ジェイン・ジェイコブスは、近代都市計画を批判する著書『アメリカ大都市の死と生』を刊行し、反響を呼び、20世紀後半の都市計画思想を一変させたといわれます。日本にはどのような影響を与えたのでしょうか?
動画概要
街の活力を取り戻すには? ジェイン・ジェイコブスが問う「人間らしい都市」の条件
私たちが毎日歩く街路や、住んでいる街の設計は、本当に人々の暮らしを豊かにし、安全を守っているのでしょうか。
今から60年以上前、アメリカのジャーナリストであったジェイン・ジェイコブスが著した『アメリカ大都市の死と生』(1961年)は、都市計画の専門家の常識を根底から覆し、都市のあり方に関する議論を劇的に変えました。彼女の思想は、
「都市の活力と安全は、専門家による大規模な計画ではなく、
日常的な地域住民の交流と、多様性に富んだ環境から自然発生的に生まれる」
というものであり、現代の日本が直面する都市の課題を考える上で、重要に思えます。彼女の著作は、専門家や官僚が上から行う都市設計の権威を失墜させ、モダニズム都市計画の終焉を決定づけました。
ジェイコブスが戦った「都市計画の常識」
ジェイコブスは、支配的な正統派都市計画理論を痛烈に批判しました。彼女は、用途の分離や大規模な再開発を優先するトップダウン的なアプローチが、「都市の活気に満ちた有機的な生命」を積極的に破壊していると主張しました 1。
彼女が批判の的とした、当時の主流な思想は以下の通りです。
- ル・コルビュジエの「輝ける都市」:都市の機能を完全に分離し、高層ビルと高速道路を組み合わせた合理主義的な設計に対し、ジェイコブスはそれを「すばらしい機械式の玩具」だと皮肉り、そのデザインがどんなに「下品で不器用」であっても、専門家が「さあ、私が作った建物を見てごらんなさい!」と傲慢に叫ぶようだと非難しました。
- エベネザー・ハワードの「田園都市」:大都市の文化的・経済的な機能を無視し、自給自足型の小さな田舎の町へ移住を促す発想を、父権主義的な行為だと評しました。
彼女の狙いは、都市計画における抽象的で合理的な思想が、「ゾーニング(用途地域制)や住宅ローン制度など、連邦および州政府の法律やガイドラインに組み込まれ」、結果的に用途が分離され、自動車に依存する非人間的な都市パターンを法的に推進してきたことに、異議を唱えることでした。
活気と安全を生む「人間らしい都市」
ジェイコブスは、都市の安全は、警察や監視カメラといった外部の権力によってではなく、街路に面した建物や活動から生まれる「街路の目(Eyes on the Street)」によって、地域住民の無意識の相互監視で保たれると主張しました。これは、形式的な警察活動のみに依存するのではなく、社会的結束と自然な監視に依拠する、公衆の安全に対する有機的なモデルです。
活気に満ちた、人間らしいスケールの都市環境を生み出すための秘訣として、彼女は以下の「多様性の四条件」を提案しました。
- 主要用途の混合: 住居、店舗、オフィスなど、複数の機能が一つの地域に混ざり合うこと。これにより、異なる時間帯に多くの人が街を利用し、一日を通して街路に「目」を保つことができます。
- 小さな街区: 街路や交差点が多く、歩く中で角を曲がる機会が頻繁であること。これにより、人々は様々な場所を歩き回り、数多くのささやかな交流が促され、信頼が形成されます。
- 年数を経た建物の混合: 古い建物と新しい建物が混在すること。古い建物は家賃が安いため、多様な所得層や中小企業が共存でき、経済的な多様性が保たれます。
- 高い人口密度: 目的を共有し、交流するために十分な人々が密集していること。これは、都市の活力を生むための**「十分な密度」**を指します。
彼女はまた、1950年代のアメリカ諸都市で蔓延していた「スクラップ・アンド・ビルド型再開発」を、既存の社会構造や経済生態系を破壊し、都市衰退の主要な要因であるとして猛烈に反対しました。
日本の都市構造と構造的な抵抗
戦後の日本は、ジェイコブスが批判した1950年代のアメリカ型の「自動車中心主義」と「用途分離型」の設計思想を採用してきました。都市計画法における硬直的な用途地域制は、ジェイコブスが重視した「用途の混合」を構造的に妨げました。
その結果、日本では長年にわたり、短期間での建て替えサイクル、「スクラップ&ビルド」が続いています。国土交通省のレポートでは、木造住宅の平均寿命は概ね64年程度であり、国は「200年住宅」を提唱し長寿命化を目指しているにもかかわらず、市場では短期的な経済回転率(フロー)を優先する構造が根強く残っています 2。
現在、日本の都市政策は、人口減少と高齢化に対応するため、ジェイコブスの思想に近づこうとしています。都市機能と居住の集約を目指す「立地適正化計画」や、「居心地がよく歩きたくなる空間」を目指す「ウォーカブルなまちづくり」戦略がその試みです 3。
しかし、政策の意図とは裏腹に、構造的な転換は難航しています。立地適正化計画の進捗を測る国のKPI(アウトカム指標)を見ると、計画を作成した都市でも、目標とする集約化を達成できている都市の割合が、依然として低下傾向にあるという現実があります 。この背景には、計画が私有地に対する強い強制力を伴わず、「緩やかな誘導」にとどまっていることや、計画の評価・見直し(PDCAサイクル)を適切に実施できていない自治体が多数存在するという、構造的な抵抗が見て取れます 5。
「お天道様が見ている」日本は必ずできる
たった一人の女性ジェイコブスは、アメリカの都市設計思想を一変させてしまいました。彼女が目指した「自然発生的な『生』を併せ持った都市」 1 を実現するには、既存の経済・法制度の慣性を打ち破る、大胆な取り組みを伴いました。彼女が提唱した「複雑な都市の生」を理解し、尊重するための倫理的基盤「街路の目」、実は古来より日本が持っていました。「お天道様が見ている」という、コミュニティ内の相互監視・自己規制の倫理観。行政や権力による強制力に頼らず、人々の行動が都市の安全を保つという考え方です。この基盤があるからこそ、日本は人間中心で活気に満ちた都市構造への転換を必ず成し遂げられると信じています。
出典 (2025年10月6日 閲覧)
- 1 ジェイコブスの著作がモダニズム都市計画を批判し、複雑系の科学を先取りする代替研究方法を示唆したこと。
名著探訪 The Death and Life of Great American Cities (日本都市計画学会) - 2 住宅の長寿命化に関するレポートより、木造住宅の平均寿命(64年)と「200年住宅」の概念。
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