的な距離ゼロ」で接続する構造を指します。

このインフラ形態がもたらす具体的メリットは、物流コストと環境負荷の両面で極めて劇的です。

  • 二重荷役の完全な解消: 通常、港に届いたコンテナは一度地面に降ろされ、トラック(シャトル)で離れた場所にある鉄道ヤードへ運ばれます。オン・ドック・レールでは、ガントリークレーンが船舶から吊り上げたコンテナを、そのまま隣接する列車の貨車に直接載せ替えます。この「一動作」でのモード転換が、荷役コストを大幅に引き下げます。
  • ターミナル内「脱トラック」の実現: トラックによる構内輸送を排除することで、ディーゼル車両の走行を抑制し、荷役プロセスのCO2排出量を最小化します。
  • リードタイムの圧縮と定時性: 構内の渋滞リスクがなくなるため、第6回で述べた鉄道のETA(到着予測)に合わせた精密な荷役スケジュールが組めるようになります。

小規模な内陸港においても、このオン・ドック・レールの思想が浸透していることが、欧州全域でのモーダルシフトを容易にしています。日本の政策担当者の視点で見れば、港湾整備予算を「岸壁」という単体施設ではなく、「そこへ至る鉄道引き込み線」とセットで「一つの荷役ユニット」として投資することの重要性が、欧州の事例から読み取れます。

港湾管理者の能動的役割:中立的なコーディネーター

欧州の内陸港では、港湾管理者(Port Authority)の役割が非常に能動的です。彼らは単に土地を貸し出す大家(ランドロード)ではありません。中立的な立場から物流の効率を最大化する「マッチメイカー」として振る舞います。

特に、第7回で触れたオーナー船主のような小規模な運送事業者が、内陸港を使いやすくするための環境整備が重視されています。自前のターミナルを持てない零細事業者であっても、港湾管理者が整備した共通のクレーンやITシステムを、透明性の高い公平な料金で利用できる「共同利用(パブリック・アクセス)」の権利が法的に保証されています。

これにより、特定の巨大資本に依存しない、多様でレジリエントな物流エコシステムが保たれています。公務員の役割は、こうした公平な競争環境を監視し、インフラの利用効率を最大化することに置かれています。

拡張ゲートウェイ(Extended Gateway)としての戦略的機能

内陸港は、ロッテルダムやアントワープといった大規模な海上港からの貨物を一次的に受け止める「拡張ゲートウェイ(Extended Gateway)」としての重要な任務を担います。

現代の欧州物流では、海上港周辺の極度なトラック混雑と環境悪化を避けるため、貨物をできるだけ早く「水路」または「鉄道」に載せ替え、大陸内部の内陸港まで運ぶ戦略が取られています。この際、内陸港は単なる中継点ではなく、実質的な「港の機能の延長線」として働きます。

  • ハブ・アンド・スポークの形成: 海上港から内陸船や長編成の列車でまとめて内陸港(ハブ)まで運び、そこから周辺地域へはトラックや短編成の列車(スポーク)で配送します。
  • バッファ機能の提供: 海上コンテナが集中した際、高価な海上港のヤードではなく、比較的コストの安い内陸港のヤードで貨物を一時保管し、荷主の希望に合わせて配送タイミングを調整する「調整弁」の役割を果たします。

この機能を支えるのが、第10回から詳述する「保税機能」の連動です。内陸港を通関の終着点と見なすことで、海上港での滞留を劇的に減らすことが可能になっています。

インランド・ポートの知能化:情報の統合による待機時間の削減

第8回において特筆すべき進化は、情報のハブとしての機能です。欧州の内陸港では、RIS(水路)とTIS(鉄道)のデータを港湾管理者が一元的に参照し、物理的な荷役をデジタルで制御しています。

具体的には、以下のような高度な運用がなされています。

  • 動的な荷役スケジューリング: 船舶のETAが第7回で述べた渇水や閘門の混雑で遅れた場合、その情報を即座に鉄道運行会社へ共有し、貨車の手配タイミングを自動的に後ろ倒しにします。
  • ヤード配置の最適化: 出発する列車の貨車の順番(第5回の列車編成報告)を事前に把握し、クレーンが最も動きやすい位置にコンテナを事前に配置(リシャッフル)しておきます。
  • 情報の民主化: 小規模な荷主や運送事業者に対しても、港の混雑状況や機材の稼働予定をオープンに提供し、彼らが無駄な待機時間を発生させないよう配慮しています。

持続可能な都市との共生:グリーン・ターミナルの実装

内陸港は多くの場合、歴史的に都市の中心部や居住区の近くに位置しています。そのため、環境負荷の低減は港の存続に関わる死活問題です。欧州では、知能化と並行して「グリーン・ターミナル」化が強力に進められています。

  • 荷役機材の電動化: ガントリークレーンやリーチスタッカーの電動化が進み、深夜の荷役作業における騒音と排ガスの問題が解決されつつあります。
  • 陸電供給設備(OPS)の整備: 停泊中の船舶がエンジンを止めても船内電力を確保できるよう、岸壁に電源を供給する設備です。これにより、港周辺の大気汚染を劇的に抑制しています。
  • ゼロエミッション・ハブ: 港の広大な倉庫の屋根に太陽光パネルを設置し、ターミナル内で消費する電力を自給自足する試みが、EUの補助金(CEF)の重点対象となっています。

まとめ:物流の「結び目」を強く、賢くする

第8回の要旨は、内陸港が「水・陸・データ」の三位一体を実現する、物流網の最も重要な結節点であるということです。

オン・ドック・レールという物理的な直結インフラ、RISとTISから流れてくる動的なデータ統合、そして中立的なコーディネーターとしての港湾管理。これらが揃うことで、内陸港は単なる貨物の通過点から、物流の「質」と「速度」を制御する知能を持ったハブへと進化しました。この結節点が強固で賢いからこそ、欧州のモーダルシフトは「輸送手段の変更」というレベルを超え、社会全体のインフラを使い倒す「フィジカルインターネット(第15回詳述予定)」への道を切り拓いています。

公務員の皆様にとって、この内陸港の事例は、既存のインフラをデジタルと物理的な再配置によっていかに「再定義」し、地域の産業基盤として再生させるかという問いに対する、極めて具体的な処方箋となるはずです。

出典:

  • European Federation of Inland Ports (EFIP): Strategic Position Paper on the Revision of the TEN-T Guidelines (2022).
  • Central Commission for the Navigation of the Rhine (CCNR): Annual Report on Inland Navigation in Europe – Market Observation and Analysis.
  • European Commission: Study on the implementation and functional efficiency of Inland Ports within the TEN-T Corridors (2023)
  • World Bank: The Integrated Inland Waterway Transport System in Europe: Best Practices and Strategic Directions.

第9回:ポート・コミュニティ・システム(PCS)と物流事業者の連携

第8回で解説した内陸港の物理的な効率性は、情報の非対称性が解消されて初めてその真価を発揮します。欧州の主要な港湾で導入されているPCS(ポート・コミュニティ・システム)は、港湾に関わる全ての民間事業者と公的機関を結ぶ単一の電子プラットフォームです。これは単なる掲示板やデータベースではなく、物流の各工程で発生する「情報のバトン」を、標準化されたデータとしてリアルタイムに受け渡すための高度な情報交換基盤です。

PCSのガバナンス:中立性と公共性を担保する運営体制

PCSの最大の特徴は、その運営の中立性にあります。物流業界には、巨大な船社やフォワーダーが存在しますが、特定の企業がシステムを支配してしまえば、データの独占や中小事業者の排除に繋がりかねません。そのため、欧州では以下のようなガバナンスが構築されています。

  • 所有と運営の分離: 多くのケースで、港湾局(Port Authority)がインフラとしてPCSを所有しつつ、実際の運用や開発は、港湾利用者である船社、運送人、倉庫業者などの業界団体が出資して設立した非営利組織や、中立的な第三者機関が担う「官民連携(PPP)」モデルが採用されています。
  • 利害関係者の網羅: 利用者は民間事業者(船舶代理店、鉄道運行会社、トラック事業者、ターミナルオペレーター等)だけでなく、公的機関(税関、検疫、警察、港湾当局)まで多岐にわたります。
  • サブスクリプション型の普及: クラウドベースのSaaS(Software as a Service)形式で提供されることが多く、中小のオーナー船主であっても、月額の定額料金や一件ごとの安価な手数料で、大手企業と対等なデジタルツールを利用できる環境が整えられています。

国際基幹港におけるPCSの極致:ロッテルダム港「Portbase」

PCSの威力を知る上で、欧州最大の海上ハブであるオランダ・ロッテルダム港の「Portbase(ポートベース)」は外せません。ここでは、年間1,500万TEU近いコンテナが、PCSを介して極めて精密に管理されています。

  • 海上と内陸のシームレスな接続: 海上コンテナ船がロッテルダムに接岸する数日前から、PCS上にはその船に積載されている数千個のコンテナの詳細データが、第5回で述べた標準規格でアップロードされます。
  • 事前通関の自動化: 税関は、貨物が港に到着する前にPCS上でリスク審査を完了させます。これにより、貨物が船から降ろされた瞬間に「輸入許可」が下りる仕組みが構築されており、港湾ヤードに貨物が滞留することを物理的に防いでいます。
  • 予測に基づくリソース配置: ポートベースは、鉄道のTISや水路のRISとも連携しています。ターミナルオペレーターは、次に到着する列車の編成や、内陸船の正確なETAをPCS上で確認し、クレーンの稼働スケジュールや作業員の手配を分単位で最適化します。

小規模な内陸水運港におけるPCS:地域経済のデジタル・ゲートウェイ

PCSは巨大港だけの特権ではありません。例えば、ライン川沿いの小規模な内陸港であっても、地域独自のPCS、あるいは広域的なPCSのネットワークに接続されています。これにより、たとえ職員が数名しかいないような小さな港であっても、国際物流の最前線に立つことができます。

  • ラストワンマイルの同期化: 小規模な内陸港では、到着する貨物に対してトラックの台数が限られていることが多々あります。PCSを通じて貨物の到着とリリースのタイミングを正確に把握することで、地域の運送事業者は無駄な空走を避け、効率的な集荷スケジュールを組むことが可能になります。
  • 「情報のシングル・ウィンドウ」による事務負担の軽減: 小さな港の管理者は、PCS一つを確認するだけで、港内の在庫、入港予定、税関の許可状況を全て把握できます。これにより、煩雑な事務作業から解放され、荷役の安全管理や顧客対応にリソースを集中させることができます。
  • 地域間連携: 隣接する内陸港同士がPCSで繋がることで、ある港が混雑している際に、近隣の別の港へ内陸船を誘導するといった、広域的な交通流管理(シンクロモーダルへの布備)が行われています。

コンテナ輸送の前後工程を最適化する「データのバトンパス」

PCSは、コンテナの「物理的な移動」に先んじて「情報の移動」を完了させることで、工程間の空白時間をゼロにします。

  • リリースプロセスの自動化: 従来、輸入コンテナを引き取るには、船社からの引き渡し指示書(D/O)や運賃の支払い証明を紙でやり取りする必要がありました。PCSでは、これらのフラグがシステム上で「済」になった瞬間に、トラック運転手のスマートフォンアプリへ自動的にピックアップのQRコードが配信されます。
  • 空コンテナの再利用(リユース): 荷揚げ後の空コンテナを海上港へ戻すのではなく、同じ地域内で輸出貨物を抱えている別の荷主へPCS経由でマッチングさせる試みも行われています。これにより、内陸と海上港を往復する無駄なトラック走行を削減し、第1回で述べた環境負荷低減を実現しています。

中小事業者へのエンパワーメント:デジタル格差の解消

第7回で述べた通り、欧州の内陸水運は零細なオーナー船主によって支えられています。彼らにとって、数千万円もする自社システムを構築するのは不可能です。しかし、PCSが「公共のデジタル・インフラ」として提供されているおかげで、彼らは使い慣れたタブレット一つで、巨大物流企業と同じ精度の情報を受け取り、国境を越えた複雑な輸送に従事することができます。

これは、公務員の視点で見れば、デジタル化を通じた「中小企業の保護」と「市場全体の底上げ」の両立です。EUや各国政府がPCSの構築やインターフェースの標準化に補助金を出すのは、それが自由で公正な競争を維持するための最低限の基盤(デジタルな水平線)であると考えているからです。

信頼を担保するセキュリティとデータ・ガバナンス

多種多様なプレイヤーが参加するPCSにおいて、最もデリケートな問題は「商業情報の秘匿性」です。競合他社に自社の荷主情報や運賃が漏れることは許されません。

欧州のPCSは、厳格なロールベースのアクセス制御(RBAC)を採用しています。誰が、どのデータに、どのタイミングでアクセスできるかを厳密に定義し、操作ログを永続的に記録することで、データの「信頼の連鎖」を構築しています。また、サイバー攻撃から物流インフラを守るための高いセキュリティ基準(ISO/IEC 27001等)が、港湾全体のデジタル・レジリエンスを支えています。

まとめ:デジタルの神経系が「一つの港」を作る

第9回の要旨は、PCSというデジタルの神経系が、分断されていた各プレイヤーの動きを統合し、港湾全体を「一つの最適化された組織」のように機能させているということです。

国際基幹港における大規模な自動化から、小さな内陸港における事務の合理化まで、PCSが果たす役割は極めて多角的です。情報のシングル・ウィンドウ化による事務の削減、リアルタイムな動態共有によるモード間連携の深化、そして中小事業者を含めたコミュニティ全体の底上げ。PCSは、第8回で解説したオン・ドック・レールのような物理的なインフラの能力を120%引き出し、モーダルシフトを実務レベルで支えるソフト・インフラの核心です。

この情報のバトンが港のゲートを越え、真に国境を溶かすとき、次に必要となるのは「法的な障壁」の解消です。第10回からは、このデジタル化された情報の流れを、通関や検疫といった国境手続きにどのように接続し、「ストップレス・ボーダー」を実現しているのかを詳述します。

出典:

  • International Port Community Systems Association (IPCSA): White Paper on Port Community Systems and Global Trade Facilitation.
  • Portbase (Rotterdam): Annual Report and Technical Integration Guidelines.
  • European Commission: Digital Transport and Logistics Forum (DTLF) Subgroup on Data Sharing.
  • UN/CEFACT: Recommendation No. 33: Single Window Recommendation for international trade.

第10回:NCTSとEU保税運送(トランジット)の実務

欧州大陸を横断する貨物輸送において、最も恐ろしいのは国境での「足止め」です。たとえ関税同盟内であっても、非EU圏からの貨物(T1貨物)や、特定の管理が必要な貨物は、厳格な税関監視下に置かれます。この監視をデジタルで行い、物理的な国境検査を事実上ゼロにしたのが、NCTS(新電子通報システム:New Computerised Transit System)です。

トランジット(保税運送)の概念:国境で税金を払わない仕組み

通常、輸入貨物は国境(入港地)を越えた時点で関税や消費税を納付しなければなりませんが、これでは国境ごとにトラックが列をなし、物流が麻痺してしまいます。そこで活用されるのが「トランジット(保税運送)」という制度です。

これは、「国境では税金を払わず、最終目的地(内陸港や荷主の倉庫)で一括して通関手続きを行う」という仕組みです。NCTSは、この保税運送のプロセスを欧州35カ国以上(EU加盟国に加え、英国、トルコ、北欧諸国など)で完全に電子化したネットワークです。公務員の視点で見れば、これは「関税徴収権」を維持しつつ、物理的な貨物の移動を一切妨げないという、管理と効率の究極の両立を狙ったものです。

EU域内輸送と域外輸出入の「手続きの決定的な違い」

NCTSの役割を理解するためには、欧州における「域内」と「域外」の輸送手続きの差を整理する必要があります。

  • EU域内輸送(Union Goods): EU内で製造された貨物や、既に輸入通関を終えて「自由流通(Free Circulation)」状態にある貨物です。これらは、第1回で述べた単一市場の原則に基づき、税関手続きなしで国境を越えられます。第5回のTAF-TSIや第6回のTISだけで、物流管理は完結します。
  • EU域外からの輸入・域外への輸出(Non-Union Goods): 中国や日本、米国などから到着し、まだ関税が支払われていない貨物、あるいは英国やスイスなど「関税同盟外」へ向かう貨物です。これらは「T1(非域内貨物)」として、NCTSによる厳格なデジタル追跡が義務付けられます。

入港地のロッテルダムから内陸のスイスやオーストリアへ運ぶ際、その貨物が「域内品」なのか「域外品」なのかによって、デジタルの神経系(NCTS)が起動するかどうかが決まるのです。

NCTSの仕組み:情報のデジタル・チェイン

NCTSの運用は、貨物の動きと完全に同期したデジタル・メッセージの交換によって行われます。

  • 出発地での宣言(IE015): 運送人やフォワーダーは、出発地の税関(または認可された場所)で、貨物の内容、ルート、担保(税金の保証)情報をNCTSに入力します。
  • MRN(移動参照番号)の発行: システムから一意の識別番号であるMRNが付与されます。これが貨物の「デジタル・パスポート」となります。
  • 国境通過の自動記録: トラックや列車が物理的な国境を越える際、税関職員(または自動ゲート)がMRNをスキャンするだけで、貨物の通過が中央システムに記録されます。ここでは荷物を開けて検査することは原則ありません。
  • 到着地での通知(IE007): 目的地に貨物が着くと、到着地の税関へシステムを通じて通知が送られ、保税状態が解除されます。

認可発送人・受取人制度:港や倉庫を「税関」にする

NCTSの真価を発揮させているのが、民間事業者に一定の権限を与える「認可事業者制度」です。

  • 認可発送人(Authorised Consignor): 第9回で述べたPCSと連携し、自社の倉庫や港湾ターミナルでMRNを発行し、税関職員の立ち会いなしに保税運送を開始できる事業者です。
  • 認可受取人(Authorised Consignee): 税関の出張所へ行くことなく、自社施設で保税貨物を受け取り、NCTS上で運送を終了させることができます。

行政は物理的な検査にリソースを割く代わりに、システムのデータ整合性を監査することに注力し、物流のスピードを極限まで高めています。

鉄道・水運へのNCTSの実装と「一括担保」

NCTSは、鉄道貨物や内陸水運において特に強力な効果を発揮します。

  • 列車のマニフェスト転換: 第5回のTAF-TSIで作成された列車編成情報が、NCTSの保税データとして再利用されます。数百個のコンテナを積んだ一編成の列車が、一つのMRN、あるいは連結されたデータ群として管理されるため、国境駅での停車時間は数分間にまで短縮されました。
  • 一括担保(Comprehensive Guarantee): 保税運送中に貨物が紛失・盗難に遭った場合の関税を担保するため、事業者は事前に一定額を積み立てます。NCTSはこの担保残高をリアルタイムで管理しており、信用力の高い事業者は、個別の運送ごとに保証を立てる手間なく、スムーズに国境を越えることができます。

輸出入実務における「電子マニフェスト」の重要性

EU域外への輸出入では、NCTSだけでなく、ENS(入国概要宣言)やEXS(出国概要宣言)といった事前情報提供も重要です。

  • 輸入時: 貨物がEUの領土に入る数時間前までに、電子的に貨物情報を送信します。
  • 輸出時: NCTSで内陸から港まで保税運送された貨物は、港のPCS(第9回)を通じて「出国確認」がなされ、即座に輸出者に「輸出完了通知」が届き、消費税(VAT)の還付手続きが可能になります。

この「情報の再利用性」こそが、欧州物流の競争力の源泉です。一度入力されたデータが、保税、通関、還付といった異なる行政手続きにシームレスに流用されるため、事業者の事務負担は極限まで抑えられています。

まとめ:データが「物理的な障壁」を溶かす

第10回の要旨は、NCTSという共通の保税プロトコルが、欧州全域を「一つのシームレスな物流空間」へと作り変えたということです。

MRNによるデジタル追跡、域内・域外の明確な手続きの区分、そして認可事業者制度による手続きの分散化。これらが三位一体となることで、かつて数時間、数日を要した国境手続きは、今やミリ秒単位のデータ交換へと置き換わりました。物理的な国境線は地図上には残っていますが、物流の文脈においては、NCTSというデジタルの神経系によって完全に溶かされているのです。

出典:

  • European Commission: Union Customs Code (UCC) and the New Computerised Transit System (NCTS).
  • World Customs Organization (WCO): Transit Handbook – Establishing a Transit System.
  • DG TAXUD: NCTS Phase 5 Technical Specifications and Business Rules (2025/2026).
  • European Court of Auditors: Special Report on EU Customs Procedures and Transit.

第11回:検疫(SPS)と通関のデジタル統合(TRACESと税関の同期)

欧州連合(EU)にとって、域外から持ち込まれる病原菌や害虫は、単なる物流の遅延以上のリスクを意味します。ひとたび家畜伝染病や特定外来生物が侵入すれば、単一市場内の全農業・畜産業が壊滅的な打撃を受けるからです。しかし、これらを一つひとつアナログな書類で検査していては、生鮮食品のリードタイムは維持できません。このジレンマを解決したのが、情報の「事前審査」と「一元管理」を徹底したデジタル検疫の仕組みです。

TRACES(トレース):欧州の安全を守るデジタルの盾

TRACES(Trade Control and Expert System)は、EU域内へ輸入、または域内で流通する動物、植物、食品、および非動物由来の飼料などの安全性を監視するための多言語オンライン・プラットフォームです。

このシステムの画期的な点は、輸出国の生産者から、欧州の輸入港(国境検問所:BCP)、そして最終消費地の検疫当局までを一つのデータ・チェーンで繋いだことにあります。

  • CHED(共通衛生入場文書)の電子化: 輸入者は、貨物がEUに到着する前に、TRACES上で「CHED」と呼ばれる申告書を作成します。ここには、原産地、生産施設、輸送経路、および公的検査証明書のデータが紐付けられます。
  • リスクベースの自動スクリーニング: 貨物が到着する前に、システムが過去の違反履歴や現在の感染症発生状況と照らし合わせ、検査の優先順位(物理検査が必要か、書類審査のみで良いか)を決定します。

「検疫」と「通関」のデジタル同期:シングル・ウィンドウの実装

物流を停滞させる最大の原因は、異なる行政機関への「二重報告」と、その「処理待ち」にあります。欧州では、第10回で述べた税関システムと、このTRACESが「EUシングル・ウィンドウ環境(EU SWE)」を通じてデジタルで同期しています。

具体的には、以下のようなフローが実現しています。

  • 情報の自動照合: 税関システム(NCTS等)に提出された通関申告と、TRACESに提出された検疫申告が、バックグラウンドで自動的に照合されます。MRN(移動参照番号)などの共通キーにより、両者のデータが一致しているか瞬時に確認されます。
  • 検疫許可の自動通知: 検疫官がTRACES上で「合格」の判断を下すと、その情報は即座に税関システムに転送されます。税関は、検疫の合格を確認した瞬間に(人間が介在することなく)輸入許可を下すことが可能になります。
  • 「検査の同時実施」の調整: 物理検査が必要な場合でも、税関と検疫当局が同じ情報を共有しているため、同じ場所で、同じタイミングで立ち会い検査を行うスケジュール調整が可能となり、コンテナを開閉する回数を最小限に抑えています。

BCP(国境検問所)における効率化の実務

生鮮品を扱う物流事業者にとって、港や駅にあるBCPでの滞留は商品価値の低下に直結します。デジタルの同期により、現場では以下のような効率化が進んでいます。

  • 優先レーンの割り当て: 事前申告済みの貨物に対しては、到着時刻に合わせた検査スペースが予約されます。第8回・第9回で述べたPCS(ポート・コミュニティ・システム)との連携により、クレーンから降ろされたコンテナが直接、温度管理された検疫エリアへと運ばれます。
  • 電子証明書(e-Certification)の拡大: かつては輸出国が発行する「紙の衛生証明書」の原本が必要でしたが、現在では主要な貿易相手国との間で証明書の完全電子化が進んでいます。これにより、書類の紛失や偽造リスクが排除され、審査時間は数時間から数分へと短縮されました。

域内移動における「植物パスポート」とトレーサビリティ

一度EU域内に入った貨物は、第10回で述べた通り自由流通が原則ですが、検疫対象品については「植物パスポート(Plant Passport)」という仕組みで追跡が続けられます。

これは、特定の植物や木材製品に付与されるラベルで、TRACESのデータと紐付いています。万が一、域内で害虫が発見された場合、当局はTRACESを遡ることで、その個体が「いつ、どの港から入り、どの業者のトラックで運ばれ、どこで販売されたか」を数分以内に特定できます。この高度なトレーサビリティがあるからこそ、平時の国境検査を簡略化することが許容されているのです。

日本の政策担当者・公務員の視点:縦割りを超えたデータ連携

日本の検疫(動植物検疫)と通関(税関)も、NACCSを通じて一定の連携はなされていますが、欧州のTRACESと税関システムの統合レベルはさらに踏み込んでいます。

  • 法的根拠の統合: EUでは、検疫と通関のデータ共有を義務付ける「EUシングル・ウィンドウ規則」が法制化されており、技術的な連携だけでなく、行政組織間の壁を法的に取り払っています。
  • 公務員のリソース配分: デジタルによる事前審査が普及したことで、現場の職員は「怪しい貨物」の検査に集中できるようになりました。これは、限られた行政コストで最大の安全を確保するための、極めて合理的なリソース配分と言えます。

まとめ:安全を「速度」の言い訳にしない

第11回の要旨は、検疫という高度に専門的で厳格な手続きであっても、デジタル統合によって物流のスピードを損なうことなく遂行できるということです。

TRACESによる情報の事前捕捉、税関システムとのリアルタイムな同期、そして電子証明書によるペーパーレス化。これらが組み合わさることで、欧州の物流網は「安全」と「効率」という、本来相反する二つの目的を同時に達成しています。

安全は物流を止める理由ではなく、デジタルの力で「流しながら守る」もの。この思想の転換が、欧州の食卓を支えるサプライチェーンの強靭さを支えています。

出典:

  • Regulation (EU) 2017/625 on official controls and other official activities (Official Controls Regulation).
  • European Commission: TRACES (Trade Control and Expert System) Overview and User Guides.
  • Regulation (EU) 2022/2399 establishing the European Union Single Window Environment for Customs.
  • European Food Safety Authority (EFSA): Annual Report on the Operation of TRACES.

第12回:AEO制度とロジスティックパークの保税機能(Extended Gateway)

欧州の物流政策において、物理的な国境線や港のフェンスは、もはや「手続きを行う場所」としての意味を失いつつあります。その代わりに重要視されているのが、サプライチェーン上の「拠点」と「事業者」の信頼性です。信頼できる事業者が、セキュアな拠点で貨物を扱うのであれば、行政は港や国境での検査を省略し、内陸の深い場所まで貨物を「ノンストップ」で流すことを認めます。この高度な官民連携を支えるのが、AEO制度とエクステンデッド・ゲートウェイという概念です。

AEO制度:信頼をパスポートに変える

AEO(認定経済事業者:Authorised Economic Operator)制度は、税関手続の簡素化やセキュリティ管理の優良性を当局が認める制度です。これは日本にも存在する仕組みですが、欧州におけるAEOの運用は、より強力に「実務のスピード」と直結しています。

AEO資格を保有する事業者は、以下の法的な特典を享受できます。

  • 検査率の劇的な低減: 過去のコンプライアンス実績に基づき、物理検査や書類審査の対象になる確率が極めて低くなります。
  • 優先的な処理: 万が一、サンプリング検査対象に選ばれた場合でも、非AEO事業者よりも優先して検査を受け、即座に貨物をリリースさせることができます。
  • 申告項目の削減: 第10回で触れた事前入国申告(ENS)などの項目を一部簡略化し、事務コストを削減することが認められます。

AEO制度は「低リスクな貨物をデジタルで峻別し、高リスクな貨物の監視に行政リソースを集中させる」ための戦略的フィルタリング・ツールです。この制度があるからこそ、第9回で述べたPCSや第10回のNCTSによる自動処理が、安全性を担保したまま機能しています。

エクステンデッド・ゲートウェイ(Extended Gateway)の戦略

エクステンデッド・ゲートウェイ(拡張ゲートウェイ)とは、海上港(ロッテルダム、アントワープなど)が、内陸の物流拠点(ロジスティックパーク)を「自港の岸壁の延長」として定義し、一体的に運営する戦略です。

通常、海上港に届いた貨物はその場で通関し、国内貨物として内陸へ運ばれます。しかし、これでは港のヤードがすぐに飽和してしまいます。エクステンデッド・ゲートウェイでは、貨物を港で止めず、第7回・第8回で述べた内陸船や鉄道を使い、未通関(保税状態)のまま内陸のハブ拠点まで一気に運びます。

この戦略を支えるのが、内陸拠点に付与された高度な「保税機能」です。内陸のロジスティックパークが税関から保税蔵置場としての認可を受け、そこに第10回で詳述したNCTSの認可受取人としての機能が備わることで、以下のメリットが生まれます。

  • 海上港の混雑解消: コンテナを船から降ろしてすぐに列車や船に積み替え、内陸へ逃がすことができます。
  • 荷主の利便性向上: 荷主は、自分の工場に近い内陸の拠点で、必要なタイミングで通関・引き取りを行うことができます。
  • シンクロモーダルの実現: 港と内陸拠点が「保税のパイプ」で結ばれているため、輸送モードの切り替えが自由自在になります。

欧州におけるロジスティックパークの実例

この「拡張された港」として機能するロジスティックパークは、欧州各地で産業の集積地となっています。代表的な二つの実例を見てみましょう。

① フェンロー(Venlo):オランダ・ドイツ国境のデジタル・ゲートウェイ

オランダ東部に位置するフェンローは、ロッテルダム港から鉄道や内陸船で運ばれてくる貨物の巨大な受け皿です。

  • 機能: 広大な保税蔵置場を備え、AEO認定を受けた多くのグローバル企業が物流センターを構えています。
  • 特徴: フェンローのターミナルは、ロッテルダム港のPCSと完全に同期しており、港にコンテナが着く前に、フェンロー側で鉄道貨車の手配

通関の事前準備が完了します。ここは、港から150km離れていながら、実質的には「ロッテルダム港の第5バース」のように機能しており、ドイツや中央欧州への配送拠点となっています。

② ヴロツワフ(Wrocław):東欧の製造・物流統合ハブ

ポーランド南西部に位置するヴロツワフのロジスティックパークは、欧州の東西を結ぶ幹線上にあり、製造業と物流が高度に融合しています。

  • 機能: 自動車部品や家電製品の原材料を「保税状態」で受け入れ、パーク内の工場や倉庫でキッティング(組み立て準備)を行い、製品として出荷する直前に輸入通関を行う、あるいはそのまま近隣諸国へ再輸出する。
  • 特徴: ここでは鉄道のインターモーダル・ターミナルがパーク内に直結しており、第10回で述べたNCTSを利用することで、ドイツやハンガリーとの国境を一度も止まらずに高速移動する貨物の結節点となっています。

ロジスティックパークにおける付加価値サービス(VAS)

実例に挙げたようなロジスティックパークは、単なる倉庫の集まりではありません。そこでは貨物の付加価値を高める高度な実務が行われています。

  • クロスドッキング: 複数のルートから届いた貨物を、配送先ごとに仕分け、保管することなく即座に出荷する作業です。
  • カスタマイズとラベル貼り: 輸入品に対し、配送先の国の言語に合わせたラベルを貼ったり、現地のコンセント形状に合わせた部品を同梱したりする作業を保税状態で行います。
  • 保税加工: 原材料の状態で保税運送し、パーク内で製品化してから輸入通関(納税)を行うことで、キャッシュフローを最適化する高度な税務管理が可能になります。

これらの作業は、第9回で詳述したPCSのデータと連動しており、どのコンテナがいつ開封され、いつ再出荷されたかが、当局のシステムからリアルタイムで監視されています。

信頼の空間:セキュア・サプライチェーンの構築

エクステンデッド・ゲートウェイが成立するためには、港から内陸拠点に至るまでの「経路」全体がセキュアである必要があります。

  • スマートシールの活用: コンテナに電子式のシールを装着し、GPSと連動させて経路逸脱や不正な開封を検知します。
  • 認定車両・認定運転士: 輸送を担うトラック会社や鉄道会社もAEO資格を有していることが望ましく、第9回で述べた「共通免許」や「デジタル・ログブック」によって、輸送の全プロセスの透明性が担保されています。

日本の地方公務員・政策担当者への示唆

欧州のエクステンデッド・ゲートウェイ戦略は、日本の物流課題に対しても以下の示唆を与えてくれます。

  • 港と内陸の「一体運営」: 港湾管理者と内陸の自治体が連携し、内陸拠点を「港の出張所」として位置づけること。
  • 保税機能の戦略的配置: 大規模なロジスティックパークの整備に合わせ、そこに税関の手続き機能をデジタルで持たせること。
  • AEO事業者の育成支援: 地元の物流事業者がAEO資格を取得できるよう、行政が研修や申請を支援し、地域全体の「信頼の質」を底上げすること。

まとめ:国境は「地点」から「プロセス」へ

第12回の要旨は、AEO制度とエクステンデッド・ゲートウェイによって、税関手続きという「国境の壁」が地点からプロセスへと昇華されたということです。

貨物をどこで止めて検査するかではなく、誰が、どのような管理のもとで運んでいるかをシステムが常時監視することで、物理的な停止を不要にする。この「見守る物流」への転換こそが、欧州全域を一つの巨大な工場、あるいは一つの巨大なスーパーマーケットとして機能させるための最終的な鍵です。

出典:

  • European Commission: Taxation and Customs Union – Authorised Economic Operator (AEO)
  • Port of Rotterdam: The Extended Gateway Concept and Inland Terminal Network.
  • World Customs Organization (WCO): SAFE Framework of Standards to secure and facilitate global trade.
  • European Logistics Association (ELA): Strategic Planning of Logistic Parks in Europe (2024).

第13回:スワップボディ(Swap Body)による域内輸送の革命

インフラとデータの統合が完了した欧州で、実際に貨物を運ぶ主役は、私たちがよく知る「海上コンテナ」ではありません。欧州域内の物流を劇的に効率化し、トラック・鉄道・水運の間を自由自在に行き来させているのは、スワップボディ(Swap Body)と呼ばれる、足のないコンテナです。第13回では、この欧州独自の物理規格がいかにしてモーダルシフトのハードルを下げ、リードタイムを短縮しているのか、海上コンテナとの決定的な違いを含めた運用実務に迫ります。

欧州の高速道路や鉄道ターミナルで最も頻繁に目にするのは、車体から切り離され、4本の細い脚で自立している箱です。これがスワップボディです。海上コンテナが「船(海運)」を基準に設計されているのに対し、スワップボディは「トラックの荷台(陸上輸送)」を基準に、パレット積載効率と荷役の柔軟性を最大化するために生まれました。

スワップボディの物理的特徴:海上コンテナとの構造的差異

スワップボディが欧州域内輸送の標準となった理由は、その絶妙なサイズ規格と、陸上輸送に特化した構造にあります。

  • パレット効率の最大化: 海上コンテナ(ISO規格)は船の倉口(セルガイド)に合わせるため、外幅が2.44mに制限されています。これに対し、スワップボディは欧州の道路運送規格いっぱいの2.55m(または冷温蔵用の2.6m)を確保しています。このわずか10数センチの差が、欧州標準のユーロパレット(800mm×1200mm)を無駄なく2列、あるいは横向きに3列並べることを可能にし、積載効率を海上コンテナより約10~20%向上させています。
  • 自立する「脚」: スワップボディの最大の特徴は、折り畳み式の4本の脚です。トラックの運転手は、車両のエアサスペンションで車高を下げ、スワップボディの下に潜り込み、車高を上げてロックするだけで、クレーンなどの重機を使わずに「箱」を積み替えることができます。
    カーテンサイダー構造: 海上コンテナは頑丈な鉄の箱ですが、スワップボディの多くはトラックの荷台と同様に側面がカーテン状に開きます。これにより、フォークリフトによる側方荷役が可能となり、倉庫での作業時間が大幅に短縮されます。

規格の共通性と独自性:海上コンテナとの比較

スワップボディと海上コンテナは、一見似ていますが、その取り扱い実務には大きな違いがあります。特に、インフラを共有するための「共通規格」と、陸上特化の「独自規格」を理解することが重要です。

項目 海上コンテナ (ISO) スワップボディ (CEN規格) 互換性・留意点
外幅 8フィート (2.44m) 2.55m / 2.6m スワップボディは陸上専用(船の倉口に入らない)
緊締装置 下部4隅ツイストロック 下部4隅ツイストロック 共通: トラックや貨車のロック位置は同じ
積み上げ段数 高強度(6~9段積可) 低強度(原則、積上不可) 独自: スワップボディはヤードで重ねられない
クレーン荷役 上部4隅スプレッダ 下部グラップル・アーム 独自: スワップボディは「下から掴む」必要がある
上部強度 非常に高い 非常に低い(屋根が軟質) スプレッダで上から吊り上げると破損する
側方荷役 不可(後方のみ) 可能(カーテンサイダー) 陸上倉庫のフォークリフト作業に最適化

スワップボディは「積み上げられない」という弱点がありますが、これは第8回で述べた内陸港の回転率を高めることでカバーされています。また、鉄道貨車やトラックのシャーシについては、ISOコンテナとスワップボディの両方を固定できるよう、ツイストロックの規格が完全に統一されています。

モードを跨ぐ「足のないコンテナ」の運用実務

スワップボディの本領は、異なる輸送モードを跨ぐインターモーダル輸送で発揮されます。第2回で述べたTEN-Tの規格統一により、スワップボディは以下のプロセスをシームレスに移動します。

  • ファーストマイル(トラック): 工場でスワップボディに荷物を積み込み、トラックが最寄りの鉄道ターミナルまで運びます。
  • ミドルマイル(鉄道・水運): ターミナルでは、第8回で述べたオン・ドック・レールのクレーンが、スワップボディの下部にある「グラップル・ポケット(掴み口)」にアームを差し込み、鉄道のコンテナ貨車や内陸船へと載せ替えます。
  • ラストワンマイル(トラック): 目的地のターミナルに到着したスワップボディを別のトラックが拾い上げ、最終配送先へと届けます。

この間、荷物は一度も箱の外に出ることはありません。この「ユニットロード化」が、積み替え時の破損リスクを低減し、第16回で詳述する責任の所在を明確にしています。

積載効率とリードタイムへのインパクト:具体的な数値

スワップボディの導入は、物流コストに直接的なインパクトを与えています。

  • パレット積載数の差: 典型的な13.6mのスワップボディ(カーテンサイダー型)は、34枚のユーロパレットを積載可能です。これは標準的な40フィート海上コンテナ(25〜30枚)を大きく上回り、一回の輸送で運べる荷物量を最大20%増加させます。
  • ドライバーの拘束時間削減: スワップボディの「ドロップ・アンド・フック(置き去りと拾い上げ)」運用により、運転手は荷役作業の終了を待つ必要がありません。ターミナルに箱を置いて次の箱を拾うだけなので、車両の稼働率は30%以上向上します。
  • 環境負荷の低減: 鉄道への載せ替えが容易なため、長距離(通常500km以上)の輸送を鉄道に委ねることで、トラック単独輸送に比べCO2排出量を最大60〜90%削減することが可能です。

日本の公務員・政策担当者への示唆:規格の力が市場を作る

日本でも31フィートコンテナなど、トラックの荷台に近いサイズの鉄道コンテナが存在しますが、欧州のスワップボディほど汎用的な「モード間共通言語」には至っていません。

  • 「箱」を基準としたインフラ整備: 欧州では、鉄道貨車も内陸船もトラックも、すべてが「スワップボディ(およびISOコンテナの両方)を運ぶこと」を前提に設計されています。
  • 自立脚による「待ち」の解消: 日本の深刻な2024年問題(トラックドライバー不足)に対し、重機不要で着脱可能なスワップボディの仕組みは、荷待ち時間の削減と中継輸送の実現に向けた強力な武器になり得ます。

まとめ:スワップボディは物流の「論理的単位」である

第13回の要旨は、スワップボディという物理規格が、欧州の複雑な輸送ネットワークを繋ぎ止める「接着剤」として機能しているということです。
パレット効率を追求したサイズ、クレーン不要の自立脚、そして全モード共通の緊締装置。これらが組み合わさることで、貨物はトラックから鉄道へ、鉄道から内陸船へと、あたかもインターネットのパケットのように軽やかに移動します。

この「足のないコンテナ」が、第14回で紹介するシンクロモーダル・オペレータたちの武器となり、第15回で解説するフィジカルインターネットの最小単位となっていくのです。

出典:

  • CEN (European Committee for Standardization): EN 283, EN 284 (Standardization of swap bodies).
  • UIRR (International Union for Road-Rail Combined Transport): 2024 Statistical Report on Combined Transport.
  • European Commission: Study on the combined transport market in the European Union (2023).
  • European Intermodal Association (EIA): Technical Comparison of Intermodal Loading Units.

第14回:シンクロモーダル・オペレータのビジネスモデル

スワップボディが内陸水運でも運ばれるという事実と、一方で「船の倉口に入らない」という構造的制約は、一見矛盾するように見えます。しかし、これこそが欧州の内陸船(Barge)の設計と運用の妙です。スワップボディという物理的な柔軟性と、これまでに見てきたデジタルの神経系を使いこなし、荷主に対して「到着時間」と「環境負荷」という結果をコミットする。第14回では、欧州の物流市場においてゲームチェンジャーとなっている「シンクロモーダル・オペレータ」の高度な実務とビジネスモデルを、ContargoやHupacなどの事例を交えて詳述します。

シンクロモーダルとは、従来の「インターモーダル(複数のモードを組み合わせるが、ルートは固定)」の一歩先を行く概念です。荷主が輸送モードを指定するのではなく、オペレータがその時々の最適解(コスト、時間、CO2排出量)に基づき、運行の直前や輸送の途中であっても動的にモードを切り替える形態を指します。

スワップボディと内陸船:物理的な制約を運用で超える

第13回で触れた「スワップボディは船の倉口(セルガイド)に入らない」という課題について、実務的な解決策をより深く掘り下げます。

  • 海上船と内陸船の構造差: 海上コンテナ船は、荒天時の荷崩れを防ぐために強固な垂直レール(セルガイド)でコンテナを固定します。スワップボディは海上コンテナより幅が広いため、このガイドレールに干渉し、船倉(ホールド)の深部には格納できません。
  • デッキ積みの活用: 欧州の内陸船は、セルガイドを持たない広大なオープン・ホールドを持つものが多く、スワップボディは船倉の最上段、あるいはハッチカバー(蓋)の上のデッキ部分に積載されます。
  • 積載率の高度な計算: シンクロモーダル・オペレータは、船の安定性(復原性)を損なわない範囲で、重量のある海上コンテナを下に、軽量で幅広のスワップボディを上に配置する「積付けプラン」をデジタルで瞬時に生成します。これにより、物理規格の壁を運用の工夫で突破しています。

シンクロモーダル運用の実務:締め切り、運賃、品質保証

シンクロモーダルの運用を支えるのは、荷主との間の「柔軟な契約(モード・ニュートラル契約)」です。

  • 締め切り時間(Cut-off Time)の動的管理:
    通常、鉄道や船には厳格な予約締め切りがあります。しかし、シンクロモーダル・オペレータは自社でターミナルを運営しているため、例えば「鉄道の出発1時間前まで」といった極めて短いリードタイムで貨物を受け入れ、その場で「最も早く届くモード」へと振り分けます。
  • 運賃の精算モデル:
    荷主が支払うのは、モードごとの実費ではなく「合意されたサービスレベル(例:48時間以内配送)」に対する定額料金、または「基本料金 + 二酸化炭素削減プレミアム」といった体系です。オペレータは、安価な水運を主軸にしつつ、緊急時に高価なトラックを使うリスクを自ら負うことで、ポートフォリオ全体で利益を最大化します。
  • 移動品質の保証:
    異なるモードを跨ぐ際、最大の懸念は「貨物の状態」と「責任の所在」です。スワップボディはユニットロード化されているため、箱の中身に触れる必要がありません。オペレータは、全モード共通のトラッキングシステムと、第16回で詳述するe-CMR(電子運送状)を用いることで、モードが切り替わっても一貫したトレーサビリティと損害賠償責任を荷主に保証します。

外乱へのレジリエンス:冗長性が求められる具体的事例

シンクロモーダルが最もその真価を発揮するのは、予期せぬ外部要因(外乱)が発生した時です。欧州では近年、以下のような事象が頻発しており、単一モードの脆弱性が露呈しています。

事例1:ライン川の歴史的低水位(気候変動)

2022年の夏、ライン川の水位が低下し、通常の1/4程度の貨物しか積めない、あるいは航行不能になる事態が発生しました。この際、Contargoなどのオペレータは、内陸船の予約を即座に「臨時貨物列車」へと振り替え、スワップボディを港のターミナルから内陸拠点へ滞りなく流し続けました。

事例2:ラシュタット鉄道トンネル事故(インフラ故障)

2017年、ドイツの主要幹線であるラシュタット近郊でトンネル工事中に陥没事故が発生し、鉄道が数週間にわたって遮断されました。シンクロモーダル・オペレータは、鉄道ターミナルに滞留したスワップボディを、即座にトラックや、さらには迂回路としての内陸水運へと分散させ、欧州全域のサプライチェーン崩壊を未然に防ぎました。

これらの事例において、スワップボディという「どのモードでも運べる規格」があったからこそ、数千個のコンテナを迅速にモード転換させることが可能だったのです。

ContargoとHupacの戦略:実運送人の「裁量」と「デジタル」

欧州を代表する二つのオペレータは、それぞれ異なる強みでシンクロモーダルを実現しています。

Contargo(コンタルゴ):

ライン川沿いに自社ターミナル網を持つ強みを活かし、「水運をベースにしたシンクロモーダル」に特化しています。彼らのシステム「IMT(Intermodal Management Tool)」は、各モードのCO2排出量をリアルタイムで算出し、環境負荷を最小化するルートを荷主に推奨します。

Hupac(フーパック):

スイスを拠点とし、アルプス越えの「鉄道をベースにしたシンクロモーダル」を主導しています。彼らは数千台のスワップボディと専用貨車を保有し、第4回で述べたRFC(鉄道貨物コリドー)を最大限に活用して、トラックから鉄道への大規模なシフトを実現しています。

日本の政策担当者・公務員への示唆:契約と規格の柔軟性

日本の物流においてシンクロモーダルを実装するためには、単なるIT導入を超えた、商習慣の変革が求められます。

  • モード・ニュートラルな契約への移行: 行政は、荷主が特定のモードを指定するのではなく、サービスレベルに基づいた柔軟な契約を奨励するガイドラインを整備すべきです。
  • インターモーダル・ハブの整備: 欧州のロジスティックパーク(第12回参照)のように、鉄道・水運・トラックが物理的に同一地点で接続され、情報のバトンパス(第9回PCS)がなされる拠点を戦略的に配置することが、シンクロモーダルの大前提となります。

まとめ:シンクロモーダルは「物流の民主化」を加速させる

第14回の要旨は、シンクロモーダル・オペレータが、スワップボディという物理的な柔軟性と、デジタルデータという論理的な判断を高度に融合させているということです。

彼らのビジネスモデルは、インフラの限界や自然災害といった「外乱」を、テクノロジーと運用の知恵で克服可能な「変数」へと変えました。これにより、荷主は複雑な輸送管理から解放され、最適なコストと納期、そして環境性能を手に入れることができます。

この「物理と論理の融合」は、第15回で詳述する、物流の究極の姿である「フィジカルインターネット」への道を切り拓くことになります。

出典:

  • Contargo GmbH & Co. KG: “The Green Way” – Synchromodal Operational Framework.
  • Hupac Group: Intermodal Strategy and Network Development 2026.
  • Giusti, R., et al.: “Synchromodal logistics: An overview of mathematical models, algorithms and software tools.”
  • European Commission: ALICE Technology Roadmap towards Physical Internet.

第15回:フィジカルインターネット(PI)への進化

物流が物理的な「規格の統一」とデジタルな「情報の同期」を経て、最終的に目指すべき到達点が「フィジカルインターネット(Physical Internet, PI)」です。第15回では、これまで解説してきたスワップボディや共通データ規格が、どのようにして一つの巨大な「物流のインターネット」へと昇華されるのか、その構想と具体的な物理実装、そして日欧の規格差がもたらす決定的な影響について詳述します。

フィジカルインターネットとは、情報のインターネット(Digital Internet)の仕組みを、物理的な物流の世界に適用しようとする革新的な概念です。インターネットにおいてデータがパケット単位で最適にルーティングされるように、貨物もまた、標準化された容器(カプセル)に入れられ、特定の事業者に依存することなく、共有されたネットワークの中を自律的に移動します。

物流のパケット交換:スワップボディからPIコンテナへ

情報のインターネットがTCP/IPというプロトコルとパケットという単位で成立しているように、フィジカルインターネットには「物理的なパケット」が必要です。第13回で紹介したスワップボディは、現時点における最も完成度の高い「陸のパケット」ですが、PIの世界ではこれをさらに論理的に細分化します。

  • モジュール性の追求: PIでは、あらゆる輸送・保管容器を、互いに組み合わせ可能な「モジュール」として設計します。
  • 1.2mモジュール(PIコンテナ): 欧州の標準パレット(1.2m×0.8m)を最小単位(1モジュール)とし、その整数倍のサイズ(1.2m、2.4m、4.8m…)で構成される、パズルのように組み合わさるコンテナ群です。
  • スワップボディとの論理的接続: 第13回で詳述したスワップボディは、このPIモジュールを「外殻」として包み込む、最大の標準容器として再定義されます。

スワップボディと1.2mモジュールの「入れ子」構造:欧州の整合性

フィジカルインターネットの実装において、スワップボディは極めて重要な役割を果たします。なぜなら、1.2mの小さな箱を個別に鉄道や船で運ぶのは非効率だからです。ここで重要になるのが、欧州における「パレット」と「容器」の完璧な寸法整合性です。

  • 欧州標準パレット(1200mm×800mm)の整合性:
    海上コンテナの場合: 内幅約2.33mのコンテナ内では、パレットを「縦」と「横」に組み合わせて配置することで、デッドスペースを最小化する積み方が確立されています。
  • スワップボディ(幅2.55m)の場合: 内幅が約2.48m確保されているため、1.2mのパレットを「横2列」に並べても、左右に十分な余裕(クリアランス)を持ちつつ、隙間なく(1.2m × 2 = 2.4m)搭載することが可能です。
  • 集約の単位としてのスワップボディ: 小さなPIコンテナを複数個、スワップボディという「中型の殻」に詰め込みます。これにより、幹線輸送(鉄道・水運)ではスワップボディ単位の効率を維持しつつ、末端の配送では1.2m単位での柔軟な切り離しが可能になります。

日本の11パレット(1100mm×1100mm)が抱える「半端」な課題

日本の政策担当者が留意すべきは、日本の標準である11パレット(T11型)が、国際的なコンテナ輸送やPIのモジュール化において「半端な規格」になっている点です。

  • コンテナ内での不整合: 1.1mのパレットを2枚並べると2.2m。海上コンテナの内幅(2.33m)では左右に約13cmもの「無駄な隙間」が生じ、輸送中の荷崩れの原因となります。
  • スワップボディ(2.55m幅)での不整合: 欧州のスワップボディに1.1mパレットを2列並べると、2.2mに対して約28cmもの隙間が生じます。この隙間は、PIが目指す「遊びのない、高密度な積載」を物理的に阻害します。
  • モジュール化の障壁: 1.1mという単位は、1.2m(欧州)や1.0m(米国の一部)といった国際的な物流モジュールと倍数関係になく、グローバルなPIネットワークにおける「変換ロス」を生む原因となっています。

欧州における「冗長性」の位置付け:レジリエンスの源泉

フィジカルインターネットの構想において、欧州は「冗長性(Redundancy)」を単なる無駄ではなく、システム全体の「レジリエンス(復元力)」として戦略的に位置づけています。

  • ネットワークの多重化: 特定のPIハブや輸送ルートが、ストライキ、災害、あるいは第14回で述べた低水位などで機能不全に陥った際、代替ルートが即座に利用可能であることを「冗長性」が保証します。
  • バッファとしての機能: 共有ネットワーク内に常に一定の空き容量(スワップボディや倉庫の空きスペース)を保持することで、急激な需要変動や外乱に対処します。
  • 行政の役割: 欧州の政策当局は、この冗長性を確保するために、特定の企業によるインフラの独占を禁じ、中立的なシェアリングを奨励しています。冗長性こそが、第14回で述べたシンクロモーダルな運用を支える「物理的なマージン」なのです。

PIの運用実務:オープン・シェアリング・ネットワーク

PIの真髄は、インフラと車両の「完全なる共有」にあります。

  • 中立的なPIハブ: 第8回の内陸港や第12回のロジスティックパークは、特定の企業専用の拠点から、誰でも利用できる「PIハブ(交換局)」へと進化します。
  • 自律的ルーティング: 各PIコンテナには、第6回で述べたETA(到着予測)情報を保持するスマートタグ(IoT)が装着されています。第14回

シンクロモーダル・オペレータのAIは、このタグからの情報を読み取り、その時々で空いているスワップボディ、列車、船を自動的に予約し、最短・最安・最クリーンなルートで貨物を転送します。

経済的・環境的インパクト:物流の「空」をなくす

欧州におけるPIのシミュレーションでは、以下のような劇的な改善が予測されています。

  • 積載率の向上: 現在、欧州のトラックの平均積載率は約60%(空車回送を含む)と言われていますが、PIによる共有化が進むことで、これを85%以上まで引き上げることが可能です。
  • CO2排出の大幅削減: 積載率の向上と、鉄道・水運への自動的なシフトにより、物流セクター全体のCO2排出量を最大30〜50%削減できるとされています。

まとめ:物流は「所有」から「接続」へ

第15回の要旨は、フィジカルインターネットが、これまで各章で見てきた「物理規格(スワップボディ)」「デジタル規格(TAF-TSI)」「法理(AEO/NCTS)」のすべてを統合する究極のフレームワークであるということです。

1.2mのモジュールを、スワップボディというパケットに詰め、欧州広域輸送ネットワーク(TEN-T)という巨大な回線に流し込む。そこにはもはや、企業間の壁も、モード間の摩擦も存在しません。物流が真にインターネットのような「公共インフラ」へと進化する。その時、物流は単なる運搬手段ではなく、社会のレジリエンスと持続可能性を支える、目に見えるデジタルの神経系となるのです。

出典:

  • Montreuil, B.: “Toward a Physical Internet.” (2011).
  • ALICE (Alliance for Logistics Innovation through Collaboration in Europe): “Physical Internet Roadmap 2030.”
  • European Commission: “Horizon Europe – Physical Internet projects (e.g., ICONET, SENSE).”
  • Ballot, E., et al.: “The Physical Internet: The Network of Logistics Networks.”

第16回:e-CMRと法的責任の所在(事故・紛失時の賠償実務)

物理的なインフラ、デジタルの神経系、そしてシンクロモーダルな運用。これらが高度に組み合わさる欧州の物流において、最後に残る課題は「万が一、荷物が壊れたり紛失したりした際、誰が責任を負うのか」という法的な問題です。第16回では、紙の伝票をデジタルへと置き換え、複雑なモード間輸送における責任の所在を明確にする「e-CMR(電子運送状)」と、海運におけるB/L(船荷証券)との決定的な違いについて詳述します。

トラック、鉄道、内陸船と貨物がリレーされる際、それぞれの接点で荷物の状態を確認し、責任を次のプレイヤーへ引き継ぐ作業は、物流の信頼性を担保する根幹です。かつては分厚い紙の束(CMR運送状)がこの役割を担っていましたが、現在は「e-CMR」という共通のデジタル基盤が、その法的なバトンを瞬時に受け渡しています。

CMR条約の成り立ちとe-CMRの法的基盤

CMRは、1956年にジュネーブで締結された「国際物品運送契約に関する条約」の略称です。

  • 協議・締結団体: 本条約は、国際連合欧州経済委員会(UNECE)の枠組みの中で協議・策定されました。欧州諸国を中心に、道路輸送における運送人の責任、賠償限度額、必要書類を統一し、国境を跨ぐ物流の円滑化を目的としています。
  • e-CMRプロトコル: 2008年に追加された議定書に基づき、紙の運送状と全く同等の法的効力をデジタルデータに持たせたものです。2026年現在、欧州の主要国はほぼすべてこれを批准し、実務に導入しています。
  • 情報の真正性: e-CMRは単なるデータのやり取りではなく、改ざん不能なタイムスタンプや電子署名を備えています。これにより、貨物が「いつ、どこで、どのような状態で」引き渡されたかを法的に証明する強力な証拠力を持ちます。

CMRとB/L(船荷証券):法的性質の決定的な違い

物流の実務において、陸上・内陸輸送の「CMR」と海運の「B/L」はしばしば混同されますが、その法的な位置付けは大きく異なります。

項目 CMR(運送状) B/L(船荷証券)
法的性質 運送契約の証拠、受領証 有価証券、権利証券、受領証
流通性 なし(記名式) あり(裏書による転売が可能)
貨物の引き渡し 荷受人本人であれば書類なしでも可 原本(または電子的B/L)との引き換えが原則
適用範囲 道路輸送(およびそれに付随する鉄道・船) 海上輸送(外航)
  • 有価証券としてのB/L: 海運のB/Lは、それ自体が貨物の所有権を表す有価証券です。貨物が洋上にある間にB/Lを転売することで、荷主を切り替えることが可能です。
  • 受領証としてのCMR: 一方、CMR(およびe-CMR)は「有価証券」ではありません。あくまで「誰が誰に対して、どのような条件で輸送を引き受けたか」という契約の証拠と、荷物を受け取ったという証明書としての役割に特化しています。欧州域内の迅速な物流において、貨物が到着する前に書類を転売するニーズは少なく、むしろ「いかに早く、正確に受領を確認するか」が重視されるため、流通性のない運送状形式が採用されています。

海運会社によるB/L契約とCMRの関係性

ここで、外航海運会社が行うB/Lによる輸送契約と、欧州域内のCMRがどのように重なり、あるいは使い分けられているのかを整理します。

  • スルーB/L(通し船荷証券): 海運会社が「日本の工場からドイツの内陸倉庫まで」を一貫して引き受ける場合、全行程をカバーするスルーB/Lが発行されます。この場合、陸上区間の事故であっても、荷主はまず海運会社に対してB/Lに基づき責任を追及します。
  • モード別の責任分担: ただし、海運会社の裏側では、実際に陸上輸送を請け負う欧州の業者がCMR(e-CMR)を発行しています。海運会社と陸上運送人の間では、CMR条約に基づいた責任の精算が行われます。
  • インコタームズとの関係: 海運で多用されるCIFやFOBといった条件は、海上輸送における費用とリスクの移転時期を定義しますが、これらは「売買契約」の用語です。対してCMRは「運送契約」の規律です。例えば、インコタームズで「海上港まで」の条件であれば、そこから先の欧州域内の陸上輸送については、改めて荷主やフォワーダーがCMRに基づいた個別の運送契約を締結することになります。

モード間輸送における「責任のバトン」と実務

第14回で述べたシンクロモーダルな輸送では、貨物が複数の運送人を経由します。この際、e-CMRは「責任の境界線」を明確にする装置として機能します。

  • 引き渡し時のチェック: トラックから内陸船へスワップボディを積み替える際、船長はe-CMR上で「外装に異常なし」とデジタル署名を行います。この瞬間、それまでの損傷責任はトラック事業者から船主へと移ります。
  • 損傷発見時のリザベーション(留保): もし引き渡し時にスワップボディに異常が見つかれば、受取側はe-CMRに「リザベーション」を記載します。これが、後の損害賠償請求(クレーム)における決定的な証拠となります。
  • 隠れた損傷への対処: どこで壊れたか特定できない「隠れた損傷」の場合、第14回で述べたマルチモーダル運送契約に基づき、あらかじめ合意された一律の賠償限度額(通常はSDRという国際通貨基金の単位に基づく)で清算されます。

日本の公務員・政策担当者への示唆

日本においても、商法改正により電子運送状の法的効力が認められつつありますが、欧州のように「多国間、多モード間で統一された電子プラットフォーム(e-CMR)」の普及はこれからです。

  • 国際標準への準拠: 日本の物流を国際標準に繋げるためには、UNECEが推進するe-CMRのような国際条約への批准や、それに基づいたシステム構築が求められます。
  • B/Lと運送状の棲み分け: 有価証券としてのB/L(船価証券)が必要な局面と、迅速な流通を目指すための運送状(Waybill/CMR)で済む局面を切り分け、デジタル化の優先順位を整理することが重要です。

まとめ:法理がデジタルの信頼を完結させる

第16回の要旨は、e-CMRという法的なデジタル基盤が、複雑な輸送経路における「責任」という不確実な要素を、透明性の高いデータへと変えたということです。
デジタル署名による責任の承継、事故時のリアルタイムな証拠保存、そしてB/Lとの明確な使い分け。これらがあるからこそ、荷主は安心してシンクロモーダルな輸送に貨物を預けることができます。データが「いつ・どこで」を証明し、法律が「誰が」を定義する。この二つが噛み合うことで、欧州の物流は単なる運搬から、法的にも信頼できる「高度なサービス」へと進化したのです。

出典:

  • UNECE: Convention on the Contract for the International Carriage of Goods by Road (CMR).
  • IRU (International Road Transport Union): e-CMR White Paper – Benefits and Implementation.
  • European Commission: Regulation (EU) 2020/1056 on electronic freight transport information (eFTI).
  • International Chamber of Commerce (ICC): Incoterms 2020 and its relationship with transport contracts.

第17回:カーボンニュートラルへの収束と持続可能な物流の未来

インフラ、データ、規格、そして法理。これまで各章で詳述してきた欧州物流の構成要素は、バラバラに存在しているわけではありません。それらはすべて、欧州連合(EU)が掲げる「2050年までのカーボンニュートラル」という一つの巨大な目標に向かって収束しています。最終回となる第17回では、本教科書の総括として、デジタルの力でいかに環境負荷を「見える化」し、持続可能な物流構造を構築しているのか、その全体像を展望します。

欧州における物流政策の最大の転換点は、環境対策を「コスト」や「慈善活動」ではなく、市場における「競争力」と「義務」へと昇華させたことにあります。第1回で述べたモーダルシフトの理念は、今や高度な算定基準とインセンティブによって、実務レベルで完全に統合されています。

排出量の「見える化」と国際標準 ISO 14083

物流分野でのカーボンニュートラルを実現するためには、まず「どの輸送がどれだけのCO2を出したか」を正確に測定する必要があります。ここで、第15回までのデジタル基盤が威力を発揮します。

  • ISO 14083の導入: 2023年に発行されたこの国際規格は、輸送チェーン全体の温室効果ガス排出量を算定するための共通ルールです。欧州では、第9回のPCSや第14回のシンクロモーダル・オペレータのシステムを通じて、実走行データに基づいた排出量が自動的に算出されます。
  • 計算から実測へ: 第6回のTIS(鉄道)や第7回のRIS(内陸水運)から得られる正確な移動距離と、第13回のスワップボディによる積載重量データを組み合わせることで、推定値ではない「一箱あたりの真の排出量」が可視化されます。

モーダルシフトを加速させる経済的インセンティブ

欧州では、環境負荷の低い輸送を選択することが、直接的に企業の利益に結びつく仕組みが整えられています。

  • 炭素国境調整措置(CBAM): 域外からの輸入品に対しても炭素価格を課すこの制度は、サプライチェーン全体の排出管理を求めています。第10回で述べたNCTSのデータは、将来的に貨物の「炭素パスポート」としても機能し、低炭素な輸送(内陸水運や鉄道)を選択した貨物が税制面で優遇される基盤となります。
  • 道路課税の弾力化(Eurovignette): トラックによる道路利用に対し、CO2排出量に応じた課税を行う制度です。これにより、トラック単独輸送のコストが上昇し、第8回で述べた内陸港への鉄道・水運シフトが経済合理性を持つよう設計されています。

欧州物流を支える「四位一体」の総括

本教科書で解説してきた要素を改めて整理すると、欧州の強みは以下の4点が有機的に結合していることにあります。

  • 物理インフラの標準化(Hardware): 第2回のTEN-T、第8回の内陸港、第13回のスワップボディ。これらが「どこでも、誰でも、何でも運べる」物理的な互換性を提供しています。
  • デジタルの神経系(Software): 第5回のTAF-TSI、第9回のPCS、第14回のシンクロモーダル・システム。これらが情報をリアルタイムで繋ぎ、モード間の摩擦をゼロにしています。
  • 法理と信頼の基盤(Legal): 第12回のAEO、第10回のNCTS、第16回のe-CMR。これらが国境や責任の壁を取り払い、官民連携の信頼を担保しています。
  • 環境目標への収束(Goal): これらすべての仕組みが、排出削減という共通目標のために運用され、市場のルール(ISO規格や課税制度)と一致しています。

日本の政策担当者・公務員への最終的な提言

日本の物流、特に地方の交通政策や港湾管理に携わる皆様にとって、欧州の事例は「遠い国の話」ではありません。日本が直面する2024年問題や、瀬戸内海・伊勢湾といった内航海運の活用、さらにはJR貨物を軸としたモーダルシフトは、欧州が解決してきた課題と本質的に同じです。

  • 「所有」から「利用」へのパラダイムシフト: 自社の資産を守るのではなく、共通のインフラ(第15回のPI)を使い倒すことで、社会全体の効率を上げる視点が不可欠です。
  • データ標準化への不退転の決意: 第4回で述べたように、標準化は一部の強者のためではなく、中小事業者を含めた市場全体のレジリエンスを高めるための「公共財」です。

結びに代えて:物流は「社会の質」を映す鏡である

物流は単に物を運ぶだけの作業ではありません。それは、その社会がいかに合理的にルールを定め、いかにテクノロジーを信頼し、いかに次世代の環境に責任を持っているかを映し出す鏡です。

欧州の内陸水路を静かに進むコンテナ船や、アルプスを越える長い貨物列車、そしてそれらを支える見えないデジタルの鼓動。そこには、物理的な制約を英知で克服しようとする、数多くの公務員と民間実務者の努力が刻まれています。本教科書が、日本の物流の未来を切り拓く皆様の、ささやかな一助となれば幸いです。

出典:

  • European Commission: European Green Deal – Greening Freight Transport package (2023).
  • ISO 14083:2023: Greenhouse gas management and related activities.
  • Smart Freight Centre: GLEC Framework for Logistics Emissions Methodologies.
  • UNECE: Sustainable Inland Transport Policy (SITP) Framework.

欧州マルチモーダル・デジタル物流変遷年表(1950年代〜2026年)

黎明期と法的基盤の形成(1950年代 – 1980年代)

  • 1956年: CMR条約(国際物品運送契約に関する条約)締結。道路輸送の責任体系を統一。
  • 1957年: ローマ条約調印。欧州共同体(EC)創設、共通輸送政策の原点が記される。
  • 1958年: 国際連合欧州経済委員会(UNECE)が物流標準化の議論を本格化。
  • 1960年代: 海上コンテナ(ISO規格)の欧州航路導入開始。
  • 1968年: スワップボディ(Swap Body)の初期プロトタイプがドイツで運用開始。
  • 1970年: 国際複合一貫輸送業者協会(FIATA)による標準船荷証券(B/L)の普及。
  • 1970年代: ライン川における内陸コンテナ輸送の商用化が始まる。
  • 1980年: COTIF(国際鉄道運送条約)締結。鉄道輸送の法的統一。
  • 1985年: シェンゲン協定署名。将来的な国境検査撤廃への道筋(物流の停滞解消)。
  • 1988年: 欧州標準化委員会(CEN)がスワップボディの規格化(EN 283/284)に着手。

モーダルシフトとインフラ網の整備(1990年代)

  • 1991年: EU指令91/440。鉄道の上下分離(インフラと運行の分離)を義務付け。
  • 1992年: マーストリヒト条約。欧州連合(EU)誕生。欧州広域輸送ネットワーク(TEN-T)の概念提示。
  • 1992年: 複合一貫輸送に関するEU指令92/106。トラックから他モードへの転換支援策。
  • 1993年: EU単一市場の完成。域内関税の撤廃と物流の自由化。
  • 1994年: エッセン欧州理事会。TEN-Tの優先プロジェクト(14プロジェクト)を特定。
  • 1996年: 鉄道自由化第1パッケージ。国際貨物鉄道の開放。
  • 1997年: 欧州インターモーダル協会(EIA)設立。
  • 1998年: マルコポーロ・プログラム(第1次)開始。モーダルシフトへの直接補助金。
  • 1999年: ロッテルダム港にて初期のポート・コミュニティ・システム(PCS)の構想が始動。

デジタル化の胎動とインターモーダルの深化(2000年代)

  • 2001年: EU白書2010年までの交通政策。モーダルシフトを政策の中核に据える。
  • 2002年: 内陸水運情報サービス(RIS)に関する基本構想の策定。
  • 2003年: 新電子通報システム(NCTS)の本格運用開始。保税運送のデジタル化。
  • 2004年: TAF-TSI(鉄道貨物運用のためのテレマティクス・アプリケーション)規則制定。
  • 2005年: RIS指令(2005/44/EC)採択。内陸水路のデジタル化が法的義務に。
  • 2005年: 鉄道自由化第2パッケージ。安全基準の統一。
  • 2006年: マルコポーロII開始。さらに広範なモーダルシフト支援。
  • 2007年: 鉄道自由化第3パッケージ。国際旅客開放と貨物鉄道の競争促進。
  • 2008年: AEO(認定経済事業者)制度の運用開始。信頼に基づく通関簡素化。
  • 2008年: e-CMR議定書。運送状の電子化に対する法的効力を付与。
  • 2009年: ロッテルダム港ポートベース(Portbase)設立。PCSの官民連携モデル確立。

ネットワーク統合と環境規制の強化(2010年代)

  • 2010年: 鉄道貨物コリドー(RFC)規則採択。国境を越える鉄道優先枠の確保。
  • 2011年: ブノワ・モントルイユ教授によりフィジカルインターネット(PI)の概念が提示。
  • 2011年: 2011年交通白書。2050年までの運輸部門CO2排出60%削減を目標化。
  • 2012年: TRACES NT(次世代検疫システム)の開発着手。
  • 2013年: 新TEN-T規則。コアネットワークと包括ネットワークの二層構造を定義。
  • 2014年: Connecting Europe Facility (CEF) 基金創設。インフラ投資の加速。
  • 2014年: ALICE(物流革新連盟)設立。フィジカルインターネットのロードマップ策定開始。
  • 2015年: パリ協定調印。物流の脱炭素化が不可逆的な目標となる。
  • 2016年: 鉄道自由化第4パッケージ。国内旅客市場の開放とガバナンス強化。
  • 2016年: 欧州鉄道局(ERA)の権限強化。車両認証の欧州一括化。
  • 2017年: ラシュタット・トンネル事故。鉄道レジリエンスと冗長性の重要性が再認識。
  • 2018年: TIS(列車情報システム)の欧州全域での活用拡大。
  • 2019年: 欧州グリーンディール発表。2050年カーボンニュートラルを宣言。
  • 2019年: TRACESが税関システムとの統合を開始(シングル・ウィンドウ化)。

デジタル単一市場とカーボンニュートラル(2020年代 – 現在)

  • 2020年: eFTI(電子貨物輸送情報)規則採択。当局へのデータ提出の完全電子化義務付け。
  • 2020年: モビリティ戦略(Sustainable and Smart Mobility Strategy)。2030年までの目標設定。
  • 2021年: 欧州鉄道年(European Year of Rail)。鉄道回帰のキャンペーン。
  • 2022年: ライン川の歴史的低水位。シンクロモーダルによる冗長性確保が死活問題に。
  • 2022年: EUシングル・ウィンドウ環境(EU SWE)に関する規則採択。
  • 2023年: ISO 14083発行。輸送温室効果ガス算出の世界標準化。
  • 2023年: 炭素国境調整措置(CBAM)の移行期間開始。
  • 2024年: TEN-T新規則の改定。ウクライナ接続の強化と標準軌への統一加速。
  • 2024年: eFTIの技術仕様確定。加盟国間でのデータ交換テスト開始。
  • 2025年: NCTSフェーズ5完全移行。トランジット手続きの高度化。
  • 2025年: フィジカルインターネット(PI)のパイロットプロジェクトが主要ロジパークで社会実装。
  • 2026年(現在): e-CMRの完全普及。欧州全域でのペーパーレス運送が実務の標準へ。
  • 2026年: ISO 14083に基づくデジタル排出証明書が、企業の環境報告書の必須要件化。
  • 2026年: シンクロモーダル・オペレータによる、AIを活用した動的モード切替の自動化が定着。

注意

以上の文書はAI Geminiが生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。

参考

https://jrmkt.com/wp-admin/post.php?post=2218&action=edit&classic-editor

脱一極集中、EUのESDPが日本に教える三つの視点