普段何気なく利用している鉄道。その「安全」と「定時運行」を支えているのは、目に見える車両や線路だけではありません。最も重要なのは、それらのインフラや車両を裏側で支える、緻密な「保守・メンテナンス」活動です。
いま、欧州の鉄道業界では、この保守活動そのものを根底から変える、静かで力強いデジタル革命が進行しています。キーワードは、「データ標準化」と「デジタルツイン」です。
鉄道におけるこのデジタル化の波は、私たちの移動のあり方、ひいては社会の持続可能性に深く関わっています。
本記事では、この重要な動向を、欧州連合(EU)が主導する国際的な標準規格と、ドイツ鉄道(DB)が進める最先端の仮想空間技術という二つの側面から掘り下げていきます。

第1章:なぜ保守データの標準化が必要なのか?—欧州規格(EN)の役割

欧州では、国境を越えて列車が自由に運行しています。パリからベルリンへ、ローマからウィーンへと列車が走るためには、それぞれの国の線路や信号システムが連携する「相互運用性(インターオペラビリティ)」が不可欠です。
しかし、異なる国やメーカー、事業者が運営する何千もの鉄道システムが混在する中で、車両やインフラの保守管理を効率的に行うのは、極めて困難な課題でした。そこで、共通のルール作り、すなわち「標準化」が求められました。

1.1. RAMS規格:安全と信頼の「共通言語」

欧州の鉄道システムのデジタル化、特に安全と保守に関する標準化の土台となっているのが、RAMSと呼ばれる一連の規格群です。
RAMSとは、Reliability(信頼性)、Availability(利用可能性)、Maintainability(保守性)、Safety(安全性)の頭文字をとったもので、これらの要素をライフサイクル全体を通じて管理・実証するためのフレームワークを定めています。
このRAMS規格の中核をなすのが、EN 50126です。

1.1.1. EN 50126の役割(出典:CENELEC、IEC)

EN 50126は、鉄道システムが概念設計から廃止に至るまでの全ライフサイクルを通して、信頼性、アベイラビリティ、保守性、安全性の各目標がどのように定義され、達成されるかを管理する方法論を示しています。
この規格のポイントは、保守データが「安全性」を裏付けるための客観的な証拠(エビデンス)となる点です。例えば、設定された「信頼性(故障せずに動き続ける能力)」が実際に達成されているかを証明するためには、実際の運行で発生した故障の頻度や修理に要した時間を記録した標準化された保守データが不可欠となります。
このEN 50126は、国際規格としてもIEC 62278として採用されており、国際的な鉄道システムの安全管理の基礎となっています。

1.1.2. 保守記録の具体的な標準化(出典:CEN)

RAMSが「何を管理すべきか」のプロセスを示すのに対し、「どのようなデータを、どのように記録すべきか」という具体的な要件を定めるのが、EN 17095:2019です。
EN 17095は、特に鉄道車両(Rolling Stock)の保守記録に焦点を当てた規格です。国境を越える車両のメンテナンス履歴を、異なる言語やシステムの事業者間でも滞りなく追跡・理解できるようにするために、以下の要素を標準化しました。
記録すべきデータ要素:故障が発生した正確な日時、原因、修理担当者、交換した部品の識別情報(シリアル番号など)、測定値(車輪径など)。
フォーマットと構造:これらのデータを電子システム間で交換しやすいように、構造と定義を統一します。
これにより、車両がどの国を走っていても、そのメンテナンス履歴が明確になり、安全性とトレーサビリティ(追跡可能性)が飛躍的に向上しました。

第2章:保守データの活用—予知保全と残存耐用期間(RUL)推定

標準化されたデータは、単なる記録で終わるのではなく、鉄道保守を従来の「予防的(定期的な)」なものから、「予測的(Predictive)」なものへと進化させる基盤となります。
この変化の鍵となるのが、予知保全(PdM)と、それを支える残存耐用期間(RUL)推定技術です。

2.1. 予知保全への進化

従来、鉄道の主要な設備は、安全のため稼働時間や期間に基づいて定期的に交換されていました(時間基準保全:TBM)。しかし、これは「まだ使える部品を交換する」というオーバーメンテナンスにつながり、コスト増大の要因となっていました。
予知保全では、センサーから収集されるリアルタイムの振動、温度、電流などのデータ(状態データ)と、過去の標準化された保守データ(故障履歴)を組み合わせます。これにより、設備が故障する直前の状態変化を捉え、本当に必要なタイミングで、必要な作業だけを行うことが可能になります。

2.2. 深層学習によるRUL推定

この「故障するタイミング」を予測する技術が、RUL(Remaining Useful Life:残存耐用期間)推定です。特に、鉄道のように長期間にわたる緩やかな劣化トレンドを分析するには、深層学習(ディープラーニング)の技術が用いられます。
時系列分析:LSTM(Long Short-Term Memory)などのリカレントニューラルネットワーク(RNN)モデルは、過去から現在までのデータの流れ(時系列)を記憶し、劣化の加速パターンを学習する能力に優れています。
故障閾値の予測:モデルは、学習した劣化トレンドに基づいて、設備の劣化指標が「故障と見なすレベル(閾値)」に達するまでの時間を予測し、RULとして提示します。
このRUL予測によって、「この区間のポイント(分岐器)は、あと約3週間で故障する確率が高い」といった具体的な情報が得られ、保守計画の最適化が可能になります。

第3章:ドイツ鉄道(DB)のデジタルツイン研究—仮想空間での未来設計

欧州の標準化の枠組みの中で、この最先端の予測技術をさらに進化させ、鉄道運行全体を最適化しようとしているのが、ドイツのナショナルフラッグキャリアであるドイツ鉄道(Deutsche Bahn, DB)です。
DBは、鉄道インフラと車両のほぼ全てを仮想空間に再現する「デジタルツイン(Digital Twin)」の構築に注力しています。これは単なる3Dモデルではなく、現実世界とリアルタイムでデータを同期させた、物理的に正確なシミュレーション環境です。

3.1. デジタルツインの目的と活用(出典:Digitale Schiene Deutschland)

DBのデジタルツインプロジェクトは、同社のデジタル化戦略部門であるDigitale Schiene Deutschland (DSD)が主導しています。その目標は、主に以下の三点に集約されます。

  1. 運行の容量拡大と最適化:
    現実のインフラを仮想空間でシミュレーションすることで、列車運行のボトルネックを特定し、安全性を損なうことなく、線路の交通容量を最大化するための最適な運行間隔やダイヤを検証します。
  2. 自動運転(GoA4)の実現:
    将来的な完全自動運転(GoA4)に向けたAIシステムを、デジタルツイン上で安全かつ効率的にトレーニングします。現実では再現が難しい、あるいは危険な異常事態や故障シナリオを仮想空間で無数に実行し、AIの対応能力を向上させます。
  3. 高度な予知保全:
    現実のインフラ設備のセンサーデータをデジタルツインに反映させることで、インフラの状態変化を空間的な文脈(どの路線のどの地点で何が起きているか)とともに視覚化・分析し、RUL予測の結果に基づいた最適な保守計画を立てます。

3.2. 技術基盤とシミュレーションの力

DBのデジタルツインは、高度なシミュレーション技術に依存しています。

  • 物理的な正確性:シミュレーションは、単に列車を動かすだけでなく、レールと車輪の摩擦、空気抵抗、信号の遅延といった物理法則を正確に再現します。これにより、シミュレーション結果の信頼性が高まります。
  • データ統合:CADデータ、GIS(地理情報システム)データ、リアルタイムのセンサーデータなど、異なる情報ソースをUSD(Universal Scene Description)などの共通フレームワークを通じて統合し、一貫した仮想モデルを維持しています。
    デジタルツインは、鉄道の保守から運行、技術開発までを統合的に最適化する「司令塔」としての役割を担い始めています。

第4章:国際比較と持続可能な社会への貢献

欧州の標準化とドイツのデジタルツインは、日本の鉄道システムにおいても重要な示唆を与えます。

4.1. 日本の取り組みへの配慮

日本においても、鉄道インフラの老朽化が進む中で、データの活用による保守の高度化は喫緊の課題です。
日本の鉄道事業者は、独自の高い技術力と運行ノウハウを背景に、個々の事業者レベルで予知保全やデータ活用技術を開発・導入しています。しかし、欧州のように国境を越えた「相互運用性」を第一義的な目標とする標準化とは異なり、国内で異なる事業者間でのデータの連携や活用については、独自の発展を遂げています。
近年では、日本政府も鉄道分野におけるデジタル技術活用やデータ連携の重要性を認識しており、官民連携によるデータ基盤整備や技術開発が進められています。日本の強みである安全性のレベルを維持しつつ、欧州の標準化が持つデータ交換と効率化のメリットを取り入れることが、今後の課題となるでしょう。

4.2. 環境社会学から見たデジタル化の意義

このデジタル革命は、単にコスト削減や効率化で終わる話ではありません。環境社会学の視点から見ると、持続可能な社会の構築に直接貢献します。
資源の最適化(オーバーメンテナンスの回避):RUL推定により、「まだ使える部品」を不必要に交換することがなくなります。これは、資源の浪費を防ぎ、製造・廃棄に伴うエネルギー消費とCO2排出量を削減することに直結します。

  • エネルギー効率の向上:デジタルツインによる運行最適化シミュレーションは、列車間の不必要な加減速を減らし、エネルギー消費量を最小限に抑える運行計画の策定を可能にします。
  • レジリエンス(強靭性)の強化:デジタルツインで自然災害や異常事態をシミュレーションすることで、障害発生時の復旧戦略を事前に検証し、社会インフラの停止リスクを低減します。これは、現代社会のレジリエンスを高める上で欠かせない要素です。

結び:デジタル化が創る「次の安全」

欧州の「標準化」とドイツの「デジタルツイン」の取り組みは、鉄道を「過去の遺産」ではなく、「未来のモビリティ」として再定義する試みです。
データという見えない基盤を共通化し、それを仮想空間で最大限に活用することで、「次のレベルの安全」と「環境に優しい効率性」を両立させようとしています。
このデジタル革命は、遠い外国の話ではなく、私たち一人ひとりの日々の移動と、社会全体の持続可能性に深く関わる重要なテーマです。今後の技術の進展と、国際的な連携に注目していきましょう。

参考文献・主要な出典

CENELEC (Comité Européen de Normalisation Électrotechnique):

  • EN 50126 (Railway applications – The specification and demonstration of RAMS)
  • EN 50128, EN 50129 関連規格

CEN (Comité Européen de Normalisation):

  • EN 17095:2019 (Railway applications – Rolling stock maintenance – Maintenance records)

IEC (International Electrotechnical Commission):

  • IEC 62278 (Railway applications – Specification and demonstration of Reliability, Availability, Maintainability and Safety (RAMS))

Deutsche Bahn (DB) / Digitale Schiene Deutschland (DSD):

  • デジタルツイン、自動運転、予知保全に関する公式発表、技術文書など。

欧州連合(EU):

  • 相互運用性技術仕様(TSI: Technical Specifications for Interoperability)関連文書。

その他:

  • 鉄道関連の学術論文、技術誌など。

注意

以上の文書はAI Geminiが生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。