不思議と感謝の旅路

12年前、IT業界から交通業界に転向し、秋田(由利高原鉄道)にご縁をいただき毎月通い、鳥取 若桜鉄道の社長就任により東京を離れ、その後は岡山・三重・滋賀と移り住みました。以下は12年間のダイジェストです。沿線住民の7割を動員したり、1000人のツアーを誘致したり、いろいろやりました。御笑覧いただけましたら幸いです。東京に戻って参りましたので、もし何かありましたらお気軽にお声がけいただけましたら幸いです。

SASを退職し修行開始

IT業界では合計25年間、CSK、Lotus、IBM、COGNOS、SASのお世話になりました。(写真は最終出社日の六本木ヒルズ) IT業界の実績を見る

鉄道業界には知識も人脈も何も無いので勉強会やセミナーに顔を出し、学識や業界の方々と繋がりを作り始めました。

秋田 由利高原鉄道ITアドバイザー

由利高原鉄道日本鉄道省2014表紙早稲田大学の繋がりから春田社長を紹介いただき、秋田の由利高原鉄道に毎月通い地域鉄道の経営と地域社会について学びつつ、数多くのご協力をいただき商品開発や広報・業績改善のお手伝いをしました。 由利高原鉄道の実績を見る

日本鉄道マーケティング創設、全国提案巡業

日本鉄道マーケテイングを創設し、由利高原鉄道で得た知見の横展開を進めました。開封率を上げるため鈴を提案DMに入れ、鉄道各社に送付。全国の地域鉄道を訪問し、会社ごとに提案をしましたが、「うちではこうやっている」とノウハウも多々頂き応援もいただきました。(写真は訪問に使った各地を繋ぐ一周切符)こうして熊本電鉄・山形鉄道・由利高原鉄道様とのお取引が始まりました。その後、若桜鉄道が社長を公募し、30名の候補から選出されたため事業を休止します。

鳥取 若桜鉄道社長へ

SL走行社会実験沿線地域の産業・農林業が衰退し、人口が減少し鉄道の業績を悪化させていたため、鉄道の観光資源化と増発による過疎化防止を進めました。多岐にわたるご支援のおかげで、沿線人口の7割相当が参加したSL走行社会実験、スズキとの提携、人材育成、1000人規模のツアー誘致、著書「希望のレール」出版などを進め、公共交通網形成計画による再生の道筋が立ち退任。 若桜鉄道の実績を見る

三重 津エアポートラインと瀬戸内

忍者高速船単身で地方に乗り込む公募社長の限界やリスクも見えたので、岡山の両備HDに入社。三重県の津市と中部国際空港を結ぶアクセス航路 津エアポートラインに就役。ブランチマネージャとしてオペレーションの改善や空港と連携したインバウンド誘致などを進めました。コロナ禍により航路の利用が急減したため退職。 津エアポートラインの実績を見る

近江鉄道

無料デイ彦根駅構造改革推進部 部長として地域との合意形成の側方支援。沿線企業と学校を訪問し、課題とニーズを聞き出し施策を組み立てました。通常の13倍、一日3万8千人が乗車した全線無料デイにより鉄道の可能性を示し、近江ARSの活動で多様な近江の文化や日本の起源に触れることもできました。公設民有方式の上下分離に移行できたため退職。 近江鉄道の実績を見る

日本鉄道マーケティング再開

4月より日本鉄道マーケティングを再開し、国土交通省 共創事業 人材育成の補助を受けた3つのプロジェクトを支援しています。

また、記事の執筆も始めました

物流の研究

202406日本港湾記事日本の港湾に国際基幹航路が立ち寄りが減ったこと、欧米に比べユニットロードが普及していない事に危機感を抱き、研究を始めました。日本物流学会、日本MH学会、日本ロジスティクスシステム協会に加入し、資格を取り、講演や執筆を進めています。

北前船のルート

滋賀で奥永源寺の木地師の里日野近江商人館を訪ねた時、驚きました。奥永源寺でお椀などの木製品をロクロで挽く訓練を積んだ木地師は、材料の木を求めて全国の山中に散りました。最も多くの木地師が活動したのが鳥取で、作られた木地を日野近江商人が買い取り、北前船で津港に運び鈴鹿山脈を越え、日野町で日野椀に仕上げ、山道を経由し北関東で販売していたそうです。私の自宅は東山道武蔵野路の近くです。三重には九鬼、対岸の知多半島には尾州廻船衆がおり、北前船の荷主は主に近江商人。私は古代道と北前船が結ぶ、お椀物流のご縁に導かれ各地を移動していたようです。