日本の都市計画が抱える課題の一つに、「誰のために」計画が作られているのかという問いかけの難しさがあると思えます。特に都市交通計画は、私たちの移動と生活の質に直結するにもかかわらず、その策定プロセスが専門家や行政内部に閉じてしまいがちです。

一方で、欧州では、市民を計画の「受益者」ではなく「協働者」と位置づけることで、圧倒的な実効性と持続可能性を持つ計画手法が主流となっています。それが、持続可能な都市モビリティ計画(SUMP: Sustainable Urban Mobility Plan)です。

ここでは、計画プロセスSUMPの思想的基盤にある学術的な理論をわかりやすく解説します。また、これを日本に適用する際の障壁と、私たちが進むべき道筋を探ります。

動画解説

音声概要

日本の都市交通計画はなぜ進まない?SUMP(サンプ)から学ぶ市民との「協働」が未来の移動を変える鍵

SUMPは「成功した計画」から抽出された

欧州委員会は、多くの都市が独自のモビリティ計画を策定する中で、「成功する計画と失敗する計画は何が違うのか?」という問いに取り組みました。その結果、共通するベストプラクティスを抽出して生まれたのが、SUMP(サンプ)です。

SUMPの最大の特徴は、単に「渋滞を減らす」「バスを増やす」といった技術的な解決策を羅列するのではなく、計画策定のプロセス自体を市民と行政が共有する協働的な枠組みとして規定している点です。

SUMPのプロセスが日本と決定的に異なる点

日本の従来の交通計画が、しばしば専門家や行政が作成した案を「公聴会」という場で市民に説明し、承認を得る(トップダウン型)のに対し、SUMPは以下のプロセスを基本とします。

  1. 現状分析とビジョン策定: 市民、企業、団体など多様なステークホルダーが参加し、「この都市にどんなモビリティを実現したいか」という共通のビジョンをゼロベースで作り上げます。
  2. 目標設定: 交通量削減、環境負荷低減、生活の質向上など、達成すべき目標を協働で具体的に定めます。
  3. 対策の評価と選択: 行政が提示した複数の対策案について、市民がそのメリットとデメリットを議論し、合意形成を経て、導入する対策を決定します。

このプロセスは、計画の目的が「計画書を完成させること」ではなく、「都市のモビリティと生活の質を持続的に改善し続けること」にあることを示しています。

SUMPが基礎を置く理論:市民参画の学術的根拠

なぜ市民との協働が必要なのでしょうか? それは、交通計画が技術論ではなく、社会論だからです。SUMPは、以下の二つの主要な学問分野の理論を根拠としています。

1. 計画理論の転換:コミュニカティブ・プランニング(Communicative Planning)

かつての都市計画は、経済学者や都市工学者が「最も効率的な解」を合理的かつ一方的に導き出す(合理的包括的計画)手法が主流でした。しかし、この手法はしばしば市民の生活の実態や価値観と乖離し、計画が現場で受け入れられないという問題(受容性の欠如)を抱えました。

  • 理論: ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスの「討議的民主主義」の概念を、計画家たちが都市計画に応用し、「コミュニカティブ・プランニング(討議的計画策定)」が生まれました。
  • SUMPへの適用: 計画とは、多様な価値観を持つ関係者(自動車利用者、バス利用者、子育て世代、高齢者など)が、オープンな対話(討議)を通じて、それぞれの立場を理解し合い、最終的に「共有された目標」を創造するプロセスであると捉えます。専門家は最適解を押し付けるのではなく、この対話をファシリテート(促進)する役割を担います。

2. ガバナンス論の進化:参加型ガバナンス論(Participatory Governance)

行政と市民の関係性に関する理論もSUMPを支えています。

  • 理論: 複雑な現代社会において、問題解決は行政単独の力では不可能であり、市民、NPO、民間企業といった多様なアクターが関与する「協働的な統治(ガバナンス)」が不可欠であるという思想です。
  • SUMPへの適用: モビリティ改善は、道路工事やバス路線変更といった物理的な行為だけでなく、自動車利用習慣の変更や自転車の安全利用といった市民の行動に依存します。そのため、市民が計画の「所有者」となり、自発的に行動を変える(TPBにおける行動意図の形成)ためには、計画策定の初期段階から参加し、計画の正当性(Legitimacy)を実感する必要があるのです。

3. ステークホルダー・エンゲージメント(Stakeholder Engagement)

  • 理論: 複雑な公共事業において、計画の成功には、直接的・間接的に影響を受けるすべての関係者(ステークホルダー)を特定し、彼らを早期かつ継続的に計画プロセスに巻き込むことが不可欠であるというマネジメント論です。
  • SUMPへの適用: 自動車利用者、公共交通利用者、歩行者、自転車利用者、事業者、学校、病院、高齢者団体など、すべての利害関係者の声を聴き、彼らが計画の「所有者」となることで、計画の実効性を確保します。

出典: J. Habermas (1981), J. Forester (1989, 1999) などのコミュニケーション的・討議的計画理論、欧州委員会のSUMPガイドライン。

交通計画にはなぜ市民の支持が不可欠なのか

交通計画における市民の役割は、単なる「意見を聞かれる人」ではありません。市民は計画の受益者であると同時に、負担者であり、最終的な支持者でなければなりません。

1. 市民は「受益者」:生活の質の向上

公共交通の改善、歩行者空間の創出などは、市民の移動の快適性や健康、地域の経済活性化に直結します。デザインによって公共交通の知覚された安全性が高まれば、特に高齢者や子どもたちにとっての移動の自由度が向上します。これは「生活の質(Quality of Life)」という形で市民に還元されます。

2. 市民は「負担者」:トレードオフの受容

しかし、交通計画は常にトレードオフを伴います。例えば、バス専用レーンを設ければ、自動車の車線が減少し、渋滞を引き起こすかもしれません。中心部の駐車場料金を上げれば、利便性は低下します。

  • 理論的な視点: この「痛みを伴う変化」を受け入れてもらうためには、ナッジ理論の基礎となる損失回避バイアスに対処しなければなりません。市民は失うもの(利便性)を、得るもの(環境改善、快適性)よりも約2倍強く感じます。
  • 協働の役割: 協働プロセスによって、市民は対策導入の必要性と公平性を理解し、「私たちが選んだ計画なのだから、この一時的な負担は受け入れよう」という合意を形成できます。これがなければ、計画は容易に市民の反対運動によって頓挫してしまいます。

3. 市民は「支持者」:行動変容と持続性

最も重要なのは、計画の実効性が、市民自身の行動変容に依存している点です。いくら優れたインフラを整備しても、市民が自動車利用をやめなければ、成果は出ません。

  • 心理学的視点: 計画的行動理論(TPB)に基づき、市民が「公共交通は利用すべきだ」という強い意図を持つ必要があります。この意図は、環境への配慮といった理性的な動機だけでなく、ナッジによる直感的な誘導(例:バス停のデザインが美しい、アプリが使いやすい)にも支えられます。
  • 協働の成果: 計画の策定に参加し、そのビジョンに共感した市民は、計画の熱心な支持者となり、自ら率先して行動を変え、周囲にも推奨するエバンジェリスト(伝道師)となるのです。

日本での適用における障壁と解決策

欧州のSUMPが理想的なのは理解できますが、日本の都市でこれを実現するにはいくつかの大きな障壁があります。

乗り越えるべき障壁

制度的障壁:縦割り行政の壁

日本では、道路管理者(国土交通省系)、交通管制(警察)、公共交通事業者(民間/自治体)が個別の法律と予算に基づいて動いています。SUMPのようにすべてを一体的に調整し、市長が強力なリーダーシップを発揮するための制度的な基盤が弱いことが最大の課題です。

文化的障壁:対話の不慣れ

日本の市民参加は「公聴会」や「アンケート」といった受動的な意見聴取が中心です。住民側も「計画は行政が専門的に決めるべき」という意識が強く、意見の対立を避ける傾向があります。コミュニカティブ・プランニングが求める、率直で建設的な「討議」の文化が根付いていません。

意識障壁:消費者意識

日本の市民には、税金を支払って公的サービスを購入しているという消費者の立ち位置である意識が強い方がいます。自分が支払った税金で必ずしも全てを賄えるとは限らないという財政知識や、地域コミュニティは市民と行政が協働して作り上げる社会教育がされていないことも原因です。

時間とコストの障壁

多くの関係者を巻き込む協働プロセスは、時間と人的リソースを要します。「とにかく早く計画を決めたい」というスピード優先の行政文化の中で、丁寧な合意形成プロセスが非効率と見なされがちです。

実現のための解決策

これらの障壁を乗り越えるには、行政と市民双方のマインドセットの転換が必要です。

計画の目標を「生活の質」に据える

交通工学的な目標(交通量や速度)や路線の改廃だけでなく、「子どもの通学路の安全性」「高齢者の外出頻度」「地域経済の活性化」といった市民の生活の質に関する目標を最優先に掲げます。これにより、計画の意義が市民にとって感情的かつ切実なものとなり、協働への意欲が高まります。

計画の「場」のデザインとファシリテーション

公聴会ではなく、ワークショップ形式を導入します。これは、参加型ガバナンスを実践する上で極めて重要です。

  • 役割の転換: 市民団体、交通コンサルタント、行政職員などが、専門家としてではなく対話のコーディネーター(ファシリテーター)として機能し、多様な意見の対立を恐れず、建設的な議論を導きます。
  • ナッジの活用: 議論のテーマを「不満点の列挙」から「未来の都市の楽しさのデザイン」へとフレーミングし直すことで、参加者のモチベーションを喚起します。

デジタル技術による参加の敷居下げ

  • オンライン対話プラットフォーム: 匿名性や可視化ツールを活用し、時間や場所にとらわれずに多様なステークホルダーの意見を収集・整理し、合意形成プロセスを効率化します。
  • VR/ARシミュレーション: 計画されているモビリティ(例:新設されるトラム、歩行者天国)を仮想空間で「体験」してもらい、その快適性や利便性に対する知覚された行動制御(PBC)を事前に高めます。これにより、抽象的な議論ではなく、具体的な体験に基づいて市民が意見交換できるようになります。

市民活動

結び:都市を「共に創る」時代へ

欧州SUMPの根底にあるのは、市民を信頼し、都市を「共に創る」という強い意志です。認知科学や行動経済学の理論は、この協働プロセスが単なる理想論ではなく、科学的な根拠に基づいた最も実効性の高い計画手法であることを証明しています。日本の都市交通計画が、真に持続可能で人々に愛されるものとなるために、私たち一人ひとりが、計画の「受益者」ではなく「対話の参加者」へと意識を変えることが、未来のモビリティを形作る最初の一歩となります。

出典: J. Habermas (1981), J. Forester (1989), R. H. Thaler and C. R. Sunstein (2008), I. Ajzen (1991), European Commission SUMP Guidelines (2019/2020), および日本の交通計画・行政学に関する関連研究論文。

注意

以上の文書はAI Geminiが生成したものを加筆修正しており、誤りが含まれる場合があります。

SUMPの概要は以下の無料教材でもご紹介しています。

地域交通リ・デザイン eラーニング