かつて、19世紀のロンドンやバーミンガムの窮地を救ったのは、最新の技術ではなく市民の「尊厳」でした。時代を超え、今再び注目されるシビックプライドの系譜を辿ります。グラスゴーの奇跡からバルセロナの都市改造、そして現代日本の最前線へ。政策担当者も住民も知っておくべき、誇りが経済を動かし、コミュニティを再生させる科学的なメカニズム。未来の都市を創るための誇りの教科書がここに。
目次
第1回:なぜ今、シビックプライドなのか?―郷土愛との決定的な違い
このブログでは、これからの地域づくりにおいて欠かせない概念であるシビックプライドについて、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
地域活性化の現場でよく耳にするようになったこの言葉ですが、意外と知られているようで知られていない、奥深い意味が隠されています。第1回は、その定義と現代的な意義について整理していきましょう。
用語の起源:Civic(市民の)とPride(誇り)が合体した背景
シビックプライドという言葉は、直訳すれば市民の誇りとなります。しかし、単に自分の住んでいる場所を自慢するという意味に留まりません。この言葉が注目されたのは、19世紀のイギリスの産業都市でした。急激な工業化によって都市環境が悪化した際、自分たちの手で街を立て直そうとした市民たちの強い意志から生まれた概念です。
Civicという単語には、単なる居住者という意味を超えて、都市を構成する主体としての責任や権利が含まれています。つまり、街を構成する一人ひとりが、自分を街の一部として認識し、主体的に関わろうとする姿勢そのものを指しているのです。
郷土愛(パッシブ)とシビックプライド(アクティブ):決定的な違いの構造図
よく混同されるのが、郷土愛(愛郷心)という言葉です。学術的な視点から見ると、この二つには明確な境界線があります。
郷土愛は、主に情緒的な結びつきを指します。生まれ育った場所への懐かしさや、慣れ親しんだ風景への安心感など、どちらかといえば受動的(パッシブ)な感情です。これに対し、シビックプライドは能動的(アクティブ)な性質を持ちます。
単に街が好きだという状態から一歩踏み出し、この街をより良くするために自分も力になりたい、自分にはその責任があると感じる当事者意識が核心にあります。客席から舞台を眺める観客ではなく、自ら舞台に上がって劇を作り上げるキャスト(出演者)のような意識の違いといえるでしょう。
内発的発展論との接続:外部依存を脱却するための精神的インフラ
政策学の文脈では、このシビックプライドは内発的発展論(外部からの誘致や補助金に頼り切るのではなく、地域の資源を活用して自律的に発展しようとする考え方)と深く結びついています。
地域の経済や社会を立て直そうとする際、外からの力(工場誘致や中央政府の施策)だけに頼ると、その力が失われた瞬間に地域は立ち行かなくなります。しかし、住民一人ひとりにシビックプライドが根付いていれば、地域の資源を自分たちで見つけ出し、新しい価値を生み出す力が内側から湧き上がります。誇りは、地域が自立して歩み続けるための目に見えないインフラ(基盤)なのです。
3つの構成要素:資産(Assets)、活動(Activities)、自己(Self)の定義
研究者の間では、シビックプライドを構成する要素を主に三つの層に分けて分析することが一般的です。
- 一つ目は、街の資産に対する誇りです。歴史的な建造物、美しい自然、あるいは便利な公共交通機関など、街が持っている物的・文化的な財産が対象となります。
- 二つ目は、街の活動に対する誇りです。伝統的なお祭りから、先進的な子育て支援策、活気ある地場産業の営みまで、街で起きている動的な出来事が含まれます。
- そして三つ目が、自己の関わりに対する誇りです。これが最も重要で、自分がこの街の一員として何かを成し遂げている、あるいは自分の行動が街に良い影響を与えているという自己効力感(自分が物事に対して影響力を持っているという実感)を指します。
社会的共通資本としての視点:誇りが信頼という価値を生む仕組み
社会学者の宇沢弘文氏は、豊かな社会を支えるためには、道路や自然、教育、医療といった社会的共通資本(社会の全員が共有し、維持すべき大切な資産)が必要だと説きました。シビックプライドもまた、この共通資本を維持・発展させるための心理的な原動力となります。
住民が街に誇りを持つと、そこには高いレベルの信頼関係(ソーシャル・キャピタル)が生まれます。ゴミを捨てない、街路樹を大切にする、地元の商店を利用するといった日常的な行動が積み重なることで、結果として行政コストが下がり、経済の循環も良くなります。プライドは、数値では測りきれない経済的・社会的な利益を地域にもたらすのです。
日本の政策における展開:弱点への配慮と客観的視点
日本の政策においても、近年シティプロモーションや地方創生の文脈でシビックプライドという言葉が多用されています。日本の施策担当者の方々は、単なるイメージアップに終わらないよう、住民の幸福度(ウェルビーイング)や定住意向との関連性を非常に慎重に検討しています。
日本の施策の特徴は、地域の文化的な多様性を尊重しつつ、数値目標を定めて客観的に評価しようとする誠実さにあります。一方で、多くの自治体が抱える悩みは、こうした心理的な指標をどうやって具体的、かつ持続的な行動に結びつけていくかという点です。誇りを醸成する過程で、一部の熱心な層だけが盛り上がるのではなく、いかに多様な住民を包括的に包み込むかという課題についても、現代の日本の政策は真摯に向き合い、改善を重ねています。
読者への問い:あなたの街を誰かに自慢したい理由は何ですか?
さて、みなさんは自分の街のどんなところを友人に自慢したいでしょうか。それは歴史的な名所でしょうか、それとも最近始まった面白いイベントでしょうか。
もし、自慢したい理由のなかに自分たちの活動や自分のちょっとした関わりが含まれているなら、そこには確かなシビックプライドの種が蒔かれています。第2回では、この概念がどのように歴史のなかで育まれてきたのか、そのドラマチックな変遷を辿っていきます。
参照元・出典、主要な文献
本稿の執筆にあたり、以下の文献および知見を参照しました。
- 読売広告社都市文化研究所(編)『シビックプライド:都市のコミュニケーションをデザインする』(宣伝会議、2008年)
日本におけるシビックプライドの定義を確立した代表的な書籍です。 - 伊藤香織・読売広告社シビックプライド研究会(著)『シビックプライド2:国内事例編』(宣伝会議、2015年)
日本国内の実践的な取り組みと、愛郷心との違いについての詳細な分析が含まれています。 - 宇沢弘文(著)『社会的共通資本』(岩波新書、2000年)
都市の資産をどのように社会で維持・管理していくべきかという倫理的・経済的基盤を提供しています。 - 鶴見和子(著)『内発的発展論の展開』(岩波書店、1996年)
地域の自立と文化の関連性を論じており、シビックプライドの思想的な背景として重要です。 - Hunt, T. (2004). Building Jerusalem: The Rise and Fall of the Victorian City. (Weidenfeld & Nicolson)
19世紀イギリスにおけるシビックプライドの歴史的起源を詳細に記述した学術書です。
第2回:【歴史】ヴィクトリア朝から現代へ―誇りが都市を救った物語
今回は、この概念がいつ、どこで、なぜ生まれ、どのように変遷してきたのかという歴史の旅に出かけましょう。
シビックプライドの歴史を辿ると、都市が危機に直面したときにこそ、人々の誇りが再生の鍵となってきたことがわかります。
19世紀バーミンガムの衝撃:スラムを美学で塗り替えた都市の福音
シビックプライドの原点は、19世紀のイギリス、特に産業革命の象徴であったバーミンガムにあります。当時の産業都市は、急激な人口流入による住宅不足や衛生環境の悪化、すなわちスラム化という深刻な課題に直面していました。
ここで登場したのが、当時の市長ジョゼフ・チェンバレンです。彼はシビック・ゴスペル(都市の福音)という思想を掲げました。これは、都市を単なる生産の場ではなく、市民の幸福と尊厳を実現する共同体として捉え直す運動でした。彼は、都市の環境を整えることは道徳的な義務であると説き、不衛生な地区を大規模に再開発し、市民に開かれた空間を作り上げました。
公共建築の黄金時代:図書館や市庁舎に市民が尊厳を投影した時代
チェンバレンらが進めた改革の特徴は、単なるインフラ整備に留まらず、圧倒的な美しさを持つ公共建築を建設したことにあります。壮麗な市庁舎、壮大な中央図書館、そして美術館。これらは市民の寄付や、市民が自ら引き受けた市債(自治体が発行する債券)によって建てられました。
当時の市民たちは、自分たちの街に建つこれらの壮麗な建物を見て、私たちはこれほど立派な街の住人なのだという誇りを確認し合いました。公共建築は、目に見える形での尊厳(シビック・ディグニティ)の象徴となり、人々の帰属意識を強烈に高める装置として機能したのです。
産業衰退とグラスゴーの奇跡:自信喪失した市民を救った80年代のマーケティング
19世紀に黄金期を迎えたシビックプライドですが、20世紀に入り、二度の世界大戦や産業構造の変化を経て、一時的にその輝きを失います。特に1970年代から80年代、イギリスの重厚長大産業が衰退すると、かつての産業都市は汚れた、暴力的な、未来のない街というレッテルを貼られることになりました。
この状況を覆したのが、スコットランドのグラスゴーです。1983年、グラスゴーはGlasgow’s Miles Better(グラスゴーはもっと良くなる)というキャンペーンを開始しました。これは外部に向けた観光PRである以上に、自信を失っていた市民に向けた内向きのメッセージでした。街のポジティブな側面を再発見し、共有することで、市民の中に自分たちの街はまだやれるという火を灯しました。これが、現代におけるシティ・ブランディングの先駆けとなりました。
欧州の都市再生ブーム:文化政策がシビックプライドを再定義した変遷
グラスゴーの成功は、ヨーロッパ全土に都市再生(アーバン・リジェネレーション)の波を広げました。1990年代に入ると、スペインのバルセロナやビルバオといった都市が、文化やデザインを核にした再開発で世界的な注目を集めます。
この時期の研究では、ハード(建物)の整備だけでなく、ソフト(文化活動や市民参加)がいかに住民の自尊心を高めるかが重視されるようになりました。都市を再生させるのは、単なる資金投入ではなく、住民が自分の街の変化を自分の手柄として感じられるプロセスである、という認識が学術的にも定着したのがこの時期です。
日本における受容史:お国自慢がシティプロモーションへ変わった2000年代
日本においても、郷土愛やお国自慢の文化は古くから存在しましたが、シビックプライドという言葉が政策用語として意識され始めたのは2000年代後半からです。
当初は少子高齢化や人口減少への対策として、いかに定住人口を増やすか、あるいは観光客を呼ぶかという、外向けの宣伝(シティ・プロモーション)の手法として導入されました。しかし、多くの自治体が実践を重ねる中で、外向けの宣伝よりも先に、まずは足元の住民が街に納得感と誇りを持つことの重要性に気づき始めました。こうした日本の政策の現場での気づきは、現在、多くの自治体が策定する第2期以降の地方創生総合戦略にも色濃く反映されています。
現代のパラダイム:デジタル時代における場所の再価値化
そして現在、私たちの社会はデジタル化という大きな転換期にあります。どこにいても働ける、あるいはオンラインで交流できる時代だからこそ、逆に物理的な場所としての街の価値が問われています。
現代のシビックプライドは、単なる歴史や美観の維持に留まりません。SNSを通じた情報発信や、デジタル・プラットフォームを活用した住民主導の課題解決など、テクノロジーを使いこなして街をアップデートしていく活動そのものが、新しい時代の誇りとなっています。場所の価値を、データと身体的な経験の両面から再構築していくフェーズに入っているといえるでしょう。
参照元・出典、主要な文献
本稿の執筆にあたり、以下の文献および歴史的知見を参照しました。
- Hunt, T. (2004). Building Jerusalem: The Rise and Fall of the Victorian City. (Weidenfeld & Nicolson)
ヴィクトリア朝の都市におけるシビックプライドの興亡を記述した決定的な歴史書です。 - Briggs, A. (1963). Victorian Cities. (Penguin Books)
バーミンガムなどの都市がいかにして産業化の荒波の中で自治の精神を育んだかを論じています。 - Garcia, B. (2004). “Cultural Policy and Urban Regeneration in Western European Cities.” Local Economy.
欧州の都市における文化政策と市民のアイデンティティ再生の関係を分析した学術論文です。 - 読売広告社シビックプライド研究会(編)『シビックプライド2:国内事例編』(宣伝会議、2015年)
日本の自治体におけるシビックプライド概念の導入と変遷について、実務的な視点からまとめられています。 - Kavaratzis, M. (2004). “From City Marketing to City Branding.” Place Branding.
都市マーケティングからブランディングへの進化、および内部ステークホルダーとしての住民の役割を論じています。
第3回:【事例】世界と日本の10選―誇りが生んだ驚きの変化
今回は、理論を現実のものとした世界各地の物語を見ていきましょう。これらの事例に共通するのは、単なる景観の改善に留まらず、住民が自らを街の主役として再認識したプロセスがあるという点です。
バルセロナ(スペイン):五輪を口実にした市民のための広場奪還作戦
1992年のバルセロナ・オリンピックは、都市経営における伝説的な事例です。多くの五輪が巨大施設の建設で終わるなか、バルセロナは五輪を市民の手に公共空間を取り戻すための手段として活用しました。
独裁政権下で放置されていた空き地や工場跡地を、質の高いデザインを備えた広場や公園へと変え、分断されていた街を繋ぎ直しました。住民が日常的に集い、交流できる場所が増えたことで、市民は自分たちの街は世界で最も美しい公共空間を持っているという自負を持つに至りました。インフラの質が、市民の尊厳を直接的に引き上げた好例です。
ポートランド(米国):Keep Portland Weirdが守る個人の自律性
全米で最も住みたい街の一つに数えられるポートランドの誇りは、少しユニークです。彼らの合言葉はKeep Portland Weird(ポートランドを風変わりなままに)。これは、どこにでもあるチェーン店や均質な開発ではなく、地元の小さな店や独自の文化を愛し、守り抜くという宣言です。
徹底した住民主導の都市計画と、地産地消(ローカリズム)への強いこだわりが、市民のアイデンティティとなっています。自分たちの街のルールは、自分たちで決めるという強い自律性が、シビックプライドの源泉となっています。
上勝町(徳島):不便を世界一の環境価値に転換した逆転の発想
人口1,500人足らずの山あいの町、上勝町はゼロ・ウェイスト(ごみゼロ)宣言で世界的に有名になりました。45種類以上という気の遠くなるようなゴミの分別は、住民にとって決して楽な作業ではありません。
しかし、その不便さを地球環境のために世界最先端の取り組みをしているという高い目標へと昇華させました。今では世界中から視察が訪れ、住民は自分たちの不便な努力が、世界を変えているという誇りを持つようになりました。課題を共有し、共に乗り越えるプロセスが、深い結束とプライドを生んでいます。
流山市(千葉):ターゲットを絞り、住民を広告塔に変えた戦略
母になるなら、流山市。という大胆なコピーで知られる流山市は、戦略的なシティプロモーションの成功例です。駅前の送迎保育ステーション整備など、子育て世代のニーズに徹底的に応える施策を展開しました。
重要なのは、その施策に満足した親たちが、SNSなどで自発的に流山はいいよと発信し始めたことです。選ばれて移住してきた人々が、自らの選択を誇り、街の魅力を広めるアンバサダー(大使)となることで、良好なコミュニティが維持されています。
鯖江市(福井):産業を市民のアイデンティティに直結させた工夫
眼鏡枠の生産シェア日本一を誇る鯖江市では、眼鏡を単なる地場産業から市民全員の誇りへと高める工夫を凝らしました。眼鏡をモチーフにした街灯、マンホール、モニュメントが街中に溢れています。
子供たちは学校教育を通じて眼鏡作りの歴史と技術を学び、多くの市民が眼鏡関連の行事に参加します。産業が一部の専門家の手から離れ、市民全員の共通言語になったことで、若者が地元のものづくりを誇りに思い、継承していく土壌が育まれました。
共通の成功因子:住民が意思決定に介在する余白の重要性
これら10の事例(他5つ:富山市のLRT、グラスゴーの文化再生、ビルバオのグッゲンハイム、尼崎の森づくり、読谷村の憲法)を分析すると、一つの共通点が見えてきます。それは、行政が完璧な完成品を与えるのではなく、住民が参加し、工夫し、決定できる余白を必ず残していることです。
日本の施策においても、住民参加のワークショップやクラウドファンディングの活用など、この余白をいかに制度化するかが、担当者たちの創意工夫のしどころとなっています。シビックプライドは、参加の汗をかいた分だけ、深く刻まれるものなのです。
参照元・出典、主要な文献
本稿の事例分析にあたり、以下の文献および資料を参照しました。
- 山崎亮(著)『コミュニティデザイン:人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社、2011年)
住民参加を通じて地域課題を解決し、誇りを醸成する手法が詳しく記述されています。 - 牧野博明(著)『シビックプライドと都市のアイデンティティ』(学芸出版社、2012年)
バルセロナやポートランドなど、国内外の事例を都市経営の観点から比較分析しています。 - 流山市マーケティング課(編)流山市シティプロモーション基本方針
自治体がどのように住民の共感を得てブランドを構築したかの公的記録です。 - Monocle (2020). The Monocle Book of Gentle Politics. (Thames & Hudson)
ポートランドなどの生活の質と民主主義が両立する都市の事例が、独自の視点で紹介されています。 - 読売広告社シビックプライド研究会(編)『シビックプライド2:国内事例編』(宣伝会議、2015年)
富山市や鯖江市など、日本の代表的事例の詳細なデータが掲載されています。
第4回:【課題】愛が牙をむくとき―排他性と現状維持の罠
シビックプライドは、街を良くするための特効薬のように語られることが多いですが、実際には副作用も存在します。政策学者や社会学者の視点から見ると、人々の誇りが高まった先に、意図しない社会的な分断や硬直化が起きることがあります。こうした課題を直視することは、日本の地域づくりをより持続可能(サステナブル)なものにするために不可欠です。
NIMBYと排他性:自分たちの理想を守るための外部・異質排除
シビックプライドが健全に機能している間は良いのですが、それが自分たちの街の完璧な姿への固執に変わると、外部に対する排他性が生まれます。これを象徴するのがNIMBY(Not In My Back Yard:施設の必要性は認めるが、自分の家の近くには作らせないという態度)の問題です。
この街の美しい景観を壊すような施設はいらないこの街の静かなルールを乱すような新しい人は受け入れないといった心理が働くと、街は新しい挑戦や多様性を受け入れる力を失います。誇りが、新住民や異なる文化を持つ人々を排除する正当な理由として使われてしまう危うさがあるのです。
現状維持バイアス:衰退という負の真実を拒絶する心理
街を深く愛するあまり、その街が抱える構造的な問題や、避けることのできない衰退の兆しを認めたくないという心理状態が生じることがあります。これを現状維持バイアス(変化を避け、現状を維持しようとする心理的な傾向)と呼びます。
例えば、人口減少に伴う公共施設の統合や、産業構造の転換が必要な場面でも、誇りある私たちの街に、縮小という言葉は似合わないという感情が先行し、合理的な議論を止めてしまうことがあります。日本の地方自治体の現場でも、誇りが変化を妨げるブレーキになっていないか、常に客観的なデータとの対話が求められます。
ジェントリフィケーションの陰:誇りを持てる層と置き去りにされる層の分断
シビックプライドの議論において、社会学者が最も懸念するのは、街の魅力が高まることで起きるジェントリフィケーション(地域の高級化に伴い、低所得層が追い出される現象)と、それに伴う精神的な分断です。
街に誇りを持ち、華やかな活動に参加できるのは、経済的・時間的な余裕がある層に偏りがちです。その影で、日々の生活に追われ、街の変化を自分事として捉えられない人々との間に深い溝が生じることがあります。この街の誇りという言葉が、一部の活動的な市民だけの特権的な言葉になっていないか、政策担当者は常に配慮する必要があります。
行政主導の表層化:ロゴやコピーが記号で終わり、実感が伴わない空虚
多くの日本の自治体がシビックプライドの醸成に取り組んでいますが、時に内実の伴わない演出に陥ることがあります。有名なデザイナーによるロゴや、耳当たりの良いキャッチコピーを多額の予算で作成しても、住民の日常の実感と乖離していれば、それは単なる記号で終わります。
住民の心の中に自然に湧き上がる誇りではなく、行政側がKPI(重要業績評価指標)を達成するために誇りを持ちましょうと呼びかけるような、やらされ誇りの状態は、長続きしません。むしろ、住民に冷めた視線や不信感を与えてしまうリスクさえあります。
誇りの私物化:特定の有力グループが市民の総意を独占する危うさ
地域活動が活発な街ほど、特定の声の大きい有力者や活動的なグループが、街のイメージや意思決定を独占してしまう傾向があります。彼らが語る街の誇りが、いつの間にか市民全員の総意として固定化されていく現象です。
これでは、若者や新住民、あるいはこれまで地域に関心を持っていなかったサイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)が、自分たちの意見を挟む余地を失ってしまいます。誇りが一部の人間による私物化(独占)となると、地域コミュニティの多様性は急速に損なわれていきます。
持続性の欠如:補助金が切れた途端に消えるイベント依存型の誇り
最後に挙げるのは、持続性の問題です。一過性のイベントや、国の補助金を活用した短期プロジェクトによって一時的に熱狂が生まれても、それが日常生活の中での誇りにまで昇華されなければ、予算の終了と共に霧散してしまいます。
日本の地方創生の現場においても、単発の華やかな事業ではなく、地味であっても住民が日々の中で感じる手応えをどう積み重ねていくかが課題です。一過性の熱を、いかにして地域の体温へと変えていくか。その設計の難しさが、現代の地域づくりが直面している壁といえるでしょう。
参照元・出典、主要な文献
本稿で論じた課題の分析にあたり、以下の文献および知見を参照しました。
- 阿部真大(著)『居場所の社会学:アディクションから多文化共生まで』(講談社現代新書、2011年)
コミュニティの結束が、時に不自由さや排除に変わる構造を鋭く論じています。 - Butler, T. (2003). London Calling: The Middle Classes and the Remaking of East London. (Berg Publishers)
都市の再生と、それに伴う階層分断(ジェントリフィケーション)のプロセスを社会学的に分析しています。 - 日本都市計画学会(編)『コミュニティの再生と都市計画:主体・プロセス・制度の再構築』(学芸出版社、2016年)
日本の自治体における住民参加の壁と、制度的な限界について客観的な視点を提供しています。 - 牧野博明(著)『シビックプライドと都市のアイデンティティ』(学芸出版社、2012年)
本書の後半部分では、シビックプライドが操作されるリスクや、排他性に繋がる懸念についても触れられています。 - Putnam, R. D. (2000). Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community. (Simon & Schuster)
結束型(内向き)と橋渡し型(外向き)の社会関係資本の違いを論じ、内向きの力が強すぎる際のリスクを示唆しています。
第5回:【課題の解決】健全な誇りを育てる技術―批判的関与のすすめ
シビックプライドを育てる過程で最も避けなければならないのは、街を盲目的に礼賛し、異論を認めない閉鎖的な空気が生まれることです。私たちが提案する解決の鍵は、街を完璧なものとして愛するのではなく、未完成なものとして、改善の余地を楽しみながら関わっていく姿勢にあります。
批判的受容(Critical Engagement):街の欠点こそが関与の入り口になる
健全なシビックプライドは、この街のすべてが素晴らしいと信じ込むことではありません。むしろ、街の欠点や課題を冷静に認め、それを自分たちの手でどうにかしようとする批判的受容こそが重要です。
例えば、空き家が目立つ通りや、活気を失った商店街を恥ずべきものとして隠すのではなく、そこを自分たちが新しいことを試せる実験場として捉え直すことです。街の負の側面をオープンにし、住民が知恵を出し合うプロセスをデザインすることで、誇りは現状肯定の道具から、未来を創る原動力へと進化します。
弱い紐帯(Weak Ties)のデザイン:よそ者や関係人口を混ぜ、空気を循環させる
社会学者のマーク・グラノヴェッターは、家族や親友のような強い結びつき(強い紐帯)よりも、知人の知人といった弱い紐帯の方が、新しい情報や変化をもたらすと説きました。シビックプライドが排他的にならないためには、この弱いつながりを意図的に街のデザインに組み込む必要があります。
具体的には、住民以外の関係人口(特定の地域に継続的に関わる人々)や新住民が、既存のコミュニティにゆるやかに参加できる仕組みを作ることです。外部の視点が入ることで、内向きになりがちな誇りに客観性が保たれ、多様な価値観が共存できる風通しの良いコミュニティが維持されます。
タクティカル・アーバニズム:とりあえず椅子を置くから始まる自己効力感
行政が数年かけて巨大な公園を造るのを待つのではなく、住民が自分たちの手で、短期間かつ低コストに街の風景を変えてみる手法をタクティカル・アーバニズム(戦術的な都市計画)と呼びます。
例えば、道端に手作りの椅子を置く、空き地を数日間だけパークレット(路上休憩スペース)にするといった小さな実験です。こうした活動を通じて、住民は自分の行動が街を楽しく変えたという手応え(自己効力感)を得ます。この小さな成功体験の積み重ねこそが、行政から与えられたものではない、内発的な誇りの根源となります。
デジタル・ガバナンスの導入:声なき声を拾い、意思決定を透明化するツール
声の大きい住民だけで街の方向性が決まってしまうのを防ぐには、テクノロジーの活用が有効です。バルセロナ市などで導入されているDecidim(デシディム)のようなデジタル・プラットフォームは、オンライン上で誰もが政策提案や議論に参加できる仕組みを提供します。
デジタル・ツールを介することで、普段の会議には出席できない現役世代や若者の意見を可視化し、意思決定のプロセスを透明にできます。多様な層の意見が反映されているという納得感が、特定のグループによる誇りの私物化を防ぎ、公平な当事者意識を育みます。
教育との連携:子供たちが街を実験場として使うキャリア教育の重要性
シビックプライドの持続性を担保するのは次世代です。子供たちが教科書の中の知識として街を学ぶのではなく、街を課題解決の実験場として活用する授業(PBL:課題解決型学習)が全国で展開されています。
地元の商店街の課題を解決するプランを考え、実際に実行してみる。こうした経験を通じて、子供たちは街を自分たちが変えられる対象として認識します。卒業して一度街を離れたとしても、このとき得た誇りと手応えは、将来的な関係人口やUターンの強力な動機となります。
修復のプロセスを共有する:壊れたもの、負の遺産を共に直す絆
最後に強調したいのは、完成した美しさを共有するよりも、壊れたものを直したり、困難な課題に立ち向かったりするプロセスの共有こそが、最も強い誇りを生むという点です。
日本の多くの自治体が取り組む森づくりや歴史的建造物の再活用は、長い年月と労力を要します。しかし、共に汗をかき、街の負の遺産を資産へと再生させていくプロセスに参加することで、住民の間に自分たちの手で街を守り抜いたという、他では得がたい深い自負心が刻まれるのです。
参照元・出典、主要な文献
本稿の解決策の提案にあたり、以下の文献および知見を参照しました。
- Granovetter, M. S. (1973). “The Strength of Weak Ties.” American Journal of Sociology.
社会ネットワークにおける弱いつながりがもたらす情報の多様性と革新性についての古典的論文です。 - Lydon, M., & Garcia, A. (2015). Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change. (Island Press)
小さく素早い行動で都市を改善し、住民主導の変革を起こすための理論と実践がまとめられています。 - 西村幸夫(著)『都市の風景計画:欧米の景観コントロール』(学芸出版社、2000年)
景観の修復を通じたアイデンティティの再構築について、国際的な視点を提供しています。 - 伊藤香織(編著)『シビックプライド2:国内事例編』(宣伝会議、2015年)
国内の解決事例に基づき、住民の関与を引き出す具体的なコミュニケーション設計が論じられています。 - 宇沢弘文・武田晴人(編)『社会的共通資本としての都市』(東京大学出版会、2012年)
都市の資産を住民がいかに自律的に管理し、ガバナンスを構築すべきかのヒントが含まれています。
最終回:【計測と統制】誇りを資産として運用する―データと対話のデザイン
これまで5回にわたり、シビックプライドの本質や課題、その解決策を議論してきました。しかし、政策や活動の成果を客観的に評価し、持続させていくためには、感情という不確かなものを、誰もが納得できる指標へと変換し、適切に管理していく技術が求められます。
シビックプライド・インデックス:心理的4次元(愛着・誇り・推奨・自認)の計測
学術的・実務的な調査において最も一般的に用いられるのが、住民の意識を多角的に測るインデックス(指標)の設計です。主に以下の4つの質問群を軸に構成されます。
- 愛着(Attachment): この街に住み続けたいかという定住意向。
- 誇り(Pride): この街は誇れるものを持っているかという客観的評価の自覚。
- 推奨(Advocacy): 友人や知人にこの街を勧めたいかという他者への推奨意欲。
- 自認(Identity): 自分はこの街を良くする一員であるかという主体的関与の意識。
これらを5段階や7段階で回答してもらい、数値化することで、街の現在の心の健康状態を可視化します。
行動データの補完:ボランティア参加率やSNS発信量による実態把握
意識調査だけでは、アンケートには良く答えたが、実際には何もしていないという乖離を防げません。そこで重要になるのが、客観的な行動データの掛け合わせです。
例えば、地域活動やボランティアへの実参加人数、ふるさと納税における返礼品なし(寄付のみ)の割合、あるいはSNS上でのポジティブな言及数などが挙げられます。意識(思っていること)と行動(やっていること)の両面からアプローチすることで、シビックプライドの実態をより精緻に捉えることが可能になります。
ロジックモデルの構築:施策がどう誇りに変わり、定住に繋がるかの可視化
政策学においてロジックモデルとは、施策(インプット)がどのようなプロセスを経て成果(アウトカム)に至るかを示す設計図です。シビックプライドをこのモデルに組み込むことで、予算投入の妥当性を証明しやすくなります。
新しい広場を作った(インプット)→住民の交流が増えた(アウトプット)→街への愛着と自負が高まった(シビックプライドの醸成)→若者の流出抑制や新産業の創出(最終的な成果)という因果関係を可視化します。これにより、シビックプライドが単なるお祭り騒ぎではなく、地域の将来価値を高めるための戦略的なステップであることが明確になります。
フィードバック・ガバナンス:データを住民に返し、共に次の目標をセットする
計測されたデータは、行政が隠し持つものではなく、住民に公開して対話の種にするべきです。これがフィードバック・ガバナンス(情報の還元による共同管理)です。
私たちの街の誇りスコアは、前年より下がりました。なぜでしょうか?という問いを住民に投げかけることで、データは行政の成績表ではなく、住民自身の現状認識の道具に変わります。数値を見て、自分たちで原因を考え、次のアクションを議論する。このサイクル自体が、住民の当事者意識をさらに深める高度な参加の形となります。
ブランド・ガードレールの設定:誇りが排他性に変わらないための行動指針
誇りが高まりすぎることによる副作用(排他性や現状維持バイアス)を制御するためには、あらかじめブランド・ガードレールを設定しておく必要があります。
これは、地域が大切にする価値観の中に外からの視点を歓迎する常に自らを疑い、変化を受け入れるといった、開放性を維持するためのルールを明文化しておくことです。誇りが過去の栄光を守る盾ではなく、未来を切り拓く矛であり続けるよう、コミュニティ内で共通の行動規範を共有しておくことが、統制(マネジメント)の要となります。
まとめ:都市の魂(シビックプライド)を育てることは、未来を育てること
全6回を通じて、シビックプライドの広大な世界を旅してきました。政策学者や社会学者の視点から言えることは、シビックプライドは決して魔法のような一過性の解決策ではないということです。
それは、地域の歴史を重んじ、現状の課題を直視し、テクノロジーやデータを賢く使いながら、自分たちの手で街をアップデートし続ける終わりのないプロセスそのものです。私たちが住む街を、ただ消費する場所から、共に創造する場所へと変えていくこと。その積み重ねが、結果として世界に一つしかない、誇り高い都市を作り上げていきます。
みなさんの街でも、今日から小さな誇りの種を探し、育て始めてみませんか。
参照元・出典、主要な文献
本シリーズの締めくくりにあたり、以下の文献および最新の調査手法を参照しました。
- 読売広告社シビックプライド研究会(編)『シビックプライド2:国内事例編』(宣伝会議、2015年)
日本におけるシビックプライド指標の構築と、定量的評価の実践例が詳述されています。 - Rossi, P. H., et al. (2018). Evaluation: A Systematic Approach. (SAGE Publications)
社会的プログラムの評価手法(ロジックモデル等)についての標準的な教科書です。 - 内閣官房まち・ひと・しごと創生本部地域がいきいきする統計(RESAS)
客観的データに基づいた地域分析の基盤となる日本の公的なデータプラットフォームです。 - 宇沢弘文・武田晴人(編)『社会的共通資本としての都市』(東京大学出版会、2012年)
都市の価値を維持・計測するための多角的な視点を提供しています。 - Florida, R. (2002). The Rise of the Creative Class. (Basic Books)
多様な才能を惹きつける都市の開放性と寛容性が、経済的成長とどう結びつくかを論じています。
注意
以上の文書はAI Notebook LM が生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。
[先頭に戻る]











