なぜ公共交通を「インパクト」で測るのか?

地方の公共交通をめぐる議論は、長らく「単独収支の赤字」という壁に突き当たってきました。しかし、社会学的な視点に立てば、交通網は単なる移動手段ではなく、地域社会の「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」を醸成し、維持するための基盤です。

社会的インパクト評価(SIA)とは、事業が社会に与えた「変化(成果)」を測定・可視化するプロセスです。これを導入する意義は、単に赤字の言い訳を作ることではなく、限られた公的資源を「最も社会的なリターンが大きい事業」に配分するための戦略的な投資判断を可能にすることにあります。

動画解説 地方路線の真の価値

音声解説(18分)

Notebook LM生成 によるラジオ番組

赤字交通を投資に変える社会的インパクト評価

なぜ今、注目されているのか?

近年、急速に普及している背景には、以下の3つの要因があります。

  1. インパクト投資とESG経営の拡大 投資家が、財務リターンだけでなく「社会課題の解決」を投資判断の基準にし始めました。企業は株主に対し、自社の事業がどう社会に貢献しているかを数値で証明する必要が出てきました。
  2. 公的資金の成果連動型支払い(PFS/SIB) 行政予算が厳しくなる中、「事業を実施したこと」ではなく「成果が出たこと」に対して対価を支払う仕組み(ソーシャル・インパクト・ボンドなど)が増えています。
  3. 非営利組織(NPO)の説明責任 寄付者や助成財団に対し、「良いことをした」という感情論ではなく、「これだけの成果を出した」という客観的な証拠が求められるようになりました。

評価の基本構造:ロジックモデル

社会的インパクト評価の基礎となるのが、ロジックモデルという考え方です。活動が最終的な社会課題解決につながるまでの因果関係を整理します。
ここでのポイントは、「Output(活動実績)」と「Outcome(成果)」を明確に区別することです。

  1. Input (投入) 事業に投じた資源(ヒト・モノ・カネ)
    建設費、車両購入費、技術者、運行スタッフ
  2. Activity (活動) 実施した事業内容
    線路の敷設、ダイヤ設定、毎日の運行
  3. Output (産出) 活動の結果として生み出されたもの
    鉄道が開通した、列車が1日50本走った、1万人輸送した
  4. Outcome (成果) 対象者に生じた変化・メリット
    通勤時間が短縮された、高齢者が病院に行きやすくなった、駅前に店が増えた
  5. Impact (波及効果) より長期・広範な社会的な変化
    地域経済の活性化、CO2削減による気候変動抑制、住民の幸福度(Well-being)向上

評価の物差しを「Output」から「Impact」へ

これまでの行政評価の多くは、「Output(産出)」の測定で止まっていました。しかし、SIAではその先にある「Outcome(成果)」と「Impact(波及効果)」を最重視します。

  • Output(産出): バスを1日50本運行した。
  • Outcome(成果): 外出を控えていた高齢者が、週に1回病院や買い物へ行けるようになった。
  • Impact(波及効果): 高齢者の身体・精神機能が維持され、「将来的な医療費・介護費の抑制」につながった。

このロジックモデルを用いることで、交通部門の支出が、実は福祉・医療部門の支出を抑制しているという「省庁・部局横断的な投資対効果」を浮かび上がらせることができます。

社会的投資収益率(SROI)による貨幣換算の意義

財務担当者にとって、定性的な「喜び」や「安心」だけでは予算配分の根拠としにくいのが実情です。そこで有効なのがSROI(社会的投資収益率)です。SROIは、非市場価値(市場で取引されない価値)を一定の推計に基づき貨幣価値に置き換えます。例えば、「孤独感の解消」を、それと同等の充足感を得るために必要なサービスの価格や、孤独が原因で発生する疾病の治療費から算出します。

SROI =(社会的成果の貨幣換算総額 - 外部要因による影響)÷ 投入コスト

英国や欧州の事例では、交通事業のSROIが3.0〜4.0(1ポンドの投資で3〜4ポンドの価値創出)を示すことも珍しくありません。このように「社会全体での収支」を数字で示すことで、交通インフラを「コスト」から「投資」へと再定義することが可能になります。

HCTレポート:財務諸表と同列に扱う

英国 HCT Group(Hackney Community Transport Group)の「ソーシャル・インパクト・レポート(Social Impact Report)」は、交通事業者が「社会にもたらした良い変化」を定量・定性の両面で可視化した、世界的にも評価の高い報告書です。残念ながらHCT Groupは2022年に事業を停止しましたが、彼らが確立したこの評価・報告モデルは、現在でも日本の交通事業者や自治体にとって「公共交通の価値の証明」について、極めて重要な教科書となっています。HCT Groupの最大の特徴は、年次報告書において「財務レポート(いくら儲かったか)」と「社会的インパクト・レポート(社会をどう良くしたか)」を同等の重要度で扱っていた点です。レポートは主に以下の3つの要素で構成されていました。

  • Theory of Change(変化の理論):「なぜバスを走らせることが、社会課題の解決につながるのか」というロジックを図式化。
  • Quantitative Data(定量データ):支援した人数、就職者数、削減できた公的コストなどの数値。
  • Case Studies(定性ストーリー):「バスのおかげで人生が変わった」個人の具体的な物語。

HCTは「バスを運行した距離」や「乗客数」といった一般的な指標(Output)だけでなく、その先にある「成果(Outcome)」を以下の3つの柱で測定していました。

① 就労・教育支援(Employment & Education)

最も強力なインパクト指標です。HCTは「Learning Centre」という訓練施設を持ち、長期失業者に運転技術を教え、雇用していました。

指標(KPI)の例:

  • 長期失業者からの採用数: 何人が生活保護から脱却したか。
  • 資格取得率: 訓練生の何%が公的な資格を得たか(例:95%)。
  • 就職持続率: 就職して6ヶ月以上定着している人の割合。
  • 社会的価値の換算(SROI):
    「生活保護費の削減額」+「新たに納税された所得税額」= 国(政府)への経済貢献額として算出。
    これにより、「バス事業への補助金は、福祉予算の削減で回収できる(投資回収)」というロジックを成立させました。

② 社会的孤立の解消(Tackling Social Isolation)

高齢者や障害者向けのコミュニティ交通(ダイヤル・ア・ライド等)の評価です。

指標(KPI)の例:

  • 外出頻度の変化: 「週に1回以上外出できるようになった」人の割合。
  • 精神的な健康度: 利用者アンケートによる「孤独感の減少」の数値化(例:79%が改善したと回答)。
  • 社会的価値の換算:
    孤独解消による「うつ病リスクの低減」や「健康寿命の延伸」を医療費・介護費の削減効果として推計。

③ 自立支援(Independent Living)

特にユニークだったのが、障害のある子供たちへの「自立移動トレーニング(Independent Travel Training)」です。
活動内容: スクールバスやタクシー送迎に頼っていた子供たちに、一人で公共交通機関に乗る練習をさせる。

指標(KPI)の例:

  • 自力通学できるようになった生徒数: スクールバスを卒業した人数。
  • 社会的価値の換算:
    「高額なタクシー送迎費用の削減分」をそのまま成果として計上。
    これは「ソーシャル・インパクト・ボンド(SIB)」という仕組みで運用され、「成果が出た分だけ行政から報酬が支払われる」という画期的なモデルでした。

HCT Groupが証明した「財政的メリット」

英国のHCT Groupが発行していた「ソーシャル・インパクト・レポート」は、SIAが強力な説得力を持つことを示しています。

① 福祉から納税への転換(就労支援)

彼らは長期失業者を雇用し、バス運転を訓練しました。このインパクトは単なる「雇用」だけでなく、「給付金の支払い停止(歳出削減)」と「所得税の納入(歳歳入増加)」の合計として数値化されました。これは財務当局にとって非常に明確なメリットです。

② 行政サービス代替の経済性(自立支援)

障害のある子供たちへの自立移動訓練では、行政が全額負担していた「高額な専用タクシー送迎」を不要にするコスト削減をインパクトとして計上しました。これは、特定の行政課題に対して、交通が最も安価な解決策(ベスト・バリュー)であることを証明した事例です。

実務上の課題:成果の「帰属」と「デッドウェイト」

SIAを厳密に運用する上で、社会学や統計学の知見が不可欠なのが「成果の帰属」の整理です。

1. デッドウェイト(自重): その事業がなくても自然に発生したであろう変化。
2. アトリビューション(寄与分): 変化のうち、当該事業が直接貢献した割合。

例えば、高齢者の外出が増えた理由が「交通機関の整備」なのか「新しい商業施設の開店」なのかを峻別しなければ、評価の信憑性は損なわれます。日本の政策担当者の皆様が懸念される「評価の恣意性」を防ぐためには、こうした統計的調整を含む標準的なガイドラインの整備が必要です。

日本の自治体における導入へのステップ

日本でも、内閣府の「社会的インパクト評価ガイドライン」などが整備されつつありますが、今後はより具体的な「地域交通版SIA」の標準化が求められます。[社会的インパクト・マネジメント・イニシアチブ]

  • データの動的活用: 交通系ICカードの利用データと、自治体の健康診断データなどを匿名化した上で紐付け、交通利用と健康維持の相関をエビデンスとして蓄積する。
  • 多基準評価(MCA)の併用: SROIによる貨幣換算が難しい「景観」や「歴史的価値」については、欧州で採用されている多基準評価(MCA)を用い、CBA(経済効率)とSIA(社会成果)を統合的に判断する。

社会的インパクト・マネジメント・イニシアチブ(SIMI)

SIMIは、単なる「評価(Evaluation)」に留まらず、事業改善や意思決定に活かす「マネジメント(Management)」を日本に定着させる中心的な役割を担っています。

  • 市場規模の急拡大: GSG国内諮問委員会の調査によると、日本におけるインパクト投資(社会・環境的リターンを目的とした投資)残高は、2024年度に約17.3兆円(前年度比150%)に達しました。大手銀行や生命保険会社による参入が加速しています。
  • 公的な仕組みの整備: 「休眠預金等活用制度」において、資金分配団体や実行団体が社会的インパクト評価を行うことが義務化されたことが、NPOや社会企業における導入の大きな牽引力となりました。また、行政による「成果連動型民間委託(PFS/SIB)」の導入も全国で進んでいます。
  • マルチセクターの連携: SIMIは、NPO、企業、行政、中間支援組織、シンクタンクなどが参画するマルチセクター・イニシアチブとして、評価指標の標準化やガイドラインの策定を行っています。

具体的な事例:多様なセクターでの実践

SIMIのライブラリや報告書では、以下のような具体的な導入事例が紹介されています。

  • 教育・子育て支援:
    チャンス・フォー・チルドレン (NPO): 経済困難な家庭の子供へのスタディクーポン提供事業。学力の向上だけでなく、「自己肯定感」や「将来への希望」といった非認知能力の変化をアウトカム指標として設定し、事業の有効性を可視化。
  • 地域活性化:
    株式会社御祓川 (企業): 石川県七尾市でのまちづくり事業。単なる売上だけでなく、地域に関わる「関係人口の質的変化」や、地域内での「挑戦の連鎖」を評価軸に据えたマネジメントを実践。
  • スポーツと社会貢献:
    FC東京 (Jリーグ): スポーツが地域住民の健康やコミュニティへの帰属意識に与える影響を評価。単なる観客数(Output)ではなく、住民の「地域への誇り(シビックプライド)」の変化(Outcome)を測定。
  • 行政・中間支援:
    休眠預金活用事業: 2019年度以降、数百の実行団体が「社会的インパクト・マネジメント」を導入。第三者評価報告書を通じて、困難を抱える若者の自立支援や、災害ボランティアのネットワーク構築などの成果が公開されています。

現段階で使える主要ツールとリソース

SIMIは、専門知識がなくても社会的インパクト評価・マネジメントを開始できるよう、多くの無料ツールを提供しています。

  1. 社会的インパクト・マネジメント・ガイドライン
    導入から改善までのステップを解説した基本書です。「計画・設計」「実施・モニタリング」「評価・分析」「報告・活用」の4つのサイクルを回すためのポイントがまとめられています。
  2. ロジックモデル解説
    事業が成果を生むまでの「設計図」であるロジックモデルの作り方を、分野別(教育、就労支援、まちづくり等)のテンプレートと共に解説しています。
    活用シーン: 事業の因果関係を整理し、関係者間の合意形成を行う際に必須のツールです。
  3. アウトカム指標データベース
    これが最も実務的なツールです。過去の事例を元に、どの分野でどのような指標を使うべきかを検索できます。
    掲載分野: ヘルスケア、まちづくり、教育、ホームレス支援、文化・芸術、災害支援など。
    特徴: 単なる指標名だけでなく、「質問紙調査(アンケート)」の具体的な設問項目や測定方法まで例示されています。
  4. 社会的インパクト・マネジメント・ロードマップ
    組織として社会的インパクト志向をどう浸透させていくか、組織変革のステップを整理するためのフレームワークです。
  5. 評価者・アドバイザー紹介
    専門的な伴走支援が必要な場合、SIMIが認定した、あるいはネットワーク内のアドバイザーや評価機関を紹介・検索できるページがあります。

まとめ

日本における社会的インパクト評価は、「どれだけ良いことをしたか証明する」フェーズから、「得られたデータを元に、どうすればより良い社会を作れるか判断する(マネジメント)」フェーズへと移行しています。

まずはSIMIの「ロジックモデル解説」で自社の活動を整理し、「アウトカム指標データベース」で測定可能な指標を探してみることから始めるのが、最も現実的なステップとなります。

出典・参照元:

持続可能な地域社会のための「賢い選択」

社会的インパクト評価は、単に「良いことをしている」と主張するための道具ではありません。それは、地域の人口動態や財政状況が厳しさを増す中で、「どのインフラを残すことが、10年後の行政コストを最小化し、住民の幸福を最大化できるか」を判定する、科学的な経営管理手法です。

「赤字」という一面的な評価軸から脱却し、交通が地域社会に生み出す「インパクト」を直視すること。それが、地方衰退の悪循環を断ち切る最初の一歩となります。

参照元・主要文献

内閣府政策統括官『社会的インパクト評価の活用に向けて』
英国運輸省 (DfT) “Value for Money Framework”
HCT Group “Social Impact Report” 各年度版
Social Value UK “The Guide to Social Return on Investment”

注意

以上の文書はAI Geminiが生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。

参照

納得を科学する:計量経済学が拓く社会的インパクト評価とEBPMの未来

「近江鉄道のあゆみと事業再構築」 地域交通を考える 第16号に論考が掲載されました

交通理論体系整理の試み